デー トの約東には遅れず、服の肩にフケなど落ちていたことはない、下宿の部屋は実にきちん と整理整帳されている、という青年は多くの場合、娘の母親から婿候補として好意的な感しで見 られるであろう。しかし、娘も又、部屋の隅から隅までが清潔になっていなければ気がすまない というきちょうめんな性格なら、いざ知らず、このような正確な人間はえてして他人にも狭量で ある。結婚した暁には、亭主力ンパクになり、お湯の温度がちょっと熱くても文句を言い、本棚 の隅に埃が残っていたと言ってはどなりつけるような夫になる。 いわゆる不良青年がいる。すからも女にもてるということに自信を持っており、青春時代に は、結婚直前まで行った娘や、深入りした水商売の女がいる。ストリツ。フ劇場も好きだし、他人 の奥さんの御機嫌をとり結ぶこともマメである。 こういう青年の中には、全部が全部とは言わないが、大変よい夫になるのがいる。つまり女の 心を知りつくしてしまったので、四十位になってから、ついふらふらとした気分になるなどとい うことはない。女に関しては肥えすぎるほど眼が肥えてしまっているのだ。 こういう不良青年こそ、実は夫として最良なのだが、女出入りの激しい男が、まじめな家庭の 夫に向くと思うことは実にむずかしい 娘にしたところで同様である。質実で賢こそうに見えた娘が計算高いおばさんになったり、礼
2 女が本気で思ってみること 肉体の表現、精神の表現 私は小さいときからカトリックの修道院の経営する学校で育ったから、愛と呼ばれるものを当 世風に、肉体的なものが第一だと決して思わないように仕向けられていた。私の周囲には、今の 若い人たちが聞いたら笑い出しそうな、しかし美しい話が日常茶飯事のように存在していた。 << さんは青年を好きだったが、氏が、神父になったので、 「ご自分も修道院にお入りになったのよ というような話である。 私は神父を知らないが、修道女にはその後何度か会っている。愛する人にふられて、修道 院へ入ったという感じではない。あの導は嘘かも知れない。それほど修道女は、朗らかで、や やおっちょこちょいで、もしこれが俗人であるなら、さだめし、人の好い金棒ひきのおばさんに
一応も二応も丁重なものの言い方であった。しかしその声は、彼に、そのような意志のないこ とを歴然とあらわしている。私は気の毒になり、やつばり男に何かを改めさせるのは間違ってい る、と思った。夫は、引き返せないものだし、変わることもできないのだろう。男が盗むことが 好きなら、一生盗み続けるだろう。男が几帳面な性格なら、のんびりするのがいいのだ、といく ら説明してもなおらないだろう。 父親と二人だけで暮してきた娘がいた。彼女は父を大変愛しており、しかも彼女は年若いうち から、一家の主婦としての立場に熟達した。 そこで、彼女は結婚したのだが、夫をつねに父とくらべるのである。 る 「お父さまは、家へ帰るとちゃんと、茶の間へきて、まず私と喋ったわ」 て とか み 「お父さまは、道を歩いているとき、少しでも私が遅れれば、すぐ立ち停って待ってて下さった 込 という具合に、父と夫を比べるのである。すると悪意ではなくても、家へ帰るとすぐ自分の書 分 ・目 斎に入りたがり、道を歩くときに考えごとをする癖のある夫は、自分がひどく冷酷なことをした 1 ように思うかも知れない。
「でも、そうなると、あなたも後に残ってかわいそうね」 それから私は又、気をきかさねばと思いながら言い足す。 「でも、私が先に死んだら、又、あなたも再婚できるし、その方が親切というものね」 と彼は一一一口っ 夫はにやにやしている。世界中が原爆で死に絶えても、本さえあれば淋しくない、 たことがある。私はどうして、そんなに強い気持ちになれるのかわからない。 恐らく孤独も又、迎えうたねばならぬものなのだろう。孤独は決してひとによって、本質的に は慰められるものではない。友人や家庭は確かに心をかなり賑やかにはしてくれる。しかし本当 の孤独というものは、友にも親にも配偶者にも救ってもらえないものだということを発見したと かいびやく きである。それだけに絶望も又大きい。しかし、人間は天地開闢以来、誰もが同じ孤独を悩んで きたのだ。同じ運命を自分だけ受けずにすますということはできない。 孤独ばかりでない。あらゆる人々がさまざまな悩みに悩んできた。雄弁家として知られるデモ ストネスは吃りであり、ダーウインは病弱で、スウイフトは自分の才能が人々にわからぬという点 で、フロイドは広場恐怖症に、チャーチルとトルストイは不器量コン。フレックスに苦しんでき 、わよ人生は苦し諏を触角として人々とつな た。それなのに自分だけは、と思う方がおかしい。しー がっているとさえ言えるのである。 ども 174
N 自分が落ち込みかけている穴 表現しようとしてもそれが不正確に思えるので、会話はロに出さない前から心の中で、・フーメラ ンのように投げてもこっちへ帰ってきてしまう有様が見え、従って何も言わなくなるのだった。 そのとき、私は一人の神経科のお医者さんから「自然にする」ことを教えられたのだった。苦 しいときは苦しむ他はないのだということ。眠れないときには起きていること。無理して小説と 圭日くなどとい、フことは、外からみるとまったく不思議に思えるということ。 私は自分に対して苦笑することができた。私は図々しくも偉人になろうとしていたのかも知れ ない、と考えた。それはまったく滑稽なことなのだ。 その前から、私は精神分析に関する本を読んでいた。アドラーや、メニンジャーや、フロム、 それにクレッチメルなども読んだ。それらの本を読むと、私の症状は手にとるようにわかるの で、私は改めて自分が「ばからしい」ように思えてきた。 私はそれを手がかりに、自分が落ちこかけている穴から這い上ろうとした。私はニセ医者程 度には、その方面の臨床例にもくわしくなっていた。 ある年、私は親しい友人の夫から電話をもら「た。妻が急に物が食べられなくなり ( 文字通りの 意味で ) 入院中なのだが、どこを検査しても悪くないという。しかし地方の病院のことで心配だ 9 し、何とか病院をうっそうかと思う、という電話であった。
下が小さいときから祈ってきた聖イグナシオの祈りに、 「我が知恵、我が記憶、また我が意志をことごとく受け入れたまえ。それらはすべて主の賜なり」 という一節があった。 えらくいい子になったように見えるので、この精神を別の言葉に翻訳すれば、 「わては何も悪るうないでえ。こうなったんは x x のせいやア」 ということである。私は大きな方向は自分で ( 決めたいと願い ) 、小さな部分では流される ( こと は致し方がないと思う ) ことにしている。いや、その逆かも知れぬ。人間に決められるのは晩のご 穴飯のお菜くらいなもので、お菜だって、マーケットへ買いに行ったら、予定して行ったものがな かったということはざらなのだ。大きな運命にいたっては、人間は何ひとつ、自分で決めた訳で はない。私たちが、二十世紀の終りに、日本人として、それぞれの家庭に生まれ合わせたこと、 どれひとっとってみても私の意志ではなかった。私たちはその運命を謙虚に受けるほかはない。 自然に流されること。それが私の美意識なのである。なせなら、人間は死ぬ以上、流されるこ とが自然なのだ。けちな抵抗をするより、堂々とそして黙々と周囲の人間や、時勢に流されなけ れはならない。 同じ家庭内の仕事だけに留まっているにしても、そう思えは本当は孤独でなどありようはない 167
で、誰もが同じことをできる権利があると子供ばかりでなく親も信じがちである。そんなはずは ない。権利は人間として基本的な線においてのみ平等であるだけで後は、個人の性格、運不運、 才能、勤勉さ、努力するかしないかによ「て当然違うので当り前なのである。 子供にテレビを禁じたときもそうであった。今でも、我が家には生活の中にテレビというもの 、カオし 一日に一分間もテレビの鳴らない日がほとんどである。十二インチの携帯テレビがある にはあるが、それはお手伝さん専用で、私たちが仕事の上で、何かどうしても見なければならぬ 必要があるときだけ貸してもらう。テレビのない生活のこの爽やかさを、私は何と言って表現し ていいかわからない。私たち親子は、ご飯の間もその後も、何か始終喋っている。政治の話、ス る ポーツの話、歴史の話、人の噂話、漫画の話。親子の間で会話がない家庭なんて、うちではとう て てい考えられない。そして太郎は、つまりテレビがないから、勉強がすめば、時間をもてあま みし、レコードでクラシックを聞くか、楽器をいじくるか、本を読むかしなければならない。「本 ち を読なさい」などと無理強いしなくても、自然に、読書でもしなければ、まがもてないのだ。 落 しや、生活とはそもそもこういうものであったはずだ。すべてを自分で選んでとっ 青春とは、、 ・目 てくるものであった。テレビのように、お見つくろいの品を棚ボタみたい。 こ口をあんぐり開けて 受けるものではない。文化も学問もいずれも、自分から努力して摂取してくるものなのだ。 151
1 愛は何を欲求するか しかし、ムフはも、フ 男が女の処女性を望むということじたい、もはや古典的情熱かも知れない。 そういう男はいないと決めてかかるのもまちがいであろう。自分のためにだけ生まれてきた娘、 というものが男にとって魅力のない訳はない。 しかし一方で自分は初婚なのに子連れの未亡人と結婚する男もいるのである。人間の心の柔軟 性は驚くべきもので、そういう場合には、さまざまな転変を経なければ、その女性と自分とはめ ぐり会えなかったのだというふうに考える。 性にはつまりルールなどないのだが、そのかわり個性的な受けとめ方が必要らしい。「あげて よかった」などと自分に言い訳することはない。第一、あげる、という言葉の連想じたいが卑屈 である。女が好きでそうしたのだ。満足である、と心中ひそかに思っていればい、。 私の父母は仲がよくなかったので、私は結婚生活というものを信じられなかったから、娘時代 、かなり進歩的 ? な未来を夢みていた。好きな人の子供だけもって生きようと思ったので ある。ところが本気で考えてみると、これには、類稀れな勇気や強さが必要なことがわかった。 世間の好奇心に耐え、自分で経済力を持ち、自分の立場を弁解せず、ひが表も、恐れも、他人を 頼りもせずに堂々とひとりで生きて行くには、私は少し臆病でめんどうくさがり屋であった。っ まり子供だけと暮すなら、私は一応何でもいいから結婚して、離婚してくるほうが、まだしも世
覗くであろう、あれと同じ心理である。カスと一生住みたいと思うものもなければ、カバが私た ちを理解してくれるとも思わないのである。ただ、おもしろいから、その雄大な鼻の穴とか、餌 のたべつぶりとか、寝姿とかを見るのである。 しかし、本当に男の心を捉えようと思うのだったら、女性もカ・ ( ではなく人間になる他はな もっとも、男性の心を捉えるにも幾通りかの段階がある。 男に好かれることほど、女の自尊心を満足させるものはないと言うけれど、そうそう、もてて みたところで仕方がないのである。異性の心を捉えねはならぬのは、一生で一回か二回でいいの である。その方法はたったひとっしかないのかも知れない。それは相手をできるだけ好意的に理 解し、評価することである。 それには普段から、人間に対する興味がなければできることではない。自分にだけしか関心が ないようでは、相手にどんな立派さがあるかわかりつこない。 そもそも人間の美点は決して単一ではないのである。学校などでは、きちょうめんで、落し物 もせず、宿題も忘れない子供が高く評価される。それに比べて、私の結婚した相手はどうだろ う。講演会、原稿の締切り、出版記念会、他人との約東、すべて忘れる。忘れて少しもそれを悪 いと思わないらしい
相手を必ず罰するであろうことを願うものなのだが、実際は決してそうなっていない。 ところがそのときに限って、この車は私のノロイの通りになっていたのである。五百メートル も行かないうちに車は路肩の傾斜に首をつっ込み、ヤジ馬がまわりを取り囲んでいた。その途 端、私は背中に氷水をぶつかけられたような気がした。誰も知らないことなのだが、もしその運 転手が怪我をしていたらそれは私のせいでもあるような気がした。復讐が成就されたという快感 はまったくなくて、私の心臓はドキドキ音をたてて鳴り続けた。 愛するに到るまで 愛というものが完成された穏かなものだと、私はどうしても信じることができない。愛は愛す るに到るまでに、多くの場合、血みどろの醜さを体験しており、そして又いったんそこへ到達し る もろ す たとしても、いっ瓦解するかわからぬ脆さを持っている。それゆえに愛は尊いのである。 愛 を 私は修道院の経営する学校で育ったが、そこにはたくさんの修道女たちが居られた。この人た 男 人ちはいつでも優しく謙虚であり、善意に満ちているように見えた。しかし、その中の一人の修道 女があるとき、私に言われたことが今でも忘れられないのである。 「人を愛するって中しましても、そうそう心から愛丑るときばかりしやございません。そんなと