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検索対象: 誰のために愛するか
171件見つかりました。

1. 誰のために愛するか

てい、。ヒントが狂っていて夫の重荷になる。一人前の夫は、女房がどんなバカで何も助けてくれ なくても、立派にやっていくものだ。 もちろん、例外もある。夫が女に庇護されたい性格で、妻が男を可愛がりたい性格の場合はま ったく反対にすれば、 しい。ようするに統率者と被統率者とがはっきり分れていればい、。 エライ 人とエラクない人がいた方がいい。エライ人は、エライ人なりの責任と自信と鷹揚さでもってエ ラクない方をいたわれは、 しい。その力関係さえはっきりしていれば、どんな夫婦も、私には美し く見える。 ついた嘘は重荷である 夫婦の信頼のもとになるのは、秘密を持たないことである。秘密を持っということは大変な重 荷である。ひとっ嘘をつくと、ついた嘘を覚えていなければならないから、ますます生活は重く なってくる。 私たちの知人に、奥さんの前でよその女性をほめるのが好きな人がいる。この夫婦はヨ】ロッ パで長く暮していたのだが、たまに帰ってくると四十男のご主人の方が、 「〇〇子さん ( 有名な女流ビアニスト ) あれほどの魅力的な人はいませんなあ。僕はあの人のビア おうよう

2. 誰のために愛するか

Ⅱこの人と結婚すべきだろうか 男は最初の結婚に失敗し、女は二児をかかえて夫に先だたれたのが、ある所でめぐり会った 9 女も男も好きにな 0 た。すると男は、お互いに今までの過去をきれいさつばり切り捨てて、新し い生活を築こうと言った。 そのためには、住居も新しくする。自分は勤めも変ろう。二人で生活をつくるのだ、と言われ て女は嬉しかった。しかし男は、女の二人の子供も彼女の母の所へ預けることを条件にした。子 と言うので 供には、前の夫のおもかげがやどっており、それを見ていると嫉妬で耐えられない、 ある。 それは口実ではなく、男は女が、普段から着ていた服も家具もすべて捨ててくるように、と一一 = 日 った。二人の結婚の準備は、何から何まで男が用意した。女の下着も服も茶碗も新しく買「てく 女も初め、夫の最も純粋な愛情にふれたように感じた。しかしめぐり会いの神秘感が薄れると、 女は自分の過去を考えるようになった。自分はもう若くない。彼女はそのとき三十五歳だ 0 た。 三十五までに自分は二人の子供を生み、その年の女にふさわしい生活の重みを身につけたのだ。 それを捨ててこいということは、自分の小さな歴史も切り捨ててしまえということだ。それはあ まりに残酷ではないか。

3. 誰のために愛するか

なったろうと思われるような人物である。 肉体のつながりが愛を支えるということは正しいであろう。肉体の愛のない関係は短期間には かな 燃えうるが、長い年月を保たせるには哀しさも慎ましさも足りない。それは、精神を信じ過ぎて いるということになる。ローレンスが偉大な作家である証拠は、『チャタレイ夫人の恋人』にお いて、性的不能者にな 0 た夫を捨てて、たくましい庭番のメラーズを撰んだチャタレイ夫人とい ぼんよう う、ひとつの凡庸なケースを、しかし永遠の真実として描き切 0 たことだ。しかし私は偉大な作 家ではないから、肉体のつながりのない愛も存在しうるという非凡な夫婦を改めて描きたい。 ひと 別れた恋人を思い出すたびに、その人のために祈ったという女性を知っている。その女は実に 十数年も、その人のために祈ったのだった。そして、十何年ぶりで、今はもう妻子もあるその人 に会って、 「あまりしよばくれてんで、何だか気抜けして、祈るのをやめちゃった」 と彼女は言ったのだった。彼女は、主に彼のために、キリスト教徒が神自身から与えられた唯 一の偉大な祈疇文、「天にまします、我らの父よ , を祈ることにしていたが、何年も経つうちに は、ときにはまちがって、食前の祈りを唱えたりするようになってしまったりしていた。そんな 滑稽なことがあったにも拘らず、彼女はその男のことを思い出すたびに、とにかく反射的に祈っ おも

4. 誰のために愛するか

夫によってひき出された女 私の弱点をまっ先あばいた男 昭和二十五年の十月の末、私は初めて、三浦朱門に新宿駅で会った。彼が例の蠅の死骸を並べ たような字で、ホームのゴミクズ箱のそばに立っているように言ってよこした経緯は、『愛から の出発』 ( 青春出版社刊 ) に書いてあるそうである。 ( そうである、ということは、私は夫の本をほと んど読まないからである ) 初めて彼に会ったとき、彼は蜂蜜色のコールテンの上着にべージュのズボンをはいて、黄色い ネクタイをしめていた。そしてネクタイの裏側をわざと大まじめで、しかも何気なく裏返してみ サンプル せたがそこには英語で「見本ーと書いたハンコがおしてあった。つまり彼はそのネクタイをどこ かからタダで貰ってきて締めていたのである。 彼は色が白くて、眼が茶色で、イカレポンチみたいたった 197

5. 誰のために愛するか

間である。蛇や蛙を怖がる人は実際に多いが、きゃあと叫ぶよりも、こわさをじっと我慢してい る娘の方があわれではないだろうか。 蛇や蛙ばかりではない。耐えることは、実に大切なことで、歯をくいしばって何かに向き合っ ている女の姿は、そのまま、優しさにも、勇気にも、誠実にも、かよわさに通じる不思議な顔な のである。 妻が夫の浮気を防止するには、どうしたらいいかという場合にも、同じことが言える。つまり 男が家族に或るあわれみの心を持っていないといけない。俺がいなくなったら、こいつらは、何 もやっていけないんだ、という気持を起させないといけないのである。 「あなたの月給じゃとってもやってけないわよー などとつね日頃、女房が夫をいじめていれば、夫は女房をあわれむどころかである。 そうかどっちみち、オレがいたっていなくたっておんなじなんだな。それじゃ〇〇の x 子がこ 「あなたの顔みないと淋しいの。お願いだから又きて」 と言ってたから、あっちへ行ってやろう、ということにもなるであろう。 自分がいることによって女房が嬉嬉としていないといけないのだ。

6. 誰のために愛するか

うんと大切がられてる」 と母親は自信を持って言う。どんな人間にも美点があり、どんな有能な人にも弱点はある。私 は道徳的な評価をあまり信じてはいないが、人間が必ずどこかにおもしろい才能を持っていると いうことだけは、否定する訳こよ、 というだけのことなのである。 彼の信じる生き方、彼の好みと、けなした相手が合わない、 だから、その逆に男性の才能を認めさえすれば、彼は自分を評価してくれる女性とともにいた と思うはずである。 愛される気分と心情 好きな相手に必ず自分を好かせる方法はないものか。 百。ハーセント有効ということはないが、かなりきくやり方は幾つかある。 もしも、あなたが自分を不美人と思い込んでいるようだったら、それだけでもう戦いはかなり 有利なのである。つまり美人でつんとすましていたり、かたくなっていたりする娘は、もっとも 魅力がないものだから、不美人であると思い込んでいるために、態度が自然で、ひとより一歩下 っているような態度はそれだけで匂やかなのである。 。「あいつはろくでなしで : : : 」という人は、彼の目、

7. 誰のために愛するか

私は少しはじらった。私があのとき、あの「快挙ーに心がついて行けなかったのは、私の青春 時代から今までのものの考え方と深い関係があって、そのとき、急に心がわりができなかっただ けのことなのだ。 私は、昔から「なせばなる」と , は決して思えなかったのだ。私は日本が戦争に負けるときに立 ち合った。万人の人間が命を賭けてもならぬことがあることを知った。 地球は個々人のさまざまな思いとはまったく別のカで動いているのである。「なせはなる」の だったら、私は逆に、そのような小ざかしい、見えすいた論理で動いている社会に、改めて深く 絶望しなければならない。 しかし、しあわせなことに、人間の努力も善意も正義も、ときとしてはまったくその存在を忘 れられたような矛盾に満ちた複雑な論理で世界は滔々と動いて行く。私はそのような神秘的なな りゆきに深く感動できるのだった。 ノアの函舟がアララト山の上に着いたのは、ノアが望んでそうなったのではない。ノアは、あ そこまでたまたま連れて来られたのだ。 私たちの一生も皆ノアなのである。その不可思議な運命を大らかに受けとめて行ける人こそ、 我が同志という気がする。 とうとう

8. 誰のために愛するか

M 私が決心した日 三浦は私を一度しか殴ったことがない。私はそのとき、震えるより、四肢が便直した。くやし いのではない。幼いときに、暴力的な扱いを受けた記憶がよがえってきて、私は神経症のよう になってしまうのだ。それ以来三浦は私を殴るのをやめた。ボクシングではないのだから夫婦が わざわざ相手の傷を狙ってうちこむようなことはしてはいけないと思ったのだろう。 殴られないこと。優しく扱ってもらうこと。それが私の一生の望みだった。優しくしてくれる 人になら、私は何があってもついて行く、と思ったのである。 人生はノアの函舟である 数年前、ある所で、ある紳士とお会いした。すると、その方は、思いがけず、私が東京オリン 。ヒックのときに書いた、女子・ハレ 1 ポール決勝戦の観戦記の話をされた。 「あなたのだけ、変っていましたよ」 その方は言われた。 「皆が口を揃えて、あの東洋の魔女たちの勝利は快挙だというような書き方をした中で、あなた ひとりが、そう思えなくて困っている有様が手にとるように見えて、おもしろかったな。まこと に同感しましたよ。それ以来、僕はあなたの書くものに注目するようになったんだ」 2 四

9. 誰のために愛するか

昭和の初めに建てた古い木造家屋だったけれど、五十数坪の広さがあった。それが四畳半一間に なっても、私はその方が気楽だったのである。第一、私は自分で生活を支えるということをこの 上なく、生きがいのある、誇らしげなことに感じていた。 家の大きさや、庭の広さの問題ではない。人間にとって大切なのは、その目的を持っというこ とである。私のような古い人間は、目的を持たずに生きることは、実は不可能なのである。 けたはずれにお金持ちの家のお嬢さんがあって、そのひとが又、どこかの会社の経営者の御曹 子のところへお嫁に行く話をきかされたことがあった。 親が何もかも用意してくれてしまうのだという。今どきそんなおとぎ話みたいなことがあるの ですかと聞いたのだが、二百坪の土地に四十坪の家をたててくれて、銀器やうるしの食器をそな え、ダイヤの指環やミンクのストールも幾つかあって女中さんと外車をつけてもらって新夫婦は できあがるのだという。 皆、初め羨しがったが、そのうちに次第に憐れみを覚えてきた。 「楽しみがないわね、それじゃ」 と一人が言った。 「そうよ、毎月、食器を揃えていくなんて楽しいですものね。そういうお楽しみがないなんて、 ↓ 88

10. 誰のために愛するか

Ⅳ自分が落ち込みかけている穴 一杯分の水量くらいなものだろう。 しかし世の中にはもっと積極的な人もいる。十グラム少なく肉を売った肉屋を悪徳商人として 怨み、子供の学校の点が一点解釈の相違で悪くなっても、先生にどなり込む母親があるという。 世の中が正当に自分を解釈しないことに、女はもっとなれるべきなのだ。そのために損をする ことにも、あるあきらめを持ち、できうるならば、そこにおもしろさや、美しさをも、みつける 余裕をもつべきなのだ。なぜかと言えば、その反面、必ず誰もが過分な評価を受け、不当な得を していることもある。そのデタラメがおもしろく思えなければ、この世を生きる夢もなくなる。 人生は苦しみを触角として しかし、今いってきたことは大方の女性たちの賛同を得ないであろう。認められないことが美 だなんて、とんでもないと言われるに違いない。しかし考えてみて下さい。 自分を生かして自分を評価するものは本当は自分しかないのである。どんな仲のいい夫婦で も、いずれは一方が先に死ぬ。 「あなたに先に死なれたらいやだから、私はどうしても先に死ぬのよ」 と私も半 ( に一一 = 冐つ。