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検索対象: 誰のために愛するか
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1. 誰のために愛するか

当に思想的変化かどうかをゆっくり考えてみればよいのである。 彼の方にしてみれば、私がある日、 「本当に私、才能がなくなったんだ」 とっふやいたら、 「ルゴールで鼻を洗っておいでよ。きっとまた赤くなってるんだ」 と言って、ごま化せばいいのである。私は決して甘えたポーズでそんなことを言ったつもりで はない。私はその日、一日十時間も机に向かい原稿用紙と格闘して、結局五枚しか書けなかった から、自分の才能に愛想がっきかけていたのである。 る しかし、そう言われて熱を計ってみると七度二分ばかりあり、人混みの多い所に行くと必ず起 て こるという、ホコリ・アレルギーの鼻咽腔炎が起きていることがわかる。考えてみれば、一日で み 無くなるような才能なら、初めから無かったということだし、土台、「才能」などというものが 込 どんなものであるかもわかっていず、私は恥すかしいような気楽な気持になって、そこで先にも 落 鋼述べたように、天下睛れてお菓子と漫画本を持って、寝に行くのである。 多分家庭というものは、そして夫婦というものは、そのように抽象的なことを具体的に引き下 げる作用を持っていて、それが悪く働けば、英雄になれたかも知れぬ夫を、マイホーム・ 137

2. 誰のために愛するか

とを自覚せねばならぬ。愛は憎しみの変型である。愛が愛として存在するのは、自分が努力して そうなっているのではない。一瞬のうちに憎しみになるような情熱に、愛という、うつりやす それだけに貴重な形を与えたのは人間業ではないようにさえ思う。 愛したのではない。私たちはそのとき、愛する能力を与えられたのである。 さて、もぬけの殻になった愛、 つまり憎しみは一刻も早く捨てねばならない。何もかも捨 てるのではない。失恋によって、若い女性は初めて、自分はどんな人間であったかを知り、世の 中はつねに善意が通るものではないことを知るのである。 失恋したら、じいっと待っていて、辛くなくなるのを待っ他はない。どんな情熱も十年経っと 様相が変ってくる。少なくともその人がいないと、生きていられないような思いは失せている。 か自分の心が、これほど、 しし加減なものだったかと思うと夢から醒める思いである。 す すべてのものに時期がある 私はおもしろ半分に手相を読むことを習い、その中でもとくに、結婚前の失恋の数だけをみる ことにしている。私の手相は当っても当らなくてもどうでもいいのだから、「僕の初恋は」など という話を聞いた後でも、あなたには、失恋線はでていませんよ、ということもある。

3. 誰のために愛するか

それから人間に対するとらわれない心を持っこと。私は年に一度くらい、息子にきちんとした 服をきせて、できるだけも「たいぶったレストランへつれて行き、ややこしい料理を食べさせ る。どんな場所へでても、おどおどしなくてすむためだ。あとの三百六十四日は、地面の上にで もねられるように、折あらば訓練する。 そうすれば、彼は自分がただ、限りなく平凡なひとりの人間であって、それ以上の何ものでも ないことを知るだろう。金や、住居や肩書や、そう言ったものが、人間の本質の上で、ほとんど 意味を持たぬことを知るだろう。そして他人に会うとき、彼は場所や、衣服などによって不当に 穴相手をあがめたり、みくびったりすることもなく、いつもただ、一人の大切な「人間」として向 かいムロ、つことができる。 て 将来はわからない。しかし今日のところまで、彼はおおむねその点にそって、のんきに成長し みてきた。 しかし誰もが人間といっても、別のけじめのつけ方はあるのである。 落 分 私は学校の先生を、家でも必ず敬語で話す。お母さんの中に、息子の先生を「 xx クン」など ・目 という人がいるが、私はそういう風潮はいやだった。 先生はつねに先生なのである。先生が自分の子供を誤解しているのは、先生に目がないからだ 149

4. 誰のために愛するか

といなおってやればいい。 女性のなかには、景品つきで自分が貰われていくことに対して、まったくひけ目を感じない人 しる 「先方のお宅がちょっとした御大家なのよ。だから、うちのママ大変、お仕度をいろいろ揃えな きゃならないから」 などと平然とおっしやるお嬢さんがいる。それが結構、一人前の健康や美しさを持った女性な のだ。 何をそんなに、お土産さげてョメに行かねばならないのだろう。こういう女性は大がかりな 仕度や、何百人ものお客を呼ぶ披露宴によって、自分がいかに価値ある人間かを誇示したいのだ ろうが、私はそうは思わない。 家や道具つきで貰われることは、むしろ女の恥のように思える。それどころか、女は弱点を持 金垰ちより忿 ( しいほ、つがしし っていた亠刀かいし 、し、地位や名誉のある父親など持たぬ方が純粋 の愛情にめぐり会うチャンスが多い。 好きだとなったら、計算などできないはずである。彼女が処女でないのを知ったら、いやにな った、などというのは、その女を本当に愛していない証拠である。

5. 誰のために愛するか

男も女もないのである。仕事とはこのように、社会との直接の関係をみずから持っことである が、これは女性に選挙権もなかった時代には、確かに考えられないことなのである。 ありがたいことに、女はまだある程度無責任でいたいと思えば、夫のかげに隠れて暮し、化粧 品ひとっ買うにしても、「主人と相談致しましてから . と言っていれはすむ。 それが嫌いでずから一人前に社会とのつながりを持とうとするときには、もう後へは退けな いのだ。泣いても笑っても彼女は彼女の責任において、他人と約東したことの結果を一身に引き 受けねばならない。それが仕事である。 びきつける自然の色気 世の荒波、という言葉がある。今、全般的に社会は痛々しいほど民主的になり、個人の生活が る 愛守られるような方向に動いてはいるけれども、それでもなお、社会に直接触れることは厳しい 男 ことに女の場合、男たちの中には、女を初めから一人前と思いたがらぬ風潮が残っている。 の 人 例えば、男たちは女に対してあるときは、職場の花であることを求め、あるときは、一人前に 仕事をする人間であることを望む。 「ちったあ、化粧室へ行って、口紅でもぬってこいやー

6. 誰のために愛するか

しかし後年、私は北海道に行ってカラフト大の話を聞き、あのとき犬をつないで逃げたのは、 いわば愛情のある処置であるのを知った。カラフト犬は人間に大変忠実なので、あの際鎖につな がなかったならば去って行く主人を追って、氷海の中に飛び込むだろうと思われたのだそうだ。 話は脇にそれたが、 犬に対する愛は、他の人間に対する愛とはまったく別物である。犬を愛す ることは、その愛の感覚が快いから愛するのであって、いわば自己愛の変形である。 私の日常生活を見てみると、私は愛していると思「ている人に対してさえ、往々にして腹をた てる。私は夫や子供を好きなのだが、それでもなお、だらしのないムスコが私の辞引を持ち出し たというだけでカッとなったりする。 き 私は自分の母と四十年近く一緒に暮らしてきた訳だが、それでもその母が年をとり循環器系統 る の病気の後で判断が少し狂ったようになって、彼女が出て行かなくてもよい親類のもめごとなど す 愛 に口を出したりすると、一日中イライラしている。幸いにして私は隣近所には好意を抱いている 男が、世の中で向う三軒両隣が腹が立ってしようがないという家庭は実に多いのである。実に地球 人上に雑草のごとくに遍在しているのは、愛ではなくて、憎しみなのではないかと思う位だ。 だから仕事の上で、あるいは結婚生活で、愛よりも憎しみによって人間関係が保たれていると いうことは、それほど絶望的なことではなく、むしろ当り前のことではないかという気さえする。

7. 誰のために愛するか

「ただいま、お話の点は、明日さっそく調べまして : : : 」 まもなく窓際の男が言い出した。 「少し眠っておくとしようか、君も休み給え」 「いえ、私は一向に疲れておりませんが : 本当に少しお休みになった方がよろしゅうござい ます。私は後ろの席におりますからごゆっくり 窓際の男は二人分の席にゆっくりと身を延ばして眠り始めた。私は二列後にさがった若い男が 窓ガラスに映っているのを眺めていた。彼はアタッシェ・ケースから書類を五、六通取り出して 読み始める。ときどきそれに何か書き込んでいるが、窓ガラスに映った姿では、彼は左ぎっちょ のように見える。やがてふと気がつくと、彼はポールペンをしつかり握ったまま、ポスと同じよ と うに眠りこけていた。疲れているのはむしろ彼の方であったろう。 る みじ す この中年男の姿はその妻も知らない。むろん子供も知らない。妻子に見せられぬような惨めな ・愛 男ものだと一一一口うのではない。ポールペンを持ったまま眠りこけている彼の姿は、妻子に見せるには 人あまりに壮絶なのだ。 ある芸者が私に言った。 みようり 「一流会社の東大出の部長が、わざわざ改まって上着を着て私に挨拶するんですのよ。女名利に ↓ 13

8. 誰のために愛するか

結婚式をあげるまでは純潔を、というのは、そのもっとも原始的な知恵であった。そしてこれ は今も案外有効な知恵なのかも知れない。もっとも、肉体的な結合が早く欲しいというなら、そ れは当人の自由である。しかし、それなら他のことで、そのかわりになるものがいる。 じゃあ、洋服を毎日とりかえたらどうだろう。普段ばっとしなかった娘が、正月に和服を着た ら、男の社員がぐっとまいっちゃった、という話だってあるではないか。 それから髪型を変え いやそうそう変える訳こよ、ゝ 一 = 。ーし力ないからカッラを作るのだ。サイケな 眼鏡をかけてる。マニキュアの色を毎日とりかえ、 ミニとマキシ、おしとやかなのと露出的な のとを交互にくり返すのだ。 しかし、こんなことは普通の人間にはとても続かない。大統領夫人だって、衣裳代が高すぎた と発表されれば、世間は不道徳な女だなどと非難するのである。というのも男はたいしておしゃ れをしないでも相手は美しかったんだ、と思いたいのである。大統領夫人なら、年に何万ドルか かろうと一向に差支えないが、これが、もし自分の女房になるかも知れない女であったら、男た ちは、女が金力にものをいわせて新しい変化などっけようものなら、とたんにふるえあがる。 それよりも、自分の持ち味を使うことである。私の雜誌の仲間に、 「ボクの女房は、つまりキズモ / だったんですよ」

9. 誰のために愛するか

私才 親林 に数 は 数 い書 日 いけ の 間 て同 に 同た 自 の御人私 の 生見 い上 活 の 方 な電 式 の話 を で番 い私 と つ子 。住 と は母 く し鋭 が感 ぶ そ書 ち 届ーし、 れ神 私オ わ さ れ た干 し だ的 ま で子 た れ荒 の 。軟 な本 だ 評土 私 は 今 ま て名 で 常 い刺 秀 で 今 は も っ 、ち よ つ と 当 ら な い ひ と 日 目リ の や た 不 良 っ も だ 。れ ど そ の と き の 軽 、」蔑 的 な 目 き そ お も し ろ 、か っ た 干 た柔菓笑映 か 何 と ま あ の き か 、な 林 氏 は そ の 当 日寺 か ら カ ソ リ の よ う な い 経 を ム な さ の 中 に か く し た 友玉ー 樹 さ が い て 私 の の持識 っ て 彳了 っ た お 菓 を 見 て ふ ん ふ ん と た : 彼家 と 私 今 で る代別 り 持 っ 行 く が に な つ て い た ら だ す る と そ の に 今 っ画手 に な お に菓 ーノ、 の 常嫌集 を と ろ っ と し た か訳私 で 。な い の 月 っ は家菓 は 。論産持 ぐ ら い ー -1 日 後 ク ) で正か 式 ク ) の り の と き に は は ら 。持 さ れ た の 、折 り て 行 た ま ん ま と ひ か つ 目リ を 聿 し、 な る と と カゞ / な く て し し、 し し 所 ま で 手 な か た の で 浦 が か わ て し、 住 い 、 : 書 て あ っ て は 又 も や た つな先 る ほ ど ら 住 書 き が な く そ と の は ば鴨 : そ い居いく の の あ る も フ 住 者 の さ ん の わ ら な ん や さ そ の、 と 所 を し、 て く れ や 私 の 名 200

10. 誰のために愛するか

Ⅱこの人と結婚すべきだろうか ったか、と尋ねて歩いたのである。他の小物なら客の住所をつきとめるということは、まず不可 能に近い。しかし幸いにも蒲団は必ず届けて貰うものである。 蒲団屋から簡単に足がっき、夫がそのアパートへ行ってみると、若い二人は、まだ家具といっ ちゃぶだい たら卓袱台くらいしかない四畳半の部屋の眩しい朝陽の中に、びつくりして坐っていた。二人は どうして自分たちが発見されたか、半信半疑だったが、いずれにせよ、母親が寝こむほど心配さ せたのは悪かったと言って、さっそく電話をかけに行った。 「しかし、羨ましかったな」 と夫は家へ帰ってくるなり言った。 「僕もあんなふうに、何にもないところから出発してみたかった」 私たちはー・。。・あまりに多くのものをかかえ過ぎていた。夫婦仲の悪い私の両親 ( 私は一人娘だ「 た ) 、そして長男としての彼自身の立場、結婚してすぐ私の家へ住むことになっていたからしあ わせのようにもみえたが、私たちは、結婚のすべての形態を自分たちで整えるという、輝くよう な幸福を味わう機会は与えられなかったのだった。 結婚すべきかどうかを迷うくらいならいっそのこと、結婚なんかやめてしまえばい いと思って いる人もいる。私も若い頃、結婚はやめて、どこか一カ所だけ尊敬できる男のひとの子供を生ん まぶ