考え - みる会図書館


検索対象: 誰のために愛するか
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1. 誰のために愛するか

しかし、三浦朱門はそれを、私の = セ・ヒ = ーマニズムと解釈したのである。私の方は素朴に びつくりしてしまった。生まれてこのかた尼さんたちに、 「皆さん、自分のことは犠牲にしても、他の方々のしあわせをお祈りになるべきです」 と言われていたのだが、犠牲などしたら、された方に心理的不安を与えることになる、という 理論は初めてであった。 それから数日後に、私たちは今度は又、別のことでケンカをした。彼がわざわざ手を上げて停 めたタクシーに、乗らなかったのである。運転手は果してぶりぶりして走り去って行った。 「どうして乗らなかったんですか ? 」 と私は尋ねた。 「あの車は汚いからです」 「でも、そんなことで、返したらかわいそうだわ」 「僕は運転手の人格をとやかく言った訳じゃありません。あの車は純粋にただ汚かったから乗ら なかったまでです」 私はそれでもまだなお、彼を残酷だといい、 ぶつぶつ文句を言った。しかし、家へ帰って考え てみると、私が好きな誠実というものについて、彼は私以上に誠実なような気がした。私の誠実

2. 誰のために愛するか

るからである。そして、名誉をも得た方がいいとすれば、それが人間にとって、実は予想外にむ なしいものであることを知って本来の慎ましい人間の感覚をとり戻すためである。 さて自由に解き放されているのがいいと一一一一口うと、今の若い人たちは、すぐフリーセックスや ら、既成道徳 ( 私も本当は道徳という言葉はあまり好きではない ) を破壊することなどを考える。しか し、解き放された場合は、自分を律するものが当然あるべきなのである。ただ管理者が自分か他 人の考えかというだけの違いなのだ。 おしゃれというのは、どちらかというと損をすることだ、と思ったらいい。人よりも働かせら れてしまい、自分が欲しくてもそのことを口にせずじっと我慢し、他人よりつねに目立っことを あきらめ、他人のしあわせを希って自分がどうあるべきか考え、知られても知られなくても、感 謝をされてもされなくても、正しいと思うことをやりとげ、見えても見えなくても洗うことなの る 求だ。これらのことができれば、そのひとは顔や姿の美醜をこえてひとに愛される。 欲 を 何 男が求めつづける女の素顔 愛 女が男に冷くされるときがある。きざな言い方をすれば、男にとって、もはや彼女に発見がな くなったときである。

3. 誰のために愛するか

てしまう。 つまり娘たちは、 ( 娘たちばかりでなく男も妻も又そうなのだが ) 本来の意味でおしゃれでなけれ ば困るのだ。体の清潔と心の高潔である。高潔という言葉はどうも少しひっかかる。もっと何か しつくりした表現はないものか。そうだ、つまり、表向きがどうこうということでもなく、自分 だけはあなたたちと違うのよ、とイバることでもなく、ただお金からも、権力からも、名誉から も、ことごとく慎ましく自由に解き放されている、といったそんな状態である。 私は、いわゆる名妓といわれているような人から、 ししのは地位とお金と名誉だわよねえ」 「やつばり、、、 などと言われると、正直でいいと思うのだけれど、やはり長時間、この説は正しいと考えてい ようとすると、だいぶ無理がきてくたびれてしまう。本来ならこういう考えは、世間すれした男 女のものであった。それが今では若い娘さんにまでこのような考え方が入ってきているらしい お金をもうけるのは、貧乏 ( つまり金の欠乏状態 ) から解放されるためだ。千円を落したために、 わび どうてんしてしまい、数日間考えごとができなくなった、というような侘しさから自分を自由に するためだ。出世がいいとすれば、自分はダメな奴だったんだと思うひがみから解き放されるた めである。自分に自信のある人ほど威張ることはない。つまりそこでも、人間は自由にふるまえ

4. 誰のために愛するか

Ⅱこの人と結婚すべきだろうか もし私が彼の色香に惚れたのなら、無惨な幻減を味わねばならめ。彼は青年時代は、臆面もな く、女性に捧げる花東を抱えて歩く ( 私にはくれたことはないが ) ような男だった。しかし、今はだ めだ。 xx 夫人に花東を持って行くと言うと、「サツマイモにしろよなどと言う有様だ。 しかし、彼は相変らず、本をよく読むし、必要と思ったところは決して忘れない。そして、な かなかかっとならない。かっとならないだけでも、私は彼に尊敬の念を覚える。つまりそれだけ でいいのだ。それから物理、数学何でもかなりよくできる。一緒に住むと大変便利だ。私は。フロ 。 ( ンガスの使い方もよくわからなくて二度も爆発させ、髪の毛や眉毛を焦がし、。フロバン恐怖症 になった。しかし彼はプロバンガスについてよく知っているからありがたい。 こう考えてくると、私はまことに利己的な動機で結婚生活を続けているらしい。そう言うと、 「自己愛のない愛なんてないから、自然でしよう」 ということになる。すると案外、彼の方も、私がいることで少しは便利だから暮しているのだ ろ、フと思う。 という考えもよくわかる。それから 一人の人間に必ずしも、長く心をつながれる必要はない、 先は美意識の問題である。ただたまたま、一人の人間との間の愛を長続きさせたいと思う人がい るのだったら、男も女も、相手に絶対の忠誠をつくすべきなのである。 かか

5. 誰のために愛するか

話をもとへ戻す。 今でこそ、小説家は、時折、文化人のように思われる。しかし、本来はそうでないのだ。私も 2 小説を書こうと決心したとき、まだ十代の幼稚な娘なりに常識的な生活を捨てようと考えた。 これから私は男の人と夜おそくお酒をのんで帰ってくるだろう。そしてヘンな姦通小説なんか も書いて : : : それはいいのだが、もし父がある日、人並な縁談にでものることをすすめ、そし てある日、興信所なんぞというところが、私を調べにくると、うちのまわりの奥さんが歯に衣を きせたような言い方で、 「ええ、もう、たいへんいいお嬢さまで : ・ : ・ええ、才気はおありになりますし ( ヨシテクレエ ) こ の頃は何ですか文学の方も御研究になっているとかで、よく夜おそく、若い男と酒くさくなって 帰っていらっしゃいますよ [ といっている有様が目に見えるような気がするのだった。それはい、。 そんなことは事実だろ うからかまわない。しかしただ、意識的な父との衝突が心理的に煩わしくて、私は顔をシカメた くなった。 それでも私はその道を選んだのだった。正直に生きるために。不細工にありのまま生きること お、私の美学であったのだ。 ぶさいく

6. 誰のために愛するか

ロー人の男を愛するとき あるとき、必要があって船に乗っている人に電報を打とうと思い、その船会社に電話をかけた。 「 x x 丸に電報を打っことについて、伺いたいのですがー と私は言った。 「そのお船はどこのお船でございましようか」 明るい可愛らしい声が返ってきた。 「どこのって、お宅の船ですよー 私は考え込む。このお嬢・さんは自分の会社の船に安く乗せてもらって、面白い旅行をしようと 思わないのだろうか。 ートで売場を聞く。 「セーターの売場はどの辺でしようか」 「セーターでございますか。ちょっとお待ち下さい [ そこで彼女は同僚に聞いている。 「ねえ、セ 1 タ 1 ってどこだっけ」 この売子さんは自分の店で何割引かの安いセーターを買おうと思わないのだろうか。これほど↓ 興味がないのでは、まったく勤めていても面白くはなかろう。

7. 誰のために愛するか

相手を必ず罰するであろうことを願うものなのだが、実際は決してそうなっていない。 ところがそのときに限って、この車は私のノロイの通りになっていたのである。五百メートル も行かないうちに車は路肩の傾斜に首をつっ込み、ヤジ馬がまわりを取り囲んでいた。その途 端、私は背中に氷水をぶつかけられたような気がした。誰も知らないことなのだが、もしその運 転手が怪我をしていたらそれは私のせいでもあるような気がした。復讐が成就されたという快感 はまったくなくて、私の心臓はドキドキ音をたてて鳴り続けた。 愛するに到るまで 愛というものが完成された穏かなものだと、私はどうしても信じることができない。愛は愛す るに到るまでに、多くの場合、血みどろの醜さを体験しており、そして又いったんそこへ到達し る もろ す たとしても、いっ瓦解するかわからぬ脆さを持っている。それゆえに愛は尊いのである。 愛 を 私は修道院の経営する学校で育ったが、そこにはたくさんの修道女たちが居られた。この人た 男 人ちはいつでも優しく謙虚であり、善意に満ちているように見えた。しかし、その中の一人の修道 女があるとき、私に言われたことが今でも忘れられないのである。 「人を愛するって中しましても、そうそう心から愛丑るときばかりしやございません。そんなと

8. 誰のために愛するか

修道女たちがその道具に使われた。志さえよければ、どんなことも神は許し給うということを 立証させられた。男たちは、明らかに社会的地位をふりかざして、女を納得させようとした。 「それにさ、ねえ、おまえ、あいっ ( 。フロシャ士官 ) は自分の国ではめったにお目にかかれない別 びん 嬪の味を楽しんだと言って自慢にするかも知れないぜ、え、おい、どうだい」 ( 杉捷夫訳 ) ″脂肪の塊″は納得する。 その翌朝、人々は出発する。誰も一行のために身をなげ出した娼婦にはロをきかない。途中、 食事どきになっても、人々は ( むろん尼たちも ) かってあれほど″脂肪の塊みの食料をわけてもら ったにも拘らず、自分たちの持っているものをわけようとしない。〃脂肪の塊〃は泣きつづけ、 馬車は雪原の中を進んで行く 。″脂肪の塊みは完全に自分を相手に与えつくす女である。その結 果彼女が受けるのは、軽蔑と恥辱だけかも知れない。 苦 しかし、私は女の姿として、これほど完璧なものを考えっかない。 何 バランスのとれた魅力 女 もっとも″脂肪の塊みのような女は、現代では、現われにくくなっているだろうと思われるこ とも本当である。現代は与えるよりも、取り込む時代なのだ。しかし取り込むことも、本来は与 ・ヘっ

9. 誰のために愛するか

Ⅲ一人の男を愛するとき がどんなに年若くとも母性を持っことである。看護婦さんが白衣の天使に見えるのは、その職業 が期せずして母性の要素を持つからだ。 もっとも、中南米の国々のように、女たちが男のほめ言葉やお世辞に慣れており、そのような ものを極めて社交的なお遊びのひとっと思えるようになっていれば、話はまた別である。私たち 夫婦が中南米へ旅行したとき、夫はアメリカへ行くまでの船の中で、ス。ヘイン語の片言を勉強し て行った。そしてメキシコへ入るや、ある日私は、彼が王宮の跡である公園の噴水の所にいた一 人の美女のところにつかっかと歩いて行き、 「あなたがあまりお美しいので、どうしてもメキシコの思い出に写真にとらせて頂きたいのです」 と言っているのを聞いた。すると、その婦人は極めて鷹揚に、 「ええ、どうぞ と言い、彼女の最も美しいと思われる角度の横顔を、噴水にこばれる陽の光に向かって見せて くれた。 しかし、日本ではこのような讃美は、決して、そのまま男女の間の潤滑油にはなり得ないので ある。その点、母性的立場になることは最も無難である。私は若いとき、ポーイフレンドはたく さんいたが、もてない娘であった。そのかわり、私は十七、八の頃から、彼ら青年たちの母か姉 ↓ 09

10. 誰のために愛するか

月春愛蔵版 溢、れ出つる愛田中澄江著女として妻として母としての数年の体験をさら ( 四三〇円〒間 ) け、勇気をもって愛し尽す人間の真実を披瀝。 ーーーーーⅡ体当あ . ドのにはるしー 亠のとに生きる者へ佐多稲子著半生の飛湍をくぐり、激しく生きぬいた豊饒な体 ( 四三〇円〒 ) 験と心の哀切の中から人間の生き方を明かす。 ーわが心の祈りをこめてー 娘のための人生論田中澄江著悔やまず惜しまぬ愛の本質。母としての立場から ( 四三〇円〒 ) 娘に・せひ伝えておきたい本当の生き方を指標。 ー惜しみなき愛の知恵ー 人生いかに生くべきか柏原ャス他創価学会の女性を代表する五人のト , プ・ ー建設への愛と英知ー ( 三九〇円〒 E ) ーが、自らの体験、対話を通した初の書下し。 愛亠 9 るべ多 0 か三浦朱門著本当に愛しているのだろうか。相手の心の中をす ( 四三〇円〒 E ) ・ヘて吐き出させ、真と嘘をわける愛の知恵。 レ ー心を . 珈層たてる愛の防法ー 婚ナ・ - る、なら田中澄江著妻という女になる前に何を心得るべきか。一度で てテ ( 四三〇円〒間 ) も結婚を考えるならまず自覚したい愛の姿勢。 ー愛し得るひとへの自覚ー 人間の出発山本茂実著惰性に惑わされず自己を真に生かす道とは。常に ( 四三〇円〒 ) 二者択一の中で求め続ける人生の決断を示唆。 ー自らの何を期するかー はチ誰のために愛するか曾野綾子著その人のために死ねるか ! 決心する女の未知を、 ーすべてを賭けて生きる才覚ー ( 四三〇円〒 ) 滲む体験と潤む情感から抉る男を愛していく才知 読 てあ子にわびる母の記録田中澄江著子を病に苦しめて、何が愛ある母か。生きること つで ーゆえにこの涙の谷よりー ( 四五〇円〒 ) の厳しさ、尊さが読む者の胸に迫る魂の記録。 と操 に体 神