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検索対象: 鎮魂歌
165件見つかりました。

1. 鎮魂歌

私はいった。私は出来るだけ冷静さを保とうと努力した。 程度が低いわね。 " 死ぬ。で脅かすなんて最低の人間のすることよ。 私はロ許まで押し寄せて来たその言葉を呑み込んだ。 「でも困ったわね」 努力して私はいった。 「この間からそんな風だったんだけど、気にするといけないと思っていわなかったんだ。だが、 昨日あたりからものすごくなってきてね、その騒ぎ方が。だからね、これから少し夜は家にいよ , っと巴 , つんだよ」 「挈よっ」 ムま、つこ。 「それがいいわ」 「だから、しばらくの間、電話出来ないよ」 「わかったわ。じゃあさよなら」 その時から私ははっきり彼女に敵対意識を持った。彼女はいかにも我儘娘らしく " 死ぬ。とい う卑怯な武器で私に挑戦してきたのだ。私はそう思った。 にたいのなら死になさい 「死ぬ ? そう ! 死 勝沼の代りに私は平然と彼女にそういってやりたかった。そういうことが出来れば、私はこの

2. 鎮魂歌

「うん、まだだ」 珠夫は笑った。そのロが暗いのが目についた。この前会ったときはいくらか残っていた上の歯 が、奥だけ残して全部なくなっていた。 「入歯入れるので抜いたの ? 」 「いや、自然に抜けたんだ」 こともなげにいってから、 「後藤の山のことなんだけどね」 と熱心な顔になっていった。 「森林組合に交通事故で怪我をした奴がいたろう。あの男が木を無断で売却していたというので 目下裁判中なんだそうだ」 「まだ信じてるの ? その話」 「しかしそれを嘘だと断定する証拠は一つもない」 「たとえ後藤さんが裁判で勝ったとしてもあなたとは関係ないんじゃないの ? ここまで落ちこ んだ会社にいくら後藤さんだってもう金を出す気はないでしよう」 「そりやそうだ」 珍しく素直に珠夫はいった。その素直さがふと私の胸を揺さぶった。珠夫はいった。 「しかし後藤はまだ出さんとはいってないんだよ」

3. 鎮魂歌

「手帳に ースディなんて、なぜ書いたりしたの ? 中学生みたいに」 「書いてみたかったんだよ」 勝沼はちょっとてれくさそ , つにいっこ。 「ワイフにどなられたよ。いい年して何よ。恋人の誕生日ぐらい、覚えておいたらどう : 「その通りよ」 私は陽気に叫んだ。 「まさに正論だわ」 勝沼はしぶしぶいった。 「 , っ′ん」 私は笑いにむせんだ。私は勝沼のそんな子供のようなところが好きだった。私はいつもよりも 浮き立っていた。 「き、、帰ろ , つか」 歌 いつものように勝沼がいったとき、私は、 と叫んで勝沼にまつわりついた。 「旧郷らないよ , つ。ここに泊るのよ , つ」

4. 鎮魂歌

「必すさせて下さい。電話しなければ私、会社へ行って暴れます」 「はつ、わかりました」 しかしその翌日も珠夫は電話をかけてこなかった。その翌日も同じだった。三日目の夕方、電 舌 ; 印っこ。 いつもと変りのない、朗らかな珠夫の声がいった 「なにがもしもしょ ! 」 みなぎ 待ちかまえていたように私は叫んだ。みるみる身体中に新しい気力が集まり漲るのを感じた。 それは怒りというよりま、 。いうならば、闘牛場に臨んだ闘牛士の気魄といったようなものだった。 私は心が勇躍するのを覚えた。今こそ私は堂々と、心おきなく珠夫をやつつけることが出来るの だ。なぜなら珠夫は今はっきり私の加害者であったから。 「あの金ね、もう入っていると思うよ。昨日手形をふり込んだからね」 珠夫の明るい声があっさりいった。 「昨日、そっちへ行くつもりだったんだよ。それが相変らずガタガタしちゃってねえ。気になっ ていたんだが行けなかったんだ」 「なぜ : : : なぜ : : : 」 私は絶句した。怒りのために顎がガクガクして次の言葉が出なかった。

5. 鎮魂歌

と私の兄や勝沼と共通の友達だった山崎という男がいっていたことがあるのを私は思い出した。 私はいっ知ったということもなく、彼女についての若干の知識を持っていた。美人のせいか、彼 女は噂の多い女性だった。 私が留守になると電話をかけてくる女は、勝沼の妻に違いなかった。その根拠はなかったが、 私はひそかにそう信じていた。そう思ったとき、私の中を徴かにある痛快な感じが過った。電話 は私の母も再三受けた。母と家政婦が電話の女についてあれこれ詮議しているそばで、私はそし らぬ顔で新聞を読むのだった。 「この頃はヘンなのが多いからねえ」 「ホントでございますよ。先生、御注意なさって下さいまし」 「いやがらせなのか、何なのか、どう考えても見当がっかないねえ」 家政婦は電話の女のことを " 謎の女。と呼んだ。旅行から帰って来ると、メモ用紙に留守中に かかってきた電話が控えてある。 X 月 X 日 x x 社〇〇様 △〇編集部 x x 様 謎の女 という風に。そのうちに家政婦は、

6. 鎮魂歌

集英社文庫最新刊 デ 警視総監直属の秘密艘査官・関根悠子は、謎の殺 五味康祐ザ・おんな刑事 人兵器を追って国際犯罪組織と対決する。 公共事業の美名にかくれてすすめられる犯罪の、 中 の 結城昌治罠 錯綜した事件を、あざやかに解明する本格推理。 東京オリンビックを機会に一獲千金を夢みるべテ 梶山季之のるかそるカン師たちの色と欲とのあの手この手を描く快作。 カ

7. 鎮魂歌

「もう一度、あの年頃にもどりたいなあ」 気を変えようとするように勝沼はいっこ。 「そうしたら、今度こそ倖せになるぞ。ばくは郁ちゃんに結婚を申し込む。 しいね ? 来てくれ るね ? 子供は沢山作ろう。ばくは六人くらいほしいな。箱根か軽井沢あたりに庭の広い別荘を 作って、夏は郁ちゃんと子供はそこで過させる。土曜日になるとばくは行く。ばくは今よりもっ と出世してるそ。何しろ奥さんがいいからね : : : 」 「で、どうする気 ? 」 ムよ、つこ。 「どうするって ? 何がだい ? 」 「奥さんのことよ。離婚するの ? 」 勝沼の顔は曇った。 「それがね、どうしてもいやだというんだよ」 「どうしてもいやですって ? 」 私は呆気にとられた。 「でもあなたは奥さんにそのことを問いつめたんでしよう ? 」 「 , っ′ル」 「そうしたら何ていったの ? 」

8. 鎮魂歌

「根拠はない」 珠夫は決然といった。 「ーし , かーし、ば / 、は 9 ドしつ・ーーー」 一瞬私はその決然とした口調に習慣的な希望を持った。だがその希望は今度は長つづきしなん った。私は溜息をついた。 「あなた、道明寺さんに会ったことある ? 」 「なぜ会わなかったの ? 一千万円もの金を借りようという会社の社長が」 「後藤君が、会わない方がいいというんだ。これはあくまで道明寺さんが後藤に貸す金であって 会社に貸す金ではない。だから、ばくが出て行くとおかしなものになるといったんだ」 「山が実在しているという証拠はあるの ? 」 「評価証明の写しというのは見たがね。後藤が道明寺さんに渡したものだ」 「それだけ ? 」 歌 「それだけだ」 「それだけでは山が実在している証拠にはならないわね」 「あなたはなぜ一緒に塩尻へ行かないの ? 」

9. 鎮魂歌

気がっかなかった。 ある日、天野勇から電話がかかってきた。この一年余り、私は天野と会っていなかった。天野 ばかりか伊藤芳吉とも土田良子とも、二、三年前までは三日にあげす会っていた文学の親友たち と会っていなかった。 「忙しそうだね。相変らす」 天野はいっこ。 「よく身体が持つねえ」 「しようがないのよ。働かなくちゃあ : ・・ : 」 「うん、可哀想だねえ」 それだけの言葉にも私は涙ぐむようになっていた。 「珠夫には女がいるっていうぜ。郁ちゃん」 天野はいった。 「もう珠夫のために尽すのはいい加減にしろよ」 歌私は何と答えていいかわからないで、 魂「へええ」 貯「生島から聞いたんだよ。相手はバーの女だってさ。そのバ ーへ通うために、奴はすいぶん無理

10. 鎮魂歌

こんな状態になるすっと前から、親子三人が揃って食卓を囲むことなど、何年もなかったとい ってよかった。夕飯のときに珠夫がいないのが普通で、たまにいると、 とうしたの ? 病気 ? 」 と美子は聞いた。 だから、珠夫が家から出ていっても、急にこの家が淋しくなるということはなかった。一家の あるじ 、変化がない。 主がいなくなったというのに、私の家には何の変化もないのだ。実際驚くべく 歌珠夫の書斎はそのままで、書きもの机の上のものも何ひとっ変らなかった。ガラスのインキ壺 、 ' ヘン皿の中の二本のペン 魂のインキは珠夫がこの家にいた時から乾いて、薄く埃がたまってした。。 鎮や文鎮も薄い埃をかぶっていたが、それも珠夫が家にいた頃からのことだった。珠夫はその二、 三年、書きもの机に向ってものを書くことなどしなくなっていたのだ。書斎に坐っていたことさ 第一章