佐伯 - みる会図書館


検索対象: 鎮魂歌
9件見つかりました。

1. 鎮魂歌

「ばくは遠からず会社はつぶれると思います。よほど強力なテコ入れをする人でも現れない限り 「佐伯さんはどうなるの ? 」 私はくり返した。三年前の倒産の時のことが思い出された。珠夫は三年前と全く同じ軌道を歩 いている。その時も友人の家三軒が担保に入ったまま会社はつぶれたのだ。私はそれを救うため に金貸しから五百万の金を借りた。それを知っている江崎はもしかしたら佐伯のために暗に私に 佐伯を救うことを頼みに来たのかもしれない。 「佐伯さんもいい勉強になるでしよう」 私 . はとまけこ。 「他人のために役立とうなんて思う人間は必すひどい目にあうものだってことがわかるでしよう。 人を救おうとするなんて、とんでもない思い上りなのよ。私が今、こんなひどい目にあっている のは、その思い上りのためなの、やっとこの頃、それがわかったわ。謙虚な人間は、自分の身を 守ることだけを一生懸命にするものなのよ。丁度あなたのように : : : 正しく生きるとは多分そう いうことなんだわ」 「しかし佐伯は、瀬戸さんを信じています」 江崎はいった。 「佐伯はちっとも心配していません。ばくはその佐伯の純情を思うと、腹が立つやら情けないや

2. 鎮魂歌

聞「ではどちらでしようか」 私は尖った声で答えた。 「あなたは会社の社員なのに社長の住所も知らないんですか ? それくらい調べてから電話なさ 相手が何かいう前に私は電話を切った。その日の昼頃、佐伯がやって来た。佐伯は勝手口に立 ったまま善良そうな四角い顔の小さな目を、途方に暮れたように瞬きさせて私から目を逸らした。 「社長、来てませんか」 佐伯は挨拶代りのようにいうと、私の返事も待たすにいい継いだ。 「三日前からいないんです。家へも帰らないらしいんです」 佐白ま、つこ。 「それで、例の : ・ ( と佐伯はロごもった ) 女の人がヒステリイになりましてね」 佐伯は私をちらと見て気弱にうつむいた。 「会社へ来て泣きわめくんです。ばくらが行き先を知っていて隠していると思っているんです。 ここへ来てるか、そうでなければ、どこかに女がいるだろうといって聞かないんです」 私はいった。私は笑った。朝の電話は珠夫の女が事務員に化けてかけて来た電話だったのだ。 私は残酷になった。その必死の女の哀れさを、却って踏みつけてやりたい衝動に駆られて私はい

3. 鎮魂歌

しようね。それで自分の出資金を引き上げてさっさと出て行ってしまいました。あんな会社でそ んなことをされればてきめんに響きます。嵐さんに出資金を返すために瀬戸さんは高利貸しから 金を借りてるんですからね」 「バカよ ! 」 私は冷やかにいった。 「その一言に尽きるわ」 「それで無理をした後がパクリ屋。そのあと経理部長の山の話に欺されて、あれを信じて佐伯の 家を担保に入れて金を借りたんです。山の金が入ったらすぐに返すという約束で : 「山の金で ! 」 山を売った金で佐伯のその借金を返したら、私の方へ廻って来る筈の金はなくなる勘定になる。 江崎はいった。 「ところが山の金が入るからというので、ほかにも貸してる人がいるんですよ」 今となっては私は無感動だった。私も貸した一人よ、という気はなかった。 「佐伯さんはどうなるの ? 」 私は聞いた。 「さあ」 江崎は首を傾け、

4. 鎮魂歌

き取ってしまったのだ。珠夫は佐伯の家を三重担保にして金を借りたほかに、佐伯の妻が楽し , に蓄えていた百四十万円の貯金を彼女に内緒で会社へ入れさせていたのである。佐伯の妻は姙」 三カ月だった。それも結婚して九年目に漸く身籠った身だった。会社がつぶれるのはもう時間 ( 問題だといわれていた。どこへ行っても珠夫の悪口が渦を巻いていた。社員たちは働かすに珠 の悪口ばかりいって日を送っていた。 私は珠夫に会いたいと思った。珠夫に会って今の珠夫は何に己れの正当性を置いて生きてい「 のかを聞きたかった。人生について常に明快な方針を定め、自分は損をするとも決して他人に 身を切らせず正しく、清潔に生きて来た珠夫は今、人生についてどんな方針を定めているのか 自分をどんな風に認識しているのかそれを私は知りたかった。 ある朝、早く枕許の電話が鳴った。半ば眠りながら私が受話器を取ると、女の声が社長はい・ っしゃいますか、と尋ねた。 「社長 ? 社長って誰ですか」 眠っているところを起されて私はあからさまに不機嫌な声を出した。 歌 「瀬戸珠夫のことですか ? 」 魂 、自分は会社の事務員だといった。 相手はそうだといい 「瀬戸さんはいませんよ。この家には住んでません」 嫺相手はいった。

5. 鎮魂歌

江崎は私を真直ぐに見ていった。 。いったいどういう人なんでしよう」 「先生、瀬一尸さんという人ま、 尸いに私は答えることが出来なかった。私の方こそ誰彼に向って同じことを聞きたかっ 江崎の 「瀬戸はバカなんですか ? 悪党なんですか ? 瀬一尸のすることをどう思うことが正しいんです か ? 憎むべきなんですか ? 憐れむべきなんですか ? 」 人々はその問いに対して正確に答えられるだろうか。答えられるとしたら、そのことは私には 不思議だった。 三年前、珠夫は彼を知るすべての人間から稀に見る善い人だといわれた。男も女も老人も幼児 、 ' 彼を嫌ったり批判した者は一人もいない。珠夫のことを表現する時、たいていの も彼を好した。 , 人は " 純粋 , という言葉を使った。だが今、人々ははっきり瀬戸珠夫は悪い奴だといっていた。 珠夫に欺されて金を巻き上げられ、告訴するといきまいている男がいるということを私は耳にし た。彼は競馬で一日に三十五万円をすったという話もあった。それを踏み倒されたノミ屋が珠夫 を探しまわっている。マージャンで三百五十万負けたということも聞いた。その相手の男も珠夫 を探している。金を手にするためならば、彼は手段を選ばなかった。佐伯の家では離婚話が出て いるという噂だった。佐伯の妻の父は珠夫のために財産を失いかけている佐伯を許さず、娘を引

6. 鎮魂歌

一歩退いて、私は彼を睨みつけた。 私が珠夫に向って怒りを投げつけるのは、これが最後だろう。私はそう思った。その時から私 の中で、珠夫は死んだ。彼が何をしても、私はもう怒らない ある日、もと珠夫の会社で働いていた江崎という青年が私を訪ねて来た。彼は珠夫の会社をや めて小さな出版社に入社した。それで私に仕事を頼みに来たのである。 江崎はおしゃべりな男だったので、仕事の話は二の次にして、会社の内幕をしゃべり立てた。 珠夫は一千万円の手形をパクリ屋にパクられたこと、その穴埋めをするために正規の手続きを取 らすに、パクリ屋のいうことを信用し、更に欺されて損をするような結果となったこと、そのた しくらあるのかわからぬほどで、毎日のように落さねばならぬ手 め金貸しからの借金はいったい、 形の金策に、珠夫はひとり狂奔していること、重役は誰もそれに協力しないでまるで他人ごとの ように見ていること。社員は厭気がさして一生懸命に働いていないこと、今となっては忠実な社 員は運転手の佐伯だけであること、佐伯は珠夫を助けるために自分の家を担保に提供して銀行か ら金を借りたこと : 黙って聞いていた私は驚いていった。 「佐伯さんの家を担保に金を借りた」

7. 鎮魂歌

「その人にいってやりなさい。あんたみたいなもの好きな女は、この世にそうたんとはいな、 ら安心しなさいって : : : 」 珠夫はマージャンをしているにちがいなかった。私は直感した。会社は危機に直面したまま、 奇跡のように半年保ってきた。危機に陥れたのは珠夫だが、それを半年保てたのも珠夫だ。そ , っ してそんな時だから珠夫は行方もいわずにマージャンに出かけたのだ。珠夫とはそういう人間が そういう人間だから会社に危機が来た。そしてそういう人間だから、まだ会社は持ちこたえてい る : : : 私はそんな珠夫と十五年暮した。私は一度だって珠夫が帰って来ないからといって電話 かけ散らしたり、泣きわめいたりしたことはなかったわよ : : : 私は珠夫の女に向ってそういって やりたかった。 私の直感通り、四日目に珠夫は現れた。珠夫は赤坂の待合で金貸しやプローカー相手にマー ャンをしていたのだ。珠夫は髪ボウボウで会社へやって来た。佐伯が私にそのことを報告して 「心配していらっしやるかと思いましたのでお報せしました」 と佐伯はいったので、私は答えた。 「私はべつに心配なんかしてませんよ」 っこ。

8. 鎮魂歌

男はいい捨てると、すぐに私に向き直り、 「川添郁、あんたは : としいかける。編集長はややかすれ気味の声をせい一杯甲高くはり上げた。 「初代ですか、あの猿は。ヘーえ、長生きですなあ」 男はもう返事もせず叫んだ。 「川添郁 ! お前さんは : 「で、二代目はどうしてます。元気ですか、二代目は」 善良な編集長は必死で叫んだ。 「今は猿は何匹いるんです ? 」 私は黙ってその場を立ち去った。 「保。は」 という甲高い叫びが、大広間を出ようとする私の耳に聞えて来た。 私を怒らせるものはもう何もなかった。私はそれを感じた。怒らない代り、私は冷やかになっ た。そうして一見、平坦な時間が私の上を過ぎて行った。私と珠夫はもう数カ月会っていなかっ た。電話で声を聞くこともなかった。私は珠夫から蒙った金の損失について珠夫を追及すること をやめた。可哀想な佐伯を救ってやりたいとも、もう思わなかった。私は時々、勝沼から呼び出 されると会った。勝沼の妻の不行跡は次々に暴露した。今まで沈黙を守っていた人たちが、遠慮

9. 鎮魂歌

丸谷 / 河野・訳長距離走者の孤虫非行少年 0 孤独な心と権威に抵抗するアナーキー ・、 / リトー 感化院育ちの少年の青春を回想をおりませて描き 河野 / 橋ロ訳屑屋の娘 現代社会の矛盾をあざやかに浮き上らせる。 フィリップ・ロス 若々しくは 空虚なアメリカの弊栄の中に咲い りつめた恋の物語をベーソスあふれて描く 佐伯彰一・訳さよ、つならコロンバス ・オプライエン 刀ーーレ二人の少女が田舎から都会に出て成熟するまでの ノ愛の遍歴を、洗練された鋭い感性で描いた長編。 新大久保康雄・訳カントリ 最 ・・ケリ 命のかぎり歌い、弦の切れたギターを抱いて死ん ばくのために泣け た黒人の姿に、アメリカの本質をつく傑作短篇集。 庫浜本武雄・訳 ・サリンジャー 内奥の暗い深淵と社会の汚辱を描き出し、自意識 九つの物語 一 = ロの過剰を感覚的にとらえ周到に計算された傑作。 英中川敏・訳 < ・・クローニン 印病弱で孤独な少年と素朴な青年庭帥との牧歌的な ・ロい友情と厳格な父との愛の相剋を悲劇的に描く。 竹内道之助・訳スペインの庭 修道院と世俗信仰会との間にくりひろげられる倒 立里 丸谷才一・訳 錯した性と不倫の恋を幻想的に現わす代表作。 ギュンター・グラス ナチズムの暗い影におかされ、傷ついて、 しく少年 苗 たちの無垢な夢を描いた現代ドイツの代表傑作。 高本研一・訳