小説 - みる会図書館


検索対象: 鎮魂歌
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1. 鎮魂歌

しなくなっている。そのような珠夫は名誉挽回を事業の面でなしとげるのがおばっかなくなると 三ヶ月アパート住い 文学で復活したいと言う。とにかく一作書きあげたい。そのために、二、 したいと一言う。 しかし、珠夫の原稿は書き進められている様子もないまま、仕事場のはすのアパートの部屋 。またしても事業をはじめる ( やがて愛人との住居になり、彼の事業は相変らずうまくゆかない そうして、〈私〉は珠夫から始終多額のお金を頼まれる。税金用の預金を勝手に持ちだされる , ともある。〈私〉は小学生の美子と老母と家政婦を管理しながら、休む暇もなく作家の仕事に泊 われている。そのうえ、恋愛がはじまる。不如意な恋愛である。 「鎮魂歌」の内容をこう事柄的に見たならば、世にありがちなケースのひとつのように思われス かもしれない 。ところが、この小説は決して世のありふれた尋常の小説のひとつではないどこス か、つまり途方もなく正直な小説になり得ているのである。 〈私〉のような類いのケースを扱い、それが凡庸な小説でしかなければ、いや一応の評価の得 れる小説であってさえ、〈私〉は単に様々の顔をもっ女性としてしか描けていないのが普通で る。「失意の妻」「母」「娘」「社会的に活躍している女性」「女主人」「恋愛者」等々。そして、 ういう小説の場合では、たとえば「恋愛者」の顔と「妻」の顔とを重ねたような描かれ方をしプ いるような個所でも、実は妻であることが恋愛者の、あるいは恋愛者であることが妻の過度の音 味づけに作用するという、不正直をとかく犯している。つまり妻であり、恋愛者である女性の太

2. 鎮魂歌

当の表現には到ってはいないのである。妻と恋愛者が統一 ( 混合ではない ) されてはいないのであ る。ところが、この小説の〈私〉は常に幾つもの立場の統一者として表現されているのである。 私が「鎮魂歌」を途方もなく正直であると言うのは、この小説のそういう面目のためでもあっ て、〈私〉のそういう表現が果されているからこそ、彼女はたとえばまさしく「母」をも感じさ せるのである。〈美子は秋の学芸会で、はじめて劇に出ることになった。美子の台詞は「当り前 「でも上野さんは私より少いのよ」 / と美子はいった。〉 ですよ」という一言だけだった。 〈私〉は多忙な仕事と恋愛で、子供の学校の父母会にも、約束した展覧会へも、運動会へも、 しかし、作者はそうした「母」の自責 その学芸会へも、行く約束をしていた時でさえ行かない。 の念には筆を多くは費さない。費さないが、娘のたった一言の台詞の「当り前ですよ」のリアリ ティは詳烈で、子供からそんな言葉を聞くことのできる〈私〉、学芸会に行かすに恋人に会って : 」の一言で胸を突き刺される〈私〉は、まさしく きて、無邪気な娘の「ご苦労さんでしたア : 「母」でもある。そういう部分でさえ、他の幾つもの立場が「母」の立場と共に途方もない正直 さで統一されている〈私〉だからである。 〈私〉の恋愛相手の勝沼学は、戦死した兄の中学生時代からの友人で、二十五年ぶりに偶然空港 で出会ったのが恋愛のきっかけである。二十五年前の〈私〉は、少女であった。そして、この二 人の昔の間柄は、小説の事柄的段取り、つまり設定としてのみ拾い捨てられるような脆弱なもの ではない。〈私〉は確かにかって少女であったことのある女性としての存在でもあるのだ。

3. 鎮魂歌

たいと、雲ひとつないなどと言う。真白い布とか、晴れわたった空とか言っただけでは物足りな いのだ。一点の染もないこと、雲ひとつないことを見定め得られて、いよいよすばらしさが感じ 募ってくるのである。「鎮魂歌」には、つまり一点の染もなく、雲ひとつないのであって、とこ ろが、その感じを文学作品に対する直接的な形容の仕方で言うならば、途方もなく正直な小説と でも言うしかなくなるのである。一点の不正直さもない作品と言ったのでは、どの部分もすべて 正直であるという意味に取られかねないからで、「鎮魂歌」の正直さはそういう部分々々の虚実 の問題の範囲に止まるものではなく、もっと広く、深いのである。つまり、「鎮魂歌」は文学的 誠実さの漲っている作品なのであって、序章にあたる書きだしの美しさにしても、いわばその文 学的誠実さの一端にほかならないのである。〈私たちはゆるやかな坂道を歩いていた。坂道は舗 装されていたが、ところどころ舗装が破損して、そこに昨夜の雨水が溜っていた。〉 「鎮魂歌」の序章にあたる部分は、〈私〉の回想で成っている。〈私たちは皆、売れない小説を書 いていた。〉〈私たちはみな、二十代で若かった。〉〈私たち〉のなかには、珠夫もいた。そして、 今の〈私〉は珠夫を夫にもち、小学生の美子を子供にもつ中年の流行作家になっている。夫婦は 長い間無収入で、珠夫の亡父の遺産を減らしながら、売れない小説を書き続け、遺産が底をつい た時、珠夫は事業を始めて失敗する。その頃から、〈私〉の原稿が売れはじめ、その収入をもと にして、珠夫はまた新しく事業をはじめる。珠夫はもう二、三年、机に向って書き物をしたりは

4. 鎮魂歌

私たちの不幸は ( あるいは倖せはという一 = 〔葉でもいえる ) 長い間お金になることがなかった私 の小説がその頃から売れるようになったということである。珠夫の事業の失敗と私の小説が売れ はじめたことは殆ど同時に起った。それまで一文の収入もなく、しかし金持だということになっ ていた私の一家は、破産して一文なしになると同時に、私の働きによって収入が入って来ること になったのだ。私の収入をもとにして、珠夫はまた新しい事業をはじめていた。 「暫くの門 日、うちを出て、一人で暮してみようと思うんだ」 ある日珠夫はそういった。 「ばくは今、書きたいんだよ。とにかく書き出さなくちゃいかんと思うんだ。今のこの時期に書 かなかったら、ばくはもう永久に書かなくなってしまうような気がする」 私は珠夫から顔を背けて、窓の上の方に広がっている秋空を見ていた。おそらく私は無表情だ ったろう。その頃から私は不快なことがあると無表情を作るようになっていた。 「ばくの最後の我儘を許して欲しいんだ。とにかく一作書き上げて、それを持って帰って来るよ。 二、三カ月あれば書けると思うんだ」 歌「そう」 魂私は怒りを押えていった。 鎮「ならそうすればいし 、じゃないの」 「ばくは事業の面で名誉挽回しようとした。だが一年やってみて、不可能だということがわかっ そむ

5. 鎮魂歌

あなたが誰なのかよく知りませんが、小説が売れなくて欲求不満でイライラしてる人で + ることだけはわかります : 以前の私ならそういうことが出来ただろう。私は手の中のグラスの、まだ殆ど口をつけてい いビールを意識した。以前の私ならそれを男の顔にかけることが出来ただろう。だが今、私は冖 も出来なかった。私は不能者のようにニャニヤして立っていた。私の中には投げつけるべき怒〔 のもとが湧いて来ないのだった。それで私は、 「そうですか」 、またニャニヤした。 「川添郁、あんたはそんな風にニャニヤしておるが、あんたは自分が下品であるということ + 男が更にいいかけたとき、それまで背を向けていた顔見知りの編集長がふいにふり返ってい 「浪貝さん、あなたの家の猿はどうしてます ? 元気ですか ? 」 「ああ、元気」 男は面倒くさそうにいうと更に一歩私に近づいた。すると編集長はいった。 「その猿は初代ですか ? 二代目ですか ? 」 「。初代」

6. 鎮魂歌

河野多恵子 佐藤愛子氏の「鎮魂歌」は、昭和四十六年十二月号の『別冊文芸春秋』に発表され、当時そ を読んだ私には忘れかねる印象を残していた作品だが、今度また再読してみて、何故この作品が 弓い印象を与えるのか更めてそのわけがわかったのであった。 「鎮魂歌」は途方もなく正直な小説である。途方もなく正直であるというのは、たとえば作者が 自分の経験をその通り告白しているとか、客観的に事実を見ているとかいうだけの意味ではない また人間とか、男女とか、夫婦とか、人生とかの真実が捉えられているといっただけでは、ど , っ も充分ではない。たとえば、富士山や樹木の眺めや人間の体の機能は、紛れもない事実であり、 同時に真実でもあるのだが、私たちが山や樹木に見とれたり、人体の機能の人為では創造できた 説い精密さに感じ入ったりするのは、それらの事実や自然なり人体なりの真実そのもののためでけ ない。あまりの虚偽のなさに呆然とさせられてしまうためなのである。こういえば、虚偽のなき 解 は事実および真実と同じことではないかと反論されそうだが、決して同じではないのである。 しみ 私たちは真白い布を見た時など、よく一点の染もないと言いたくなる。晴れわたった空を讃ラ 解説

7. 鎮魂歌

四度目には家政婦は、 「今日もまたかかりました」 というたけになった。 私はその電話に出たことは一度もなかった。それほど私は出て歩くことが多かった。ホテルに こもって小説を書くことの外に講演旅行や取材やテレビ出演があり、その合間に勝沼に会った。 勝沼に会うためには、私は朝の五時に起きて原稿を書かねばならなかった。睡眠時間を削る以外 に、その時間を産み出す方法がなかったのだ。私たちが会う場所は小田原に決っていた。勝沼は 日曜日に箱根へゴルフに行く習慣があった。勝沼はゴルフの道具を持って家を出、真直ぐに小田 原の宿へ来た。 「女一房のこと話そうか」 勝沼はそういったことがある。 と即座に私はいった。 私たちは勝沼の妻のことを話題にしたことはなかった。私は彼の仕事についても何も知らなか った。私たちが会えば話すことは少年と少女だった頃のことだった。劣等生であった私の兄の話 がよく出た。中学生の頃、兄は授業中に教室の窓から飛び下りてタコ焼きを買いに行くのがうま かったというような他愛のない話だった。私たちは会うたびに同じことを話し合った。

8. 鎮魂歌

「おい、レット , 「何だい、サポ ! 」 「人間がそのへんに来ているらしいそ ! 気をつけろ」 学校から帰ると美子は、レットとサポの一人二役を演じてひとりで遊んでいた。美子は上野さ んというすし屋の娘から貰ったパチンコの玉を一個、大事に持っていた。美子はそれを身につけ ていると魔法の力を持てると思い決めていた。 上野さんはその玉を隣のパチンコ屋の前の舗道で 拾ったのだ。 私は月に一度の美子の学校の父母会に顔を出したことがなかった。私は彼女の展覧会を見に行 く約束をしていたが、行くことが出来なかった。その日、私は北海道から帰れなかったのだ。私 は美子の運動会にも行けなかった。私は徹夜で小説を書いたので美子が運動会に出かける頃はま だ眠っていた。目が醒めたとき、美子はもう帰って来ていて、運動会で貰ったリンゴを食べてい た。また私は美子の学芸会を見に行く約束をしていた。しかしその日、私は勝沼に呼び出されて 小田原へ行った。私が帰って来ると美子は廊下でポーリングの真似をしていた。 「お帰んなさーい」 と美子はいっこ。 「ご苦労さんでしたア : : : 」 その一言は私の胸を突き刺した。

9. 鎮魂歌

117 鎮魂歌 思った。それは珠夫の弱さなのだと。強いていえば優しさなのだと。弱さが珠夫をしばしば裏切 者にするのだと。もし彼に余裕ができたときは、彼は何をおいても私の賭金を返すであろうこと を私は確信していた。 そうそう 五日間の旅を終って私は東京へ帰って来た。帰りの飛行機の中で、私は帰ったら匆々に納めね ばならぬ税金のことを考えた。私は二月の末に単行本の印税が銀行に振り込まれる筈であったこ とを思い出した。その印税に、近くの銀行に日常の生活費として預けてある若干の金を合せれば、 税金の三分の二は間に合うという計算が出た。あとの三分の一は新聞社から連載小説の原稿料を 前借りすれば払えぬことはない。 家へ帰った翌日、私は銀行へ電話をかけた。あるだけの金をかき集めて、とりあえす税務署へ 納入しようとしたのだ。すると銀行の人はいった。 「えー、川添郁さんの普通預金にはもう三万円しか残金はありませんが」 私は声を呑んだ。相手はいった。 「三日前に百三十万、引き出されています」 私は生活費を預けてある方の銀行にも電話をかけた。そうしてそこからも、五十五万円の最後 の金が引き出されていることを私は知った。

10. 鎮魂歌

を解いてしゃべりはじめたのだ。私はそれを無表情に聞いた。勝沼は今、出世コースを含めた丗 間体を取るか、夫の名誉を取るかに思い悩んでいた。おそらくそれは順調に出世コースを歩んで 来た彼には生れてはじめての苦難だったにちがいない。そんな彼を私はただ眺めた。私は勝沼ル 慰める気も意気地なしと責める気も、何かを要求する気もなかった。 ある日、私は唐突に思い出した。それは私や珠夫や天野勇や伊藤芳吉が、売れない小説を書キ ながら、乏しい金でコーヒーを飲んだり、三十円のかんびようののり巻きを一皿だけ注文して、 四人で一個すっ食べたりしていた頃のことである。私たちは皆揃っていつも金がなかった。そ でも私たちは家に一人でいることが出来ずに、仲間を求めてコーヒー店へ出かけて行くのだつ そんなある時、珠夫は私に話した。 小学生の頃、珠夫は野球をしたくてたまらなかった。しかし彼はいつも校庭の片隅で、野球 楽しんでいる少年たちを羨しそうに見ているだけだった。彼は跛だったので、彼が仲間に入ると 皆が迷惑すると思っていたのだ。彼は皆に「ばくも入れて」ということが出来なかった。 ある日、一人の少年が珠夫にいった。 「瀬戸、お前も入れよ」 少年にしてみればメンバーが一人足りなかっただけのことで、珠夫に友情を示したわけではな