道明寺 - みる会図書館


検索対象: 鎮魂歌
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1. 鎮魂歌

ている。その山を抵当にして一千万円の金を借りることになった。その金を貸すのは道明寺と、 う埼玉県の農協の理事長だが、後藤は昔、道明寺の息子の仲人をしたことがある。道明寺はそ」 を恩に着て、かねてから後藤の役に立ちたいといっていたところ、たまたま、会社の話が出て〉 れならば山を抵当にして金を用立てようということになったのだという。 「その息子というのは、低能か何かだったんですか ? 」 私はわざと投げやりにいっこ。 「いえ、なかなかチャンとした息子さんで、今は立派に農協理事を勤めています」 後藤の怪訝そうな顔に向って私はそっけなくいった。 「そうなの。私はまたアホかグウタラで、嫁の来手もなかったから、仲人してもらって感激し一 いるのかと思ったわ」 私は笑った。 「仲人してもらっただけで一千万の金を貸す人があるとは思えないから : : : 」 「いえ、それはでございますですね。仲人のほかにも、私は道明寺さんの息子が、そのう : の問題を起しまして紛糾しました時、私が出て行きましてすっかり解決いたしました : 「ま、そんなことはどうだっていいわ」 私は意地悪くいっこ。 「私に関係のないことだもの」

2. 鎮魂歌

憤りも、歎きも、私が彼のために出した千三百万円の金も、そうして美子の哀れさすら、彼のそ の深淵を理める何ほどの重みもないことを、私は知った。 三月、私は青森県にいた。私は取材のために下北半島の農村を廻り、それから弘前へ出て、更 に津軽の農村を廻る予定だった。下北にはまだ厚く雪が残り、津軽はいくらか雪が解けかけてい た。青森県の旅行はおよそ五日間の予定だった。私は重い心を抱き、テープレコーダーやノート の詰った重い鞄を下げて雪にぬかるんだ田舎道を歩いた。三月十五日に税金納入の最終日が来る。 しかし珠夫の会社から三百万円の金は返らなかった。年が明ければ道明寺から出る筈であった金 は、一月が過ぎても二月が過ぎても出なかった。一月四日に道明寺から金が出なかった理由は、 道明寺の名義の一千万円の定期預金の満期の日が、一月末日に当っているためだった。その定期 預金の満期ははじめは十二月三十日だった。それを解約してメガネ・フルに渡すつもりでいたのが、 書類の遅延のために十二月末には渡さぬことになった。それで道明寺はその金を、更に一カ月、 定期預金にした。そのため一千万円の金は一月三十日まで凝結されてしまったのだ。メガネプル は私に電話をかけて来て、一月三十日には間違いなく金が手に入ることを、彼の「首にかけて」 お誓いしますといってきた。しかしその金は結局二月にも入らなかった。道明寺の息子が、父が 自分に無断で一千万もの大金をメガネプルに貸す約束をしたことを知って、ツムジを曲げたとい

3. 鎮魂歌

「根拠はない」 珠夫は決然といった。 「ーし , かーし、ば / 、は 9 ドしつ・ーーー」 一瞬私はその決然とした口調に習慣的な希望を持った。だがその希望は今度は長つづきしなん った。私は溜息をついた。 「あなた、道明寺さんに会ったことある ? 」 「なぜ会わなかったの ? 一千万円もの金を借りようという会社の社長が」 「後藤君が、会わない方がいいというんだ。これはあくまで道明寺さんが後藤に貸す金であって 会社に貸す金ではない。だから、ばくが出て行くとおかしなものになるといったんだ」 「山が実在しているという証拠はあるの ? 」 「評価証明の写しというのは見たがね。後藤が道明寺さんに渡したものだ」 「それだけ ? 」 歌 「それだけだ」 「それだけでは山が実在している証拠にはならないわね」 「あなたはなぜ一緒に塩尻へ行かないの ? 」

4. 鎮魂歌

私は怒りの焔を背負ったまま、九州の講演旅行に旅立たねばならなかった。旅立ちの前に、や っとメガネプルは電話をかけて来た。道明寺は金は四月の七日に出すといっている。七日に出す のは道明寺が七という数を好きなためである、とメガネプルはいった。彼は道明寺が三月十日と いう約束の日をなぜ違えたかについてはもう説明をしなかった。とにかくもう一カ月待ってくれ と道明寺はいっているのだ。今度という今度はその日に違約はない。絶対に大丈夫だ。四月の七 日の午後一時に上福岡の農協で金を渡すとわざわざ先方からいってきたのた。彼はまた後藤公平 の首にかけて、という一一 = ロ葉を使った。 「後藤さん、最初から計算するとこれであなたの首は六つなければ間に合ない筈よ」 ムま、つこ。 「ともかく瀬一尸に今日中に電話をかけるようにいって下さい。男なら男らしく、自分のしたこと の謝罪に来るべきですよ。私は金が惜しいんじゃない。それが出来ない瀬戸が情けないのよ 「ごもっともです、ごもっともです。先生のお怒りは、この後藤公平、身にしみて理解いたしま 私は無力感を感じて口をつぐんだ。私は明日の九州行きまでに書きあげねばならぬ原稿があっ た。それが出来上らないのは、あなた方のせいてす、と私は叫んだ。瀬戸にいって下さい、私を 一文なしにした上に、仕事までさせない気かって :

5. 鎮魂歌

125 鎮魂歌 てからにしてほしいという理由だった。しかし選挙が終れば必す出すといった金は、選挙が終っ ても出なかった。選挙が終ると同時に道明寺は息子ともども香港へ行ってしまったのだ。道明寺 はやがて香港から帰って来た。だがまた金は約束の日に出なかった。道明寺の息子の選挙違反が 露見して、彼は留置場へ入れられてしまったのだ。 後藤はかく相なりたる上は、道明寺ごときは相手にせず、山の木を伐ってその金を提供いたし ますといっこ。 「いやしくも後藤公平、男としてこのまま逃げ隠れはいたしませぬ。少くとも先生の税金の分な りとも、この後藤、首にかけてお返しいたします」 後藤の持山は長野県の塩尻にあった。後藤は塩尻へ出かけて行き間もなく意気揚々と帰って来 た。森林組合に山の木を売る話がまとまったのだ。 , 彼の山は約四千万円の評価を受けている。そ のうち千五百万円分を売って、第一回の支払として五百万もらうが、その金をとりあえす私の税 金分として返す。しかしその前にあらかじめ伐る木を選んで印をつけねばならぬ。その作業に人 夫を頼んで来たが、それは二、三日もあれば十分だと彼はいった。 しかしその翌日、山は猛吹雪に見舞われ、人夫は積雪のために山に入れなくなってしまったと 現地から連絡が来た。五月にならぬと雪は解けない。今回は自然のもたらした障害でありまして 決して人為的なものではございません、と彼はいった。彼は私の代りに税務署へ行って、税金を 五月五日附の会社の手形で受け取ってもらった。彼はいった。

6. 鎮魂歌

夜遅く珠夫から電話がかかってきた。私は堰止められていた水が噴出するようにわめき立てた。 その間珠夫は黙ったまま、何もいわなかった。 「何を黙ってるの、男として何か一言くら、 し、いったらどうですか」 私は夢中で出来るだけ激越な一一一口葉を探した。 「あなたは泥棒をしたのよ ! 」 「四月七日には必ず返すよ」 珠夫の声は力がなかった。私がメガネプルに無力感を感じたように、珠夫は私に無力感を感じ ているのだ。私は叫んだ。 「四月七日に道明寺が金を出す ! あなた、本当にそれを信じているの ? 」 すると珠夫はカのない声でいった。 「それを信じなかったら、会社をつづけて行くことが出来ないよ」 私はその一言に沈黙した。それが信じられないとしても、ムリに信じなければ壊れてしまう世 界というものがあるのだ。その世界の絶望が私を黙らせた。 私は旅に出た。九州は春の真ただ中にあった。菜の花が咲き、柳の青みどりの下をゆるやかに たた 春の川が流れていた。海は鈍い白い光を湛え、うすぐもりの空と穏やかにつづいていた。私は車 で山を越えたり、海辺を走ったりした。穏やかな天気がつづき、講演会はどこも盛況だった。道 明寺が金を出す七日という日は、その旅の真中の日に当っていた。その日、私は小倉に着いた。 せき

7. 鎮魂歌

121 鎮魂歌 小倉の町は汚れた雲に包まれてどんよりと濁っていた。私はホテルの部屋から電話で東京を呼ん だ。電話口にはいつもの女事務員が出て来た。 「どうですか。道明寺さんからお金、入りましたか」 「いえ、それがまだなんです」 女事務員の声には今日は表情があった。それが私に緊迫した会社の空気を伝えた。 「瀬戸はいますか」 「今しがた出かけました。後藤さんの家へ : : : 」 「後藤さん ? なぜ後藤さんは社にいないんです」 「今日は上福岡の農協で一時にお金を受けとることになっていたものですから、後藤さんはそれ を受け取りに出かけたんです。そうしたらさっき電話がかかってきて、ダメになったというもの ですから」 「ダメだといわれてノコノコ自宅へ帰ったんですか、後藤さんは : 「後藤さんの家はその農協の近くなんです」 「で、なぜダメだというんですか、道明寺さんは ? 」 「さあ ? それがわからないものですから社長が出かけたんです」 「後藤さんが会社へ来ればいし 、じゃないの、会社へ ! 実際、あなたたちは何をどう考えている のか、さつばりわからないわ」

8. 鎮魂歌

「ばく、今のお話、感激しました」 会場の灯を顔に受けた少年は凛々しい顔だちをしていた。 「サインして下さい」 少年は定時制高校をさばって講演会へ来たのだといった。彼はズックの鞄をさし出した。 「この鞄に書いて下さい。さっきのバイロンの言葉を」 私はサインのペンを受け取って鞄の底に書い 人は負けると知りつつも戦わねばならぬ時がある 「ありがと , っギ、いました」 と少年はいった。ふいに私は泣き出しそうになった。突然私の目に浮かんだ涙を少年は何と思 っただろう。 「先生、元気でいて下さい」 少年はいった。 「先生は女だけど、ばくは先生のような人になりたいです」 そのときこらえきれぬ涙が、瞼の縁からこばれ出た。 四月七日に道明寺の金が出なかった理由は、衆院選挙の応援で忙しいので金の方は選挙が終っ

9. 鎮魂歌

「昨日の朝、これから振り込むという連絡が現地から入ったと電話をかけて来たんですよ。後藤 き、んが : 「それが入らなかったんです」 女事務員は事務的にいった。 「入らなかった ! それはいったいどういうことなの ? 」 「それがわからないので、後藤さんは現地へ行ったんです」 そのときになってはじめて、私の中に後藤に対する疑惑がはっきりと形を作った。私は電話に 珠夫を呼び出した。 「あなた、後藤さんの話を信じてる ? 」 私は静かに沈痛にいった。もう怒ったり罵ったりしている時ではないのだ。私たちはこの不可 解な事態と人物に対して、心を落ち着けて再検討をするべきだ、と私は珠夫にいった。 「後藤さんの山は本当にあるのか。道明寺は本当に金を貸すといったのか。後藤さんは本当に山 を売る気なのか : 歌 「ばくは本当だと田 5 うんだよ」 魂 珠夫はいった。 「ます第一に彼にはそんな嘘をついて何の得があるかということだ。嘘をつけばっくほど、彼は 暫追い詰められるだけで、一文の得もない」

10. 鎮魂歌

にその一歩を踏み出させるもの、その力が何であるか、私にはわからない。それは珠夫に対する 愛情だったのか、信頼だったのか、いや、それは珠夫ひとりに対する感情ではなく、人間という ものに対する私の期待だったかもしれない。私がさしのべる愛情が、裏切られるか、報いられる か、相手が何びとであれ、私の中にはそれに賭けすにはいられない力が働く。三百万の金を珠夫 に渡したとき私は必ずその金が返ってくるものと信じていた。それは珠夫に対する信頼だけでな 、後藤公平に対する信頼でもあった。いや、この場合、何びとがそこにいても私はそれを信じ たであろう。なぜなら私は私の身を削って彼らの信頼に応えたのであり、その私の純粋な信頼を 足で踏みにじる人間がこの世にいるとは思えなかったのだ。いや、そう思うことがいやだったの その日から大晦日まで珠夫からも後藤からも連絡がなかった。道明寺から借りる金は、色々な 事務的な手つづき上、年が改まってからになった、という伝言が、テレビ局に行っている留守中 にあっただけだった。いずれにしても、私が彼らから受け取った小切手は、年が明けたご用はじ めの日づけになっている。私はその日までその金のことを忘れた。 大晦日の夜、珠夫は私の家へ来なかった。彼は昼間、知人からことづかった北海道のすしを届 けるために台所口から入って来た。 「まだ用があってね。忙しいんだよ」 珠夫は台所の入口に立ったまま、私を見上げてさも忙しそうに息を弾ませていた。