感じ - みる会図書館


検索対象: ドストエフスキイ全集 月報
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1. ドストエフスキイ全集 月報

ところが、『死の家の記録』は、最初に読んだ時期めているものは何かという訴えに恐怖を感じさせら さえも、さだかでないのである。随分以前であるのはれ、そして又それを訴えられる時の私は人間を存在せ 間違いないことだけしか判らない。そして、今度このしめているものが自分の内部で後退し、消減しかかっ 短文を書くので読み返すまで、一度も会っていないのている状態であることが多かったようで、そのために である。 私は立ちすくむような恐怖を感じねばならなかったの といっても、その間、私はこの作品に対してー・・ーーとであろう。 いうよりも、この作品は私に対して、決して冷淡だっ 『死の家の記録』は一口にいえば、恐ろしい文学作品 たわけではない。 である、とよく言われる。が、記録的に読めば、つま この作品は、私の内部に居坐ってい ることを幾度も私に告げ知らせたものであった。何かり事柄としては、それほど恐ろしい作品ではない。私 はこれまで、事柄としても、もっと恐ろしい作品のよ 前世で読んだもののように、輪郭がぼやけておりなが うに思っていたので、読み返してみて、その点では意 ら妙に自分に絡みついているような感じを訴えてく る。その感じを言い変えると、気になるのに、気にな外に思ったほどである。ここで書かれている囚人たち は、何と多くのことを大目にみられていることだろ るために読みたくないような感じなのだ。 再読してきた他の文学作品の場合、私は本当に再読う。足枷は息を引き取るまで決して外されることはな いし、寝床は蚤や南京虫だらけではあるが、お酒も飲 したくて手にするし、再読しながら、旧友に会えたよ うな、馴染み深くて新鮮な、なっかしさを覚える。が、 め、性欲を満たす機会も手に入れることが出来、生き これまで私が『死の家の記録』との再会に気が進まな物を飼うことさえできる。作中のこの記録の書き手で トローヴィチなどは、毎日五 かったのは、他の文学作品とのようなそういう再会にあるアレクサンドル・。へ なりそうではないと感じられたからかもしれない。 〇〇グラムの肉を買っているような囚人ぶりである。 前世で読んだもののようにさえ感じられる、輪郭がもっとも、大目にみられていることが、網にかかれは オしが、繰り返し出てくる、その笞刑に ・ほやけておりながら妙に自分に絡みついているような笞刑は遁れよ、 感じをこの作品の遠い印象から訴えられる時、私はい ついても、まことに非肉感的で、読者としては恐怖せ つも立ちすくむような恐怖を感じた。人間を存在せししめられるわけではない。

2. ドストエフスキイ全集 月報

梅原猛 昨年、ロシャ映画の「カラマーゾフの兄弟」を見た。ソビエト・ロシャでも、ド ストエーフスキイは、復権されているらしい。一時、反革命の作家として無視され ていたドストエーフスキイが、復権されるのは、ソビエト・ロシャのためにもよ、 ことだと思う。 映画は、全く美しかった。聞くところによると、この映画の監督は「シベリヤ物 語」の監督と同じだそうだが、画面が、特に、ロシャの自然が美しかった。しかし、 正直にいって、何か、不満だった。たしかに、これはリアリズムの映画だ。原作を、 忠実に追っていて、その範囲内で、繊細な神経を働かしている。しかし、どうも、 ドストエーフスキイは、こんなものではないという感じがした。フヨー・ トルは好色 で、 ドミートリイは乱暴で、イヴァンは懐疑的で、アリヨーシャは美しかったが、 彼等が、ドストエーフスキイの作中人物と同じく、そのようなものであればあるだ け、私は逆に、どうもこれはドストエーフスキイではないという感じがした。 十年ほど前、ユル・・フリンナーが演じたアメリカ映画「カラマーゾフの兄弟」を 見たときも、これは、ドストエーフスキイではなく、西部劇だと思ったが、今、そ れよりは一層原作に忠実で、画面もはるかに美しいソビエト映画にふれても、やは りこれはドストエーフスキイではないという感じがした。 神の間題 以トエラスキ集月軋、 河出書房新社 第 19 巻論文・記録 ( 上 )

3. ドストエフスキイ全集 月報

ったのだった。 2 その後期の仲間たちの間では、圧倒的にドストエー フスキイが人気があり、ゴーリキイはそうでなかっ私とドストエーフスキイの出会いは、そんなふうな 不自然で非文学的なものであったが、そのために、先 験的にドストエーフスキイの文学を神格化するフェテ ゴーリキイが好きだ、などと言おうものなら、 イシスムからは自由であったように思う。 「うん。まあ、初期の短編にはいくつか面白いものも 自分のために書くのが純文学で、読者のために書く あるよな」 のが大衆文学だ、という言葉をどこかで聞いたことが と、軽く肩を叩かれそうな雰囲気だったのである。 文学的に早熟な学生たちが多かったせいもあるだろうあって、なるほど、そういうものかな、と考えたこと し、また、私自身の幼なさもあっただろう。しかし、 もあったのだが、ドストエーフスキイやチェーホフに そんな空気の中で私が心の中でひそかにドストエーフ関する限り、そのような割り切った裁断は難かしいよ スキイを、我がゴーリキイの不倶戴天の仇敵のようにうな気がしないでもない。 ドストエーフスキイの面白さは、自分のため、読者 感じていたのも事実である。 私は仲間にこっそりドストエーフスキイを読みはじのため、といった分け方でなく、十二分に読者を意識 め、そして次第にうしろめたい思いで一冊、また一冊し、それでいて十一一分に自分のための小説を書いてい と彼の小読を買い込みはじめた。そうすることは、当る所にあるような気がする。 時、東京中の古本屋を回って、あの灰色の表紙の改造 いま、当時の学生時代をふり返ってみて、ゴーリキイ 社版のゴーリキイ全集を一冊すっ集めつつあった自分とドストエーフスキイの二人を対立させて考えていた への、何か裏切りめいた感じのともなう行為だった事ことのおかしさに苦笑すると同時に、またそのことの も事実である。 直観的な若者の嗅覚の鋭さも感・せずにはいられない。 私はゴーリキイの立場を守り、我がゴーリキイを軽あの時代、私たちがその二人の作家に感じていたも 視する形而上学的文学青年どもを論破するためにドスのは、社会主義リアリズムだの、形而上学の問題など トエーフスキイを読みはじめたのだったが、いつの間ではなく、二つの相異った世界への姿勢であったので 。オし力と田い、つ。 にか少しすっドストエーフスキイの毒に侵されつつあよよ、

4. ドストエフスキイ全集 月報

〕ムイシ = キンが、つい気を許して場所柄を弁えず熱弁への憐憫を隠さない所に、嫉妬というよりも彼の融通 を振い出し、おまけに大切な花瓶を壊してしまう。その利かなさに癇を起してしまうのである。 の瞬間の彼の気持は、「羞恥の念でもなく、醜態を演も一つは最後にナスターシャの家で主役四人が渡り じたという気持でもなく、恐怖でもなければ、あまり 合う所である。この時アグラーヤはムイシュキンと結 不意であったという感じでもなく、何より予感が的中婚してもいい気でおり、ナスターシャも譲る気で、そ したということであった ! 」そしてその時彼は「不思の話の結末をつける場面だったのだが、彼女の高慢が 議な顔つきをして自分を眺めているアグラーヤを見却ってその自尊心を傷つける結果になり、反対にムイ た。その眼の色にはいささかの憎悪の色がなく、いさシ、キンをナスターシャの腕に任せて立ち去るという さかの憤怒の色もなかった。彼女は怯え切った、しか思いがけない幕切れになったのである。それにしても も同情のある眸で、彼を眺めていた。 : : : 彼の胸は不この場面の彼女は、ナスターシャというしたたか者を 意に快い痛みを感じた。」 相手に大胆不敵機智縦横、このお嬢さんのどこにそん この時交された一一人の眼差しが二人の間にある愛情な才覚がひそんでいたかといった面魂である。 の、ありのままの表現なのである。しかも彼女はとも アグラーヤのすることには、いつもそんな自壊作用 すればムイシ、キンに周をたて、心にもない邪険な態がある。その純真さが研ぎ澄まされればされるほど、 度に出る。この種の誇り高い令嬢気質の意地悪を描く虚無の中に切れ味を味わう所のむら気の刃になるので ために、ドストエーフスキイはかなりの頁数を費してある。そしてあたら豊かな感受性が淀んで、単なる気 位の高さという人格の虚像を描いてしまう。ムイシュ その一つは彼女がムイシュキンを公園へあいびきにキンが十九世紀のキリストなら、それにかしづくマリ 誘い出す所だ。それは勿論恋を語るためではなく、あヤの役は彼女のものだのに、この運命を全うすること り余る才智と空想力をもて余した彼女がそのはけ口に が出来す、単なる世紀末的性格破産の一標本と化して 彼を相手に選んだのである。しかし話していると話題しまうのだ。 は恋の打明けか身の上相談しかないことが分る。その従ってアグラーヤの自尊心は、決して建設的なもの うちいわば恋敵のナスターシャの話になり、彼が彼女ではなく、単なる消極的な自我中心主義に過ぎない。

5. ドストエフスキイ全集 月報

吉行淳之介 ドストエーフスキイを読むのは、じつに久しぶりである。トルストイは嫌いな作 家だ、とはいうものの沢山読んだ。しかし、ドスト氏のほうは、学生時代すこし読 んだだけである。いま思い出せるのは、『貧しき人々』『死の家の記録』『罪と罰』 くらいのもので、カラマーゾフは丁度半ばくらいの「大審問官の場」だったか、あ そこまでゆくと読めなくなる。一年置いて、もう一度最初から読むと、同じところ で駄目になり、あきらめた。 以来敬遠で、ドストエーフスキイと聞くと、必要以上に深刻で、なにやらおどろ おどろしい感じがした。しかし、トルストイより、はるかに好きである。月報を頼 まれ、こういう機会に久しぶりに読んでみようとおもって、『地下生活者の手記』 を手にしたわけであるが、好感のもてる作品であった。第二部には「べた雪の連想 から」という題が付いているが、表現の按配はくどくどしいが、根底に流れている 丿ーゼのため 感情はその題名にふさわしい。あの大がかりなべー に」を聞かされた気分になった。 読み終って、これは二十代の作品だろうとおもい、調べてみると、四十三歳のと きのものと知って、唖然とするとともに空恐ろしい気がした。ロシャ人は、オー ・フルだけで日本人の晩めしの二人分くらい食べるという話をおもい出した。しか 雑感 以トエーフスキ集月 河出書房新社第 5 巻地下生活者の手記他

6. ドストエフスキイ全集 月報

感じた場所を思ひ出して、そこを訪ねて見るのが好きロード・シモンと会見する機会を得たとき、はなはだ になったんです。」ここで『白夜』の幸福は、自分流紋切型の質問であったが、十九世紀以降の近代作家で いちばん身近に感ずるのは誰か、という質問を呈して 儀の殺人と化している。それもまた、「ああ、幸福な 人間といふものは、時によると、実にやり切れないこみたことがある。すぐにはねかえってきた答えは、予 とがあるもんだよ。」ということばに予告されている期したとおり、「ドストエーフスキイ」だった。その とき、こちらには、たとえばディッケンズとかゾラと とでもすべきものだろうか。 ドストエーフスキイについては、後期の巨大な作品 かいうような、意表をつくような名をシモンがロ走っ のみを云々する人々を私は好まない。それはいわばおてくれないかという、はなはだ手前勝手な野次馬気分 のれの思想解明能力を誇示するかに、ときに私に見えが働いていた。しかし、〈〈ヌーヴォー・ロマン》の作家 て来て、そういう「幸福」さが「やり切れなく」なつのうちでもいちばん実直な職人気質の持主であるシモ ンの答えは、人柄そのままのように誠実で真面目だっ て来るのだ。 もう一つつけ足しておけば、今度私はド氏の初期作た。 品をいくつか読みなおしてみて、ペテルプルグの描カフカとジョイスと。フルーストを三つの要石にみた 写、その都市描写に、ポオドレエルのパリ描写、特にて、さらにその源流にあたる位置にドストエーフスキ ・ロマン》の作家た 『パリの憂』に通いあうものがあることを強く感じイを配する見取図は、〈〈ヌーヴォー た。それは後期のド氏の都市描写にはないものであち、ならびにその周辺の若い作家たちが、彼ら自身の る。 ( 作家 ) 仕事の意味を歴史的な視点から確認しようとする際 に、しばしば好んで描いてみせる図式である。ぼくが トストエーフスキイと しうまでもなく、この図 予期したとおりと言うのは、、 《ヌーヴォー・ロマン》の作家たち 式が頭にあったからだ。ドストエーフスキイと答える ことによって、シモンはいわば、《ヌーヴォー 菅野昭正 ン》の作家であるという自己証明を、あらためてぼく この春、フランス政府の文化使節として来日したクの前に差しだしてみせたようなものだった。

7. ドストエフスキイ全集 月報

2 ーフスキイ全集を拡げて以来の経験であった。その時 さシ 『悪霊』のなかの「スタヴローギンの告白」に眩の するような感動をおぼえ『白痴』のうまさに舌をまい ~ 第」弟ルイ た。学生時代はわけもわからず、義務のようにめくっ 、のとス フナフ ていた頁が、改めて新しい光をあてられたような気持 だった。小説 技術的にも何とすごい作家だと思った。 、ごマエカ カカ」 その時はいっか、自分もドストエーフスキイのよう な小説を書くべしと思った。しかし、思えばそれは、 フスキイの場合は自分にとってどうかと考えたからで こわいもの知らずであった。以来一一十年私ができたの ある。残念なことには今の私はドストエーフスキイの は、結局、私の理想的人物を描いた作品に『白痴』か いかなる作品を読んでも一読者としては圧倒されるだ らヒントをえた『お。ハ力さん』という題名を与えたぐ けで終り、そのために原稿用紙を拡げたくなることは らいであった。 なくなった。それはロシャと日本の精神風土や世代や だからと言って、私がドストエーフスキイの作品と 環境の違いということもあろうが、正直いえば「歯がた無縁だというのではない。リョンの夏休みに「スタヴロ たぬ」という感じがするからである。私にはシベリヤ ーギンの告白」を読んで以来、あのような小説を書き 流刑のような経験もないし、それに何よりも死刑台に たいという気持はやはり心の奥に燻っているようだ。 並ばされて、その直前で救われたという怖しい経験もしかし、まだとても手をだせない。私も多少は小説家な ない。『カラマーゾフの兄弟』や『悪霊』のような根源ので、その怖さと自分のカ倆を知っているからである。 的な観念をまるで核の分裂のように吐きだせる人物を戦後、日本でもドストエーフスキイの作品からあき 今の私のカ倆ではとても、創作できるとは思えない。 らかに影響をうけた小説がいくつか出た。それらの作 二十年ちかく前にリョンにいた頃、むし暑い夏休品のうち、私が愛読するのは椎名麟一二氏のものだけで み、ー私は仏訳で『悪霊』を読んだことがあった。学生ある。そのほかのものは、本当かな、という気がして ( 作家 ) 時代、米川正夫氏の訳でこれも河出書房版のドストエならない。 ・ ~ 燾第ヾ

8. ドストエフスキイ全集 月報

に〈ゴンチャローフ著オプルイフ〉、第二に〈ドスト していた女優だけに暗い悲哀が覚えられ、時折、私は エーフスキイ著プレスツ。フレーニイ、イ、ナカザーニ 瞑目して暗い足下に向ってうつむいているのであっ た。ジェラール・フィリップのムイシュキンも扮装だ工〉。つまり『断崖』と『罪と罰』である。あとの三 けがよく、三つの『白痴』の裡でこのフランス映画が冊をも含めて二葉亭の回答はかなりきわだって他の諸 家と趣味を異にしている。例えば、三年後に『罪と 最も見劣りがしたのであった。 そのため、私は、ナスターシャ・フィリ ッポヴナの罰』を翻訳するようになる内田貢 ( 魯庵 ) は、〈徒然 苦悩の質はフランス人にはついに理解されていないの草、謡曲数種、近松門左衛門著作、京伝のしゃれ・ほん、 だと独り決めし、まだ人々が行き交う賑やかな深夜のツルゲーネフあひゞき及めぐりあひ〉とあげ、洋書は ディッケンズ〉等。この サンジェルマン通りを辻邦生君と二人で一種の愁いと〈アジソンのスペクテーター 佗しさに満たされながらぶらぶらと歩いていったので選択はアンケートのなかではほぼ常識的であった。そ あった。 ( 作家 ) の魯庵が『罪と罰』を知ったのがちょうどこの頃で、 尾崎紅葉の口からであったことはよく知られている。 その頃魯庵は徳富蘇峰の「国民新聞」の編集者で、 ドストエーフスキイと日本文学 「国民之友」にも寄稿していた。彼はその夏、富士山 麓の宿でフレデリク・ウィショオの手になる英訳『罪 新谷敬三郎 と罰』〔一八八六 ( 明治一九 ) 年ロンドン刊。同年『虐 げられし人々』、翌八七年『白痴』、八八年『家庭の 一一葉亭と魯庵 日本文学のなかで果したドストエーフスキイの役割友 ( スチェパンチコヴォ村のこと ) 』『賭博者』等が同 となると、ここでもまず最初に語らねばならぬのはじ訳者によって出ていた〕を読んで倦かなかった。彼 はのちに書いている 『浮雲』の作者、一一葉亭四迷のことである。 明治一三年、雑誌「国民之友」は諸家に愛読書十種「私は一一葉亭を憶出した。巖本撫象が一一葉亭は哲学者 をアンケートし、その回答を四月号の附録に載せた。 であると云ったのを奇異な感じを以て聞いてゐたが、 一一葉亭はそれに答えて五冊の本をあげているが、第一 ドストエフスキーの如き偉大な作家を産んだ露国の文

9. ドストエフスキイ全集 月報

トストエーフスキイと私 遠藤周作 筆 先日、アップダイクの『農場』龕書 ) 力を読んで畏友、三浦朱門に奨めたところ、 三浦が面白い返事をした。「それは : カ 読了して、こちらが創作欲を唆られるよ 到 うな小説かい イ 私はその時、三浦も小説について私と 同じ分類をしているなと思った。という モ の のは私の場合、外国の文学を読む時、一 チ読者としては感動をしても、一小説家と しては自分の創作衝動にあまり刺激を与 しえぬ作品と、そうでない作品との二種類 さ がいつもあるからである。 兄後者の場合は三浦と話しあったのだが フアメリカの作家が多い。三浦はサロイヤ 一ンが彼にとって、そんな作家だと言っ カ こんなことを書いたのは、ドストエ 以トエーフスキイ全集月報 河出書房新社第 12 巻カラマーゾフの兄弟 ( 上 )

10. ドストエフスキイ全集 月報

門的」としか名づけようのない感動は、一個の哲学的なっているが、著者自ら同じ「あとがき」の中で「そ 方法の文学への適用、といった類の書物では全くない の後の私の歩みが、私がその昔、『主観的に』感動し ことを物語っている。著者自身、改版へのあとがきの たものに向って、緩つくりと近づいて行くような思い 中で、この書は、「イテオロギーのうずまく敗戦後のさえする」と語っているのに呼応して、読者としての 一種異様な精神状況のなかで模索している私を打った私は、『ドストエーフスキー覚書』を読んで受ける感 ドストエーフスキーの文学に対する、一読者として動は、それら。 ( リで書かれたエッセーの与える感動に の、極めて『主観的な』表白である」と述べている。等質のものを含んでいる、と断言したい。 そして著者は、この書の出版された翌年フランス政府 その等質性はどこからくるか。それは著者の根本的 給費留学生として渡仏したのであり、その後今日までな態度からくるーー・・・思想とは思索する人間個人の「深 一一十年間 リの孤独の中でのきびしい思索の歩みい体験」 ( 二三四ページ、のちの = ッセーでは「経験」 は、『・ ( ビロンの流れのほとりにて』を初めとする美と定義される ) の裏付けがあって初めて普遍性にまで しいエッセーの数々によってわれわれに親しいものと 到達するのであり、どんなに秀れた思想でも「観念的 にうのみに」されたとたんに死んだ思想となる、とい う著者の信念は、一一十年来変っていない。そのような 信念をもって、ドストエーフスキイ文学の根柢にある 「原体験」 ( 九ページ ) 、あるいは「純粋現実」 ( 一九 三ページ ) にせまろうとする著者の態度は、この書の 「鍵」ともいうべき概念である「邂逅」の一語にあら わされている。ドストエーフスキイの作中人物たち は、「中世の修道僧やユマニストやモラリストが実践 したような方法的自覚的努力からは断じて生れてこな い」ような「端的」な「現実」に出あうのであって、 その現実とは、愛であり、自由であり、自己であり、 森有正