が、そういう発作の起こった後は、たいてい重苦しい気分に 当のグリゴローヴィチはこの時代のことを、次のように物 なって、それが二、三日つづくのであった」 っている。 トストエーフスキイは、。 へテルプルグへ上京前の風邪と、 「わたしがドストエーフスキイといっしょに暮らすよ , フにな った時、彼はやっとパルザッグの小説「ウージ = ニー・グラ喉の病いの痕跡がいつまでも残って、しやがれ声でしか話が ンデ』の翻訳を終わったばかりであった。・ハルザッグは、わできなかった。朝になるといつも咳がひどかったが、彼はそ ゼンカンプ : : : ドストエーフスキイは毎れをみんなから頑固に隠すようにしていた。リー たしたちの好きな作家であった 日、いちんちじゅう、それに夜の一部分も、テープルに向かでさえやっとのことで、彼のために咳の薬を処方し、ジュー コアの煙草を吸うのを、いくらか加減させることに成功し っていた。彼は何を書いているかについて、ひとこともしゃ それくらいのことである。 べらなかった。わたしがたずねても、しぶしぶと言葉すくな トストエーフスキイ処女作の「貧しき人々』は、一八四四年の十一月に完成し に答えるのみであった。わたしはただ、・ たが、十二月には根本的に改訂され、翌年の二月には、再度 独得の筆蹟で、びっしり書きつめられた、おびただしい原稿 紙を見たばかりである。彼のペン先から、まるで南京玉のよの推敲がはじまった。ドストエーフスキイは完璧欲に取りつ うな、まるで絵のような文字が流れ出た : : : 書きやめるが早かれ、自分の作品を少しでもよくしようとあせって、あくこ いか、彼の手には本が持たれる。彼は一時、スリエの小説にとを知らなかった。ドストエーフスキイは不断の困窮のため に、作品の推敲をおろそかにし、そのために彼の文章は悪文 ひどくうち込んで、ことに「悪魔の手記』に夢中になってい 冗長で無駄が多い、ということは、ほとん た。ひたむきな労イ 乍と、強情な蟄居生活は、彼の健康にきわで、読みにくく、 彩響を与えた。まだ若い頃、学校にいた時分かど一世紀にわたって、多くの評家からいわれて来たが、この めてよからぬ曇ラ ら、いくたびか彼を見舞った病気が、そのために昻進してい伝説には終上符を打たなければならない。彼が終始一貫、自 った。わたしたちがいっしょに散歩している時、いくたびも分の作品の完成に努力を払い通したことは、あの厖大な創作 発作が起こった。ある時、彼と二人でトロイッキイ横町を通ノートの証明するところである。 ドストエーフスキイは「貧しき人々』の最後の仕上げに満 っていると、葬式の行列に出会った。ドストエーフスキイ は、さっと踵を転じて、あと戻りしようとしたが、わたした足して、「ばくは自分の小説に、心底から満足しています。 ちが何歩か離れた時、彼は発作を起こした。それが相当ひどこれは厳しい、しかも整った作品です。もっとも、大変な欠 部かったので、わたしは通行人の助けをかりて、近くの牛乳店点もありますが」と彼は兄への手紙でいっている。ドストエ ーフスキイにいわせれば、彼の運命はこの小説の成功いかん 第へ彼を運ばなければならなかった。やっと意識を回復させた
されて、彼は娘の手を取って接吻した。ヴェーラはさっと顔そうであるように、恋愛はその本能的、心情的、性欲的な牽 をあかくして、《まあ、何をなさいますの ? 》と急に自分の引の性格を弱めて、他のより重要なテーマへ移行する。ムイ シュキンは小説に登場するとほとんど同時に、エバンチン家 手を引きながら、おびえたように叫んだ。間もなく彼女は、 の従僕を相手に、死刑の問題を論じて、裁判によって死を宣 妙に当惑したようなふうで出て行った」 その後、ムイシュキンはエヴゲーニイに、自分はナスター 告されたものの恐怖が、弾丸雨注のもとにある兵士の恐怖に シャに深い同情をいだいてはいるけれども、同時にその顔を十倍するものであることを力説しながら、この制度を極力否 恐れると告白しながら、とっぜん、「ところで、ヴェーラの定して、読者に強烈な印象を与える。それから後に、彼はカ トリッグ教がアンチグリストを説くものであるとし、カトリ 目はまるつきり別です」とつけ加えている。最後の朝、公爵 から七時に起こしてくれと頼まれたヴェーラが、その約東をッグと社会主義の関連を強調し、ロシャ正教のメシャニズム 履行したとき、ムイシュキンは彼女の両手を取り、その手にを力説するのである。 とドストエーフ 接ロしたのち、いきなり額に接勿しこ、 この傾向は「白痴』ぜんたいに貫かれている。全編の筋と しては、恋の情熱につかれたラゴージン、悲劇的な運命を背 スキイは語っている。公爵の悲惨な運命を聞いた時、ヴェー 負ったナスターシャ、恋人を愛しながら苦しめるアグラ ] ラは悲嘆のあまり、病気になったほどである。 これは一応、傾聴に価する意見である。あまりにも狂的なヤ、そのほか病気や外的事情のために奇形化された人々のあ いだにかもし出される、旋風のような事件の中に運んでゆか ナスターシャの自虐的な行動、あやまったプライドのために しかも一編の根本をなす恋愛のテーマは、無数 愛する人を苦しめるアグラーヤ、 ともに自我のつよい女れるのだが、 。しよいよ複雑になってゆ 性に困憊したムイシュキンが、若い娘でありながら、母生愛に生じてくる新しい状態のためこ、、 の権化という感じのするヴ、ーラに ( 彼女はまず最初、幼児き、まったく性質を異にする精神的要求と苦悶、良心の呵 の弟を抱いて公爵の前に現われたのである ) 、最後の安息所責、自尊心のなやみ、等々の問題の中に溶けていって、それ を発見したかもしれぬということは、わたしにも素直にうけ自身としての恋愛のモチーフは、まったく消えてしまうので 品とれるのである。なおロッスキイは、エビローグで互いに文ある。これらの問題の中で、恐ろしいほどのカでうち出され 通をはじめた、ヴ , ーラとエヴゲーニイが、最後に結婚するているのは、肺病の青年ィッポリートによって告白された、 作であろうという想像をつけ加えている。 生にたいする抗議であろう。 『白痴』において、ドストエーフスキイは「しんじっ美しい 『白痴』が一種の恋愛小説であるということは、前にも一言 第しておいたが、ドストエーフスキイの場合にはほとんど常に人間」を描こうと志したが、はたしてこの意図は達成された R
、る読者も、ほとんど最後にいたるまで、スメルジャコフが 示すとおり、悲劇の唯一の女主人公であり、「復活』では力し一 チューシャこそトルストイの名に価するけれども、ネフリュ真犯人であるという、決定的な確証を与えられない。その意 ードフにいたっては、芸術品と認めることができない。それ味において、この長編こそ、最高の芸術作品・思想小説の中 に、推理小説をあざやかに生かした、たった一つの例外とい に比して、ドストエーフスキイにおいては、「罪と罰』のソ ーニヤにしても、人間像としては影の薄い、なかば抽象的存うことができる。ドストエーフスキイは「カラマーゾフの兄 在の感があるし、『悪霊』にあらわれる四人の主要な女性も、弟』において、驚くべき構築の均斉の上に、巧妙をきわめた どれが真の女主人公であるかを決定しがたい。「未成年』の演出法さえも完成したのである。彼が自家の小説作法におい アフマーコヴァも、普通の小説作法の観念からいえば、木偶て、必要かくべからざる一つの要素とした大衆的興味は、こ にひとし い。ただ「白痴』のナスターシャだけは、悲劇の女こにおいて興奮の域にまで高められている。しかし作者は、 こうした大衆的興味を、深遠な哲学思想にたいする糖衣的な 主人公の重みを備えているが、もしムイシュキン公爵という トストエーフスキイの ~ 云 「しんじっ美しい人」がいなかったら、彼女はメロドラマの働きをさせようとしたのではない。・ 女主人公に近いものになってしまったであろう。グルーシェ術の根底をなすものは、比類なきダイナミッグな力であっ て、彼の作品にあらわれた思想は、爆発的なダイナミズムに ンカやカチェリーナについても、同様なことがいえる。 三人の兄弟とその父親、および私生児のスメルジャコフを充ちているが、事件にもそれと同様な力を与えるためには、 入れて、これらの五人を物語の骨格とするなら、その中核「興味」「面白さ」をもって、読者を遮二無二ひきずっていか をなすものは、神はありゃなしやという、一見きわめてプなければならないのである。 リミティヴな、しかも神学・哲学を通じて、最高至難な問題 「カラマーゾフの兄弟』の思想的な面に、深い関連を有する である。しかも、こういう宗教的。哲学的なテーマが、父親 殺しという探偵小説的なストーリーと結び合わされている。人として、同時代のすぐれたロシャの哲学者、ソロヴィョア 「罪と罰』も探偵小説的要素が、作品の主要な魅力になってとフヨードロフの二人にふれないわけにはゆかない。ヴラジ ーミル・ソロヴィョフは神秘主義哲学者として、また詩人と いるが、しかしラスコーリニコフにおいては、彼が犯人であ して、日本でもある程度しられている。彼は自分の見神の体 ることは、最初から読者に明らかにされていて、ただいかに して彼が司直の追及をのがれるかということに、探偵小説験を美しい抒情詩『三つの会見』で述べているが、ドストエ ーフスキイもそれに似た神秘的な経験の所有者である ( ムイ 的興味の大部分がかけられていた。ところが、『カラマーゾ リーロフのロを通して語られた、あの発作直前 フの兄弟』では、純朴なドミートリイの無罪を漠然と感じてシュキンやキ
おいて高度なものとはいわれない。猟奇小説、探偵小説的な ュア化されている。 ものがその骨格をなしている。にもかかわらず、ドストエー アリヨーシャはカーチャの紹介で、急進的な青年のサーク フスキイはその大口マンを低いところからはじめたが、こう ルに出入りしはじめるが、これは明らかに、作者が往年参与 した通俗小説的なものを後日、最高の芸術品にまで高めたのしたベトラシェーフスキイのサーグルを暗示したものであ である。ュージェニ・シューの「パリの秘密』を模倣したよる。大学生、将校、画家、文学者などが、毎週水曜日に集ま 理的・思想的内容を注入して、ついには「罪るが、その中でアリヨーシャは、レーヴィンカとポーレンカ と罰』『カラマーゾフの兄弟』のような不朽の作品を創造すという青年に魅惑される。彼らは全人類にたいする愛に燃え ることに成功した。要するに、この猟奇小説の形式は、ドスていて、現在、未来、科学、文学、プログレス、ヒューマニ トエーフスキイにとって、自分の思想を具体的な形に肉づけズム、言論の自由、きたるべき改革などについて語る。アリ するために、もっとも適当な手段であった、ということがでヨーシャはこういったことを報告しながら、「それなのに、 キ」トでつ。 トビアンだ、などというのですか 人はわれわれのことをユー ついでに、ユージェニイ・シュ ーについてつけ加えておくのらね」と心から憤慨している。 も侃 ~ 駄ではなかろ、つ。ドストエーフスキイは「ヴレーミャ』 ここで面白いことが発見される。ほかでもない、アリョ に掲載した雑録「詩と散文によるべテルプルグの夢』の中シャを魅惑したレーヴィンカとポーレンカは、疑いなく、グ で、次のよ , フにいっている。 リポエードフの喜劇『知恵の悲しみ』に端役として出て来る 「もしわたしカ 、偶然の雑文家でなく、正真正銘な常連だっ レベチーロフの口から紹介される人物である。頭の空つばな たら、ユージェニイ・シュ になりたいと思う。それはペテル 饒舌漢のレベチーロフは、十二月党の蜂起前、モスグワのイ プルグの秘密を書かんがためである」 ギリス・グラブに毎週一回あつまる、急進的なサーグルに出 まさしく彼はこの『虐げられし人々』の中で、その宿願を席して、レーヴォンとポーレンカと知り合いになる。この二 達したのである。 作品を比較してみると、急進的なサークルに関するかぎり、 二言した理想主義にたいする嘲笑は、この小説の中アリヨーシャはレベチーロフの役目を演じているのである。 で、さまざまに形を変えてあらわれて来る。ヴァルコーフス 二人とも革命思想の深い意味は知らないままに、その上っつ キイ公爵が一種の公式として、これを主張するのはいうまでらに雷同して、先進的分子を気取って、うれしがっているの である。レーヴォンⅡレーヴィンカとポーレンカ、この二つ もないが、なおそのほか、アリヨーシャの形象を通しても、 ドストエーフスキイの青年時代における理想主義がカリカチの名前は深い意味を持っている。ドストエーフスキイがおの 2
( 大正年 ) ( 大正年 ) 九月、関東大震災、罹災をまぬがれる。 チ , ーホフ「伯父ワー = 」「かもめ」「三人姉妹」 「桜の園」他二編、ツルゲーネフ「村のひと月」 ( 同Ⅱ ) 十月、東京外国語学校の時間講師 ( ~ 一九二四年三月末 ) となる。 シェフ「嫉妬」 一九ニ四年会「一歳〉この年から労農ソヴェート作家の短編を翻訳、雑誌「世界ゴーリキイ「どん底」、アルツイバー ソログープ「死の勝利」、ザイツェフ「ラーニンの家」 文学』等に掲載。 ( 同 ) 、オストロフスキイ「嵐」 ( 同 ) アンドレエフ「人の一生」 ( 同 ) 、「老いたる城主」 『イスカリオテのユダ』 ( 新潮社《海外小説新選》 3 ) 『トルストイ戯曲全集』 ( 「一切のもと」「酒のはじま り」「光は闇の中に輝く」「文明の果実し岩波書店 アンドレエフ『黒い仮面』 ( 金星堂 ) 一九ニ五年〈三四歳〉一月、三男哲夫生まれる ( 三日 ) 。 十一月、岩波書店から全四巻で「戦争と平和』ではじめる ( ~ 一九『労農ロシャ小説』 ( イヴァノフ「ポーラヤ・アラピ ヤ」、ゾシチェンコ「ヴィグトリヤ・カジミーロヴ 二七年四月 ) 。原稿料でなく、印税計算で翻訳料の支払いを受ける。 ナ」、フェージン「果樹園」、ルンツ「砂漠の中」、 杉並西高井戸に寓居をたてて引越す。 レーミゾフ「まめな看護婦」、エレンプルグ「ばら ピリニャーグ、アメリカの帰途日本にたちより親交結ぶ。『消され 色の家」、イレーツキイ「蜜蜂」、。ヒリニャーグ「谷 ない月の話』のタイプ原稿を渡される。 の上」ザミャーチン「洞窟」 ) 金星堂 築地小劇場で相ついで米川訳台本によって「桜の園』「検察官』「三 『ロシャ歴代名作集』 ( ピーセムスキイ「森の精」、ド 人姉妹』『伯父ワーニヤ』が上演される。 ストエーフスキイ「百歳の老母」、シチ , ドリン「百 * 「十九世紀露西亜文学概観」 (r 世界短編小説大系露西亜編〈上〉し 姓が二人の将軍を養った話」、 トルストイ「壺のア * 「十九世紀末より二十世紀初頭に亘る露西亜短編小説概説」 ( 同 〈下〉 ) 近代社 リヨーシャ」他一編 ) ( 近代社《世界短編小説大系》 露西亜編〈上〉 ) 「ロシャ近代及労農作家傑作集』 ( クープリン「麻疹」、 シュメリョフ「甘い百姓」、ゾズー 丿ャ「女泥棒」 他八編 ) ( 同〈下〉 ) グリポエ ードフ『知恵の悲しみ』 ( 近代社《古典劇大 系》 ) プーシキンポリス・ゴドウノフ』 ( 同 )
ン、ポレヴォイの『ロモノーソフ伝』などであった。文学的を、非常な興味をもって読了したことも覚えている。ところ記 な著述の中では、デルジャーヴィン ( ことに詩「神し、ジで、カラムジンのロシャ歴史は、彼の座右の書となってい = コーフスキイの翻訳ものの散文、カラムジンの小説『哀れて、何も新しいものがない時には、彼はいつもそれを読んで なるリーザ』「マルフア・ポサードニツア』、それから「ロシ いた。そのころ発刊された雑誌『読書文庫』も、わたしたち ャ旅行者の書簡』、プーシキンのものは主として小説を読んの家へ姿を現わした。今でもまざまざとこの雑誌を覚えてい だ。その後、『ューリイ・ミロスラーフスキイ』「氷の家』『近るが、毎月表紙の色が変わって、その片隅がめくれたような 衛兵』などという長編や、『ホルムスキイ一家』なる感傷主意匠になっており、そこに寄稿者である作家たちの名が印植 義の小説、それからカザーク・ルガンスキイの寓話なども読してあった。この雑誌はもう兄二人の専有になってしまっ んだ」 た。両親はてんで読まなかった。わたしが当時兄の読んでい 「兄フヨードル自身の言葉によると、彼は紀行類を熱愛し た若干の文学書の名をあげたのは、ほかでもない、こうした て、そうした読書の影響で、ヴ = = ス、コンスタンチノープ書名や著者の名前を、まだ子供であったわたしが覚えたの ルなどを訪れることが、彼の燃えるがごとき空想の対象とな も、まったく兄フヨードルのロうっしにほかならぬからであ った。概して東方の国々は、強く彼の空想をとらえたのである。概して、兄フヨードルはどちらかというと、まじめなも る」 のを好んで読んだが、兄ミハイルはそれと異なって、詩のほ 「兄たちは、ひまな時にはいつも本を読んでいた。兄フヨー うが好きで、塾の上級生の頃には、自分でも詩を書いていた ドルの一于には、よくウォルター・スコット、 『クウエン ( 兄フョ ードルは、そういうことはしなかった ) 。しかし、二 チン・ドルワード』や『ヴ = ヴァーリイ』が見受けられた。人はプーシキンで和睦した。二人ともどうやら、ほとんど全 うちには家蔵の本があ 0 たので、兄はぎごちない古くさい翻部暗唱していたらしい ( もちろん、たまたま彼らの手に入 0 訳をものともせず、一再ならずくり返し読んだのである。プたものだけである。なぜなら、プーシキンの全集はその当時 ーシキンの全著作も、そういうふうにくり返し、巻き返し読まだなかったからである ) 。なおつけ加えておかなければな まれたのである。兄フヨードルはナレージスイの小説も好きらないが、プーシキンはその頃まで現代の人で、彼のことに で、とりわけ「宗教学校生徒』は一度ならず読み返された。 ついては、現代詩人というところから、大学の講壇でもあま その当時、兄がゴーゴリのものを何か読んだかどうか、正確り講義されなかった。したがって、学校でも教師の要求で、 に己憶していないので、それについてはなんともいうことが彼の詩を暗唱するというようなことはなかった。プーシキン できない。同様に、彼がヴェリトマンの長編『心と思い』 の権威はその当時、学校の教師の間でも、ジュコーフスキイ
った。一八六五年一月、彼は妻の姉ヴァルヴァーラに宛てかっての「ヴレーミャ』にまで漕ぎつけるために、必死の努 て、「マリヤ・ ト丿エヴナはしじゅう死ということが力をしなければならなかった。彼は兄に『文学年代記』と称 念頭を離れないで、ふさぎ込んでは、絶望に陥るという有様する欄の創設を建議して、「「現代人』の理論家たちの理論主 です。神経が極度にいら立って、全体にマッチの棒みたいに義とファナチズムを扱った素晴らしい論文を書き : : : チ、ル ヌイシェーフスキイの「何をなすべきか』の批評も試みる」 やせてしまいました。恐ろしいことです ! 見ていても苦し ことを約東している。しかし、それは結局、書けなかった。 くてたまりません」と報告している。 というのは、彼が評論家でなく小説家だったからである。 一方、雑誌の再刊も遅延に遅延を重ねた。いったん通過さ せた論文を禁止しなければならぬはめになったため、検閲当で、論文の代わりに、作者のいわゆる奇妙な小説『地下生活 ハ』の ~ 羽・ ストエーフ者の手記』を書きはじめ、その第一部を「エホー 局の態度は頑迷に近いほどになり、ミハイル・ド スキイの提出する新しい誌名をいちいち却下した」『プラヴ号に載せた。これは「現代人』の理論家たちに対する挑戦の ダ ( 真実 ) 』が最も有力であったが、これは検閲の目から見てプランと、小説とを一つに融合したようなものである。第一 部は、主人公である変人の饒舌の形を借りた信条告白で、チ 当てこすりのように思われて、不許可になった。「ジェーロ エルヌイシェーフスキイのユ ートビア小説『何をなすべき ( 事業 ) 』その他の題名も同様に見られて、最後に『エボーハ ( 時代 ) 』が許可になった。この外来語の表題は編集部でも反か』の批判の使命を帯びている。これはドストエーフスキイ 対が多かったのだが、いかんともしようがなかった。はたしの創作において、根本的な転換のポイントとなった重要な作 品で、ジードはこれをもって「ドストエーフスキイの芸術を て読者の中には「エボハー』と発音するものがあったり、『エ ホー ( こだま ) 』と取り違えたりするものがあって、その点か 解く鍵」と称したほどであるが、これに関する詳説は作品研 らしてまず第一のきが待ちかまえていた。こうして雑誌刊究に譲る。第一部も觜吟の結果から成ったものであるが、第 二部はさらに苦しい状態で稿を進めなければならなかった。 行は、一八六四年の一月からという許可が下りたけれども、 彼自身の癲剩の発作のほかに、マリヤの病気がいよいよ絶望 さまざまな事情に妨げられて、新聞に近刊予告が出たのは、 涯ようやく一月三十一日で、いよいよ創刊号が一・二号合併の的になったのである。モスグワから兄に宛てた手紙で、こう 書いている。 形で出たのは、三月も末の頃であった。これで満足に予約購 ツルゲーネフの「幻』一編「ばくのありとあらゆる苦しみは、今や堪えがたいまでにな 生読者を獲得できようはずがない。 部をもって頽勢を救おうなどということは、及びもっかぬ話でって、もうその話をしたくないほどです。妻は死にかかって います、文字どおりに、あれの死を待っ瞬間が、毎日のよう 第ある。それだけに、ドストエーフスキイは『エボーハ』を、
ドストエーフスキイ兄弟、大伯父のモスグワ大学薬物学教授 = ーソフ ) の塾に通学。夏、スコットの全作品を読む。 ワシーリイ・ミハイロヴィチ・コテリニーツキイにかわいが一八三四年 ( 一三歳 ) トルの二兄弟、レオンチイ・・チェ られ、祭日にはノヴィンスキイ近辺の見せ物小屋にしばしば秋、ミハイル ルマーグのモスクワ寄宿学校に入学。 連れて行ってもらう。民衆演劇に興味をおばえる。読み書き 一八三五年 ( 一四歳 ) のテキストに使われた旧約・新約聖書物語集、なかんすく、 トルコと開戦。 三女アレグサンドラ誕生。 ョブ記に感銘。ベルシャと講和。 八三六年 ( 一五歳 ) 一八ニ九年 ( 八歳 ) 夜毎、母親の朗読するアン・ラドグリフ ( イギリスの女流作教師の感化によりプーシキンに熱中。母マリヤの肺患昻進。 八二三 ) の幻想的な怪奇冒険小説に魅惑一八三七年 ( 一六歳 ) 家。一七六四ーーー一 一月二十九日、プーシキン、決闘でたおれる。ドストエーフ される。次女ヴェーラ、三女リポーフィの双生児誕生。 スキイ、一カ月後に訃報を知る。二月二十七日、母マリヤ死 トルコと畊和。 ュポーフィは生後間もなく死亡。 去。三月一日、ラザレーフスコ工墓地に理葬。五月、エ兵学 八三一年 ( 一〇歳 ) 父ミハイル、トウーラ県カシーラ郡ダロヴォ工 ( モスグワ校入学のため兄ミハイルとペテルプルグにおもむく。コスト ] ドル、初めて田マーロフの予備校に入学。夏、エ兵学校生グリゴローヴィチ から約百五十キロ ) に領地を購入。フョ 園生活を知る。八月、プルイコヴォの森のはすれで百姓マレと知り合う。父の年少の友シドローフスキイとも相識とな 百姓マレイ』作家の日記』一八七六年二月〉の . モデり、以後工兵学校在学中に深い影響を受ける。・サンドの ル ) と出会う。シルレルの『群盗』観劇。モチャーロフ ( 大小説『ウスコグ」を読み、一晩中熱に浮かされる。怪奇小説 に関、いをいだき、とくに、アン・ラドグリフ派に傾倒する。 悲劇役者。一八〇〇 ~ 四五 ) に感銘。四男ニコライ誕生。 「ヴェニスの生活に取材した長編小説」を書く。九月、父ミ 八三ニ年 ( 一一歳 ) ハイル退職、領地に蟄居。 譜春、父ミハイル、ダロヴォ工の隣村チェルマーシニヤをもあ 年 八三八年 ( 一七歳 ) わせて手に入れる。買収後間もなく出火、両村灰じんに帰一 、にこの時一月、陸軍中央工兵学校に入学。兄ミハイルは身体検査の誤 スす。『カラマーゾフの兄弟』「餓鬼」の章 ( 九のノ ) 一の印象が語られている。 診で不合格、レーヴェルへ行く。以後四七年夏まで兄弟の重 工 要な文通がつづく因となる。フランス人文学教師ジョゼフ・ 八三三年 ( 一二歳 ) ス ホフマ グールナンの授業に感銘。・ハルザック、ユーゴ 中学入試準備のためフランス人スシャール ( ロシャ名ドルシ ? 07
米川正夫略年譜・翻訳年表 一九五一年〈六 0 歳〉一月、早稲田大学文学部教授となる。 ( 昭和年 ) 七月、日本。シャ文学会創立、副会長に選出される。 * 「イーゴリ軍譚研究」 ( 一 ) 綜合世界文芸』Ⅲ ) 早稲田大学文 学部 * 「ドストエーフスキイ入門』 ( 《市民文庫》 ) 河出書房 * 「トルストイの文学』 ( 《教養叢書》 ) 実業之日本社 一九五ニ年〈六一歳〉宝生流の謡をたしなむ文筆家の会「宝文会」が有島生馬を 中心としてつくられ、これに参加する。 * 「イーゴリ軍譚研究」 (ll) ( 『綜合世界文芸』Ⅳ ) 早稲田大学文 学部 「イヴァンの馬鹿」「人は何で生きるか」「悔い改む る罪びと」「三人の息子」他九編 ( 創元社《全集》 ) 「陣中にモスグワの知人と邂逅するの記」他一編 ( 同 3 ) 「アンナ・カレーニナ』 ( 同Ⅱ ~ ) ドストエーフスキイ「夏象冬記」 ( 河出書房《全集》 ) 「九通の手紙に盛られた小説」「ポルズンコフ」「弱 い心」「主婦」 ( 同 3 ) 「白夜」「グリスマスと結婚式」「正直な泥棒」「初 恋」「人妻と寝台の下の夫」 ( 同 4 ) ドストエーフスキイ「いやな話」「鰐」 ( 河出書房《全 集》 7 ) 「ネートチカ・ネズヴァーノヴァ」 ( 同 2 ) エレンプルグ「女優」 ( 真理社「ソヴェト小説集し ツルゲーネフ「春の水』 ( 河出書房《市民文庫》 ) ゴーゴリ『鍛冶屋と悪魔」 ( 「国書紛失物語」を含む ) 小峰書房 トルストイ「十二月党員」「ポリワーシカ」「三つの 死」他三編 ( 創元社《全集》 5 ) 、「パン」 ( 同 ) 、 「少年物語」 ( 冂 《個人訳ドストエーフスキイ全集 ( 全一八巻 ) 》 ( 河出書 房 ~ 一九五三年 ) レスコーフ「封印された天使』 ( 付「マグベス夫人」 ) 新潮文庫 トルストイ「苺」「神のわざと人のわざ」「主人と下 男」他四編 ( 創元社《全集》 ) 、「自伝小説」 ( 同 Ⅱ ) 、「セルゲイ」「母の手記」「ホディンカ」他五編
ライマッグスは、完全にロスターネフの勝利であって、オビ これにつづいて発表された『スチェパンチコヴォ村とその ースキンは邸から雷雨の中へ突き出される。しかし、善良そ 住人』は、同じく喜劇的な構成の上に築かれた作品でありな がら、『伯父様の夢』をはるかに凌ぐ名作である。モスクワのものである大佐は、一時の憤激の発作を悔いて、オビース 芸術座によって脚色上演されたことは、前に述べたとおりでキンを連れ戻す。オビースキンも今までの地位を保持できな のを悟って、「一同の幸福の因となる」のである。カタス あるが、これはまさしく古典喜劇の法則によって構成されてい トロフは雷雨で強調され、めでたい大団円は雨上りの美しい いる。まず筋の根本と、登場人物を説明しておいて、二つの 劇的シチュエーションの中に事件を発展させ、舞台効果に富タ晴れの空によって象徴されている。雷雨のシンポルは、こ んだカタストロフを爆発させた後に、めでたしめでたしの大の作品のフィナーレに大きく働いていて、その最初の徴候、 団円で結んでいる。しかも、三一致の法則さえ守られて、事襲米、爆発、タ立あとの燦々たる太陽、ーーすべて劇の発展 と解決に並行しているのである。 件はすべて同じ場所で、わずか二日間に凝集されている。な し、つまで 「スチェパンチコヴォ』の最もおもなる主人公は、、 おその上に、テーマもモリエールの『タルチュフ』に酷似し もなくオビースキンであり、この小説の価値を高めて、独自 ているにおいてをや、である。『スチェパンチコヴォ』のタ ルチュフは、オビースキンである。彼はロスターネフ大佐のなものとしているのも、やはりフォマー・オビースキンであ 食客でありながら、母夫人が自分を崇拝に近いはど信頼してる。優れた作家であり、批評家であるトウイニャーノフは、 いるのを利用して、信仰と善徳の仮面を被りながら、暴君のその著「ドストエーフスキイとゴーゴリの中で、興味ある ごとくふるまって、恩人である大佐を苦しめる。彼はこの劇研究を発表している。ドストエーフスキイの初期の作品は、 の主役でありながら、読者の期待を極度に緊張させておいたすべてなんらかの意味で、ゴーゴリの魔力に縛られていない ものはなかった。しかも、それと同時に、彼はその呪縛から 後、はじめて第一編の第七章になって登場する。ドストエー フスキイはかって一度も戯曲を書かなかったけれども、小説のがれようと、懸命の努力をつづけたことは、前にも述べた とおりである。 の形によるドラマトウルギイの、なんと巧妙を極めているこ 『スチェパンチコヴォ』は、ドストエーフスキイが自分のゴ と ) かー ーゴリ時代に終止符を打とうという、最後の試みであると見 この小説にはグライマッグス、すなわち二つの衝突があっ オビースキンとロスターネフることができる。彼はおのれの師ゴーゴリを完全に克服しょ て二つとも二人の主人公、 , っとして、オビースキンの中に思いきったカリカチュアをあ の間に生ずる。はじめの場合は後者の勝利であるかのごとく 見せながら、実は前者の凱歌で終わるのである。二度目のグえてした。この取るに足らぬ偽善者も、ゴーゴリとおなじく