ルメラードフ一家の物語が、ラスコーリニコフの物語に合流債権者との格闘は、彼の「精神と心情を掻きむしり、幾日 されたのである。とまれ、初めの間、この仕事は調子よく進 間か気分をめちやめちゃにしてしまう」のであったが、その められた。彼はヴランゲリに宛てた手紙に、「ところで、 うえ、持病の癲細に悩まされなければならなかった。外国旅 まばくの書いている中編は、これまでばくの書いたものの行中はほとんど発作に見舞われることがなかったのに、帰っ 中で、おそらく最もよいものになるでしよう、ただしそれをて来ると、まるで「外遊三か月間の空白を取りもどそうとし 完結する時日を与えられたならばです」といっている。しかているかのよう」であった。のみならず、新しい肉体の貴苦 し、ペテルプルグへ帰ってから、彼は「罪と罰』の主題が、 が加わった。それは痔疾である。彼はヴランゲリに、「兄は 最初に考えたような一人称の中編形式では整理しきれないこおそらく、この病気については概念を持っておられず、その とを発見し、それまでに書いたい っさいを犠牲にし、はじめ発作がどんなものかということも、ごぞんじないでしよう。 から書き直そうと決心した。一 八六六年二月、おなじヴラン もうこれで足かけ三年、年にふた月、二月と三月に、ばくを ゲリへ宛てた手紙で、彼はこう報告している。「ばくはまる 脳ます ~ 辭がついてしまいました。しかも、ど、フでしよ、つ。ば で懲役人のように、仕事と首っ引きしています。これは例のくは十五日間も ( ! ) 長いすに臥ていなければならず、十五 『ロシャ報知』にやる長編で、全体が六編に分かれています。日間ペンを手に取ることができないのです。いまばくは十五 十一月の終わりにはずいぶん書けていて、できあがっていた 日間に、印刷にして五台分を書かねばならぬはめになってい のですが、ばくはぜんぶ焼いてしまいました。今ではこのこます ! 全体の機能からいって完全に健康なものが、たたた とを自白してもいいのです。新しい形式、新しいプランが、 だ痔の痙攣のおかげで、立っていることもすわっていること ばくを夢中にさせてしまったので、また初めからやり直しまもできないために、臥ていなければならないとは ! 」と訴え した。いま昼も夜も仕事をし通していますが、それでもあまている。 りたくさんできません。胸算用してみると、ばくは毎月、印 「罪と罰』の第一編は「ロシャ報知』の一月号に掲載された 刷で六台分「ロシャ報知』に届けなければなりません。これが、続稿の執筆はまだ長いこと作者の緊張した労作を要求し 涯は恐ろしいことです。もし精神の自由があったら、それもでた。しかし、「現代人』が故意の悪評を掲載したにもかかわ きたはすなのです。長編小説というものは詩的な仕事で、そらず、最初の部分は圧倒的に大衆の支持を受けた。この成功 生れを書き上げるには精神の安静と想像力を要します。ところは大いに彼の気力を昻揚させた。一 八六六年の四月、彼はヴ こう書いている。 部が、ばくは債権者に苦しめられています。というのは、監訣ィースく ーデンの司祭ャヌイシェフに、 第へぶち込むといって脅すのです」 「ついでに申し上げますが、小生の長編は大へんな当たりで、
え、なかば憤懣の語気を洩らしていたものである ) 。しかし、 自分の小説を買いに来たということを、どう解釈したらいい胸 カトコフはそれを承諾する決心がっかす、あいまいな態度のだろう ? ネクラーソフをはじめ、シチェドリン、ミハイ をとって、いつまでも快答を与えなかった。ドストエーフス ローフスキイなどが右翼化したということはあり得ない。そ キイは侮辱されたような、不安な気持ちでペテルプルグへれならば、自分の小説が、商才に富んだネクラーソフの目か 帰って来た。すると、ちょうどそこへ幸福な偶然が訪れたのら見て、『祖国雑誌』の予約購読者を増す力を持っているの である。ある日の正午、思いがけずネクラーソフが、ドスト かもしれない。ドストエーフスキイはいつまでたっても、自 エーフスキイの住居をたずねて来た。彼を世に出したいわば分が世界的な文豪であるという自信を、しつかりと身につけ 恩人であるとともに、間もなく彼を誹謗し、長く彼を敵としることができなかったのである。何にしても、最初の推奨者 て戦ったネクラーソフの訪問は、一種の謎として夫婦のもであるネグラーソフのこの申し出は、ドストエーフスキイに のから受け取られた。が、その用件は意外なもので、『祖国とってうれしくないはずはない。まして、「ロシャ報知』が 雑誌』のために長編を連載してまし、 冫し、ということであっ承諾を渋っている、一台分二百五十ループリを、『祖国雑誌』 が進んで提供しているにおいてをや、である。しかし、ドス ここで断わっておかなければならないことがある。かって トエーフスキイは即答を躊躇した。というのは、『ロシャ報 ネクラーソフの編集していた「現代人』は、一 八六六年、カ知』に関する考慮であった。カトコフは長い年月にわたっ ラコーゾフのアレグサンドル二世暗殺未遂の事件が勃発し、 て、彼の危急を救い、自分勝手な要求を寛大にいれてくれた 弾圧政策が激化したために、進歩派と見なされていた「ロシのであるから、カトコフに無断で新作長編を他誌に渡すこと ヤの言葉』などとともに、廃刊を命じられた。それから二年はできない。そういうわけで、一応『ロシャ報知」に相談し そ、つい、つドストエーフスキ たって、グラエーフスキイの経営していた「祖国雑誌』が不てからのことにしてほしい 振に陥ったので、ネクラーソフはその権利を買い取って、か イの言葉を、ネクラーソフは快く受け入れた。「ロシャ報知』 っての「現代人』に代えたのである。ついでにいい添えておはちょうどその時、トルストイの「アンナ・カレーニナ』を くが、ネグラーソフは優れた詩人でありながら、商魂たくま契約したばかりだったので、ドストエーフスキイの申し出を しい実業家でもあったのである ( 『作家の日記』一八七七年十一一辞退した。こうして彼の長編の中の異色編が『祖国雑誌』に 月『ネクラーソフの死』参照 ) 。 掲載されることになった。このことを聞いた」子、永年の「同 この申し出はいろいろの意味で、ドストエーフスキイを驚志」であったマイコフやストラーホフは、ドストエーフスキ かした。長いこと敵だとばかり思っていたネクラーソフが イの裏切り行為として、憤慨したという話である。
が好きなのです。わたしはどっしりかまえて暮らす人種には るマリヤ・ニキーチシナという、お転婆で皮肉屋の娘は、リ 不向きなのです : : : わたしは確信していますが、過去現在を ュプリノで〈ったマリヤ・セルゲエヴナという娘をモデルに したとのことである。イヴァーノフの別荘では、若い人たち通じて、わが国の文学者のうちだれ一人として、わたしが常 が諺遊びをしたり、鬼ごっこをしたり、一人の令嬢はビアノに置かれているような条件のもとで、作品を書いたものはあ りません。ツルゲーネフなど、そんなことを考えただけでも の伴奏でロマンスを歌ったり、野外劇を演じたりなどした。 ある測量学校の生徒の追憶によると、あの時ドストエーフス死んでしまうでしよう」。しかし、この桁はすれの仕事は、 リュプリノでは実現せられず、ドストエーフスキイは「罪と キイは、「ハムレット 』のパロディで、王の亡霊の役を演じ たが、そのころ非常なご機嫌で、いつも何か鼻歌をうたって罰』の第五編を書きつづけ、ステローフスキイに与える中編 いたとのことである。ここで彼はハイネの詩を作曲したロマは、ただ腹案を練るばかりであった。 ペテルプルグへ帰ってからも、ドストエーフスキイは「罪 ンス、 "Du hast Diamanten und Perlen" ( なれはダイヤと 真珠とを持っ ) を聞いて、それをさっそく「罪と罰』の中へと罰』の続稿に追われて、ステローフスキイのための中編に は、筆を染める暇がなかった。とうとう、十月の一日、彼は 取り入れた。マルメラードフの妻カチェリーナが発狂して、 ミリュコフの勧めに従って、速記の力をかりることにしこ。 これを往来で歌うことにしたのである。 とはいうものの、ドストエーフスキイは決してこの楽しい速記学校の校長オリヒンは、優秀な生徒であるアンナ・グリ ー丿エヴナ・スニートキナをさしむけることにした。モス 卍園生活で、ゆっくり休息しようなどという気は、もうとうゴ もっていなかった。十一月いつばいに新作の中編を書いて渡グワのかなり裕福な商家の娘で、当時十八歳のスニートキナ すという、ステローフスキイとの契約のことが、しばしも念は、高名な作家に親しく接することができるという喜びと、 頭を去らなかったのである。彼はかっての恋人アンナ・コル自分の速記の腕が認められたという誇りに胸をふくらましな がら、四日の昼まえ、ストリャールヌイ ( 指物 ) 横町アロン ヴィン日グルコーフスカヤに宛てた七月十七日付の手紙に、 こう書いている。「わたしは前代未曾有の、桁はずれの仕事キンの持家十三号に住む、ドストエーフスキイを訪れた。彼 をしようと思っています。というのは、二つの別々な長編の女はその回想記の中で、その時の印象をこう書いている。 「彼は見るからいらいらしている様子で、なかなか考えをま ために、四か月に印刷して四十台ぶん書こうというのです。 生そのうちの一つは朝、もう一つは晩に書いて、期限までに仕とめることができなかった。わたしの名前をたずねて、すぐ エヴそれを忘れたり、立ちあがって部屋の中を歩きまわったりし 部上げるつもりです。ねえ、善良なアンナ・ヴァシーリ 第ナ、わたしは今日までも、そうした異常な、桁はずれの仕事た。そして、わたしのいることを忘れでもしたように、長い 745
創作欲の烈しさは、驚嘆すべきものである。三つの中編と一一よって彼の作品が不健康な、病的なものであると断定するこ とは許されない。人間の精神において、何が健康であり、何 つの長編、その中の一つは現に執筆中だという ! ( この頃、 彼は読み書きを許されたのである ) 。彼が獄中で書き上げたが病的であるか、といったような議論は後まわしにして、筆 短編、あるいは中編「初恋』は、ドストエーフスキイとして者は七月十八日付の手紙に書かれた一句、「もう間もなく三 は珍しく明るい、喜ばしい光に充ちた、愛すべき作品であか月になります : : : この夏は青い葉を見ることができないか る。これは闇の中から光明を慕った作者の心理の反映とも見もしれません」に注意を向けたい。この一句は、イヴァン・ カラマーゾフの「青々とした粘っこい若葉」にたいする愛着 られれば、政治犯人として獄裡につながれている身として、 できるだけ無邪気な主題を取り上げたほうがいいという、実を連想させる。生命の象徴ともいうべき青々とした粘っこい 際的な考慮もそこに働いていたかもしれぬ。また逆に、作者若葉にたいするこの愛着が、真に不健康な、病的な作家に、 が現在の憂悶に反抗するために、自分の精神をなるべく明るかくも根づよく宿るであろうか ? ドストエーフスキイは創作熱につかれたら、人生のいっさ 楽しいものに集中したかった、とも想像ができる。しか し、そんなことより、彼が獄中にあってさえ、創作の熱に取いを忘れてしまう。同じく兄にあてた九月十四日付の手紙 に、「ばくはまるで空気ポンプの中に入って、そこから空気 りつかれて、自己を消耗しないために、その衝動を抑えなけ ればならなかった、ということである。彼が要塞から兄に宛を吸い出されているような気がします。ばくの内部にあるも てて出した第二の手紙に、次のような一節が読み取られるのは、みんな頭へ行ってしまい、頭にあるものは思索に化し ( 八月二十七日付 ) 。 ていく : : : 読書は大海の一滴とはいえ、なんといっても助け になります」と書いているが、これによっても、彼の倉作意 「とくに夜になると、感受性が強くなってきます : : : 自分の 下の床が揺れるような気がして、自分の部屋にすわっていな欲のなみなみならぬ烈しさが理解されるではないか。 創作のための空想にとって、「読書は大海の一滴」といい がら、汽船のキャビンにいるような思いです。それから結論 ながら、彼はたえず兄に書物や雑誌の差入れを頼んだ。彼が するのですが、ばくは神経衰弱になっています。以前そうい 誓う神経的な状態になると、ばくは書くためにそれを利用した獄中で読んだのは、「祖国雑誌』、シェイグスビア、新旧約 トミートリイ・ロストーフスキイ ものですが : : : 今では控えています。自分をすっかり台なし聖書、聖地紀行二種類、聖・ 生 にしてしまいたくないからです」 の著述、ロシャ作家の書物四巻、ダーリ三巻、『カザック・ 部 これは非常に重要な告白であって、ドストエーフスキイのルガンスキイの物語』、サーハロフの『ロシャ民話』などで スト 第創作の根底を一小するものといえる。しかしながら、それにある。「祖国雑誌』が許されているところを見ると、ド
れられたけれども、キ要な部分は未開拓のままであった。結 局、ドストエーフスキイは後者を選ぶことに決めた。しか し、『偉大なる罪人』のノートが「未成年』に利用された部分 は、きわめて僅少である。それらを拾ってみると、第一に 主人公が私生児であって、幼年時代を他人の家庭ですごし、 そののち父の家へ帰って、われともなしに家庭内のドラマに 一八七四年の春、ドストエーフスキイはネグラーソフの編引き込まれることである。第二に、ノートの主人公も未成年 集する「祖国雑誌』のために、翌年の一月から新しい長編をもトウシャール ( ノートではスシャール ) の塾で学び、第三、 掲載することを約東した。長いあいだ反目の状態にあったこおなじように旧友のラン・ヘルト ( ノートではアルベルト ) の旧友から、新作の依頼を受けたということは、ドストエー遭遇する。そして、偉大なる罪人の父がアルフォンスキイと フスキイにとって意外でもあったが、同時に喜びでもあっ呼ばれているのにたいして、ランベルトの情婦の名が、アル た。しかし、彼はその長編のために、、 しつまでもテーマを決フォンシーヌというのである。しかし、重要なのは、こうし 定することができなかった。彼は「グラジダニン』の仕事でた外面的な事情ばかりでなく、「未成年』の主人公が偉大な 身心を消耗しつくして、この年の三月に退職した後も、しばる罪人から、自分の理想を継承したということが、二人を直 らく創作の意欲をもり返すことができなかったのかもしれな接につなぎ合わすのである。「偉大なる罪人の生涯』は、い い。八月一日エムスから妻へあてた手紙に、「わたしはここきなり冒頭から、「富の蓄積」という言葉からはじまるが、 で小説のプランを二つこしらえたが、、、 とちらに決めたものか未成年アルカージイもロスチャイルドとなることを理想とし 思案がっかない」と訴えている。二つのプランの中の一つている。偉大なる罪人は誇りの強い青年で、権力を渇望し、 は、おそらく『白痴』を構想中に彼の頭に浮かんだ、少年を結局、金をいっさいの根底とする。金さえあれば、「すべて 中心とする物語であったと推測すべき根拠がある。もちろは自然にやって来る。金はすべての問題を解決してくれる」 ん、ムイシュキン公爵が一群の少年の指導者となるはずであという確信に達するのである。 った。少年の純真な心を通して、大人の世界を批判しようと しかし、「悪霊』において、突如スタヴローギンが出現し 作いうのである。もう一つのプランは、これもやはり過去にさて、ヴェルホーヴェンスキイのために用意された主人公の地 つみびと 部かのばって、「偉大なる罪人の生涯』のノートを利用するこ位を奪ったのと同様に、「未成年』の場合においても、作者 第とであった。これは、部分的には、『悪霊』の中へも取り入 がこの長編のプランを練っているあいだに、アルカージイの 第十三章未成年
イ一統で終わりを告げていなかったのです。ところが、そこの長編の単なる付属物であって、中心はスタヴローギンに移 っていることを、見抜く力がなかったのである。この中の一 で福音使徒ルカの証明したことが起こりました。悪霊が人間 に取りついて、その数は無数でした。彼らは主に許しを乞う章『チーホンの庵室にて ( スタヴローギンの告白 ) 』が、道徳的 て、願わくば豚の群れに入らんことを許せといったので、主の問題で、『ロシャ報知』に掲載を拒絶されたのは、周知の はそれを許しました。悪霊は豚の群れに入ったところ、全部事実である。 ドレスデンでの挿話として、アンナが自分のほうから、夫 が崖から湖へ飛び込んで、ことごとく溺れてしまいました にルレットを勧めたことを、ここにつけ加えておこう。一 ロシャでもちょうどそれと同じことが起こったのです。 悪霊がロシャ人の中から出て、豚の群れ、つまりネチャーエ七一年の三月十八日、ドストエーフスキイは、ストラーホフ に宛てて、こんなことを書いている。「小生はしばらく病気 : などに入ったのです。その連中は溺れてしまったし、 していましたが、何より癲癇の発作の後で、気が鬱していた さもなくば、間一いなく溺れてしまうでしよう。ところで、 悪霊が離れて癒った男は、イエスの足もとにすわっていまのです。発作が長いことなかった後で、とっぜんどっと襲っ す。それは当然そうあるべきだったのです。ロシャは、無理て来ると、なみたいていでない精神的なふさぎの虫がやって に食べさせられたいやらしいものを、吐いてしまいました。来るのです。もとはこの気鬱症が発作のあと三日ばかりつづ いたものですが、今は七、八日もつづきます」。アンナも三 もういうまでもなく、その吐き出された悪党どもの中には、 ロシャ的なものなど、何ひとっ残っていません : : : おのれの度目の妊娠で気がいらいらし、夜も寝られないありさまだ ったので、夫の神経と衝突するのがたまらなかった。で、彼 国民と国民性を失ったものは、父祖の信仰も神も失ってしま ーデンへ、ルレットをや います : : : これが小生の長編のテーマなのです。それは『悪女は最後の手段として、ヴィース・ハ ドストエーフス 霊』という題で、その悪霊が豚の群れに入った物語なのですりに行くように勧めたのである。ところが、 、こ决まっていまキイはすってんてんに負けてしまい、絶望のあまり、よる夜 が、申すまでもなく、小生の仕上げはまずしを、 す。小生は芸術家というより、むしろ詩人ですから、いつも中、ロシャの司祭をさがしに駆け出した。懺悔したかったの 湃力に余るテーマを取り上げるのです。そういうわけで、だめである。案内を知らぬ暗い通りで、彼は正教の教会らしい寺 を見つけた。入ろうとすると、それがユダヤの教会だと教え にしてしま , フでしよ、つ」 生『悪霊』は一八七一年の初めから、「ロシャ報知』に連載さられた : : : その夜おそく、彼は妻にこう書いている ( 一八七一 部れはじめた。この長編が進歩派の人々から、烈しい非難を浴年四月二十八日付 ) 。「アーニヤ : : : わたしのことを気ちがいだ : ほとんど十年もわたしを苦しめて 」がこと思わないでおくれー 第びせられたのは当然であるが、彼らは「パンフレット
作家としての小生の名声を上げてくれました。小生の将来は くとも小生にとって、骨の折れることと、気のくさくさする 全部を挙げて、この長編をうまく完結させることにかかってことからいって、新しい章を三つ書くくらいの仕事でした。 います」 しかし、小生は書き直して渡しました。ところが、困ったこ ところが、かの有名なソーニヤの部屋で、ラスコーリニコ とには、その後リュビーモフに会わないので、編集の連中が フが聖書を読んで聞かせてもらう場面を、『ロシャ報知』へ満足したか、それとも自分たちで勝手に改竄するつもりかど 送ったところ、カトコフも、編集長のリュビーモフも、この うか、それがわからないのです」。改竄した章を送るとき、 章の掲載を拒んだ。その理由は、そこに不道徳な匂いがする トストエーフスキイは、「今度こそ折り入ってお願いです。 から、「善と悪」とをはっきりさせてくれ、というのである。 後生ですから、あとは今のままにしておいてください」と懇 リュビーモフに宛てたドストエーフスキイの手紙には、こう願しているが、カトコフはそのままにしてはおかなかった。 いう言葉が読まれる。「善と悪とは最大級に区別させてあり 「ソーニヤの性格と行為に関する部分」を数行けずってしま ますから、それを混同して、歪曲した意味で利用することは ったのである。ドストエーフスキイは『罪と罰』を単行本と 不可能ですーー・貴兄のいわれたことは、ことごとく実行しまして出版する際、この章を復元しなかったので、聖書朗読の した。何もかも区別し、境界をつけましたから、もうはっき場面が、初めいかなる「色彩』を与えられていたのか、永久 りしています。聖書の朗読には別の色彩をつけました : に知る由もない。これは研究者にとって大きな遺感事といわ この件について、ドストエーフスキイはミリュコフへの手紙なければならない。 で、次のように報じている。「この章については、貴兄に何その年ドストエーフスキイは、妹のヴェーラ・イヴァーノ ひとっ申し上げることができません。小生は真のインスビレヴァの領地リュプリノ、モスクワに近い田舎で夏を過ごし しものにな ーションにかられて書いたのですが、あるいは拙、 た。ヴェーラの夫のイヴァーノフは医師であったが、後に書 ったかもしれません。しかし、彼らが問題にしているのは、 かれた中編『永遠の夫』を読んでみると、そこに描写されて 文学的価値ではなくて、道徳的であるか否かの危惧なので いるザフレビーニンの家庭は、リュプリノで受けた印象にも す。この点に関しては、小生間違っていませんでした。道徳とづいて書かれたことが、たやすく想像されるのである。 に反するようなことは、何ひとつありません。それどころ説の中では、ザフレビーニンの別荘に、若い友だちが大勢あ か、まったく正反対です。しかし、彼らはそこに別のものをつまって、さまざまな遊戯に興ずるのであるが、後にドスト ーリエヴ 見ているのみならず、ニヒリズムの痕跡さえ認めています。 エーフスキイの二度目の妻となったアンナ・グリゴ かいぎん ト生はとにかく承知しましたが、 この長い章の改竄は、少なナが、夫の回想を書き綴ったところによると、その中に登場す
弟の運命の中に、おのれの運命を感取するのである。この 際、注目すべきことは、三人の兄弟が一つの精神的統一体と して構想されていることである。その点が、在来のドストエ ーフスキイの長編と、根本的に異なっている。「罪と罰』に おいてはラスコ ーリニコフ、『白痴』においてはムイシュキ ン公爵、「悪霊』ではスタヴローギン、「未成年』ではヴェル シーロフ、 これが作品の主体であって、事件はすべて一 すべてすぐれた文学作品は、それ自身の中に独立した生命 を有していて、一個の小世界を構成している。この意味にお人の主人公をめぐって生起し、発展していく。それに反し いて、ドストエーフスキイの長編はことごとく、それ自身のて、〔。カラマーゾフの兄弟』においては、三人の兄弟が、そ 生命をもっ独立した世界であるに相違ないが、彼の最後の長れぞれ重要な役割を与えられていて、いずれを真の主人公と 編である「カラマーゾフの兄弟』ほど、この定義が完全に当すべきや、読者は判定にくるしむ。作者は明らかに、末弟の これも『未アリヨーシャを主人公と名ざしてはいるけれど、作者の宣言 てはまる場合は、世界文学の中でも例が少ない。 成年』とおなじく、偶然の家族、というより、偶然性の極限をそのまま受け取ることを拒む読者も少なくない。さらば、 その行動性によって小説中の事件の原因となっているドミー にまで達した家族の歴史であって、名もない田舎町 ( スター ラヤ・ルッサをモデルにしたといわれている ) を舞台にし トリイが真の主人公か、それとも非凡な頭脳によって無神論 た、一つの殺人事件をめぐる物語にすぎないけれど、その中の新しいシステムを樹立した次兄のイヴァンか ? それは読 には驚くべき普遍性と総合力が蔵されていて、カラマーゾフ者の好みによって、それぞれ選択を異にするであろう。しか の世界はただちにロシャ全体を抱擁するばかりでなく、全人し、彼らは作者の意図によると、分かちがたい精神的な一体 類の象徴とさえもなっているのである。いな、それどころであって、これを無視しては、「カラマーゾフの兄弟』を正 : 地球圏を脱して未知の世界に通じようとするコスミッグしく理解したとはいえないのである。 なものさえ、そこには感じられる。 意を、 ドストエーフスキイが、人間性を形成する知・ 「カラマーゾフの兄弟』は、ドストエーフスキイの芸術と思三人の兄弟にわかち与えたことは、疑うまでもない。知を具 想の一大総合であるばかりでなく、作者の精神的自伝であ現するイヴァンは合理主義者であり、生まれながらの懐疑家 り、その芸術的告白である。しかし、作者の偉大な普遍化のであり、否定者である。清はドミートリイによって代表され 力によって、読者は国籍のいかんを間わす、カラマーゾフ兄る。彼の内部には「虫けらの卑しきなさけ」とともに、真 第十五章カラマーゾフの兄弟
イにあっては、なおその上に、なにか運命にたいする感謝のは、ロシャの歴史で不朽のものである。なるほど、多数のロ シャ人のいだいた 念とでもいったようなものが加わっていた。運命は流刑に 希望は、幻減に終わったかもしれないが、 よって、彼にロシャ人を知悉する可能を与えたのみならす、 この国の生活が一新されて、それ以来、驚くべき驀進をはじ めたことは事実なのである。この改革が「上から」なされた それと同時に、自分自身をよりよく理解させたのである」 ミリュコフのこの観察は、『虐げられし人々』のヴァーニ ということは、ドストエーフスキイの皇室崇拝を真摯なもの ヤの、「シベリヤだってそう悪くありませんよ」という言葉、にした。 それから『白痴』のムイシュキン公爵の、「牢屋の中だって偉 こうした機運は、すでに二年くらい前から兄と手紙の上で 大な生活を発見できるような気がしました」という言葉を、空想していた計画、雑誌発行を、いっそう早めることとな 想起させるではないか。ミリュコフはさらにつづけていう。 り、九月には兄を発行人、かっ編集者とする『ヴレーミャ 「新しくできた友人たちの小さなサークルで、わたしたちの ( 時代 ) 』の創刊が予告された ( ドストエーフスキイは一八七 話し合ったことは、もうドウロフのグループのそれとは、多〇年まで監視を解かれなかったので、公けの編集人になるこ くの点において、もはや似ても似つかぬものであった。それとはできなかったが、実際の編集主任の仕事は、彼一人によ よりほかのことがあり得ようか ? 西欧とロシャとはこの十ってなされたのである ) 。 この頃のドストエーフスキイの手占こま、 中冫。しくつかの作品 年間に、さながら役割を変えたかのようであった。向こうで は、かってわれわれを夢中にした人道主義的なユ ートピアがのプランが書き込まれている。 C ミニオン、 O 春の夢、Ü分 粉微塵に飛び散って、あらゆる面に反動が凱歌を奏していた身 ( 改作 ) 、懲役囚の手記 ( 断片 ) 、国倦怠と印象、がそれ のに反して、こちらでは、われわれが前に夢想していた多くである。『ミニオン』に関するノートは残っていないが、ゲ ーテの長編「ウイルヘルム・マイスター』に現われるこの女 のものが実現しはじめ、ロシャの生活を一新し、新しい希望 を生んだ改革が、準備されつつあった、というより、実現さ主人公は、長く作家としての彼につきまとっていた。兄のミ ハイルは、トヴェー丿 れつつあったので、わたしたちの会話がもはや以前のペシミ ーから出した弟の手紙に答えて、「もし かしたら、ばくの考え違いかもしれないが、きみの二つの長 ズムを失ったのは、当然なことである」 これは農奴解放の前年で、このことは、たとい同じ気持ち編というのは、なにか「ウイルヘルム・マイスター』の修学 ではないにしても、すべての人に予期されていた。 一時代みたいなものじゃないのかね。『ウイルヘルム・マイスタ 年二月十九日、貴族階級の多数派の反対を押し切って、少数派ー』が書かれたように、断片的に、腹に足りるだけ、何年も かかって書くがいい。そうすれば、ゲーテの二つの長編のよ の意見を採用して解放を断行したアレグサンドル二世の功績
で、しつくりとうつりのいい、薄い緑色の着物を着て、カミ よくない作品と認めました。あれはあの時シベリヤで、刑期 ンのそばにすわっている : : : その前には一人の青年が、気取満了後はじめて、ただただ文学活動を復活しようという目的 った身振りで立ちながら、何やら勢い込んで話している : : : 」で、検閲を恐れて戦々恐々としながら ( もとの流刑囚とし こういう例は、まだいくらでも挙げることができるが、そて ) 、書いたものであります。そういうわけで、、いにもなく、 れよりも、伯父様の夢』がまず喜劇として構想されたとい きわめて罪のない、驚くばかり暢気千万な中編を書いた次第 う推測を裏書きするのは、この中編の多くの部分が、劇的効です。あれをもとにしたヴォードビルくらいなら、まだこし 果に充ちているばかりでなく、最後の場面にはすべてのおも らえられるでしようが、喜劇としては内容が貧弱です。全編 立った登場人物が現われて、長く読者の興味をつってきたマを通じて唯一の中心人物である公爵でさえ、それと同じこと アントリーグ リヤ・アレグサンドロヴナの陰謀が、もろくも崩壊してしです。 まう。まさしく芝居の大詰めである。 右の次第で、もし舞台に上演をご希望でしたら、貴兄のご トストエーフスキイの作品の多くが、劇的要素に富んでい随意ですが、小生としては手を引かしていただきます。自分 かいぎん ることは、「スチェパンチコヴォ村とその住人』を手はじめでは一行たりとも改竄しません。なおそのうえ : : : ポスター として、『悪霊』、「カラマーゾフの兄弟』がモスクワ芸術座には小生の名を出さないでいただきたいのです。つまり〈ド によって脚色上演されたのみならず、『罪と罰』、『白痴』なストエーフスキイ氏の中編『伯父様の夢』により脚色〉とい どが、多くの劇団、映画会社によって、上演、上映されたこ , つよ , つなことは、謳わないよ , つにお一盟いします」 とで証明されているが、それらはすべて作者の死後のことで右の事情で、生前の脚色上演は実現しなかったが、それに ある。しかし、彼の生前、ドストエーフスキイの作品のう しても、ドストエーフスキイの作品の劇化に着目した第一人 ち、まず第一に脚色上演の問題を提起したのは、はかならぬ者として、このフヨードロフについては一言する価値がある と隸う。しかし、「伯父様の夢』という選択はなぜだろう ? この「伯父様の夢』である。この中編の劇化を最初に着想し たのはペテルプルグの一文学者、。・フョ ードロフであ内容が単純なためか、それとも、あまりにも明瞭なヴォード 品る。ドストエーフスキイはその乞いに答えて、次のような手ビル的性格のためだろうか ? 紙を送っている。 なお、この作品について逸してならないのは、ゴーゴリの 伝統が明らかに脈を引いていることである。拙訳全集の解説 作「小生は改ゴ ( 「 ' 「。の脚本改和フ ) に着手する決断がっきませんし、 部また不可能なのです。自作の小説『伯父様の夢』は十五年でも一言したように、流刑前から彼の脳裡にあったものを新 間、読み返したことがありませんでしたが、今回一読して、 しく醗酵させたものともいえるし、前掲フヨードロフ宛ての