なく新しい、ほとんどかって覚えのない感触が彼を訪れるよ うになった。初めはばんやりと無造作に、やがて注意ぶか く、しまいには烈しい好奇心をもって、周囲を見まわしはじ めたのである。勤労と、汗と、その他さまざまな方法で獲得 した暖い巣で、どこなりとあきらめ、落ちつき、安心するた めの手段を、一生涯あくせくと、しかも空しく求めている、 多忙な事務家にとっては、とくに飽きあきしている群衆、巷 の生活、騒音、動き、事物の新奇さ、状況の新奇さ、 べてこうした俗悪な散文と倦怠が、彼にあっては反対に、何 かしら静かに喜ばしく、明るい感触を呼びさましたのであ ォルディノフはとうとう下宿を変えることに決心した。彼る。あおざめた彼の頬は、かすかなくれないにおおわれ、目 が部屋を借りた家の主婦というのは、ひどく貧しい、もう相は新しい希望に輝き始めたかのようであった。で、彼は大き 応な年配の官吏の後家さんであったが、思いがけない事情のく胸を張って、冷たい、すがすがしい空気を、貪るように吸 ために、自分の借りた期限の切れるのを待たず、ペテルプル いはじめた。彼はどはずれに軽い気分になった。 グを去って、どこか田舎の親戚のもとへ行ってしまった。青彼はいつも静かな、完全に孤立した生活を送っていた。三 年は期限が果てるまでそこに暮らしながら、哀惜の情をいだ年ばかり前に学位をもらうと、できうる限り自由な身の上と いてこの古巣を思い、ここを立ちのかなければならぬ仕儀となって、今まで話だけしか知らなかったある老人のもとにお なったのを、いまいましいことに思っていた。彼は貧しい身もむいた。長いあいだ待たされたが、やっとのことで仕着せ の上なのに、下宿は割高であった。主婦が出発したすぐ翌を着た侍僕頭が、もう一度とりついであげましようと承知し 日、彼は帽子を取って、ペテルプルグの横町横町をさ迷いはてくれた。やがて彼は天井の高い、薄ぐらい、がらんとした じめ、家々の門に打ちつけられた小さな貸間札を眺め、なる部屋に入った。それは時の中から生き残った、古い、由緒の べく黒ずんだ、人の大勢すまっていそうな、大きい家を選んある、貴族の家によく見られる、味気ない部屋であった。そ 婦で歩いた。そういう家なら、注文どおりの小さな部屋を、貧こで目に入ったのは、勲章をいつばいかけ、おまけに白髪で しい間借人から又借りすることができるのである。 飾られた小柄な老人であった。それは父親の同僚であり親友 主彼はもう長いこと、いとも勤勉にさがしまわったが、間もであり、また彼の後見人でもあった。老人は、ひと握りの金 第一部
て、われとわが身が恥ずかしいようなありさまです。そのう決心して、そっと木戸をあけました。すると、そこにもう一 ちにとうとう望楼ふうの中二階のある、黄いろい木造の家がっ災難が待ちかまえているじゃありませんか、やくざなばか はるか目に入りました。ははあ、あれがそうなんだな、エメげた番犬がからんできて、やっきとなってここを先途と吠え リャン・イヴァーノヴィチがいったマルコフの家だな、と考立てるのです。こういったちょっとしたくだらないことが、 えました ( その金貸しをしている男は、マルコフという苗字いつも人に前後を忘れさせたり、おじけづかせたりして、前 なんです ) 。わたしはもうそのとき前後も覚えないようなあから用意しておいた決断を台なしにしてしまうものです。こ りさまになって、マルコフの家だと承知しながら、交番の巡 ういうわけで、わたしは生きた心地もなく内へ入って行きま 査にあれはだれの家かとたずねたものです。その巡査はひどした。入るとまたいきなり、もう一つの災難にぶつつかった い不作法もので、まるでだれかに怒ってでもいるような、さのです。薄っ暗いものだから、しきいぎわに何があるやら見 も面倒くさそうな調子で、歯のあいだから言葉を押し出すよわけがっかず、ひと足またいだと思うと、だれかしら一人の うにしながら、あれはマルコフの家だ、といいました。巡査女房にぶつつかったのです。その女房は牛乳をしばり、桶ゝ ら瓶へ注ぎ分けていたところなので、牛乳をすっかりこばし なんてものは、みんな温い気持ちの欠けた連中ですが、しか し、わたしはなにも、巡査などにかまったことはありませてしまいました。ばか女房は金切り声を立てて、おまえさん はいったいどこへ行くんだね、なんの用なのとわめき立て、 ん。ただ何から何まで妙に不愉快な、いやな印象を与えるも ひとを畜生呼ばわりまでするじゃありませんか。わたしがこ のばかりで、それがあとからあとへと重なっていくのです。 人間は何を見ても、自分の境遇に似通った感じを引き出してんなことを書くのも、こういった場合にいつも同じようなこ とがおこるからなので、つまり、そういう生まれ合わせにで 来るもので、それは、いつもそんなふうに決まっています。 きていると見えます。年じゅうわたしはなにかやくたいもな わたしはその家の前の通りを三度行ったり来たりしました が、そうして歩いていればいるほど、いよいよいやな感じが いことにひっかかってしまうのです。この騒ぎを聞きつけ して来るのです。いや、これは貸してくれそうもない、金輪て、鬼婆よろしくのフィンランド生まれのかみさんが、首を 際、貸してくれやしない、と思いました。わたしは見ず知ら突き出しました。わたしはいきなり、ここはマルコフさんの しませんよと ずの人間だし、用件もいいだしにくい性質のものだし、風采お住まいですか、とたずねました。おかみは、、 いって、そこに突っ立ったまま、わたしをじろじろ見まわし からいっても押出しがきかず、ーー・・・そう思いながらも、な に、当たって砕けろ、あとで後悔しないように運を天に任せながら、「いったいあなたはどういうご用なんです ? 』わた よう、当たって見たからって、べつに食い殺されもしまいとしは、エメリャン・イヴァーノヴィチの紹介でこれこれだと
強くわたしを引きつけていくので、わたしは幾時間も、幾時て、岸の家々に灯影がちらっきはじめ、家畜の群れが牧場か田 そういうときにわたしは自分の 間も、周囲のいっさいのものに対して無感覚になり、現在のら追われて帰って来る、 いっさいを忘れつくすのでございます。今のわたしの生活好きな湖を眺めるために、そっと家を抜けだして、よくいっ では、楽しいものにもせよ、苦しいものにもせよ、悲しいもまでも一心に眺め入ったものです。すぐ水際のところで、漁 のにもせよ、過去にあった似寄りのことを思い出させてくれ師たちがなにかの枯枝を燃やしていると、その光が水面に遠 る印象、わけてもわたしの黄金時代ともいうべき少女時代をく伸びていく。空は寒々と青み渡って、その端々には火のよ うに真っ赤な縞が点綴せられ、その縞がしだいしだいに薄れ 思い出させないものは、なにひとつないのでございます ! けれど、そういう瞬間を経験したあとでは、いつも苦しくなていきます。やがて月が昇ると、大気は冴えきって、ものに ってまいります。わたしは妙に衰弱を覚えます、空想好きの驚いた小鳥が飛び立つのも、葦がそよ風にさらさらと鳴るの 傾向がわたしの根を疲らせます、健康はそれでなくてさえ悪も、小魚が水面を跳ねるのも、なにもかも残らず聞こえるの です。青い水面には白い、うっすらした、透明な水蒸気が立 くなるいつばうなのですけれど。 でも、きようはすがすがしい、晴れわたった輝かしい朝ちのばる。遠景は黒ずんでいって、もの皆が霧の中に沈んで で、この土地の秋にも珍しいくらいでございます。わたしはゆくけれども、近くのほうのものはまるで鑿で刻んだものの 小舟、岸、 生き生きとした気持ちになり、喜ばしくこの朝を迎えましように、くつきりと輪郭を見せています、 た。こうして、早くも秋がわたしたちを訪れたのです ! わ島、岸辺に置き忘れられているなにかの樽がかすかに水に揺 たしは田舎にいたころ、どんなに秋が好きだったでしよう ! られ、黄ばみかかった葉をつけた柳の枝がひと筋、蘆の中に 絡まり、帰り遅れたかもめがさっと舞いあがったかと思う わたしはまだ子供でしたけれど、その時分からもう、いろい ろのことを感じていました。秋の夕暮れは明けがたよりも好と、冷たい水に胸を浸し、それから、またもや空高く舞いあ きでした。今でもおばえていますが、わたしの家からほんのがって、霧の中に消えてしまう、 わたしはいつまでも見 今とれて、じっと耳を澄ましています、 なんというすばら ひと足しかない坂の下に湖がありました。その湖は、 でも目の前に見るような思いがしますが、 この湖は広々しさ、なんという気持ちの好さ ! それでいて、わたしはま として、まるで水品のように清らかに澄んでいました ! よだ子供だったのです、ほんのねんねだったのです : わたしは秋が大好きでした、 もう穀物をとり入れて、 く静かなタ方などは、湖水も穏やかで、岸に生えている樹々 もそよとも音を立てず、水は鏡のようにじっと動かずにいま野良の仕事をすましてしまい、百姓家の中では夜のつどいが はじまって、みんなが冬の訪れを待っている、そういった晩 す。その凉しいこと ! 寒いくらいです ! 露が草におり
た。「あなたは全生活を根本的に改革して、ある意味におい としては習慣を変えることが必要だと、はっきり申しあげた はずですがね : : : まあ、いろいろな気晴らしとか、それからては、ご自分の性格を叩き直さなくちゃなりませんよ。 ( グ また、友達や知人を訪問することも必要だし、それといっしレスチャン・イヴァーノヴィチは「叩き直す』という言葉に ょに、酒も毛嫌いしないようにして、なるべくまんべんなしうんと力を入れて、すこぶる意味ありげな様子で、ちょっと 言葉を休めた。 ) 賑やかな生活を避けちゃいけません。劇場 に、賑やかな仲間に入って遊ぶことですな」 ゴリャードキン氏は相変わらず、にやにや笑いながらせきやグラブにしよっちゅう出入りすること、そしていずれにし こんで、自分もべつだん人と違ったところのない一人前の人ても、酒を毛嫌いしちゃ駄目ですよ。家に引っこんでちゃい けません : : : あなたはだんぜん家に引っこんでばかりいたら 間だと思うし、自分の住居も持っているし、気晴らしも皆と 同じようにやっている : : : それに、皆と同じように金も持っ駄目ですぜ」 ているから、芝居へだって、もちろん行くことができる、昼「グレスチャン・イヴァーノヴィチ、わたしは静かなのが好 間は勤めに出て夜は家にいるのだから、これまたなんら異常きなんです」とゴリャードキン氏は意味ありげな視線を、グ はない、と述べた。それからすぐ、何かのついでといった形レスチャン・イヴァーノヴィチに投げながら、明らかに自分 で、少なくとも自分ではだれにくらべてもひけを取らない人の考えを表現するのにもっとも適当な一「ロ葉をさがしているら 間のつもりだ、自分はちゃんと自分の住居に暮らしているしい様子でロを切った。「自分の家だと、わたし一人きり、 それこ、。 へトルーシカがいるきりです。いや、召使の男と申 し、おまけにベトルーシカも使っている、とまでいった。 しあげるつもりだったのです、グレスチャン・イヴァーノヴ が、そこでゴリャードキン氏はぐっとつまった。 イチ。じつは、クレスチャン・イヴァーノヴィチ。わたしは 「ふむ ! いや、そういうことは見当違いですよ、わたしが おたずねしたかったのは、ぜんぜん別のことなんで。わたし自分自身の道を行きたいのです、特殊な道を行きたいので は概して、あなたが賑やかな席がお好きかどうか、愉央に時す、クレスチャン・イヴァーノヴィチ。わたしは独立独歩 を過ごしておいでになるかどうか、その点を知りたいのでしで、自分の感じている限りでは、だれにも頭をおさえられて てね : : : まあ、そこですな、今あなたは陰気な暮らし振りをいないつもりです。わたしはね、クレスチャン・イヴァーノ 、こも出かけますよ」 していらっしやるか、それとも陽気な生活をしておいでなんヴィチ、散歩。 「なんですと ? : : ははあ ! しかしこの頃じゃ散歩はなん ですか ? 」 「わたしは、グレスチャン・イヴァーノヴィチ : : : 」 の気晴らしにもなりませんよ。とてもいやな陽気ですから 「ふむ ! : わたしはあえていいますが」と医師はさえぎつ
残酷なことをして、あの人を泣かんばかりに怒らせたのだとことをいいだしたのは、はかでもない、今まで彼にはとんど 思うと、わたしは矢も楯もたまらなかった。つまり、わたしなんの注意も払っていなかったからである。つまり、ポグロ たちは彼の涙を待ちもうけていたのだ、つまり、わたしたち ーフスキイに関係のあるすべてのことが、突然わたしの注意 はそれを望んでいたのだ、つまり、わたしたちはまんまと彼をひきはじめたのだー の堪忍袋の緒を切らさしたのだ ! つまり、わたしたちはあ わたしたちの家へは、ときどき一人の老人が姿を見せた。 の不幸な貧しい人に、自分の苦しい運命を無理やり思い出さ よごれたひどい着物を着た、小さな体でしらが頭の、鈍重 せたのだ ! わたしはいまいましさと、わびしさと、慚愧のな、ぎごちない、ひと口にいえば、なんとも、 ししようのない 念のために、ひと晩じゅうまんじりともしなかった。悔悟は ほど奇妙な老人なのである。一見したところ、何かを恥じて こころをやわらげるというが、それは反対である。どうして いるのではないか、自分自身をきまり悪がっているのではな わたしの悲しみに自尊心までが混りこんだのか、自分でもわ いかというふうにも考えられるのであった。そのために、 からない。わたしは彼に子供扱いをしてもらいたくなかっ彼はいつも妙に身をちぢめて、体をくねくねさせていた。そ た。そのときわたしは十五になっていたのである。 ういった変な身ぶり、手真似を見ると、これはたしかに気が その日からというもの、どうかしてポグローフスキイがわ変なのに相違ないと、ほとんど誤りなしに断言できるほどで たしに対する意見を突如として一変するように仕向けたいもあった。よくわたしたちの家へ来ても、玄関のガラス戸のそ のと、数限りない計画を立てながら、さまざまに心を砕きは ばに立ったまま、家の中へ入るのをはばかっている様子だっ じめた。けれども、わたしはどうかすると臆病で、内気にな た。そのとき、わたしなり、サーシャなり、彼に好意を持っ るのであった。こういう立場におかれると、わたしはなにひているのがわかっている召使なり、だれなりとそばを通りか とっ思いきったことができなくなり、ただ空想にとどまってかるものがあると、彼はさっそく手を振って、自分のそばへ いるばかりであった。 ( が、それはどんな空想だったろう ! ) 呼び招き、さまざまな手真似をして見せたあげく、家にはだ しかし、サーシャと悪ふざけをすることだけはやめてしまつれも遠慮なものはいないから、勝手に入ってかまわないとい た。彼もわたしたちに腹を立てなくなったが、わたしの自負うしるしに、相手が頭を振って招き入れるようにすると、老 心はそれだけでは承知できなかった。 人ははじめてそろそろと戸をあけ、さも嬉しそうににこにこ ここでわたしは、今まで見たすべての人の中でもっとも不して、満足のあまり揉み手をしながら、爪立ちで真っすぐに 思議な、もっとも興味のある、もっとも哀れな一人の人間に ポグローフスキイの部屋に通って行った。それが彼の父親な ついて、数言を費しておこう。わたしが今ここでこの人物ののである。
や、天涯に身よりのない境遇を笑いぐさにしていたので、い たく彼女の目から信用をおとしていた。といったわけで、も しこの連中が下宿料を払わないのだったら、彼女は自分の家 に住わせるどころか、閾もまたがせなかったに相違ない。プ ロハルチン氏が彼女のお気に入りになったのは、ずっと以 前、強い酒が好きでそのために身をもち崩した退職官吏、と いうよりは役所をくびになった男が、ヴォルコーヴォの墓地 ウスチニヤ・フヨードロヴナの下宿の中でも、いちばん粗へ運んでいかれたとき以来である。この酒に身をもち崩して くびになった男は、ご当人の言葉によると、何かの武勇伝の 末よ専、、 部屋こ、セミョーン・イヴァーノヴィチ・プロ ために片方の目を半分っぷされて、これも同じく何かの武勇 ハルチンという、もう中年の男が住んでいた。分別ざかり で、酒は一滴も口にしない。官等の低いプロハルチン氏は、伝のために片足びつこだったが、それにもかかわらず、ウス チニヤ・フヨードロヴナの機嫌をとって、その好感をことご 自分のカ相応の月給を貰っていたので、ウスチニヤ・フヨー ドロヴナは、どうしてもこの男から、月五ループリ以上の下とくわがものとするだけの腕があったのである。また彼女も 宿代を取ることができなかった。中には、これには何か特別情にもろい女だったので。こうして、彼女の忠実無比な助手 な思惑があるのだ、などというものもあった。いずれにしてとして、またその家の居候として、おそらくまだまだ長い年 も、プロハルチン氏は、まるでこうしたロの悪い連中にはあ月を過ごしたはずだったのに、悲しいかな、とっぜん深酒で てつけと思われるほど、かみさんのお気に入りとでもいうべしくじったのである。それはまだベスキーにいた時分のこと き位置をしめていた。もっとも、この言葉は公明正大な意味で、その頃ウスチニヤ・フヨードロヴナは、たった三人しか に解さなければならぬのだ。断わっておくが、ウスチニヤ・下宿人を置いていなかったのである。ところで、今度の家へ フヨードロヴナは、なかなか品のいい 、堂々たる体格の女で、引っ越して、商売も大がかりになり、新しい下宿人を十人か 特別なまぐさものやコーヒー、【好きなので、精進となるとひら入れられるようになったが、もとの顔触れのうち、いっし ょに越して来たのはプロハルチン氏一人きりであった。 氏と苦労であった。ここには似たり寄ったりの下宿人が幾たり プロハルチン氏自身がどうにもならぬ欠点を持っていたの チかいたが、金はプロハルチン氏の二倍から払ってはいたもの ル か、それとも同宿の連中が一人一人そういったような欠陥の の、けっしておとなしいとはいえぬどころか、かえって一人 プのこさす「毒舌家」ばかりで、彼女の女らしい身すぎのわざ持主だったのか、いずれにしても、プロハルチン氏と彼らの %
、パルタザール王の饗宴とでもいう とゴリャードキン氏はどなった。すると、馭者はその命令をれは晩餐会といおうより べきもので、グリコのシャンパン、エリセーエフやミリュ 待ちかまえていたように、ひとロも言葉を返さず、車寄せに チンの店から取り寄せた牡蠣や果物、肥えた柔かい犢肉その 馬をとめようともしないで、庭をぐるりとひとまわりして、 他の料理、厳かに守られる位階官等の順序といったように、 また往来へ出てしまった。 ゴリャードキン氏は家へ帰らなかった。セミョーノフスキその豪奢で華々しく、しかも、礼節にかなっている点では、 イ橋を通り過ぎると、ある横町へ折れて、かなり見かけのお何かしら・ハビロンの栄をしのばせるようなものがあった。 こうした晴れがましい晩餐会によって記念されるこの栄 粗末な料理屋の前に車をとめさせた。馬車から出ると、わが 主人公は馭者に勘定をすまし、それでようやく馬車から解放えある日は、輝かしい舞踏会で有終の美を発揮することにな った。それは家庭的な、内輪ばかりの、ささやかな舞踏会で されたのである。ベトルーシカには、家へ帰って待っている ようにいいつけて、自分一人だけ料理屋へ入り、別室を占領はあったけれども、趣味、教養、節度などの点から見て、な して食事を注文した。彼の気分ははなはだかんばしくなかつんといっても輝かしいものに相違なかった。もちろん、そう わたし いう舞踏会もままあるものだということには、筆者も異存が た。頭の中は支離滅裂になり、混乱をきわめていた。彼は ないけれども、しかしやはりめったにはないのである。舞踏 奮の体で、長いこと部屋の中を歩きまわっていた。やがて、 ついにいすに腰をおろし、両手で額をおさえたまま、現在自会というより、むしろ家庭団欒のよろこびといったほうが適 分が置かれている真の立場というものについて考察をめぐら切なこの舞踏会は、たとえば、五等官べレンジェエフ邸のご とき家庭においてのみ催され得るのだ。筆者はさらに一歩す し、何らかの解決を得ようと、懸命の努力をし始めた : すめていうが、すべての五等文官の家庭においてかような舞 踏会が催され得るかどうか、疑わしいとさえ考えるものであ 第 4 章 る。ああ、もし筆者が詩人であったら ! もちろん、少なく その日はめでたい日であった。かってゴリャードキン氏のとも、ホメロスかプーシキンくらいの詩人でなくてはならな いので、それ以下の才能をもって推参するわけにはい、 恩人であった五等官ペレンジェエフ氏のひとり娘、クララ・ その日は、イズ ! 比の色彩と おお、読者諸君よ ! それこそ筆者は絢爛 ォルスーフィエヴナの誕生日であった、 マイロフスキイ橋畔からそのあたりにかけて住んでいる官吏のびのびした筆触をもって、この真に晴れがましき一日を心 の家々で、もはや長いあいだ見られなかったような、華々しゆくまで描き出したであろう。そうだ、筆者は自分の叙事詩 この祝宴の女主人の健 い贅をつくした晩餐会の催される記念すべき日であった。そを、まず晩餐から始めたに相違ない。
う ? まあ、早い話が、かりに突然ひょっこりと「マカ に出入りして、招待がなくても自由に訪ねて行くのだそうで田 ル・ジェーヴシキン詩集』という題の本が世に出たとしましす。夫人はなかなか文学通で、たいした貴婦人だとの話で よう ! そのときはいったいあなたはなんとおっしやるでしす。なかなかのしたたか者ですよ、このラタジャーエフはー よ、つ ? ・ よもうたくさんです。わたしがこんなこ いったいどんな気がして、なんとお考えになるでし しかし、こんな話し よう ? わたしの気持ちを中しあげるなら、もし自分の本がとを長々と書いたのは、あなたに気晴らしをさせたさのい 出たら、わたしはそのときネーフスキイ通りに、顔出しもでたずら半分なんですよ。さようなら、わたしの天使。ずいぶ きなくなるでしよう。もし通る人が一人一人、ほら、あすこをんいろんなことを書き散らしましたが、それというのは、き 行くのが、作家で詩人のジェーヴシキンだよ、ほら、あれがた よう非常に愉快な気持ちになっているからです。わたしたち しかにジェーヴシキンだよ、なんていうようになったら、 はきよう、みんなといっしょにラタジャーエフのところで食 ったいまあどんなものでしよう ! そうなったら、たとえ事をしましたが、そのとき ( どうもみんないたすらっ子ばか ば、わたしの靴などはどうしたらいいでしよう ? ついでな りでしてね ! ) たいへんな洒落や冗談を連発するのです : ・ がら申しあげますが、わたしの靴はほとんど年じゅうつぎが が、こんなことをあなたに書き立てることはなかったのだー 当たっていて、裏皮は正直なところ、ときどきぶしつけ千万にただおことわりしておきますが、わたしまでを、どうのこう も、ばくばく口を開くのです。そこで、文士のジェーヴシキのと疑らないでください、ヴァーリンカ。わたしはただなん ンの靴がつぎだらけだ、なんていうことをみんなに知られたの意味もなしに書いたのです。本はお送りいたします、きっ かりに、ど ら、そのときはいったいどんなものでしようー とお送りいたします、ここでは、ポール・ド・コッグの書いた こかの子爵夫人とでもいう人がそれを知ったら、まあ、なんある本が引っ張り凧になっていますが、しかしポール・ド・ といわれるでしよう ? ご当人はもしかしたら気がっかない コックはあなたには読ませません、けっして、けっしてー ポール・ド・コッグは、あなたには不向きです。なんでもこ かもしれません。なにしろ子爵夫人が靴、しかも役人の靴な どにかまっていられるはずがないと思います ( じっさい、靴の小説家は、。 へテルプルグの批評家という批評家に、義憤を にもビンからキリまでありますからね ) 。しかし、人がその感じさせているという話です。お菓子を一斤お届けします、 わざわざあなたのために買ったのですから、どうか、よ 子爵夫人に話して聞かせます。わたしの友達がすつばぬい てしまうでしよう。さよう、ラタジャーエフなど真っ先に立ろしくめしあがれ。そして、一つ食べるたびに、わたしのこ ってやるでしよう。あの男は、伯爵夫人の家へ出入りしてとを思い出してください。ただ氷砂糖は噛まないでしゃぶる いるのですからね。なんでもうわさによると、いつもその邸だけになさい。でないと、歯がみんな悪くなってしまいま
読んだことのある小説を思い出した。その小説の女主人公 いとつけ加えた後、わが主人公は、オルスーフィ・イヴァー は、これとまったく同じような状況になった時、窓に薔薇い ノヴィチの屋敷の内庭に積み上げた薪の山のあたりに転がっ ろのリポンを結びつけて、アルフレッドに合図をしたのであ ている、かなり太い丸太の切れつ端に腰をおろそうとした。 った。しかし、薔薇いろのリポンは今この真夜中に、しかも もちろん、スペインふうのセレナーデや、絹の繩梯子のこと などは、今さら考えることもなかった。しかし、あまり暖く天候の変わりやすい湿っぱい聖ペテルプルグの気候では、応 はよいにしても、そのかわり、小ぢんまりとした目に立たな用がきかなかった。ひと口にいえば、ぜんぜん不可能なので い隠れ家のことは、考えてみる必要があった。ついでにいつあった。『いや、こいつは絹の繩梯子どころの騒ぎじゃない ておくが、この真実の物語の初め頃に、わが主人公が二時間ぞ』とわが主人公は考えた。『まあ、おれはここでそっとお : たとえば、こ も立ちつくした、オルスーフィ・イヴァーノヴィチ家の裏玄となしく、静かに待っていることにしよう : 関の一隅、例のさまざまな古道具やがらくた類の押しこんでこの所に立っていればいいんだ』彼は窓をまともに見渡す庭 ある、戸棚と古い衝立の間に当たる一隅が、激しく彼を誘惑の一隅を選んだ。うず高く積み上げた薪の山の傍である。も ちろん、庭の中は馭者だとか馬丁だとか、そのほかさまざま したのであった。じつは今もゴリャードキン氏は、オルスー フィ・イヴァーヴィチ家の庭で、すでに一時間も立ちつくしの人が大勢行ったり来たりする上に、馬車の轍の音が騒々し て待っていたのである。しかし、以前の小ぢんまりした人目く響いたり、馬の鼻を鳴らす音などが耳についた。しかし、 に立たぬ片隅は、今やその当時存在しなかった多少の不便をとにかくこの場所は具合がよかった。人に気づかれようと、 伴っているのであった。第一の不便というのは、ほかでも気づかれまいと、今は少なくとも、ある程度まで物陰になっ ているので、ゴリャードキン氏のほうはだれの目にも入らな ない、おそらくあの場所はあれ以来、人々の注意をひいて、 いが、自分のほうからはいっさいを見通すことができるの かのオルスーフィ・イヴァーノヴィチ家における舞踏会の一 件からこの方、相当の防衛手段が講ぜられたに相違ないのでで、その点有利であった。窓々は煌々と輝いて、オルスーフ イ・イヴァーノヴィチの家では、何か晴れの集まりでもある ある。第二には、グララ・オルスーフィエヴナが合図をする のを待っていなければならなかった。なぜといって、必ず何らしかった。ただし、まだ音楽は聞こえなかった。『して みると、舞踏会ではなくって、何かほかのことで集まりがあ かの合図が当然なければならないからである。こんな場合、 身いつもそういうふうにするもので、いつば「自分たちが始めるんだな』とわが主人公は、いくらか胸のしびれるような思 いで、こう考えた。「だが、今日だったのかしら ? 』という たものでもなければ、自分たちでおしまいになるものでもな 分い』のである。ゴリャードキン氏はふとその時、ずっと前に疑念が頭をかすめた。「日を間違えたのじゃないのだろう
学術に従事しているとは見えない。それどころか、何かの陰い人間にいっさいのものをやってごらん、自分のほうからや 謀、妖術ーーーひと口にいえば、怪しげな人を惑わすようなこ って来て、何ものも元へ返してしまうから。弱い人間に地上 とに熱中している、と想像してもよいのである。しかし、その王国を半分やってごらん、すぐ靴の中に身を隠してしま れは決して学術ではなく、まったくのナンセンスである。に う、それほど人間は小さくなってしまうものさ」云々という もかかわらず、この仕事はオルディノフに烙印を捺した。っ言葉は、まさに「大審問官』の論理ではないか。ドストエー まり、彼を頭のくるった狂人に似させたのである」 フスキイは『主婦』の中で初めて、作家としてのおのれの真 「主婦』が芸術品として「分身』に劣るのは、筆者もあえての意義を規定した。彼は哲学、宗教、一般人類の運命に関す 否定しない。 シュティンベルグもこの作品を「神経的ナンセる形而上学の芸術家なのであった。『主婦』とくに女主人公 ンス」と呼んでいるほどである。が、それと同時にこの批評カチェリーナの物語の部分は、国民伝説的な内容を有し、 家はオルディノフを指して、ドストエーフスキイその人であっそのようなスタイルで書かれている。この意味においてド るとし、この作品の価値を重要視している。ォルディノフはストエーフスキイの創作の中でもユニークのものということ 「空想家」である点において「白夜』の主人公の先駆者であができる。彼は初期の作品においてほとんど常にゴーゴリの り、まさしく若きドストエーフスキイの面影を多分に蔵して影響下にあったが、「ジカニカ近郊夜話』的なロマンチシズ いる。ォルディノフは「世間的実際的な活動に断じて席を譲ムを反映させたのは、『主婦』が最初であった。カチェリー らない情熱、生涯人間を消耗させずにおかない情熱、きわめナの夫ムーリンは強盗であり、人殺しであって、しかも呪術 て深刻な、きわめて貪欲な情熱」に憑かれ、その毒に酔わさ師なのである。彼はカチェリーナの母を情婦にしていたが、 れていた。その情熱とは学術であるが、それはまた同時に芸後に自分の呪術をもって娘をおのれの意に従え、カチェリー 術でもある。というのは、「彼は学術における芸術家となるナがいかにオルディノフを心底から熱愛して、恋人のほうへ べき運命を持っているのかもしれぬ」からである。しかも、走ろうとしても、その呪術のために思いを遂げることができ ォルディノフの学術的・芸術的な仕事は「教会史』であっ ない。そればかりでなく、カチェリーナの口から物語られる て、彼の脳裡には多くの民族、多くの国民の運命が去来して っさいは、「ジカニカ近郊夜話』の気分に深く貫かれて いるのである。これらの点からして、オルディノフが『白る。 女主人公カチェリーナは、「白痴』のナスターシャと多く 痴』「悪霊』「カラマーゾフの兄弟』 ( とくに「大審問官し を書いたドストエーフスキイの模索時代であると断定して、 の近似性を有している。彼女もナスターシャと同様に、自分 ーリンよ「戸リ いささかの誤りもないのである。たとえば、ム の意志によらざる過去の罪のためになかば狂するほど ( ムー イ 28