れたグララ・オルスーフィエヴナは、さも疲れたように、やは名状すべからざるものがあった。だれも彼もが質問を発し っとのことで息をつぎ、燃えるような頬をして、胸を大きくていた、だれも彼もが大声をあげ、議論していた。オーケス 波打たせながら、とうとうぐったりと肘掛けいすに倒れかか トラはびったり鳴りゃんだ。わが主人公は、自分を囲む人々 った : : : すべての人の心は、このまよわしの美女のほうへその間を飛びまわって、幾分、笑みを含みながら機械的に何や そがれた、だれも彼もが、その妙なる踊りに賛辞と感謝を捧らロの中でばそばそいっていた。『だって、踊っちゃならん げようと先を争った、 と、その時、思いがけなく、ゴリ という法はないでしよう。ポルカは、少なくとも、ばくの見 ャードキン氏が、彼女の前に姿を現わしたのである。 るところでは、ご婦人がたをたのしませるためにつくられた、 ゴリャードキン氏は色あおざめて、いともとり乱した様子新しい、すこぶる面白い舞踏ですからね : : : しかし、こんな をしていた。どうやら、彼も何かカ抜けがしているらしく、 ふうなことになってしまった以上、ばくもおそらく同意せざ 身を動かすのもやっとであった。なんのためやら、にやにやるを得ないでしよう、つまり : : 』けれども、ゴリャードキ 笑って、哀願するような恰好に手を差し伸べている。クラ ン氏の同意などは、だれひとり求めていなかったらしい。わ ラ・オルスーフィエヴナは、驚きのあまり、手を払いのけるが主人公は突然、だれかの手が自分の腕をつかみ、また別の 暇もなく、ゴリャードキン氏の勧誘に応じて、機械的に立ち手が軽く彼の背中に当てられたのを感じた。彼は何かとくべ あがった。ゴリャードキン氏はよろよろと前へよろめき出っ心をくばるような態度で、どこかへ導いて行かれるのを覚 た。一歩、また一歩、それから片足をあげたかと思うと、今 えた。ついに戸口へ向けて、真っ直ぐに連れて行かれている 度は何かしら摺り足のようなことをし、次にはとんと一つ床のに気がついた。ゴリャードキン氏は何かいしたかった を踏み鳴らして、その後でつまずいてしまった : : : 彼も同かしたかった : : : しかし、それは違っていた、彼は何をする 様、クララ・オルスーフィエヴナといっしょに踊りたかった気もなかったのだ、ただ機械的にせせら笑いをしたばかりで のである。グララ・オルスーフィエヴナは、きやっと叫び声ある。とうとう、彼は外套を着せられ、帽子を目の上まです をあげた。一同は飛んで行って、彼女の手をゴリャードキン つばりかぶせられたのを感じた。やがて、暗く寒い廊下へ 氏の手からもぎはなした。すると、わが主人公はたちまち群連れ出され、とどのつまり、階段へ出たのがわかった。最後 衆のために、かれこれ十歩くらいもリき離されてしまった。 に何かにつまずいた、彼は奈落へおちて行くような気がした。 身彼の周囲にもかなりな人だかりがした。二人の老婦人のけた思わずあっと叫ばうとしたが、 そのとたん、いつの間に たましい叫び声が聞こえた、ゴリャードキン氏退却の際に、 か外へ出ているのであった。冷たい空気がさっと顔にあたる 分あやうくひっくり返されそうになったのである。一座の混乱と、彼は瞬間、歩みをとめた。ちょうどその時、再び演奏を たえ
はじ「と身を潜めていました。家のものはみんな工場へ駆けた。おばっかないわたしの目に映った限りでは、あの男が体 出してしまって、残ったのは母とわたしばかり。わたしにはじゅう焼け焦げだらけになって立「ているのです。長外套は ちゃんとわかっていましたが、母はこの世に別れを告げようちょっと触っても熱いほどで、ぶすぶす煙が立っています。 『お前を迎えにやって米たのだよ、別嬪さん。お前は前にお としていたのです。もうこれで三日、いまわの床にねたきり だったのです。わたしはそれを知っていました。ああ、なんれを災難に引き込んだのだから、今度は災難をよけて連れて 突然わたしの居間の下逃げてくれ。おれはおまえのために自分の魂を亡ばしたんだ てわたしは親不孝の娘でしよう ! : ・ : ・ しくら祈ってもおれの心から消え のほうで、弱々しい叫び声が聞こえました。ちょうど赤ん坊よ。この呪われた一夜は、、 まあ、いっしょに祈るより仕方がない が夢におびえた時に、立てるような叫び声なのです。が、することじゃないー よ ! 』といって笑っているのです、腹の黒い男 ! 『人のそば ぐにまたひっそりとなってしまいました。わたしはろうそく を吹き消しましたが、総身が氷のように冷えてしまいましを通らないようにするには、どう行ったらいいのか教えてく た。両手で顔を隠したままで、のそいてみるのも恐ろしいのれ ! 』わたしはあの男の手を取って、案内しました。廊下を わたしは鍵を持っていたのです、ーーー納戸 です。ふいにわたしのすぐ傍で叫び声が起こりました。工場通り抜けて、 のほうから人の走って来る気配が聞こえます。わたしは窓かの扉を開け、窓をさして見せました。その窓は庭に向いてい ら身をのり出して見ると、もう息の絶えたおとうさんが運ばました。男は逞しい両腕にわたしを抱きしめて、わたしを れて来るのでした。『足を踏みはずして、階段から鉄の煮え抱いたまま窓から飛び出しました。二人は手に手を取って走 沸っている鑵へ落ちたんだ。つまり、悪魔に突き落されたんりました、長いこと走りました。ふと見ると、暗いほど茂っ だ』と人々の話し合「ている声が聞こえます。わたしは寝台た森があります。あの男はじっと耳を澄まして、「カーチャ、 に突っ伏してしまいました。じ 0 と死んだようにな 0 て、待おれたちの後から追っ手がかかっている ! 別嬪さん、追っ カかかっているそ。しかし、ここで命を棄てるわけには、 っていましたが、何を、だれを待っているのやら、自分でも手、、、 いつまで わかりません。ただその時、わたしは苦しくてたまりませんかん ! おれを接吻しておくれ、美しいカーチャ、 ! 』『でも、どうしてあんた も仲好く仕合わせでいるように でした。。 とれくらい待ったか覚えていませんが、ただふいに 体じゅうぐらぐらと揺れ出して、頭が重苦しくなり、目が煙の手は血だらけなの ? 』『おれの手が血だらけだ「て、大事 で渋くなってきたのだけ覚えています。わたしは自分の最後なカーチャ ? お前の家の大を斬ったからだ。夜史けに来た が近づいて来たのが、嬉しいくらいでした ! 突然、だれかお客さんを怪しんで、むやみに吠え立てやが「たのでな。さ 士 ~ がわたしの両肩をつかまえて、引き起こすのに気がっきましあ、行こう ! 』わたし達はまた走り出しました。ふと見る カフタン
か ? そうかもしれん、どんなことだってあり得る道理だかれた瞬間、ゴリャードキン氏は茫然自失していたが、やがて らな・ : ・ : そうだ、本当にそんなことかもしれない : ・ : あの手血がどっと頭へ昇ってきた。呻き声を立て、歯ぎしりしなが 紙はきのう書いたのだが、おれの手に渡らなかったのかもしら、彼は両手で熱した頭をひっかかえて、倒の丸太の切れ端 れんぞ。おれの手に渡らなかったというのも、ベトルーシカに腰をおろし、何事かを考え始めた : : しかし、何を考えよ がこれに一役買って出たからだ、あのいまいましい悪党めー うとしても、頭の中で考えがまとまらなかった。だれやらい それとも、あす書いたものかしら、ちょっ、おれは何をいつろいろな顔が目先にちらついたり、忘れてしまっていた古い ( るんだ : : : つまり、明日、万端の用意をすべきはずだつ出来事が、あるいは漠然と、あるいははっきりと思い出され たかもしれない。つまり、馬車の用意をして待ってるんだ たり、何かの馬鹿げた唄の節が頭にこびりついたりする : : 』こう考えた時、わが主人公は思わずぎよっとして、実その悩ましさ、不自然なはどの脳ましさ ! 「神さま ! 神さ 否を確かめるためにボタットに手を入れ、手紙をさがした。 ま ! 』とわが主人公はやや正気に返って、声に出さぬ慟哭を けれども、驚いたことには、手紙はポケットの中になかっ胸のうちに押しつけながら考えた。「限りなき不幸の底に突 た。『これはどうしたことだ ? 』とゴリャードキン氏はなかき落されたわたしに、強い精神を授けてくださいまし ! お ば生きた心地もなくつぶやいた。「どこへおいて来たんだろれは破滅したのだ、すっかり抹殺されてしまったんだ、 う ? してみると、なくしたのかな ? こりや本当に弱り目それはもうなんの疑いもありやしない、それは当然な成行き にたたり目だ ! 』と彼はついに呻き声を立てた。「もしあのだ。だって、ほかにどうともなりようがないじゃないか。第 手紙が悪いやつの手に入ったら ? ( いや、もうちゃんと入っ 一、おれはくびになったんじゃないか。たしかにくびになっ ているかもしれないぞ ! ) ああ ! これはいったいどうなるたのだ、くびにならないなんてはすがない : : まあ、かり んだろう ! ひょっとしたら、それこそ : ・・ : ああ、なんとい にそれはなんとかなるとしよう。おれの持っている小金で、 ういまいましい連命たろう ! 』もしかしたら、あの不埒千万当分の間は過ごしていけるとしよう。それにしても、どこか な双生児が彼の頭から外套をかぶせたのは、なんとかして敵に別の宿を借りなくちゃならないし、家具もなんなりと揃え の口からあの手紙のことをかぎ出し、それを盗み取ろうとい なくちゃならない : : : 第一、ベトルーシカがいないことにな う目算だったかもしれない、こう考えると、ゴリャードキンる、が、あんな悪党なんかいなくても、やっていける : : : な 氏は木の葉のように陳え始めた。「おまけに、あいつは横取んとかして家主の女中でも使わしてもらうとすれば、まあ、 りしやがるかもしれない』とわが主人公は考えた。「その証それでよし、と ! そうすれば、自分の勝手な時に出入りが 拠には : : : ちえつ、何が証拠なんだ ! 』恐怖の発作におそわできるというもので、遅く帰って来ても、ベトルーシカがぶ
あのドイツ女の仕業だ、あの魔法女のせいなのだ。あいつのえた。ふと気がついてみると、彼はリティナャ街のどこかに 手にかかったら、どんな大事だって起こりかねないんだから立っていた。恐ろしい天気模様で、雪解けの生暖い陽気であ みぞれ な。アンドレイ・フィリッポヴィチの指し金で人にい、 : 、 りながら、霙がびしゃびしゃ降っていた。 それはあの忘 りをつけて、女らしいあくどい陰口を触れまわし、根も葉もれることのできない恐ろしい晩の夜中すぎ、ゴリャードキン ない狂言をうちゃがった、それがつまりもとなんだ。さもな氏の身にいっさいの不幸が始まったあの時と、そっくりその けりや、どうしてベトルーシカまでが、これに一枚加わろうままであった。『こんな晩に旅行どころのだんかい ! 』とゴ はずがないじゃよ、 オしか ? あいつになんの関係があるんだ ? リャードキン氏は空を見ながら考えた。『こりやまるで世界 あの悪党に何の用があるというんだ ? 駄目ですよ、お嬢さ中が死に絶えたようなもんだ : : : ああ、やれやれ ! だが、 ん、わたしにはできません、どうしてもできません、なんと しったいここで馬車をどうして見つけ出したものかな ? お あってもできません : : : お嬢さん、今回だけは何はともあや、あそこの角に何かしら黒いものが見える。行って調べて れ、お許しを願います。これはね、お嬢さん、何もかもあなみよう : いやはや、なんというこった ! 』馬車らしいもの たから起こったことですよ。ドイツ女のせいでもなければ、 の見えた方角へ、よろめき勝ちの弱々しい足を向けて、わが 魔法女のせいでもさらさらなく、まぎれもなくあなたのせい主人公は考えつづけた。「いや、おれはこんなふうにしよう。 なんです、だって、魔法女はいい人間ですからね、魔法女はこれから閣下のところへ出かけて行って、できることなら、 何一つ罪はありません。あなたですよ、お嬢さん、あなた一足もとへ身を投げ出し、平身低頭してお願いするんだ。かよ 人が悪いんですよ、 そうですとも ! お嬢さん、あなた うかようの次第で、自分の運命を閣下のお手に、上司のお手 はわたしを無実の罪に陥そうと思っていらっしやる : いまにゆだねますから、どうぞ閣下、保護の手を差し伸べて、恩 人間ひとり破滅しようとしているんです、自分というものが恵を垂れてくださいまし。かようかようしかじかで、法に反 なくなって、消えかかっているんです、自分というものをと した行為でございます。わたしを破滅させないでくださいま りとめることができない始末なんです、 それなのに、な し、あなた様を父とも頼んでいるのでございますから、お見 んの結婚どころですかー これはいったいどういうふうに始棄てになりませんように : : : わたしの自尊心と、名誉と、名 末がつくんだろう ? これからどんなふうに納まるんだろを救 0 てくださいまし : : : そして、堕落した悪人の手から救 う ? もしそれがわかったら、もうなんだって惜しかないん い出してくださいまし : : : あれは別の人間でございます、閣 だがなあ ! 下、しかしわたしもやはり別の人間でございます。あれも独 わが主人公は絶望にかられて、こんなふうにとつおいっ考立した別個の人間なら、わたしもや 0 ばり独立した別個の人 260
飲んでしまった酒は、過ぎた昔と同じことだ ! つまり、 びに巻きつけ、さながら吸いつけられたもののように、火の 商人の品物が棚ざらしになって、ただ同様に投売するようなように燃える眼ざしで、じっと老人を見つめていた。ォルデ あきんど もんだ ! その商人もすき好んでは自分の品物を、相場より イノフが手を取ったのにも、気がっかない様子であった。っ かたき 安くは売らなかったろうになあ。敵の血も流れたろうし、ま しに彼女は男のほうへ顔を向けて、刺すような目で長いこと ただれかの罪のない血も流れたろう。まだそのうえに、買い 一、いに見つめていたが、やっと男の見わけがついたらしく、 手の方は魂まで賭けて破滅しなけりゃなるまいて ! 注いで重苦しい、驚いたような微笑が、その唇に絞り出された、さ くれ、もっと注いでくれ ! カチェリーナ ! 」 も苦しそうに、痛みでも伴なうように : しかし、杯をもっていた彼の手は、さながら麻痺したかの 「行ってちょうだい、あっちイ行って」と彼女はささや ように、動かなくなった。呼吸は苦しげに重々しく、頭はい た。「あんたは酔っ払いよ、意地わるよ ! あんたなんかわ : 」そういったなり、再び老人の っともなく一方へかしいだ。彼は最後にどんよりした目をオたしのお客様じゃないー ルディノフにそそいだが、ついにその目も光が消えて、臉はほうへ振り向いて、またもや吸いつけられたように、瞳をそ 鉛でつくったもののように閉じられた : : : 死人のような土気の顔にそそぐのであった。 色が、その顔に拡がった : : : 何かいおうと、苦心するかのよ それはさながら、老人の引く息つく息を守り、自分の眼ざ うに、唇はなおしばらくもぐもぐと動いたり、陳えたりしてしで老人の眠りを愛撫するかのようであった。彼女は燃える ふいに大粒の熱い涙がまっ毛に浮かんだと思う胸を押し静めながら、吐息をつくのさえ恐れているように思 と、ばたりと落ちて、あおざめた頬をしずかに流れ始めたわれた。彼女の胸にはもの狂わしい愛情が浴れていたので、 : ォルディノフはもはやこれ以上たえることができなかっ ォルディノフはたちまち絶望と、狂憤と、底しれぬ毒念に、 た。彼は立ちあがり、よろよろとよろめきながら、一歩まえ息がつまりそうになった。 へ踏み出して、カチェリーナの傍へ寄り、その手を取った。 「カチェリーナ ! カチェリーナ ! 」搾め本のように女の手 けれど、彼女はそのほうを見なかった。まるで彼の存在を認をしめつけながら、彼は呼ぶのであった。 めないような、彼の顔の見わけがっかないようなふうであっ 痛みの色が女の顔をかすめた。彼女は再び頭を上げて男を 見やったが、その目つきには深い嘲笑と、侮蔑と、傲慢の色 婦彼女も同様に意識を失ったかのようであった。一つの想が浮かんでいたので、オルディノフはあやうくよろよろと倒 念、一つの固定観念が、彼女の身心を領しつくしたかと思われそうになった。それから、彼女は眠っている老人を指さし かたき 主れた。眠れる老人の胸にひしと身を寄せて、白い腕をそのく たが、敵の嘲笑があげてことごとく彼女の目に移ったかのよ田 あきんど かいな
のが上分別とはらを決めた。突然、まったく思いがけない一 いた後、新ゴリャードキン氏は、それまで自分の一ばん古い田 つの出来事が、ゴリャードキン氏にいわゆるとどめを刺し、友達に気がっかずにいたくせに、おそらく間違いだったので 彼の面目玉を踏み潰してしまったのである。 あろう、ふいに、旧ゴリャードキン氏に手をさしのべた。お 彼を取り巻いている若い同僚達の群衆の中に、わざと、ゴそらく、これも同様に間違いだったのであろう、わが主人公は リャードキン氏にとって苦しい瞬間を狙ったかのように、突かくも唐突に差し出された手を取って ( もっとも、こちらは 如、新ゴリャードキン氏が現われたのである。いつものよう破廉恥なる新ゴリャードキン氏に十分気がついていたのであ にうきうきとして、いつものように愛想笑いを浮かべ、 いつる ) 、固く固く握りしめた。それは深い友情のこもった握手 ものようにちょこちょこして、ひと口にいえば、いつものよであった、そこには一種奇妙な、思いがけない、内心の動きを うな、たとえば、旧ゴリャードキン氏が自分にとってきわめこめた握手であった。何かしら涙ぐましい感情を秘めた握手 て不愉快なある瞬間に印象づけられたのと同じような、飄軽であった。わが主人公は、憎むべき敵の最初の動作に欺かれ 者であり、飛びあがり者であり、追従者であり、不断に変わたのか、それともただとっさの間に、自分のとるべき行為を らぬロ八丁手八丁という代物であった。白い歯を出してお世考え出せなかったのか、或いは心の深い奥底で自分の頼りな 辞笑いをし、ちょこちょこ小刻みな足取りで飛びまわりながい状態をつくづくと感じて意識したのかーーその辺はなんと ら、みんなに向かって「今晩は ! 』と挨拶しているような笑も、 ししにくい。とにかく、表面の事実は、旧ゴリャードキン 顔を見せ、役人たちの群へ割りこむが早いか、一人のものと氏が健全な意識を保ちながら、自分の自由意志で、衆人環視 は握手をし、もう一人のものの肩を叩き、第三のものとは軽の前で、おのれの不倶戴天の仇と呼んでいる人間の手をば、 く抱擁をかわし、第四のものには、どういう用事で閣下のお堂々と握ったということである。しかし、旧ゴリャードキン 使いに抜擢され、どこへ行って何をし、何を持って帰ったか、氏の驚きと狂乱と怒り、恐怖と羞恥はどんなであったか ! という頑末をくわしく話して聞かせ、おそらく無二の親友らこのとき、彼にとって七生までの敵である破廉恥なる新ゴリ しい第五のものとは、互いの唇の真上にちゅっとばかり接吻ャードキン氏がおのれの過ちに気付くと、罪なくして迫害さ をかわした。 要するに、何から何までそっくり、旧ゴリヤれ、背信行為によって欺かれている、人間に面と向かったま ードキン氏が夢に見たのと同じなのであった。思うそんぶんま、羞恥も、憐愍も、良心の悩みも、いっさい人間らしい感情 その辺を飛びまわって、みんなにそれぞれの挨拶をすまし、そをいだくふうもなく、とっぜん見るに堪えぬほど傍若無人な んな必要があるのかないのかしらないが、みんなを自分の味無作法きわまるやり方で、自分の手を旧ゴリャードキン氏の 方に取り入れ、だれかれの差別なくふんだんに愛嬌を振り撒掌からもぎはなしたのである。のみならず、まるで握手のた
すが、それもこれもきれいに免除されました。そのうえ、莫わたしはゴルシコフがむっとしたように思われました。とい ~ 大な金額を商人から受け取るように判決がくだったので、彼って、はっきり不満の色を示したわけではありませんが、た は財政状態もすっかりよくなるし、名誉も回復され、何からだなんとなく妙な目つきでラタジャーエフを眺め、その手を 何まで結構なことになる、要するに、希望が完全にかなえら自分の肩からどけたばかりです。以前ならそんなことはしな かったでしよ、つー・ れたわけです。彼はきよう三時に家へ帰ってまいりました。 もっとも、人の性質はさまざまなもので、 ところが、その顔色ったらありませんでした。布のように真たとえば、わたしなどはこういう嬉しいことがあったら、け っして高慢ちきな様子はしなかったでしよう、それどころ っ青になって、唇はぶるぶる慄えているくせに、当人はにこ か、ときとすると余分なお辞儀のひとつもして、自分を卑下 にこ笑いながら、妻子を抱擁しました。わたしたちはどっと ばかり群れをなして、彼の部屋へお祝いに行きました。ゴルするくらいのものですが、それというのも、ほかではない、 シコフはわたしたちの行為に深く感動して、四方八方へお辞善良な心のあふれるに任せるからであり、あまりに気が優し 儀をし、一人一人の手を何度も握り締めました。わたしはなすぎるからなのです : : : しかし、この場合、わたしにはなに んだか彼が急に大きくなって、背も真っ直ぐにしゃんと伸び、も関係のないことです ! 彼はいいました。「さよう、お金 目に涙さえなくなったような気がしました。気の毒にも、おもけっこうですな。とにかく、ありがたいことだ、ありがた : 』それからわたしたちがそこにいたあいだじゅ いことだ : そろしく興奮していました。二分間と一つところにじっとし う、「ありがたいことだ、ありがたいことだー : 』を繰り ていられないで、目につきしだいのものを手にとっては、すぐ にまたはうり出し、絶えず、にこにこ笑ったり、会釈をした返していました。細君はいつもより上等の食事をたつぶり目 り、坐ったり、立ったり、また坐ったりして、なんだかわけに注文しました。かみさんが自分で、この一家のために料理 、ところのある女 のわからないことを口走っているのです。『わたしの名誉、名したのです。うちのかみさんはなかなかいし です。その料理ができるまで、ゴルシコフは、じっと落ちっ 誉、体面、わたしの子供たち』などというのですが、そのい て、ることができませんでした。呼ばれようが呼ばれまい しかたが一種とくべつなのです ! さめざめと泣き出しさえいし しました。わたしたちもたいていもらい泣きしました。ラタ が、みなの部屋へ顔をのそけ、勝手にずっと入って行って、 とキ、 にやっと笑っていすに腰をおろし、なにかいって、 ジャーエフは元気をつけるつもりだったらしく、「食う物も それからすっと にはなんにもいわないこともあります、 ないのにあなた、名誉もなにもあるものですか。金ですよ、 肝腎なのは金ですよ、その金が入ったことを神さまに感謝し出て行くのです。海軍少尉のところではカルタを手にとった くらいです。そこで勝負の仲間に入れられたのですが、しば たらいいでしよう ! 』といって、彼の肩をばんと叩きました。
す。「ふむ、なんとかもっと楽にしてやりたまえ。俸給の前借は応分のことをしたまでで : : : もう書き違いをしないように膕 でも許してやったら : : : 』と閣下がおっしやる。」。いえ、もね、今度のことはしようがないとして』とおっしやる。 そこで、ヴァーリンカ、わたしはこう決心しました。あな う前借しているのでございます。ずっとさきの分まで前借し ているのでございます。きっと、なにかよくよくの事情があたにもフェドーラにもお願いします、それどころか、もしわ るのでしようが、品行は方正で、ついぞ一度も不始末はあり たしに子供があったら、その子供らにも申しつけますが、ど うか神さまにお祈りしてください。といっても、ただお祈り ませんでした』わたしの天使、わたしは顔から火が出るよう 今にも死んするんじゃありません、たとえ生みの父親のためには祈らな でした、体を地獄の火で焼かれる思いでしたー でしまいそうな気がしました ! 「では』と閣下が大きな声でくとも、閣下のためには毎日かかさず一生お祈りをあげても おっしやるのです。「もう一度大急ぎで書き直すんだね。ジらいたいのです ! それから、あなたにいいたいことがあり エーヴシキン、こっちへ来たまえ、もう一度、今度は間違えます。これは厳粛な気持ちでいうのですから、どうかよく聞 いてください ないように書き直してくれたまえ。さて、そこで : : : 』こう ちかって申しますが、わたしは不運にさ いって閣下は一同に向かって、いろいろな命令を出されたの いなまれていた恐ろしい日々に、あなたを見、あなたの不幸 で、みんなはそれそれに引き取って行きました。一同が引きを見、わが身を見、自分の屈辱と無能ぶりを見ながら、悲し 取るが早いか、閣下はせかせかと紙入れを取り出して、そのみのあまり滅亡に瀕したこともありますが、それにもかかわ 中から百ループリ紙幣を抜き取り、『これはわたしとして応らず、わたしはこの百ループリの金をちょうだいしたという 分のことなんだ、名目はきみのはうでどうともつけて、まあことよりも、閣下が、藁くず同然の酔っ払いにすぎないこの わたしの手に握らしてくだ しがないわたしの手を親しく握ってくだすったことのほう 取ってくれたまえ : : : 』といい、 さいました。わたしはぎくっとしました。魂が底の底までゆが、わたしにとってはずっとありがたいのです、わたしはそ すぶられたのです。わたしは自分がどうなったのかしりませれを誓います ! それによって、あのかたはわたしというも ん、いきなり閣下のお手をとろうとしましたが、閣下はさつのを自分自身に返してくだすったのです、あの行為によって ヴァーリ と顔をあからめて、 ンカ、わたしは毛筋ほどもわたしの心をよみがえらせ、永久に生活を楽しいものにして わたし 事実からはずれたことをいってはいないのです、 くだすったのです。わたしはかたく信じておりますが、この 風情の手をおとりになって、いきなり強くお振りになりまし身は天帝の前にいかほど罪があろうとも、閣下の幸福と安泰 みくら た。まるでご自分の同輩か、将軍にでもなさるように、無造を願うわたしの祈りは、、 力ならすや天の御座に達することと 作に握手をなすったのです。『さあ、行ってよろしい、あれ思います !
「あんた、まあ、ずいぶん長く寝るのね ! 」という優しい女 時間がたって後、ふと目をあけて見ると、やはり同じ床几の 上に、着のみ着のままで寝ているのに気づいて、愕然としの声が聞こえた。 ォルディノフはあたりを見まわした。と、愛想のいい、太 こ。しかも、驚くばかり美しい女の顔が、やさしい心づかい を浮かべながら、彼の上にかがみこんでいて、その顔は一陽のように明るい微笑を浮かべた美しい主婦の顔が、彼のは 面、静かな母性愛の涙に泣き濡れているではないか。彼は頭うへかがみこんだ。 「あんた、ずいぶん長い病気だったわね」と彼女はいった。 の下に枕をあてがわれ、何か暖かいものを着せられ、だれかの 「もうたくさんよ、お起きなさい、なんだってそんな不自由 華奢な手が自分の燃えるような額にのっているのに気がつい た。彼は礼をいいたかった。その手を取って、からからに乾な目をするの ? 自由はパンよりも廿いものだわ、お日さま いた唇へ持っていき、涙にしめしながら、いつまでもいつまよりも美しいもんだわ、お起きなさい、いい子だから、お起 きなさい」 でも接吻したかった。彼は、何かしら、いろいろいいたカ ォルディノフはその手を取って、ぎゅっと握りしめた。彼 たけれども、何をいうのか自分でもわからなかった。彼はこ はいまだに夢を見ているような気がした。 の瞬間に死んでしまいたかった。が、手は鉛のように重く、 動かなかった。彼はさながら全身麻痺したかのよう、ただ血「待ってちょうだい、わたしあんたにお茶をこしらえてあげ か体じゅうの血管を躍り狂いながら、彼を寝床の上に浮かすたから。お茶ほしくない ? ほしいとおっしゃい、気分がよ ような感じがするばかりであった。だれか水を飲ませてくれくなるから。わたし自分でも病気したから、よく知ってるの た : : : ついに彼は失神した。 「ああ、飲まして」とオルディノフは弱々しい声でいい 彼は朝の八時頃に目をさました。太陽は彼の部屋の青黴だ らけな窓 ) 」しに、金色の光を大幅に射しこませていた。何かを起こした。が、まだひどく衰弱していた。悪感が背筋を走 喜ばしい感覚が病人の肢体を甘やかすのであった。彼は静かって、手足が痛み、まるで打ちのめされたようであった。け に、落ちついて、限りなく幸福であった。たったいま枕もとれど、心の中は晴ればれとして、さながら太陽の光線が、何 にだれかいたような気がする。彼は目をさまして、自分の周か荘重な、明るい喜びをもって暖めてくれたかのよう。彼 囲を見まわし、この目に見えぬ人を一生懸命にさがすのであは、目に見えぬ、新しい、カづよい生活が始まったような気 がした。かすかに目まいがする。 鏘った。その親友を抱きしめたかった。生まれて初めて、「ご 「ね、あんたヴァシーリイっていうんでしょ ? 」と彼女はた 機嫌よ , つ、 一日を送ってくださし ~ 、、くの大事なひと」 すねた。「それとも、わたしの聞き違いかしら、うちの人が 主といいたかったのである。
たずねた。 っと身動きしないでいた : : : ついにその場から身をもぎはな舅 高らかな笑い声がゴリャードキン氏のまわりで、どっとばすようにして、料理屋を飛び出した。引き止めようとする者 かりに起こった。給仕までがにたりと笑った。ゴリャードキを、だれかれの容赦なく突きのけはねのけして、手あたり次 ン氏はここでもしくじりをやって、何か恐ろしく馬鹿なこと第の辻馬車に、ほとんど正気を失った身を投じ、そのままわ を仕出かしたのだな、と気がついた。そう気がつくと、彼はが家へ飛ばして行った。 すっかりへどもどして、しようことなしにポケットへ手を突自分の住居の入口で、彼は役所の小使ミヘーエフに出会っ っこんで、ハンカチを探った。それはおそらく、ただばんやた。手に公用の封書を持っている。「わかってるよ、お前 り立っていないで、何かするためだったらしい ところが、何もかもわかっているよ」と、へとへとに疲れ切ったわが主 彼自身はもちろんのこと、居合わす人々の驚き入ったことに人公は、弱々しい悩ましげな声で答えた。「それ、公川なん ハンカチの代わりに何かの薬瓶を取り出したのである。 だろう : : : 」封筒の中には、事実アンドレイ・フィリッポヴ 例の四日前にグレスチャン・イヴァーノヴィチが処方してく イチの署名したゴリャードキン氏宛ての辞令が入っていて、 れたものである。『薬は例の薬屋へ行って』という言葉がゴ彼の預っているいっさいの事務をイヴァン・セミョーノヴィ リャードキン氏の頭にひらめいた : : : ふいに、彼はぶるっとチに引き渡せ、とのことであった。封書を受け取って、小使 身慄いして、思わず恐怖の叫びをあげんばかりであった。まに十コペイカ握らせると、ゴリャードキン氏は自分の部屋へ た新しい一道の光明が流れた : ・ : どす赤い、いやな色をした入った、ベトルーシカは自分のがらくたを一纏めにして、せ 水薬が、不吉な光をはなって、ゴリャードキン氏の目を射たっせと荷造りをしているところであった。明らかにゴリャー ・ : 瓶は彼の手を滑り落ちて、その場でこなごなに砕けた。 ドキン氏を見棄てて、エフスターフィの代わりに使ってあげ わが主人公はあっと叫んで、流れ拡がる液体から、二歩ばかるとそそのかしたカロリーナ・イヴァーノヴナのところへく り跳びのいた : : : 彼は全身をわなわなと慄わしていた。汗がらがえするつもりらしい こめかみと額からにじみ出た。「してみると、命が危いの だ ! 』その間に、部屋の中が騒然とざわめいて来た。一同は ゴリャードキン氏を取り囲んだ、だれも彼もがゴリャードキ ン氏に話しかけた。中には、ゴリャードキン氏をつかまえよ ベトルーシカは体をゆらゆらさせながら、妙こ しくだけた態 うとする者さえあった。けれど、わが主人公は唖のようにロ度で、顔には下司張った得意らしい表情を浮かべて、入って をつぐみ、何一つ見ず、何一つ聞かず、何一つ感じずに、じ来た。彼が何やら考えついて、われこそ完全に正当な権利を