だんなど身の置き場を知らぬほどであった : ー言したかしれませんよ、それこそどんなにでもー 「薬、つまり薬剤ですな ! 」ャロスラフ・イリッチが拙い叫 のような方を大事にせんで、だれを大事にしましようそー ーリンは顔じゅうをびくりとさせ あなたのご病気だって癒してさしあげたでしように、まったび声を立てたために、ム く癒してさしあげましたよ、わたくしは薬を知っておりますて、こう引き取った。「わたくしは百姓育ちの馬鹿な人間で でな : : : 本当にお客になって見えたのならねえ、だんな、ますから、こう申し上げたいので」と彼はさらに一歩つめ寄っ ったく誓って申しますが、お客になって見えたのならー ・ : 」て、言葉をつづけた。「だんな、あなたはあんまり本を読み 過ぎなすった、あまり賢くなり過ぎなすった。それはつま 「本当に、何か薬はないかしらん ? 」とヤロスラフ・イリッ 手 / ↓よ、、、亠ノこ。、 : しまいまでいい終わらなかった。 り、ロシャの百姓のよくいう、知恵が分別のさきへ行ってし まったんで : : : 」 ォルディノフは思い違いをしたのである。彼はそのちょっ 「もうたくさん ! 」とヤロスラフ・イリッチは厳しい調子で と前に、けうとい驚きの表情を浮かべながら、ヤロスラフ・ っこ 0 ィリッチを頭から足の先まで見まわしたのである。 「ばくは失敬するよ」とオルディノフはいった。「ありがと それはもちろん、この上もなく正直潔白な男であったが、 今は何もかも合点がいったのである。そして、まったくのとう、ヤロスラフ・イリッチ。また来る、必ず来る」ャロスラ フ・イリッチが、もう引き留める力もないままに、以前に増 ころ、彼の立場はきわめて難儀なものであった ! 彼は、い して慇懃な態度を見せるのに対して、彼はこういうのであっ わゆる腹をかかえて笑いたかったのである ! もし彼がオル ディノフとたった二人きりだったら、へだてのない親友同志た。 「さよなら、さよなら : : : 」 であるから、もちろん、ヤロスラフ・イリッチは我慢できな いで、笑いの爆発に身をまかせたに相違ない。いずれにして「さよなら、だんな、さよなら。どうか罪の深いわたくし共 も、彼は堂々とそれをやってのけて、笑いの後で真情こめをお忘れにならないで、またお訪ねなすってくださいまし」 て、オルディノフの手を握ったにちがいない。そして、自分ォルディノフはもうなんにも聞こえなかった。彼はなかば は君に対して以前に倍するほどの尊敬をいだいている、少な狂った人間のように、部屋を出てしまった。 もはやこれ以上我慢ができなかった。彼はもう叩きのめさ くとも : : : 深くとがめ立てはしないし、最後に、若気の過ち 婦は見て見ぬ振りをすると、誠心誠意ォルディノフに誓ったはれたようになり、意識も朦朧としてしまった。病魔に体をし ずである。ところが、今は周知のごとくデリケートな心を持めつけられているのは、漠然と感じはしたけれど、冷ややか 主 0 ている彼が、きわめて厄介な立場に置かれたので、ほとんな絶望感が心を完全に支配して、何かしら鈍い痛みが胸を砕
たしに腹をお立てにならないでくださいまし、マカール・ だけです。なんといういやな女でしよう ! ええと、なんで アレグセエヴィチ。なんだか気がふさいでしようがありましたつけ ? まあ、いずれあの女が自分ですっかりあなたに せん ! ああ、このさきいったいどうなることでしよう。話すでしよう。わたしはヘとへとに疲れてしまいました。き わたしの優しい親切なお友達、マカール・アレグセエヴィ ようは役所へも出勤しなかったくらいです。しかし、あなた チ ! 未米をのそいてみるのも恐ろしいようでございまはそんなにやきもきなさることはありません。あなたを安心 す。なんだかしじゅう妙な予感がして、まるでなにか毒気させるためなら、わたしは街じゅうの店を駆けまわるのさえ の中で亠界らしているような思いがします。 いといません。お手紙には、未来をのぞいて見るのが恐ろし いと書いてありましたね、しかし、今晩の六時過ぎにはなに 三伸お願いですから、ただ今わたしの申しましたこと もかもおわかりになるでしよう。シフォン夫人が自分で、お を、お忘れにならないでくださいまし。ひょっとお間違い伺いするといっています。ですから、あまりやきもきしない になりはしよ、、 オし力と心配でたまりません。よろしゅうござでください。希望を持たなければなりません、おそらくなに いますか、タンプール式で、平の刺繍ではございません。 もかも・艮いほ , つに・回かっていくでしよ、フ。 そうですと も。ただわたしはなんですか、あのいまいましいファルバラ が頭にこびりついて、 ええ、あのファル・ハラ、ファルく 九月二十七日 ラ ! わたしはちょっとお邪魔にあがりたいのです、わたし ヴァルヴァーラ・アレグセエヴナさまー の天使、ほんとうにぜひともお邪魘にあがりたいので、これ ご依頼の件はぜんぶ落ちなく果たしました。シフォン夫人までもう二度もお宅の門ぎわまで行ったのですが、どうもあ の申しますには、自分も前からタンプール式に縫いとりをしのプイコフが、いや、これはしつれい、プイコフ氏が怒りつ ようと思っていた、とのことです。このほうが上品なのだ、 ばい人だものですから、どうも、その : いや、今さら何を とかなんとか申しましたが、わたしにはよくわかりません。 いったところではじまりませんー はっきりのみこめなかったのです。それから、またあなたの マカール・ジェーヴシキン お手紙にはファル・ハラと書いてありましたが、あのひともや はりファルバラのことを申しておりました。ただ、ファル・、 ラがどうだといったのか、忘れてしまいました。わたしがお ばえているのは、やたら無性にしゃべり散らしたということ 九月二十八日 マカール・アレグセエヴィチさまー 後生ですから、宝石屋までひと走りしてくださいまし。そ
すけど、そんなことつまらないじゃありませんか。それが他して、自分で自分のからだを大事にし、危いことは避けるよ うにして、友達を悲しませたり、しょげさせたりしないこと 人にとってどうしたというんでしよう ? あなたはわたした ですね。 ちのお知合いですもの、それでたくさんじゃありませんかー : さようなら、マカール・アレグセエヴィチ。きよ、つはも あなたのご希望によると、わたしの生活ぶりやわたしの周 う何も書くことがございません、それに書くこともできませ囲のことが知りたいそうですね。わたしの親しい人、喜んで んの、ひどく気分が悪いものですから。もう一度お願いいた とりいそぎお望みをかなえましよう。まず最初から書きはじ めましよう。そのほうが順序だっていいと思います。だいい しますが、どうかわたしに腹をお立てにならないでください まし。そして、わたしがいつもあなたを尊敬し、あなたに愛ち、わたしたちの表玄関はごく月並みなものです。とりわ ルを持っていることを信じてくださいまし。 け、正面階段は幅が広くて、清潔で、光り輝き、鉄とマホガ だれよりもあなたに心服している ニイばかりでできています。そのかわり、裏階段はお話にも もっとも忠実なあなたの召使 何にもなるものじゃありません、螺旋型になっていて、じめ ヴァルヴァーラ・ドプロショーロヴァ じめして汚らしくて、段々はこわれているし、壁といったら 脂でべとべとして、ちょっと寄りかかっても手が粘りつくほ 四月十二日 どです。踊場という踊場にはトラングや、いすや、こわれた ヴァルヴァーラ・アレクセエヴナさまー 戸棚などが置いてあり、ばろがいつばいかけてあって、窓も ああ、あなたはいったいどうしたことでしようー いつも ところどころこわれており、塵や、ほこりや、玉子の殻や、 いつもわたしをびつくりさせるじゃありませんか。わたしは魚の浮袋や、ありとあらゆる不潔物のつまった盥が置いてあ 手紙のたびごとに、体に気をつけて、薄着をしないように、 って、その匂いのいやなこと : : : ひと口にいえば、よろしく 天気の悪いときには外へ出ないように、万事に細かく気を配ないです。 るようにと書いているのに、わたしの天使、あなたはわたし 部屋の配置のことは、もう書きましたが、それはいうまで のいうことを聞かないじゃありませんか。いやはや、どうも もなく便利にできています。それはそのとおりですが、どう あなたはまるで子供みたいだ。あなたはからだが弱いのでも部屋の中が息苦しいのです。といって、いやな匂いがする す、まるでわらしべ同然、かよわいからだをしていらっしやわけではありませんが、ただなんとなく、もしこんないいか る、それはわたしがちゃんと知っています。ほんのちょっと たができるとすれば、すこし腐ったような、つんと甘酸つば でも風が吹くと、もう病気なさるんですからね。だから用、い いような匂いがするだけです。最初の印象は感心しかねます
ったのか ? 」 なんでもありやしないー ところで、ベトルーシャ、今度は R 「なあに、今のようにそんなふうにおっしやられりや、わっ友達にうち明けるのだと思って、包み隠しなしにすっかりい しも正直にいいますがね、 ーーちゃんと行って来ましたよ、 っておくれ : : : ねえ、お前は書記のヴァフラメーエフのとこ 現に今だって : : : 」 ろへ行ったのかい、住所を教えてもらったのかい ? 」 「ああ、 しいよ、ベトルーシャ、行ってくれたんならけっこ「住所を教えてもれえましたよ、やつばりその住所をね。 ごらん、おれは怒ってなんかいないから : : : ね、ね」 い役人だよ ! そして、いうことにや、おめえのだんなはい とわが主人公はいよいよ従僕のご機嫌をうかがいながら、そい人だ、とてもいい人だ、どうかだんなによろしくいってく の肩を叩いたり、にこにこ笑いかけたりしながら、言葉をつれ、よくお礼をいって、おれはおめえのだんなが大好きだ、 づけた。「ちょっと一杯ひっかけたんだろう、この悪党 : ・ とってもおめえのだんなを尊敬してるって、そういっておく 十コペイカがとこもひっかけたんだろう、しようのない野郎れ、とこんなふうこ、、 ししました。それから、おめえのだんな だが、そんなことはかまわんよ。ね、おれが腹を立てがいい人だから、おめえもやつばりいい人間だろう、ベトル ていないのは、お前にだってわかるだろう : : : おれは怒っち シカー・・ーーとこ , つもいっこつけ : ゃいないよ、そら、怒っちゃいない : 「ああ、やれやれ、なんていうことだ ! それより住所は、 「いんや、だんながなんとおっしやったって、わっしゃ悪党住所は ! ええ、このユダめ ! 」最後の言葉はゴリャードキ じゃありませんよ : : : たたいい人のとこへ寄っただけで、悪ン氏もほとんどひそひそ声でいった。 党じゃありませんや。今まで一度も悪党になんかなったこと 「住所も : : : 住所もおせえてくれましたよ」 はねえんだから : : : 」 「教えてくれた ? じゃ、どこにあいつは、ゴリャードキン 「なに、そうじゃないったら、そうじゃないよ。ベトルーシ氏は住んでいるのだ ? 九等官のゴリャードキン氏は ? 」 まあ、よく聞けよ、ビヨート ル、おれが悪党といった 「ゴリャードキンはシェスチラーヴォチナャ街にいるってそ のも、別にお前を叱ったわけじゃありやしない、あれはただ ういいましたよ。シェスチラーヴォチナャ街へ行って、右の お前を慰めてやろうと思って、上品な意味でいっただけなんほうの階段を上ると、四階目だ、それがゴリャードキンの住 だよ。よく人に向かって曲者とか、したたか者とかいうが、居だって : ・ : こ それは当人がちゃっかりしていて、だれにもごまかされない 「この野郎 ! 」とうとう堪忍袋の緒を切らしたわが主人公は という意味で、つまりお世辞になることがあるじゃないか。 どなり出した。「なんという悪党だ ! それはおれじゃない 人によると、それをかえって喜ぶくらいだよ : : : まあ、まあ、か、それはおれのことをいってるんじゃないか。そうじゃな
ろか、期限前にお返しするし、利息もどれだけ取ってくだすした。わびしい気持ちです ! さようなら、わたしの親しい % ってもかまわない、大丈夫、間違いなしにお返しするから人、神さまがあなたを守ってくださいますようにー ・ジェーヴシキン と、いろいろさまざまに口説き立てた。わたしはその瞬間、 あなたのことを思い出しました、あなたの不幸と貧苦を残ら ず思い出しました。あなたからちょうだいした五十コペイカ 二伸ヴァーリンカ、わたしは自分の悲しみを冗談まじり を思い出しました。いや、だめです、利息はどうでも、抵当 にお伝えしたいと思ったのですが、どうやらその冗談はう がなくちゃ ! それに、だいいち、わしは金を持っておらん、 まくいかなかったらしい。わたしはあなたを慰めてあげる 誓って持っておらんのだ、ご用立てしたいのはやまやまだ つもりだったのです。お住まいにお寄りします、きっとお が』といって、誓いまで立てやがるんです、強盗めー 寄りします。 さて、こういうわけで、わたしはどうしてそこを出たか、 どんなふうにヴィポルグ区を通って、ヴォスクレセンスキイ 八月十一日 橋に出たか、さらにおばえがないくらいです。くたくたに 疲ヴァルヴァーラ・アレグセエヴナ ! わたしの愛する人 ! れて、凍えきって、慄えあがるよう。こうして役所に顔を出わたしは破滅です、わたしたちは二人とも破滅です、二人と したのは、もう十時でした。すこし服の泥を落とそうと思う もども完全な破滅です。わたしの名誉も体面も、なにもかも と、門衛のスネギリョフが、いけません、プラッシを台なし だめになってしまいました。わたしも破滅なら、あなたも破 にしてしまいますよ、プラッシは、だんな、おかみのもので滅です。あなたはわたしといっしょにすっかり破滅してしま すからね、というじゃありませんか。今ではこの連中さえそったのです ! それというのも、わたしのせいです、わたし んな具合なのです。わたしはこの連中の目から見ると、靴のがあなたを破滅に導いたのです ! わたしは迫害され、軽 泥を拭くばろきれにも劣っているのですからね。ヴァーリン蔑され、笑いぐさにされています。かみさんは頭からわたし 力、わたしを苦しめているのは何だと思います ? わたしを に悪態をつくようになりました。きようもさんざんどなり散 苦しめているのは金じゃなくて、こういった浮世の苦労でらして、糞味噌にこきおろし、木つばほどの値打ちもないよ す、みんなのひそひそ話、にたにた笑い、それから意地の悪うにしてしまいました。ゅうべラタジャーエフのところで、 い冗談。閣下までがいつ、なにかの拍子にわたしのことを注誰かがわたしの手紙の下書を声高々と読み上げたのです、そ 意なさるかもしれません。おお、わたしの黄金時代は過ぎ去れはわたしがあなたに宛てて書いたのを、うつかりポケット りましたー きようはあなたの手紙をぜんぶ読み返してみまから取り落としたのでした。みんなで、どんなに笑い倒した
るからって、 馬車に乗る必要があるからこそ、こうしてされぬ懊悩をいだきながら考えた。「それとも、これはおれで はなくて、ただおれに瓜二つというほどよく似た別人という 馬車をやとってるんじゃないか。まったくやくざな連中だ ! あいつらはただの小僧っ体にして、澄まし返っていてやろうか ? そうです、まった おれはちゃんと知っているが、 くわたしじゃないんです、わたしじゃありません、それつきり 子で、まだ粳で引っぱたいてやらなくちゃならない手合いな んだ ! やつらなんか、俸給を貰ったら、「表か裏か ? 」ののことなんですよ』と、ゴリャードキン氏は、アンドレイ・ 賭事をして遊ぶか、どこかをほっつき歩くか、まあ、それくフィリッポヴィチに向いて帽子を取りながら、目をそらさな いで、こういった。「わたしは、わたしはなんでもないんで らいのところが相当してらあ。ひとつあいつらにお説教をし : 』ゴリャードキン氏はすよ』と彼はやっとの思いでつぶやいた。「わたしは、まっ てやるといいんだが、そしてもう : たく何でもないのです、これはけっしてわたしじゃありませ 自分のもの思いを尻きれとんばにしたまま、茫然自失した。 ゴリャードキン氏にきわめて馴染みの深い、はやり切ったカん、わたしじゃありません、それつきりのことですよ』が、 間もなく四輪馬車は貸馬車を追い抜いて、長官の視線の磁カ ザン馬の二頭立てをつけた粋なっくりの四輪馬車が、右側か ら彼の馬車を見る見る追い抜いたのである。四輪馬車に乗っは消え失せた。にもかかわらず、彼は依然、真っ赤な顔を して、にたにた笑いをし、ロの中で何かつぶやくのであっ ていた紳士は、不覚千万にも窓から首を突き出したゴリャー ・「おれも馬鹿だったなあ、声をかけないなんて』と、 ドキン氏の顔にふと気がついて、これも同じく、思いがレオ い邂逅にびつくり仰天したらしく、できるだけ首をかがめな最後に彼は考えついた。「男らしく正直に、しかも品位を落 がら、わが主人公が急いで身をひそめた馬車の片隅を、好奇とさないようにしながら、実はアンドレイ・フィリッポヴィ 心と興味の浴れた目つきでのぞきこむのであった。四輪馬車チ、これこれしかじかで、わたしも食事に呼ばれたのです、 とざっくばらんにいうべきだった。それで事はすんだのじゃ の糸士は、アンドレイ・フィリッポヴィチといって、ゴリヤ なしか ! 』それから突然、しくじったなと気がつくと、わが ードキン氏の勤め先の局長であった。ゴリャードキン氏は、 ここでさる係の副主任をしているのであった。彼はアンドレ主人公はかっと火のように赤くなり、眉をよせて、馬車の前 イ・フィリッポヴィチがはっきり自分の顔を見わけ、目を皿のほうの片隅に、もの凄い挑むような視線を投げた。この視 のようにして見つめているので、もはや隠れるわけには、、 線は彼のいっさいの敵を焼きつくして、灰燼に帰せしめるべ き使命をおびているのであった。 身ぬと見てとると、耳のつけ根まで真っ赤になってしまった。 / の霊感でも得たように、馭者の肘に ついに彼は突然、何 「お辞儀をしたものかどうか ? 声をかけたものかどうか ? 分正直にいったものかどうか ? 』とわが主人公は、筆紙につく縛りつけてある紐を引いて、馬車をとめ、リティナャ街へ引
て、やがてわたしは砂をかぶせられると、ばあさんもわたし推察ができたりするようになってきます。それからもう一 を一人残して行ってしまう。それがあなたのお望みなんでしつ、わたしがあなたの本を好きになったわけは、ほかでもあ よう。罪です、それは罪です、ヴァーリ ンカ ! まったく罪りません。ある著作などは、たとえどんなに立派なものにせ です、はんとうに罪ですー よ、一生懸命に読んでも読んでも、ときには頭が痛くなるほ あなたのご本をお返しします、ヴァーリンカ、そこで、もど考えても、いやにしち面倒に書いてあって、わかったのか しこの本について、わたしの意見をお求めになるなら、わたわからないのか、しれないようなことがあります。わたしな しはこう申しましよう。わたしは今までこんなすばらしい本どは早い話が愚鈍なたちで、生まれたときから鈍にできてい を読んだことがありません。いまわたしはわれとわが身に、 るから、あまり高尚な本は読むわけにいきません。ところが どうしてこれまでこんなにのほほんと暮らしたのだろう、と この本を読むと、まるで自分で書いたような気がする。たと 自間している始末です。いったい自分は何をしていたのか ? えていえば、自分の心を取って来て、 しがない心ではあ どんな森から迷い出たのか ? そういうことがし 、つこうにわるけれども、それをとって米て、みんなに裏返しにして見せ、 からない、それこそまるつきりわからないのです ! ヴァー 何から何までくわしく書いた、といったふうなんです ! そ リンカ、わたしはざっくばらんにい、 しますが、学問のある人れに事柄もありふれた事柄で、いやはや、べつに何も取り立 間じゃない、これまでに読んだ本というのは僅かなもので、 てたことはないー まったくわたしでもあのとおりに書けそ ほとんどなんにも読んでいないといえるほど少ないのです。 うなくらいです。どうして書けないことがあるものか、とい 「人間図絵』という、賢いことを書いた本を読んだことがあう気がします。なにしろ、わたしも本に書いてあるような ります。『大小の鈴でさまざまな曲を演奏する少年』だの、 ことを、あれとそっくりそのとおりに感じるし、ときによる それから「イヴィクの鶴』も読みましたが、それがいっさい と、たとえば、あの気の毒なサムソン・ヴィリンと同じ立場 がっさいで、ほかにはなにひとっ読んだことがありません。 に置かれたこともあります。そればかりでなく、わたしたち ところが、今度あなたのご本で『駅長』を読みました。わたのあいだにはサムソン・ヴィリンが、あれと同じように気の しははっきりいいますが、長年生きていながら、自分の生涯毒な不幸者が、どれだけうろうろしているかしれやしませ を何から何まで手に取るように書いた本が、つい鼻の先にあん ! じつになんとよく書いたものでしよう ! ヴィリン 々るのを知らすにいる、そういうこともままあるものですね。 ま、罪の架い話ながら、やけ酒に身を持ちくずして、はては きそれに、自分でも気がっかないでいることが、この本を読ん性根をなくしてしまい、手のつけられぬ酔っ払いになって、 貧でいるうちに、すこしずつ田 5 い出したり、さがし当てたり、 羊の毛皮の外套を引っかぶったまま一日寝てすごし、悲しく
今日もおとなしいし、明日もおとなしい。ところが、そのう親切な人達にゆるしてもらい、かばいいたわってもらい、飲 ちにおとなしくなくなって、乱暴な真似をする、それで手もみ食いもさせてもらって、困った時に見棄てないようしてほ しい。なおそのほか、プロハルチン氏は何かわけのわからぬ なく自由主義になっちまうんだー ことを口説き立てるのであった。口説き立てながらも、彼は 「いったいぜんたいあんたは何者だね ! 」っいにマルグ・イ ヴァーノヴィチは、ひと休みしようと腰を下ろしかけたいすさながら、今にも天井が落ちて来はしまいか、それとも床が から躍りあがって、部屋中へひびくような声でどなった。そ抜けはしないかと気づかうもののように、けうとい恐怖の色 して、全身興奮と憤激につつまれ、いまいましさと細ざわりを浮かべながら、あたりを見まわしていた。病人のこの有様 のため体じゅうを慄わせながら、寝台に駆け寄った。「いったを見ているうちに、みんなはそそろ哀れを催して、気持ちを やわらげた。主婦は百姓女のようにおいおい泣きながら、自 この宿無し。 いあんたは何者だ ? あんたこそ間抜けだー 分の頼りない身の上を訴え、手ずから病人を床につかせた。 いったいこの世はあんただけが住んでいるのかね ? いった いあんた一人のためにこの世はつくられているのかね ? あマルグ・イヴァーノヴィチも、いたずらにナポレオンの記憶 んたはいったいナポレオンか何かだとでもいうのかね ? さをかき立ててもしよせん無駄だと見て取って、同様にすぐさ まお人好し気分になり、負けずに何かの手伝いをし始めた。 あ、あんたは何者だ ? だれだ ? ナポレオンなのかね ? さあ ほかの連中もめいめい何かしなければという気で、莓の汁な 、、、なさいナポレ ナポレオンかそうでないのか どすすめながら、これは何に対しても即効があるから、病人 オンカそうでなしカ ? : : : 」 も具合がよくなるに相違ない、といった。しかし、ジモヴェ リ、こま返事しなかっ しかし、プロハルチン氏はもうこのしし冫、 た。自分がナポレオンであるのを恥じたのか、あるいはそんイキンはすぐさま一同の説を反駁して、こんな場合には、強 いかみつれの煎薬を服用するのが何より一番だ、と口を入れ な責任を引き受けるのにおじけづいたのかどうか、ーーー彼は た。ジノーヴィイ・プロコーフィチはというと、根が心の優 もはやいい争うことも、筋道の立った話をすることもできな かった : : : つづいて病的な危機がおそった。熱病で火のようしい人間だったので、さめざめと涙を流して泣きながら、さ に燃える灰色の目から、不意に大粒の涙がばろばろとあふれまざまな根もない作りごとでプロハルチン氏を脅かしたこと た。病気でやせ細った骨ばかりの手で、焼けるような頭をかを後悔した。そして、自分は貧乏人だから養ってもらいた、 かえ、寝台の上になかば身を起こして、しやくりあげながといった、病人の最後の言葉を今さらのように想い起こし ら、こんなことをいい出した。自分はそれこそまったくの貧て、義捐金を集めると騒ぎ出したが、それは今のところこの 下宿の内部だけに限ることとした。一同きそって嘆声を発し 乏人で、他愛のない不幸な人間で、馬鹿の無教育者だから、 304
辞職しなければならないものもできるだろう、ーーー要すると臆病そうになり、幾らか疑ぐり深そうなところができたを こういったふうな馬鹿げきった噂話が飛び出すのであっ歩きぶりも用心ぶかくなり、始終びくついたり、聞き耳を立 た。みんなはさっそく、それを本当にしたように見せかけてるようになった。そういったいろいろの新しい性質にかて て、急に真剣になり、いろいろとききほじり、わが身の上にて加えて、彼は恐ろしく真実を求めるのが好きになった。真 及ぶのではないかと心配しはじめるのであった。中には沈ん実に対する彼の愛はしだいに嵩じて、ついには毎日何十とい だ顔つきをして、小首をひねりながら、もし自分がそういう って入って来るニュースの真否を、課長のデミード・ヴァシ ーリチにただすほど冒険をあえてするようになった。プロハ 不運にあったらどうしよう、とでもいうように、一人一人に 意見を求めるものもあった。プロハルチン氏ほどのおとなし ルチン氏のこうしたとっぴな所行の結果について、われわれ いお人好しでなくっても、こうみんなが口を揃えて騒ぎ立てが沈黙を守ることにしたのは、ほかならぬ彼の世評に対する たら、あわててまごっかずにいられないのはもちろんであ同情の念によるものである。こうして、彼は人間嫌いで、社 る。のみならず、あらゆる点から推して、間違いなく結論す会の作法を無視する男だと決められてしまった。その後、彼 ることができるのは、プロハルチン氏という人は、自分の分という人間には幻想的なところがたくさんあると気がついた 別に及ばないような新しいしらせに対しては、常に並々ならが、これまたもうとうまちがいではないのである。なぜな ず鈍感でいこじなことである。いつも何か新しい報知に接すら、プロハルチン氏が時とすると、すっかり忘我の境におち いって、ロをばかんと開け、ペンを空中に持ったまま、化石 ると、初めよく咀嚼し消化して、その意味を求め、まごっい たり混乱したりしたあげく、やっとの思いで納得するのだのように剛直してしまうということも、一度ならず人々の認 が、それもまったく特別な、彼独自のやり方なのである : めたところだからである。そういう時の彼は、理性を有する こういった次第で、プロハルチン氏は今まで思いもそめなか存在物というよりも、その理性を有する存在物の影に似てい だれかばんや ったような、世にも珍しい性質を暴露した : : さまざまな噂るのであった。こんなこともよくあった、 や取沙汰が行なわれるようになり、ついにはそれがすっかり りした罪のない先生が思いがけなく、プロハルチン氏の何か ありのままに、というより、むしろ尾ひれをつけて役所にまさがし求めているような、どんより濁った、きよときよと落 氏で拡がってしまった。なおそのうえに、、 しつの頃とも覚えぬちつかぬ目つきに出会うと、思わず身内に陳えが起こってお 台昔から、年中ほとんど同じ顔つきをしていたプロハルチン氏じけづき、たちまち大事な書類に「ユダヤ人」とかなんと ( が、とっぜん変わった人相になったことも、事件の効果を増か、まるで用もない言葉を書いてしまう。プロハルチン氏の プしたのである。顔つきが不安そうになり、目はきよときよと たしなみのない所行は、真に潔白な人々を当惑させ、侮辱す 289
ちから、お婿さんのことなど考えないこってすよ。お婿さんが、あなたはこんなことを考えていらっしやるのじゃありま R なんか、時期がくれば、自然に見つかるものです、そうですとせんか、 これこれしかじかで、まんまと首尾よく二人で も、お嬢さん ! もちろん、いろいろな檮古ごとをしなくち逃げおおせ、その : : いわばどこかの海岸に茅の屋根を見つ ゃならないのは、いうまでもありません。つまり、時にはビ けて、鳩のように睦じいささやきを交しながら、さまざまな アノをひいたり、フランス語を話したり、歴史、地理、神学美しい感じを語り合い、幸福と満足の中に暮らしていく、と 初歩、算術、 こんなものも知っていなけりゃならないー でも考えていらっしやるんですか、やがてそのうちに、かわ が、それより以上のことは必要ありません。ああ、それから しい雛鳥が生まれて、わたし達はそこで : : : あなたのお父さ お料理、品行方正な淑女のたしなみとしてのお料理は、ぜひんに向かって、五等官ォルスーフィ・イヴァーノヴィチ、か とも心得ていなくちゃなりません ! ところが、今はそれどようかようの次第で子供が生まれましたから、このおめでた ころか ! 第一に、お嬢さん、あなたは家を抜け出ることない折に免じて勘当をゆるしていただきたい、二人を祝福して んかできませんよ。よしんば抜け出ることができたにもせ と申しでる : いただきたい、 いや、お嬢さん、もう一どい よ、すぐさま追っ手がかかって、あげくのはてに尼僧院へ押いますが、物事はそんなふうこ、 冫しくものじゃありません。ま しこめられてしまいます。その時はいったいどうするつもりず、第一に、鴻のような睦じいささやきなんてものはありや です、お嬢さん ? わたしにどうしろとおっしやるのです ? しません、そんなことをあてにしないでくださいよ。今時の 馬鹿げた小説の真似をして、近くの丘の上に昇って、あなた夫は主人であって、しつけのいい善良な妻なるものは、何事 を閉じこめている冷たい壁を眺めながら、さめざめと泣き濡につけても、夫の気に入るように努めなければなりません。 れたうえ、とどのつまり、ドイツあたりのけがらわしい詩人今の世の中では、現代のごとき産業の世紀においては、甘っ や小説家の例にならって、死んでしまえとでもおっしやるんたるい真似なんかありがたがらないのですよ、お嬢さん。 ですか ? いや、第一、遠慮のないところをいわしてもらうわば、ジャン・ジャック・ルソーの時代は過ぎ去ったのです と、物事はそんなふうにやるものじゃありません。第二こ からね。たとえば、夫がお腹をすかして役所から帰って来て、 は、あなたばかりかあなたのご両親まで、あなたにフランスおい、お前、何かひとロやるものはないかね、ウォートカを の本を読ましたというかどで、こっぴどく鞭でぶんなぐられ一杯やって、あと口に鰊をつまむ、っていうわけに、、 ますよ。なにしろ、フランスの本はろくなことを教えてくれかね、とこうくるんです。すると、お嬢さん、あなたはいつで やしません。その中には毒があります : : : 人間を腐らす毒がもウォートカと鰊が出せるように、用意していなければなり ありますよ、お嬢さん ! それともあえておたずねしますませんぜ。夫は一人でうまそうに一杯やって、あなたのほう