たら、なおさらのことである。そして、彼女自身の希望に遡 0 た、ーー彼女はその原因を、自分の位置に対する彼の無意 ドクス 語が一致する場合などは、喜んでその逆語を厳正な推論に受識な侮蔑が、漸次生長していくためであると解釈した。ある け取・つてしま、つ。リ ーザがヴァーシンを愛するようになっ とき彼女はヴァーシンに向かって、彼がいつも兄のわたしに たのは、彼女の立場に同情を示されたためであるが、また初好意を示してくれることや、頭脳からいえば、わたしなどよ め彼女の目に映じたところによると、ヴァーシンは公爵にも りはるかに上でありながら、同等の人としてわたしに話をす 同情をよせているらしかったせいである。彼が自分に特別のること ( つまり彼女はわたしの言葉をそのまま伝えたのだ ) 感情をいだいていると察したリーザは、彼が競争者に同情をなどを感謝した。彼はそれに答えて、 よせる態度に感銘しないではいられなかった。 「それはそういうわけじゃありません、またそういう理山の ところが、公爵は、彼女自身の口から、ときどきヴァーシためでもありません。それはつまりばくがあの人と世間の人 ンのとこへ相談に行くと聞かされたとき、まず最初からなみ たちの間に、何らの差異をも認めないからです。ばくはあの なみならぬ不安をもって、この知らせを受け取った。彼は嫉人を利ロな人間よりばかだとは思いませんし、善良な人間よ 妬の炎を燃やしはじめた。リ ーザはこれに侮辱を感じ、わざり意地悪だとも思いません。ばくは万人に対して平等です。 と面あてにヴァーシンとの交渉をつづけた。公爵は何もいわなぜって、ばくの目から見ると、すべての人がみんな平等だ なくなった。けれども、浮かぬ様子をしていた。その後 ( だ から」 いぶ時がたってから ) リーザが自分でわたしに白状したが、 「まあ、ちっとも相違をお認めになりませんの ? 」 それからすぐに間もなく、ヴァーシンが好きでなくなったと 「なに、もちろんすべての人は、何かお互い同士ちがったと のことだ。彼はいつも落ちつきはらっていた。つまり、このころを持っています。しかし、ばくの目にはいっさい相違が 永久にむらのない落ちつきはらった態度が、初めあれはど気存在しません。なぜなら、世間の人の相違は、ばくに関係が に入っていたにもかかわらず、やがてひどく虫が好かぬよう ないからです。ばくにとって、すべての人は平等です、いっ に感じられてきた。見たところ、彼は事務家らしく思われさい無差別です。だから、ばくは凡百の人に対して、同じよ た。また実際、一見いかにも有益らしい忠言を、いくつか彼うに善良なのです」 女に与えたことがあるけれど、それがみんな実行不可能なも 「まあ、あなた、そんなことでお退屈じゃありません ? 」 年のとわかった。ものを批判する態度にしても、どうかすると 「いや、ばくはいつも自分に満足しています」 成恐ろしく高飛車で、彼女にきまりわるがるようなふうは毛筋「それで、あなたはなんにもお望みになりませんの ? 」 未ほどもなかった。先へ行けば行くほど、その傾向が大きくな 「どうして望ますにいられます ? しかし、大して烈しい渇 43 ノ
識を過信して、あまり性急に自己一流の論理から割り出した ヴェルシーロフは、この若い婦人の親友となったとき、彼 % 結論をくだす傾きがあります。もっとも、その論理は時とし女に結婚を申し込んだ。というのは、右の事情が知れてきた て、なかなか深刻なこともあるんですがね。ところが、事実からである ( しかし、両親はそんなことを最後まで夢にも知 この事件は、関係人物から推して見ても、はるかにファンタらなかったらしい ) 。恋せる娘は有頂天になってしまい、ヴ スチックな、意想外な色彩を持ちうるに相違ない。実際そのエルシーロフの申込みを『ただの自己犠牲ばかりとは思わな とおりでしよう。多少事実を知っていながら、彼はあの赤んかった』が、しかしそれをありがたく思ったのも事実であ 坊をヴェルシーロフの子だと断定したが、ほんとうはヴェルる。『もっともヴェルシーロフはもちろん、そういうことは シーロフの生ました子じゃないのです」 上手にやりますからね』とヴァーシンはつけ足した。赤ん坊 わたしは根掘り葉掘り聞きただして、次のような驚くべき ( 女の児 ) はひと月か、ひと月半ばかり早く生まれた。そし 事実を知ったのである。はかでもない、赤ん坊はセルゲイ・ て、やはりドイツのどこかへ預けられたが、その後ヴェルシ ー丿スキイ公爵の子なのだ。リジャ・アフマーコヴァは ーロフが引き取って、今はロシャのどこかへ置いている、ひ 病気のせいか、あるいはまたたんにとっぴな性質のためか知よっとしたらペテルプルグかもしれない。 らないが、時とすると、気ちがいそっくりの真似をした。彼「で、黄燐マッチは ? 」 女はまだヴェルシーロフに近づかないうちに、この公爵に血「それはばくちっとも知りません」とヴァーシンは断言し 道を上げた。ところが公爵は、ヴァーシンの言葉によると、 た。「リジャ・アフマーコヴァは分娩後、二週間たって死ん 『なんの造作もなく彼女の恋を受け入れた』のである。しか だのです。それについてどういうことがあったのか、ばくは し、この関係はほんの東の間で、二人はすでに前にもいった知りません。公爵はパリから帰って初めて、赤ん坊のできた とおり諍いをして、リジャは公爵を自分のそばから追い払っ のを知ったのですが、はじめのうちは自分の子だと信じなか 『こちらはかえってそれをもつけの幸いにした』らし ったらしい。ぜんたいとして、この事件はどの方面からも、 いとのことである。彼女はきわめて奇矯な娘で ( とヴァーシ 今日まで極秘にされてるんですよ」 ンはつけ加えた ) 、時には健全な意識を失うようなこともあ「しかし、その公爵はなんて男でしよう ! 」とわたしは憤 ったらし、。 しかし、公爵がパリへ向けて立ったときに、彼のあまりこう叫んだ。「病身の処女に対して、なんてことを はリジャがどんな体になっているかを、まるで知らなかっしたものでしよう ! 」 オ彼は最後まで、パリから帰って来るまで、知らなかった 「リジャはまだその当時、そんなに病身じゃなかったんです のである。 よ : : : それに、自分のはうから公爵を追っ払ったんですから ) 0
「もっとも、それは好きずきです。きみが自分からいわせた て無欲恬淡なものです : : : 」 「しかし ? ・ : しまいまでいってください、ヴァーシン、あんじゃありませんか。さもなかったら、ばくだまってたとこ ろなんですよ」 こよ『しかし』があるんでしよ、つ ? 」 なたの説しし 「よしその行為に『台座』があったって、それでもやつばり 「ええ、むろん『しかし』があります。ヴェルシーロフ氏の いいですよ」とわたしはつづけた。「台座は台座でも、しか 行為は、ばくにいわせると少し早まりすぎてるし、それにあ しそれ自身が大いに尊重すべきものです。この『台座』は要 まり率直とはいえませんね」とヴァーシンはほほ笑んだ。 するに、例の「理想』です。いまの人の心には、往々にし 「率直じゃないんですって ! 」 、とはいえま 「そうです、そこには一種の『台座』があります。なぜって、この芸口座』が欠けてるが、そのほうがいし て、いつでもあれだけのことを、自分に損のいかないようにせんものね。少しくらいは醜いところがあっても、それを持 ってるほうがいいですよ ! あなた自身もきっとそう思うで 実行することができたはずなんですからね。どんなに小心な 見方をしたって、よしんば半分でないまでも、遺産の幾分かしよう。ねえ、ヴァーシン、ばくの敬愛するヴァーシン、 は、今でも当然ヴェルシーロフ氏に属すべきなんです。ましね、そうでしよう、ヴァーシン ! 要するに、ばくは図に乗 て、あの証書は決定的な意味を持っていないし、訴訟もあのって、でたらめをいってたけど、あなたにはばくのいうこと 人の勝ちになったんですからね。相手方の弁護士さえも、同がわかるでしよう。それでこそヴァーシンなんですよ。とに かく、ばくはあなたを抱いて接吻しますよ、ヴァーシン ! 」 様こういう意見をもっています。わたしはその弁護士とたっ た今、話をしてきたばかりなんです。そうしたって、きっと 「うれしさのあまりですか ! 」 まさり劣りのないくらい、美しい行為ということになったで「ええ、うれしさのあまり。だってあの人間は、『死したり しようにね。ところが、ただ矜持の欲望のために、別種の結しが甦り、失せたりけれど見いだされぬ』ですもの ! ヴァ 果を生じたのです。一番いけないのは、ヴェルシーロフ氏が ーシン、ばくはやくざな小僧っ子で、あなたの同情をうる価 少し熱くなったことです、ーーー余計なせきこみ方をしたこと値はありません。ばくがこんなことを自白するのは、どうか です。現にさっき自分でも、まだ一週間くらいは延ばせるとすると、ずっと高尚になり、ずっと深刻になることがあるか こだったと、そういったじゃありませんか : らです。ばくはね、一昨日あなたを面と向かって褒めそやし 年「ねえ、ヴァーシン ! ばくはあなたに同意せざるをえない たでしよう ( あれはただあなたがばくをとっちめて、恥をか 成ですが、しかし : : ばくはああしたほうが好きなんです、あかせたからにはかならないんです ) 、そのために、まる二日 未あしたほうが好ましいんです ! 」 ばくはその晩、以四 間あなたを憎み通しましたよ、ばくはー
「ばくとしては、こんな事件に関する批判は断然拒絶しま 叫んだ。 だけす」とヴァーシンは物語を結んだ。 「いやいや、どうして。どこかよそで知合いになった で、ごく遠々しい間柄だったのです」 実際、ヴァーシンはあれだけの頭脳を持っていながら、女 「ああ、なるはど、妹がばくに赤ん坊のことをいってたつのことはてんからわからなくって、多くの思想や現象は、彼 いったい赤ん坊もルガにいたことがあるんですか ? 」 にとって風馬牛におわったのかもしれない。わたしはロをつ ぐんだ。 「ちょっとの間」 「じゃ、今どこにいるんです ? 」 ヴァーシンは臨時に、ある株式会社へ勤めていたので、自 「きっとペテルプルグでしよう」 宅へもしよっちゅう仕事を持って帰ることを、わたしは知っ 「どんなことがあっても、ばくほんとうにしやしない ! 」とていた。わたしの執拗な問いに対して、今日も仕事、計算書 を持って帰っていると白状した。で、わたしはどうか自分に わたしは極度の興奮に駆られて叫んだ。「母がこの事件に このリジャの一件に関係してるなんて、ばかばかしい ! 」 遠慮をしないでくれと熱心に頼んだ。彼はそれにしごく満足 「この事件には、いろいろの魂胆ゃいきさつがあるでしようらしかった。しかし計算に向かう前に、彼はわたしのため長 。、、ばくはそれを一々解剖してみようとは思いません。しか っこ。はじめ彼はわたしにべッ いすの上に寝床を敷きにかかオ し、そのほかにヴェルシーロフの演じた役まわりは、、 ドを譲るといったが、わたしがたって辞退したので、これに っ非難すべきものじゃありません」ヴァーシンは寛大に微笑も同様、満足そうな様子だった。枕や毛布などは、女主人の ところから借りて来た。ヴァーシンは恐ろしく丁寧で、愛想 しながらいった。彼はわたしと話をするのが大儀になってき たらしいが、それでも顔には少しも出さなかった。 がよかったけれど、しかしわたしは自分のためにこんなに骨 「ばく、ばくは決してほんとうにできません」とわたしはま折ってくれるのを見るのが、なんだか胸苦しく感じられた。 た叫んだ。「女として自分の夫をほかの女に譲りうるなんそれより三週間ばかり前、偶然ペテルプルグ区のズヴェーレ て、ばくそんなことは金輪際、信じられないー ばくちかっ フのところで泊まったときのほうが、ずっと気持ちよかった。 てもいい、母は決してそんなことにかかりあいはしなかったそのとき彼はやはり長いすの上へ、叔母に内緒で寝床を作っ のです」 てくれた。それは友達が泊まりに来るのを知ったら、叔母 「しかし、べつに反抗はしなかったらしいですね」 が腹を立てるに相違ないから、となぜか想像したがためであ 「ばくがお母さんの位置に立ったら、たんにプライドのためる。シーツのかわりにシャツを敷いたり、枕のかわりに外套 のみでも反抗しませんよ ! 」 を置いたりしたとき、わたしたちは大笑いに笑ったのを覚え
し、たくさんだ、もうたくさんだ。わたしはあまり先まわり書いている今この瞬間、なぜ彼のところへ飛んで行ったかと しすぎる。 いうわけを、もうそのときから、微細の点まで知りぬいてい が、さて、わたし自身はどうだろう ? わたしははたしてたような気がする。しかも、しつこいようだが、わたしはな 何か知っていただろうか ? 病後はじめて外出したとき、そんにも知らなかったのだ。おそらく、読者はこれを諒解して アントルフィレ もそも何を知っていたろうか ? この雑報記事を書きだすと くれると思う。さて、閑話休題として、一つずつ順序を追っ き、最初の外出の日には何も知らなかった。いっさいの事情て、事実を述べていこう。 を知ったのはずっと後のことで、もう何もかもおしまいにな 2 ったときだ、とこういうふうにことわっておいた。それはほ んとうのことだ、が、はたして全部そのとおりか ? わたしが初めて外出する二日前の夕方、リーサが全身に不 そのとおりとはいえない。わたしは早くも何かのことを間違安を表わしながら帰って来た、 これが事件の発端なの いなく知っていた。いや、むしろあまり多く知りすぎるほど だ。彼女はぶりぶり憤慨していた。案の定、彼女はとうてい だった。しかし、それはどういうわけか ? 読者よ、例の夢耐えがたい侮辱を受けたのである。 のことを思い出してもらいたい ! ああいう夢がすでに存在彼女がヴァーシンと交渉を持ちはじめたことは、もはや前 しうる以上、ああいう夢がわたしの心から流れ出て、ああい に述べておいた。彼女がヴァーシンのところへ出入りするよ う形に結品しうる以上、 つまり、わたしはうんとたくさ うになったのは、たんにわたしたちを必要としないというこ んのことを知っていたわけだ。よしんば知っていたといえなとをわたしたちに見せつけるばかりでなく、事実ヴァーシン いまでも、前に説明した事実の大部分を予感していた。しかを高く買っていたからである。二人の交際はすでにルガ時代 し、それをはんとうに知ったのは、『もう何もかもおしま からはじまっていた。そして、ヴァーシンはまんざら無関心 になった』ときなのだ。要するに、知識はなかったけれど、 でないらしいと、いつもわたしの目にそう映じていた。とっ 心臓は予感のために烈しく鼓動し、不吉な夢魔はわたしの眠ぜん襲ってきた不幸のために、彼女は無理からぬことである りを領しつくした。 が、つねに毅然として落ちつきのある、しかも高遠な志望を そこで、わたしはラン・ヘルトの人物を十分に承知して、しか有する人物の忠言を、求めたくなったわけである。彼女は実 も詳細の点まで、それとなく予感しているくせに、わたしは際ヴァーシンを、かような人物であると信じていたのだ。 この男のところへ飛んで行ったのだ ! ぜんたいなんのためかてて加えて、女というものは男性の評価にかけては、あま に飛んで行ったのか ? 不思議なことには、わたしはこれをり大した眼力をそなえていない ことに、その男が気に入っ
いませんよ」 を、かくべっ力を入れて明言していました。これはあの婦人 「少々せつかちですね、現代の青年は。しかし、まだそのほのいった言葉そのままなんです。当の死んだ娘も、あなたが か、現実に対する理解が少ないという欠点があるのは、もち帰った後で、この意味であなたを褒めたそうですよ」 ろんです。それはいつの時代でも青年につきものですが、今 「そうかね ? 」とうとうわたしのほうへちらと視線を向けな の青年はどうもことに : : ところで、スチェペリコフ氏はあがら、ヴ , ルシーロフは気のない調子でつぶやいた。「じゃ、 のとき何をしゃべったのです ? 」 この手紙をしまっておおきなさい。 これはこの事件に関する 「スチェべリコフ氏がいっさいの原因なのです」とわたしは必要書類ですからね」彼は小さな紙きれをヴァーシンに差し だしぬけに口を入れた。「もしあの人がいなかったら、何事も出した。 起こらずにすんだのです。あの人が火に汕をさしたのです」 こちらはそれを受け取ったが、わたしが好奇の眼を輝かし ヴェルシーロフは黙って聞きおわったが、わたしのほうをているのを見て、読めといってわたしにわたしてくれた。そ 振り向こうともしなかった、ヴァーシンは顔をしかめた。 れはおそらく暗闇の中で鉛筆で不揃いに走り書きした、たっ 「わたしはそれからまた、ある一つの滑稽な点についても、 た二行の手紙だった。 自分を責めてるのです」依然ゆっくりと、一語一語ひき延『愛する母上様、いま人生の初舞台を中絶しようとしている ばすような調子で、ヴェルシーロフは語りつづけた。「どうわたしを、どうかおゆるしくださいまし。あなたを悲しませ もわたしは悪い癖で、あのときもあの娘さんに一種のうきう たオーリヤより』 っ きした態度をとって、例の軽薄らしい笑い方なぞをして見せ「それはやっと今朝見つけたんです」とヴァーシンがい た。つまりぶつきら棒で、そっ気なくて、陰気らしくする度た。 合いが足りなかったのです。この三つの性質は、現代の青年「なんて奇妙な書置きだろう ! 」わたしは驚いてこう叫ん に非常に尊重されてるようですからね。てっとりばやくいえだ。 フラン ば、わたしはあの娘さんに対して、さ迷えるセラドン 「どうして奇妙なのです ? 」ヴァーシンがたずねた。 「だって、こんな場合ューモアを弄することができるもので 人公、をあさる男の異名 ) と想像せらるべき根拠を与えたわけな のです」 「それはぜんぜん反対です」とわたしはまたもや言葉するど ヴァーシンはいぶかしそうにわたしを見た。 く口を入れた。「隣りの母親は、あなたがまじめで、厳正「だって、奇妙なユーモアじゃありませんか」とわたしはっ で、真摯だったために、とても立派な印象を与えられたことづけた。「これは、中学校や女学校の学生仲間で使う符牒な 」 92
んですよ : : : ねえ、こんな場合、不幸な母に宛てたこんな書現にわたしは、文学的修養が足りないという点で、あなたを 置きに、どうして『人生の初舞台を中絶する』なんて書ける非難しようと思いませんが、あなただってやはり、現代の青 んでしようーーーしかも、母親はあの娘を、とても愛していた 年に相違ないでしよう」 んですからね ! 」 「だからヴァーシンも、『初舞台』が少しも悪いと思って 「どうして書いちゃいけないんです ? 」ヴァーシンはまだ合 ないのです」わたしはこうロを入れずにいられなかった。 点がいかないのだった。 ヴェルシーロフは黙ってヴァーシンに手を差し伸べた。こ 「そこには少しもユーモアなんかありやしない」とうとう、 ちらは彼といっしょに出かけるために、同じく制帽を取り、 ヴェルシーロフが口を切った。「もちろん、これはずいぶんわたしに向いて『さようなら』と叫んだ。ヴェルシーロフは 不適切ないいまわしで、この場合の調子に合っていない。そわたしのほうへは目もくれずに出て行った。わたしとても同 して、実際お前のいったとおり、女学校か何か、そんなとこ様、ばんやりと時間を潰してはいられなかった。どうあろう とも、貸間をさがし出さなければならないのだ。今の場合、 の学生仲間で符牒にされたり、新聞の雑報欄で使われたりし そうな言葉だが、死んだ娘はそれが場違いのものとはきっとそれがいかなるときにもまして必要なのだ ! 母は女あるじ 気づかずにつかったものだろう。この恐ろしい書置きの中のとこにいなかった。彼女は隣りの女を連れて、家へ帰った で、まったく単純にまじめにそれを使ってるんだよ」 のだ。わたしはなぜかとくべっ勇み立った気持ちで外へ出た 「そんなはずはありません。あの娘は女学校を銀牌で出てる : : : 何かしら新しい力強い感触が、わたしの、いに生じたので んですもの」 ある。それに、何もかもがわざとわたしを助けてくれたかの 「銀牌なんかこの場合、なんの意味もありやしない。今の世ようだった。わたしは偶然にも、さっそく頃合いの貸間をさ の中には、そういうふうにして学校を出るものがたくさんあがしあてたのである。この貸間のことは後にして、今はかん るよ」 じんなことを片づけてしまおう。 やっと一時をちょっとまわったころ、わたしは自分の鞄を 「また青年論ですね」とヴァーシンが薄笑いを洩らした。 「決して」ヴェルシーロフは席を立って、帽子を取り上げな取りに、一度ヴァーシンの住居へ帰って来た。彼はちょうど がら答えた。「現代の青年があまり文学的でないにしろ、そうちに居合わせた。わたしの姿を見ると、彼は愉快そうな真 年れでも間違いなく : ・ ・ : 別の長所を持っています」と異常に真摯な顔つきで叫んだ。 「ああ、いし 、あんばいにきみに会えてうれしかった。ばくは 成剣な面持ちで彼はつけ加えた。「それに、「たくさん』という いま出かけるとこだったのです ! 実はきみにとってきわめ 2 未ことは、『ぜんぶ』を意味するわけじゃありませんからね。
そばには、不仕合わせな隣りの女、ーー自殺した娘の母親が 「しかし、考えをひるがえさせることはできなかったかもし ならんでいるのだ。二人は互いに手を取りあいながら、たぶれませんよ。あなたのことがなくっても、もういい加減熱し んわたしをおこさないためだろう、小さな声で話しあってて、沸騰してたんですからね」とヴァーシンはちょっとつい は、二人とも泣いている。わたしは床を出ると、いきなり母でのようにいっこ。 に飛びかかって接吻した。母は満面びに輝き、わたしに接 「いや、できたんです、きっとできたんです。実はわたしの 吻しながら、右の手で三ど十字を切ってくれた。わたしたち代理にソフィヤをやろうか、という考えもあったのですが、 がまだ一言も物をいわないうちに、戸が開いて、ヴェルシー それはちらと頭をかすめただけです。まったくかすめただけ ロフとヴァーシンがはいって来た。母はすぐに立ちあがり、 なんです。ソフィヤなら、一人で行ってもたしかに成功した 隣りの女を連れて行ってしまった。ヴァーシンはわたしに手でしよう。そして、あの不幸な娘さんも助かったに相違ない。 を差し伸べたが、ヴェルシーロフはわたしに一言も口をきか いや、も、つこれからは : ・『善行』などといって、出しやば ・伐も母といっしょに、 ないで、肘掛けいすに腰をおろした、 / るのをよしましよう、ほんとうに生まれてこのかた、たった もうしばらくここにいるらしい。彼は眉をひそめて、心配そ度出しやばっただけなんですがねえ ! わたしは今まで、自 うな顔をしていた。 分は現代から遅れてはいない、新しい青年を理解していると、 「何よりいちばん残念なのは」と、彼はヴァーシンに向かっ 思い込んでいましたが、老人は若い者が成熟するより前に、老 て、とぎれとぎれに口を切った。前に始めた会話のつづきら いばれてしまうんですね。ついでですが、今の世の中には、つ しい。「昨夜のうちにこれを丸く納めておかなかったことでい昨日までそうだったからという理由で、習慣的に自分を相 す。そうしたら、こんな恐ろしいことは起こらなかったでし変わらす若き世代であると信じきって、その実もう予備には よう ! それに、時間の余裕もあったんですからね。まだ八 いってることを知らない人が、ずいぶん大勢いますからね」 時になってなかった。昨夜あの娘さんが家を駆け出すやいな 「あれは誤解だったのです、明白すぎるくらい明白な誤解だ や、わたしはすぐに跡をつけて行って、考えをひるがえさせったのです」とヴァーシンは穏健な調子で注意した。「母親 ようと心にきめたんですが、しかしあの思いもよらぬのつびの話を聞きますと、あの娘さんは女郎屋で残酷な侮辱を受け きならぬ用事、 といっても、ムフ日まで : いや、一週間てから、どうやら発狂したらしいのです。それにいま一つ、 年くらい延ばすことができたんですが、 あのいまいましい商人から受けた最初の侮辱というものを加えてごらんなさい 成用事が邪魔をして、何もかも打ちこわしてしまったのです、 : こういうことは、以前の時代にだって同様起こりうるこ 未まったくこういうふうにかち合うもんですねえ ! 」 とで、わたしの考えでは、少しも現代の青年を持質づけては
冗談にいったんですね ? なかなか気がきいてる。ばくはい はまったく黙っていた。で、さきほどの訪問も単なる挨拶と いうことで説明しておいた。わたしはいったんヴェルシーロ つもこの時刻にお茶を飲むので、これからすぐいいつけます フに向かって、あの手紙のことはわたし以外だれも知るもの が、きみも相手をしてくださるでしようね」 ~ 伐はこ、つ はないと断言したので、この点だれにもあれ、口外する権利 いいながら、わたしの鞄と風呂敷包みをじろりと はないと感じたのである。それに、わたしはある種の事柄を 見まわして、出て行った。 実のところ、わたしはグラフトの敵討ちに、何か少し意地ヴァーシンに伝えるのに、なぜかとくに嫌悪を感じるように よっこ 0 の悪いことをいってやりたかったので、ああいうふうにいっ たのだが、面白いことに、彼は初め「ばくらのような生き残しかし、それはたんにある種の事柄にかぎるので、ほかの った連中』云々というわたしの一一一一口葉を、まじめにとったのことは必ずしもそうばかりではない。わたしは、さきはどこ だ。が、それはとにかく、なんといっても、彼はすべての点 この廊下でもちあがり、ついにヴェルシーロフの家で終わり において、 感情の点からいっても、わたしより公正だつを告げた隣室の女の事件を話して、まんまとヴァーシンの興 た。このことはいささかの不満もなしに自覚されたが、それ味をそそった。彼はなみなみならぬ注意をもって聞きおわっ でもわたしはこの男がいやでたまらないと、はっきり意識し た。ことにスチェペリコフの一件に興味を持って、この男が たのである。 デルガチョフのことを根掘り葉掘りした話なそは、二度もわ たしにくり返さして、考え込んだくらいである。が、それで 茶が運ばれたとき、わたしは彼に向かって、今夜一晩だけ 泊めてもらいたいが、もしいけなかったら、遠慮なくそうい も結局、にたりと笑った。この瞬間、わたしはふとこんなこ ってもらいたい、わたしは宿屋へでも引き移るからと申し込とを感じた、 ヴァーシンはどんなことに出会っても、 つかなとほうに暮れるなどということのない男に相違ない、 んだ。それから、なるべく詳細にわたらないようにして、 と。もっとも、今でも覚えているが、この点に関する最初の よいよヴェルシーロフとの間が決裂するにいたった原因を、 言葉すくなく、簡単明瞭に説明して聞かせた。ヴァーシンは想念は、彼にとって有利な意味をおびていたのである。 「ぜんたいとして、ばくはあのスチェ・ヘリコフ氏の話したこ 注意ぶかく耳を傾けていたが、少しも興奮した様子はなかっ た。概して、彼は問われたことに答えるだけだった。もっととを、十分理解することができなかったのです」とわたしは も、その答えはなかなか愛想がよくって、かなり内容も十分結論を下した。「あの人のいうことは辻褄が合わなくて : だったけれど。ところで、例の手紙の件については、先刻そそして、人物にもどことなく軽薄なとこがありますよ」 わたし ヴァーシンはとたんにまじめな顔をした。 のことで彼の助言を求めてたずねて来たのだが、
選ぶことによって、彼に対するこちらの尊敬を底までひらい腹の中で明らかにした。と、思いがけなく、わたしの頭に次 て見せるわけである。それはむろん、彼の心に媚びるに相違のような考えが浮かんだ、 わたしがこんなにヴァーシン もっとも、わたしがしんからこの手紙のことを心にかの忠言を渇望して、わざわざここへやって来たのは、ただた けて、第三者の決定を必要と信じていたのはほんとうだが、 だ自分がどれくらい高潔無私な人間であるかを彼に知らせた しかし思うに、そのときはもういっさい第三者の助力なし うえ、それによって、きのう彼の前で演じた屈辱の理め合わ に、この苦境を切り抜けることもできるだろう。しかもわたせをするためではなかろうか ? しは自分でその方法を知っていたのだ。ほかでもない、例の こう意識すると、わたしは無匪にいまいましくなっこ。 手紙をいきなりヴェルシーロフの手へ引きわたして、その後 が、それでも帰ろうとはせず、そのまますわっていた。とは はなんとでも彼の心次第にまかせる、 え、このいまいましさは五分、ことこ、 冫しよいよ ~ っていく ったのである。自分で自分をこのような事件の審判者、決定ばかりなのを、自分でもはっきり見抜いていたのだ。 者とするのは、はなはだしく不正当なことである。無言のま わたしは何よりもまずヴァーシンの部屋が、いやでいやで ま手紙を手から手へわたして、局外へ身を引いてしまえば、 たまらなかった。『まず汝の部屋を示せ、しからば汝の性格 わたしはその行為によって、ヴ , ルシーロフよりいちだん高を知らん』とでも、 ししたいくらいだ。ヴァーシンは、借宀豕人 い位置に立っことになるから、かえって自分のとくになるわから又借りした道具つきの部屋に住んでいた。その借家人と けである。わたし自身に関する遺産相続の利益をいっさい拒いうのは大分の貧乏人で、彼のはかにもまだ下宿人をおい 絶してしまえば ( なぜなら、わたしはヴェルシーロフの息子て、それでロすぎをしているらしかった。こういうふうに、 だから、この財産のいくぶんかはわたしの手にはいるに相違申しわけばかりの家具を据えたくせに贅沢らしく見せかけよ これは今すぐではなく先の話なのだ ) 、わたしはこれうという野心のある長細い小部屋は、わたしにも馴染みがあ から先きずっとヴェルシーロフの行為に対して、最高の道 った。そこには必ず古物市場から持って来た、動かすのも剣 的批判権を保つことができるわけだ。またソコ ーリスキイ公呑なような布張りの長いすだの、洗面台だの、屏風で境をし 爵兄弟の運命を葬ったなどといって、わたしを非難すること た鉄の寝台だのが置いてあるものだ。ヴァーシンは見受けた ももうとうできないはずである。それはこの手紙が法律から ところ、ここで最上等の下宿人として、いちばん望みを嘱さ 見て、決定的価値を持っていないからである。 れているらしい 。こうした最上等の大切な下宿人というやっ わたしはがらんとしたヴァーシンの部屋にすわったまま、 、どこの素人屋へ行っても必ず一人あって特別ちやほやと - こういうふうなことを考えつづけて、ついにすべてを自分の待遇されるものだ。こういう人の部屋は、特別念入りに片づ