召ばかりたったとき、公爵は 寝床の用意をした。彼は、うとうとしながら、しじゅうアン彼女が出てから、およそ一時冂 ナの手を接吻して、あなたはわたしの楽園だ、希望だ、天女目をさました。わたしは壁ごしに彼の呻き声を聞きつけたの 要するに、 で、すぐさまその部屋へ駆けつけた。彼は部屋着をきて寝台 だ、『黄金の花』だ、などといいつづけた、 恐ろしく東方的な表現を持ち出したのである。やがて、そのの上にすわっていた。けれど、薄暗いランプに照らされた見 なれぬ部屋にたった一人とり残されたために、すっかりおび うちに、とうとう寝ついてしまった。ちょうどそこへわたし 、 : 、帚ったのだ。 えきった老公は、わたしがはいって行くと思わす身ぶるいし アンナは急いでわたしの部屋へはいって来た。そしてわたて、おどりあがりながら、叫び声をたてた。わたしは彼のそ ばへ飛んで行った。老公はわたしの顔を見わけると、うれし しの前に両手を合わせながら、「どうかあたしのためではな 冫を目に浮かべながら、しつかりわたしを抱きしめた。 老公のためにここを離れないでいてください。そして、 「きみはどこか別の下宿へ引っ越したという話だったが、 あの人が目をさましたら話に行ってください。あなたがいら びつくりして逃げ出したとかって」 っしやらなかったら、あの人はもうだめです、神経性の発作 「だれがそんなことをいいました ? 」 がおこるに相違ありません。あたしは今夜までもたないんじ 「だれがいったって ? いや、ことによったら、わしが自分 ゃなしかと、心配でならないのです : : : 」といった。それか で考え出したのかもしれん。だが、ほんとうにだれかいった らなお重ねて、自分はどうしても出て行かなければならない 用事がある。もしかしたら、二時間くらい帰れないかもしれのかもしれんて。実はな、わしはいま夢を見たよ。ロ髭を生 ないから、そのあいだ老公を預けるとつけ加えた。わたしはやした老人が聖像を手に持って、真っ二つに割れた聖像を手 晩まで必ず居残って、公爵が目をさましたら一生懸命に気をに持ってはいって来ると、『お前の生活もこんなふうこ割 てしま、つのだ ! 』といきなり一つい、フじゃよ、 まぎらせようと、真剣になって彼女に誓った。 「ああ、あなたはきっとだれかから、きのうヴェルシーロフ 「あたしは自分の義務をはたします ! 」と彼女は断乎として が聖像を割った話を聞いたんでしよう」 言葉を結んだ。 彼女は出て行った。先まわりをしていい添えておくが、彼「 N'est-ce pas? 聞いた、聞いた ! ダーリヤさんから今朝 女は自分でラン・ヘルトをさがしに出かけたのだ。これは彼女ほど聞いたんだっけ。あの人はわたしの鞄と犬を、ここまで にとって最後の希望だった。そのほかに、彼女は兄のところ持って来てくれたんだよ」 へも寄るし、ファナリオートフ家の人たちをも訪問した。彼「そらごらんなさい、だから夢に見たんですよ」 ところで、どうだろ、フ、この 「まあ、それはどうでもいし 女がどんな状態で帰って来るかは、想像するにかたくない。
いませんよ」 を、かくべっ力を入れて明言していました。これはあの婦人 「少々せつかちですね、現代の青年は。しかし、まだそのほのいった言葉そのままなんです。当の死んだ娘も、あなたが か、現実に対する理解が少ないという欠点があるのは、もち帰った後で、この意味であなたを褒めたそうですよ」 ろんです。それはいつの時代でも青年につきものですが、今 「そうかね ? 」とうとうわたしのほうへちらと視線を向けな の青年はどうもことに : : ところで、スチェペリコフ氏はあがら、ヴ , ルシーロフは気のない調子でつぶやいた。「じゃ、 のとき何をしゃべったのです ? 」 この手紙をしまっておおきなさい。 これはこの事件に関する 「スチェべリコフ氏がいっさいの原因なのです」とわたしは必要書類ですからね」彼は小さな紙きれをヴァーシンに差し だしぬけに口を入れた。「もしあの人がいなかったら、何事も出した。 起こらずにすんだのです。あの人が火に汕をさしたのです」 こちらはそれを受け取ったが、わたしが好奇の眼を輝かし ヴェルシーロフは黙って聞きおわったが、わたしのほうをているのを見て、読めといってわたしにわたしてくれた。そ 振り向こうともしなかった、ヴァーシンは顔をしかめた。 れはおそらく暗闇の中で鉛筆で不揃いに走り書きした、たっ 「わたしはそれからまた、ある一つの滑稽な点についても、 た二行の手紙だった。 自分を責めてるのです」依然ゆっくりと、一語一語ひき延『愛する母上様、いま人生の初舞台を中絶しようとしている ばすような調子で、ヴェルシーロフは語りつづけた。「どうわたしを、どうかおゆるしくださいまし。あなたを悲しませ もわたしは悪い癖で、あのときもあの娘さんに一種のうきう たオーリヤより』 っ きした態度をとって、例の軽薄らしい笑い方なぞをして見せ「それはやっと今朝見つけたんです」とヴァーシンがい た。つまりぶつきら棒で、そっ気なくて、陰気らしくする度た。 合いが足りなかったのです。この三つの性質は、現代の青年「なんて奇妙な書置きだろう ! 」わたしは驚いてこう叫ん に非常に尊重されてるようですからね。てっとりばやくいえだ。 フラン ば、わたしはあの娘さんに対して、さ迷えるセラドン 「どうして奇妙なのです ? 」ヴァーシンがたずねた。 「だって、こんな場合ューモアを弄することができるもので 人公、をあさる男の異名 ) と想像せらるべき根拠を与えたわけな のです」 「それはぜんぜん反対です」とわたしはまたもや言葉するど ヴァーシンはいぶかしそうにわたしを見た。 く口を入れた。「隣りの母親は、あなたがまじめで、厳正「だって、奇妙なユーモアじゃありませんか」とわたしはっ で、真摯だったために、とても立派な印象を与えられたことづけた。「これは、中学校や女学校の学生仲間で使う符牒な 」 92
てきた。そこが親心だでな ! そこで、後家さんの手もとに 子だったそうだ。マグシム・イヴァースイチも少々ぎよっと は、いちばん上の男の子がたった一人、生き残った。母親はして、『いったいどこの子だ ? 』とたずねた。これこれだと ロ町ど、 A 」、『、つ亠じ、りて、つかー もうそれこそ、目に入れても痛くないほどかわいがっていた じゃ、母親のところへ連れて行 が、どうもひ弱な優しいたちで、顔なども女の子のように愛け。なんだってあいつ、工場の中などをうろうろしておった つ、し一、刀 / ノイー 、つこ。麦家さんは、ある工場で支配人をしている、名のだ ? 』それから、二日ばかりというもの黙り込んでいた 付親にあたる人に子供の世話を頼み、自分はさる役人の家へが、やがて、「あの子はどうした ? 』とたずねた。ところが、 乳母奉公に出た。あるとき、その子がそこらを駆けまわって子供の容体はあまりよくなかった。それ以来、発病して、母 遊んでおると、ちょうどそこへふいにマグシム・イヴァーヌ親のわび住居にどっと寝ついてしまった。母親はそのため イチが、二頭立ての馬車に乗って帰って来た。しかも、運わに、役人の家の奉公も、やめなけりゃならなくなった。子供 るく一杯機嫌だったのだ。ところが、男の子がつい階段を踏の病気は肺炎ということになった。 『ど、つも、これは ! 』とマクシム・イヴァーヌイチは、つ みはすして、いきなり大将のほうへ倒れかかった。つまり、 馬車から下りようとするところへ、真正面からぶつつかっ た。『そんなはすはなさそうなものだがな。それもひどくぶ て、両手を腹へ突っぱったのだ。すると、こちらはその髪をんなぐったとでもいうなら格別、ただはんのちょっと懲らし 引っつかんで、凄まじい声でわめきだした。 オしか。わしはほかのもの めのために、折檻しただけじゃよ、 「いったい貴様はどこの子だ ? 鞭を持って来い ! さあ、 も、みなああいうふうにしてきたが、いっさいこれというほ 今すぐおれの目の前でひつばたけ』子供の顔は、みるみる死 どのこともなくてすんだものだ』こう考えて、内々母親が訴 人のようになった ! やがて折檻がはじまった。子供は大き えに来るのを待っておったが、それでもうわべはえらそうな な声で泣きだした。「なんだ、貴様はまだ咆えるのか ? さ顔をして、おし黙っていた。しかし、母親はどうして、訴え あ、咆えやめるまで、びしびしぶんなぐれ ! 』いったいどれに来るなどと、大それた考えはもたなかった。そこで、マグ くらい折檻したかわからないが、 子供はいつまでたってシム・イヴァーヌイチは十五ループリの包み金を送ったう も泣きやまない。そのうちにとうとう死人のようになってしえ、医者を一人さし向けてやった。。 へつにめんどうを恐れた まった。このときはじめて、みんな思わすぎよっとして、打というわけでもないが、ただなんとなくそんな気持ちになっ つ手をとめた。子供は息もしないで、なんの感じもなしに倒たのだ。そのうちに、間もなく例の病いが起こって、ものの れておるではないか。その後みんなの話を聞いてみると、そ三週間ばかり無茶飲みをつづけた。 うたくさんぶちもしなかったのだが、おそろしく気の小さい 冬も過ぎて、喜ばしいキリストの復活の日がやってきた。 4 ノ 4
「失礼ですが、公爵、わたしはアルカージイ・アンドレエヴ になるのであった。ましてや、今度はとっぜんわたしをひい きにしだしたのだからなおさらである。わたしはたしかに知イチじゃありません、アルカージイ・マカーロヴィチです」 っているが、老公はアンナ・ヴェルシーロヴァの将来をひど婦人たちに会釈を返さなければならぬことを忘れて、わたし しい切った。ああ、この無作法きわまる一分 く気にして、しきりに花婿をさがしているのだ。しかし、ヴは言葉するどく、 エルシーロヴァレ花婿は、カンヴァスに刺繍をする連中の花間を、悪魔でも持ってってくれるといし 「 Mais•• こ相違ない い明より、だ、ぶさがしにくいし ・三 en を ( いや : : : これは ! ) 」と老公は指で自分の額 ところが、案外千万にも、ヴェルシーロヴァは老公の手ををたたきながら叫んだ。 握って、何かしら愉央そうに如才のない言葉を二つ三つ交わ「あなた学校はどこをお出になりましたの ? 」いきなりわた すと、一通りならぬ好奇の色を浮かべながら、わたしを見つしのそばへやって来た『羽枕』の、言葉尻をひき伸ばしたよ めた。そのわたしもやはり自分を見つめているのに気がつく うな間の抜けた質問が響きわたった。 と、ふいに徴笑を浮かべ、会釈した。もっとも、彼女は今は 「モスグワの中学校です」 「ああ ! あたしもそのことは聞いていましたわ。いかがで いって来たばかりなので、後から来た人として会釈したの だ。けれど、その徴笑はいとも善良らしく、明らかに前からす ? あちらの教育法はよござんすか ? 」 考えていたものに相違なかった。わたしは、なみなみならぬ 「大変いいです」 快い感触を覚えたのを、記憶している。 わたしは一つところに立ったまま、上官の前に立った兵隊 「これは : : これは年こそ若いけれど、気立ての優しいわしのように答えた。 の親友で、アルカージイ・アンドレエヴィチ・ドル : この娘の質問は、疑いもなく気のきかないものだったが、 女がわたしに会釈したのに、わたしがいつまでもすわりこんとにかく彼女は自分相応の機転をきかして、わたしのばかば でいるのを見て、老公はこう、 急に言葉をかしい行動をもみ消し、老公を狼狽から救い出したのであ 切ってしまった。たぶん彼女とわたし ( つまり、事実におい る。老人はもう、何やら自分の耳にささやくヴェルシーロヴ て姉と弟 ) を紹介するのが、ばつが悪くなったのだろう。 アの言葉を、愉快そうな徴笑を浮かべつつ聞いていた、 『羽枕』も同じくわたしに会釈したが、わたしはとっぜん、 が、どうやらその話はわたしのことではないらし 年愚か千万にもかっとなって、自分の席をおどりあがった。そし、それより合点のいかないのは、どういうわけでまるで一 成れはぜんぜん無意味な、人工的なプライドの発作だった。こ面識のないこの娘が、みずから進んでわたしの愚かな行動を 未ういうことはすべて、小さな自尊心から出るものなのだ。 もみ消したりなどしたのだろう ? それと同時に、彼女のそ
「もっとも、それは好きずきです。きみが自分からいわせた て無欲恬淡なものです : : : 」 「しかし ? ・ : しまいまでいってください、ヴァーシン、あんじゃありませんか。さもなかったら、ばくだまってたとこ ろなんですよ」 こよ『しかし』があるんでしよ、つ ? 」 なたの説しし 「よしその行為に『台座』があったって、それでもやつばり 「ええ、むろん『しかし』があります。ヴェルシーロフ氏の いいですよ」とわたしはつづけた。「台座は台座でも、しか 行為は、ばくにいわせると少し早まりすぎてるし、それにあ しそれ自身が大いに尊重すべきものです。この『台座』は要 まり率直とはいえませんね」とヴァーシンはほほ笑んだ。 するに、例の「理想』です。いまの人の心には、往々にし 「率直じゃないんですって ! 」 、とはいえま 「そうです、そこには一種の『台座』があります。なぜって、この芸口座』が欠けてるが、そのほうがいし て、いつでもあれだけのことを、自分に損のいかないようにせんものね。少しくらいは醜いところがあっても、それを持 ってるほうがいいですよ ! あなた自身もきっとそう思うで 実行することができたはずなんですからね。どんなに小心な 見方をしたって、よしんば半分でないまでも、遺産の幾分かしよう。ねえ、ヴァーシン、ばくの敬愛するヴァーシン、 は、今でも当然ヴェルシーロフ氏に属すべきなんです。ましね、そうでしよう、ヴァーシン ! 要するに、ばくは図に乗 て、あの証書は決定的な意味を持っていないし、訴訟もあのって、でたらめをいってたけど、あなたにはばくのいうこと 人の勝ちになったんですからね。相手方の弁護士さえも、同がわかるでしよう。それでこそヴァーシンなんですよ。とに かく、ばくはあなたを抱いて接吻しますよ、ヴァーシン ! 」 様こういう意見をもっています。わたしはその弁護士とたっ た今、話をしてきたばかりなんです。そうしたって、きっと 「うれしさのあまりですか ! 」 まさり劣りのないくらい、美しい行為ということになったで「ええ、うれしさのあまり。だってあの人間は、『死したり しようにね。ところが、ただ矜持の欲望のために、別種の結しが甦り、失せたりけれど見いだされぬ』ですもの ! ヴァ 果を生じたのです。一番いけないのは、ヴェルシーロフ氏が ーシン、ばくはやくざな小僧っ子で、あなたの同情をうる価 少し熱くなったことです、ーーー余計なせきこみ方をしたこと値はありません。ばくがこんなことを自白するのは、どうか です。現にさっき自分でも、まだ一週間くらいは延ばせるとすると、ずっと高尚になり、ずっと深刻になることがあるか こだったと、そういったじゃありませんか : らです。ばくはね、一昨日あなたを面と向かって褒めそやし 年「ねえ、ヴァーシン ! ばくはあなたに同意せざるをえない たでしよう ( あれはただあなたがばくをとっちめて、恥をか 成ですが、しかし : : ばくはああしたほうが好きなんです、あかせたからにはかならないんです ) 、そのために、まる二日 未あしたほうが好ましいんです ! 」 ばくはその晩、以四 間あなたを憎み通しましたよ、ばくはー
てやるのだ ! 』夜の勝負がおわって、明け方、自分の家で寝『あのとき飢餓にたえたおれが、こんなばかげたことで踏ん 、らいらしてく ばることができないのか ! 』こ、つ考えると、 、つもわたしはこうひとりごっのだった。 につくとき、し わたしはまるるのだ。 それにまた、この儲けというやつだが、 それに、自分はどれほど滑稽に意気地なく見えようとも、 つきり金などほしがっていなかった。それを考えてもらいた い。しかし、何もわたしはこういう場合にありふれた、きまこの自分の中には尊い力がひそんでいて、いっかはすべて世 間の人に、自分に対する意見を変えさすときがくるという意 りきった卑屈ないいわけをくり返すつもりはもうとうない。 いや、自分が勝負をしたのは、勝負のためだ、感覚のため識が、屈辱に充ちた少年時代から、わたしの唯一の生の泉、 だ、冒険と興奮の快感のためだ、決して金儲けのためではなわたしの誇り、わたしの武器、わたしの慰藉だったのだ。も い云々 : : : などというのではない。わたしは恐ろしく金が必しこれがなかったら、わたしはまだほんの子供の時分に、自 こういうわけだから、自分が勝負 要だったのである。で、これはわたしの正道、わたしの理想殺していたかもしれない。 ではなかったけれど、とにかく試みという意味でこの道を踏机に向かったとき、どんなに憫れな人間になるかを知ったと んでみようと決心した。ある一つの力強い想念が、わたしをき、わたしは自分自身に対して、憤懣を感ぜずにいられるは ずがない。といった次第で、わたしはもうどうしても、勝負 わき道へそらしたのである。 し冫。し力なかったのだ。これが今のわたしに 「お前は、それに相応しただけの強い性格を持っていたら、事をやめるわナこよ、ゝ 必ず百万長者になれるという結論に到着したではないか。おは何もかもよくわかる。のみならず、わたしの浅薄な自尊心 前はもう自分の性格を試験したのだから、ここで一つ自分のも傷つけられていた。ほかでもない、わたしは勝負に負けた ために、公爵に対しても、ヴェルシーロフに対しても ( もっ 、、こ。レレットではお前の理想に対するより 力を一小したらどうオノ とも、彼はなんにもいってはくれなかったが ) 、すべての人、 以上に、性格の力がいるものかどうか、ためしてみろ ! 』と タチャーナ叔母に対してさえ、屈辱を感ぜざるをえなか わたしは自分自身に向かってくり返したのだ。ところで、わ たしは今日までこういう信念を持っている、ーーすべて勝負った。少なくとも、わたしにはそう思われたのである。最後 事では、極度に冷静な性格を有し、かっ精緻な理知と打算力に、もう一つ自白しなければならぬ。わたしはすでにそのと を保っていたら、盲目な偶然の暴力を征服して、勝ちをえなきから堕落していたのだ。レストランの豪勢な食事や、マト 年いわけがない。そこで自然の道理として、わたしは自分がしヴェイの橇や、イギリスの流行品や、香水屋の意見や、そう いったものをわたしはぜんぜん度外視することができなかっ 成じゅう節制を忘れて、まるで小僧っ子のように、夢中になっ た。その時分からわたしは、これを自覚していたのだが、え四 未てしまうのを見て、ますます心がいらだってくる。
交際ぎらいな人間なのだ。さらにそのうえ、もうだいぶん前 ここでわたしは一つの前置きをしよう。読者はわたしの告から、ほとんど幼年時代から、わたしは人を責めすぎる性質 白の露骨なのに慄然として、単純な調子で自問するかもしれがあるのに気づいていた。実際、わたしは過度に他人を非難・ よい。『どうしてまあ、作者は赤い顔もせずにいられたのだする傾向を有している。しかし他人を非難する後から、すぐ わたしにとってこの上な につづいてまた一つ別な想念、 ろう ? 』と、これに対して、わたしはこう答える。わたしが く苦しい想念が、湧き起こるのが常であった。ほかでもな これを書くのは読者のためではない。わたしが読者を持つよ い、『悪いのは彼らでなく、おれ自身ではなかろうか ? 』と うになるのは、まあ十年ばかりもたって、今さら赤い顔をす いう疑念なのだ。ああ、どのくらいわたしはいたすらに自分 、、つ」し力、し、 : 遠、過去のことに属し、万事 る必要のないくらし 明瞭に証明せられたときだろう。かような次第だから、わたで自分を責めたことか ? こんな疑念に苦しめられまいがた しがときどきこの手記の中で読者に呼びかけるのは、あれはめに、自然、わたしは孤独を求めたのだ。そのうえ、どんな ただはんの技巧なので、わたしの読者は仮想的存在にすぎなに骨折ってみても ( 事実、わたしは骨折ったのだ ) 、他人と の交際に何一つ啓発されたことがない。少なくとも、わたし いのた いやいや、わたしの『理想』の胚子となったのは、決してと同年配の者や学校友達などは、みんなどれもこれも、思想 トウシャールの塾であれほど愚弄された私生児という身分で的にわたしよりずっと低い水準線に立っているのだ。一人と もなければ、子供のときのわびしい月日でも、復讐の観念でして例外があったのを覚えない。 そうだ、わたしは陰気くさい男だ。わたしはいつでも隅っ も、ないしはプロテストの権利でもない。いっさいの原因 こへ引っ込んでばかりいる。わたしはしじゅう社会から出て は、たんにわたしの気質にあるのだ。十二くらいの年から、 しまいたいと思うくらいだ。わたしとても、あるいは人のた いや、ほとんど正しい意識の発生と同時に、わたしは人間が 、。ナれどたいていの場合、彼ら きらいになったような気がする。きらいというよりも、むしめに善根をするかもしれなし。 に善根をなすべき理由を見いだしえないのだ。それに、人間 ろ人間が重苦しく感じられだしたのだ。ときおり純な気持ち になった瞬間など、親しい人たちにさえ、思ってることをすてものは、そう心配してやる値打ちのあるほど美しいもので もない。いったいどういうわけで彼らは、率直な態度で直接 つかり話してしまえない自分が、われながらわびしくてたま 年らなくなることがあった。いや、話せないのではない、話そわたしに近寄って来ないのか ? そして、またなぜ必ずわた 成うと思えばできるのだが、気が向かないのだ、なぜか控えてしのほうからさきに、彼らのそばへべたべたくつついていか 未しまうのだ。わたしは疑ぐり深くて、気むずかしく、そしてねばならないのか ?
黒パンばかり食べているなんて、あまりに醜態ではなかろうそして、精神的にはたえず秘密な歓喜と陶酔に浸っていた。 か ? これらの問題は後まわしとして、今はただこの目的貫食べ物など少しも惜しがらなかったばかりか、もうまるで有 徹が可能かいなか、その点を研究することにしよう。 頂天になっていた。 一年がおわったとき、わたしはいかなる わたしが『自分の理想』を考えだしたとき ( この理想こそ精進にも堪えうる確信をえて、みなと同じような食物をと 赤熱の部に属するものだ ) 、自分が修道院の禁欲生活に適しり、みなといっしょに食堂にすわることにした。この試験ひ ているかどうか、試験しはじめた。この目的でわたしはまるとつに満足できず、わたしはさらに第二の試験をやってみ 一か月、ただパンと水ばかりで暮らした。黒パンは毎日二斤た。当時、わたしはニコライ氏に支払う食費以外に、小遣銭 半より以上はいらなかった。この計画を貫徹するために、わとして毎月五ループリずつ給与されていたが、そのうち半分 たしは賢明なるニコライ・セミョーヌイチと、わたしのためだけしか使わないことに決心した。これはなかなか困難な試 を思ってくれるマリヤ夫人を、欺かなければならなかった。煉ではあったけれども、二年余りたったのち、ペテルプルグ わたしはぜひとも食事を自分の部屋へ運んでもらわねばならへやって来たときは、ほかにもらった金以外に七十ループリ ぬとし 、いはって、夫人を悲しませ、精緻な観察力をもったニというものがわたしのポケットにあった。それはただただこ コライ氏にけげんの念をいだかせたものである。わたしは自の貯蓄によって得たものである。この二つの試験の結果は、 分の部屋で、その食事をあっさり投げ棄てたのだ。スープはわたしにとって偉大なものだった。わたしは自分の目的を達 窓の外の麻の中か、それともいま一つ別な場所 ( びへ流しするだけの意欲を有しうる、ということを的確に突き止めた てしまうし、牛肉は窓から大に投げてやるか、または紙に包のである。くり返していうが、これがつまり『わたしの理 んでポケットへひそませ、それから外へ持って出て、捨てて想』であって、これからさきはみんなつまらないことなのだ。 しまう、すべてそういったあんばいである。パンは食事のと 2 き、二斤半よりずっと少なかったから、内証で自分の金を出 して、買い足さなければならなかった。 とはいえ、つまらないことでも、一応検討してみる必要が わたしはこの一か月を無事に辛抱しおおせた。まあ、ちょある。 っと胃をそこなったくらいのものだろう。しかし、次の月か わたしは自分でやった二つの試験をのべた。ところで、ペ 年ら、わたしはパンにスープを増して、朝晩には茶を一杯すっ テルプルグへ来てから、もう前に書いたように、第三の試験 成飲んだ。そして、まったくのところ、わたしはこうしてまるをした、 例の竸売である。そして、一挙にして七ループ 未一年の間、この上ない健康と満足のうちに過ごしたのである。 リ九十五コペイカの儲けを握った。もちろん、あれははんと
彼女はしまいまでいわないで、ふいにはげしく泣きだしね ? 」とリーサは静かに徴笑した。 丿ーザ。それはばかげた質間だよ。それに、お前 「お待ち、 ーしか、し、十 「も , ったくさんだよ、リー は冷やかしてるんだね。まあ、冷やかすがいい ザ、およし、もう何もいらないか ナしか。お前と ったく、びつくりしないわけにいかないじゃよ、 ら。ばくはお前の裁判官じゃないんだからね。え、 しったい前から知ってらっしゃあの男は、まるで正反対の両極だ ! あの男は、 お母さんはどうなんだねー あの男を研究したが、あの男は陰気くさ、 し猜疑、いの強い人 るのかい ! 」 き 6 間だよ。もしかしたら、大いに善良なのかもしれない 「ええ、前からだと思うわ。でも、あたしが自分で話したの は、ついこの間のことなの、こういうことになってしまってあ、そうとしてもいいさ。しかし、そのかわり、何ごとにつ けても、まず第一に、悪いことばかり見たがる性質を、最大 から」と彼女は目を伏せながら、小さな声でいった。 限に持っていることは確かだ ( もっとも、それはばくもぜん 「すると、お母さんは ? 」 「お母さんは、『大事におし ! 』とおっしやったわ」いっそせん同じことだがね ! ) あの男はひどく潔白ということをあ りがたがっている、 それはばくも承認できる。それはげ う低い声でリーザはささやいた。 くの目にも見える。しかし、それもただ理想だけの話らし、 「ああ、なるほど、リー ザ、『大事におし』だ ! 自分のか らだに手を下すようなことをしたら、それこそ大変だよ ! 」そりや、あの男は悔恨という心的傾向をもっている。生涯の 「そんなことしないわ」と彼女はきつばり答え、わたしのはべつわれとわが身を呪って、しじゅう後悔ばかりしているく うへ目をあげた。「安心してちょうだい」と彼女はつけ加えせに、決してそれでよくなることはない。ただし、こいっー やはりばくと同じかもしれないて。偏見と間違った思想は、 た。「これは、そんなこととまるつきり違うんですから」 「リーザ、かわいいリ ーサ、ばくはこの事件について、何も数知れぬほど持っていながら、本物の思想は、からっきし持 ち合わせがないのだ ! 偉大な功業を求めながら、けちくさ 知らないってことが、初めてわかった。だが、そのかわり、 丿ーサ、堪忍しておくれ、どうもは い悪事ばかりしている。 どんなにお前を愛しているかってことも、今やっとわかった くはばかだよ。こんなことをいうのは、お前を侮辱すること ザ。何もかも よ。ただ一つわかんないことがあるんだ、リー になる。それはばくも知ってる。それはばくにもわかって はっきりしているが、ただ一つどうも合点のいかないことが ある。どうしてお前は、あの男が好きになったのだい ? どる : : : 」 いいたいの 「兄さんの書いた肖像画は、そっくりそのままと うしてあんな男が好きになれたんだい ? これが疑問だ ! 」 「じゃ、きっとそのことでも、夜っぴて、苦しみぬいたのだけれど」とリーザは微笑した。「あなたはあたしのこと 3
「きみはあまり事態を誇大しすぎますよ」 「でもねえ」こういう思いがけない報告に度胆を抜かれて、 「じゃ、たった一つだけ教えてください。いったいこの手紙 わたしはロを切った。「いったいばく、この手紙をどうした らいいのでしよう ? いったいどんな態度をとったらいいのは決定的な性質を持ってるんでしようか ? 」 「いや、持っていません。もとより、ばくはそうえらい法律 でしよ、つ ? ・」 家ではないから、はっきりしたことはいえませんが、むろ 「それはもうきみの心まかせですよ」 「それがだめなんです。ばくはまったく自由を奪われた人間ん、相手方の弁護士はこの手紙の利用法を知っていて、でき ヴェルシーロフはあの遺産るかぎりの利益をひき出すことでしよう。しかし、アンドロ なんだから、察してください ! ニコフ氏の確乎たる意見によると、この手紙はたとえ法廷へ をとてもあてにしていたんです : : : きみ、知ってるでしよう が、あの人はこの遺産という助けがなかったら、自滅してし提出されても、大して法律的な意義は持ちえないとのことだ ま、つよりはかありません、 から、結局ヴェルシーロフ氏のほうが勝訴になるでしよう。 ところが、藪から棒にこんな いってみれば、この手紙はむしろ良心の問題なんですね : : : 」 証書が出て来るなんて ! 」 「これはただここだけ、この部屋の中だけに存在してるんで「さあ、そこが何よりの急所なんですよ」とわたしはさえぎ った。「つまり、それだからこそ、ヴェルシーロフが窮境に 「はんとうにそうかしら ? 」とわたしは注意ぶかく彼を見つ陥るんです」 めた。 「しかし、あの人はこの書面をいんめっしてしまうこともで きますよ。そうすれば、い っさいの危険からのがれることが 「もしきみがこの場合、自分でもどうしていいかわからない くらいなら、ばくにどんな助言ができるというものです ? 」できるわけです」 「しかし、ソコーリスキイ公爵にわたしてしまうことも、や「クラフト君、きみはあの人のことをそんなふうに想像す はりばくにはできない。そうすると、ばくはヴェルシーロフる、特別な理由を持ってるんですか ? それをばくは知りた つまり、そのためにばくはきみんとこへ来たんですよ ! 」 の希望をすっかりたたきこわしてしまうばかりか、おまけ に、あの人に対して裏切者となってしまうのです : : : ところ「だれでもあの人の位置に立ったら、そういうふうにするだ が一方、この手紙をヴェルシーロフにわたしたら、ばくは無辜ろうとばくは田 5 うけれど」 「きみ自身もそうしますか ? 」 年の人を赤貧に陥れることになるし、ヴェルシーロフをも非常 成な窮境に導くことになるのです。なぜって、遺産の相続を思 「ばくは遺産をもらわないから、自分のことはどうか知りま 未いきるか、それとも泥棒になるか、二つに一つですからね」せんよ」