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検索対象: ドストエーフスキイ全集12 カラマーゾフの兄弟(上)
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1. ドストエーフスキイ全集12 カラマーゾフの兄弟(上)

まの絹の部屋着を着て、ふさのついた同じ絹のひもを腰に巻ーチャはさっそく窓のそばへ駆けよって、ふたたび室内をな きれ まめはじめた。老人は気がかりになってならぬといった様子 いていた。部屋着のえりの陰からは清潔なしゃれたワイシャ ツーーーオランダ製の薄手のワイシャツがのぞいて、金のカフで、もうテープルの前にすわっていた。そして、しまいには スポタンが光っている。頭には、かってアリヨーシャが見たひじづえついて、右のてのひらをほおにあてがった。ミーチ ヤはむさばるように見入るのであった。 と同じ、赤い包帯が依然として巻いてある。「しゃれのめし 『ひとりだ、ひとりきりだ ! 』と彼はまたつよくくりかえし てやがる』とミーチャは田いった。 フ ヨードルは何やら考えこんでいるらしい様子で、窓のそた。『もしあれがここにいるのなら、おやじはもっと違った ば近く立っていたが、急にぶるっと首を振り上げて、心もち顔つきをしてるはずだ』奇妙なことではあるが、彼女がここ ふん にいないと思うと、とっぜん何かしら意味もない、奇怪な憤 耳を傾けた。しかし、何一つ物音を耳にしなかったので、テ まん ープルに近よって、ガラスのびんからコップに半分くらいコ懣の情が彼の心にわきたってきた。『いや、これはあれがい チャは即座に自分で思いなおして、 ないからじゃない』 ニャックをつぎ、ぐいと一息に飲みほした。それから胸一ば い溜をして、またしばらくじっと突っ立っていたが、やが自分に答えた。『つまり、あれが来てるか来てないか、どうし ても確かにつきとめることができないからだ』ミーチャの理 て窓の仕切り柱にかけてある鏡のほうへふらふらと近づい っさいのものをき て、例の赤い包帯を右手でちょっとひたいから持ちあげ、ま性はこの瞬間なみはずれて明晰になり、 だなおりきらない打ち身やかさぶたを、と見こう見していた。わめて徴細な点まで考量し、一点一画をも見おとすことなく 「おやじひとりきりだ』とミーチャは考えた。『どうもひとり取り入れた。しかし、憂悶が、未知と不定の憂悶が、計り知 きりに相違ないようだ』フヨードルは鏡から離れると、急にることのできない速度をもって、彼の心に刻々つのってゆく のであった。「いったいあれはほんとうにここにいるのか 窓のほうへふり向いて、じっと見すかしはじめた。ミーチ いないのか ? 』という疑いは、毒々しく彼の胸ににえ返るの はすばやく物陰へ飛びのいた。 『ことによったら、あれは衝立ての陰でもう寝てるのかもしであった。彼はとっぜん腹を決めて手をさし伸べ、そっと窓 のわくをたたいた。スメルジャコフと老人との間に決められ 弟れない』彼はちくりと胸を刺されるような気がした。フヨー 兄 の ドルは窓を離れた。『おやじが窓をのぞいているのは、あれた、合図のノッグをしたのである。初めの二つを静かに、し っ まいの三つを少し早目に、とんとんとんとたたいた、 ゾを見つけ出そうとしてるのだ。してみると、あれは来てない マのだ。おやじが暗やみの中をのぞいてみるわけがないからなまり、グルーシェンカが来たという知らせの合図である。老 カ 人はぎくりとして、首をぶるっと振り上げると、すばやく飛 : つまり、しびれをきらして待ちこがれてるんだ :

2. ドストエーフスキイ全集12 カラマーゾフの兄弟(上)

しかし、アリヨーシャは長くこんなことを考えているわけのもあった。どぶ川の向こうには、こっちの群れからほば三 4 し。いかなかった。途中思いがけない出来事が、彼の身の上十歩ばかり隔てたかきねのそばに、もうひとり子供が立って に起こったのである。それはちょっと見たところたいしたこ いた。やはりかばんを肩にかけた小学生で、せいかっこうか とではないけれども、彼に強烈な印象を与えた。小さなどぶら見るとまだ十は越すまい いや、あるいはそれより下かも ーを隔てて ( この町は至るところどぶ川が縦横に貫通してい しれぬと思われるはどであった。青白い病的な顔をして、黒 るので ) 、ポリショイ通りと並行しているミハイロフ通りへ い目をぎらぎら光らしている。彼は注意ぶかく探りまわすよ 出ようと思って、広場を通り抜けて横町へ曲がったとき、小 うに、六人の子供の群れをながめていた。彼らはみんな友だ さな橋の手前でひとかたまりになっている小学生が目にはい ち同士で、たった今いっしょに学校を出たばかりであるが、 ったのである。それはみんな年のゆかぬ子供ばかりで、九つ平生からあまり仲のよくないのはひと目見ても明らかであっ から十二くらいまで、それより上のものはなかった。あるも た。アリヨーシャは白っぱい髪のうずを巻いた・Ⅷ色のいし のは背にランドセルを負い、あるものは皮のかばんを肩にか とりの子供に近づいて、黒い短い上着を着た姿を見まわしな け、あるものは短い上着を着、あるものは外套を羽織り、ま がら話しかけた。 たあるものは、よく親に甘やかされた金持ちの子供がことに 「ばくがきみらと同じようなかばんをかけてた時分、みんな 好んで誇りとする、胴にひだの入った長ぐっをはいて、めい 左の肩にかけて歩いたものだよ。それは右の手ですぐに本が めい学校から帰って行くところであった。この一群は、元気出せるからさ。ところが、きみは右の肩にかけてるが、それ しい調子でがやがや話し合っている。何かの相談らしい で出しにくくないの ? 」 アリヨーシャはどんなときでも、子供のそばを平気で通り過アリヨーシャは、。 へつにまえまえから用意した技巧をろう ぎることができなかった。モスクワでもそうであった。もっするでもなく、いきなりこうした実際的な注意をもって会話 とも、彼は三つくらいの子供が一ばんすきだったが、十か十を始めた。まったくおとながいきなり子供の、とくに大ぜい 一くらいの小学生も大好きなのである。 の子供の信川をうるためには、これよりはかに話の始め方は で、今もいろいろ心配があったにもかかわらす、急に子供ないのである。まじめで実際的な話を始めること、そしてぜ らのほうへ曲がって行って、話の仲間へはいりたくなった。 んぜん対等の態度をとること、これが何よりかんじんなので ちかぢかとそばへ寄って、彼らのばら色をした元気のいい顔ある。アリヨーシャにはこれが本能でわかっていた。 をながめているうちに、ふと気がついてみると、子供らはて「だって、こいつは左ききなんだもの」活発でじようぶらし んでに石を一つすっ持っている。なかには二つ持っているもい十一ばかりの別な男の子が、すぐにこう答えた。

3. ドストエーフスキイ全集12 カラマーゾフの兄弟(上)

に相違ないんだもの。それよりか、どうしてきみらがあの子 がらミハイロフ通りのほうをさして、坂の上へ駟け登った。 こっちの群れは、『ゃあい、こわくなって逃げ出しやがった。 をそんなに憎むのか、あの子に直接きいてみるよ : 「きいてごらん、きいてごらん ! 」と子供らはまた笑いだし ゃあい、ヘちま野郎 ! 』とはやし立てた。 「あいつがどんなにひきようなやっか、きみはまだ知らない んだろう、あいつは殺したってたりないんだ」と短い上着を アリヨーシャは小橋を渡って、かきねに沿うた坂道をのば 着た少年が目を光らしながら言った。見たところ、仲間で一り、のけ者にされた子供のほうへまっすぐに進んで行った。 ばん年上らしい 「気をおつけよ」と子供らはうしろから注意した。「あいっ 「あれがいったいどんな子だって ? 」とアリヨーシャはたずはきみだって恐れやしないから、いきなりナイフを出して、 ねた。「告げロやだとでも言うの ? 」 ふい打ちにきみを突くかもしれないよ、あのグラソートキン のときみたいに : 子供はばかにしたように顔を見合わした。 少年はじっとその場を動かないで、彼を待ちもうけてい 「きみもやつばりあっちい行くんだろう、ミハイロフ通りへ ね ? 」と前の少年が言葉をついだ。「そしたら、すぐあいつをた。そばによってみて、アリヨーシャは自分の前に立ってい 追っかけてきいてごらん : : : ほら、ちょっと、あいつまたじる少年が、まだ九つを越さない、せいの低いよわよわしい っと立って待ってるから。きみのほうをじろじろ見てらあ」やせてあお白い細長い顔をした子供なのを見てとった。大き 「きみのほうを見てらあ、きみのほうを見てらあ ! 」と子供な黒い目は、にくにくしそうに彼を見すえている。子供はか らはくりかえした。 らだに合わぬ不かっこうな、ずいぶん時代のついた外套を着 「あのね、一つあいつにこうきいてごらん、おまえはばろばていた。あらわな手を両袖からにゆうと突き出して、ズボン ろになったふろ場のヘちまが好きかって。 ししかい、そう言の右のひざには大きなつぎが当たっている。右のほうのくっ ってきくんだよ」 は、親指にあたるつま先に大きな穴があいて、その上からや たらにインキを塗ったあとが見える。ふくれあがった両方の 一同はどっと笑った。アリヨーシャは子供らを、子供らは ポケ ットこは、石ころがいつばいつまっていた。アリヨーシ アリヨーシャを、じっと見つめるのであった。 「行くのをおよしなさい、ぶんなぐられるから」とスムーロ ヤは彼から二歩ばかり前に立って、もの間いたげにその顔を フが大きな声で警戒した。 見まもった。少年はアリヨーシャの目つきから推して、彼が 「いや、ばくはそんなへちまのことなんかききやしないよ。 自分をぶつ考えを持ってないことを知ったので、自分のほう だってきみらはこのヘちまでもって、あの子をからかってるでも力を抜いてさきに口をきった。 第 ) 0 206

4. ドストエーフスキイ全集12 カラマーゾフの兄弟(上)

て、客の歓びがっきぬために、水を酒に変えて、新しい客を どうしてこのようなところに隠れて姿を見せぬのじゃな : さあ、おまえもいっしょにみなのほうへ行こう」 待ち受けておいでになる。永久に絶ゆることなく、新しい客 : こうして自分を呼ぶを招いておいでになる。そら、新しい水を運んで行く。ごら あの人の声だ。ゾシマ長老の声だ : ・ 以上、人違いなそというはずがない。長老はアリヨーシャのん、器を運んで行くではないか : 手を取って引き起こした。で、こちらはついていたひざを伸何ものかがアリヨーシャの胸に燃え立って、とっぜん痛い ほどいつばいに張りつめてきた。そして、歓喜の涙がこころ ばして立ちあがった。 「おもしろく遊ばうではないか」とやせた小柄な老人は話をの底からほとばしり出た : : : 彼は両手をさし伸べて、ひと声 ついだ。「新しい酒を飲もう、偉大な、新しい歓びの酒を酌叫んだと思うと、目がさめた : ふたたび棺、あけ放した窓、静かな、ものものしい、区切 もう。見ろ、なんという大勢の客であろう ! そこにいるの ふるまい はなむこはなよめ が新郎に新婦じゃ。あれは筵をつかさどる賢者が、酒を試りのはっきりした読経の声がよみがえった。しかし、アリョ ーシャは、もはや、その文句にも耳を傾けなかった。ふしぎ みておるのじゃ。どうしておまえはそう驚いた顔をして、わ しを見るのじゃな ? わしはねぎを与えたためにここにいるにも、彼はひざをついたまま眠りに落ちたのに、今はちゃん のじゃ。ここにいる人はたいてい、ねぎを与えた人ばかりじと両足を伸ばして立っている。と、急に飛びあがるようなか : ときに、わっこうをして、速い、しつかりした歩調で三足ふみ出し、棺 や、わずか一本のねぎを与えた人ばかりじゃ : パイーシイ主教 わしの静かなおとのそばにびったりと寄り添うた。そのとき、 しらの仕事はどうじゃ ? おまえも、 に肩をぶつつけたが、それには気もっかなかった。主教はち なしい少年も、今日ひとりの渇した女に、一本のねぎを与え たのう。はじめるがよい、おとなしいせがれ、自分の仕事をよっと書物から目をはなして、彼のほうへ転じたが、青年の 、いに何かふしぎなことが生じたのを悟り、すぐまたその目を : ところで、おまえにはわれわれの『太 はじめるがよい : そらしてしまった。アリヨーシャは三十秒ばかり棺の中を見 陽』が見えるか、おまえには、あのおかたが見えるか ? 」 「恐ろしゅうございます : : : 見上げる勇気がございませんつめた。なき人は胸に聖像をのせ、頭に八脚十字架のついた 頭巾をかぶり、全身をことごとくおおわれたまま、じっと横 : 」とアリヨーシャはささやいた。 「恐れることは少しもない。われわれにはあの偉大さ、あのたわっている。たった今この人の声を聞いたばかりで、その 声はまだ耳に響いている。彼はまたじっと耳をすましなが 高さが恐ろしゅうも見える。しかし、限りなくお慈悲ぶかい が、とっぜん身をひ ら、なおも声の響きを待ちもうけた のはあのおかたじゃ。今も深い愛のお心からわれわれといっ しょになって、われわれと遊び戯れておいでになる。そうしるがえして、庵室の外へ出た。

5. ドストエーフスキイ全集12 カラマーゾフの兄弟(上)

形をしておりまする ? 」 「あなたさまには : : ごらんになれるのですか ? 」と修道士「鳥のような形じゃ」 がたずねた。 「はとの形をした聖霊でございますか ? 」 「見ると言うたではないか。ちゃんと見えすいておるわ。わ「聖霊が来ることもあるし、精霊が来ることもある。精霊は しが僧院長のところから出て来ると、一匹の悪魔がわしをよまた別の鳥の形をしておりて来るのじゃ。ときには、つばめ、 けて、ドアの陰へ隠れるのが見えた。そいつがなかなか大きときには、かわらひわ、ときには、山がらの形をしてな」 なやつで、背の高さが一アルシン半もある。太くて長い茶色「山がらが精霊だということが、どうしておわかりになりま のしつばをしておったが、その先が、ちょうどドアのすき間すか ? 」 冫。いったのじゃ。わしもまんざらばかでないから、いきな 「ものを一一一一口 , つからじゃ」 「えつ、ものを言うのですって、どんな言葉で ? 」 りドアをばたんと閉めて、そいつのしつばをはさんでやっ た。すると、きゃんきゃん鳴いてもがきだしたが、わしが十「人間の言葉じゃ」 字架で三べん十字を切ってやったら、その場で踏みつぶされ「どのようなことを申しますか ? 」 「きようはこんな知らせがあったーー今にばかがひとり来 たくものようにくたばってしもうたわ。今はきっとすみのほ うで腐れかかって、臭いにおいを立てておるはずじゃが、そて、つまらんことをきくじやろうとな、おまえはいろいろな ことをききたがるやつじゃのう」 れがみんなの目にはいらぬのじゃ。鼻に感じんのじゃ。もう 一年も行ってみんが、おまえは他国から来たものじゃによっ 「恐ろしいことをおっしやりますなあ」と修道士は首を振っ てうちあけるのじゃ」 た。とはいえ、そのおびえた目の中には、疑わしげな色がう 「なんという恐ろしいお一一一口葉でございましよう ! ところかがわれた。 「ときに、おまえはこの木が見えるか ? 」やや無言の後、フ で、偉大な尊い聖人さま」と修道士はしだいしだいに大胆に エラボントはこ、ったずねた。 なってきた。「あなたさまのことで、ずいぶん遠方までえら 弟いうわさが立っておるのは、ほんと、つのことでございましょ 「見えますでございます」 のうか。なんでもあなたさまが、聖霊とたえまなく交わりをつ 「おまえの目にはにれじやろうが、わしの目から見ると別な ゾづけておいでなさるとかで : : : 」 眺めじゃ」 マ「飛んで来るわ、ときどき」 「どのような眺めでございましよう ? 」僧は期待するように 力「どんなにして飛んでまいるのでございましよう ? どんな黙っていたが、なかなか返事がなかった。 195

6. ドストエーフスキイ全集12 カラマーゾフの兄弟(上)

・それに、もうこうな それを確かめるわけにゆきやしない : 、ついた。それはあの「ならず者の親殺し』であった ! 「親殺し ! 」と老僕は近所となりへ鳴り響くほどわめき立てったら同じことじゃないか ? 』とっぜん絶望に満ちた心持ち で、彼はこうつけたした。「殺したものは殺したのさ : : : 運 た。 しかし、彼が声を立て得たのはこれだけであった。とっぜの悪いところへじいさんが来あわしたのだ、じっとそこにね てるがいし ! 』と大きな声で言って、彼はいきなりへいにお とうと伊れた。ミーチャ ん、彼は雷にでも打たれたように、。 はふたたび庭へ飛び下りて、被害者の上にかがみこんだ。ミどりかかり、横町へひらりと飛びおりると、そのまままっし ーチャの手には銅の杵があったが、彼はそれを機械的に草のぐらに駆け出した。 中へ投げ出した。杵はグリゴーリイから二歩ばかり離れたと彼は血でずぶずぶになったハンカテを丸めて、右手に握っ ころへ落ちたが、それは草の中ではなく小道の上の、最も目ていたが、走りながらフロッグのうしろのポケットへ押しこ 立ちやすい場所であった。幾杪かの間、彼は自分の前に倒れんだ。彼は飛ぶように走った。その夜まっ暗な往来で、まれ ている老僕を仔細に点検した。老僕の頭はすっかり血みどろに彼に行きあった幾人かの通行人は、猛烈な勢いで走り過ぎ であった。ミーチャは手を伸ばしてさわってみた。彼はそのた男があったことを、あとになって思い出した。彼はふたた ずがい とき、老人の頭蓋骨を割ってしまったのか、それともただちびモローゾヴァの家をさして飛んで行ったのである。さきほ どフェ ーニヤは、彼の立ち去ったすぐあとで、門番頭のナザ よっと杵で脳天を傷つけたばかりか、冂十分に確かめ』たか ールのところへ飛んで行き、『後生一生のお願いだから、あ ったのである。これは、彼自身あとになってはっきり思い起 こした。けれど、血はだくだくと止め度なくふき出して、その大尉さんをきようもあしたも、決して通さないでちょうだ い』と哀願した。ナザールは様子を聞いて、さっそく承知し の熱い流れはたちまちミーチャのふるえる指をべっとりぬら たけれど、運わるく二階の奥さんに呼ばれて、ちょっとその してしまった。彼はホフラコーヴァ夫人訪問の際に用意し た、白い新しいハンカチをポケットから取り出して、老人のほうへ出かけた。その途中で、つい近ごろいなかから出て来 頭へ押しあてながら、ひたいや顔から血をふきとろうと無意たばかりの甥、二十ばかりの若者に出会ったので、代わりに 門の番をするように言いつけたが、大尉さんのことを申しお 味な努力をした。これもまたあとから思い出したことであ くるのはすっかり忘れてしまった。門のそばまで駆けつけた る。しかし、ハンカチも見る見るずぶすぶにぬれてしまっ チャは、どんどん戸をたたき始めた。若者はすぐに彼の ミーチャが一度ならずこの若者にチップを与 『ああ、なんのためにこんなことをしてるんだ ? 』ミーチャ顔を見分けた。 はふいとわれに返った。『もし割ってしまったとしても、今えたからである。若者は、さっそくくぐりをあけて中へ通

7. ドストエーフスキイ全集12 カラマーゾフの兄弟(上)

からすむぎ 「したが、きのこは ? 」の音をのどから押し出すように、 ロムいちごか塩づけの玉菜、それからひきわりの燕麦がつく ほとんどみたいに発音しながら、とっぜんフェラボント ことになっております。土曜日にはキャベツの水煮とえんど うのそうめんスープ、それに果汁入りのかゆが出ます。これはこうきいた。 ひもの にはみんなパタがつくのでございます。日曜には乾魚とかゆ「きのこ ? 」と修道士は面くらって問い返した。 「そうじゃ、そうじゃ、わしはあいつらのパンなどは少しも がス ] プに添えられることにな 0 ております。神聖週間 ( 斎の いりはせん。わしはそんなものから顔をそむけて、森の中へ 第五週 ) にはもう月曜から土曜の晩まで六日間というもの、 ンと水ばかりで、ただ生の野菜を食べるくらいのものでござでもはいって、そこできのこかいちごで命をつなぐわ。とこ いますが、それさえ制限がありまして、毎日食べることはでろが、あいつらは自分のパンを手ばなそうとしおらん。つま きません。第一週について申したとおりでございます。神聖り、悪魔に結びつけられておるのじゃ。このごろ、けがらわ しいやつらは、そんなに精進することはいらん、などと言い 金曜には何ひとっ食べることはできません。それと同じで、 神聖土曜にも三時まで断食いたしまして、三時すぎたら初めおるが、やつらのこうした考えは、まことに高ぶってけがら てパンを少しばかりに水を飲んで、ぶどう酒を一杯だけいたわしいものじゃ」 だきます。神聖木曜には・ハタをつけない小麦団子と酒を飲ん「いや、まったくでございます」と修道士は嘆息した。 「あいつらのところで悪魔を見たかの ? 」とフェラボントは で、ときによりほかのものを食べるにしても汁けなしのもの です。なぜと申しますに、神聖木曜に関するラオデキアの会きいた。 議録にも、「四旬斎の最終の木曜を慎みて守らざれば、四旬「あいつらとはだれのことでございます ? 」修道士はおずお 斎のすべてをけがすこととなる』と言うてあるからでございずと問い返した。 ます。わたくしどものほうではこんなふうにいたしておりま 「わしは去年の五旬節に僧院長のところへ伺うたが、それ以 す。しかし、あなたさまとくらべましたら、これしきのこと来ちっとも出かけぬわ。そのとき、悪魔を見たのじゃ。ある がなんでございましよう ! 」と僧は急に元気づいて言った。 ものは胸のところに抱いて袈裟の陰に隠し、ただちょっと角 「なぜと申して、あなたさまは年じゅう、ーー・・復活祭にすらだけのそかしおる。またあるものはポケットの中からのぞか ハンと水ばかり召しあがっておいでになります。しかも、 していたが、悪魔め、目をきよろきよろさせながら、わしを こわがっておる。あるものはけがれきった腹の中に巣をくわ わたくしどもの二日分のパンは、あなたの一週間分にもあた るくらいでございます。ほんとうに驚き入った偉大なご精進せておるし、またあるものは首っ玉にかじりつかせてぶら下 でごギ、います」 げておるが、当人はそれと気がっかずに連れて歩いておるの 194

8. ドストエーフスキイ全集12 カラマーゾフの兄弟(上)

雪の上をそりで走っているらしいの : : : 鈴がりんりんと鳴っ いが、しつかりした、ねばりづよい調子で、だれかの声が言 て、わたしはうとうとしてるの。なんだか好きな人と、 あんたといっしょに乗ってるようだったわ、どこか遠い遠い ミーチャはカーテンの陰から出た。と、そのままじっと立 ところへね。わたしあんたを抱いたり、接吻したりして、あちすくんでしまった。部屋じゅう人間でいつばいになってい んたにしつかりとすり寄ってたわ。なんだか寒いような気持たが、それはさきほどとはまるで違った新しい人たちであ おかん ちだったの。そして、雪がきらきら光ってるのよ : : : ねえ、 る。一瞬の間に、 悪寒が彼の背筋を流れた。彼はぶるっと身 よる雪が光ってる以上、月が出てたんだわね。なんだかまるぶるいした。これらの人々を、一瞬の間に見分けてしまった でこの世にいるような気がしなかったわ : : : 目がさめてみるのである。あの外套を着て、徽章つきの帽子をかぶった、せ と、かわいい人がそばにいるじゃないの。ほんとうにいいわ いの高い、肥えた男は、警察署長ミハイル・マカールイチで ある。それから、あの『肺病やみらしい』「いつもあんなて 「そばにいるよ」彼女の着物、胸、両手などを接吻しながらてら光るくつをはいた』、身なりの小ざっぱりした伊達男 ら、ミーチャはこうつぶやいた。 は副検事である。『あの男は四百ループリもするグロノメー が、ふと彼は妙な気がした。ほかでもない、グルーシェン タア ( 標準時計 ) を持ってる。おれも見せてもらったことが 力は一生けんめいに前のほうを見つめている、が、それはミ ある』あの若い、小柄な、めがねをかけた男 : ・ ーチャは みようじ ーチャの顔ではなく、彼の頭を越して向こうのほうをながめ苗字こそ忘れてしまったけれども、人間はよく見て知ってい ている。しかも、怪しいほど身動きもしないでいる、 よる。あれは、ついこのごろ法律学校を卒業して来た予審判事 きょ - っカく うに感じられたのである。彼女の顔にはとっぜん驚愕、とい である。またあの男は警部のマヴリーキイ・マヴリーキッチ うよりほとんど恐怖の色が浮かんでいた。 で、これはもうよく承知していて、心やすい仲なのである。 「ミーチャ、あそこからこちらをのぞいているのはだれでしそれからあの徽章をつけた人たち、あれは何しに来たのだろ よ , っ ? 」ふいに彼女はこ、フささやいた。 う ? そのほかにまだ百姓ふうの男がふたりいる。それか 弟 ミーチャはふり返った。見ると、ほんとうにだれやらカー トリーフ ら、また戸口のところには、カルガーノフと亭主の のテンを押し分けて、自分たちの様子をうかがっているふうでオンが立っている : ゾあった。しかも、ひとりだけではないらしい。彼は飛びあが 「みなさん : : いったいあなたがたはどうして : ・・ : 」とミー マって、足ばやにそのほうへ歩いて行った。 チャは言いかけたが、急にわれを忘れて口をすべらしたかの 力「こっちへ、こっちへおいでください」と、あまり高くはなように、のどいつばいの声をはり上げて叫んだ。 527

9. ドストエーフスキイ全集12 カラマーゾフの兄弟(上)

シャをぎよっと かって、自分はかえってイヴァンの竸争を喜んでいる、その身を苦しめている、という一一一口葉は、アリ させたのである。 ほうがいろいろな点において自分のために都合がよいと言っ た。どうして都合がよいのであろう ? グルーシェンカと結『そうだ、あるいはほんとうにあの言葉には、十分の真実が ンヤこま、 婚するためとでもいうのか ? しかし、アリョ ふくまれているかもしれない ! 』しかし、もしそうだとした こんなことは自暴自棄な最後の手段としか思えなかった。そら、イヴァンの位置はどんなであろう ? アリヨーシャは本 のほかに、彼はついきのうの晩まで、カチェリーナ自身も熱能的にこういうことを感じた。カチェリーナのような匪格は しつよ・つ 清的に、執拗に兄ドミートリイを愛している、と確固たる信君臨することが必要である、ところで、彼女の主権のもとに 念をいだいていた ( しかし、この信念もただきのうの夕方ま左右されうるのは、ドミートリイのような男であって、決し でであった ) 。そればかりではない、彼女がイヴァンのようてイヴァンではない。・ しっさしドミートリイは、たとらんに圦し なタイプの男を愛するはずはない、彼女はドミートリイ を愛時日を要するとしても、いっかは彼女に屈服して、しかも幸 している、いかにこのような愛が奇怪に見えるとしても、現福を感じうるに相違ない ( それはアリヨーシャのむしろ望む にあるがままの兄を愛しているに相違ない、 こういう考ところであった ) 。しかし、イヴァンはそうでない。イヴァ えがどういうわけか、 しじゅう彼の心に浮かんでくるのであンは彼女に屈服し得ないし、また屈服しても幸福になりうる った。ところが、昨日グルーシェンカの騒ぎに出くわして、 はずはない。なぜかアリヨーシャは、いの中で、イヴァンにつ とっぜん別な考えが彼の心を打った。たった今ホフラコーヴ いてこういうふうな観念を作り上げていたのである。彼が客 ア夫人の言った「破裂』という言葉は思わず彼をぎくりとさ 間へはいったとき、こうした動揺と想像が彼の頭をかすめて せた。なぜなら、ちょうどけさ夜明けごろ半睡半醒の間に、 飛び過ぎた。それから今一つの想念も、またとっぜんおさえ ちんにゆう おそらく自分で自分の夢に答えるつもりであったろう、とつることのできない力をもって、彼の心へ闖入してきた。ほか ぜん『破裂、破裂』と叫んだからである。彼が夜通し見た夢でもない、『もしこのひとがだれも愛していなかったら、ど ははかでもない、例のカチェリーナのもとにおける恐ろしい っちも愛していなかったらどうだろう ? 』というのであっ た。ついでに一一一口っておくが、アリヨーシャはこ、つい、つふ , つな 出来事であった。今ホフラコーヴァ夫人が明白に断然と言い きった言葉、 カチェリーナはイヴァンを愛しているくせ自分の想念を恥するような気味で、この一か月間、ときどき 何かの戯れのために、何かの「破裂』のために、わざと こういう想念が浮かんでくるたびに、自分で自分を責めるの 自分で自分を欺いて、何やら感謝の念を現わしたいばかりであった。『いったい自分に愛や女性のことが少しでもわか 兄トミートリイにたいするむりじいの愛で、われとわがるのだろうか ? いったいどうしてこんな結論を下すことが

10. ドストエーフスキイ全集12 カラマーゾフの兄弟(上)

こうして、一生涯役者のまねをし通したうそっき老人で ごとく、ときどき手をあげるのであった。もちろんこの身ぶ も、興奮のあまりほんとうに身ぶるいしながら泣きだすは り一つで、この騒ぎをしずめるのに十分なはずであったが、 ど、真に迫った心持ちになる瞬間がよくあるものである。も 彼はまだ何かはっきりせぬことがあって、それをよくのみこ っとも、その瞬間 ( もしくは一秒ほどたった後 ) 『ゃい、恥 んでおこうとするように、じっと一座の光景に見入りながら 控えていた。ついにミウーソフは、自分がまったくはずかし知らずの老いばれ、きさまがどんなに「神聖な」怒りだの、 「神聖な」怒りの瞬間を感じたって、やはりきさまはうそを められ、けがされたような心持ちがした。 「この醜態の責任はわれわれ一同にあるのです ! 」と彼は熱ついているのだ、今でも役者のまねをしてるのだ』と自分で した調子で言いだした。「ばくはここへ来る前に、まさかこ自分にささやくのだ。 ドミートリイは恐ろしくまゆをしかめて、なんとも言えな うまでとはいもよらなかったのです。もっとも、相手がだ ぶべっ : これは即刻、しまっ い侮蔑の色を浮かべながら父を見つめた。 れかってことは承知していましたが : 「ばくは : : ばくは」彼は妙に静かなおさえつけたような調 をつけなきゃなりません ! 長老さま、どうそ信じてくださ 、、ばくは今ここで暴露された事実の詳細を知らなかったの子で言いだした。「ばくは故郷へ帰ったら、自分の心の天使 ともいうべき未来の妻とともに、父の老後をいたわろうと思 です。そんなことは本気で聞く気にもなれません。まったく っていたのです。ところが来てみると、父は放埒むざんの色 いまが聞き初めなのです : : : 現在の父親が不身持ちな女のた めにむすこを嫉妬して、その売女とぐるになってむすこを牢きちがいで、しかも卑劣この上ない茶番師なんです ! 」 へ入れようとするなんて : : : ばくはこんな連中の中へ交わる「決闘だ ! 」と老人は息を切らして、一語一語につばを飛ば ように仕向けられたのです : : : 欺かれたのです、みなさんのしながら泣き声を上げた。「ところで、ミウーソフさん、今 前で明言します、ばくはみなさんに劣らぬくらい欺かれたのあんたが失礼にも『じごく』呼ばわりをしたあの女ほど、高 てすか、潔白なと言うておるんですよ、そ 尚で潔白な、いい。 です : : : 」 トルが、何かまるでんな婦人は、あんたのご一門にひとりだっていませんよー 「ドミートリイさんー・」とっせんフ ドミートリイさん、おまえさんが自分のいいなず 弟借り物のような声を振りしばった。「もしおまえさんがわしそれから、 ののむすこでなかったら、わしはすぐにも、おまえさんに決闘けをあの「じごく』に見かえたところを見ると、つまり、 距離は三歩いなずけの令嬢でさえあの『じごく』のくつの裏はどの値う ゾを申し込むところなんだ : : : 武器はピストル、 ちもないと考えたわけでしよう。あの「じごく』はこういう マ ハンカチを、ハンカチを上からかぶせてな ! 」と彼は、 えらい女ですよ ! 」 カじだんだを踏みながら一一 = ロ葉を結んだ。