いってことは、わたしも承知しておりますから」 てゆきます。そして、あなたの生活は、断乎たる誇りにみち た志望を永久にはたしたという、甘い意識の連続と化してし「残念ながら、ばくはたぶん明日あたりモスグワへ向けて出 います。じっさい 、この志望は一種の誇りにみちていて、立して、永久にあなたを見捨てなければなりますまい まあいずれにせよ、自暴自棄的なところがあります、それれは残念ながら、変更するわけにはいきません : : : 」イヴァ にはまちがいありません。しかし、それもあなたによって征ンがとっぜんこう言った。 服されてしまうものですから、この意識が最後にいたって十「明日、モスクワへ ! 」ふいにカチェリーナの顔がゆがんで 分な満足をあなたに与え、そのほかのあらゆる苦痛をあきらしまった。「けれど : : : けれど、ほんとうになんてしあわせ なことでしよう ! 」と彼女は叫んだが、 めさしてくれましょ , つよ : その声は東の間に一 変した。そして、一瞬の間に跡も残らないほど、きれいに、・冫 彼は何か毒をおびたような調子で、ずばりと言いきった。 その調子は妙にわざとらしかったが、彼はそうした心持ちをふき取っていた。つまり、一瞬の間に恐ろしい変化が彼女 を、つまりわざと冷笑的な調子で言ってやろうという心持ちの全身に生じたのである。 ( これがアリヨーシャにたえがた く悩ましい印象を与えた ) 。たった今ひきむしられたような を、格別かくそうとしなかったのかもしれない。 「まあ、とんでもない、それはみんな大ちがいですよ ! 」と感情の激発に泣いていた、はずかしめられたる哀れな少女 が、急にすっかり落ちつきすまして、何かうれしいことでも ホフラコーヴァ夫人は叫んだ。 「アレグセイさん、どうかあなたのご意見も、聞かしてくだできたかのように、恐ろしく満足そうな様子をした女に早変 わたしはあなたがなんとおっしやるか、それが伺いわりしたのである。 たくってたまらないんですの ! 」とカチェリー ナは叫んだ 「おお、決して、あなたを失うのがしあわせなのではありま が、思いがけなくさめざめと泣きだした。アリヨーシャは長せん。そんなことはもちろんありません」急にあいそのいし 世なれた徴笑を浮かべながら、彼女はこう言いなおした。 いすから立ちあがった。 「あなたのような親しいお友だちが、そんなことをお考えに しいえ、なんでもありません、なんでもありません ! 」 弟と、彼女は泣き声のまま言葉をついだ。「これはゆうべいろなるはずがありません。それどころか、わたしにとっては、 のんなことを考えたので、頭が変になっているからですの。わあなたを失うということは、このうえもない不幸なのでござ います ( 彼女は、いきなりイヴァンに飛びかかって、その両 ゾたしはね、あなたやお兄さんのようなお友だちのそばにいま いっそう気じようぶなのでございます : : : だって、手を取るやいなや、熱情をこめて握りしめた ) 。わたしがし マすから、 力あなたがたおふたりが決してわたしを : : : お見捨てなさらなあわせだと申しましたのは、こういうわけなんでございま
長老に敬服していた人たちのうちにさえ、この出来事のためなつもりの少しもなか「た人たちまで、今はわざわぎ駆けっ に、自分が侮辱を受けたように感した人が、すぐさま幾たり けて来た。その中には位の高い名士も幾たりか交じって、 か現われた。事件は次のような順序をふんで展開していっ た。とはいえ、表面の儀礼はまだ破られなかった。パ イ主教はいかめしい顔をして、しつかりした調子で、一語一 腐敗が発見されるやいなや、故長老の庵室〈はい「て来る語くぎるようにしながら、引きつづいて福音書を声高に読 僧たちの顔を見たばかりで、なんのためにやって来たのか、 していた。彼は早くから、何か異常なことが起こったのに気 察することができた。彼らははい「て来ても、あまり長くはづいていたが、それでも何も知らないそぶりをしていた。と 立「ていず、群れをなして外で待っているはかの連中に、少ころが、しまいには、人々の話声が彼の耳にまではいるよう しも早くうわさの裏書をしようと思って、そわそわと出て行 になった。その声は初めごくごく低かったが、 しだいに大胆 くのであった。外で待っている連中のうちには、うれわしげ な、しつかりした調子になってきた。 に首を振るものもあったけれど、その他の者は、毒々しい目 「つまり、神さまのおさばきなのだ、人間わざじゃない ! 』 の中に、ありありと輝きだした喜びの色を隠そうともしなか とっぜん、こういう声をパイーシイ主教は聞きつけた。そ った。もはやだれひとりこれをとがめるものもなかった。だれをまっさきにロに出したのは、かなり年とった町の官吏 れひとりこれに抗議するものがなかった。それはじつにふしで、信仰家として通っている人であった。が、これはすで ぎなほどであった。なんといっても、長老に信服している人 に、だいぶ前から僧たちがお互い同士でささやきあっていた は、僧院内で多数を占めているはずなのである。しかし、察ことを、公然とくりかえしたにすぎないのである。僧たちは するところ、このたびは神が少数のものに、一時の勝利を与もうとうから、この非道な言葉を口にしていたが、何よりも えられたのであろう。 悪いことには、この種の言葉が発せられるたびに、一種勝ち まもなく僧侶以外の人も、密使として庵室の中へはいって誇ったような気分が頭をもたげて、それが刻一刻と募ってゆ 来るようになった。それはおもに、教育のある人が多かっ くのであった。やがて、まもなく、式場の作法さえくずれだ じゅうりん 弟た。平民階級の人たちは、庵室の門のあたりに、大勢群らが した。しかも、人々はそれを蹂躙する権利があるような気持 のっていたけれど、庵室の中へはあまりはいって来なかった。 ちでいるらしかった。 ゾ三時から後は、町の人の弔問が目に見えて多くなった。それ「どうしてこんなことが起こったのだろう』僧たちの中に マは疑いもなく、例の人の心をそそるようなうわさのためであは、なんとなくあわれむような調子で、こう言いだすものが カった。きよう決してここへ来るはずのない人たち、 そんあった。『あの人のからだは非常に小柄で、かわききって、 3
あたりまえのようにあしらっていたじゃな、、 けか、急にひどく何かにおびえあがって、途中出会っても、 どうもう ざんげ 『懺悔の秘密を濫用したのだ』最も獰猛な長老制の反対者 ただおくびようげに互いの顔を見くらべるばかりであった。 奇怪な新制度として長老制に反対する人たちは、傲然としてが、毒々しい調子でこうささやいた。これらは、僧侶仲間で も一ばんの年長者で、敬神の点についてはきわめて峻厳な、 首をそらしていた。 真の意味における禁欲と沈黙の行者であった。彼らは故人の 「ヴァルソノーフィ長老がおかくれになったときは、悪し ~ おいが立たなかったばかりでなく、芳香が馥郁としていた』存命中かたく沈黙を守っていたが、今とっぜん口を開いたの と彼らは意地わるい喜びの色を浮かべながら、こんなことをである。これが何よりも恐ろしかった。というのは、彼らの 引き合いに出した。『あのおかたは長老という位のためでな言葉は、まだ定見をもっていない若い僧たちに、強烈な印象 を与えたからである。 く、ご自分で正しい道をふまれたために、あれだけのむくい オブドールスグの聖シリヴェストル僧院から来た客僧は、 をお受けになったのだからな』 けんせき これらすべてのことを、一心に耳をすましながら聞いてい これにつづいて、こんどは故長老にたいする非難や、譴責 た。彼は深いため息をつき、小首を傾けながら、『いや、ど の声すら聞こえはじめたのである。「あの人の教えはまちが っていた。あの人の教えによると、人生は涙に満ちた忍従でうもフ = ラボント主教がきのうおっしやったことはほんとう なくて、偉大なる喜悦なんだそうだ』一ばんわけのわからならしい』と心の中で考えた。ちょうどそのとき、僧フ = ラボ い連中が、こんなことを言「た。「あの人の信仰はこのごろントが姿を現わした。それは、一同の動揺の度を強めようと はやりのもので、物質的な地獄の火を認めていなかった』な思って、わざと出て来たかのようであった。 前にも述べておいたとおり、彼が養難場にある自分の木造 おいっそうもののわからない連中が、こう調子をあわせた。 「精進にたいしてもあまり厳格でなかった、甘いものを平気の庵室から出ることは、きわめてまれであった。会堂へすら でロに入れ、お茶といっしょに桜んばのジャムを食べてい長いあいだ顔を出さないのが常であった。僧院のほうでも彼 た。非常な好物だったので、しじゅう奥さんたちから届けてをユロージヴィ ( 宗教的奇人 ) と見て、一般にたいする規則を もって律しないで、何事も大目に見てやっていた。が、ほん 弟もらっていた。隠遁者がお茶を飲むなんて法があるものか ? 』 とうのところを言えば、これも一種の必要に迫られて許して のこういう声が羨望者の仲間から聞こえた。 いたのである。そのわけは、こうして朝から晩まで祈ってい 力しカ ? ・』ロ取も思 ゾ「恐ろしく威張りかえってすわってたじゃよ、、 「地わるい喜びを感じている人たちが、残酷な調子で言いだしる ( じっさい、寝るのもひざをついたままなのである ) 、偉 カた。「自分で聖人を気どって、人が自分の前へ平伏しても、大な禁欲と沈黙の行者をば、自分から服従を望んでもいない 3 ふくいく
「ミウーソフさん、ああいうことのあったあとで、どうしてとをあやまったうえで、あれはばくらのせいでないというこ そんなまねができるものですか ! つい夢中になったのでとを明らかにするためから言ってもね : : : きみはなんとお思 いです ? 」 す、ほんとうにみなさん失礼しました、夢中になってしまっ 「そう、あれがばくらのせいでないってことを、明らかにす たのです ! おまけに、腹の底までゆすられたもんですから る必要がありますね。それに、おやじもいないことですか じつに恥ずかしい。なあ、みなさん、人によっては、 マケドニヤ王アレグサンドルのような心を持っておるかと思ら」と、イヴァンが答えた。 「あたりまえですよ、お父さんがいっしょでたまるもんです えば、また人によっては、フィデルコの大みたいな心を持っ ほんとうにいまいましいお食事だ ! 」 たものもあります。わしの心はフィデルコの大のほうでしてかー が、それでも一同は歩いて行った。小柄な僧は押し黙って な、すっかり気おくれがしてしまいましたよ ! あんな乱暴 聞いていた。彼は、木立ちを越して行く道すがら、たった一 をしたあとで、どの面さげてお食事に出られるもんですか、 どうしてお寺のソースを平らげたりなんかできますか ! 恥度だけ、僧院長はずっと前から一行を待っていて、もう三十 分以上おくれてしまったと、注意しただけである。だれひと ずかしくってできませんよ、失礼します ! 」 りそれに欠〕えるものはなかった。ミウーソフは、にくさげに 『わけのわからん男だ、あるいは、一杯くわすかもしれない イヴァンを見やりながら、 て ! 』しだいに遠ざかり行く道化者を不審そうに見送りなが ら、ミウーソフは思案顔にたたずんだ。フョ ードルはふり返「まるで何事もなかったような顔をして、しゃあしゃあとお って見て、彼が自分を見送っているのに気がつくと、手で接食事へ出ようとしている ! 』と腹の中で考えた。『鉄面皮即 カラマーゾフの良心だ ! 』 吻を送るのであった。 「きみは僧院長のところへ行きますか ? 」ぶつきら棒な調子 でミウーソフはイヴァンにたずねた。 第 7 野心家の神学生 「どうして行かずにいられますか ? それにばくはきのうか ら、僧院長の特別な招待をもらってるんですからね」 アリヨーシャは長老を寝室へ導いて、寝台の上へかけさせ ン」を - 「残念ながら、ばくも同様、あのいまいましいお食事にぜひた。それはほんのなくてならぬ道具を並べただけの、とても 小さな部屋であった。寝台は鉄で造った幅の狭いもので、そ 出席しなければならないように思いますよ」ミウーソフは僧 が聞いているのもおかまいなしで、例の苦々しそうないらい の上にはふとんの代わりに一枚の「ノエルト毛布が敷いてある らした調子で語をついだ。「それにわれわれがしでかしたこ ばかりだった。聖像を安置した片すみには読経づくえがすわ とき
チャにはそう感じられた。 , 冫 彼よ百姓のほうへかけよって、 ありませんか : : : さもなければ : : : さもなければ、ばくは何 「失礼ですが、じつは : : : わたしは : : : あなたもたぶん、あがなんだかわかりやしない ! 」 っちの小屋にいるここの番人からお聞きになったでしよう 「きさまは染物屋だ ! 」 「とんでもない、ばくはカラマーゾフです、 が、わたしは中尉・ トミートリイ・カラマーゾフです。今あな たと森のことでかけ合いをしている、カラマーゾフ老人のむカラマーゾフです。あなたに用談があって : : : 有利な相談が すこです」 あって来ました : ・ : 非常に有利なことで : : : しかも、あの森 「でたらめ言うない ! 」百姓はいきなりしつかりした、落ちに関係があるのです」 ついた調子でどなりつけた。 百姓はものものしげにひげをなでた。 ーヴロヴィチを 「どうしてでたらめです ? フヨードル 「なんの、きさまは請負仕事を途中で投げ出したりして、悪 ′」そんじでしよ、つ ? 」 党になってしまったのだ。きさまは悪党だそ ! 」 「フヨードレ・。、 ーヴロヴィチなんてやつは、ちっともごそ「誓って、そんなことはありません、それはあなたの考え違 んじないわい」重たそうにしたをまわしながら、百姓はこう しです ! 」とミーチャは絶望のあまり両手をもみしごいた。 言った。 百姓は相変わらずひげをなでていたが、とっぜんこすそうに 「森を、あなたは森をおやじから買おうとしておいでになる目を細めて、 じゃありませんか。まあ、目をさまして、気分をしつかり持「それよりか、きさまに一つききたいことがあるんだ。いっ ってください。ィリンスキイ長老がばくをここへ連れて来たたい人に不快な目をさせてもかまわないって法律が、どこか のです : : : あなたは、サムソーノフに手紙をお出しになった にあるかい、え ? きさまは悪党だ、わかったか ? 」 しようぜん でしよう。それで、あの人がばくをここへよこしたのです チャは悄然としてうしろへさがった。と、ふいに『何 」とミーチャははを切らした。 かひたいをどやしつけられたような気がした』 ( これはあと 「でたらめだい ! 」とレガーヴィ ( 猟大 ) はまたはっきりしで彼自身の言ったことである ) 。一瞬にして、心の迷いがさ たいまっ 弟た調子でどなりつけた。ミーチャは足の冷たくなるのを感じめてしまった。『とっぜん炬火のようなものがばっと燃えあが 兄 って、ばくはすべてを理解したのだ』と彼は語った。自分は ゾ「とんでもない、 これは冗談じゃありませんよ ! あなたは なんといっても分別のある人間だ、それがどうしてあんなば マ酒に酔っておいでかもしれませんが、もう、 しいカ一にまとも かな話にうかうか乗って、こういう仕事に手を出したばかり 力な口をきいて、人の言うことも聞きわけられそうなもんじゃ か、ほとんど一昼夜の間、そのばかなことをやめようとせ
ヤを突っつきながら、フヨードルはいっそうおもしろそうに びごとに顔を出すようになった。 「おまえはどうしたんだ ? 」その薄笑いを目ざとく見つける叫んだ。 と同時に、この笑いは、当然、グリゴーリイに向けられたも「畜生め、おまえは畜生だ ! 」とグリゴーリイはだしぬけに ふんめ のだなと悟って、フヨードルはこうきいてみた。 こらえかねてこう言った。彼は憤怒に燃える目で、ひたとス 「わたくしが思いますには」とスメルジャコフは、とっぜんメルジャコフの顔を見すえていた。 思いがけなく大きな声で言いだした。「よしその感心な兵隊「畜生などとおっしやるのは少々お待ちください、グリゴー リイ・ヴァシーリ のしたことが偉大なものだとしましても、そんな場合に、 エヴィチ」とスメルジャコフは、落ちっし の兵隊がキリストのみ名と自分の洗礼を否定したからといっ た控え目な調子で言葉を返した。「それよりか、ご自分でよ て、なにも罪なことはなかろうと思います。そうすれば、こ く考えてごらんなさい 。もしわたくしがキリスト教の迫害者 のさきいろんないい仕事をするために、自分の命を助けるこの手に落ちて、キリストのみ名をのろい、自分の洗礼を否定 とができるし、またそのいい仕事でもって長年の間に、自分せよとしいられたら、わたくしはこのことについて、自分の のあさはかな行ないを償うこともできます」 理性で行動する権利を持っているのですから、罪などという 「それがどうして罪にならんか ? ばかを言え、そんなこと ものは少しもありやしません」 「そのことはも、つ ~ 別に一一一一口 , ったじゃよ、 を言うと、いきなり地獄へ落とされて、羊肉のようにあぶら オしか。だらだら飾り立て れるんだそ ! 」とフヨードレ : ノカ押えた。 るのはやめて証明しろよ ! 」とフヨードルが叫んだ。 ちょうどこのときアリヨーシャがはいって来たのである。 「へつばこ料理め ! 」とグリゴーリイは吐き出すようにつぶ フヨードルは前に述べたごとく無性に喜んで、「おまえの畑ゃいた。 だ、おまえの畑だ ! 」とアリヨーシャを席に着かせながら、 「そんなふうにおっしやるのもやはり少々お待ちください。 うれしそうにひひひと笑ったのである。 そんなきたない口をきかないで、よく考えてごらんなさい。 「羊肉のことにつきましては、決してそんなはずはありませなぜって、わたしが迫害者に向かって、「いいや、わたくし ん。それに、ああ言ったからって、そのようなことはありや はキリスト教徒じゃありません、わたくしは自分の神様をの しません、またあるべきはずがございませんです、公平に申ろいます』というが早いか、さっそくわたくしは神のさばき しましてね」とスメルジャコフはものものしい調子でこう注によってのろわれたるアナテマ ( 破門者 ) となり、異教徒とぜ 亠臥ーし 4 に。 んぜんおなじように、神聖な教会から切り放されてしまいま 「公平に申しましてとはなんのことだ ? 」ひざでアリヨーシす。ですから、わたくしが口をきるその一瞬間というより
すっと古ばけて、きようはひどくきたなく思われた。もっと ひかれ来にけり、ああ神よ も、天気はきのうと同じくはればれしていた。緑いろのテー あわれみたまえ プルの上には、きのう杯の縁をあふれたコニャッグの跡らし きみとわれとを ! いのが、丸く型をつけていた。いつも待ちくたびれたときに きみとわれとをー 経験する、なんの役にもたたぬつまらない考えが、そろりと きみとわれとをー 彼の頭へ忍びこむのであった。たとえば、ここへはいって来 たとき、どういうわけでほかの場所へすわらないで、きのう 声はやんだが、テノールも下卑たものなら、歌の節まわし と一分一厘ちがわぬ席へ腰をおろしたか、などというようなも下卑ていた。と、急にいまひとり女らし、声 ; し力いくぶん たぐいであった。とうとう彼はわびしい気持ちになってき気どってはいるけれど、なんとなくおくびような調子で甘え た。それは不安な未知ともいうべきものからくるわびしさでるようにこう言った。 ある。 「パーヴェルさん、どうしてあなたは長い間うちへ来てくれ しかし、十五分とたたないうちに、とっぜんどこか近いと なかったの ? おおかた、わたしたちをばかにしてらっしゃ ころで、ギタアをひく音が聞こえてきた。前からすわって いるんでしょ , つ」 たか、それともたったいますわったばかりか、とにかくどこ 「どういたしまして」と男の声はていねいではあるが、どこ かんばく か二十歩以上へだてていない、灌木の陰にだれか人がいるのまでも自分の尊厳を保とうとするような調子で答えた。 うわて た。アリヨーシャはふいと思い出したーーー・昨日兄と別れてあ察するところ、男のほうが上手を占めて、女のほうからき ずまやを出るとき、左手の前方にあたって低い緑色の古・ヘン げんをとっているらしい チがあるのに気づいた、というより、灌木の間からちらりと 『田刀のは、つはど、つもスメルジャコフらしい』とアリヨーシャ 目にはいった。きっとその・ヘンチにすわったものに相違なは考えた。『少なくとも声がよく似てる。ところで、女のほ しかし、だれだろう ? と、急にひとりの男の声が、自うはきっとこの家の娘に相違ない。例のモスグワから帰って 分でギタアの伴奏をしながら、甘ったるい裏声でクプレット 来て、長い裾のついた服なんか引きずってるくせに、マルフ ( リフレーンっきの小唄 ) を歌い始めた。 アのとこへスープをもらいに来る娘らしい 「わたし詩ならどんなのでも大好きよ、もしうまく作ってあ 打ち克ちがたき力もて れば : : 」と女の声が言葉をつづけた。「どうしてあなたっ われはいとしききみが方に づきを歌わないの ? 」 264
す。あなたがモスグワへいらっしゃいましたら、今のわたし い調子で、彼女はとがめるように言った。「わたし自分で言 ったことは、間違いなくいたします ! このかたのご意見は の境遇を、今の恐ろしい身の上を、あなたの口から伯母や姉 のアガーシャへ、すっかり伝えていただけるからでございまぜひ必要なのでございます。それどころか、わたしこのかた す。どうぞアガーシャには露はにありのままを話し、伯母のの命令が必要なのでございます ! このかたのおっしやるこ ほ , つは少一し加してくださいまし。もっとも、こんなことは とは、そのとおりに実行いたします、ーーーねえ、アレグセイさ あなたの胸にあることでございますわね。ゅうべも今朝も、 ん、これほどまでに、わたしはあなたのお言葉に渇しているの どんなふうにこの恐ろしい手紙を書いたらいいかわからない ・でございますよ : : : ですが、あなたはどうなすったんですの」 で、どれほどっらい思いをしたか、とてもお察しはっきます「ばくは今までこんなことを夢にも考えませんでした、こん : だって、こんなことはどんなにしたって、手紙で言なこと想像もできません ! 」と、ふいにアリヨーシャは悲し げに叫んだ。 いつくせるものじゃありませんからねえ : : : けれど、今はも う楽に書くことができますわ。あなたが伯母や、姉にあっ 「なんですの、なんですの ? 」 て、すっかり説明してくださるんですものね。ほんとうにこ 「兄さんがモスグワへ行くというと、あなたはそれをうれし んなうれしいことはありません ! ですが、うれしいのはた いとおっしやるじゃありませんか、 あなたはわざとあん だこれだけです。しつこいようですが、どうそ信じてくださ なことをおっしやったのです ! それからまたすぐに、、 いまし。あなたという人はわたしにとって、かけがえのない うれしいと言ったのはまるつきり別なことで、むしろ友人を おかたなのです : : : さあ、今すぐにもひと走り家へ帰って手失うのが残念だなどと言いわけをなさる、 あなたはわざ 紙を書きましよう」とだしぬけに彼女は言葉を結び、もう部と芝居をなすったのです : : : ちょうど喜劇の舞台に立つよう 屋を出て行きそうにひと足ふみ出した。 に芝居をなすったのです ! 」 「おや、アリヨーシャは ? あなたがぜひ聞きたいと言って「芝居ですって ! なぜですのー いったいそれはなんのこ らした、アレグセイさんのご意見は ? 」とホフラコーヴァ夫とですの ? 」顔をまっかにして眉をひそめながら、カチェリ 人は叫んだ。なんとなく皮肉な、腹立たしげな調子がその声 ーナは心底から驚いてこう叫んだ。 の中に響いていた。 「あなたがどんなに兄さんという親友を失うのが残念だとお 「わたしそれを忘れたのじゃありません」と急にカチェリー っしやっても、やはり兄さんの出立がうれしいと、当人に面 ナは立ちどまった。「それに、奥さんはどうして今のようなと向かって言ってらっしやるようなものです : : : 」もうほと じやけん 場合、わたしをそう邪慳になさるんでしよう ? 」と熱した苦んど息を切らしながらアリヨーシャは言った。彼はテープル
して目に立つほどでもないけれど、何やらとくに意地わるそ自分の発した問いすらも、すぐにわすれてしまったのであ うな、いらいらした表情を、顔ぜんたいに添えるのであつる。 た。老人は自分でもそれを知っているので、はいって来るア 「イヴァンは出て行ったよ」彼はとっぜんこう言いだした。 リヨーシャの姿をぶあいそうに見やった。 「あいつは一生けんめいにミーチカの嫁さんを横取りしよう 「冷たいコーヒーだ」と彼は鋭い調子で叫んだ。「べつにすとしておる。そのためにここにおるんだよ」と彼は毒々しい すめまい。わしはな、アリヨーシャ、今日は自分からお精進調子で言って、ロをひん曲げながら、アリヨーシャを見つめ をして、スープも肉っ気なしのウハー ( 魚汁 ) だ。だから、だ れも呼ばずにおったのさ。いったいなんの用で来た ? 」 「いったい兄さんが自分でそう言ったのですか ? 」とアリョ シャがきいた。 「お気分がど、つかと思いまして」とアリヨーシャはロを切っ 「もうとうに言うたよ。おまえいったいなんと思うとったん 「ふん。それに、昨日わしが自分のほうからおまえに来いと だ ? 三週間も前にそう言ったんだぞ。まさか内証にわしを 言うたが、あんなことはみんなでたらめだ。そんなご心配を殺そうと思うて、ここへ来たんじゃあるまい ? そうとすれ あそばすことはいらなんだのになあ。しかし、わしもおまえま、、 。しったいなんのためにやって来たんだ ? 」 がすぐにのこのこやって来るだろうと思っておったがな : こ 「お父さん何を言うんです ! なんだってそんなことをおっ 彼はにくにくしそうな心持ちを見せながら、そう言った。 しやるんです ? 」とアリヨーシャはひどくどぎまぎした。 その間に彼は立ちあがって、さも気にかかるようなようす「あいつは金をくれとは言わん、それはほんとうだ。しかし で、鏡をのそいて自分の鼻をながめた ( これでけさから四十それにしても、わしからびた一文だって取れるこっちゃな わしはな、アレグセイさん、この世に少しでも長く暮ら ペんくらいになるかもしれない ) 。それから、ついでにひた しの赤いきれもちょっとかっこうをなおした。 したいのだ。このことはおまえたちに心得ておってもらいた 「赤いほうがよい、白いのは病院くさくていかん」と彼はも いて。それだからして、一コペイカの金でもわしにはたいせ 弟っともらしくつぶやいた。「ところで、おまえのほうはどう つなのさ。わしが長生きをすればするほど、なおさらたいせ のだ ? おまえの長老はどんなだ ? 」 つになっていくのさ」黄色い夏の薄らしやで作った、だぶだ ゾ「たいへんお悪いのです。ひょっとしたら、今日おかくれにぶしてあぶらじみた外套のポケットに両手を突っこんで、す マなるかもしれません」とアリヨーシャはこたえた。しかし、 みからすみへと部屋を歩きまわりながら、彼は言葉をつづけ カ父はそれをろくろく聞こうともしなかった。そればかりか、 た。「今のところ、わしもまだようよう五十五だから男の仲 ) 0
けるのであった。見受けたところ、彼女がこんなことをするした。自分の考えをすっかり聞かしてくれました。このひと のは、こういうふうに言葉や音を引き伸ばして、いやに甘つは、ちょうど天使のように、 ここへ飛んで来て、慰めと喜び たるい調子をつけるのを、美しい話しぶりだと思っているかをもたらしてくれたんですの : : : 」 ららしい 。もちろん、これは下品な悪い習慣であって、彼女「あなたはわたしのようなものでも、おさげすみになりませ の教育程度の低いことと、子供の時分から礼儀というものにんでした、ほんとうにやさしいお嬢さまでいらっしゃいます あいきよう ついて俗な観念をたたきこまれているのを証明するのみであわねえ」やはり例の愛嬌のいいうれしそうな笑みを浮かべた った。が、それにしても、この発音と語調とは、子供らしい まま、グルーシェンカは歌でも歌うように言葉じりをリいた 「まあ、あなた、かりにもそんなことをわたしにおっしやら 単純な顔の表情や、赤ん坊にのみ見られる穏やかな幸福らし い目の輝きにたいして、ほとんどありうべからざる矛盾をな ないで ! あなたのような美しい魅力のある人をさげすむな しているよ , つに、アリヨーシャには感じられた。 んて ! よくって、わたしあなたの下くちびるを接吻する カチェリーナはさっそく、彼女をアリヨーシャの真向かい わ。あなたの下くちびるはまるではれたようになってるか にあるひじかけいすにかけさして、その笑みをふくんだくちら、もっとはればったくなるように接吻してあげてよ、も一 びるを夢中になって幾度も接吻した。彼女はまるでグルーシ度 : : : も一度 : : : ねえ、アレクセイさん、あの笑顔をごらん エンカに恋をしてでもいるようであった。 なさい。ほんとうにこのエンゼルの顔を見てると、心がうき うきしてきますわ : : : 」 「アレグセイさん、わたしたちは初めて会ったんですの」と 彼女はうっとりしたように叫んだ。「わたしこのひとに会っ アリヨーシャは顔をあからめて、目に見えぬほど小刻みに ひととなり て、このひとの性質が知りたくて、自分のほうから先に出かふるえていた。 けようかと思っていたところ、このひとがわたしの招きに応「やさしいお嬢さま、あなたはそんなにわたしをかわいがっ じて、さっそく自分から来てくだすったんですの。このひとてくださいますが、もしかしたら、わたしはまるでそんなこ といっしょだったら、何もかもすっかり、ほんと、つにすっか とをしていただく値うちのない女かもしれませんよ」 り解決ができるに違いないと思いました。わたしの胸はそれ「値うちがないんですって ? このひとにそれだけの値うち を予感していました : : : わたしこう決心したとき、そんな馬がないんですって ! 」とカチェリーナはまたしても以前と同 鹿なまねをとみんなにとめられましたけど、それでもちゃんじ熱中した調子で叫んだ。「ねえ、アレグセイさん、このひ と結果を予感していました。そして、案の定、間違っていま とはずいぶんとっぴなことを考えだす人ですけれど、その代 せんでしたわ。グルーシェンカは何もかもうちあけてくれまわりごくごく誇りに満ちた、自由な心を持っていらっしやる