ドストエーフスキイ - みる会図書館


検索対象: ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟(下)
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1. ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟(下)

するにすぎません。しかし、もしこれが成功したら、ト ノ生に度の実現を見たということもできよう。ただこの作品全体が R いかなる径路をたどり とってまさに一つの功業であると心得ています。だれにも洩 、、かなる変化を重ねながら、現在見 らさないでください しかし、この第二部のためには、このるがごとき形に落ちついたかは、作者が残した豊富な創作ノ 僧院のためには、ト生はロシャに住んでいなければなりませ ートによっても、ついに明瞭にすることのできない創造の秘 ん。ああ、万一これが成功したら ! 第一編は主人公の少年密である。ただわれわれに知られているのは、「・偉大な罪人の 時代ですが、もちろん子供たちばかり登場するわけではあり生涯』という総題はひとまず解消せられ、大長編の構成分子 ません、なんといっても小説ですからね。そこで、これならたるおのおの独立せる物語も五編から二編に削減されたこと 幸い外国にいても、書けるので、『ザリャー』に提供する次である。その第一部はこの『カラマーゾフの兄弟』であり、 第です : : : ( 欄 付記いずくんそ知らん、ほかならぬこのチーホ第二部は十三年後のアリヨーシャ・カラマーゾフが主人公と ンこそわが文学の求めているロシャの肯定的典型であって、 して活躍するぜんぜん別凅な物語となるはずであった。 ラヴレーツキイ トストエーフスキイは『悪霊』の完結後も、構想の完全に ( 掫の巣」の主人公 ) でもなければ、チーチコフ ゴーゴリ「死 ) でもなく、ラフメートフ輩でもないかもしれ円熟するのを待っかのごとく、さらにもう一つの中間的作品 ません」 「未成年』を書きあげた後、ようやく一八七七年のなかば頃 なおその他、ドストエーフスキイは一八七七年の日付のあから、全精力をこの大長編に集中しはじめた。それがため る覚書に、『生涯に対する Memento 』と題して、ロシャの「カ に、彼が直接読者に話しかける重要な機関として深い愛着を ンデイド いだいていた個人雑誌「作家の日記』をも、一八七七年の十 』の哲学的国 ) を書くこと、キリストの小説を書く こと、などと書きつけているが、これらの言葉によって見ら二月号をもって一応休刊として、専心「カラマーゾフの兄 れるごとく、ドストエーフスキイの畢生の大作のプランは、弟』の創作に没頭した。やがて一八七九年の一月から、最初 ルースキイ・ヴェーストニク 彼の胸中でしだいに最後の実現たる「カラマーゾフの兄弟』の部分が雑誌『ロシャ報知』に連載され始め、一八八〇年十 に近寄って来たことが看取される。チーホン・ザドンスキイ一月をもって完結した。しかし、この完結後わずか三か月で はもちろんゾシマ長老であり、僧院に入れられるというニヒ ドストエーフスキイが長逝したため、第二部のプランが永久 、ーリヤ・グ一フソ , ートキンと一アリョ リストの少一企・は、コ シに墓のかなたへ持ち去られ、闇から闇へと葬られてしまった ヤ・カラマーゾフの二人にわかれ、チャアダーエフはイヴァのは、返す返すも遺憾なことといわなければならない。 とはいえ、この事実も「カラマーゾフの兄弟』の偉大な ン・カラマーゾフに変形していったのである。またキリスト に関する小説の意図は『大審問官』の一章において、ある程価値を寸毫も減じないのはもちろんである。それどころか、

2. ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟(下)

人間性のあらゆるすみずみを見きわめた魂の透視者が、不安ルストイはロシャ人の生活をあるがままの姿において立体的 な動揺時代に生まれあわせたロシャ人の苦悩を底の底まで探に描いて見せたので、その一つ一つの場面や心理解剖は、作 りつくして、人間と神との間に架け渡した貴い橋として、永品を離れても立派に現実のものとして読者の想像裡に生きて 遠に人類の心の糧となるべき偉大な啓示の書である。ロシャ動いている。われわれはそれを指して、これこそ現実のロシ でもこの小説が発表されたとき、一般社会の受けた衝動はなヤであるということができるのである。しかるに、「カラマ ーゾフの兄弟』にあっては、ただにロシャのみならず、いか みなみならぬものであった。かってゴンチャロフの傑作「オ なる国であろうとも、普通の日常生活ではしよせん見ること プローモフ』が、ロシャ人の国民性を道破したものとして、 このド も、聞くことも、体験することもできないような常軌を逸し 「オプローモフシチナ」とい、つ新衄を生んだよ、つに、 た感情や、埒を踏み破った欲望や、この世の限界を越したか ストエーフスキイの最大作も、同じロシャ国民性のまったく と思われるはど深刻な思想の沈潜や、後から後からたたみか 正反対な、思いがけない一面を啓示したものとして、新しく 「カラマーゾフシチナ」なる言葉が高唱されるようになった けて重なって来る異常な事件の旋風が、読者をわしづかみに のである。従来、単純、緩慢、鈍重、優柔といったような気して眩暈を感ぜしめ、なかば夢幻の境へ拉し去るのである。 分を象徴する「オプローモフシチナ」 ( オプローモフ的な人物われわれは作品の世界に没入しているかぎりにおいては、そ もしくは精神 ) がロシャ国民性の全体を抱擁するものと思われらの事件や心理が否応のない必然性を有し、そこになんら れていたとき、それとまったく対蹠的な混沌、狂乱、激動、 の不合理も超自然性もないという気持ちをいだきつづけるけ れども、一たびその作品の世界から出て振り返ってみると、 極端から極端へ走るがむしやらな性質を表示する「カラマー ゾフシチナ」も、やはりまぎれもないロシャ国民性の反面でそこに描かれた佃々の場面なり人物なりが、そのままロシャ あることを示されて、人々は深い驚愕に打たれたほどであの現実生活から切りとってきたものであるとは、なんとして る。まことにこれは、ロシャおよびロシャ人を理解せんとすもいうことができない。例えば、この厖大な長編のほとんど る人にとって、必す逸することのできない貴重な宝典である。三分の二にわたる部分が、わずか三日間の出来事であるとい ここに一言しておかねばならぬことがある。ほかでもな うことだけを取り上げてみても、これは普通の現実生活にお 、さきにすでに触れた「戦争と平和』との対比であるが ける時間の算定を無視したものであって、・マリの言葉を 説 トルストイのこの大叙事詩もにシャ研究者のために無冬蔵の借りるならば、ドストエーフスキイの芸術の本質は「時間な 資料を秘めた宝庫とよばれている。けれど同じく口シャ研究き霊の世界」の啓示である、ともいえなくはないのである。 しかし、これはドストエーフスキイの特異な作家的禀質 解の宝典といっても、両者の間には根本的な差異が存する。

3. ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟(下)

ドストエーフスキイ全集 13 目次 『カラマーゾフの兄弟』創作ノート : カラマーゾフの兄弟下 第九編予審 : 第十編少年の群れ : 第十一編兄イヴァン・ 第十二編誤れる裁判 : 第十三編ェビローグ : 7 5 ロ絵ドストエーフスキイの墓 ( レニングラード ) 36 ~ 257 387 739 82

4. ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟(下)

る。 ( 一 l) 以上のデッサンの発展、 思想をややシステム纂の、・・ドストエーフスキイ、素材と研究』 ( ソヴ ート科学アカデミー出版所 ) をもって嚆矢とする。この翻訳 となし、輪郭を肖像に近づけている。 ( 三 ) 最終的テキスト はこれを原典としたものである。 ( ただし断片 ) 、というふうに分類することができる。 けれども、ただ一つこのノートは他と異なる点を有してい ドリーニンの主張によれば、コマローヴィチの研究は単に る。ほかでもない、そのほとんど全部が最後的プランの決定第一の材料のみを用いたがゆえに、その労作はある不完全性 後に書かれたものであって、「白痴』や『悪霊』の場合におをまぬかれないが、ひるがえって彼・ トリーニンのとった編纂 けるごとく、全作品の基礎的構成に関する動揺や模索の痕をシステムは、すべての材料を照応したために、より多く正鵠 ルースキイ・ が、『ロシャを得ている、というのである。それはむろん、当然さもある とどめていない。それは、第三編以降のノート ヴーストニグ 報知』に作品の掲載せられ始めてから後に書かれている事べきことに相違ないけれど、ことはすでに専門家的方法論の 実に徴しても、まず当然なことといわなければなるまい。 こ域に踏み入っているので、この問題を闡明するには、もつば こでドストエーフスキイの努力のおもなる対象となっているらドストエーフスキイの創作ノートに捧げた著述に譲るほか のは、部分部分の組合せであり、個々のデテールの完成であはない。ただ簡単にいえば、前レ 二言したとおり「カラマー る。その結果として、このノートの中の章句ははとんど全部ゾフの兄弟』のノートには丁付がないために、ページの順序 が或いはそのまま、或いは多少の改変をへて最後的作品に利を判定するのがきわめて困難なのであって、編纂者の第一重 用されている。 要な任務も、挙げてこの点にかかっているといってもいしを どである。 「カラマーゾフの兄弟』のノートの最初の整理者は・・ ドリーニンの主張するのは要するにこの点にほ、 コマローヴィチである。彼はドストエーフスキイの筆蹟に通ならない。 暁してはいるが、それにもかかわらず、ほとんど古文字学の のみならず、このノートの書き込みはしばしば一ページか 研究にもひとしい苦心の後に、ようやく出版したのはドイツら四ページへ飛び、またその逆に四ページから一ページに戻 文のもので、表題は : D 一 e UrgestaltderBrüderKaramaso- るというふうで、時には下から上へ書き進められることもあ ff" (Piper, München. 1928 ) となっている。 る。かと思えば左右の余白に水平、垂直、或いは斜めに記入 しかしコマローヴィチの利用したノートのテキストは、第される場合も少なくない。その間に、△〇 x 丑等の、局外者 説一の部類、すなわちドストエーフスキイ夫人の保存にかかるには意味不明の記号が添えられているので、同一ページのな ものばかりであった。第二、第三を全部網羅した書物は、一 かですらも、語句の順序を定めるのは決して容易の業ではな 解九三五年にソヴェートで発行された、・・ドリーニン編 533

5. ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟(下)

凡例 この「創作ノート」は、・ T2 ・ドストエーフスキイ素材と研究』 ( ソヴェ ト科学アカデミー出版所一九三五年刊 ) 《 <). 三 . 凵 . OCTOeBCKHli. MaTel)HavnbI H HCCv'1eAOBaHH51 》 「一 OA A. C. ÄOJIHHHHa. H3 ・ BO AKaneMHH HayK CCCP. 一 935 , JIeHHHrpaÄ• をテキストとして『カラマーゾフの兄弟のノート』の 第八編九四ページまでを全訳し、それ以降を抄訳した 末にものである。 一、訳者注は六ポ割注で示したものと、 * 印をつけて行 末においたものとある。 ( ) はドストエーフスキイ自身のつかっているも のである。ただし外国語のあと ( ) のなかに七ボで 示してあるものは訳者による訳である。 一、編者による脚注は、主としてノートの書体、記入場 所等に関するもので、ほとんど省略したが、一部分は 〔〕をつかって文中に二行割注で示し、あるいは行 末に * 印をつけて「Ⅱ原注」と付記して訳出した。 一、引用符の「」はいくつかの場合をのそいては、訳 者のつけたものである。

6. ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟(下)

米川正夫全訳 愛蔵決定版 ドストエーフスキイ全集 全 20 巻・別巻 1 巻 定価 1200 円 全巻発売中 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 16. 19. 貧しき人々 / 分身 / プロ , 、ルチン氏 / 主婦 / ポルズンコフ / 他短編 1 編 スチェパンチコヴォ村とその住人 / 弱いこ、 / 正直な泥棒 / 白夜 / 他短編 2 編 虐げられし人々 死の家の記録 / ネートチカ・ネズヴァーノヴァ 地下生活者の手記 / 初恋 / 伯父様の夢 / いやな話 / 夏象冬記 / 鰐 悪霊 ( 下 ) / 悪霊創作ノート / 永遠の夫 悪雲 ( 上 ) 下痴 ( 白 ) / 白痴創作ノート / 賭博者 白痴 ( 上 ) 罪と罰 / 罪と罰創作ノート 未成年 / 未成年創作ノート カラマーゾフの兄弟 ( 上 ) カラマーゾフの兄弟 ( 下 ) / カラマーゾフの兄弟 14. 15 作家の日記 ( 上 ) ( 下 ) 創作ノート 17.18 書簡 ( 上 ) ( 中 ) ( 下 ) 論文・記録 ( 上 ) ( 下 ) 20 別巻 米川正夫著ドストエーフスキイ研究

7. ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟(下)

ザはわが身の罪深さを空恐ろしく思いながらも、悪魔の誘惑 について繰り返して書いている。日く「そこでは、現実か「 をしりそけるすべを知らなかった。で、苦痛によってその罪離した現代ロシャの青年社会における漬神と破壊の胚子が を贖おうと決心し、われとわが指を戸の間に挾んで爪先に血描かれるのです。その漬神と無政府主義にならんで、それら を滲ませ、それによっておのれみずからを罰するのであつのものに対する反駁と否定が目下用意されています。それは た。ドストエーフスキイの苦痛哲学に対する最も感覚的な一瀕死の長老ゾシマの言葉として現われるのです。・ : : ・今小生 つの挿絵である。 のお送りした原稿では、ただ重要な主人公の一人の性格を描 作者はアリヨーシャの理想的典型により多くの現実味を与いただけです。それは自分の根本的な信念 : : : 現代ロシャの えるため、彼の体内にカラマーゾフ的な血が流れていること無政府主義の綜合、つまり、神の否定でなく、その創造の意 を、さまざまな人物のロをかりて幾度となく反復している味の否定を表白しているのです。全体に社会主義は歴史的現 、しかしこの言葉を裏書きする具体的な描写に欠けている実の否定から出発して、破壊と無政府主義に達したものであ プラスチッグ ので、成型的な効果が弱められたうらみがある。それはアリ ります。根本的な無政府主義者は、多くの場合真摯なる確信 甘ーシャがいわゆる「狂言廻し」的位置におかれて、みずかの人でした。わが主人公は、い、 / 生の考えによれば、否応のな ら能動的に事件の中枢となる場合がないためであろう。した いテーマを取ってきているかと思います。というのは、トし がって、第二部において十三年後のアリヨーシャが、どんなの苦痛の無意味さであって、そこから歴史的現実の不合理を ふうにカラマーゾフ的な生活本能とキリスト教的謙抑を調和演繹してくるのです。 きせるかは、深甚な興味に値する問題、ーー・というよりむし右によって見られるように、「カラマーゾフの兄弟』の頂 ろ、この大長編執筆の根本動機であったに相違ないが、不幸点 ( 思想的 ) は、 frProet ContraJ とそれにつづく「ロシャ にも、それは永久に一個の謎として残されたのである。 の僧侶』というより、むしろその中の一章『ゾシマ長老の遺 訓』である。これはいうまでもなく、イヴァンとゾシマが、 ドストエーフスキイは、一八七九年四月三十日「ロシャ報イデオロギイ的に対立し、その重要さはまったく等価だから 知』の編集者リュビーモフに宛てて、次のような書簡を送っである。イヴァンは論理的に弁証法的に否定論、ニヒリズム ている。「目下小生にとって仕事の最頂点が始まっています」を主張するが、ゾシマはこれを直接面と向かってでなく、間 というのは、第五編 rProet ContraJ 、なかんずく『兄弟の接に反駁する。すなわち、論証によらずして、おのれの存在 接近』『反逆』『大審問官』等を指しているのである。同年五をもって粉砕するのである。したがって、このゾシマを創造 月十日付で、同じリュビーモフに宛てて、さらに同じ第五編することはドストエーフスキイにとっても大きな宿題であっ

8. ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟(下)

をイに朝第 た、そして、彼自身もロシャの僧侶の荘重な姿を描き出すこ異って、教会的に陰欝峻厳なところが毫もなく、玲瓏と晴れ とが、はたして成功するやいなやを危ぶんでいた。「なぜな渡って感激にみちた心境の所有者だということである。この ら」と彼はいう、「長老の生涯には、同じ現実主義の原則の感激は、すなわち全世界との生ける融合のよろこびにほかな ため、自然やむことをえずして、多くの喜劇的なものが混入らぬ。彼はありとあらゆる現象をふくんだこの世界を自己に せざるをえないからである」ドストエーフスキイの危惧は杞取り入れて、それを一種軽央な、清浄かつ高遠なあるものに 憂であった。ゾシマの人間像は見事に成長した。彼が『悪変じつつ、神の真理の保持者たる務めをはたしている。常に 霊』のチーホン僧正、「未成年』のマカール老人以来、長く生活を祝福して、その中に隠れた意義を見いだしたゾシマ 宿題とし、その片影のみを示した荘重なロシャの僧侶はつい は、死をも限りなく偉大な神意の現われと観じて、徴笑を浮 にゾシマにおいて完成されたのである。 かべながら欣然として受け入れた。こうして終始一貫、感激 ゾシマの最もいちじるしい特色は、彼が普通の苦行者型ととよろこびにみちた彼の姿には、新しく、しかもより高い形 をかりて復活した健全淳朴な古代の異教徒のおもかげがあっ て、そこにヘレニズムとへプライズムの微妙な合致さえ感し られ、そのためにゾシマはロシャ正教会の僧正たちから、反 の / 感をもって迎えられたほどである。例えば、地獄を説明する ・戔「冖物にも、はや愛しえざる苦しみとするていの現実主義が、教会 一【イの神秘主義と相容れないのであった。 。第キ ス なおこのほか、虐げられたる貧しき人々の最後的完成とし てのスネギリョフ予備大尉、事件の近因をなした二人の女性 ( ちなみに、ドストエーフスキイの女性は、男性の悲劇を発 マ展させるための導線として働いているのであって、それ自身 カスの重要性が少ない、とは各評家の指摘するところである ) 、 涙ぐましいほど純真な少年の群など、語るべき問題はまだま だ多いが、複雑広汎なカラマーゾフの世界は、抽象的解説や 分析に数万言を費やすとも、しよせん完全を期すべくもな

9. ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟(下)

ドストエーフスキイ全集 13 東京都千代田区神田小川町 3 の 6 製本岸田製本紙工業株式会社 印刷多田印刷株式会社 印刷者多田基 発行者中島隆之 訳者米川正夫 昭和 48 年 8 月 1 日 8 版発行 昭和 44 年 9 月 30 日初版発行 ◎ 1969 定価 1 2 円 発行所樊河出書 . 房辛万社電話東京 ( 292 ) 3711 振替口座東京 10802 落丁本・乱丁本はお取替えいたします 0397 ー 411313 ー 0961

10. ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟(下)

ず、アリヨーシャは「白痴』のムイシキン公爵の双生児であ指摘したとおり、「犯罪は社会組織の不合理に対する抗議で る。ただドミートリイだけは、ドストエーフスキイの過去のある」という社会主義者流の見解から出発したもので、一般 この福祉という観念に導かれているし、また他方からすれば少 いかなる作品にも類似の人物を捜し出すことができない。 れこそこの文豪が死の前に創造した最初の新詳漫剌としたユ数の選ばれた人間、ーー・英雄の特権としての犯罪を肯定して いるのである。ところが、イヴァン・カラマーゾフはそうし ニーグな典型である。ローザノフのこの説に対して、「虐げ られし人々』のアリヨーシャ、「悪霊』のレビャードキン大た人本主義的な考量や条件などいっさいなしに、ただ純粋な 尉を挙げるものもあるが、その類似点はあまりにも薄弱すぎ論理的帰結として「すべては許されている」の命題を樹立し るのである。 たので、これを覆すいかなる根拠もありえないと考えてい る。その意味で彼は真に悪魔的な存在というべきである。し 第二子イヴァンは思想的カラマーゾフシチナの代表者であかし、悪魔的といっても古い浪漫的な観念をふくんだものと る。彼のカラマーゾフ的貪婪性は理知の方面に伸張していっ違って、現代的合理主義と自由思想に依拠する個人主義によ て、抽象的思索に無限の深みを求めてやまなかった。最高のって武装しているのである。 学府に近代的教育を受けた彼は、自然科学者の立場から、神とはいえ、イヴァンはドストエーフスキイの創造した主要 とか、不死とか、良心とか、そういう神秘的分子の存在を許なる主人公たちと同じく、複雑に分裂した二重人格者である 容しなかった。いったんこういう方向をとった彼の思想の流がゆえに、死物狂いで到達した結論に安住しきれない人間的 しっさいの妥協を排しつつ恐れげなしに超人的な驀進なあるものを持っていた。作者も自分の覚書の中で、「イヴ アン・フヨードロヴィチは深刻である、これは神を否定する をつづけて、ほとんど人間性の達しうるかぎりの荒涼凄愴た る極北にまでたどりついたのである。この逞ましい探究からことによって、自己の世界観の狭隘さとおのれの資質の魯鈍 抽出した彼の結論は、不死もなければ善行もない、 さを証明しているような現代の無神論者とは類を異にしてい て他人を愛さねばならぬという自然律はこの世に存在しなるのだ」と書いているとおり、彼は単に冷酷な個人主義者で い、ゆえにいっさいの行為は許されている、というのであもなければ、「宗教は阿片なり」といったような出来合いの る。イヴァン・カラマーゾフは、ラスコーリニコフやスタヴ定義を鵜呑みにした無神論者でもないのである。人類の不幸 ローギンと同一の系列に立つ人物であるが、しかし、彼の否な運命、この地上を充たしている血と涙は、彼をして一刻の 間も晏如としていられないほど苦しめ悩ました。そしてつい 定はラスコーリニコフのそれよりもはるかに大胆である。ラ 。しつかー に、自分はあえて神を信じないわけでもなけれよ、、 スコーリニコフは一方から見れば、彼の親友ラズーミヒンの