ロシャ - みる会図書館


検索対象: ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟(下)
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1. ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟(下)

人間性のあらゆるすみずみを見きわめた魂の透視者が、不安ルストイはロシャ人の生活をあるがままの姿において立体的 な動揺時代に生まれあわせたロシャ人の苦悩を底の底まで探に描いて見せたので、その一つ一つの場面や心理解剖は、作 りつくして、人間と神との間に架け渡した貴い橋として、永品を離れても立派に現実のものとして読者の想像裡に生きて 遠に人類の心の糧となるべき偉大な啓示の書である。ロシャ動いている。われわれはそれを指して、これこそ現実のロシ でもこの小説が発表されたとき、一般社会の受けた衝動はなヤであるということができるのである。しかるに、「カラマ ーゾフの兄弟』にあっては、ただにロシャのみならず、いか みなみならぬものであった。かってゴンチャロフの傑作「オ なる国であろうとも、普通の日常生活ではしよせん見ること プローモフ』が、ロシャ人の国民性を道破したものとして、 このド も、聞くことも、体験することもできないような常軌を逸し 「オプローモフシチナ」とい、つ新衄を生んだよ、つに、 た感情や、埒を踏み破った欲望や、この世の限界を越したか ストエーフスキイの最大作も、同じロシャ国民性のまったく と思われるはど深刻な思想の沈潜や、後から後からたたみか 正反対な、思いがけない一面を啓示したものとして、新しく 「カラマーゾフシチナ」なる言葉が高唱されるようになった けて重なって来る異常な事件の旋風が、読者をわしづかみに のである。従来、単純、緩慢、鈍重、優柔といったような気して眩暈を感ぜしめ、なかば夢幻の境へ拉し去るのである。 分を象徴する「オプローモフシチナ」 ( オプローモフ的な人物われわれは作品の世界に没入しているかぎりにおいては、そ もしくは精神 ) がロシャ国民性の全体を抱擁するものと思われらの事件や心理が否応のない必然性を有し、そこになんら れていたとき、それとまったく対蹠的な混沌、狂乱、激動、 の不合理も超自然性もないという気持ちをいだきつづけるけ れども、一たびその作品の世界から出て振り返ってみると、 極端から極端へ走るがむしやらな性質を表示する「カラマー ゾフシチナ」も、やはりまぎれもないロシャ国民性の反面でそこに描かれた佃々の場面なり人物なりが、そのままロシャ あることを示されて、人々は深い驚愕に打たれたほどであの現実生活から切りとってきたものであるとは、なんとして る。まことにこれは、ロシャおよびロシャ人を理解せんとすもいうことができない。例えば、この厖大な長編のほとんど る人にとって、必す逸することのできない貴重な宝典である。三分の二にわたる部分が、わずか三日間の出来事であるとい ここに一言しておかねばならぬことがある。ほかでもな うことだけを取り上げてみても、これは普通の現実生活にお 、さきにすでに触れた「戦争と平和』との対比であるが ける時間の算定を無視したものであって、・マリの言葉を 説 トルストイのこの大叙事詩もにシャ研究者のために無冬蔵の借りるならば、ドストエーフスキイの芸術の本質は「時間な 資料を秘めた宝庫とよばれている。けれど同じく口シャ研究き霊の世界」の啓示である、ともいえなくはないのである。 しかし、これはドストエーフスキイの特異な作家的禀質 解の宝典といっても、両者の間には根本的な差異が存する。

2. ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟(下)

コスミック が、たまたま彼の作品にこのような宇宙的な形而上性を与え達した普遍性を有することになるのである。しかも、その町刀 たまでであって、彼自身の最も大きな関心事はロシャの運命の郊外には僧院、ーーーオプチナ・プストウイニという、ドス トルストイも家出の後、す トエーフスキイもしばしば訪れ、 である。ロシャ人の有するすべての欠点病所を剔抉して、そ なわち死の直前に立ち寄った、有名な僧院に似た寺がある。 の中から輝かしい真の本質を探り出すということが、彼の創 作の根本的意図であった。彼は不断の緊張をもって祖国ロシすなわち現実と空想の結合である。そして、この小説の登場 ヤを動揺さす外的内的の原因をきわめ、ロシャ人の不安な魂人物は、さまざまな人間的特質や性癖を人格化したものにす のおののきに鋭い凝視を注いで、その国民性の深い根本をしぎない。肉体的な因子は主として父フヨードル・カラマーゾ つかりと把握したのである。ただその把握の仕方が、浅い日フに現われ、その子供らにおいては、智・誇り、貪婪な生活 常生活の表皮を排除して、あまりにも深奥な根本を突いてい欲はイヴァンに、無意志・欲望の放縦・情的資質はドミート リイに、精神的・宗教的傾向はアリヨーシャに、奴隷的卑屈 るので、それを表現するには普通のレアリズムの方法による ファンタスチッグ ことができなかった。一見して幻想的と観ぜられる彼の創と毒念は私生児スメルジャコフに伝えられた。そして、主人 公、第二義的人物、婦 作形式は、彼があまりに徹底したレアリストであったことか 人、子供らまでをつか ら生じた結果にほかならない。「戦争と平和』に示されたロ む情欲と生の闘争の渦 シャが可見の世界を代表するものとすれば、「カラマーゾフ を巻く中に展開される、 の兄弟』のロシャは、その隠された姿を具象化したものであ る。「カラマーゾフシチナ」はその怪奇異常な外見にもかか = 響を景息づまるような悪夢に の対照して、荘重なるゾ わらず、ロシャ国民性の中にふくまれた不可思議な力を説明 シマ長老 ( チーホン・ する唯一の鍵とさえいえるのである。 僧ザドンスキイ ) の姿が ~ 」 ~ 一を立ちあがる。このゾシ 「カラマーゾフの兄弟』の舞台は、ロシャのある田舎町とな オマはかって反抗的精神 ドストエ っているが、どこのいかなる町とも分明しな、 の持ち主であり、生活 フスキイはようやく第十一編にいたってその名を示したが、 の紛糾の中で人を辱し それはスコトプリゴーニエフスク ( 家畜追込町 ) という荒唐無 めかつ人からも辱しめ 稽の名称にほかならない。しよせん、時所を超越した物語で られて、最後に僧院を あって、その性格もロシャ的であると同時に、全人類にまで

3. ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟(下)

ておられるでしよう ? いまさら不肖なわたくしが諸君に向ルを鳴らすのを躊躇した。「ああした感激を阻止するのは、 - - っン、 かって、ロシャの裁判は単なる刑罰ではなくして、滅びたるとりも直さず神聖な感情には漬を加えることですわ』とは、 人間の救済であるなどと、告げるまでもないことでありまあとで当地の婦人たちが叫んだところである。当の弁護士は す ! もし他国民に法律と刑罰とがあるとすれば、われわれ心底から感動していた。こうしたおりに、わがイツポリート には精神と意義、滅びたるものの救済と復活とがあります。 はまたもや立ちあがって「反駁を試みよう』としたのであ もしこれが真実であるとすれば、もしロシャとロシャの裁判る。人々は憎悪の目をもって彼を見やった。「なんですっ がはたしてかようなものであるとすれば、 ロシャよ、前て ? どうしようというんですの ? あの人はまた反駁しょ 進せよ、といいましよう。われわれをおどさないでいただき うってんですの ? 』と婦人たちはささやいた。けれども、た たい。すべての国民が忌みきらって回避する、あれ狂うトロ とえ彼自身の細君をもふくんだ世界じゅうの婦人連が反対し イカをもちだして、われわれをおどすのはやめていただきたても、この際ィッポリートを止めることは不可能であった。 あれ狂うトロイカではなくして、偉大なるロシャの戦彼は顔をまっさおにして、興奮のためにぶるぶるふるえてい 車が、堂々と勇ましく目的地に進んで行くのであります。わた。彼が発した最初の言葉や最初の句は、意味さえわからな が被弁護者の運命は諸君の掌中にあります。わがロシャの正 いほどであった。彼は息をはずませながら、しどろもどろに 義の運命も諸君の掌中にあります。諸君はそれをお救いにな不明瞭な発音で弁じたが、しかし、ほどなく落ちつきを回復 わたし るでしよう。諸君はそれをお守りになるでしよう。諸君は正した。筆者は彼の第二の論告の中から、ただいくつかの語句 義を守護する人の存在すること、正義が善良な人の掌中にあをあげるにとどめておく。 ることを立証なさるでしよ、フ ! 」 「 : : : わたくしは小説を作ったといって非難を受けました。 しかし、弁護士の弁論は、小説の上に小説を築いたものでな くてなんでしよう ? ただ詩の句が不足していただけです。 第百姓どもが我を通した 『フョ 1 ー・ト ルが恋人を待っている間に封筒を破って、床の上 こう言ってアエチュコーヴィチはその弁論を終わった。もに投げ棄てた』などと言いだしたばかりか、なおそのうえ うこんどこそは、嵐のような傍聴者の感激を押えることがで ートルがこの驚くべき行為の間に言ったことまで引 きなかった。制止しようなどとは思いもよらないことであっ証されました。これがはたして叙事詩ではないでしようか ? た。女たちは泣いた。男子席でも泣くものが多かった。大官彼が金を出したという証拠がいったいどこにあります ? そ 連さえふたりまで涙を流していた。裁判長もあきらめて、べのとき彼の言った言葉など、いったいだれが聞いたのです ? 354

4. ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟(下)

るとひどく馬鹿げたことですよ」 検事、ミーチャ逮捕の際、父親殺しという一言葉が発せられ たとき、グルーシェンカが、「わたしもいっしょに、、 これというのもわたしが悪いのです、わたしがこん グルーシャ、「わたしは跣足で駆けまわっていたものですよにー なふうにしてしまったのです ! 」と叫んだことを持ちだし わ。だれもわたしを可愛がってくれるものがなかった。わた て、「してみると彼はあなたに父親を殺したことをうち明け しは意地になったんですの」 たのか、それともあなた自身つよくその疑いをもたれたわけ ミーチャ、「まんまとかくしおおせたというようなところですな ? 」 グルーシャ、「あのときの気持ちは覚えていません。あの はありました」 人は血を流したとか、老人がどうとか申しました、それは覚 「フェ えております」 ーニヤに百ループリやりましたか ( 否 ) 」 「フュ ーニヤには送ってやった。」 ミーチャ、「ロシャ人はなによりも自分の分に従しませ サムソーノフの陳述が読み上げられる。跣足の小娘、染物ん、それはわたしも知っています。そのかわり自分の感情、 自分の情欲には最もよく従います、情欲、なによりも情欲で 職人。 す ! それもわれわれにとって周知のことです」 〈一六四ページ〉 ミーチャ、「総締めの支払いだ ! 」 検事、陪審員に対する論告の最後に、「諸君は、ペテルプ ルグから到着された敏腕をもって鳴る弁護士からなにを聞か ミーチャ、「自分で自分の軍刀を折ります、がその折れ屑 ノれましよ、つとも、とにかく諸君がロシャと、ロシャにおける 真理と、その家族制度と、その神聖なるいっさいのものの守を一生うやうやしく保存します ! 」 諸君は現在ロシャ 弟護者であることを記憶されんことを、 ヘルツェンシュトウーべ、「ベトロフ ? ・ペテルソン ? のの代表者なのであります」 ミウーソフ、 ミウーソフ、わたしはミ ベスタロッチ ? ・ゾ Z 検事はその前に、フェチュコーヴィチがなにをいい ゥーソフ氏とは二十年このかた近づきで、わたしは知ってい マだすかと心配なので、これをつけ加えた次第である。 ます、しかし、わたしは忘れました。わたしはあの人の苗字 5 ノ ~

5. ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟(下)

結合が成就した。 ているが、あたかも饑えたるものがおのれの血を吸いはじめ 召使。 たごとく、 永劫に飽きたることがないのである。 くり返してい , つ、 召使なしというわけにはいかぬ。 彼らのことを神に祈るがよい、罪悪であると人はいうが、 しかし祈るがよい、神は愛に対してお腹立ちにはならぬであ 民衆、絶えず信仰して感涙を流している。 ろ , つ。 アファナーシェフ、「少ないでしようか。まあ、なんと この精神をもって行なえ、それもなしうる限りにおいて。 ってもこうした有様なので」 〈六〇ページ〉 ものすごく猛々しい、しかもそれについて何の罪もない熊。 生きた魂をもって信仰している。 子供らよ、互いに愛しあって人々の罪を恐れないがいし 罪悪の中に愛せよ、なんとなればこれこそすでに神の愛だ 子供らは動物ーー・馬、牛、犬といっしょに育てられねばな からである。 らぬ。彼らの魂はより善良に怜悧になるであろう。 也獄とま何か ? : : : 今こそ知識を有し、愛を渇望し、また愛『ロシャを憎む』ことは憎悪にまで立ちいたったのである。 してもいるけれども、はや愛の功業をたてることができない。 何ごとにまれロシャ人のことを悪く書くがよい、たちまち偉 愛の中に参与することができない。なぜなればすでに生活が人としてもてはやされるであろう。ロシャ人は怠惰であると ないからである、「もはや時はなかるべし』だからである。 書くがよい ( オプローモフ ) 、はたしてロシャ人は働かない だろうか。 すべてこれというのもすでに二百年間共通な かくしていまは愛に報ゆるに愛をもってすることができな ものがなくなって、数億の畜群が個々の単位に分裂してしま いのである。 ったからである。信仰以外になんら共通なものがなく、それ すらも基礎がぐらついてきた。民衆を見棄ててはいけよ、。 地獄、傲慢なるもの。彼らにとっては地獄はみずから望んこれは僧院の仕事である。せめて信仰の中でなりと共通の仕 っさいのものに到達するであろう。 だものであって、ついに飽きたることを知らない、なぜなら事を維持していけば、、 ば神と人生を呪い、われとわが身を呪ったがためである。彼 八歳の子供が労働している、彼らは六歳にして童貞を失 らは毒念に燃えつつおのれの絶望をもって心を充たそうとし

6. ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟(下)

りつき、安らかに眠ろうとしているのです。わたくし一個とわれの前で被告席にすわっております。われわれは彼の生活 しては、善良にして天才的なこの青年に、ありとあらゆる幸と、業績と、行為とを眼前に有しています。ついに時期が来 福を望みます。わたくしは彼の若々しい理想主義と、民族のて、何もかも表面に暴露されてしまったのです。ふたりの弟 ゾ」、つ朝、 本源にたいするその新が、後にいたって、世間でよくあるたちが『ヨーロッパ主義』や「民族的本源』を信奉している ように、精神的方面では暗黒な神秘主義におちいらぬよう、 のに反して、彼は、現在あるがままのロシャを代表していま また政治的方面では盲目的な偽愛国卞義に走らぬように望みす、 ああ、しかし、ロシャぜんたいを代表しているので ます。この二つの要素は、彼の兄を苦しめているヨーロッパ はありません。もしロシャぜんたいだったら、それこそたい 文明、 犠牲を払わずして得られ、かっ曲解されたところへんです ! しかし、そこには彼女、われわれのロッセーユ のヨーロッパ文明から生する早すぎる頽廃より、さらに危険 シカ、母なるロシャが感じられます。彼女のにおいがし、彼 なものであります」 女の声がきこえます。ああ、われわれロシャ人は端的です。 偽愛国主義と神秘主義にたいして、また二、三の拍手が起われわれは善と悪との驚くべき混合です。われわれは文明と こった。ィッポリートはも , っすっかり山、しきっていた。し シラーとの愛好者でありながら、しかも酒場酒場をあばれま かし、彼の演説は少々事件に不適切な上に、筋道がすこぶるわっては、酔っ払いの飲み仲間のひげを引きむしっていま 漠然としていた。けれども、憎悪の念に燃えたっている肺病す。ああ、われわれとても、りつばな善良な人間になること 患者の彼は、せめて一生に一度でも、思う存分言いたくてた があります。しかし、それはただわれわれ自身愉央で快適な まらなかったのである。その後、町で行なわれたうわさによ ときにかぎるのであります。それどころか、われわれは、こ つつレ」、ノーツポリ 1 ・ トはかって一、二度、衆人の面前で、イヴの上なく高尚な理想につき動かされることさえあります。た アンに議論でやりこめられたのを忘れないで、今こそ復讐し だし、その理想はひとりでに実現されねばならぬ、という条 てやろうというデリカシイにかけた悳罸に動かされてイヴァ件つきであります。天から鼻のさきに落ちて来なければなら ンの性格論をやったに相違ない、 ということであった。けれん、しかも、かんじんなことは、それもただ、まるきりただ わたし 弟ども、そういう断定が正しいかどうか、筆者は知らない。 とで、つまり一文も払わずに得られなければならんのでありま の にかく、これはほんの序論で、やがて演説はしだいに、事件す。われわれは支払いをすることが大きらいだが、その代わ ゾの本質に接近して行った。 り、もらうことは大好きです。しかも、万事につけてそうな マ 「しかし、もう現代式の家長であるフヨードルの長男にかえのです。まあ、一つわれわれに与えてごらんなさい。人生に カりましよう」とイツポリートは言葉をつづけた。「彼はわれおいて得られる限りの幸福を与えてごらんなさい ( じっさい、 297

7. ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟(下)

を、強くきつばり断言した。彼は『アフェクト ( 感情発作 ) 』 ればならないことがある。彼は好んでロシャ語を用いたが、 と「マニヤ ( 偏執狂 ) 』について、種々もっともらしい言葉を しかしどういうわけか、その一句一句がドイツ流になってし まうのであった。が、決してそのためにおくするようなこと述べたのち、取集した多くの材料によって、被告は捕縛の数 日前から、すでに疑いなき病的「におちいっていたの はなかった。彼は常に自分のロシャ語を模範的なもの、すな わち『ロシャ人よりもすぐれている』と考える弱点をもってで、彼がもしじっさい凶行を演じたとすれば、たとえそれを いたからである。彼はロシャのことわざを引用するのが大好意識していたにせよ、ほとんど不可抗的に行なったのであ きで、しかもそのつど、ロシャのことわざは世界じゅうのこる。すなわち、彼は自分を支配している病的な精神衝動と戦 とわざの中で一ばんりつばな、一ばん表情的なものだとつけう力を、ぜんぜん欠如していたのである、と論断した。が、 加えるのであった。もう一つ言っておくが、彼は話しなが彼は affect 以外に、 man 一 a をも認めた。彼の一一一口葉にしたがう と、その mania は純然たる狂気におちいることを、前もっ ら、ついうつかりして、ごく普通の言葉さえ忘れることが わたし たびたびあった。よく知っている言葉でも、とっぜん度忘れて予言していたのである。 ()O 〔 a bene 筆者は自己流の言葉 して出て来ないのであった。もっとも、ドイツ語で話をするで語っているが、じっさい、医師は非常に学術的な、専門的 ときでも、やはりそ , つい、つことがしよっちゅ、つあった。そ、つ な言葉で説明したのである ) 「彼のすべての行動は常識と論 いうとき、彼はまるで忘れた言葉をつかまえようとでもする理に反しています』と彼はつづけた。『わたしは自分の実見 しないこと、すなわち犯罪そのもの、凶行そのものについて しつも自分の顔の前で手を振った。そうなると、も うどんな人でも、その度忘れした言葉を捜しだすまでは、彼は述べませんが、現におととい、わたしと話をしているとき に話をつづけさせることができなかった。被告が入廷するでさえ、被告の目はじっとすわっていて、そこに一種説明し 際、婦人たちのほうを見るべきはずであった、という彼の申がたいものが現われていました。彼は、ぜんぜん不必要な場 し立ては、傍聴席にふざけたようなささやきを呼び起こし合に笑ったり、絶えず不可解な興奮状態におちいったり、 た。この土地の婦人たちは、みなこの老医師を非常に愛し「ベルナール」とか、「エチカ ( 倫理 ) 」とか、その他ぜんぜん 必要のない、奇妙なことを口走ったりしました』しかし、医 て、彼が敬虔で純潔な独身者であり、女性を一だん高尚な、 理想的存在と見ていることを知っていたので、思いもよらぬ師は被告の man 一 a を認めるおもな理由として、つぎの点をあ げた。はかでもない、彼がだまし取られたものと思いこんで この申し立てを、はなはだ奇異なものに感じたのである。 自分の番がまわって訊問されたとき、モスクワの医師は被いる三千ループリを口にするたびに、一種異常な興奮を示さ しかるに、その他の失敗や恥辱について語 告の精神状態を、「極度に』アプノーマルなものと見なす旨ないことがない、

8. ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟(下)

で、作の思想は貴兄もかって賞讃してくだすったことがあ たこともしでかさなかった ( この謎の解決は心理的なものでい す、 深い感情、人間、しかもロシャ人 ) 。神に対する信ります、ーーー少なくとも、貴兄とかわした以前の会話を思い合 わせたかぎりでは。それは五つの大きな小説からなり ( 各編 仰を喪失したことは、彼に深甚なる影響を与える ( 概して小 説中の人物の動きと筋の変化はすこぶる大がかりなものでそれそれ十五台分くらいの大きさです、このプランは二年間 にすっかり小生の頭の中で成熟しきったわけです ) 、物語は す ) 。彼は若き世代の人々や、無神論者や、スラヴ人、ヨー ロッパ人、ロシャの異教徒、隠遁者、僧侶などの間を彷徨す各編とも相互に独立しているので、おのおの別々に発表して る。わけてもポーランド人のジェスイット派の宣教師の鉤にもさしつかえないはどです。小生は第一編をカシュプリョフ 弖つかかって、すっかり参ってしまう。やがてそこを離れてに向けるつもりでいます。ここでは事件はまだ四十年代のこ つみびと とになっています ( 長編の総称は『偉大なる罪人の生涯』と 0 シャの民間に行わ ) に深入りするが、最後にキリ フルイスト派 ( れ ストとロシャの大地を、ロシャのキリストとロシャの神を獲いうのですが、各編はそれぞれ別に標題を持っことになりま 、生にす ) 。全巻を貫いている思想は、小生が一生意識的に無意識 得するのです。 ( どうかだれにも話さないでください。 とっては、この最後の長編を書き上げたら、死んでも思い残的に苦しんできたところのもので、ーーー要するに、神の存在 すことはないくらいです、ーーー・何もかもすっかり吐露してしということです。主人公はその生涯の間にあるいは無神論者 となり、あるいは信仰家となり、あるいは狂信者となり、あ まうつもりです ) 」 るいは分離派信徒となり、さらにふたたび無神論者となる。 しかし、それから間もなくドストエーフスキイは「悪霊』 を構想し、やがて執筆に取りかかったので、この大長編のプ第二部の物語は、全部僧院内の出来事です。小生の希望は、 一八七〇年挙げてことごとくこの第二部にかかっている次第です。今度 ランも時とともに自然変更せざるをえなかった。 三月に、ドレスデンから同じマイコフに宛てた手紙には、次こそおそらく世間の人たちも、あの男はまんざらつまらない といってくれるでしょ ものばかり書いているわけでもない、 のような報告が読まれる。 こだけ、っち明けま う ( アポロン・ニコラエヴィチ、貴兄一人ー 、作品を契約するつもり 「 : ・・ : 小生は「サリャー』 で、立派にそれを仕上げたいものと思っています。この「ザすが、この第二部の重要人物の一人としてチーホン・ザドン リャー』に予定している作品は、もはや二、三年間も、小生のスキイが登場します。もちろん、名は変えますが、やはり僧 頭の中で熟しつつあるものです。これは小生がすでに貴兄に正で、僧院の中で行ないすましているのです ) 。十三にな お報らせしたのと同じ構想のもので、これこそ小生最後の長る、頭の発達した、不良の傾向をもっている一人の少年が 編となるだろうと思っています。分量は戦争と平和』くら ( 小生はこのタイプを知っています ) 、ある刑事事件に関係し

9. ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟(下)

あてこすりでなしに」 ごぞんじですか ? りつばなものでしよう ! なぜあなた 「あなたを軽蔑しているって ? 」アリヨーシャはびつくりし 、、ばくがでたらめを並てコ ーリヤを見た。「そりやどうしてです ? わたしはた。こ、 は笑ってらっしやるんです ? まさカ べてるとは、思ってらっしやらないでしようね ? 」 ( だが、 あなたのようなまだ生活を知らない美しい天性が、そういう もしカラマーゾフが、お父さんの書だなにこの「警鐘』 がさつな愚論のために片輪にされてるのが、寂しいんですよ」 ンがロンドンで ; たった一冊しかないことや、ばくがそれより 「ばくの天匪なんか、い配しないでください」とコーリヤは少 発行した雑誌 ほか、この種類のものをなんにも読んでないことを知ったら少得意げな調子でさえぎった。「しかし、ばくが疑りぶかい どうだろう ? コーリヤはふとこう考えついて、思わずぞっ人間だってことは、そりやまったくそのとおりです。ばかば とした ) 。 かしく疑りぶかいんです。もう下司つばいほど疑りぶかいん ばくはもうなんだ 「どうしてどうして、そんなことはありません。わたしは笑です。あなたは今お笑いになりましたが、 ってやしません。きみがうそを言われるなんてまったく考えか : てもいません。それこそほんとうに、そんなこと考えてやし 「ああ、わたしが笑ったのは、まるでほかのことですよ。わ ませんよ。なぜって、悲しいことには、それがみんなはんと たしが笑ったのは、こういうわけなんです。以前ロシャに住 うのことなんですものね ! ときに、きみはプーシ = キンをんでいたあるドイツ人が、現代ロシャの青年学生について述 いまきみは、タチャー 読みましたか、「オネーギン』を : べた意見を、わたしは近ごろ読んでみましたが、その中に ナのことを言ったじゃありませんか ? 」 『もしロシャの学生にむかって、彼らが今日までぜんぜんな しいえ、まだ読みませんが、読みたいとは思っています。 んの観念も持っていなかった天体図を示したなら、彼らはす カラマーゾフさん、ばくは偏見を持っていませんから、両方ぐ翌日その天体図を訂正して返すであろう』とこう書いてあ の意見を聞きたいと思っているのです。なぜそんなことをき りました。このドイツ人は、ロシャの学生がなんらの知識も くんですか ? 」 もたないくせに、手のつけられない自信家だということを指 「なに、ただちょっと」 摘したんです」 「ねえ、カラマーゾフさん、あなたはばくをひどく軽蔑して 「ええ、そ、つです、それはまったくそのとおりですよ ! 」コ 、らっしゃいますね ? 」とコーリヤはたたきつけるよ、つに一「ロ ーリヤは急にきやっきやっと笑いだした。「最上級に正確で けれど、やっこ 、、けんか腰といったようなかっこうで、アリヨーシャの前す、寸分相違なしー ドイツ人、えらい にぐいと身を伸ばした。「どうかびしびしやってくださ さん、いい方面を見落としやがった。あなたはどうお思いで ノ 30

10. ドストエーフスキイ全集13 カラマーゾフの兄弟(下)

んの神様としておこう。そのほうがずっと恥さらしだから」面目なものとは考えていない」 「それを説明してくれますか」 アリヨーシ 「しかしばくはこの世界を許容しない、ばくはそんなことに 「説明するためにはじめたんじゃないか。おい、 ヤ、おまえはばくが虚勢を張ってるとでも思うのかい。違う同意したくない。それがばくの第三の命題だ」 よ。ばくはわざとばかばかしい一とこの、つ一んなしとい、っ切り 「まあ、秩序があるとしよう だし方をしたんだよ」 ( ) 、人類、涙ぐましい信仰、 キリストの死。この苦痛に匹敵するほどの大きなもののため 「いったいなんのためです ? 」 「その方が要点にはいりやすいからさ。いし力し」 「それから第二にはロシャ式にのっとるためなんだ。この種「のみならず、ばくはその報いを見るために、どうしても復 さもなけりや、 っさいは のテーマに関するロシャ人の話は、すべてこんなふうにやる活しなくちゃならないんだ。 試みのシャポン玉だ、それつきりのものさ」 試みの球だ、 もんだよ、ロシャの小僧っ子はだれでも少し」 「それは愛の運動だったのだ。せめて、彼らを見るだけでい 「ばくはそれを信じない、よしんば平行線が一致して抱き合 、彼らのあいだを歩いてみるだけでいい、彼らにさわって っても」 みるだけでいい」 「平行線が一致しても、ばくの南京虫的な知恵にどうしてそ れが理解できるものか」 , キリストをさしの袈裟からは力が発散した。 どうして人々は彼と気づいたのだろう ? そもそも彼がわ 「大人は勝手に苦しむがいい、そのかわり彼らは知恵の実を れわれに似ているというのか、なにぶんにも彼は奇蹟ではな 食ったんだからな」 いか、天上の秘密ではないか。 「黙示録。究極においてこれらいっさいの苦痛に値するよう 「われわれならば秘密を守ったに相違ない、われわれならば な貴いものが顕現する、それはいっさいの苦痛を完全に償っ 苦痛を身に引き受けたはずである。われわれならばおのれを て結局妥協することもできるだろう」 「そこで第三の命題。ばくはその企てを、なににもせよ、真人類の犠牲に捧げただろうに」 2