ました、人はパンのみで生きるものではありません ! 」と叫れているのは、その発生当時、残忍な流血を惹起したからに 8 もしローマン・カトリッグが終焉を告げたら、プ ぶかもしれない。そうして、悪魔に対して一揆を起こし、呪すぎない。 ロテスタントもつづいて崩壊したに相違ない。実際、プロテ : ああ、神はこれまでかっ いの言葉を投げるかもしれない : ストしようにも相手がないわけではないか。これらの諸宗派 て一度もこれほどの苦痛を人類に送ったことはなかった ! しかし、違う、悪魔は、今ほとんど一種の「人道主義」というより、むしろ単 かくして悪魘の王国が崩壊するのだ ! なる無神論に転じそうな傾向を示しつつある ( もっとも、こ はこういう重大な政略上の過失をしでかしはしない。彼らは 深刻な策士であるから、もっとも精緻をきわめた、もっともれはとっくから認められたことではあるが ) 。彼らが今なお、 よぜん 穏健な方法をもって目的に到達するだろう ( ここでも、また宗教としての余喘を保っているのは、今日までもプロテスト もや「ほんとうに悪魘があるとしたら ! 」という条件つきでをつづけているからである。つい去年もプロテストを試み こ。しかも、どうだろう、当のローマ法王の膝もとまで、詰 ある ) 。 悪魔の王国の理想は不和である、というのは、不和の上にめ寄せたではないか。 自分の王国を建設しようとしているのだ。なぜこの場合、不おお、いうまでもなく、最後には悪魔が自分の初志を貫徹 和が必要なのか ? それは、不和それ自身に恐ろしい力があして、「パンに変えられた石」をもって、人間を蠅のように これが悪魔のおもな目的なの るという一事を見たばかりで、明々白々ではないか。不和とへし潰してしまうに相違ない。 だ。しかし、これを決行するには、まえもって人間の一揆に いうやつは長い争闘の結果として、人間を暗愚蒙昧に導き、 理性感情の堕落をきたすからである。不和がつづくと、他人対する予防策を講じて、自己の王国の永遠性を保証したうえ を侮辱した人間は、自分が人を侮辱したことを自覚するがゆでなければならぬ。が、どうして人間を鎮撫したものだろ えに、決してその相手と和解しようとしない。かえって「おう ? もちろん、 "divide et impera" ( 敵を分裂せしめよ、 れはあいつを侮辱した。だから、当然、おれはあいつに復讐しからば勝ちを制し得ん ) である : : : このために不和が必要 なのだ。また、一方からいえば、人間はパンに変えられた石 しなくちゃならない」と、こんなことをいうようになる。し かし、なによりも注目すべきは、悪魔が驚くばかり世界歴史のおかげで、倦怠を感じてくる。この場合、倦怠を予防する ために、なにか仕事を見つけてやらねばならぬ。ところで、 を心得て、不和の上に築かれているいっさいのことを記憶し ている、その点なのである。例えば、悪魔は次の事実をちや不和は人間のために好個の仕事ではないか ! そこで、悪魔がロシャ人の間に、どんなふうにして不和の んと見抜いている。ローマン・カトリックから分離したヨー ロッパの諸宗派がいまなお現存しており、宗教として維持さ種を播いたか、これを一つ研究してみようと思う。彼らが降
を、明瞭にしたのである。もちろん、その当時、彼らにこ ヨーロッパにおいては社会主義者であり革命家であるから、 んなことをいって聞かせたら、彼らは大笑いに笑いだすか、 と証明したらどうだろう ? ところが、事実はほとんどまっ それともぎよっとするかしたに違いない。彼らが自分自身のたくそのとおりだったのである。そこには、双方ともに一つ うちに、反抗の高邁さなどはいささかも認めていなかったのの大きな過誤があったのだ。まず何よりも、当時の西欧主義 は、疑いを入れぬところである。それどころか、彼らはずつ者はすべてロシャをヨーロッパといっしよくたにして、まじ と二世紀の間、自分の高邁さを否定しつづけていたのであめにロシャをヨーロッパと思い違え、ヨーロツ。、 / とその秩序 る。単に高邁さのみならず、自己に対する尊敬そのものすらを否定するとともに、同じ否定をロシャにも適用し得るもの 否定して ( なにぶんこんな好事家もあったのだ ! ) 、それでと考えていたのである。ところが、ロシャは決してヨーロッ ヨーロッパをすら驚かしたはどである。しかも、とどのつま 。、ではなく、ただヨーロッヾ ノの制服を着て歩いているだけ り、彼らこそ真のロシャ人であるということがわかった。そで、その制服の下にはまったく別のものがひそんでいたので こで、この臆測をわたしは、「わたしのパラドッグス」と名ある。スラヴ主義者も、それがヨーロッパでなくして別のも づけるのである。 のであることを見分けるように慫憑し、端的に次の諸点を指 例えば、生米はげしくものに熱中しやすい男であったべリ 摘したのである。すなわち、西欧主義者はなにかしら似ても ンスキイは、ロシャ人の中でもほとんどまっさきに、ヨーロ似つかぬ、くらべようもないものを同列におこうとしている ッパ文明の全制度を否定していたかの地の社会主義者と、まので、ヨーロッパに適合し得る結論も、ロシャにはぜんぜん っしぐらに握手してしまった。しかも一方、わがロシャ文学適用すべからざるものである。その一部の理由としてこうい の領域においては、一見正反対のことのために、最後までス うことができる。ーーー彼らがヨーロッパにおいて希望してい ラヴ主義者とたたかっていた。もしその当時、同じスラヴ主ることはなにもかも、すでにとっくの昔からロシャに存在す 義者が彼に向かって、お前こそはロシャの真理、ロシャの佃る。少なくとも、胚子として、可能として存在している。と 性、ロシャの精神の闘士である、 しいか一んれば、・伐がヨーロ いうより、むしろその本質を成してさえいるほどであるが、 ツ。ハのためにロシャにおいて否定したもの、単なる寓話にすただそれは革命の形態をとっているのでなく、かかる全世界 ぎないと考えていたいっさいを守護する意味で、最も極端な的人類更新の思想が当然とるべき形態、すなわち神の真理の 1 言ロ 戦士であるといったら、彼はどんなに驚いたことだろう ? 形態、現在完全に正教の中に保存されており、いっかはこの のそれのみか、なお彼に向かって、ある意味においては、お前地上に実現するであろうところの、キリストの真理の形態を 作こそ真の保守主義者である、 というのはつまり、お前は とっているからである。スラヴ主義者は、初めまずロシャに
だれにも増してキリスト教徒であったかもしれない。 もちろどころか、ジョルジュ・サンドは、自分の作品の中で一再な ん、フランス人であるジョルジュ・サンドは、自国の同胞のらず、これらの真理の美しさに誘惑され、一再ならず真実無 見解にしたがって、「全宇宙に彼をおきて人間の霊を救い得比な宥恕と愛の典型を具現している。彼女について書いたも ん名はなかるべし」という正教の根本信条を、自覚的に信奉のを見ると、彼女はその生を終わるまで、付近の農民の友と することはできなかった。しかし、これらの皮相な形式的矛して働き、友だちからは無限の愛を受けながら、立派な一人 盾にもかかわらず、くり返しいうが、ジョルジュ・サンドはの母親として死んだとのことである。一見、自分の貴族的 自分ではそれと知らずに、このうえなく完全なキリスト信奉出生を尊重する傾向がいくらかあったようであるが ( 彼女 者の一人であったかもしれないのである。彼女が自分の社会は、母方からいうと、サグソニヤ王家の出であった ) 、もし 主義や、自分の信念や、希望ないし理想の基礎としたのは、彼女が他人の貴族主義をも尊重したとすれば、それはもち 人間の道徳的感情、人類の精神的渇望、その完成と純潔に対ろん、ただ人間精神の完成にもとづくものにほかならぬ、と する希求であって、決して蟻塚式の必要観念ではないので確言することができる。彼女は偉大なるものを愛せずには ある。彼女は絶対に人間の人格を信じ ( その不死まで信じ いられず、卑賤なるものと妥協することや、理想を譲ること つまり、この意味において、彼女は て ) 、生涯その観念をおのれの作品の一つ一つに昻揚し拡充ができなかった、 し、それによって思想的にも、感情的にもキリスト教の最もあまりに傲慢であったかもしれないのである。事実、彼女は 根本的な思想の一つ、すなわち人格とその自由 ( したがってまた、偉大なキリスト教徒であるデイケンズのほとんどすべ その責任 ) を認識する思想と一致しているのである。そこかての小説に出て来るような、謙遜で、公正ではあるが、譲 ュロージヴ . アヤ らまた義務の自覚も、それに対する厳格な道徳的要求も、人歩しやすい、宗教的畸人じみた、打ちひしがれたような人 間としての責任の完全な意識も生じて来る。そしておそら物を、自分の作品に登場させることを好まなかった。反対 に、女主人公たちに高い矜持を保たせ、さながら女王のごと 彼女の時代のフランスには、「人はパンのみにて生くる く描き出した。彼女はそれが好きであったので、この特長は ものにあらず」ということを、あれほど力強く理解していた 作家、思想家は、ほかになかったであろう。 認めておかなければならぬ。それはかなり独自なものであ る。 彼女の要求と抗議の傲岸云々という点に関しては、もうい 記ちどくり返していうが、この傲岸は決して慈悲とか、侮辱の 日ゅうじよ の宥恕とか、進んでは、当の侮辱者に対する同情にもとづく無 第 2 章 窪際限の忍耐とすら、両立しがたいものではない。いな、それ 357
見ても、この程度まで他の国民にくり返されたことは、ほと新しい墓上に一片の弔辞を捧げようとしたまでである。 んどかってない現象である。で、もしこの特質が、真実わが 2 ジョルジュ・サンドについて数一一一一口 ロシャの国民的特徴であるならば、さそかし怒りつばい愛国 しいかえればショーヴィニズムは、こうした現象に対し ジョルジュ・サンドの文学における出現は、たまたまわた て、なにか反対意見を唱える権利を主張し、その特質の中に しの青春時代の初期と時を同じゅうしたので、わたしは今そ まず何よりさきに存在する事実、わが国の将来推定についてれがすでにかくも遠い昔のことであるのを、衷心から喜ばし 最も広い可能を約東する最も予言的な事実を、認めまいとすく思っている。というのは、三十年以上もたった今日では、 ることであろう。おお、もちろん、多くの人たちはおそらく、 ほとんどまったく率直に語ることができるからである。断わ わたしがジョルジュ・サンドに上記のような意義を与えたこ / 言たけが許されて っておくが、当時ただそれだけ、つまりト莞、、 とを、読みながら笑うであろうが、笑うほうが間違っている いたのである。そのほかのもの、ほとんどすべての思想とい のである。これらすべて行きて返らぬことどもが生起してか う思想は、とくにフランスから来るものはなおさら、絶 12 ' ら、今はすでにかなり多くの歳月が過ぎ去ったばかりでな禁止されていた。おお、もちろん、われわれロシャ人はかな ろうおう く、ジョルジュ・サンド自身も七十歳の老媼となり、おそらりしばしば、監視の術のったなさを暴露した。それにまた、 く自分の名声をすでに遠い昔のこととして、死んでいったこどこからそれを学ぶことができたというのだ、メッテルニヒ とであろう。しかしながら、この詩人の出現のうちに「新しすらうまく監視することができなかったのだから、ましてわ き言葉」が含まれていたこと、「全人類的」なもののひそんれわれ模倣者においてをや、である。だからこそ、「恐ろし でいたこと、 これらはことごとくその当時、早くもわが いもの」が網の目を潜り抜けたのである ( 例えば、ペリンス ロシャに強烈な、深い印象となって反応し、われわれのそばキイの全著作も潜り抜けたほうである ) 。しかし、そのか を素通りはしなかった。そして、この事実によって、すべてわり、その穴理めといわんばかりに、しまいにはことさら間 の詩人、ーー・・・新しい思想と新しい力をもって時代を通過した違いをしでかさないために、ほとんど手あたり次第に禁止し ヨーロッパのすべての革新者は、たちまちロシャの詩人たら だしたので、つし。 、こま周知のごとく、透し画的手法を用いる ざるを得ず、ロシャの思想を素通りすることができず、ほと にいたった。にもかかわらず、小説はやはり許されていた、 んどロシャの力にならざるを得ないことを証明している。 初めも、中頃も、最後においてすらも。そこで、つまりジョ のもっとも、わたしは決してジョルジュ・サンドについて批評ルジュ・サンドで、監視者たちはその時、大きな手ぬかりを 作を書こうとしているのではなく、ただ故人に対して、彼女のやったのである。諸君は次の詩を記憶されるであろう。 35 ノ
といったわけである。どうだろう、これこそ信じまいとするの権利を持たぬことを遺憾に思う。とはいえ、わた—' は現代 も困難ではないか。 の女性に多少の欠点を見いだしている。その中のおもなるも 結論として、なお二一一口、ロシャの女性について書き加えたのは、男性のある思想に従属しすぎることであり、それを言 わたしはすでに、ロシャの女性の中にわれわれの大きな葉通りに受け容れて、詮索もせずに信じてしまう傾向であ 期待と、われわれの更新の保証の一つが蔵されているというる。これは決してすべての女性についていうのではないし、 ことを述べておいた。最近の二十年間におけるロシャの女性またこの欠点は心の美しき姿を証拠立てるものである。すな の再生は、疑いもない事実となった。彼女らの要求の高まりわち、彼女たちは何よりも新鮮な感情と、生きた言葉を尊ぶ は、高尚、公明かっ果敢であった。それは最初から尊敬の念 が、肝要なのは、何よりも誠実さを尊重することである。 をいだかせ、この運動において暴露された若干の驚くべき不が、誠実さを信ずるのあまり、こよ、、 ~ 。し力ものの誠実さえも 正確はしばらくおくとして、少なくとも、深く世人を考慮さ信じて、さまざまな意見に迷い込んでしまうのみか、時には せた。しかし、今はもう決算をして、顧慮するところなく結それが度を越すことさえある。将来、高等教育が進んでくれ 論を下すことができる。ロシャの女性は障害と嘲笑とを、つば、この点に貢献するところが多いであろう。女性の高等教 つがなく無視することができた。彼女らは共同の事業に参与育とそれがもたらすいっさいの権利を、誠実かっ安全に婦人 したいという希望を断固として声明し、私欲を棄てたばかり に許容するならば、ロシャは人類の更新という偉大な事業に でなく、献身的にこれに着手した。ロシャの男性はこの二十おいて、ヨーロッパに比してさらに大きな、独得な一歩を踏 み出すであろう。なおロシャの女陸は、例えばかのビーサレ 年間、強奪と、破廉恥と、物質主義の悪徳に没頭していた。 しかるに、女は男よりもはるかに忠実に思想を崇拝し、はるヴァのごとく、あんなに「疲れ」ないように、あんなに失望 力に純潔に思想に奉仕してきた。彼女らは、高等の教育を受しないようにさせたいものである。むしろシチャポフの妻の けたい渇望に燃えながら、真摯と忍耐とを現わし、偉大な勇ように、犠牲と愛の精神をもって、自分の哀愁を癒やすべき 気の実例を示した。『作家の日記』は、ロシャの女を近 - づ いであろう。しかし、それもこれも同じように、苦しい忘れが て見る機会を与えてくれた。わたしは三、四通の素晴らしい たい現象である。一方は酬われることの少ない高潔な女性の 手紙を受け取った。彼女たちは「何をなすべきか ? 」と、不精力の意味で、他は疲れて孤独になり、屈服し敗れた哀れな 女として 肖なわたしにたずねてくれる。わたしはこの質問を尊重し、 これに答える力の不足を誠実でつぐなおうと努めている。わ たしはここで多くを伝えることはできないばかりでなく、そ
う一つ文化、すなわち学問のことを取りあげてみると、このれが学者であっても、なんにもならないではないか。例え 意味において、われわれはどれくらい他国に追いつく必要がば、教育学を習得して、教壇で見事に教育学を講義すること はできるだろうが、それでも当人は教育者になれないのであ あるか、合点がゆくと思う。わたしの貧弱な判断によると、 これがなによりもかんじんなのであ われわれは諸強国のどれか一つにでも追いっこうと思ったる。人間、人間 ら、国民教育に対して、少なくとも、軍隊に費やすだけの金る。人間は金より尊い。人間はいかなる市場でも を支出しなければならない。 もはやあまりに時期を失し金のカでも買えない。なぜなら、これは売り買いされるもの すぎているし、そんな莫大な金はわれわれにないし、結局のでなく、やはり数代を経て作りあげられるものだからであ 。日カカカるロシャのように、年 ところ、これはすべて単なる衝動で、ノーマルな現象でなる。さて、一つの時代こよ ; 、、 、、いわば震撼であって、文化ではない、 ということも考慮月がとっくの昔になんの値打ちもなくなっている国でさえ、 に取り入れなければならない。 まず二十年か三十年はかかる。独自の思想と学識をもってい しかしる人間や、独立不覊の事業家は、ただ長い独立独歩の国民生 これはすべて空想であることはいうまでもない。 : ・くり返していうが、時には思わず知らす、こんな意味の活と、数代にわたる困苦にみちた労働によって形成される。 空想が湧いてくる。そこで、少し空想をつづけることにしょ一口にいえば、国の歴史生活ぜんたいで形成されるのであ う。注意していただきたいが、わたしはいっさいを金に換算る。ところが、わが国の最近二世紀にわたる歴史生活は、完 して評価する。が、これははたして精確な計算であろうか ? 全に独立的であったとはいえない。必要にして絶え間のない 金ではどうしたって買えないものがある。こんな考え方がで国民生活の歴史的瞬間を、人工的に早めることは断じて不可 きるのは、オストローフスキイ氏の喜劇に出て来る無教育な能である。われわれは自国の体験でその実例をみた。それは 商人くらいなものである。早い話が、金で学校をどんどん建現在までもつづいている。つい二世紀前にも、われわれは前 てることはできるが、教師を一時に養成するわけにはゆかな進を急いで、いっさいのものを急き立てようと思ったが、前 。教師というものは、なかなか徴妙なしろ物で、真の国民進の代わりに停滞してしまった。なぜなら、わが西欧派のも 教育者は数代にわたって作りあげられ、伝統と無数の経験にのものしい叫びにもかかわらず、われわれは疑いもなく停滞 よって支持されるものである。しかし、かりに金のカで単にしたからである。わが西欧派の人々は、現在ありとあらゆる 教師のみならず、はては学者までどしどし作れるとしても、 ラッパを吹き立てて、ロシャには科学もなければ良識もない、 忍耐もなければ才能もない、われわれはただ西欧の後をはい のその結果はどうだろう ? やはり人間を作ることはできない 作のである。人間がもし仕事をわきまえないとしたら、よしそずりまわって、万事につけて奴隷のようにそれを模倣し、西 ロ 3
イオリンのようなものを弾いていると、あとの二人はすぐそかけていたのだ ! このまま眠ったら、どんなにいい気持ち・ ばに立って、ちっちゃな・ハイオリンを弾きながら、拍手に合わだろう。「しばらくここにすわっていて、また人形を見に行 せて首を振り、お互い同士顔を見合って、唇を動かしてはな こう」と少年は考えた。人形のことを思い出すと、軽くほは ーかいっている、ほんと、つにいっている、 ただガラスの笑んだ。「まるで生きてるみたいだ ! : 」すると、思いが むこうだから聞こえないばかりなのだ。少年は初めそれを生けなく、頭の上で母親が子守歌を唄いだすのが聞こえた。 きているものと思ったが、やがて人形だとはっきり気がつく 「母ちゃん、ばく、寝てるの、ここで寝てると、そりやいし と、いきなり大声で笑いだした。今までこんな人形を見たこ気持ちだよ ! 」 とがないので、こういうものがあるとは知らなかった ! 彼「わたしの降誕祭樹のお祝いへ行こう、坊や」という静かな は泣きだしたいのだけれど、そのくせ人形を見ているとおか ささやきが、ふいに頭の上で聞こえた。 しくてたまらないのだ。ふいにだれかうしろから、彼の寝衣少年は、これもやつばり母親の声だと思ったが、すぐにそ をつかんだような気がした。見ると、大きな体をした腕白小 うでないと気がついた。だれが呼んだのか目に見えないけれ 僧が立っていて、だしぬけに彼の頭を引っぱたき、帽子を引ども、だれか上のほうからかがみ込んで、暗闇の中で彼を抱き っ剥がして、足で一つ尻を蹴りあげた。少年は地べたに転が しめるものがあった。彼は手をさし伸べた。すると、 った。その時、そばでわめき声を立てられたので、ちょっとるとふいに、 おお、なんというまばゆい光だろう ! お 気が遠くなったけれども、また跳ね起きて駆け出した、 お、なんという素晴らしいヨルカだろう ! いや、これはヨ 一目散に走りつづけているうちに、ふと自分でもどこかとい ルカともいえないくらいだ、今までこんな樹を見たこともな う考えもなく、よその内庭へ通する門の下へ駆け込んだ、 いったいこれはどこへ来たのだろう。なにもかもが光 でも、 そこに積んである薪の陰にしやがんで、「ここなら見つり輝いて、まわりには一面に人形が並んでいる、 かりつこない、それに暗いから」と考えた。 それは人形ではなくて、みんな男の子や女の子ばかり、 彼はしやがんで、身を縮めた。恐ろしさのあまり、おちっその体が透き通るように明るくて、彼のまわりをくるくると いて息をつぐこともできないほどであったが、ふいに、まつまわったり、飛びまわったりして、みんなで彼を接吻した たくふいに、なんともいえないいい気持ちになってきた。手り、抱 いたり、かかえて歩いたりする。そして、彼自身も宙 記も足も急に痛みがとまって、ばかばかと暖かくなってきた。 を飛んでいるのだ。ふと見ると、母親もこちらを見て、さも のまるで、煖炉の上にでも寝ているように暖かいのだ。と、彼うれしそうに笑っている。 作はとっぜんぶるっと身ぶるいした。ああ、これはうとうとし「母ちゃん ! 母ちゃん ! ああ、ここはとてもいい気持ち
になるのは、この二つの偉大なる古代語と数学の教授が、あ * と同音、ロシャの旧文法で使用個所が厳然区別されていた。革命後ソヴみ ト政府によって廃され、のみに統一された「訳注〕 まり強化されたのにつれて、わがロシャ語の教授が、ほとん ど完全に圧迫されていることである。もしロシャ語が衰退し世の母親はもちろん、こんなお談義を聞くのは退屈にちが いない。母親は憤然として片手を振り冷笑を浮かべながら、 ようものなら、いかにして、いかなる方法をもって、また、 いかなる材料を通じて、わが児童はこれら二つの古代語の形そっぱを向いてしまうだろう。母親にしてみれば、息子が何 もしパリ語だとすれば 式を習得するのであるか ? こういう質問がおのずと生じて語で思索しようとかけかまいはない。 くる。単にこれら二国語を教授する ( しかも、チェコ人の教「優美で気がきいていて、趣味が深くて」、かえってけっこ うだ、くらいに思、つだろ、つ。しかし、そ , フするためには、 師によって ) 技術のみが、はたして、その啓発力の全部をな すのであろうか。それに、第一、大いに強化され深化されたすっかりフランス人に生まれかわってしまう必要があるのだ 方法による生きた言語の教授を並行的に進めないかぎり、技が、外国人の保嬾や家庭教師相手では、しよせんこの幸福は 術すらも処理するわけにゆかないのである。この二つの古代得られるものでなく、ただこの道における最初の段階を一つ 語、かっては野蛮であった西欧を、幾世紀かの間に最高の発作るにすぎない。すなわち、ロシャ人たることを停止するだ 達と文明にまで高めた、人類思想の最も完成した形式であるけのことであるが、世の母親はそれさえごぞんじないのであ 二つの古代語の徳化力は、ロシャ語の衰退のため、しぜんわる。いやいや、母親は外国人の保姆を迎えたりすることによ って、やっと二歳くらいの時から、わが子を恐るべき毒で害 が新しい学校を完全に素通りしてしまうのである。あるいは わが改革者たちの考えによると、われわれロシャ人はロシャしているのを、ごそんじないのだ。世の父母はだれしもみ ャッチ * な、例えば、ある一つの恐るべき少年の生理的悪癖を知って 語を持って生まれるのであるから、どこにを書くべきか いる。それは不幸な子供たちにあっては、まだ十になるやな ということ以外、ロシャ語など決して習う必要がないのだろ うか ? しかし、そこがかんじんなので、わが上流社会でらずにはじまって、注意が行きとどかなければ、時として彼 は、もうかなり久しい前から、生きたロシャ語を持って生まらを白痴にしたり、まだ青年時代からよばよばした、ひ弱い れることなどやめてしまっているのだ。生きた言葉がわれわ老人のようにしてしまうおそれがある。わたしはあえて直言 れに出現するのは、われわれが民衆とびったり結合してからするが、外国人の保姆、すなわち初めて片言をいいはじめる 記後のことである。しかし、わたしは夢中になりすぎた。もと頑是ない時からのフランス語は、精神上の意味において、肉 のもとわたしは、世の母親を相手に語ろうと思ったのに、古典体上の意味におけるこの恐るべき悪獅と同じことである。も し子供が生まれつき愚物であるか、おとなしい凡才ででもあ 作的改革や民衆との結合に移ってしまった。
た。したがって、彼らの薄弱さと空想的なことが見え透いて 8 治派は富豪の利益のみを念頭におき、民主主義は貧民の利益 いるにもかかわらず、フランスにおける継承権は、精神的に のみを考えている。科学の旗幟を立てて、科学からすべての ことを、つまり人類の新しい団結と、数学的に確固不動な社彼らに移ったかのようであり、これは衆人の感じているとこ 会組織の新原則を、期待している空想的な社会主義者と、空ろである。けれど、ここに最も恐るべきことは、空想的なも 想的な実際主義者を除くのはかは、社会の福祉や、万人の利の以外に、最も残酷で非人間的な風潮、もはや空想的ではな くして実際的な、歴史的にまぬかれ得ない風潮が現われたこ 益や、フランスの将来を配慮するものは、今やだれ一人いな しかし、彼らがこれほどに期待している科学も今ただちとである。それは「 0 ( e ( 0 一 de lå' que m'y mette ・」 ( そこ にこういう仕事に着手し得るかどうかおばっかない。科学がをどけ、おれがお前の代わりに立つのだ ! ) という諺にい、 それこそ違算なく、社会組織の新しい法則を樹立し得るほどっくされている。数百万のデモスは ( きわめて少数の例外を までに、人間の本性を十分に知り抜いていようとは、想像し除き ) 、資産家の掠奪ということを何よりも第一に、あらゆ かたいことである。が、これは狐疑逡巡すべきことでないかる欲望にさきんじて抱懐しているのである。しかし、貧民を ら、ここに起こらざるを得ない問題は、科学が現在において責めてはいけよい。寡頭政治派が、彼らをかような暗黒の中 に引き留めていたのである。それがために、きわめて徴々た この任務を遂行する用意ができているかどうか、ということ である。わるくしたらこの任務は、たとえ将米科学が発達しる例外を除くはかは、これら幾百万の不幸にして盲目な民衆 ても、その力に余るくらいかもしれない ( この任務が必ず人は、事実疑いもなく、掠奪を通してこそ自分たちは富裕にな り得るのだと、しごく単純に考えている次第であって、領袖 類の科学の力におよばないか、将来科学が十分に発達した時 もその手に余るか、これは当分、確言することをさし控えよ連が説いて聞かせる社会の理想は、挙げてことごとくそこに う ) 。科学は必ずや、かような要求に答えることを拒むでああるのだと思っている。それに、どうして彼らは空想家の指 ろうから、フランスにおいては ( また世界中のどこでも ) 、導者の言葉や、あるいは科学の予一言などを理解することがで きよ、つ ? ・ にもかかわらず、彼らは必ず勝利を得るにきまっ デモスの運動を支配するのは、当分のあいだ空想家であり、 その空想家を支配するのはありとあらゆる投機師だ、というている。で、もし富豪たちが適当な時に譲歩しなければ、恐 ことが明らかになってくる。それに、また科学そのものの中るべき結果が生するに違いない。けれどおそらく、だれも適 に、はたして空想家がいないだろうか ? フランス中で、万当な時に譲歩するものはあるまい。それはあるいは、譲歩の 人の結合と将来を憂慮しているのは空想家ばかりであるか時機がすでに過ぎてしまったからかもしれない。また貧民に してからが、譲歩などを欲しないだろう。たとえすべてを与 ら、彼らは当然の権利として、運動を支配するようになっ
一驚を吃した。事実、彼女の描いた多くの、少なくとも若干われわれの面前に、史上人物ジャンヌ・ダルクの姿を復活さ の女主人公たちは、きわめて高邁な道徳的純潔のタイプであせ、この崇高な、奇跡にもひとしい歴史現象の現実的可能 これこそ完全にジョルジ って、詩人自身の心に大きな道徳的要求がなく、最高度の義を、まざまざと立証している、 ュ・サンド式課題である。なぜなら、おそらく彼女をのぞい 務観念がなく、慈悲とか、忍耐とか、正義とかの中に最高の 、、、こて、同時代の詩人のうち何人といえども、あれだけに清らか 美を理解し、認識する気分がなかったら、しよせん思し らないていのものである。もっとも、慈悲、忍耐、義務観念な無垢な少女の理想を、ーー単に清らかであるのみならず、 の意識の間には、対他要求とプロテストの並みはずれた傲岸その無垢のゆえにあれだけに力強い理想を、ーー抱懐するも さも現われていたが、この傲岸さこそ貴重なものだったのでのはなかったからである。 ある。なぜなら、これなくしては人類がとうていその道徳的以上に述べたこのようなタイプの少女はすべて、幾多の作 頂点を固守し得ないような、最高の真実から発生したものだ 品の中で連続的に一つの問題、一つのテーマを身をもって反 これと同 からである。この傲岸さは、 quandméme( 決して ) 自分はお覆している ( もっとも、単に少女ばかりではない、 前より勝っている、お前は自分より劣っている、というよう じテーマはその後、同じく初期の作品の一つである素晴らし ラ・マルキーズ 、作品「侯爵夫人』の中にも反覆されている ) 。そこには生 な気持ちにもとづいている敵意ではなく、ただ不正や悪行と 妥協することのできない、最も純潔な感情である。ただし、 一本で正直な、しかし無経験な若い女性の性格が描かれてい もう一度くり返していうが、この感情はいっさいをゆるす大る。それは悪徳に接触することがあろうとも、時には思いも にいたって 度量とも慈悲心とも、両立しがたいものではない。のみならよらず悪行の巣窟のただ中へ、偶然身をおくよう ' ず、この傲岸さに匹敵するくらい絶大な義務をみずからすすさえも、あえて恐るることなく、またそれに穢される憂いも んで自分にも負わせている。これらの女主人公たちは、犠牲ない、誇らかな純潔をもっている。寛大な犠牲 ( ほかならぬ と功業に渇していた。ことに当時、わたしの気に入ったの彼女から期待されているかのごとく思われる ) の要求は、若 は、例えば、その頃ヴェニス小説と呼ばれた彼女の初期の作き娘の心をさし貫く。で、彼女はいささかも躊躇することな 品 (r ュスコク』「アルディニ』はこれに属する ) に現われるく、 わが身をいたわろうともせず、無私無欲、献身的に、最 少女の二、三のタイプであって、これはその後、ジャンヌ・ も危険な運命的の一歩を突如として、勇敢に踏み出すのであ 記ダルグに関する歴史的問題の輝かしい、そしておそらくは絶る。彼女が見、遭遇することも、決して彼女を困惑させた の対的な解決となって、それこそ天才的小説『ジャンヌ』におり、恐れさせたりはしない。むしろ反対に、その時はじめて 作いて完成したものである。現代の百姓娘の中に、彼女は突如自分の全力、ーー無垢と、正直と、純潔の力を知「た若き心