スラヴ - みる会図書館


検索対象: ドストエーフスキイ全集14 作家の日記(上)
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1. ドストエーフスキイ全集14 作家の日記(上)

係からにもせよ、トルコと干戈を交えているスラヴ人に義捐ではもはやいかなる小細工を弄しても 、、かなる名目を考え した場合、わたしがトルコに対するスラヴ民族の勝利を望む出しても、なんの助けにもならないわけである : : : きみの考 のは、トルコ人が回教徒であるがゆえでは断じてなく、単にえによれば、、 っさいの禍いのもとは同宀小とい、フことである トルコ人がスラヴ人を虐殺するからこま 。冫力ならぬ。が 一から、もしわれわれが同宗者としてスラヴ民族を助けている 方、韃靼人がトルコ側にうつるのは、一にわれわれがキリス ことを韆靼人にかくして、その反対に何かほかの名目、例え ト教徒であるがために回教を撲滅せんとするもののごとく考ば、スラヴ民族がノ トレコ人に迫害されて、自山という「人間 えるからであり、ただその理由によってのみなし得るところ第一の幸福」を失っているからだ、といったような名目を正 である。しかるに、われわれは決して、回教を滅ばそうとし面にかかげればい、 しことになるが、はたして靼人は、われ ているのではなく、ただ自分の同宗者を護ろうとしているにわれの一言葉を信じてくれるだろうか ? どうして、ど、つし すぎない : : スラヴ民族を助けるからといって、わたしはあて、わたしはあえて諸君に断言するが、どんな回教徒の目か えて韃靼人の信仰を攻撃しないのみか、 トルコ人の回教それら見ても、要するに回教徒に抗してライヤを助けるという事 自体に風馬牛なのである。トルコ人は勝手にいつまでも回教実は、よしんばどんな口実をもうけてみたところで、われわ 徒でいるがよい、ただスラヴ民族に手さえ出さなければかまれが信仰のためにライヤ援助におもむいたのと同じことにな わないのだ。これに対して、おそらく人々はいうであろう。 るのである。 したいきみはこれしきのことを知らなかった 「お前がトルコ人に対して同宗者を助けるとすれば、それはすのか ? しかも、きみは、「ロシャの社会にスラヴ援助を鼓 なわち、ロシャの韃靼人に抗し、その信仰に抗して行動する吹するには、全ロシャ公民を結合すべき動機を呈示するだけ ことである。なぜならば、彼らにはイスラム法があり、トル で十分なので、彼らを分裂せしめるような動機はよけいであ ライヤ コ皇帝は全回教徒の教主であるからである。非回教徒は、コる : : : 」と書いている。これはつまり、同宗というものを分 ーランそのものによってすでに自由ではあり得ず、回教徒と裂的な動機と見なして、ロシャの回教徒のことを書いている 平等にはなれないのである。したがって、彼らの平等運動をのだ、 そして、すぐにその場で、これをはっきりさして 助ける以上、ロシャ人はすでにそのこと自体によって、全回しまったわけである。きみは「自由のための闘争」というも 教徒の目には、単 にトルコ人のみならず、回教一般に戈を向のを、スラヴ民族援助のためにロシャ人から寄付を募るうえ 記けていることになるのだ」と。しかし、そうなればもう、宗 最善かっ最高の口実、あるいは諸君の表現にしたがえば の教戦争の発頭人は韃靼人であって、われわれではなく、おま「動機」と考えていられるが、それからみると、「自由のため 家 作 けに正直、これはもうぜんぜん別種の論駁であるから、そこのスラヴ民族の闘争」は、大いに韃靼人の気に入って、この 455

2. ドストエーフスキイ全集14 作家の日記(上)

にきまっている。もっとも、ギリシャ人とスラヴ人との争いちのものだ。おれはこの都がお前たちのものであることを願 は初めてのことではないが ( たとえスラヴ民族がぜんぶ一致うので、それがために占領するのだ。おれはただそれをロシ こヤに渡したくないだけなのだ。スラヴ人たちはそれを北から するものとさえ予想しても、やはり無事にはすまない ) 。 だれひとり入れないよう ういえば、その時は盟主をおいて、帝国を建設することもで守るし、おれは海から守って、 きるというだろう。空想案にもこんなふうに予想されているにしよう。おれははんの一時、お前たちがしつかりして、お コ しかし、 いったいだれが帝王になるのかーー、スラヴ前たちの堅固な成熟した同盟帝国が組織されるまでの間、 ンスタンチノープルに進駐しているだけだ。それまでの間お 人か、ギリシャ人か、まさかハプスプルグ王家からでもある まい ? いずれにしても、すぐさま二元主義と分裂がはじまれはお前たちの指導者となり、防御者となろう。おれがよそ るに相違ない。要はギリシャ的分子とスラヴ的分子とは団結の土地を占拠したのは、なにも珍しいことじゃありやしな おれにはジプラルタルがある、マルタ島がある。イオニ しがたいのである。この二分子はそれそれに、自分の前に控 とうア諸島などはちゃんと返したじゃな、、 えている栄誉ある政治的将来について、とはうもない、・ 一口にいえば、もしこのホイッグ党の小細工案が実行され にも辻褄の合わせようのない、いかがわしい空想をいだいて いるのだ。いや、イギリスはかりにトルコを見棄てようと決る段になれば、くり返していうが、その成功に疑いを挿むこ 心した以上、このへんのことをすべて手堅く始末するだろとはむずかしい、が、もちろん、ほんの一時の話である。あ う。さて、こうなった時、わたしが前に冗談と称した対応るいはその期間は、長年にわたるかもしれない、けれども 策、すなわち、イギリスが「スラヴ民族福祉のために」みず : 自然の限度がきたら、それはみんな、かえって否応なし からコンスタンチノープルを併合してしまうような事情が生に崩壊してしまうのだ。そうなったが最後、この崩壊は、徹 じるかもしれぬ、というような気がする。「スラヴ人たちょ、底的なものに相違ない。なぜなら、こうした対応策はことご おれはお前たちをもって北方に同盟を構成し、北方の巨人にとく、ただ誹謗と不自然を土台としているにすぎないからで 対する防壁として、彼をコンスタンチノープルへ入れないよある。 うにする。なぜなら、 ひとたび彼がコンスタンチノープ虚偽は、ロシャを誹謗したことに含まれている。いかなる ルを略取すれば、お前たちをもぜんぶ攻略してしまうに違い濃霧も、真実の光に対抗できるものではない。スラヴ諸国民 記ないからだ。そうなったが最後、お前たちの栄誉ある政治的も、いっかはロシャの無私無欲の真相を、完全に理解するで の将来など、おじゃんになってしまうのだ。ギリシャ人よ、おあろうし、その頃までには、われわれと彼らとの精神的団結 コンスタンチノープルはお前た も、成就するであろう。なにぶんにも、われわれとスラヴ民 作前たちも心配しないがいい、

3. ドストエーフスキイ全集14 作家の日記(上)

いっても、簡単にはゆかない。今となっては、ヨーロッパも 8 や、学説や、「感傷主義」にのみ基礎をおくべきではないと か、さまざまなことをいわなかったろうか。いや、なに、遠おそらく抛棄したことを信じてはくれまい、してみると、証 く溯るまでもない ! 現にいま目前にスラヴ問題がある。わ明つきで抛棄しなければならない。つまり、われわれ自身ト ルコを援助するために、スラヴ民族におどりかかって、兄弟 れわれは今こそひと思いに、スラヴ民族を突き放したらどん なものか ! グラノーフスキイは、ロシャはただスラヴ民族らしく彼らを虱潰しにしなければならない。 「さて、親愛なる同胞スラヴ族よ、国家は個人ではないか によって国力を強めんと欲し、ただわが国の実際的利益のた めのみに行動している、とこう主張しているものの、わたしら、寛大心のために、自己の利益を犠牲にすることはできな きみらはそれを知らなかったのかね ? 」こうすれば、ロ にいわせると、彼はこの点でもうつかり口をすべらしている のだ。さらば借問するが、彼らと共同したら、たとえ将来のシャは覿面にどれはどの利益を受けるか、それも遠い未来の ことにもせよ、はたしていかなる実際的利益があるか、また空想上のものでなく、実際的な、本物の利益なのだ ! 近東 いっか手に入る地問題はたちどころに終わりを告げ、ヨーロッパは一時にもせ 何をもって国力を強めようというのか ? 中海か、それとも「ロシャには決して与えられない」コンスよ、対ロシャの信用を回復するであろう。その結果、わが軍 タンチノープルか ? してみれば、それは空を飛んでいる鶴事予算は減少し、わが財政上の信用は立ち直り、ループリは 。こ、、 : 舌はそれつきりだろう というまでのことであって、よしんば捕えたにしたところその実価に戻るであろう、 いな、鶴はどこへも飛び去りはしない、鶴は依然とし で、よけいなめんどうを背負いこむまでの話ではないか。千 て空を舞いつづけているだろう ! 今のところ、われわれは 年もさきまで背負いこむのだ。これがはたして国の繁栄か、 智者の見解か、真の実際的利益か ? スラヴ民族相手では厄節を屈して待っことにしよう。「国家は個人ではないから、 介とめんどうがあるばかり、ことに彼らがまだロシャのもの自己の利益を犠牲にすることはできない」が、さて、そのう もしスラヴ族がロシャなしには ・、たし方がなし でない現在では、なおさらである。彼らのおかげで、われわちには : ノカら白い目で見られてやってゆけない運命にあるとすれば、時期いたらば、彼ら自 れはすでに百年このかた、ヨーロツ。、、 いる。ところが、今日では白い目で見られるばかりか、ロシ身、われわれに結びついてくるだろうから、その時こそわれ ヤがちょっと身動きしても、彼らはとたんに剣を抜き放つわれもふたたび愛と、同胞感をもって、彼らと融合しよう。 もっとも、グラノーフスキイは、ほかならぬこのやり口を、 / をひと て、大砲の筒口をこちらへさし向ける。ヨーロツ。、 思いに永久に安心させるためには、スラヴ民族を抛棄するのわが政策のうちに見いだしているのである。彼の力説すると ころによると、わが政策は、最近百年間スラヴ族を圧迫し、 が、永久に抛棄してしまうのが簡単だろう。が、抛棄すると てきめん

4. ドストエーフスキイ全集14 作家の日記(上)

ると、ロシャに対してさっそく新しい強力な防壁を築く。すとを、自分自身に隠す必要はいささかもないのである。例え ると、「ロシャはその時こそ、コンスタンチノープルを覗くば、彼らは依然、われわれを自分たちと比較して、教養のな 、、ほとんど野蛮人同然のように考えている。彼らは、社会 こともできない、彼らは絶対にロシャを寄せつけないのだ」 一見して、これ以上にずるい的確なことは、ちょっと考え生活におけるわが国の進歩、わが国の内部機構、わが国の改 出すこともできないように思われる。重要なのは、、かにも革、わが国の文学に、興味を持っこときわめて少ないのであ 単純で、現存の事実にもとづいていることである。この事実る。彼らの中でもきわめて学識のあるものだけは、さすがに プーシキンを知っているが、しかし知っているものの中で については、わたしはもう前にちょっと触れておいた。ほか でもない、 スラヴ民族の知識階級の一部、スラヴ民族の最高も、彼を偉大なるスラヴの天才と認めることに異議のないも 代表者や指導者たちの中には、ロシャの目的に対する隠れたのは暁天の星である。教養あるチェコ人の大多数は、例えば る不信と、ひいては、ロシャとロシャ人に対する敵意すらプーシキン並みの詩人なら、自分たちの国には四十人くらい が、事実存在しているということである。いやいや、わたしもあると思い込んでいる。のみならず、現在のごとく個別的 は民衆について、大衆についていっているのではない。セル存在であるこれらのスラヴ民族はいずれも、無経験な人生を ビヤ人とかモンテネグロ人とかいうスラヴの諸民族にとって知らない国民の常として、政治的に自尊心が強く怒りつば いかかる国民の間では、イギリスの考え出した策略は、も は、ロシャは依然として太陽である、依然として希望であ る、依然として親友である、母であり、庇護者であり、将来しやってみる段になれば、あるいは成功を納めることができ の解放者である ! しかし、スラヴの知識階級は別問題であるかもしれない。 ところで、もしイギリスでホイッグ党 ( 由 ) が勝利を得て、順番がまわってくれば、この案が実施されな る。もちろん、わたしは知識階級ぜんたいについていってい いとは、断言しがたいのである。しかも、イギリスには人 るのではない。全般について語る勇気はわたしにはないし、 また自分でもそんなことを許さない。「しかし、全般というに工、不自然、不合理、虚偽が充満しているのだー い遠いいろ、しかし彼らの中の大臣級の人々ですら ( 八月第一、あれほど類似点の少ないパルカン半島の異種族を結 の「日記』に使った言葉をかりると ) 、ロシャは狡猾だから、合する、しかもコンスタンチノープルを中心として結合する などということがいったいどうしてできるのか ? そこに どうかしておれたちを攻略しよう、併呑しようと虎視眈々と 、レーマニヤ人がい はギリシャ人がいる、スラヴ人がいるノ している、というふうに妄想している人々がいるのである」 共同 われわれとしては、非常に多くの教養あるスラヴ人が、われる。コンスタンチノープルはだれのものになるのか ? われロシャ人を、おそらく非常にきらってさえいるというこのものとする。すれば、たちまち分裂といがみ合いが起こる

5. ドストエーフスキイ全集14 作家の日記(上)

この点において、ヨーロッパはわが国民的理想を十分に理また、ロシャの政策がこの自国の目的の本質を、立派に自覚 解せず、これを自分たちの物差しで測っては、掠奪、暴力、していることも、ヨーロノ。本 ツ。、ま同莱わきまえているのであ 領土征服の渇望などといって、われわれを誣いながらも、同る。もしそうならば、どうして、ヨーロッパは恐怖せずにい 時に、事件の肝要な意味を非常によく理解しているのであられよう ? さればこそ、ヨーロッパはあらゆる手段をつく る。 して、スラヴ人の後見役を自分のほうへ取ろう、いわば彼ら ヨーロッパにとっては、わが国が領士を掠奪しない、なにをロシャから掠奪しよう、できることなら、彼らを永久にロ ものをも征服しない、などと約束することは問題でないのでシャと、ロシャ人に敵対させよう、と望んでいるのである。 ある。それよりもはるかに重大なことは、われわれが依然とさればこそヨーロッパは、。、 リ条約ができるだけ持続するこ して従来のごとく、スラヴ人援助の意図において確固不抜でとを望んでいるのである。つまり、これがために、ベルギー あり、この援助を金輪際、放擲する意向がないという点であ人やヨーロッパの査兵などといったような案が生じてくるの る。もし今度もこれが遂行され、われわれがスラヴ民族を助だ。おお、なんでもかまわない、 ロシャでさえなければし けることができたならば、ロシャはヨーロッパの目から見れ どうかしてロシャをスラヴの目と頭から遠ざけ、進んで ば、彼らに対抗して ( かく全ヨーロッパは信じている ) 、漸はロシャを彼らの記憶からかき消してしまわなければならな 今や問題はこの点にあるのだ。 次東方に築きつつある城壁に、新しい石を加えるものだと思 われるであろう。け、、こし、スラヴ人を助けることによって、 4 「日を過ごしたビ ヨートル」について一言 われわれはスラヴ民族の心にロシャとその威力とに対する信 仰を根強く固めつづけ、彼らがロシャを自分たちの太陽とし近頃、多くの人々が、わが知識階級には夏の歓喜の後に、 て、全スラヴ、いな、全東方の中心として見るように、いや冷却と懐疑とシニズムのほか、意地わるな態度さえもあらわ がうえにも教え込むからである。が、この思想の確立は、ヨれた、というようになった。ある種のきわめて深刻なスラヴ ーロツ。ハの目から見ると、ロシャがヨーロッパを安心させる運動の嫌悪者をのそいて、その他のすべての人たちを、二つ ためにあらゆる譲歩を正直にかっ忠実に行なおうと覚悟しての部類にあてはめることができるように思われる。第一の部 いるにもかかわらず、侵略を必要とすると感じられるのであ類は、、わばユダヤ人的な人々である。彼らは経済の方面か しふらし、銀行の破産や、相場の下落 記る。事のおもなる本質は、挙げてことごとくこの思想の扶植ら戦争の害を大仰にい、 のにあって 、・ハルカン半島における物質的獲得にのみ存するのや、商業の停滞を云々して人心を脅かし、はなはだしきは、 作でないことを、ヨーロッパはあまりにもよく承知している。 わが国がヨーロッパに対してのみならず、 トルコに対してす新

6. ドストエーフスキイ全集14 作家の日記(上)

いささか当惑するほどわかりすぎたがためである。少なくと 求されている。ある委員会の一員がわたしの前で話したこと も、現在疑いもなく、力強い反動の徴候が萌してきている。 だが、彼は例えば、次のような質問を書いた手紙を、かなり たくさん受けとったという。「なぜこの場合、スラヴ人をぜそれもさまざまな古くさいテーマ、例えば、「スラヴ人がわ ひとも引き合いに出さねばならぬのか ? なぜわれわれはスれわれの兄弟にあたるからとか、なんとかいって、スラヴ人 ラヴ人としてのスラヴ人を助けているのか ? もしスカンジ としてのスラヴ人を救済する仕事に、なにもそうあわてて、 ナヴィヤ人が同じような状態におかれたとしたら、はたして夢中になることはない、粗野な非文明的な仕事だ」というよ われわれは、スラヴ人と同様に、彼らを助けるであろう うなテーマをつかまえて、無意識にぶつぶつばやいたり、古 か ! 」っまり、スラヴ民族の名目はなんのためか、というのばけた好きでたまらない主義原則のために反対を唱えたりす である ( わたしが前号の『日記』に書いた『ヨーロッパ報る、そういったような、これまでにも耳に入っていた罪のな 知』の同宗という名目に関する取越し苦労を覚えていられる い言説のことをいっているのではない。いな、わたしのいう であろう ) 。一見したところ、そこには決して単純さもなけ のは、古い文句を反芻している理知的、自由主義的な老人の れば、単純化しようとする努力もなく、むしろこれらの質問 ことではなく、あらゆる徴候に照らして、近々頭を持ちあげ の中には不安が響いているようであるが、しかしこの場合のるらしい国民運動に対する現在の反動についてである。とこ 単純さとはすなわち、 nihil( 虚無 ) と tabula rasa( 白紙 ) にまろで、この反動は、ロシャに対する自己の見解を、明確とい で持ってゆこうという努力に含まれているのだ。つまり、こ うものの最後の限界まで簡単化して、「万事を昔どおり停滞 した秩序の中に閉じこめるように、、 れもやはり一種のおちつきに対する要求である。なぜなら、 しっさいの意志表示をひ と田い、に禁止してしまえ」などと、 零よりも簡単で平穏無事なものは、またとないからである。 しいかねない人々のほう に、自然と知らずしらず合流するのである。しかも、どうだ なおこれらの質問の中には、やはり間接にではあるが「理知 的な要求」や、「あなたの恥になりますよ」が、聞こえてい ろう、これら単純化の連中にこの「現象」が気に入らないの 、生こよるのではない。つまり、例えば、 ることに注意していただきたい。 は、決してその幻想 4 きわめて教養の高い人々、いわばわが国の上流階級の人々今まであんなに停滞して無意味であった単純な民衆が、急に なにかほんとうに意識的な生きものであるかのような口をき の中には、この国民的な、穏やかな、つつましい 固な、力強い言葉が、はなはだお気に召さないのがおびただきだした、というような意味合いで毛嫌いしているのではな しかもそれは、 このような意味は理解されるはずがない、ただ癪にさわ しく存在していることは、疑いをいれない るのだ、それだけのことである。むしろ反対に、彼らの気に 彼らがこの言葉を理解しないためではなく、むしろ反対に、 すう

7. ドストエーフスキイ全集14 作家の日記(上)

摘することである。この意味において、例えば、「日記』はガリヤ人も知りはしない、民衆がなけなしの金や義勇兵を出 今年いわゆる「スラヴ問題」の形で急激に生じた国民的民衆して助けているのは、スラヴ人でもなければ、スラヴ主義の 運動について、かなり多くの言を費やした。あらかじめお断ためでもない。ただ彼らは正教徒が、われわれの兄弟が、キ ) ストを信じるためにトルコ人から、「不信心ものの回教徒」 わりしておくが、「日記』は毎月かならず政治論文を載せよ から苦しめられているということを、小耳に挾んだだけオ うという野心を持っているわけではないけれども、できるだ けわれわれの国民的な、また民衆的な見解を時事問題の中にのである。それがゆえに、ただそれだけの理由で、今年の全 も求めて、これを指示するように努めたい。例えば、今年の民衆運動が顕われたのである。正教の現在の運命と将来の運 「スラヴ運動」に関する本誌の諸論文から、読者もおそらく命、ーーその中にロシャ民衆の全理想が含まれているのであ・ 『日記』はこの運動の実質と意義る。その中にこそキリストに奉仕し、キリストのために苦行 会得されたことと思うが を、それ自体としても、またわれわれロシャ人に関する問題を忍ばうという、彼らの渇望がこめられているのである。こ としても明らかにしたうえ、われわれにとって問題は一個のの渇望は真心から生じた偉大なものであり、太古以来民衆の スラヴ主義に存するのでもなければ、現代的な意味合いにお中に絶えたことがなく、また将来もおそらく絶ゆることがな これはわが国家の特質を尋ねるの。、きわ いであろう、 AJ い、つ ) ける問題の政治的な取扱いにかぎるものでもない、 とを指示しようと望んだものである。スラヴ主義、すなわちめて重要な事実である。 全スラヴ人とロシャ民族、ならびに、彼ら相互間の団結、近モスクワの旧教徒は、自分たちの寄付として、一つのそれ 東問題の政治的方面、すなわち国境、辺境、海、両海峡、コも ( 立派な ) 野戦看護隊を装備し、これをセルビャへ送っ ンスタンチノープル等に関する諸問題は、ロシャとその未来た。しかも、彼らは、セルビヤ人が旧教徒ではなく、信教の の運命にとって、第一義的に重大な問題であることは疑いも相違から交際もしないわれわれと同じものであることを、よ ないが、近東問題の実質は、われわれにとって、右の諸問題く知りぬいているのである。そこには、たとえ遠く離れた未 のみにつくされるとはいいがたい。わたしがいうのは、この来のことであるにもせよ、正教の来るべき決定的運命を思う 問題をわが民衆的精神において、解決する意味である。この理念と、東方のキリスト教がやがてことごとく一団に結合す 意味において、これらの第一義的に重大な諸問題は、第二義るという期待が表明されたのである。そこで、キリスト教の 記の位置に退くのである。なぜなら、全問題の主要な実質は、民迫害者たるトルコ人と戦っているキリスト教徒を助けたので の衆的解釈によれば、疑いもなく東方のキリスト教、すなわちあるから、したがって彼らは、セルビヤ人をもって、一時の 正教の運命に存するのである。わが民衆はセルピヤ人もプル相違こそあれ、行く行くは自分たちと同じキリスト教徒であ

8. ドストエーフスキイ全集14 作家の日記(上)

かみもせず、露骨な言葉で端的な答えをした。まだこの運動秩序などはありはしなかった : のはじめにあたる六月に、わたしはたまたまこの「日記』の 2 チェルニャーエフ 中に、かような場合、ロシャの利益とははたしてなんである チェルニャーエフは彼の弁護者たちの目からでさえ、現在 か、を書いたものである。ロシャのごとき高級な組織体は、 偉大な精神的意義によって光を放たなければならぬ。ロシャではすでに天才でなく、単に剛毅果敢の一武将と見なされて いる。しかし、スラヴ事変において、彼が全運動の先頭に立 の利益は、スラヴ地方の占領にあるのではなく、それらの地 ったというだけでも、すでに天才的達観といえる。このよう 方に対する誠心誠意のこもった、熱心な配慮と保護にあり、 彼らとの同胞的一致にあり、スラヴ世界の大同団結に対するな任務を達成することは、ただ天下の力にのみ与えられるの われわれの見解と精神を、彼らに伝えることに存するのであである。スラヴ問題は是が非でも、結局、火蓋を切らねばな る。単なる物質的利益、単なる「パン」のみでは、ロシャのらなかったのだ、いいかえれば、活動の段階へ移らなければ ならなかったのだが、もしチェルニャーエフがしなカった これは理想でも ごとき高級な組織体の満足するはずがない。 それに対する答えは、全ロら、これほどの発展を見るにいたらなかったであろう。これ なければ美辞麗句でもない、 に対して、彼がこの事変に衝動を与え、かような範囲にまで シャ国民と、今年におけるその運動である。この運動はその 自己犠牲的精神と、無私無欲と、正義 0 殉ぜかとする敬虔な拡大せしめたのが困りもので、その始め方が時期を失してい 宗教的渇望において、他の国民にほとんど例のないものであたところに彼の罪科がある、などというものもあろう。しか し、この大きなスラヴ問題は、早晩もちあがらなければすま る。かような国民が秩序に対する懸念を呼び起こすはずはな ないものであって、その時期の適否を争うことができるかど 。これは無秩序の国民ではなくして、確固たる見識と、な うか、わたしにはまったくわからないほどである。が、すで にものにも動かされぬ規律を持った国民である。この国民は にいったんスラヴ事変が始まった以上、ロシャをおいてだれ 犠牲の愛好者であり、正義の探究者であるとともに、その正 がこの事変の先頭に立つべきであるか、そこにこそロシャの 義の所在を知っている。柔和でしかも力強く、清廉で潔白な チェルニャーエフはこのこと ところ、彼らの高尚な理想の一人で聖者と仰がれている勇者使命があるのではないか、 ィリャー・ムーロメッ る古代英雄叙事物の主人公 ) のごとき国民を理解して、ロシャの旗を挙げたのである。これを決行し、 いや、いや、これは非凡なカ かような国この一歩を踏み出すこと、 記である。かような国民を護りたもう神のみ心は、 また事実、喜んでいられを持たぬ人間の、よくなし得るところではない。 の民を見て喜ばれるに違いない、 いや、そこには無あるいはまたこれに対して、それはすべて功名心から出た 作るし、国民もそれを承知しているのだ !

9. ドストエーフスキイ全集14 作家の日記(上)

族との間に、実際上の一致団結がはじまったのは、きわめてロシャを誹謗するという方法が彼らに成功をもたらし、その 最近のことであるが、今では、 今こそはもはや断じて停成功の確実性に対する信念が彼らに勇気をつけた。しかし、 滞することなく、ますますしつかりつづいて行くに違いな こうした成功は長つづきするものではない。 くり返していう この対 スラヴ人たちは、たとえいかなる誹謗が現われようと ・、、なるほど、一時的には実現されるかもしれない。 も、結局、彼らに対するロシャの親身の愛を信ずるだろう。応策は、もしホイッグ党が勝利を博すれば、だんぜん実施さ 偉大な逞しいロシャの不可抗的な魅惑が、血縁的な根元としれるに相違ないから、それを考慮に入れておく必要がある。 て彼らに作用するだろう。小さな結合を作って、いがみ合い いよいよという土壇場になれば、イギリス人は、「われわれの と嫉妬の中で暮らしていたのでは、精神的に発達することは ほうでもけっこう、恩恵をほどこしてやることができるん できない、ただ全体的に、全スラヴ的に結合しなければならだよ」といった肚で、ロシャの先を越すために、簡単にそれ ないということを、彼らもやがて感ずるだろう。ロシャの統を決行するであろう。 ついでに、流された血について一言。もしわが義勇兵が、 一の巨大さ逞しさは、もはや彼らを惑わしたり驚かしたりし なくなり、かえって中心へ、根元へとひきつけるように、彼たとえロシャが宣戦の布告をしないにもせよ、結局トルコを らをあらがいがたくひきつけるであろう。信仰の共通なこと粉砕して、スラヴ民族を解放したらどうだろう ? 風説によ も、なみなみならぬ、有力な連鎖となるに相違ない。ロシャれば、ロシャから到着する義勇兵は大変なもので、義捐金は の信仰、ロシャの正教は、ロシャ国民がおのれの聖物と見なたえず増加の一途をたどっているので、このぶんでゆけば、 しているいっさいである。その中に、彼らの理想、生活の真っいにはチェルニャーエフの麾下に、実際一つの堂々たるロ ずれにしても、ヨーロッ 実と、真理が、挙げてことごとく蔵されているのである。一 シャ軍ができあがるに違いない。い 方スラヴ諸民族にしても、 四世紀にわたる回教徒の圧迫パ諸国とその外交家は、そうした結果に驚倒するであろう。 に悩まされている間、その信仰以外の何によって一致し、何「義勇兵だけでトルコ人を破ったところを見ると、ロシャ全 国が武装した場合には、どんなことになるだろう ? 」ヨーロ をもって生きて来たのか ? 彼らはおのれの信仰のために、 限りなき苦難を嘗めてきたのであるから、この一事だけでツ・ハはこうした考え方をせずにはすまされないのだ。 も、信仰は彼らにとって貴いものでなければならない。最後神よ、ロシャの義勇軍に成功を与えたまえ。が、聞けば、 に、スラヴ族のためにはすでにロシャ人の血が流されたが、 ロシャの将校たちは、またしても戦場で幾十人となく倒れて 血は決して忘れられるものではない。狡猾な連中は、こうし いるそうである。可憐な人々よ ! たことをすっかり見落としたのである。スラヴ人に向かって なお一つ、ちょっとした注意をしておくのも無駄ではなか 446

10. ドストエーフスキイ全集14 作家の日記(上)

か ? それどころか、どんなものにもせよ、遺産というもの るプルガリヤの平和な民衆、ーーー老幼婦女子の戦慄すべき虐 殺、これらすべてが一挙に戦争を点火し、進展さしたのであがあるだろうか ? もし天佑によってスラヴ民族が勝利を博 る。スラヴ民族には多くの希望がある。彼らは全力を合算すすとしたところで、いかなる限度までその勝利をヨーロッパ れば十五万の戦闘員を擁し、うち四分の三以上は正規の軍隊がスラヴ民族に許すか ? 病人をすっかりその病床から引き である。しかし、肝要なのは士気である。彼らは自分たちのずり出すことを許すだろうか ? かかる予想はきわめて困難 権利を信じ、勝利を信じて邁進しているが、トルコのほうはである。むしろその反対に、新しく荘重な立会い診断をした うえで、またもや病人の治療を始めようと決議しはしな、 その狂信にもかかわらず、いちじるしい統一の欠乏と、大い ・ : かような次第で、スラヴ民族の努力は大々的成功の なる惑乱を感じている。で、もしこの惑乱が最初の接戦後に 一大恐慌に変わるとしても、あえて驚くにはあたらないので場合にすらも、ほんの鼻薬程度の酬いしか得られないかもし れない。セルビヤはおのれの力を恃んで戦場へ出はしたもの ある。おそらく、もし今後ヨーロッパの干渉さえなければ、 いうまでもなく最後の運命は、完全にロシャに依存して 必定スラヴ民族の勝利に終わると、今から予言してもよさその、 うである。ヨーロッパの干渉は、どうやら決定したらしく見いることを承知している。セルビヤは、大きな不幸を生じた えるが、しかしヨーロッパの政策に、目下確固不抜の決定的場合に自己を滅亡から守ってくれるものは、ただロシャのみ 。突如勃発した大問であり、また成功した場合、利益の maximum ( 最大限 ) を ななにものかがあろうとは断言しにく、 自国に保持することを助けてくれるのも、同じく口シャの強 題のために、すべての人がしばらく待っことに肚をきめて、 最後の決定を躊躇している形である。しかし、東方三強国の力な勢威であることを知っている。セルビヤはこれを知り、 ロシャに望みを嘱してはいるが、同時に全ヨーロッパが今や 同盟は継続しており、三君主の私的会見も継続されていると ロシャを陰密な疑心をもって眺めていることも、ロシャの地 のうわさであるから、スラヴ民族の闘争に対する不干渉は、 この方面においては目下のところ確実である。孤立したイギ位が厄介なものであることも、知り抜いている。一口にいえ それは 、つさいは未来に属するわけだが、それにしてもロシャ リスは同盟を求めているが、見つかるかどうか、 問題である。見つかるとしても、まずフランスではなかろはどう動くか ? これが問題であろうか ? すべてのロシャ人にとって、こ う。一口にいえば、全ヨーロッパは干渉することなく、キリ れは問題となり得ないし、またなるべき道理がないのであ スト教国と回教国との戦争を傍観するだろうが、しかし : これが問題に対 それはただ当分で、ある時機まで : : : 遺産分配までのことでる。ロシャは潔白に行動するであろう、 ある。とはいうものの、はたしてその遺産があり得るだろうする解答の全部である。よしやイギリス首相が政策上、議会 366