ドストエーフスキイ - みる会図書館


検索対象: ドストエーフスキイ全集14 作家の日記(上)
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1. ドストエーフスキイ全集14 作家の日記(上)

に対して答えるのは、ある考えがあってのことで、どういうに大きな成功などは、わが僧侶階級の実生活を描写した芸 考えかということは、この弁駁を読んでいるうちに、おのず術作品が、いかに多くの興味を社会に喚起し得るかを示すも と明らかになるであろう。 のである。上記の二つの作品は、わが国の僧侶を、おのおの まず第一に問題となるのは、わたしを嘲罵した人が僧侶階異なった観点から表現していて、両名とも深甚の注意と満足 級の人だということである。 この方面からは、わたしもをもって通読されたものである。それはなぜであるか ? ほ ほとんど攻撃を期待していなかった。攻撃文には「スヴヤシ かでもない、 これらの作品が立派に、芸術的に、しかも対象 チ・・カストールスキイ」と署名してある。「スヴヤシチ」に関する十分な知識をもって描かれているからである。しか スヴ・ヤシチェンニグ スヴヤシ とはなんであろう ? 僧侶のことか ? この略語は僧 し、模倣心その他なんらかの動機によって、例えば自負心 チェンニク 侶よりほかに意味のとりようがない。まして、間題は教会や、軽薄な出来心によって、芸術になんの知識もない人々が に関する事柄であるから、なおさらそうとしか思われない。 手を染めるような場合には、結果はまったく別なものになる 「グラジダニン』第十五ー十六号に、ネドーリン氏の小説『番のである。彼らはただ自分自身にも当惑するし、仕事そのも 僧』が掲載された。で、つまり、この小説をとりあげているのをも傷つけて、それに対する誤った見解を植えつけること のである。 になる。だから、かような有害な誘惑にかかって、わが僧侶 攻撃文は次のようなものである。 階級を戯画化することは不可能である。わたしも最近『ロシ ャ世界』誌上で聖歌うたいに関する、作家ドストエーフスキ 」。妻帯せる修道僧に関する独身者の考察』 イの無知文肓を指摘した聖歌読誦僧の驥に付して、おなじ 「教会の執事や僧侶などが、現代わが国の小説家や物語作家ドストエーフスキイ氏が堂々と編集者の名を署している同じ によって、その作品の主人公に選ばれることも、決してまれ『グラジダニン』誌に発見せられた、より粗笨な、より滑 ではない。また彼らが挿話的、補助的人物として小説中に現な、許すべからざる無知文盲に対して、ロを緘しているわけ われる場合は、さらに頻繁である。彼らが文学に描かれるの にゆかないのである」 は、けっこうなことといわなければならない。僧侶社会には ルースキイ・ミー 典型的人物がきわめて多いのであるから、善悪両方面とも さしあたり、この辺で止めておくとしよう。「「ロシャ世 に、もらさず彼らを描写するのは、さらさら悪いことではな界』で、作家ドストエーフスキイの無知を指摘した聖歌読誦 、。最近「祖国雑誌』に現われた『寺男の手記』の成功、そ僧の驥尾に付して」とは、なんのことだろう ? わたしはま 作の後ロシャ報知』に掲載された「僧院の人々』 ( 0 びのさらだ読んでいなか 0 た ( それにしても、またもや『ロシャ世界』

2. ドストエーフスキイ全集14 作家の日記(上)

る。くり返していうが、きみには決してこんなふうには書けへ頭脳が発達していなければならぬ、ああしたシニズムや ないし、第一、問題の本質が理解されないであろう。きみの「僧侶式の」唯物主義を少なくしなければならぬ。ああした 魂はいくぶんコチカリョフ式なところがある ( 文学的な意味人間に対する侮辱と不遜、無関心を少なくしなければなら でいっているのは、申すまでもないことで、それ以上の説明はぬ。ああした貪欲な我利我利主義を少なくして、信仰と希望 しない ) 、それはすでにご注意申しあげたとおりである : と愛を増すようにしなければならぬ ! 例えば、きみがいカ きみの創作的方法と、芸術の理解力に関してはどうかとい 冫、イ法なシニズムをもってわたしを遇し、僧職の人とも思 うに、この点プーシキンの有名なエビグラムが完全に当てはわれぬ不躾けさで奇跡を語っておられるか、自省されたがよ められると思 , つ。 。わたしはきみの文章の中で、わたしに関する次の句を読 んだとき、実にわれとわが目を疑いたいほどであった。 あるとき靴屋が絵を眺め 履物に違ったところを見つけ出す : しかし、自分は大のキリスト教徒で、しかも正教 なお 画師は筆を取りあげすぐに訂した 徒として、霊妙不可思議な奇跡さえも正教的に信じている 「それに」と腰に手を当て靴屋はつづけた と、長々しく声明したばかりの編集者ドストエーフスキイ氏 「顔も少々ゆがんでるように田 5 える が、どうしてこれを知らずにいられたか ? ことによった またこの胸もあまり剥き出しすぎはしよ、 ら、彼はこの妻帯者の僧院入り許可ということをも、奇跡の するとアベレスは勘忍袋の緒を切らし 一つに数えているのかもしれない、 それならば話は別で 「おい、お前、靴から上へロ出しするな ! 」 第一に、神父よ、きみはここでも創作をしていられる ( い 神父よ、きみはこの靴屋に寸分たがわずそのままである。 やはや、なんという旺盛な創作欲であることか ! ) わたしは ただ違うところは、きみが靴の問題でも、ネド ーリン氏に誤今までかって一度も個人として、奇跡に対する自分の信仰を りを指摘することができなかった点で、そのことはすでに十表明したことはないのである。それはすべてきみの考え出し 分証明したつもりである。内容のすりかえなどはなんの効果 たことにすぎない。だからわたしはあえておたずねするが、 のも奏しはしない。 この場合、人間の心を多少でも理解して、 いったいきみはそれをどこで発見されたか ? なおもう一つ 作「靴から上のことにも口を出す」ためには、もっと別な方面申しあげるが、もしこのフヨードル・ド ストエーフスキイが 95

3. ドストエーフスキイ全集14 作家の日記(上)

た。その時、彼らの間には次の会話が行なわれた。「待って葉もないことであると、わたしは固く信じている。その中に ください、アファナーシイ・プロコビエヴィチ、一週間の後ある多少の事実は、虚構でないとしても、少なくとも、すべ には全額もって来てさしあげますから』とドストエーフスキての事情が曲解されて、真相はめちやめちゃになったのであ しい加減察る。できるだけこれを証明しよう。 イはいった。『わたしはいま金がいるんですよ、 第一にいっておくが、わたしは兄の雑誌に関する金銭事務 してくれてもよさそうなもんじゃありませんか ! 』『今すぐ や、彼の以前の営業上のやりくりには、かってたずさわった 何になさるんですね ? 』『わたしは冬の外套がないんです、 ことがなかった。『ヴレーミャ』の編集では兄を助けたが、 冬の着物がないんです』『それなら、こうしましよう、わた しの馴染みの仕立屋がありましてね、そこならなにもかもす金の勘定にはいっさいあずからなかった。しかし『ヴレーミ つかりつけで買えますから、わたしが後であなたのお金の中ャ』が当時としてまれな、赫々たる成功を納めていたこと は、わたしにもよくわかっている。また寄稿者に対する報酬 から払っておきましよ、つよ』そこでドストエーフスキイは、 シチャポフをユダヤ人の仕立屋のところへ連れて行った。ュはつけになっているどころか、かえっていつも相当な額を先 払いにしていた。このことは幾度も自分で見たので、よく知 ダヤ人はこの歴史家に外套や、上着や、チョッキや、ズボン っている。また寄稿家にも不自山はしなかった。彼らはすで を提供した。その品質はきわめて怪しげなものだったが、請 に創刊の初年から、たくさんの文を自分で持って来たり、送 求書には非常に高くつけてあった。それには、世間馴れない って来たりした。「ヴレーミャ』の二か年半にわたる諸号を シチャポフでさえも、後で不平をこばしたくらいである」 見れば、当時の文壇における代表者の大部分が、それに関係 これは『ジェーロ』に掲載されたシチャポフの追悼記事のしていたことがわかる。もし兄が寄稿家に金を払わなかった ら、 いいかえれば、寄稿家に対して非紳士的なことをしてい 一節である。わたしはそれをだれが書いたのか知らないし、 たら、こういう盛況はあり得ないことである。もっとも、前 まに『ジェーーロ』し日 . こ会して見ず、追障記事も読まない。さ きにもいったとおり、ただ「ノーヴォエ・ヴレーミャ』から払いで大金を払っていたことについては、今でも多くの証明 転載しただけである。 者があるだろう。なにぶん、それは隅っこでこそこそやった わたしの兄はだいぶ前に死んだ。したがって、ずいぶん古ことではないのだから。当時の寄稿家は今でも大勢生きてい いことではっきりしないから、弁護はむずかしい。第一、右るから、彼らの目に映ったかぎり、また彼らの記憶に残って してみると、 いるかぎりでは、兄の経営ぶりが、どんなふうであったか の出来事に関する証人といっては一人もない。 証拠のない非難ということになる。けれど、この逸話は根もを、証明するのを拒むようなことはもちろんあるまい。要す

4. ドストエーフスキイ全集14 作家の日記(上)

十月 十一月 7 おとなしい女 ーーー空想的な物語ーー 十二月 6 8 ロ絵に横たわるドストエーフスキイ 装幀嘔倉雄策

5. ドストエーフスキイ全集14 作家の日記(上)

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 米川正夫全訳 愛蔵決定版 ドストエーフスキイ全集 全 20 巻・別巻 1 巻 ート 定価 980 円 貧しき人々 / 分身 / プロハルチン氏 / 主婦 / ポルズンコフ / 他短編 1 編 スチェパンチコヴォ村とその住人 / 弱い心 / 正直な泥棒 / 白 / 他短編 2 編 虐げられし人々 死の家の記録 / ネートチカ・ネズヴァーノヴァ 地下生活者の手記 / 初恋 / 伯父様の夢 / いやな話 / 夏象冬記 / 鰐 悪霊 ( 下 ) / 悪霊創作ノート / 永遠の夫 悪霊 ( 上 ) 白痴 ( 下 ) / 白痴創作ノート / 賭博者 白痴 ( 上 ) 罪と罰 / 罪と罰創作ノート 末成年 / 未成年創作ノート カラマーゾフの兄弟 ( 上 ) カラマーゾフの兄弟 ( 下 ) / カラマーゾフの兄弟 創作ノ 14. 15 16. 17. 19. 20 別巻 作家の日記 ( 上 ) ( 下 ) 18 書簡 ( 上 ) ( 中 ) ( 下 ) 論文・記録 ( 上 ) ( 下 ) 米川正夫著ドストエーフスキイ研究

6. ドストエーフスキイ全集14 作家の日記(上)

ドストエーフスキイ全集 14 目次 九七 五四 月 月八月月月月月月 月 作 八 / 、家 七七 の 年日 ( 上 ) 1 一二ロ 4b4 377 349 32 ノ 285 251 2 月 ~ 69 ・ 5

7. ドストエーフスキイ全集14 作家の日記(上)

ある。これを聴く弟の心はどんなであろう ? 同様に、降神 作家たちにとって、医薬のような利きめさえあるといって、 ポポ術の帰依者を賞讃して、 ( おまけに光栄まで持ち出している 「スヴォーリンはもうそんなに降神術を信じていない ルイキンノ墅糸 •) も癒たようだ、少なくものだ ! ) 彼らは今日の物質時代において、精神上のことに興 ( 説家世相写を特色とする ・癒りかけている。それからドストエーフスキイもその日記を味を持っている、科学に立脚していなくとも、信仰の上では 見ると癒っている・ : ・ : 一月には降神術に傾きかかっていた鞏固である、そして神を信仰している、といったわけであ が、三月にはもうこれを罵倒している。してみると、これる。尊敬すべき教授は、きっとたいした皮肉屋であろう。も し彼がこれを皮肉でなく淳朴にいったとすれば、まったく反 も「報告』の力だ」と説いている。してみると、尊敬すべき 対に、たいした不皮肉屋である : メンデレーエフ氏は、わたしが一月には降神術を讃美してい るとでも思ったのか ? 狐につままれたのではあるまいか ? 4 故人のために メンデレーエフ氏は、きっと並みはすれて心の善良な人に 「ヴレーミャ』誌と『エボーハ』誌の創立者で、その発行者 ちがいない。二回の講演で降神術をたたき潰しながら、彼は であるわたしの兄、十二年前に亡くなったミハイル・ミハイ 二回目の講演の結論で、これに讃辞を呈しているではない ロヴィチの記憶に泥を塗るような逸話が、「ジェーロ』誌か か。読者よ、それはいかなる理由と思われるか ? 「降神術 の帰依者に光栄あれ」と彼はいう ( いやはや ! 光栄などとら『ノーヴォエ・ヴレーミャ』紙に転載されたのを読んだ とういうわけで急にこんなことにな時、わたしは非常にいやな感じがした。この逸話を文字通り いう騒ぎになってきた、。 こい乂、し、よ、つ ったのだろう ? ) 。「帰依者に光栄あれというのは、ほかで もない、彼らが偏見をも恐れず、真理と信ずるもののために 「一八六二年、シチャポフは当時の『祖国雑誌』と、もはや いさぎよく、勇敢にたたかう戦士となったからである ! 」こ ほかの雑誌は、一時廃刊になって れはきっと憐憫の心から、いわば自分の成功に飽満したため手を切りたいと思ったが、 ・こ自作の「逃走者』を寄せた。 いたので、「ヴレーミャ』誌し に生じた、こまやかな心づかいから出た言葉であろうが、そ その秋、彼はひどく金に窮したが、「ヴレーミャ』の主筆で の結果がこまやかにいったかどうか、わたしは知らない。 、レ・ドストエーフスキイは、彼に対する これはちょうど立派な学校の校長が父兄の前で、「この生徒あった故人のミノイノ は、学力では兄のように自負することはできないし、また将金の支払いをいつまでもするずる延ばしていた。寒気は迫っ 記 の来の大成もおばっかないが、そのかわり心情は潔白で、品行てきたが、シチャポフは冬着さえ持っていなかった。ついに 作方正である」といって折紙をつけるのと、まったく同一轍で彼は我慢ができなくなり、ドストエーフスキイに来訪を乞う 3 ~ 7

8. ドストエーフスキイ全集14 作家の日記(上)

れどしつこうなんにもならなかったというわけである。少かれている。彼は妻になぐられる、しかも猛烈に容赦なくな ぐられるので、妻の折檻に耐えかねて僧院へ逃げ込み、そこ なくとも、このほうは言葉づかいだけでも丁寧であった。 で、『みずからを神に捧げ、もはや地上のことをいっさい思 「ドストエーフスキイ氏の無知なる言葉のために」云々と ルスキイわぬ』ことにしたのである。彼は僧院の囲いの中に残り、彼 う調子である。ところが、スヴヤシチ・カストー は、『聖歌読誦僧』の守った限界を、一気に飛び越えてしまを長いあいだなぐりつづけた妻は、囲いの外に立っている。 じん ・「聖歌うたいに関す彼は声高らかに聖歌の作り変えを歌う」 った。なかなか勇敢なご仁であるー る、作家ドストエーフスキイの無知文肓 : : : 」「同じドストエ ーフスキイ氏が堂々編集者として名を署している同じ「グラ 神のみむねを宣べんとて送られしもの ジダニン』誌において発見せられた、より粗笨な、より滑稽 つるぎを腕に取り持ちて な、許すべからざる無知文盲に対して、ロを緘しているわけ しこのおのこを一撃のもとに倒さん」 にゆかないのである」という騒ぎだ。 、ったいドストエーフスキイは、どんな恐ろしい犯罪をあ こう自然「ところが、捨てられた妻は、またもや「僧院の囲いの外に立 えてしたのだろう、ゆるすことさえ不可能とは , って、燃ゆるがごとき頭をその塀におし当てながら、泣いてい に考えられるではないか。僧侶は愛そのものでなければなら ぬはすであるのに、それすらもゆるすことがまかりならぬとる』そして、これからは自分が罰奴隷とも犬ともなるから』 : しかし、それにしても、いったいどんな無知文盲なの僧院に閉じこもった夫を呼び戻してくれと哀願する。けれ だろう ? どうしたわけなのか ? やむを得ぬ次第であるかど、夫は出て来ないで、そのまま僧院の中で死んでしまった。 「なんというみじめな、あり得べからざる滑稽な作り話だろ ら、カストールスキイの全文を引用して、読者のご馳走にしょ , っ ! の、不ド 1 ーリ . ン氏がいかなる人か、われわれは知らな う。「おいしいものは少しずつ」なんて、そんな斟酌はいるも 、。けれど、この人がロシャの立法も、ロシャの生活もまっ のか ? 多一、だナナっッ : っ これがわたしの説である。 たく知らないことは、いささかも論を待たないのである。彼 「本四月十六日発行の雑誌「グラジダニン』第十五ー十六号は無知のあまり、ロシャで妻帯者が僧院に入ることができ、 トーリン氏の親友知己の間において試みた物僧院でも彼をおいてくれるもののように考えているほどであ こ、「番僧ネ・ 語』が掲載された。この物語は最も虚偽にして、あり得べかる。しかし、つい最近、自分は大のキリスト教徒で、しかも らざる基礎の上に立つものである。そこには声高き番僧が描正教徒として、霊妙不可思議な奇跡さえも正教的に信じてい 「おお神よ、汝に選ばれしものこそ聖なれ !

9. ドストエーフスキイ全集14 作家の日記(上)

「それは根拠のないことて、大昔からも、家長時代からも、 である ! ) 。第八十七号をさがし出してみると、はたせるか ロシャ教会の聖歌うたいたちは、現在われわれが目撃し、また な、「聖歌読誦僧」と署名した弁駁文が載っている。はて、な マコーフスキイ氏の絵に描かれているような服装を、かって んだろうと読んでみると したことがないのである。この制服はずっと後になって、西 『聖歌合唱者の制服について』 欧から、より正確にいえば、ポーランドから輸入したもので、 ( 編集者に与う ) わが教会の尊敬すべき主教たちの間にも、この仮面舞踏会式 : フ . い、つ 「雑誌『グラジダニン』第十三号 ( 三月二十六日 ) で、わたの制服をふさわしくないと見なす人も少なくない。 しは偶然アカデミー派美術展覧会に関する・ドストエーフ人たちの合唱隊に所属する歌うたいたちは、普通の黒い上着 スキイ氏の論文を一読した。ドストエーフスキイ氏はその文を着て歌っているが、このほうがポーランドの唐人服よりも はるかにおとなしく、上品である。「大昔』も、「家長』時代 章の中で、画家マコーフスキイの描いた『聖歌読誦僧』を問 アジャーム 題に取りあげながら、次のようなことを書いている。『一同も、歌うたいたちは長い黒の上着を着て、手には必ず数珠を持 ち、立ったまま歌っていたものである。現今でも、一信教徒や は正式の服装をして、下あごをいとも滑らかに剃り上げてい る。もっとも、すべての聖歌うたいは、ただ勤行の時にこの祈蒋派分離教徒の教会では、このように立って歌うのである」 ような衣裳を着るだけで、大昔からこのような衣裳を着てお Z ・この文章でみると、現在、正教会の寺院では、歌 り大昔から、家長時代から、そういう慣わしになっている うたいがすわったまま歌うということになってくる。もの知 のは事実だ : ・・ : 』」 りの話を聞くのは、いつも有益なものである。 「ドストエーフスキイ氏の無知なる言葉のために、とっくの ここでちょっと合の手を入れよう、第一に、わたしの書い 昔からロシャ式に改正する必要のあったこの制服に関して たものの中には、そんなばかげた文句などないはずである。 「もっとも、すべての聖歌う ( これを改正しなければ地震でも起こるというのだろう わたしはこう書いたのだ、 か ? ) 、根も葉もない考えが一般に植えつけられることを恐 こ、は、ただ勤行の時にこのような衣裳を着るだけで、大昔 から、家長時代から、そういう慣わしになっているのは事実れて ( とんでもないことを恐れたものだ ! ) 余はあえて『ロ シャ世界』の編集者にこの小文の掲載を乞う次第である。 ・ : 」それとこれはまったく別物なのである。 聖歌読誦僧」 さらに引用を←机けよ , つ。

10. ドストエーフスキイ全集14 作家の日記(上)

トルコ王の統裁している回教の治下にあるために、正教会は ると、長々しく声明したばかりの編集者ドストエーフスキイ ロシャよりも種々な点ではるかに自由な活動をしている。こ 氏が、どうしてこれを知らずにいられたか ? ことによった ら、彼はこの妻帯者の僧院入り許可ということをも、奇跡のこの僧院では、周知のごとく、僧門に入らんとする妻帯者を ならば話は別であもはばからず受け入れる。だから、ここでこそ、女房に容赦 一つに数えているのかもしれない、 なく打ちのめされるロシャの番僧も、安住の地を見いだして、 る。が、たとえわずかでも法律と教会の規則を知っているも のなら、かような奇跡さえもわが国では不可能であること祈ったり歌ったりすることができたであろう。ただし、『グ ラジダニン』の番僧が歌ったような作り変えの聖歌を歌うの を、たやすくドストエーフスキイ氏に納得させることができ るだろう。なぜというに、それは厳かに禁止されていることでは断じてない。なぜかといえば、第一に、万人の熟知してい であって、わが国の成文によって罰せられ、いかなる僧院のるとおり、この作り変えの詩は、僧侶の間で一顧の注意もはら 権威をも 0 てしても、この掟を破ることはできず、したがつわれていないし、第二には、この種類の聖歌は音楽化されて いないから、したがって、実際に歌われてもいず、第三には、 て、妻帯者を僧院に採用することはしないのである。 「物語『番僧』のきわめて貧弱な、不器用に構成されたプロ俗世間で作られた替え歌は、正教僧院の壁の中では歌うこと ットは、もしはんとうらしい始未がつけられていたら、なんも許されていないからである。この禁制をないがしろにする ことは、僧院内に住む何人といえども、あえてしないところ といっても、多少の効果をあげることができたに相違ない。 またそうすることは、少しでも描かれている対象の生態を知である。かかる場所にふさわしい静寂を破るのが、望ましく ないからである。 っている作家、もしくは編集者にとって、決して不可能では スヴヤシチ・・カストールスキイ」 ないのである。例えば、この物語は、番僧がロやかましい女 房にたまりかねて、方々の僧院へ逃げ込んでみたが、あると さて、これから一つ一つの要点について答弁を試み、第一 ころでは妻帯者という理由で、僧院の当局が追い出すし、ま に、小説『番僧』が決して世相小説でないことを説明して、 たあるところでは、女房が亭主を引き戻し、またもやぶんな ぐるようになる : : : といったような、だれにでも納得のゆく最も肝要な点で、僧侶カストールスキイの興奮を鎮めようと 劇的シチュエーションにまで持ってゆくこともできたのであ思う。尊敬すべき作者ネドーリン氏は ( これはペンネームで 記る。そのとき不運な番僧は、ロシャ本国では女房をのがれるはない ) 、生涯の一部分を最も充実せる国家勤務に捧げた人 で、今の場合、教会の生活相などには、なんのかかわりもな の道がないのを見て、僧院生活に依然として憧れるあまりに、 いのである。主人公の「番僧」はなにかほかのもの、例え 例えていえば、アトスへ逃れることにしてもよい、ここでは