なれば、物の本質は人間に把握しがたいもので、人間はそのければ、流れ移る形においてでなく、すでに完成した姿にお いて描かれる歴史的現実などとは正反対なものである ( ここ 感情を通して、彼のイデーに反映する自然を感受するにすぎ ないからである。したがって、理念をもっと自由に働かせて、で注を入れておくが、われわれは「自分の目で見た」といっ たが、デイケンズは決して自分の目でビグウィッグを見はし 理想的なものを恐れぬようにしなければならぬ。例えば、肖 なかった。ただ自分の観察した現実の種々相の中にそれを認 像画家は自分の描こうとする人をすわらせて、しばらくは準 備をしながら、じっと見つめるものである。それはなんのためて、一つの人物を創造し、自己の観察の結果として表示し たのである。かようなわけで、デイケンズは現実の中からた めにするか ? ほかでもない、彼は人間がいつも自分自身に だ理想を取って来ただけであるが、この人物は真に実在した 似ているものではないということを、実験に徴して知ってい ものと同じように、現実的なのである ) 。しかるに、わが国 るので、「その人の相貌のおもなる理念」をつかもうとする、 しいかえれば、対象人物が最も自分自身に似る瞬間を求めるでは現実というものに関する観念の混淆が生じている。例え のである。この瞬間を求めかっ把握する能力にこそ、肖像画ば、芸術における歴史的現実は、移り流れる現実 ( ジャン ル ) とは同一でない。なぜというに、それは完了したもので、 家の天分が存するのである。したがって、この場合、画家は なにをしているかというと、つまり、目前の現実よりもむしろ移り流れるものでないからである。どんな心理学者にきい もし過去の事 てみても、次のように説明するであろう、 ・自分の理念を ( すなわち理想を ) 信頼していることになる。 実際、理想も移り流れる現実と同じく合法的ではないか。わ件、ことに遠い過去において完了した歴史的な事件を想像す るならば ( 生きていて過去を想像せぬということは不可能で が国ではどうも多数の人がそれを知らないらしい。例えば、 プロンニコフの『ビタゴラス派の頌歌』などがそれである。 ある ) 、事件は必ずや完了した形において浮かんでくるに相 風俗派の画家は ( 最も才能すぐれた人々さえ ) 、どうして現違ない。それのみか、芸術家が人物なり事件なりを想像しょ 代画家がかような主題を取り扱うことができるかと、驚いてうと努めているその歴史的瞬間には、まだ発生しなかった次 いるほどである。しかるに、かようなテーマ ( ほとんどフアの事件の展開までも残りなく伴なって来るであろう。それゆ ンタスチッグな ) が、移り流れる現実とひとしく現実的であえ、歴史的事件の本質は画家の想像には、現実に行なわれた のと寸分たがわずに浮かぶということは、あり得ないのであ り、芸術にも人間にも必要欠くべからざるものなのである。 風俗画とはそもそもいかなるものか ? 風俗画は画家自身る。かような次第で、画家は心にもなく「理想派ぶる」こと のがみずから内的に体験し、自分自身の目で見た移り流れる現になり、彼らの考え方によると、うそをつくことになりはせ 作代の現実の再現であって、自分自身の目で見ることもできなぬかという迷信的な恐怖に捕えられる。この仮想の誤謬を避
なにしをみとめない、 絶対にみとめることをこばんで、そこで しかし、こんな予防線でうまくゆくはずがないー それはわれ ろ、地獄だって、善意で道路がしきつめられているというで一段落ついてしまった。いずれが正しいか、 : なしか。ドストエーフスキイ氏も、「実践の伴わない信仰われが決定しなくとも、おそらく割合にはやく決定されるだ は死物である』ことは知っているはずである。いったいこのろう。近ごろロシャには、保護的な力を持ったものが何もな いようだ、なぜならば、「保護すべきなにものもない」から、 理想は、どういうところから知られるにいたったか ? もし いっさいの現実が理想に矛盾撞着し、理想にかけ離れているという意味の声が高い。実際、もし自分の理想というものが とすれば、 いかなる予言者ないしは心理学者がこれに透徹なければ、心配したり、なにかを守ったりする必要がないわ し、これを推知することができるのか ? トストエーフスキけである。もしかような考え方が静謐をもたらすならば、そ イ氏は、「彼らも少しは喧嘩するが、そのかわり、もう洒はれこそおめでとう、である。 口にしない』という意味で、わが民衆を弁護している。けれ「民衆は恐ろしくやくざなものだが、彼らの理想だけは良 ど、そういってしまえば、『むしろ理想は悪くとも、現実の い」この句、もしくはこの思想は、わたしのかっていった覚 良いのが望ましい』という教訓に落ちて行くのは、造作のなえがないものである。わたしはそれを明らかにするために、 これだけをガンマ氏に答えておく。それどころか、わたしは いことである」 民衆の中にも、「まるで聖人のようなものがある、中にはみす この引川の中で、最も重大なのは、「、つこ、 しオしこの理想 ( すから光を放って、われわれ一同の道を照らすものさえある」 なわち民衆の理想 ) はどうして知れたのか ? 」というガンマとのべたのである。尊敬すべき評論家よ、彼らは実際に存在 氏の質問である。しかし、わたしはこういう質問に答えるしているのであって、彼らの本体を見分け得るものは、幸福 のは頭からお断わりである。なぜなら、どれだけガンマ氏とである。わたしはそこに、これらの一一「ロ葉には、少しも曖昧な この問題を論じ合ったところで、いかなる結論にも到着しつ ところがないと思う。元来、曖昧というものは、筆者が曖昧 こないからである。これは非常に長たらしい議論になるが、 なために起こるとは決まっていず、時には、まったく反対の われわれにとっては最も重大なものである。民衆には理想が理山から生ずることもあるのだ : これこそわれわれに あるか、あるいはぜんぜんないか、 きみが論文の終わりにいっている、「むしろ理想は悪くと とって生か死かの問題である。この議論はすいぶん久しい前も、現実の良いのが望ましい」という教訓については、これ からたたかわされているが、あるものにとっては、この理想はまったく有り得べからざる希望である、と申しあげたい。 が太陽のごとく明白となっているのに、他のものは毫もこれなぜなら、理想がなくては、すなわちより良きものに対する、
な出版者に雇われている三文文士にすぎないことを、知り抜が、戦場へとあせる青年に向かって、次のようにいってい いているからである。おんみは雇われている以上、彼を擁護る。 すべき義務がある。ところで、彼は ( ほかのなにものでもな い ) だれでも自分の好き勝手な人間に、おんみをけしかける われは怒る、おんみが千軍万馬の間に のである。 慎ましやかなる、ヘりくだりたるものごしと、 こういうわけで、おんみの内部にこめられた憤怒も狂暴性 優しさと恥らいの美しさをば とわ も、おんみのあの騒々しい吠え声も、 すべてはお雇いの 永遠に失い果てんことを。 ものであり、他人の手によってけしかけられたものにすぎな いのである。もしおんみが自分自身のために起ったのなら、 ああ、おんみはこれらすべてをとっくの昔、永遠に失って それはけっこうなことなのだが ! 事実は正反対なのであしまったのだ ! おんみは論敵の雑文家と討論するさまをみ る。余がおんみを見て何よりもあきれ返るのは、ほかでもなずから顧みて、おのれの悪罵がいかなる程度にまで達したか おんみがついには真剣に熱中して、しんじつ自分のことを悟るべきである ! なぜならば、おんみらは互いに敵手を のようにむきになり、あたかも自己の愛する理想、自己の貴描き出しているはどには、決して陋劣でないからである。少 き信念を守ろうとでもするように、論敵の雑文家を相手に 年時代に子供らが喧嘩するおもな原因は、まだ合理的に自己 悪罵を逞しゅうすることである。しかも、おんみは自己の理の思想を表白することを学んでいないがためである。すべか 想を持たず、信念などはとっくの昔に失くしてしまっているらく、このことを想起するがよい。半白の少年たるおんみは ことを自分でも承知なのではないか。それとも、ことによっ 思想を持たないがために、ありたけの言葉を一時に使って罵 たら、長年の熱狂や醜悪な成功に対する陶酔のために、おんり合う、 まさに拙劣な方法である ! まったく信念と真 みはついに自分にも理想がある、自分でも信念を持っことが実の学識を持たぬために、おんみは論敵の私生活に潜入せん できると、夢想するにいたったのか ? もしそうとすれば、 と努力し、その失策を貪るがごとく探知し、これを歪曲し いったいどうして余の尊敬を得ようなどと、期待することがて、神聖なるべき公けの機関に発表するのである。相手の妻 できるのか ? 子をも容赦しない。お互いに相手を死んだもの扱いにして、 かってはおんみも潔白、端正な青年であった : : : おお、プ互いに相手のことを墓碑銘もどきの落首に書き連ねるので ーシキンの詩を思い出してくれたまえ。これは余の記憶にしある。ひとつおたずねするが、だれがそもそもおんみの言葉 て誤りなくば、ベルシャ語からの翻訳で、尊敬さるべき老人を信ずるものがあろう ? 唾とインキのとばっちりだらけな
化した階級的な分子がない。時には、少数な除外例がまれに 事に対しても、まるつきり無能力者であることがわかったの で、自然の結果として、みんなだしぬけに、互いに相手の髪あるとしても、それは一種日陰もののような具合で、すべて の毛をつかみはじめた。しかも、自分の無能を強く自覚すれの人から軽蔑されている。これはなかなか重大な事実であ る。なぜというに、それは決して不十分でないばかりか、む ばするだけ、なおさらよけいに喧嘩を吹きかけたがるのだ。 しかし、それがどうして悪いのだろう、とわたしは読者諸しろ十分すぎるくらいなのである。まったく口シャにとって は、それだけで十分なのだ。このうえ「確たる憎悪」などと これはただいじらしいばかりではない 君におたずねしたい。 うものに、なんの要があろう ? ロシャの社会の潔白誠実 。子供が喧嘩するのい か。試みに子供を観察してみるがいい は、まだ自分の思想を表白するすべを学ばない時である。わは、疑惑を入れる余地がないばかりか、一見してありありと しっと「す . に観客 ( すると、こ、フい、フ一 ) 目に映るではないか。・ れわれもつまりそれと変わりがないのだ。こういうわけで、 ロシャではますなによりも、思想や理想に 毫も悲観すべきことはない。それどころか、この事実は部分とがわかる、 的に見れば、ロシャ人がいわばまだ口をきらない、新詳な国対する信念がさきに立 0 て、個人的な地上の幸福はその後に 民だということを証明するくらいである。例えば、ロシャの来るのだ。 むろん、ロシャでもよからぬ小人どもが、いろいろなこと 文学は思想というものを持たぬために、ありとあらゆる言葉 を一時に浴びせかけてののしり合 0 ている。その態度がなんをしでかしてはいる。しかも、ぜんぜん正反対な意味合いで ともいえぬほど無邪気で、原始民族でなければ見られない図そんなことをするのだ。あるいは過去のいかなる時代より も、現代はそうした事実がいちばん多いかもしれぬ。しか である。しかし、まったくのところ、その中にさえ、しつこ し、こういうやくざ者は決して輿論を左右することがなく、 一種人を感動させるようなところがある。ほか しようだが、 したがって、一世を指導するというようなことはできない。 でもない、ほんとうの罵倒の仕方さえ知らない、へまで、う それどころか、名誉や尊敬の頂上にありながら、理想家肌の ぶな点である。 わたしは決して冷笑しているのでも、愚弄しているのでも抽象的な若い人、自分にとては滑格に見える貧しい人たち に、意気地なくも調子を合わすというようなことは、一再な ロシャには正直で明るい善の翹望が、随処に瀰漫して らず見うけるところである。この意味においてロシャの社会 いる ( 人がなんといおうとも、実際それに相違ないのだ ) 。 記それは共同の事業、一般の幸福の翹望である。それはあらゆは、変転つねなき現世の興味以上に、信仰と理想を尊重する のる利己主義のさきに立「ている。この翹望は最も素朴なもの民衆と共通な点を有している。そして、社会と民衆とのおも 乍で、清い信仰に充ちている。しかも、その中には少しも個別なる融合点は、この中に含まれているのである。この理想主幻
理的意義である。わたしは自分の印象を読者にわかたないでおくのでなく、決定的、判断的な言葉を述べ、おまけに、必 はいられない。 ず相当な影響を与えるような発表の仕方をしなければならな グラノーフスキイは、当時の人々の中でも純潔無比の人でくなると、たちまち何かの奇跡でも起こったように、頭から あった。それは一点非の打ちどころのない、美しいあるもの足の爪さきまで頑固な現実主義者となり、散文家に豹変する であった。最高の意味における四十年代の理想主義者であばかりか、シニックにすらなってしまう。のみならす、彼は り、一種共通の型にはまっていた当時の先覚者の間にあってこのシニズムや散文を誇りとさえする。そこが問題なのであ は、疑いもなく個性的な、きわめてオリジナルな、独自の陰る。意見を提出して、舌鼓を鳴らし、悦に入るのである。理 影を持っていた。それは潔白このうえもないわがスチパ 想は二東三文、理想はナンセンスだ、詩だ、歌だ。理想の代 と、うわけだ ン・トロフィーモヴィチ ( わたしが小説「悪霊』の中で登場わりにただ「現実的真実」さえ追求すれま、、 さした四十年代の理想主義の典型で、この点はわが批評家諸が、いつも薬が利きすぎて、現実的真実ならぬシニズムにな 氏も、正確に把握されていると認めてくれた。なにしろ、わってしまう。そしてシニズムの中に真実を求め、シニズムの たしはスチェパン・トロフィーモヴィチを愛し、深く彼を尊中に真実を予想するのである。粗暴であればあるほど、ぶつ 敬している ) の一人であったが、おそらく、このタイプに、 きら棒で、無情であればあるほど、彼にいわせると、より現 しささかも 4 ロんでいないらしい。 なり特有の喜劇的分子は、、 実的なのである。なぜそんなことになるのか ? はかでもな にもかかわらず、わたしは論文の心理的意義がびんと頭にき 、わが理想主義者はこのような場合、必ず自分の理想主義 たといったが、この考えがすこぶる面白く思われたのであを恥じるからである。人から、「ふん、お前は理想主義者じ る。読者には同意していただけるかどうか知らないが、わが ゃなしか、お前なんかに『実際問題』がなんでわかる。ま ーかーし、 ロシャの理想主義者、ーー自分が世間からもつばら理想主義あ、勝手に美しきもののお説教でもしてるがいい 者と見られ、いわゆる「美しく高遠なるもの」の「特許権を『実際問題』の解決はわれわれにまかせておいてもらいたい」 有する」宣伝者と認められているのを、ちゃんと承知してい といわれるのを、恥じ恐れるからである。プーシキンでさえ る名うての理想主義者が、とっぜん何かの場合、何かの事件この傾向があった。あの偉大なる詩人が一再ならず、自分が ( しかし、これはもう実際的な、時事に関する「ほんとう」単なる詩人にすぎないことを恥じていた。ことによったら、 記の事件で、詩などとはてんで違う、重大なまじめな、いわば この傾向は他の国民性の中にも見受けられるかもしれない の公民的な問題 ) に対して、自分の意見を提出なり発表なりすが、おそらくそんなことはあるまい。少なくとも、われわれ 作る必要に迫られると、 それもいい加減に軽くあしらってと同程度には存在しないだろう。ヨーロッパでは、すべての
心を乾からびさすなにか新しい学校を、心の中に思い浮かべ る。それは必要に応じて、すこやかな感情を毀損する学校で ある。需要と要求に応じて、大胆不敵にあらゆる侵犯をおこ なって、しかも罰せられることのない学校である。われわれ の不馴れなために、かかる行為を一種の原則のように祭りあ げ、まるでえらいことか何そのように、衆人に拍手されなが ら、不断にうむことなく活動している学校である。はたして 「理想はむしろ悪くとも現実の良いの わたしは、弁護士制と新しい裁判を侵害しようとしているの が切王工しい」とは正しき田相か ? ・ だろうか ? とんでもない、わたしはただわれわれ一同がも ガンマ氏の『一葉の紙』と題する論文の中でゴーロス与 う少しよくなるように望んでいるばかりである。希望は最も つつましいものであるが、悲しいかな、それが最も高い理想紙第六十七号 ) わたしは、二月の『日記』に載せた民衆に関 するわたしの感想に対して、次のような批評を読んだ。 となるのである。わたしはとうてい矯正することのできない 理想主義者である。わたしは神聖さを求めている。わたしは 「とにもかくにも、わずか一か月のへだたりで、同一の作家、 それを愛する。わたしの心はそれを渇望している。なぜな 、民衆について極端に相反する二つの意見を発表しているの ら、わたしは神聖さがなくては生きられないように創られてが いるのだから。しかも、わたしは少しでもよけいに神聖な聖を、われわれは見せられたわけである。それは茶番でもなけ れば、巡回展覧会の絵でもない、生きた有機体に下した宣告 物がほしい、さもなくば、崇拝する値打ちがないではない か ? いずれにしても、わたしは憂鬱な題目に法外もない贅である。これは人間のからだをナイフで抉るのと同じことで 言を費して、二月の日記を台なしにしてしまった、というのある。ドストエーフスキイ氏は、『彼らのあるがままの姿に も、ただただこの題目があまりに強いショックを与えたからよらずして、彼らがかくあらんと望んでいるものによって』 である。けれど、 il faut avoir le courage de son 名一・民衆を批判することをわれわれに勧めて、自分の現実的もし くは架空的矛盾に予防線を張っている。実際の民衆は、ご承 n ぎ n. ( 自己の主張に忠なる勇気がなくてはならぬ ) 。そして、この 記賢いフランスの諺は、迷いやすいこの現代において、自己の知のとおり、恐ろしくやくざなものであるが、そのかわり、 の疑問に対する答えを求めている多くの人たちにとって、一つ彼らには良き理想がある。その理想は『強くかっ神聖で』あ って、それが『苦悩時代に民衆をすくった』といっている。謇 作の指針ともなるであろう。
作家の日記 人が、はたしてたくさんいるだろうか ? 」と『ノーヴォエ・ ヴレーミャ』紙はつけ加えている。わたしはまだあると思 う。現在の不安な状態から推せば、今ではかえって前より多 いくらいかもしれない。 ロシャには種々雑多の意味におい て、不安を感するものは常にかなりたくさんあった。われわ 第 1 章 れも世間でいうほどには眠っていない。けれど、問題は不安 を感ずるものがいるということではなく、彼らがい力に半げ 植物的停滞生活の理想握り屋と百姓い するかということである。ューリイ・サマ ーリンの場合にお じめロシャを追いこくる上流の紳士 いては、われわれはしつかりした深い思想家を喪ったわけ で、そこに損失がある。旧い力は消えていくが、新しい来る本年の「ロシャ報知』三月号に、氏すなわちアフ , セエン べき人たちを見定めようとしても、いまだに目がちらちらしコ氏のわたしに対する「批評」が掲載された。アフセエンコ ・て、はっきり突き留められない。 氏に答えたところでなんの益もない。あれ以上、自分の書い ていることに徹底できない作家は、想像することさえむずか しいからである。また、彼が徹底したにもせよ、要するに同 じことである。彼の論文の中で、わたしに関していることは ことごとく、われわれ文化人は民衆の前に拝跪するにおよば なぜならば、「民衆の理想は主として植物的停滞生 活の理想であるから」、かえって、民衆はわれわれ文化人の 教化を受け、われわれの思想やわれわれの形態を体得しなけ ればならない、 というテーマを取りあっかっているのであ る。要するに、アフセエンコ氏は、二月の「日記』に書 た、わたしの民衆に関する言葉が、気に入らないのである。 思うに、そこには一つ曖昧な点があって、それはわたし自身 がわるかったのである。曖昧な点はあきらかにしなければな らないが、アフセエンコ氏に答えることは、文字どおり不可 四月
だれにも増してキリスト教徒であったかもしれない。 もちろどころか、ジョルジュ・サンドは、自分の作品の中で一再な ん、フランス人であるジョルジュ・サンドは、自国の同胞のらず、これらの真理の美しさに誘惑され、一再ならず真実無 見解にしたがって、「全宇宙に彼をおきて人間の霊を救い得比な宥恕と愛の典型を具現している。彼女について書いたも ん名はなかるべし」という正教の根本信条を、自覚的に信奉のを見ると、彼女はその生を終わるまで、付近の農民の友と することはできなかった。しかし、これらの皮相な形式的矛して働き、友だちからは無限の愛を受けながら、立派な一人 盾にもかかわらず、くり返しいうが、ジョルジュ・サンドはの母親として死んだとのことである。一見、自分の貴族的 自分ではそれと知らずに、このうえなく完全なキリスト信奉出生を尊重する傾向がいくらかあったようであるが ( 彼女 者の一人であったかもしれないのである。彼女が自分の社会は、母方からいうと、サグソニヤ王家の出であった ) 、もし 主義や、自分の信念や、希望ないし理想の基礎としたのは、彼女が他人の貴族主義をも尊重したとすれば、それはもち 人間の道徳的感情、人類の精神的渇望、その完成と純潔に対ろん、ただ人間精神の完成にもとづくものにほかならぬ、と する希求であって、決して蟻塚式の必要観念ではないので確言することができる。彼女は偉大なるものを愛せずには ある。彼女は絶対に人間の人格を信じ ( その不死まで信じ いられず、卑賤なるものと妥協することや、理想を譲ること つまり、この意味において、彼女は て ) 、生涯その観念をおのれの作品の一つ一つに昻揚し拡充ができなかった、 し、それによって思想的にも、感情的にもキリスト教の最もあまりに傲慢であったかもしれないのである。事実、彼女は 根本的な思想の一つ、すなわち人格とその自由 ( したがってまた、偉大なキリスト教徒であるデイケンズのほとんどすべ その責任 ) を認識する思想と一致しているのである。そこかての小説に出て来るような、謙遜で、公正ではあるが、譲 ュロージヴ . アヤ らまた義務の自覚も、それに対する厳格な道徳的要求も、人歩しやすい、宗教的畸人じみた、打ちひしがれたような人 間としての責任の完全な意識も生じて来る。そしておそら物を、自分の作品に登場させることを好まなかった。反対 に、女主人公たちに高い矜持を保たせ、さながら女王のごと 彼女の時代のフランスには、「人はパンのみにて生くる く描き出した。彼女はそれが好きであったので、この特長は ものにあらず」ということを、あれほど力強く理解していた 作家、思想家は、ほかになかったであろう。 認めておかなければならぬ。それはかなり独自なものであ る。 彼女の要求と抗議の傲岸云々という点に関しては、もうい 記ちどくり返していうが、この傲岸は決して慈悲とか、侮辱の 日ゅうじよ の宥恕とか、進んでは、当の侮辱者に対する同情にもとづく無 第 2 章 窪際限の忍耐とすら、両立しがたいものではない。いな、それ 357
たりゃんでしまったからである。最後の理由としては、もしと、彼はある原稿の中でみずから発表している。新しい雑誌 わたしがだれかに答弁の必要を感じたら、彼の援けをからずなり新聞なりが創刊されると、彼はもうさっそくそこへ駆け つけて、講釈をいったり、教訓を授けたりする。彼がある新 とも、自分で立派にそれをやってのける、とこんなふうにい 聞に四十通まで手紙を送ったというのは、まぎれもない事実 ったのである。 彼はすっかり腹を立てて、わたしと喧嘩したあげく、帰っである。つまり、編集の方法、新聞雑誌としてのとるべき態 てしまった。わたしはむしろそれを喜んだ。あれは病的な人度、何を書くべきか、何に注意をむけるべきか、というよう 間なのだ : : : すでに本誌に掲載された文章のなかでも、彼はなことである。本誌の編集局にも、二か月ばかりの間に、彼 自分の伝記の一節を伝えているが、これは悲劇に陥った人間の手紙が二十八通までたまった。彼はいつもフルネームで原 であり、かっ毎日のようにみずからを「悲観させている」人稿を書くので、彼の名はもうどこでも知っている。なけなし 間である。しかし、なによりも厄介なことには、この寄稿家の金を郵税にはたきあげるばかりでなく、手紙の中に新しい の「公民的エネルギー」の突拍子もない力に、わたしは脅か切手まで封入しておく。それは、首尾よく目的を達して、編 集者と公民的な書信の往復を始めようと、予想しているから されている始末なので。ひとっ想像してみていただきたい、 彼は劈頭第一に、自分は稿料など少しも要求しない、ただである。わたしが一番あきれさせられたのは、彼のよこした 二十八通の手紙を読んでさえも、いったいどんな主義傾向の 「ある公民の義務」のために書いているのだ、と声明した。 それどころか、彼は自分の損になるのもかまわず、傲然たる人やら、また全体なにを目指してこんなに努力しているのや 態度で率直に、自分は決して貴下を弁護するために書いたのら、とんと見当もっきかねることである。それはまるで支離 ではなく、ただどこの編集局でも掲載してくれないから、自滅裂な寝言である : : : 態度が粗野で、赤っ鼻や、「悲観の匂 い」や、前後を忘れた文句や、破れ靴などが、無恥の印象を 分の思想を世に問うために書いたのだ、とわたしに告白した くらいである。手つとり早くいえば、彼はたとえ無報酬で与えるのと同時に、なにかしらこまやかな愛情とか、理想的 なものに対する秘められたる翹望や、美に対する信仰や、失 も、自分の思想を不断に発表する可能を得るために、本誌 一定の欄をあてがってもらおうという、うまい下心を持ってわれたるなにものかに対する Sehnsucht ( 憧憬 ) などが閃め いている。しかも、それが彼においては、きわめて忌わしい いたのである、いったいこれはどんな思想だろう ? 彼はあ ものになるのである。全体にわたしはこの男に飽き飽きして 記らゆる事柄について筆を呵し、あらゆる問題に対して悲痛、 しまった。もっとも、彼はおおっぴらに粗暴な振舞いをし の狂暴、皮肉、「感激の涙」などを交えて反応している。 ーセントは感激の涙だ ! 」て、そのために金をねだったりしないから、ある点からいえ - 作「九十パーセントは皮肉で、一。
民衆に関する問題、民衆の見方に関する問題、民衆の解釈・ にいたるまで、この天才の偉大さをまだ十分に評価できない に関する問題は、目下ロシャにとってなによりもっとも重大一 でいるのだ。現代の文学に現われた純国民的なもろもろのタ イプについては、今さらくり返すのをやめにするが、ただオな問題で、この中にわが国の未来ぜんたいが含まれている。 ツルゲーネフの「貴それゆえ、現代のロシャにとって、もっとも実際的な問題だ プローモフを思い出していただきたい。 くらいである ! とはいうものの、民衆はわ 族の巣しを想起していただきたい・むろんこの中に出て来るといってもいい 人々は農民ではないけれど、ゴンチャロフとツルゲーネフのれわれ一同にとって、まだ依然として一つの理論にすぎず、 創り出したこれらのタイプの有している永遠な美しいもの一個の謎であることに変わりはない。われわれ民衆の愛慕者 と称するやからは、すべて彼らを理論として眺めているのみ は、すべて民衆にふれたところから生まれて来たのである。 この民衆との接触が、彼らになみなみならぬ力を賦与したのである。そして、まだわれわれのうちだれ一人として、現在 である。彼らは民衆から単純と、謙抑と広い理解力と、毒念あるがままのものとして彼らを愛しているむのは、ないらし 。われわれはすべて、おのおの自分の心に描いている民衆 を解せぬ心とを借りたのである。すべてひねこじれた贋もの 、。はなはだしき場合には、も の付焼刃や、卑屈な借りものに正反対ないっさいのものを習を愛しているにすぎないらしし し後でロシャの民衆が、おのおのの心に描いているようなも・ 得したのだ。どうか、わたしがとっぜんロシャ文学の話など 始めたのに、驚かないでいただきたい。 しかしわがロシャ文のでないとわかったら、彼らに熱烈な愛をいだいているにも一 学の功績はほかでもない、すなわち現代のインテリゲンチャかかわらず、われわれはすべて、少しも惜しげなく、さっそ にさきんじて ( この事実にとくに注意していただきたい ) 、 く彼らに背を向けてしまう。わたしはすべての人についてい その優れたる代表者を挙げてことごとく、民衆の有せる真理っているので、スラヴ主義者さえ除外例とはしていない。そ の前に跪拝して、民衆の理想をもって真にうるわしき理想とれどころか、彼らこそ一番ひどいかもしれない。 認めた点に存するのである。もっとも、ロシャ文学が民衆の わたし自身のことに関しては、わたしは自分の信念を隠そ うとは思わない。なぜなら、わたしは不要な誤解を避けるた 理想を取って範としたのは、、 しくぶん無意識的にほかから強 制せられたような気味もある。つまり、みずから進んでやつめに、この「日記』の進むべき方向を、いっそう明瞭に指示 たというより、むしろ芸術的敏感のほうが余分に働いているしておきたいからである。そうすれば、文学者としてわたし 記らしい しかし、文学の話は今のところ、こんなものでたく に手をさし伸べる必要があるかないかを、世間の人が前もっ のさんだ。それにわたしがこんな話を持ち出したのも、ただ民て承知してくれるに相違ない。わたしはこんなふうに考えて われわれは自分自身を民衆の理想として誇り、民 衆のことがいいたかったからである。