前で行なわれるにもせよ、根本的において変わりはない。最最後に、もう一つの考案をつけ加えよう。もしいっさいの 0 戈こ 世界的事件について、それがいかに皮相な見方をもってして ( 四 ) ( これはわたしのすべての予言のうち、最も臆測のは も、きわめて重大な意義を有するような場合、「今日は昨日 なはだしい、架空的なものと名づけられても仕方がない、わのごとし、明日もまた今日のごとからん」という原則を固執 たしは初めからそれに同意しておく。 ) わたしの確信すると して判断するならば、この原則が国民および人類の歴史と、 ころでは、たたかいは東方にとって、東方同盟にとって、有完全に背馳することが明瞭になるだろう。にもかかわらず、 利に終局を告げる。ロシャとしては、近東戦争が全欧州戦争冷静な現実的良識は、この見方を是としているので、明日に と合流したからとて、恐れることは少しもないので、むしろも事態が昨日までとは全然ことなった形をとって、万人の目 事態がそのように解決されたら、結局そのはうがよいのであ前に現出するだろう、などという考えを洩らそうものなら、 る。おお、そのようにおびただしい人間の血が流れるのよ、 。いその人はだれにもあれ世間の嘲笑と、非難を浴びせかけられ 、つまでもなく、恐ろしいことには . 相 . ( ない しかし、このるにきまっている。たとえば、かなり多くの人々は、すでに 流血が疑いもなく、これに十倍する流血から、ヨーロッパを事実が目の前にあっても、僧権派の運動はきわめて些々たる 救うだろうと考えたならば、そこに慰藉が見いだされるので事柄であって、ガンべッタがちょっと演説すれば、何事も昨 ある。実際、事態が延期されて、もう一度さきのほうへ移さ日までのとおりになってしまうし、露土戦争は冬までには終 れれば、そういうことになるにきまっているのだ。い ま流血わる可能性が非常に濃厚で、それがすめば、またこれまでど を踏み越えて行けば、この偉大なる闘争は、疑いもなく、迅おり、取引所の投機や鉄道事業が始まり、ループリの相場が 速に終わりを告げるのだから、なおさらである。そのかわり、あがって、われわれは外国漫遊に出かけられる、等々の妄想 幾多の問題 ( フランスの運命を含むローマン・カトリックのをいだいているではないか。旧秩序の継続の不可能なこと 間題、ドイツ問題、近東問題、回教徒問題 ) が、最後的に解は、前世紀の終わりにフランスから始まった最初のヨーロッ 決され、以前のような時局の進展ぶりでは、とうてい解くこ ハの革命の前夜、ヨーロッパの先覚者にとって、明白な真理 とのできない無数の事件が処理せられ、ヨーロッパの面目がであった。しかし、三部会招集の直前においてさえも、この 一新されて、人間関係においても、幾多の新しい進歩的なも事態が発生したすぐ翌日、どういう形に変わって行くかを見一 のが始まるに相違ないから、疑いもなき偉大なる更新の前夜通し、予言したものが、広い世界にはたしてだれかあったろ - 、つー刀・ にあたって、いたずらに、いを脳ましたり、古きヨーロツ。、 : またそれが一定の形をとった時ですらも、たとえば、 最後の痙攣を、あまりに畏怖する必要はないのである : 一七八九年に始まったその事件の、最初の歴史的局面の完成
判所の宣告を覆したということは、おそらく他にその類例を 見ないところであって、『作家の日記』の主要性は、やや外 面的の見方に流れる嫌いがあるとはいえ、こういうところに 2 も含まれているといわなければならぬ。 の 「環境』は、好んで犯罪を環境に転嫁して、被告を無罪とす キる新しい裁判 ( 陪審員制度 ) の軽薄なる傾向を難じて、罪悪 フというものに対する見方を明らかにしたものであって、前に 工説いた場合とはまったく正反対の態度をとったわけである ス が、そこにかえって、ドストエーフスキイの罪悪観の深さを 見いださなければならぬ。つまり、彼の刑事裁判事件を批判 した一連の文章の、これは序曲なのである。 政治評論的なものは、わずかに『空想と幻想』の一文を指 摘しうるのみであるが、後日個人雑誌『作家の日記』におい キイは、『悪霊』のリーサの一言葉に託していっているとおり、て最も多くのページを占めた彼の憂国の熱情は、ここにまず 新聞の社会面記事に深甚な興味をいだいており、現実の生活最初の片鱗を示したといってよかろう。 グラジダニン こそ創作家の最も奔放な空想さえもとうていおよばない、異角作と名づけ得るものも「市民』の『日記』にはきわめ 常な事件を提供するという確信をもって、日々の報道に異常て乏しく、ようやく『ポポーク』一編を挙げることができる な注意をはらっていたことは、多くの人の知るところであろのみであるが、人性の醜悪に対する厳しい諷刺と並んで、 , フ」田学つ。 ストエーフスキイならでは見られぬ鬼気を横溢させた佳品で 一八七六年および七年の「作家の日記』で、ドストエーフある。 スキイは、殺人未遂の廉でシベリヤ徒刑を宣告せられた哀れ最後に付した『最後の頁』と題する一編は、集中にあって プラジダニン なカイーロヴァなる一婦人のために弁護の筆をとり、熱烈な孤立的位置を占めている。これは一八七八年度の「市民』 説調子で無罪を主張したことがある。この一文は社会の激しい 誌の二十三号と二十五号に分載されたものであって、「作家 輿論を惹起し、ために裁判所は事件の再審理を行なった結の日記』の一部として発表されたものではないが、同一誌上 解果、ついに無罪の宣告を下すにいたった。一作家の意見が裁に掲載された関係と、文章の性質から見た調和の意味で本書 8 V ・ M ・ネチャーエヴァ
事にすんだ、暗雲ははれてなんの衝突もなしにすみ、マグマくとも、どうやら彼一人のみが、今から数年も前に、自分の ホンは謝罪し、無力な僧権派は見苦しく影を潜め、ヨーロッ最もおもな敵を看破し、おい死滅せんとしている法王治下 パにはふたたび平和と「合法性」が君臨することになった、 のカトリッグが、最も近き将来において、全世界に挑まんと とこう叫び出すに違いない。わたしはそれをほとんど確信し している自己の生存のための最後のたたかいが、世界にとっ ている。わたしがこの章に述べたすべての考察は、またしてていかに大きな意義を有しているかを悟ったらしい も閑人の空想の産物にすぎないことになるだろう。またぞろ (ll) この宿命的な闘争は、今やすでに終わらんとして、垠 人々はわたしに向かって、お前は既往の事実に不正確な意義後のたたかいが恐ろしい速力で近づいている。フランスはこ を与えた、第一、どこでも考えていないような意義を与えの恐ろしきたたかいのために選ばれ、使命を与えられたの で、たたかいは必ずおこるだろう。たたかいは避けられな た、と非難するだろう。しかし、今度も事件の発展を待って、 い、それはもう確かである。もっとも、延期されるかもしれ どこにいっそう的確な正しい道があったかを、見定めよう 意こ便するために、結論として、 ぬというわずかな可能性は、まだ残っているけれど、それも ではないか。ところで、記 + 冫 ずれにしても、たたかいは ごくわずかな期間にすぎない。い 一同が否でも応でも踏み込まなければならない道、すでに一 孑必至であり、しかも間近に迫っている。 同の眼前に開けているこの道の駅々と道標を、もういちど旨 ( 三 ) たたかいが始まるやいなや、たちまち全欧州戦争とな 摘して冂ることにしよ、つ。これは・後日、点検に便なよ、つに、 記憶のためにするのである。もっとも、それはこの章の結論るだろう。近東問題と近東戦争も、運命の力によって、同じ っ・つ・、 く全欧州戦争に合流する。このたたかいにおいて、最も刮目 の役目を勤める単なる目録にすぎない。 ( 一 ) この道はローマのヴァチカンから発している。そこですべき挿話の一つは、オーストリアの最後的決心である。は たして彼はいずれの側におのれの剣を与えるか ? しかし、 は、取巻きのジェスイットたちの首領である老人が、死に瀕 しながらも、とっくにその道を見透しておいたのである。近この最後の宿命的な闘争の、最も本質的な重大な部分は、一 東問題が持ちあがった時、ジスイット連はいよいよ好機が方からいうと、ローマン・カトリックの千年来の問題が解決 され、天帝の意志によって復活せる東方のキリスト教が、そ 到来したと悟った。ちゃんと見透しておいた道をたどって、 彼らはフランスへ闖入し、そこに政変を引き起こし、たとえれにとって代わることである。かくして、わがロシャの近東 記フランスが欲しなくても、近き将来における対独戦争が不可問題は、非常な使命的意義を有する世界的・宇宙的なものに の避なような状態に陥れた。これらのことを、ビスマルク公は拡大される。たとえこの使命が、最後の瞬間まで明白なもの めし 作それよりずっと前から理解し、予見していたのである。少なを見ず、予定されたるものの意味をわきまえぬ盲いたる目の第
説によって、それがさらに強化されるのである。現にこの 夏、オーストリアで、ロシャの力は一同を欺いていた蜃気楼 にすぎず、今後、ロシャを軍事上の強国と見なすことはでき ないという確信が、固持されたでまよ、、。 。オしカつまり、その時 分から、オーストリアの態度が尊大になったのである。また イギリスでも同様、上流の社会で、もし一万の英国軍隊をト ラベズンドに上陸させたら、一挙にして近東およびコーカサ 7 "striutskie ・ ) なる言葉は何を意味す スにおけるわが国の事業を、たたき潰してしまうだろうと確 るか ? 信していたのである。われわれのほうでは、彼らをよく知り 抜いているが、この調子でみると、彼らはわれわれを知らな この「日記』を刊行していた二年間に、わたしは二、三 いのだ。ロシャの利害を敵国に売って、その国情を臆病な、 回、あまり世間に知られていない : striutskie ・・とい、つ一一一口木 屈辱的なものとして現わして見せるのは、祖国にとってはなを使用したために、モスグワやその他の県から "striutskie" はだ感服しないご奉公である。そんなことはまるつきりあり なる言葉は何を意味するかという、問い合わせの手紙を幾通 しない。なにもかもうそなのだ。 か受け取った。それに対して、今までだれにも返事を出さな かったことを、お詫びしなければならない。何かのついでに 「日記』の余白を利用して、お答えしようと思っていた次第で ある。いま日記を終わらんとするにあたって、この曖眛なペ テルプルグ語に数行を割くことにする。しかし、このような 些事で十一月号の最初のページをつぶすのは、ほかでもな い、以前これを最後のページへまわしておくと、ほとんどい つもほかの問題にページを取られて、 "striutskie" のため の余白がなくなり、そのつど、次の号までまたそろ説明を延 ばさなければならぬはめになったからである。 "striutskie" なる言葉は、ただ庶民階級でのみ使用され ている平民語で、しかもペテルプルグだけにかぎられている 十一月 第 7 章
ばくはそんなことをする権利はないと感じているくらい年ばかり前し。 リこま、これらの思想はヨーロッパでもようやく芽 だ、ばくには土地に対しても、家族に対しても、義務があるを出したばかりで、サン・シモンとかフーリエなどという、 んだからね」 この種の思想の最初の「理想的」解明者たちの名は、あまり 「いや、ちょっと。でも、この不平等は正しくないと思っ多くの人に知られていなかったので、わが国ではその当時 ているのなら、なぜきみはそのとおりに実行しないんだろ西ヨーロッパに起こったこの新しい運動を知っているもの は、全ロシャを通じて、五十人そこそこであったにすぎな 「ばくは実行しているよ。ただし、消極的にね、つまり、現 ところが、今では急にこれらの「問題」について、地主 在、ばくと彼らの間に存在している地位の相違を、このうえたちが百姓の納屋を借りての一夜の宿りにさえ、議論をたた 増大させまいと努力している意味でね」 かわすようになった。しかも、問題の消極的方面は、すでに 「いや、失敬だが、それはパラドッグスだよ : 彼らの間でも最後的に解決され、署名されたはど、二人はき わめて特質的な、最も信頼すべき方法で論議したのである。 そうなんだよ、きみ。二つに一つさ、現在の社会組織を正当もっとも、これは上流社会の地主であって、イギリス・グラ なものと認めて、自己の権利を守るか、それともばくのやっプで会話をしたり、新聞を読んだり、新聞その他の報道によ てるように、不正な特権を享受していると認めながら、喜んって、さまざまな事件の成り行きを注視している人たちであ でそれを享受するかた」 る。にもかかわらず、このような理想主義的な空論が、教授 「いや、もしもそれが不正なことだったら、きみも喜んでそでもなければ専門家でもない、ただの上流人士にすぎないオ の幸福を享楽することはできないはずだ。少なくとも、ばくプロンスキイや、レーヴィンなどという人たちの間で、最も にはできそうもないね、ばくにとっては、自分に罪がないと焦眉の急を要する話題と認められている、ただその一事だけ 感じること、これが何より必要なんだ」 でも、わたしはあえていうが、現代ロシャ人の知的状態の最 も特質的な独自性を示す、一つの徴候である。 2 「際物問題」 この会話において、芸術家である作者の指摘している第一一 これがその会話である。そこで、諸君はこれが「際物 問の特質的徴候は、この新思想の正不正を論じている当人が、 題」であるどころか、わが際物中の最も際物的なものであるプロレタリヤや貧民の幸福のために、一文も自腹を切らない ことに同意されるだろう。そこには最も特質的な、純ロシャばかりか、あわよくば、相手を丸裸にしかねない人間だとい 的なものがいかに多く含まれているか ! 第一に、つい四十う点である。彼は経ロ屋の呑気さと快活さで、こともなげに
に取り入れるものがない、少なくとも、久しい以前から考慮コンスタンチノープルを征服されたそもそもから、キリストな に取り入れることを忘れているからである。しかも、これこ教を信奉せる広大な近東地方全体は、ちょうどその当靼韃靼 そ最も重大なものの一つであるかもしれないのだ。 のくびきを脱したばかりの遠いロシャに、突如その祈願の目 を向けた。それはあたかも、ロシャの中に未来の隆盛を予見 2 ロシャ国民は独自の観点から近東問題 し、自分たちを救い統一する中心点を直覚したかのようであ に健全な判断を下すために十分すぎる った。またロシャは即座に躊躇することなく、東方の旗じる ほどの発達をとげている しを取りあげて、自国の由緒ふるき紋章よりも、コンスタン こういえば、奇矯の言に聞こえるかもしれないが、近東にチノープルの双頭の鷲を上位におき、それによって、全正教 おける、トルコ人の四世紀にわたる圧迫は、キリスト教と正徒に対して、正教ならびにこれを信奉する諸民族を最後的滅 亡から救済する義務を、引きうけた形となったのである。同 教にとって、一方からいえばむしろ有益ですらあった。 もちろん、消極的な意味ではあるが、しかしその強化と一致時にロシャ国民ぜんたいも、全近東の未来の運命におけるロ 団結に、あずかって力があったのである。それはあたかも、 シャと、その皇帝の使命を、完全に裏書きしたのであった。 二世紀にわたる韃靼人の支配時代が、かってわがロシャにおそれ以来、民衆は自国の皇帝に対する最も主なる、好もしき いても教会の基礎を固めるのに役立ったのと同様である。圧冠詞を確然と、永久に変わることなく決定した。すなわち 迫され疲憊した近東のキリスト教民族は、キリストとその信「正教の」という言葉である。そして、今日にいたるまで「正 仰の中に唯一の慰藉を見いだし、教会の中には自分たちの国教の皇帝」という名称を、さようなものと見なしているの 民的人格と特質の、唯一にして最後の残存物を発見したのでだ。自国皇帝をかく名づけることによって、彼らはこの名称 それは ある。それは最後に一つだけ残った希望であった。破船の後の中に、その使命をも認めたような具合である、 に残った最後の一枚の板子であった。なぜなら、教会はなん保護煮統一者としての使命であり、またいったん神の命じ といっても、これらの諸民族を国民として保存したし、キリスたもう声が高らかに響き渡ったならば、正教ならびにこれを トに対する信仰は彼ら、少なくとも彼らの一部分が、おのれ信奉するキリスト教徒を、回教の蛮行と西欧の異教精神から の民族性も古い歴史も忘れつくして、征服諸に合流してしま救済する人としての使命である。二世紀以前、ことにビヨー うことを妨げたからである。この間の消息は、被圧迫民族そ ル大帝時代から、近東諸民族の信念と希望は、すでに現実 れ自身が感じもし、立派に諒解もしていたので、それだけにの上に実現しはじめて、ロシャの剣は早くも近東において、 なお密接に、十字架を中心として団結したのである。一方、幾度か正教の擁護にその光を輝かしたのであった。近東の諸
近づいているのだ。汕断はならない、その時こそはローマ的枢機卿会議で選挙された法王が、断固たる態度で全宇宙に向 かって、自分はなにものをも撤廃しようと思わず、完全に従 理念の最後なのだから。もしかしたら、新しい法王はヨーロ ッパじゅうの政府に圧迫され、「自由によらずして」選挙さ来の理念を保持すると声明し、ローマおよびローマン・カト リッグの敵に対する呪いから事を始めるとすれば、その時は こうして、法王に推戴 れるようなことになるかもしれない。 された者は、永久に原則として土地の領有と、ピウス九世すヨーロッパ各国の政府は彼を認めないおそれがあり、したが ら主張し通した地上の皇帝なる尊号とを、放棄するかもしれってその場合、ローマ教会に宿命的な震撼が生じて、その結 ない ( それどころか、この法王は、ローマはもとより、最後果たるや計り知れず、予見をも許さないようなことになるか の土地の一片すら取りあげられて、彼の私有財産としてはヴもしれない。 おお、ほとんど全ヨーロッパの政治家や外交家にとって、 アチカンだけ残された危機一髪の時に、まるであてつけたよ うに、法王の絶対神聖を宣言した。それと同時に、土地の領これはすこぶる滑檮でばかばかしい想像である。そうではあ 有なくしてキリスト教は地上に生存をまっとうすることがでりませんか ! 権力を奪われて、ヴァチカンに閉じこめられ きぬ、というテーゼを声明した。これは本質的に見て、おのた法王は、近年彼らの目に、相手にするのも恥すかしいほど トリッグ教徒に対してはつまらないものに映っているのである。ヨーロッパのきわめ れを世界の君主であると宣言し、カ もう独断的に、全世界帝国という直接目的をかかげて、地上て多数の一流人物、ことに皮肉でこのうえなく自由主義的な アロクチオンンラブース における神とキリストの光栄のために、この目的に向かって連中は、このように考えている。論告や謬説表などを出 し、巡礼たちに接見し、呪いつつ死に瀕している法王は、彼 邁進せよと命じたわけである ) 。いやはや、そのとき法王が、 しうまでもならから見ると、自分たちを楽しませてくれる道化者に髣髴と すべての皮肉な連中の腹の皮をよらしたのは、、 フレスタコーフの兄弟分しているのだ。この世において最も大きな理念、礦野におけ 日く「怒りつばいが力がない、 だ」と。そこで、もし新しく選挙された法王がふいに買収さるキリストを誘惑した悪の頭から出た理念、もう千年も有 コングラーヴェ この理念がとっぜ 機的にこの世界に生きている理念、 れて、枢機卿会議までが全ヨーロッパの圧迫のもとに、ロー マ的理念の敵たちと協定するようなことになったら、その時ん、一瞬にして死んでしまうという考え、この考えが疑いも こそはもうお陀仏である ! なぜなら、正当な方法で選挙せないものとして受け取られたのである。この場合の誤謬は、 この理念の宗教的意義にふくまれている。つまり、二つの意 記られ、したがって絶対神聖であるべき法王が、地上の皇帝な のる尊号を原則的に撤廃する以上、当然、今後は永久にそのと義が同時に混同されている点に存するのだ。「なにぶん、今 作おりになってしまうからである。また一方からいうと、もしどきこの世で神様なんか、ことにローマ的解釈による神様な
もが、悪の根源を発見しようと望みながら、しばしばふた股て帰還すべきわが軍人のことだけをさしていっているのでは ない。そのほかにも、数えきれぬほどの人々が出現するだろ かけてやり損じることを理解するだろう。 戦後かならず現わるべきこれらの新人に、民衆と青年層の それはすべて、以前、ロシャ人を信じようと熱望し 中から、多くの生ける力が合流するに相違ない。彼らは戦前ていながら、自己をあらわすことができず、一般をあらわに にもすでに現われていたのであるが、当時、われわれは依然支配していたシニズムと、ペシミズムに逆行できなかった人 として、彼らに気づくことができなかった。われわれ一同が人である。しかし、今度、自己の力に対する深い信仰をもっ たロシャ人が、かしこに現われたことを観照しながら、彼ら ここで、無恥と朽敗の光景を見いだすことを予期していた 時、彼らはかしこで、高度に意識的な自己犠牲と、真摯なは知らずしらず勇気を覚え、真のロシャの力はここにもある 感情と、生命を賭して護らんとした功業に対する完全な信仰と確信するであろう。まったく、かしこの力は、ここから汲 を示したので、こちらに残っているわれわれは、いったいどみ取られたものでなくて、なんであろう ? かくして、勇気 こからこれらすべてのものが生じたのかと、驚嘆するのみでをふるって一致団結し、今度こそはつつましやかに、とはい な / びと あった。ある外国新聞の通信員たちは、ある種のロシャ将校えしつかりと、何人の仰々しい大一言壮語をも恐るることな く、真の事業に着手するであろう。それはすべて、実に古い が自尊心が強く、立身を望む野心家であって、自分のおもな しかも、わが賢明なる老人たちは、今 る目的、すなわち祖国に対する愛と、おのれの奉仕せんと決言葉ばかりなのだー 心した事業への愛を忘れて、殊勲をたてることのみをあせつ 日まで依然として、自分こそ最も新しい若い人々であって、 ていると非難した。よしんばわが軍の中に、そのような将校 最も新しい言葉を語っていると思い込んでいるのだー があるにもせよ、右の通信員たちは、行賞のためでもなけれ しかし、ロシャ社会の最も重要な、最も救済力に富んだ革 ば、伊達や立身出世のためでもなく、ただ 偉大なる心の所有新の役割は、まさしく口シャ婦人に所属するに相違ない。今 者であり、偉大なるキリスト教徒であり、目に立たぬ偉大な次の戦争で、わがロシャの婦人がかくも高邁に、かくも輝か ロシャ人であるがゆえに、部下の兵卒らとともに一身を投げしく自己を発揮した以上、疑いもなく彼女らを待ちもうけて うって勇ましく死んだ青年たちゃ、祖国と正義のつつましき いる高遠なる運命については、もはや議論の余地がないので 、よ、よ長き世紀の偏見が消滅して、「野蛮 奴僕である、官等の低い将校たちのことを知るのも、まんざある。つ、こ、 ーー同胞のため 記ら悪くはあるまいと思う。こういう人々は、わが軍の最後な」ロシャは兵隊の「母親」や「姉妹」に、 のの一兵卒にいたるまで、無数に隠れているのである。断わっの犠牲者や、受難者に、いかなる位置を与えるかを、世に示 作ておくが、わたしは将来の新人について語りながらも、やがすであろう。ロシャ婦人の功業を見て、わが社会の精神的更
た。第四に、いわゆるスラヴ民族援助のためのロシャ国民精 も、どうかすると、最も不自然な、最もわざとらしい、最も幻 神の昻揚なるものは、単にある人々によって捏造され、無節醜悪な感情が、いかなる神秘な、時として滑稽な、道程をた 操な新聞雑誌記者に支持せられたのみならず、いわば、根本どって、このうえもなく誠実純粋な心の中に忍び入るのか、 的な性質に反して、でっちあげられたものである : : : 最後はとほと合点がゆかないのである。もっとも、作者は多くの 、第五としては、スラヴ民族に対して行なわれたいっさい 点において、自分自身の信念や見解を、レーヴィンをかりて の暴行や、前代未聞の慘虐は、われわれロシャ人に直接憐憫表現し、時にはみすみす芸術味さえ犠牲にしながら、ほとん の情をおこさせるはずがなく、「スラヴ民族の迫害に対するど強制的に、それをレーヴィンの口から語らしているという そうした直接的な感情はありもしないし、またあり得ない」 ことは、多くの人々の断一言するところであって、わたし自身 というのである。この最後の点は、決定的に断固たる調子でも ( すでに前に述べたとおり ) 明瞭に見てとっているが、し 表現されている。 かし、作者の描いたレーヴィン自身の人物にいたっては、わ かようにして、「、いの清いレーヴィン」は、孤立の途に突たしはなんといっても、決して作者自身の人物と混同しな 入して、ロシャ人の大多数と決裂したのである。彼の見解 。わたしは一種悲痛な疑惑を感じながら、あえてこれをい は、しかしながら、決して新しいものでもなければ、独創的うのである。なぜなら、作者がレーヴィンのロをかりて表現 なものでもない。 これは多くの人々の趣味にびったり合っ したきわめて多くのものは、明らかに、芸術的に描かれた典 て、大いに彼らの役に立ったかもしれない。去年の冬わがペ型としてのレーヴィン一人に関するものらしいけれど、それ テルプルグでも、社会上の地位からいって、決して軽輩など にしても、わたしはこれはどの作者から、かような言を期待 しなかったのであるー といわれないような人々が、はとんどこのとおりに考えてい たのであるから、この本が遅まきに現われたのが、気の毒なく 2 スラヴ主義者の告白 らいである。レーヴィンのこうした陰鬱な孤立と、このよう に気むずかしい決裂がどうして生じたのか、はっきりしたこ そうだ、期待していなかった。わたしは作年、自分の『日 もっとも、彼が熱性な、「おちつきのな 言』を発刊するにあたって、文学批評はやるまいと決心した い」、いっさいを分析しなければやまぬたちで、厳密に批判のではあるが、ここで多少、自分の感想を披瀝しなければなら するならば、何事につけてもおのれを信じない人間である。 ないはめになった。しかし、わたしは文学作品に関連して感 - しかし、とにもかくにも、「、いの由い」人間であることには 想を述べるにしても、とにかく感想は批評ではない。実際、 間違いなく、わたしはそれをあくまで主張する。それにしてわたしは自分の『日記』を書いているのだ。つまり、目前の
の世界にならった全世界帝国の試みがはじまったが、しかしス革命の宣告した全人類結合の新しい方式に分けまえをもら 今度は別の形をとっているのである。かような次第で、東方わなかったすべての虐げられたる人々、除外されたる人々の の理想にあっては、最初キリストにおける人類の精神的結合もとへ走ったのである。彼らは今度こそ、新しい自己の言葉 があって、そこから必然的に生ずる国家的。社会的結合が予を声明した。それはほかでもない、全人類の結合の必要とい 想されるのだが、ローマ的解釈によるとその反対で、初め全うことであるが、しかし人類の四分の一の幸福のためにその 世界帝国なる形で、堅固な国家的結合を保証して、しかる他のものを単なる素材とし、搾取される方法として取り残し 後、この世の帝王としての法王の支配下に、あるいは精神的て、そのわずか四分の一かそこいらのために、平等と生活権 を分配するなどというようなことを頭においてはいない。そ 結合を生じようというのである。 れどころか、もうほんとうに完全な平等を基礎としての全人 それ以来、この試みはローマ的世界において着々と進み、 不断に変化していった。この試みの発展とともに、キリスト類の結合であって、いかなる種類のものであろうとも、この 教の最も本質的な部分が、ほとんどその独自なものを失った世の福祉は各人がもれなくこの利用に参与するという条件 なのである。彼らはあらゆる方法手段をもって、この決意を のである。結局、精神的にキリスト教をしりぞけた古代ロー 実行することにきめた。つまり、断じてキリスト教文明の手 マ世界の継承者たちは、法王をもしりそけるにいたった。 やがて、恐ろしいフランス革命が勃発したが、それは本質的段などによらず、なにものに出あっても逡巡しないというの に見て、全世界的結合という同じ古代ローマ的方式の最後的 な変態、変容にすぎなかった。けれど、新しい方式は不十分そこで、ドイツはその間、二千年という歳月の間、いった いどういう関係にあったか ? この偉大にして誇りの強い特 なものであることがわかった。新しい理念は完成されなかっ た。古代ローマ的使命を継承したすべての国民にとって、ほ殊な国民の最も特質的な、最も本質的な点は、有史世界に出 とんど絶望にひとしい瞬間さえも到来したほどである。お現したそもそもの瞬間から、おのれの使命においても、国是 においても、決してヨーロッパの極西部、すなわち古代ロー お、いうまでもなく、一七八九年以米政治上のヘゲモニ を握った社会の一部分、すなわちプルジョアジーは得々としマ的使命の継承者たちと、合流をがえんじないことであった。 日オカそのかわ彼らは二千年の間ずっと、この世界に対してプロテストして て、これ以上前進する必要はないと声月しこ。。、、 記り、永遠不変な自然の法則によって人類というオルガニズムきたので、自分自身の言葉、古代ローマの理念に代わるべ のの発達に必須な理想の新しい方式と、新しい言葉を探求すべ き、厳格に方式づけられた自己の理想を表明しなかった ( ま たかって一度も表明したことがない ) 、にもかかわらす、心の 作き運命をになった人々は、みな競って、一七八九年のフラン