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検索対象: ドストエーフスキイ全集15 作家の日記(下)
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1. ドストエーフスキイ全集15 作家の日記(下)

それが相当の運命なのである。が、新しい言葉はたちまち人のちょっぴりでも興味をいだいたことを想起し得る人々が、 人に捕えられ、わがものとされ、文学の中に固定されたのでまだいることと考える。しかし、この言葉が採用せられて文 ある。 学に入ったのは、即時にというわけではなく、徐々にいっと "stushevatjsya" とい、つ一一「ロ禾は、中目 冫える、なくなる、いわはなしにであった。忘れもせぬ、一八五四年、わたしはシベ ば無に帰するの意味である。しかし、なくなるといっても、 リヤで監獄から出ると、わたしのいない五年間に書かれたす とっぜんにではない。・ とろどろと威勢よく大地の隙間へ落ちべての文学を、片っ端から読みはじめた。 ( わたしのいる頃 て行く消え方ではなく、いわば、穏やかにふわふわと、目立 にようやく始められたばかりの『猟人日記』や、ツルゲーネ たぬように無の中へ沈んで行くのである。ちょうど絵の中フの初期の中編などを、わたしは一度に息もっかず読了し トウンユ で、墨で描かれた部分の陰のような具合で、黒からだんだんて、陶酔に似た印象を受けた。もっとも、そのときわたしの と鼠色にかわり、最後に完全な白、すなわち無に帰してしま頭上には礦野の太陽が輝いて、頃は早春、そして春ととも うのである。「分身』の中では、わたしが・ヘリンスキイのと に、ぜんぜん新しい生活が始まっていたのである、徒刑の終 ころで朗読した最初の三、四章では、この言葉がうまく使っ結、自山 ! ) こうして、いろいろなものを読みはじめたと てあったに相違ない。それはあるうるさい狡猾な男が、いい き、 "stushevatjsya" という一言葉に頻々として出くわすの 潮時に舞台から姿を消すところか何かであった ( まあ、そう に、一驚を喫したものである。それから、六十年代になる いったふうだったらしい、わたしも忘れてしまった ) 。わた と、この言葉はすっかり文学の中に同化してしまって、今で しがこ、フい、つのは、ほかでもない、 この新しい言葉が聴衆には、くり返していうが、新聞に発表される実用文書や、学位 なんらの疑惑もおこさせなかったのみならず、かえって忽然論文の中にさえ見受けるようになった。しかも、わたしがは と一同に理解され、記憶にきざみつけられたからである。べじめて使ったのと、同じ意味で用いられているのだ。 リンスキイは、ただこの表現を褒めるために、わたしの朗読 しかし、この言葉を初めて文学に使用したのはわたしであ の腰を折ったほどである。ほかの聴き手も ( 現在みんな生きっても、これを考え出したのはわたしではない。 この言葉 ているが ) 、だれもかれも褒めてくれた。イヴァン・セルゲエは、わたしの在学していた中央工兵学校の教室で、わたしの ヴィチ・ツルゲーネフも ( 当人は今時きっと忘れているだろ同級生によって考え出されたのである。あるいは、わたしも うが ) 同様に褒めてくれたのを、わたしはよく覚えている。 その案出に関係していたかもしれないが、よく覚えていな アンドレイ・アレクサンドロヴィチ・グラーエフスキイも、 しいわば、自然と考え出されて、しぜんと使われだしたよ 後で大変はめてくれた。そのほかにも、当時この新語にほんうな形である。工兵学校では六年級全部を通じて、わたした

2. ドストエーフスキイ全集15 作家の日記(下)

九月 ~ Piccola bestia : 2 言葉、言葉、言葉 ! 3 対応策と対応策 4 部屋着と石鹸 第 2 章 時代遅れの人々 : ・ 第 3 章 7 ロシャ語かフランス語か ? 2 将来祖国の柱石たるものはいかなる言葉で語るべ きか ? ・ 第 4 章 ー鉱泉では何が利くのか鉱泉かそれとも上品な態 度か : 2 現代の婦人に恩恵を受けた男の一人 : ・ 3 子供の秘密 4 土地と子供 5 ロシャにとって風変わりな夏 : 6 POSt ・ scriptum ・ ・四き ・四三四 ・四四 0 四四 = 四四七 四 = 0 四一一四 ・四毛 ・四き 四 0 三 ・四 0 六 十月 第 / 章 7 単純な、しかし厄介な事件 2 単純と単純化についての若干の覚え書 3 二つの自殺 4 宣 第 2 章 近東問題の新段階・ : 2 チェルニャーエフ・ 3 優れた人々 4 承前 十一月 おとなしい女 ーー・空想的な物語 , ーー 著者より 第 7 章 2 キーフア・モキエヴィチ的思想 3 前章のつづき : 4 恐怖と杞憂 : 5 Post- scriptum 四窄 2 ヨ ゴし - い・三 0 四六六 四七 = 四七五 ・四大 ・四九ャ 四五三 四奕 ・四六一

3. ドストエーフスキイ全集15 作家の日記(下)

社会における位置が十分はっきりしないことである。わたし かもしれないと思われる。わたし以外のほかの作家も、すで田 の見るところでは、金とか、家とか、あるいは何かの財産と にこの言葉を使ったような気がする。文学者にこの言葉が魅 かを持ち、そのほかほんのちょっとばかりでも、社会で固定力を感じさせるのは、その中にふくまれている軽侮のニュア した明瞭な位置を占めているものは、たといそれが工場の職ンスである。民衆は独特のニュアンスをもったこの言葉によ ェであろうとも、 "striutskie" とは呼ばれ得ないようであって、愚にもっかぬ、頭のからつばな、根底のない、仰々し る。けれど、よしんば大なり小なり、店とか、工場とかを持 くわめき立てる、やくざな怒りにまかせて見得を切るやくざ っていても、そのやり方に根底がなくて、無成算であったなな連中の本質を、喝破してしまうのである。こうした連中 らば、その男は "striutskie" のお仲間に入ってしまうのでは、上流社会や知識階級にもたくさんある、そうではない ある。こういったわけで、 "striutskie' ・なるものは、何に か ? ただし、必ずしも酔っぱらいではなく、また破れた靴 も値うちのない、どこにも尻の据わらぬ、身の固まらない もはいてはいないが、しかし相違は単にそれのみにとどまる 基礎というもののない、自分で自分を理解しない人間、酒に場合がしばしばである。時としては、これらの上流のやくざ 酔うと空威張りをしたがる騒々しい男、自分は侮辱されたと者をも "striutskie" と呼びたくて、我慢できないことがあ 考えるのが好きなために、、 しつも侮辱を感じている男、よくる。 しいあんばいに、ちゃんと出来合いの言葉もあるのだ 巡査を呼び立てたり、助けてくれとどなったりする男、 し、民衆がそれを発音する時の侮蔑の調子も、まことに誘惑 総じてなにもかもひっくるめて、とるにたらぬ、くだらな的なのだから。 、石鹸の泡みたいな人間で、一口に「なんだ、つまらな 2 ~ = ⅱ 切司 "stushevatjsya" の歴史 "striutskie" だ」という、侮蔑的な笑いを買うだけの 代物なのである。 ことのついでに、新語の発生とその使用の問題で、一言ふ くり返していうが、この言葉はペテルプルグ独得のものらえんしよう。わが国の文学に "stushevat 」 sya ・・という一語 しい。が、ロシャのほかの土地で使われているかどうか知らがある。これはすべての人に使用されていて、つい昨日や一 ない。ペテルプルグでは、庶民の間にかなり広く行なわれて昨日生まれたのではないけれども、比較的最近のものであっ いる。しかし、ペテルプルグには、方々の県から入り込んだて、存在しはじめてから、やっと三十年くらいにしかならな 人が非常にたくさんいるから、この言葉がまだどこにも移っ 。プーシキン時代にはまったく知られていず、だれにも使 ていないとすれば、他県へまで移って行くというのは、大い用されなかった。ところが、今ではすべての文学者、小説家、 にあり得ることである。おそらくは、文学にまで入って行くきわめて滑稽なのからまじめな種類のものにいたるまで、

4. ドストエーフスキイ全集15 作家の日記(下)

こういうわけで、この言葉はどうやら、ペテルプル 祭日の晩などに、往来で酔っぱらいがわめき立てている。 グで創り出されたものらしい。わたしが「らしい」と書い 争論の声、巡査を呼ぶ興奮した声が聞こえる。ひと塊りに集 のは、どんなに「信頼すべき」人たちにたずねてみても、どまった群集の中に一きわ高く、だれかの反抗し、訴え、威 こからこの言葉が出て来たのか、なぜこんなふうな音の組み嚇する声が耳につく。その中には、とってつけたような怒り 合わせになったのか、ペテルプルグ以外にロシャのどこかでの調子がおびただしくまじっている。で、そばへ寄って何 使用されているかどうか、また最後に、事実この言葉はペテ事かたすねてみると、人々はその答えに手を振って笑いなが ルプルグで創られたものかどうかを、ついにだれからも突きら、「なあに、くだらないこってすよ、 "striutskie" でさ "striutskie" なる 止めることができなかったからである。わたし一個の意見はあ ! 」といって立ち去るのだ。そのさい どうかというと、この言葉はやはり純ペテルプルグ語であっ 言葉は、軽蔑の調子で無造作に発音される。いつも必ず軽蔑 て、ペテルプルグの庶民階級によって創られた「らしい」 ( この調子で発音されるのだ。で、もしこのわめき立てる男が、 の「らしい」より肯定的にはいえないのである ) と答えるほんとうになぐられるか、凌辱されるかしても、依然として より仕方がない。ただし、だれによって、そしていつのこと同情を買うことはできず、ただ軽蔑を見いだすのみであろ う。なぜなら、彼は単に "striutskie" であり、すなわち、 か、もうだいぶ昔か、などときかれても、それはわからな その意味は、わたしが再三再四、民衆にたずねて知り得彼の持っているいっさいが愚にもっかぬことだからである。 たところによると、次のようである。 彼の叫んでいることも愚にもっかぬことだし、彼がなぐりつ けられたということも愚にもっかないことで、一口にいえ "striutskie" とは空虚で、やくざな、とるに足らぬ人 ば、およそ、想像し得るかぎりの「つまらない男」なのであ である。多くの場ムロ、というよりほとんど常に、酔っぱらい の、飲んだくれの、身を持ち崩してしまった人間である。もる。なおつけ加えておくと、 "striutskie' ・はおおむね木な っとも、ある場合には酒飲みでなくても "striutskie" と呼身なりをしている。季節はずれの着物を着て、破れた靴をは いているのだ。もう一つつけ加えるが、 "striutskie" と呼ば ばれ得ることがあるらしい。わざわざ新しい言葉を考え出し てまで、特別な名称をつけられるにいたった、この空つばでれるのは、ただ背広を着た連中のみにかぎる「らしい」。も カど、つもそ、つらしい っとも、これは保証のかぎりでない。ー、 やくざな人間のおもなる特質は、まず第一に、頭の空つばな 記こと、ばかばかしさが一種特別であること、脳味噌のたりなのである。 "striutskie" と呼ばれる飲んだくれの、第二の本質的な いこと、すべてに根底のないこと、これである。つまり、騒 兆候は、愚にもっかないことと、根底のないことのほかに、 作騒しいやくざ者なのである。

5. ドストエーフスキイ全集15 作家の日記(下)

そこで、民衆にむかって、「精神を高めよ」といったのが、 は、キリストが奴隷の姿をかりて、祝福しながら遍歴された 「傲慢なれ」といったことになるのだろうか ? 彼らを傲慢ものである。どうして、われわれが彼の最後の言葉を、内部 に傾け、傲慢を教えることになるのだろうか ? グラドーフに蔵しているはずがないといわれよう ? 」とつけ加えた。こ スキイ氏よ、こういうことを想像してみていただきたい。きのキリスト云々の言葉が、傲慢への呼びかけを意味するのだ みが現在の生みの子供らにむかって、「子供らよ、自分たちろうか、内部に蔵する云々の言葉が傲慢なのだろうか ? き の精神を高めよ、子供らよ、高潔なれ ! 」といったとするみは憤然として、「われわれが他人から跪拝を要求するのは、 と、はたしてこれが子供らに傲慢を教えることになるだろうあまりに早すぎる」と書いている。 いったいどうして跪拝の か ? きみ自身、子供らを教えながら、倣慢になっているこ要求になるのか、とんでもない話だー この万人への奉仕の しもべ とを意味するだろうか ? ところで、わたしはなんと、つこ しオ希望が、 すべての人の下僕となり、同胞となり、おのれ ろう ? わたしは「すべての人々が結局において同胞となの愛をもって彼らに奉仕せんとする希望が、はたしてすべて る」という希望を語り、その際「結局において」という言葉の人から跪拝を要求することになるのだろうか ? もしそこ に力点をおいたにすぎないのである。せめていつの時代に に跪拝の要求があるとすれば、万人に奉仕せんとする神聖な か、わが苦しみ多き世界に同胞愛が実現されるだろう。われ無私無欲の希望が、即座に不合理となるではないか。人は下 われすべての人間が、同胞となることをゆるしてもらえるだ僕に跪拝するものではなく、同胞は同胞から土下座など望む ろうという、この輝かしい祈願が、はたして傲慢なのだろう ものではない。 か、傲慢に対する呼びかけなのだろうか ? 実際、わたしは グラドーフスキイ氏よ、こうい、フことを想像してみたま あの「演説」の終わりで直接、まったく直接にこういったのえ。きみが何かよき行ないをしたのでなければ、そういうこ である。「わたしは、経済的方面の光栄や、剣や科学の光栄とをしようと思って出かけている。そこで道々、善良な感激 のことをいっているのではない。わたしはただ人間の同胞愛に駆られながら、「あの不幸な男は、おれがこれから与えよう のことと、全世界人類の同胞的結合のためには、ロシャ人のとしている思いがけない助力を受けたら、どんなに喜ぶこと 心がおそらくあらゆる国民の中で、最も適した素質をもってだろう、どんなに元気づき、よみがえって、自分の喜びを家 いるだろう、という話をしたまでである : : : 」これがわたしの者や子供たちに語り、どんなに彼らとともに、うれし涙に 1 三ロ の言葉である。はたしてこの中に、傲慢への呼びかけがあるむせぶことだろう : : 」こういうふうに考え、空想しなが のだろうか ? いま引用した「演説」の言葉の後に、わたしは、 ら、きみはもちろん、自分でも感激をおばえ、ときには涙さ 作「よしや、わが国土がまずしいものであろうと、この国土えこばすと仮定しよう ( まさかきみは、一度もそういう経験

6. ドストエーフスキイ全集15 作家の日記(下)

1 三ロ ついでに、こういうことも思い出してみよう。ましてこれめていうにたらぬ割合でさえあるのだ。 ( 人はそれを信ずる はとくに過ぎ去ったことで、事情も一変したから、なおさらだろうか ? ) それに、第一 ( これは疑いもないことだが ) 、 さしつかえないと思う。わたしの青年時代には、軍人仲間彼らは道徳的洗練性を持って、というよりも、むしろ機械的 故意にというより、むしろ習慣匪で、悪口をつくので に、しかもその大多数に、民衆から出てきたロシャの兵隊は 並みはすれて猥褻な話をすることが好きであり、悪口雑言をある。ところで、この最後のもの、というのは、故意に悪口 事とする連中である、という確信が持たれていた。そこで、雑言するのは、きわめてまれな民衆の分子、たとえば、浮浪者 とか、飲んだくれとか、その他、民衆に軽蔑されているすべ ある隊長などは人気を取るために、たとえば教練の時など に、思いきってひどい罵詈雑言を口にし、驚くばかり微に入てのやくざ者に見られるばかりである。民衆は習慣生で罵詈 り細を穿ったいいまわしをするので、兵隊どもはその罵詈を雑言するとはいえ、自分ではこれが悪い癖であるということ 聞いて、文字どおりに顔を赤らめ、その後、兵営へ帰ってかを承知して、みずから非難しているのだ。それゆえ、民衆を ら、上官にいわれたことを忘れようと努め、穢い言葉を思い 悪罵から遠ざけるのは、わたしにいわせれば、単に機械的な 出さしたものを、総がかりでどなりつけたものである。わた習性放棄のわざであって、道徳的努力の問題ではない。概し し自身それを親しく目撃した。ところが、隊長たちは、どうて、わが民衆を下司な罵詈雑言の愛好者と見なすこの考え方 は、わたしの意見によると、わがインテリ層の中に深く根ざ だみろ、やつらをロシャの兵隊の心意気でやつつけてやった しているが、何よりもいけないのは、それがすでに知識階級 ぞ、といわんばかりに、内心大満悦なのである。しかし、こ れらはたいしたことではないのであって、ゴーゴリでさえと民衆との最後的な精神的決裂が生じた時であって、その決 『友人との往復書簡』の中で、ある友人に向かって、公衆の裂は周知のごとく、わがインテリ層の民衆に対する完全な無 面前で農奴をやつつける時には、必ずひどい言葉を使うよう理解におわっていることである。つまりその時、わが民衆に にと忠言し、つまりいかなる言葉を用いるべきかという実例関して、その他のあらゆる間違った観念が現われたのであ さえ示している。要するに、できるだけえげつないもので、 る。わが民衆は、決して今まで想像したり、描写したりした その中には外面的なものよりも、いわば、むしろ精神的猥雑ような罵詈雑言の輩でないという、わたしの言葉や証明を信 じてもらわなくてもいいし っこうさしつかえない。なにし さがおびただしくふくまれており、かっ罵詈の中になるべく 微妙な味がこもっているように、というのである。ところが、 ろ、わたしは自分の証言が実現される日があると確信してい のロシャの民衆は、残念ながら、きたない言葉で悪口するとはるのだから。 家 まったく全部ではなく、きわ わたしが民衆にかけている望みは、同じくわれわれの若き 作しい条、決して全部ではない。

7. ドストエーフスキイ全集15 作家の日記(下)

て、未来のロシャの偉大な、全人類的意義を信じているすべの第二の衝突に対して、準備ができているだろうか ? まさ ての人々が、この春の宣戦以来抱懐すべき印象について、語しく、新しい言葉はすでに発せられつつあるけれども、ヨー りはじめたのであった。この迫害されたる弱小民族の自由と ロッパはさておいて、わが国ですら万人がそれを理解してい 生命を奪うのではなく、かえってこれを与えんとする前後末るだろうか ? そこで、われわれ信ずる人々は、たとえば、 曾有の戦い、この世界ですでに絶えて久しく聞いたことのな次のように予言する。ただロシャのみが、弱小なる同胞に関 い戦争目的は、突如われわれ同志のもの一同にとって、そのする全ヨーロッパの宿命的な問題を、闘争も、血も、憎悪 信仰を堂々と、意味深長に裏書きする事実として現われたのも、怒りもなしに、解決すべき根本要諦を内部に蔵してい である。これはもはや空想でもなければ、推測でもなく、完る。しかし、ロシャがこの言葉を発するのは、すでにヨ ロッパがおのれの血に染んだ時であるから、その以前、ヨー 成の緒についた現実なのである。「もしすでに完成の緒につ いたとすれば、必ず終局まで到達するに違いない、ロシャは ロッパではだれ一人、この言葉を聞くものがないであろう。 スラヴ民族の領袖となって、偉大なる新しき言葉をヨーロッ よしんば聞いたとしても、全然その意味を理解しないだろ バに告げるに相違ない」ヨーロッパはまだまだ理解するどこ う、と。しかり、われわれ信ずる人々はこれを信じている。 ろでなく、これからさきも長いあいだ、信じはしないだろう とはいうものの、わが国でさえも、われわれと同じロシャ人 が、この新しい言葉は早くも発せられようとさえしている。 が、これに対してなんと答えているか ? そんなことは度は 「信ずる人々」は、こんなふうに考えたのである。しかり、ずれに熱中した推察であり、痙攣踊りであり、気ちがいじみ 印象は堂々として、意味深長なものであった。そして、いうた空想であり、病的な発作にすぎないと答え、われわれか までもなく、信ずる人々の信仰はさらに鍛錬され、強化されら証明を求め、確固たる指示と、既成の事実を要求している ねばならないのだ。しかし、それにしても、あまりに重大なのだ。それに対して、われわれは自分たちの予言を裏書きす 局面が展開されていったので、彼らにとっても、不安な疑問るために、さしあたり何をさし示したものか ? ロシャの精 が迫ってきた。「ロシャとヨーロッパ ロシャはトルコに神的力の発現程度を示す意味で、まだあまりにもわが国人に 向かって剣を抜しオカ 、 ' ミ、しかしあるいはヨーロッパとも衝突理解されていない事実、ーー農奴解放をさしたものだろう しないとは保証できず、またそれが案外はやくやって来るか か ? わが同胞主義の先天性と自然性だろうか ? ( これは様 記もしれない。 ヨーロッパとの衝突はトルコ相手とはことが違様な塵芥と汚泥が、今なおその外貌を穢して、本来の面影も のうし、また当然、剣のみで行なわれるのではない」信ずる見分けがたいはどその輪郭を歪曲しているにもかかわらず、 作人々は常にかく解釈していた。が、 はたしてわれわれは、こ数百年のあいだ迫害を加えていたいっさいのものを押し退け

8. ドストエーフスキイ全集15 作家の日記(下)

ゃいうまでもなく、現治世のはじめに行なわれた、偉大なる的に展開させてゆくまでのことである。なぜなら、なんとい 改革の結果にすぎないのである。というのは、あの時は二世っても、インテリは学問と学問の精神を握っており、また民 紀の間、民衆を知識階級からへだてていた障壁が、物質的に衆には学問がはなはだしく必要だからである。また彼らの何 倒れたのであるが、今度はその障壁が、精神的に倒れること人かが反対の言を吐こうと思ったにもせよ、あるいは民衆の になるからである。この両階級の精神的融合より以上に、ロ根本精神と一致しないようなことが何か生じたにもせよ、と 、 : はかにあり得るだろう シャにとって望ましい有益なことが にかく、あまり過激に民衆の精神にさからい、共同の事業に か ? 味方同士がはじめて互いを知り合うのである。今ま対する民衆の見解に盾つくようなことは、あえてしないだろ 、つ」田 5 、つ。 で、社会の発展を阻害する野蛮な存在として、わが民衆を恥 これが重大なことである。きわめて重大なこ とである。 じていた人々は、従来のおのれの羞恥を恥として、多くのも のに対して謙抑になり、今まで取るにたらぬものとして、蔑しかり、わが国における精神的平安は、まさしくこの第一 視していた多くのものを、尊敬するにいたるだろう。 歩から始まるであろう。それは大いにあり得ることである。 民衆が答えを終わって、自分に関するいっさいを報告した今度こそもうてんでんばらばらでない、一般的希望が現わ 後、そのつつましい言葉が黙した時、試みにわがインテリゲれ、したがって、われわれの目的も明瞭に意識され、眼 ( 川に ンチャに間いを発してみるがよい まあ、たとえば、民描き出されるようになるであろう。これはすこぶる重大なこ 衆のいったことについて、意見を求めるだけでもかまわな とである。というのは、わが国の意識的力の全体であるイン すると、即座に結果を見ることができるだろう。おお、 テリゲンチャが、今後のわれわれの民族的・国家的目的につ その時は、彼らの言葉も内容の充実したものとなるに相違な いてまったく無知であるか、それともきわめて不確かな、曖 というのは、なんといっても、彼らはインテリであっ昧な知識しか持っていないからである。この点において、 て、最後の言葉は、彼らのものとして残されているからであ今、目下わが国の状態は、きわめて、い細いものである。この る。彼らにさきんじて、おのれの言葉を吐いた民衆の例は、曖眛さ、この無知、これこそ疑いもなく、偉大なる不安と混 もしわれわれが民衆にさきんじて、おのれの言葉を吐かざる乱の原因であって、しかもそれは現在のみならず、将来にお をえない場合に生じるべき多くの失策や、愚挙を、ともかく してさらに、さらにはなはだしいものとなるだろう。これら 記のそいてくれるだろう。その時はわがインテリゲンチャも、 はすべて闡明せられ、ただしい照明を受けるに相違ない。 のなんら民衆に矛盾するようなことをいわず、ただ民衆の真理もなくば、いかにして闡明し、何によって照明すべきかにつ いて、せめて最初の手がかりにでもなるような暗一小を与え、 作に学問の衣をまとわせ、これをおのれの教養に応じて、全面 5

9. ドストエーフスキイ全集15 作家の日記(下)

望が名誉となるならば ) 、この新しき ( と称したければだが ) 的であると讃えた。しかも、この言葉に力を入れながら幾度ル 言葉の功績は、決してわたし一人だけでなく、スラヴ主義ぜも、あれは天才的だといった。しかし、わたしは恐れる。あ んたい、わが「党」の精神と、方向ぜんたいに属するものでれは最初の感激に駆られて、「性急」に発せられた言葉では ある。これはたえずスラヴ派の運動に注意していた人にとっ ないか、と心底から恐れている。おお、わたしが恐れている ては、はじめから明瞭なことであって、わたしが表現した思のは、彼らがわたしの演説を天才的だといった言葉を、撤回 想は、たとえ口から発しられないまでも、すでに一再ならずするかもしれないということではない。あれが天才的でない ' も一、つと一、フ 彼らによって指示されていたのである。わたしはただうまくのは、わたしも自分で承知しており、人々の賞讃し 適当な機会をつかんだにすぎない。 酔ってはいないから、わたしが天才的だということにつ さて今度は結論であるが、もし西欧派がわれわれの推論をて、彼らのいだくべき幻滅感を、衷心からゆるすつもりであ 日る。が、それにしても、次のようなことが生ずるおそれはあ 受け入れて、それに同意するならば、もちろん、両党派の門 の誤解はたちまち残らず消えてしまって、イヴァン・セルゲる。西欧派の人々がすこし考えた時、次のようなことをいう エヴィチ・アグサーコフのいったとおり、「今後すべては解おそれがある (Z ・わたしは自分に握手してくれた人た 一般に西欧派の 明されたのであるから、西欧派とスラヴ派はなにも論争するちのことを書いているのではなく、今はただ ことがなくなる」はずである。その観点からすれば、わたし ことをいっているのだ。この点をとくに力説しておく ) 。 「さて」とおそらく西欧派の人々はいうであろう ( 注意して の演説はもちろん「一つの事件」でもあったろう。しかし、 これはただ「おそらく」である、それだけの 悲しいかな、「事件」なる言葉は、ただ一方の側から真摯な いただきたい、 熱中に駆られて発しられたものにすぎないから、もう一方の話である ) 。「諸君は長い争論と応酬の後に、ついにわれわ 側に受け入れられるか、単なる理想としてとどまるか、これれのヨーロッパに対する憧憬が正当なものであり、ノーマル はもうまったく別個な問題である。すぐ演壇の上でわたしをなものであったと同意してくれた。諸君はわれわれの側にも 抱擁し、握手したスラヴ主義者たちにつづいて、わたしが壇真理があったことを認めて、自分の旗を捲いた。いや、けっ を降りるやいなや、西欧主義者たちもわたしに近づいて握手こう、われわれは諸君の承認を喜んで受け入れ、これは諸君 した。しかも、それはただの有象無象と違って、ことに現在そとしてなかなか悪くないことでさえあると、急いで声明す そうそう の陣営中で第一流の役割を勤めている、西欧派の錚々たる代る。少なくとも、これは諸君にある程度の頭脳が存すること 表者たちであった。彼らは、スラヴ派に劣らない激しい真摯を示すものだ。もっとも、われわれは諸君に頭脳のあること な熱中ぶりで、わたしの手を握りしめ、わたしの演説を天才を、一度も否定したことはない。ただし、われわれの中で最も

10. ドストエーフスキイ全集15 作家の日記(下)

事件の中で、最も強い衝撃を与えたいっさいについて、自分ない。ペリンスキイは事実、スラヴ主義の解釈において、そ の印象を書きつけているのだ。 こういうわけで、たとえれよりさきに進まなかった。またある人にとっては ( 断わっ ; 、ドこ多くの人々、ほとんどスラヴ主義者自身の 自分の受けた印象の中で、最も強烈なものであろうとも、たておくカ丿冫 だそれがロシャ文学に関係しているというだけの理由で、必大多数にとっても ) 、スラヴ主義は、ロシャを最高盟主とす ず隠匿しなければならぬという仮想の義務を、なぜか故意にる全スラヴ民族の解放と、合同を目ざす運動である。ただ 自分自身に命じているのである。もちろん、この決心の基礎し、盟主といっても、必ずしも厳密に政治的なものであるこ とを要しない。最後に、第三の人々にとっては、スラヴ主義 としては正しい思想がふくまれているのであるが、しかし、 は、ロシャを盟主とするスラヴ民族の結合ということ以外 この決心の文字どおりの履行は、すでに正しくない。それは に、統一されたスラヴ族の頭に立つわが偉大なるロシャが、 自分でも認める。それは単に文字づらだけに膠着することだ からである。それに、わたしが今まで黙過してきたこの文学全世界に向かって、全ヨーロッパ人類に向かって、彼らの文 作品は、わたしにとってもはや単なる文学作品でなく、別様明に向かって、おのれの新しくして健全な、前代未聞の言葉 の意義を有する立派な事実なのである。わたしのいい方はあを発するであろうと信じているすべての人々の、精神的同盟 まりナイープであるかもしれないが、 しかし思いきって次のを意味するのである。この言葉はまぎれもなく、全人類の福 ように明言する。この小説、すなわち架空の叙事詩から受け祉と真実と、世界同胞的な新しい同盟による結合のために発 た印象という事実は、今年の春、わたしの心の中で目下進行せられるのであって、その根源はスラヴ民族の天才、という しつつある戦争の宣言という偉大なる事実と、合致したのでより、主として偉大なるロシャ民衆の精神に蔵されているの ある。これら二つの事実、二つの印象は、わたしの頭の中でである。ロシャ民衆はかくも長いあいだ苦しんで、長い世紀 , し、か . し宀吊に一西ヨー・ 現実的な連繋を遂げ、わたしにとって驚嘆すべき接触点を見のあいだ沈黙の運命を担わされていたが、 いだしたのである。どうかわたしを嘲笑する代わりに、わた ロッパ文明の苦渋な、最も宿命的な疑惑の数々を、将来闡明 しの言葉を一通り聞いていただきたい。 し、解決すべき偉大なる力を秘めていたのである。かく確信 わたしは完全にスラヴ主義者でないかもしれないが、多くし、信仰している人々の部類に、すなわちわたしは属してい るのだ。 の点において、純スラヴ主義的な確信をいだく人間である。 このさい、なにも愚弄したり、嘲笑したりすることはさら 記スラヴ主義者は、これまでまちまちな解釈を受けている。あ これは古い言葉であり、久しい間の信仰である。 のる種の人にとっては今日でも、たとえば、ペリンスキイ時代さらない。 作のような昔と同様に、スラヴ主義はただクワスと大根でしか この信仰が滅びず、この言葉が沈黙しないのみならず、かえ