小生としては、たとえ幾分なりとも人間らしくするために しき人々』と最後的に改訂した「分身』と ) 。その時は運命 は、銀貨百五十ループリの金がいるのです。かような次第ゅ が好転するかもしれません。なっかしき兄上、どうかあなた え、ニコライ・アレクセエヴィチ、もし右の金額を即時調達 冫ネが訪れますように。 あなたの・ドストエーフスキイ していただけぬとすれば、はなはだ遺憾至極のことながら、 あなたはとてもほんとうにしないでしようが、文壇生活を小説をさし上げることは不可能となります。なぜと申して、 始めてからもう三年目ですが、ばくはまるで毒気に当てられ執筆するための物質的資力がないからであります。 ているようです。人間らしい生活を見ることはできず、正気もし貴兄が右の金額の前渡しをご承諾くださるならば、第 に返る暇もないのです。研究は時がないために空しく過ぎて一、原稿をお渡しする期限は一八四八年一月一日、それより いきます。ちゃんとした足場を作りたくてたまりません。み早くはできかねます。貴兄ご自身としても、小生の口からお んながばくに曖昧な名声をつくり上げてくれましたが、このおよそのことでなく、正確な約東を聞くほうが、おそらくお 地獄がどこまで続くのか見当がっきません。貧窮、急ぎの仕気持ちのよいこととぞんじます。右の次第で、正確に一八四 八年一月一日までといたします。 事、ーーーああ、ゆっくり落ちつくことができたら ニコライ・イヴァーノヴィチ・ラインハルトと、・ヘルグマ第二、金は次のような方法でちょうだいしたいのです。銀 貨百ループリを一八四七年十月二日に、銀貨五十ループリを ン一家にくれぐれもよろしく。 即刻、すなわち使いの者にお渡し願いたいのです。 9 Z ・ <C ・ネグラーソフへ 6 ニコライ・アレグセエヴィチ、書面で交渉などするご無礼 をおゆるしください。直接面談したほうが、貴兄としてはご 〈ペテルプルグ、一八四七年八月末ー九月初〉 都合がよろしいこととぞんじますが、小生は当面の仕事を完 敬愛するニコライ・アレクセエヴィチ、 過日マイコフ氏のもとにおける会談の際、貴兄の提出され全に片づけた後、貴兄をお訪ねしたいと思いながら、目下あ まりにもいまわしき状態にありますので、即刻ことを始める た条件は、もちろん、非常に有利なものに相違ありません。 しかし、目下小生は言語を絶したる困窮状態に陥っていますことに決心いたし、この旨ざっくばらんに書中で申し上げる ので、貴兄の約東された金は小生のために、まったくなんら次第です。外出するわけにはいきかねます。と申すのは、今 簡の利益をももたらさず、ただ小生の窮境を長引かすに過ぎま朝風邪を引き込んでしまって、今後四日ばかり家にこもって せん。小生の事情は貴兄もある程度ご承知のことと思いまおらねばならぬらしいのです。 全身これ貴兄の・ドストエーフスキイ
にお入れなさい。金を惜しがってはいけません。ばくのは三え仕上げられない始末でした。もっとも、近いうちに帰りま 月号です。あなたには隠し立てしませんが、ばくは執筆のほす、それはきっと間違いなしですから、その時はとにかく万 うもうまくいかないのです。あの中編 ( 縮 ) が急に自分事話し合いましよう。もし病気したら知らせます。ばくは明 で気に入らなくなったのです。それに、ばく自身もちょっと後日か、それとも水曜日には出発したいと思っています。あ るいはそうするかもわかりません。アレグサンドル・。、 へまをやったので、どんなことになるかわかりません。 ヴ、ー 0 チカの ) は、今日あすにも癒るとい 0 て、励 ばくはひょ 0 としたら、来週出発するかもしれません。自ロヴィチ ( 夫イヴ , ーノフ ましてくれます。ロばかりでなければいいけれど。 分で行くのだからと思って、ずっと手紙を書く気もしなかっ ついでに、金のことですが、あなたの最後の計算書につい たのです。これは万一の場合のために、つまり病み込んでし て、先生、ひとことも返事をしませんでした。 まった場合の用心に書く次第です。 も 0 と早く完結してしまわなかったのは、われながらゆる何か手紙を受け取「たら、ばくが手紙でいってやるまで、 こちらへ転送しないように。マリヤはひどく悪くて、それが すことができません。中編ぜんたいがやくざなのに、それさ ばくをモスクワに引き留める ( 否、引き留めるであろう ) お え間に合わなかったんですからね。これはつまり凝りすぎた もな原因です。 のです。だから、見当ちがいなものができたのです。ばくは 七日現在で、パズーノフ ( 鬱のところに予約者が四十名あ 恐ろしく猜疑心が強くなりました。 つまっていました。新ロは、非常に少ないのです。雑誌が出 兄さん、二号分を一どきにだすのはきっとたいへんでしょ うね。ばくが当地で聞き込んだところによると、総合雑誌のるまでは望み得ないだろうと、みんながいっています。ばく 予約募集は哀れな結果だったそうですねモスクワ報知』はその場にい合わせませんでした・アレクサンドル・。、 ただしこれは新聞ですが、それさえ予想以下だ 0 たそうでロヴィチが行 0 たのです。チ = レー = ン ( ) のところでも約 す ) 。概して雑誌類一般がね。「時代』がこの一年間に、総合二十五名、どうやらそうらしいです。さよなら、兄さん、あ 雑誌の間で断然トップを占めるようにしなくちゃなりませなたを抱擁します。 ーシャは不自由ないはずです。 ばくの思、つところでは、。、 ん。 みんな、みんなによろしく。そしてばくには健康を祈ってく ばく自身については、こういわなければなりません、 ださい。それに、ばくを責めないで。病気その他いろいろの ここからペテルプルグへ協力することはできない。雑誌は刻 ことが邪魔をしたのですから。全身これあなたの 準備されているのに、ばくは遠く離れているのですから ・ドストエーフスキイ ね。ばくはここで小説を書くことしかできないのに、それさ 2
どと彼女を侮辱したらどうでしよう。彼女を、彼女をです ! 高潔なものも現われて来る、ーー彼女は中世の騎士のごとき物 心を持っています。彼女はわれとわが身を滅ばすに違いあり 美しい心を持った、天使のように純潔な彼女が、そういうこ ません。彼女は自分を知らないのですが、ばくは彼女を知っ とを〈聞か〉されるかもしれないのです ! どうでしよう ? はたしてこれが起こり得ないことでしようか ? 何かそれにています , 彼女自身の申し出によって、ばくは彼に何もかも、事件に 似たようなことが必ず起こります。それにグズネーッグの 関するいっさいの見解を書いてやる決心をしました。という ばくの心は張り裂けそうです。ばくは彼女の幸福を自分ののは、別れるとき、彼女の心はまた完全にばくのほうへなび いて来たからです。彼とも親しい間柄になりました。彼はば 幸福以上に考えています。ばくは彼女とこういうことをすっ しかし、ただ泣くだけが能の男で せんぶ話しつくすことはできませくの前で泣きましたが、 かり話し合いました。否、・ ん、わずか十分の一くらいなものです。彼女はじっと聞いてす ! ばくには自分のいかがわしい立場がわかっていまし いましたが、ぎよっとした様子です。しかし、女にあってた。なにしろ、ばくが二人に意見をして、その将来を説いて 聞かせ始めるや否や、二人ながら、あれは自分のためにやっ は、感情のほうが良識の示す自明の理にさえ勝を制するもの です。ばくの説いて聞かせたもっともな意見も、あれは競争きとなっているので、わざと未来の恐ろしいことを考え出し 者を攻撃して、自分に取り入ろうとしているのだ、という考ているのだ、というでしよう。おまけに、彼は彼女といっし ょにいるのに、ばくは遠く離れています。案の定そのとおり えに破れてしまいました ( どうも仕方がありません ) 。で、ば くは彼の弁護をしたのですが ( 日く、彼はそんなふうの人間でした。ばくは彼と彼女に宛てて共通の長い手紙を書いてや ではあり得ない ) 、何ひとっ彼女を説伏することができませりました。つり合わぬ結婚から生じ得るいっさいの結果を開 んでしたが、疑惑の念だけは残したわけです。彼女は泣いて陳してやったのです。ばくの身に起こったのは、ちょうどジ 煩悶しました。ばくはかわいそうになって来ました。と、そル・プラスがグレナードの大主教にほんとうのことをいっ ま た、あれと同じわけです。彼女は返事をよこして、まるでば のとき彼女の心はすっかりばくのほうへ向いて来た、 くが彼を攻撃したかなんそのように、むきになって彼を弁護 くが気の毒になったのです ! 友よ、彼女がなんという天使 のような女か、それがきみにわかったら ! きみはついそ一するのです。ところで、彼はいかにもグズネーッグふうにば かばかしく 、ばくの親友としての、兄弟としての哀願を ( な 度も彼女を知らなかったのですが、一刻一刻何か新しく、独 自なもの、良識の働きを示すようなもの、警抜なものが閃めせなら、彼自身がばくに友情と兄弟同士の交わりを乞うたか らです ) 、自分に対する人身攻撃であり、侮辱であるように解 くのですが、また逆説的なもの、限りなく善良なもの、真に
ヴィス・ ーデン、一八六五年九月五日 ( 新暦 ) いる。それにしても変じゃないか。なぜとにかく百五十グル デン送ってよこさないのだ ? 送金できると、自分でいって敬愛する友アレグサンドル・エゴーロヴィチ、ひと月ばかり 前コペンハーゲンへ向けてだした小生の手紙をご落掌くださ いる以上は、だ。百五十グルデン送って、それ以上はだめだ いましたか ? 小生はその手紙を発送するとき、貴兄はコペ と、いったらよさそうなものだ。物事というものは、そうい ンハーゲンにいられるものと、的確に計量したのです。とい うふうにするものだ。明らかに、彼自身も困っているか、つ うのは、小生が外遊旅行へ出発後、まもなくその手紙を書いた まり持合わせがないか、でなければ金が惜しいに相違ない。 しかし、わたしが返さないかもしれぬなどと、そんなこと疑からです。もし貴兄が七月十日 ( 露暦 ) より前に、ロシャへ向 うことはできなかったはすだ。わたしの手紙が彼の手にあるけてコペンハーゲンを出発されたとすれば、たしかにペテル んだからね。わたしだって人に見はなされた人間じゃないんプルグで小生をさがし当てられたはすです。ところが、ペテ ルプルグではお目にかかりませんでしたから、貴兄はまだロ だからね。きっと彼自身も余裕がないのだろう。もういちど これシャ旅行の途に上られなかったものと、間違いなく推察した 彼に送金を頼むのは、わたしの考えとして不可能だー からどうしたらいいのだろう ? ポーリヤ、わたしの親友、つもりです ( 貴兄はこの意図を前に書いてよこされました ) 。 わたしを助けてくれたまえ、救ってくれたまえ ! どこかでしたがって ( いま考えることですが ) 、ちょうど小生が外遊の 百五十グルデン手に入れてくれたまえ、わたしはそれだけあ旅に出た時、二人は行き違いになったのです。が、もしかした ったらいいのだ。十日たったら ( あるいはもっと早く ) 、きら、小生の手紙はコペンハーゲンから、ロシャへ転送されたか っとヴォスコボイニコフから、チューリッヒへきみの妹あてもしれません。そうだとすると、貴兄は小生の手紙にあった に送ってよこすだろう。たとい少額であっても、しかし百五とおり、チ = ーリッヒ宛てで小生に返事をくだすったかもは 、、よ ! 小生はこのヴィス かられません。ところが、毟ししカオ 十グルデン以下ではないから、きみには必ず返す。わたしが ーデンに足を突っ込んでしまって、まだチューリッヒへは きみをいやなはめに落とすようなことはありやしない。そん なことはあり得ない。妹さんと相談してくれたまえ。いずれ行かないでいます。右の次第で、なんにもわからないのです。 当地には、かってコペンハーゲンにいたことのある、ヤ にしても至急返事をたのむ。全身これきみの ヌイシェフという司祭がおります。小生は偶然このヴィス・ハ ・ドストエーフスキイ ーデンで彼と相識になり、彼が貴兄を知っていることを知り 今こそ自分がどうなるのやら、もうまるでわからない。 ました。何かの話の間に、貴兄はこの夏ロシャへ旅行を思い 6 ・・ヴランゲリへ 立たれた際、九月にはまたコペンハーゲンへ帰るといわれた 526
ることは、申すまでもありませんが、なんといっても才能と十日 ) は、なんとしても支払いできかねるとのことです。な昭 はなり得す、その欠点を償うことはできません。 お同人は、次の事情をも貴下にお知らせしてはしいと申して なお貴下の成功、貴下の天分の紛うことなき発現は、小誌 います。兄の死後、同人も子供らもなんの遺産もなく、同人 において常に喜びをもって迎えます。その点を信じていただ が亡夫の借金の一部を支払ったのは、ただただ故人の追憶を に存すること貴ぶがためにはかならないのです。 きたい。そうした役々が貴下のレバートリー を、小生の固く信ずるものであり、かっ貴下が完全に目的を兄の死後、雑誌が残されましたが、四方八方負債だらけな 達せられんことを、衷心より祈るものであります。貴下の奉のです ( 同誌が一八六三年、発禁となったからです ) 。小生 仕せらるる芸術は高尚なもの、高潔なものですが、それは困は自分自身の金で雑誌を継続しております。小生ならびにエ 丿ヤ・フョ 難な、きわめて困難なものであって、選ばれたる高き才能に ードロヴナが、われわれ自身、極度に金を必要 きえ、天才にさえ、無償で与えられはしません。この芸術をとするにもかかわらず、また負債がわれわれのものでなく、 高みから見下ろして、批評を無視し、阿諛者の言のみに耳を故人のものであるにもかかわらす、今後その負債を償却して 傾け、おのれのカのみを頼みにして忠言を斥けるのは、あま いくならば、それはわれわれ自身を非常な困窮に陥れること りにも危険なわざです。しかし、何をいうことがありましょ になります。それにもかかわらず、義姉と小生は協力して、 う ! それくらいのことは貴下自身、小生以上によくごそんわれわれにとって貴き故人の負債を全部支払うことに決定し じのことと思います。 たのです。右の次第により、貴下に次のごとき提議をします ( もし貴下においてそれを希望せられるならば ) 、 十日、われわれは現金で四百五十ループリをお支払いし、残 一八六五年 りの千ループリに対しては、三か月先付 ( 四月二十日 ) の小 切手を差し上げますが、これはすでにエミリヤ・フヨードロ ヴナ、及び小生の署名となります。かようにして、亡兄のこ 4 ・・チ = ミコフへ ( 暾第学者 ) の負債は、現在発行の雑誌勘定にくり入れられることになり ます。小生は今日まで、社として振り出した小切手は、正確 《ペテルプルグ、一八六五年一月十三日〉 に支払って来ました。雑誌の経営を大事に思うからです。 アレクサンドル・アレグサンドロヴィチ殿 アレグサンドル・アレグサンドロヴィチ、とくとご判断を エミリヤ・フヨードロヴナの依頼でご通知しますが、亡兄 の振り出した小切手 ( 額面千四百五十ループリ、期限一月一一一願いますが、このほうが貴下にとって有利ではないでしよう
も、貴兄が微笑を浮かべて小生を眺めておられたのを、覚えほかのだれでもない、貴君ご自身が主人なのですから、もし ています。しかし、小生のいうことをしまいまで聞いてくだ ほんの少しでも事柄が曖昧で、危つかしいように思われた さい。第一、小生は決して就職ロの周旋人かなんそのようにら、貴君はその話を完全に拒否されていいのです。シベリヤ 振舞っているわけでなく、そんなやりきれないばかげた役まからの引上げという点については、それは純外面的なこと わりは、どんなことがあっても買って出やしません。小生はで、十分に可能なことです。ただ金次第なのですから。とこ ちつばけな人間で、自分の分際ということはよく心得ていまろで、金銭のことというものは、いろいろな方法でまとめら す。しかし、小生はある程度、自分を取り巻いている現実をれるのです。最後に、ト生はこれらいっさいのことを危惧の 知っていますから、自分の利益のために、また親友の利益の念なしに申し上げてるのです。小生は相手がだれかというこ ために、何を利用しうるかということを知っています。小生とを心得ております。貴君は分別のあるしつかりした人で、 は貴君のために、心から貴君の幸福を望む親友として、誠心軽はずみな希望に夢中になったりなさらない、手のなかに四 誠意行動しているのです。貴君ご自身も、セミバラチンスグ十雀がいるのに、鷁を追っかけたりなさらない、不確かなも で小生がこの話をした時、信用のなさそうな目つきをしてはののために確実なものを失うようなことはなさらない。そこ おられましたが、それでも小生が奔走することを差し止めはで、ご忠告しますが、小生の空想や希望を、譫言のように考 なさいませんでした。最後に、小生は完全に貴君の利害を守えてください。が、同時に、小生が運動し奔走するのは許し って行動しています。つまり、貴君からとしてでなく、小生ていただきたいのです。なに、もしひょっとうまくいけばけ っこうなことで、何も見棄ててしまうことはありません。そ 自身の名で行動し、貴君を請願人の立ち場に置かず、貴君に たいする尊敬を遵守し、必要のない場合には、貴君の名さえれに、貴君も小生のあせり方をお笑いになるわけにはいきま 口にしないのです。のみならず、人と、ことをあらかじめ観せん。貴君は高潔無比な方ですから、小生がまったく無私の 心で、ただ貴君に対する友情で行動していることを、理解し 察しています。これがすべてナンセンス、無に終わるかもし れない、つまり失敗するかもしれないということは、ト / 生もてくださるでしよう。なぜなら、小生は貴君をはじめ貴家の 自分でよく心得ています。しかし、もし神の助けでうまくい ご一同を心から愛しているからです。もし小生の空想が滑稽 った場合にも、小生はその話が確かで有望なことについて、 なものでしたら、小生が第一番に笑いだします。が、小生の 簡貴君に一見明瞭な証明を提出しないかぎり、いきなり行動に良心は安らかです。というのは、貴君を興奮させたり、悲観 着手するような真似はしません。その時は、貴君ご自身、最させたりすることは、小生としてできないことを知っている 書後の決をくだされればいいのです。貴君の運命については、 からです。貴君は分別のある人ですから、何かしつかりした田
これは出発の際に、わずかばかりですが、金を送ってくれる拝眉の機をうるものと楽しんでおります。では衷心より握手 させていただきます。 と約東したのです。なおある人からも送金があることになっ 全身これ貴兄のものなる・ドストエーフスキイ ています。この人は小生を助ける義務があるのですから。申 すまでもなく、三週間以内にはご返却ができません。が、もし 6 ・・スースロヴァへ かしたら、それより早くお返しするかもしれません。いずれ 〈ヴィス・ハーデン、一八六五年八月二十二日 ( 十日 ) 〉火曜 にしても、一か月だけです。いやな気持ちです ( 小生はもっ カ何よりも、 愛するポーリヤ、第一、きみがどうして無事に着いたか、 といやな気持ちだろうと田 5 っていました ) 。 : 、 貴兄を煩わすのが恥すかしいのです。しかし、溺れかかって不思議な気がする。わたし自身に関する不愉快きわまる憂愁 に、なおきみを思う憂悶が加えられたわけだ。万一、きみが いる時には、はかにどうしようもありません。 ケルンにいて、三等の汽車賃さえ足りなかったらどうだろ 小生のアドレスは、 Viesbaden H0tel Victoria M. Théodor Dost0iewsky です。 う ? もしそうだったら、きみはいまケルンにたった独りば ーデンにおられなかった っちで、とはうにくれているわけだね ! それは恐ろしいこ もしひょっと貴兄がパーデン・ よしん とだ。ケルンのホテル代、馬車代、道中の費川、 ら、どうしましよう ? 全身これ貴兄のものなる g-v ・ドストエーフスキイ ば旅費だけは間に合ったとしても、きみはやつばりひもじい 思いをしたわけだ。そんな心づかいが頭につかえて、気の安 5 ・・ツルゲーネフへ まる暇はない。 今はもう火曜日の午後一一時なのに、ゲルツェンからはなん ・ハヴィスパ ーデン、一八六五年八月二十日〉 。もう来てもいい時分なんだがね。いずれに 善良無比のイヴァン・セルゲエヴィチ、五十ターレルのごのたよりもない しても、明後日の朝まで待ってみるが、それから先は最後の 送金、ありがとうございました。それは根本的な助けにはな りませんでしたが、なんといってもたいへんたすかりまし望みを失うわけだ。いずれにしても、ただ一つだけ明瞭なこ とがある。もしゲルツェンからなんの消息もないとしたら、 た。近々お返しできるものと考えております。いろいろご忠 告感謝いたしますが、それは小生にとってある程度実行不可つまり彼はジュネーヴにいないわけだ。つまり、おそらくど 能です。のみならず、おそらくまだ汽車に乗っている時からこかへ旅行に出たのだ。わたしが確信をもってこう結論する と思いますが、風邪をひいてしまいまして、ベルリンを立つわけは、ゲルツェンとの関係がごくうまくいっているからで、 ころから毎日悪寒に襲われています。いずれにしても、近々たとい彼が金を送りたくないと思っても、あるいは送ること 522
ので、もう一度手紙を差し上げて、貴君を煩わすのやむなき月銀貸十ループリずっ払ってくださるようお願いします。即 金で五百ループリというのは、せつばつまって必要なものを に至りました。 合理的な分配をするのは困難でありますが、家族的にそ申し入れたのです。千五百ループリは借金の返済、二百五十 ループリは当座の支出に当てるわけですが、それはほんとう れを行なうのはきわめて容易なわざで、その取り決めを相互 ートレ・ア なら、二百五十ループリの倍もいるのです。。ヒョ に固く守り、あとで法による確定をすればいいわけです。ば ンドレエヴィチ、この問題の同意も決定も、目下貴君の掌中 くはもう前からそう田 5 っていたのですが、兄もやはりそう思 っています。もちろん、ばく自身から貴君にそのような解決にあるのはもちろんです。貴君はこういった中し出を、百千 を提議すべきではありませんが、今度は兄が保証してくれるの口実のもとに斥けることができます。しかし、こんど双方 のですから、自然の道理として、いくらか問題を促進するこの側から手紙に書いたり話し合ったりしたいっさいのエッセ とができるでしよう。ばくがこんど取った方法、つまり借財ンスを、ばくのほうから赤裸々にしたためるということは、 と諸事不始末のために退官したということに対して、ごうご現在、必要かくべからざることです。貴君のとられる一つ一 うたる非難が浴びせられているのは、ばくも察しているばかつの処置には、理知と、高潔心と、同情が伴っていることを りでなく、常に確信していました。そうした非難の中には、疑わないので、次の数行に含まれている不愉快な意味を、ゆ くじゅ きようだい るしてくださることと思います。それは必要にロ授されて書 「あいつ、兄妹の背中におんぶしようと思ってるんだ」とい う決まり文句が交じってるに相違ありません。そこで、このかれたものであります。 ほかでもありません、 ごぞんじの点に関してわれわれ ことはそれ自身として、ばくのおかれている状態では避くべ 」このあいだに起こったいっさいのこと、すなわち、貴君が、ば からざることでもあるにもかかわらず、ばくは一人だけ刎レ くの無経験な迷いにみちた青春を自由に引きまわし、またば なることを義務とさえ、い得ているのです。前に述べたもろも ろの理由によって、銀貨で千ループリという額を指定しまくとしては、貴君の忠一一一口、規律、強制、剥奪、等々につ す。それはありとあらゆるものを買い戻したり、公私の借金て、若干不遜な言辞を弄しましたが、そういうことがあった を支払ったり等々を含めて、じつに折り合いやすい相場なの後に、貴君は自分に与えられてもいない権力を行使し、こだ です。それどころか、かって貴兄がいわれた評定価格を考慮両親のみ採決しうる動機によって、ことをおこなわんとし、 にいれると、当然しかるべき相場以下であることは間違いあまた最後に、かってばくがいまいましさのあまり、ぶしつけ りません。この銀貨千ループリという金額のうち、銀貨五百であるといった役割を演じようとしておられます。こういう ループリを一時に渡していただき、残りの五百ループリは毎ことがあった後でも、貴君はばく自身の利益のために、また
敬愛してやまぬイヴァン・セルゲエヴィチ、貴兄が・ハーデた。そのことは、おそらく・ハーデンにもロシャ新聞があるこ ンからお送りくだすった最後のお手紙に、お返事を差し上げとと想像しますから、すでにご承知かもしれません。この禁 なかったことは、幾重にもおゆるしを願います。のみなら止の厄はわれわれにとってかなりとっぜんに降って来たので ず、その前にちょうだいした二通のお手紙にもお返事しなかす。われわれの雑誌の四月号に、『宿命的な問題』という論 ったことは、まことに申しわけのない次第で、深く深く良心文が掲載されました。貴兄はわれわれの雑誌の傾向をご承知 の咎めを感じております。と申しますのは、最後のお手紙はと思いますが、それは主としてロシャ的傾向で、反西欧的な ト生にとって最も多忙な、苦しい時に到着したのです。ほかのです。さて、こういう雑誌がはたしてポーランド人の味 でもありません、小生どもの雑誌が禁止された時だったので方をするでしようか ? にもかかわらず、雑誌は非愛国的信 す。その際は煩労、落胆、その他不愉快きわまることの連続念、ポーランド人同情という非難を受け、われわれからいわ で、まったくひと月の間はペンを取る気にもなれなかったのせればきわめて愛国的な論文のために、禁止されてしまった です。貴兄はおそらく信じてくださらないでしよう。ところのです。もっとも、その文章には表現の拙いところ、言葉の足 で、前のお手紙につきましては、妻の病気 ( 肺病 ) 、別居 ( ほ りないところがあったのははんとうですが、それが曲解の因 かでもありません、妻はよく死にもせず、ペテルプルグで春となったのです。その言葉の足りないところ、それはわれわ を過ごし、夏の終わるまで、あるいはそれ以上の予定で、ペテれ自身も今となって認めているのですが、それは事実きわめ ルプルグを去ったからです。首都の気候は、もはや妻にとって重大なものでして、その点われわれ自身が悪かったのです。 て堪えがたかった次第です ) 、それから最後に、ト / 生自身が しかし、われわれは前から文壇で知られている雑誌の傾向を べテルプルグへ帰った後、かなり長く重い病気にかかったこ頼みにして、論文の主旨は理解してもらえる、言葉の足りな と、これらいっさいが今日まで貴兄に手紙を差し上げること いところを曲解されることはあるまいと考えたのです。要す を妨げていたのです。といって、もしとおり一遍の儀礼を守るに、そこにわれわれの誤りがあったのでした。論文の主旨 るだけのためなら、それくらいの時間はあったのですが、今はつぎのようなものでした ( これを書いたのはストラーホフ でも忘れません、小生は貴兄と語り合いたかった、というよです ) 。ポーランド人はロシャを野蛮国として極端に、軽蔑 り、当時わが文学に生じていたことを、詳細にご報告したか し、自分のヨーロッパ的文明をわれわれに誇っているから、 簡ったのです。つまり、そのためにこれほど長い間ご無沙汰し ロシャとの精神的な ( 換言すれば堅固な ) 和睦は、遠い将来 てしまったのです。 にわたってほとんど予見することができない、 というので 書 かような次第で、小生どもの雑誌は禁止されてしまいましす。しかし、論文の意味は理解されず、こんなふうに解釈さ
され、いとも醜い形にして突き出されました。あなた自身も ( これはまさしくあなたに必要なものと思います ) のものは 、、、くと議論する必ず送ります。それからジャージン少将の記録も。少将はお 手紙に、「返事をおくれ、反駁する力ししを かしい」と書いています。そして、その中に何か益になるこんみずから兄さんを試験するはずです。しかし、そのノート とでも発見しているようなのです。なっかしい兄さん、なんはかっきりひと月の期限でお貸しします。人の借りものです の益もありやしません、断じてありません。ただあなたのエから。ばくは苦心して手に入れたのです。ひと月以上は一日 ゴイズムが ( それはわれわれ罪ふかい人間がだれでも持ってもだめですよ。よく写しておしまいなさい、さもなくばだれ かに写してもらうのです ( ジャージンは一風変わった男で、 いるものですが ) 、他人の意見、規範、性格、貧弱な頭脳に ついて、きわめて好都合な結論を抽出するだけです : : : これその試験にはすっかり暗記しなくちゃなりません。でなけれ いや、親しい同士の手紙ば、自分の言葉で本でも読むように答えるのです ) 。野戦築 は実に情ないことです、兄さん ! で交される議論は、甘い味をつけた毒です。こんど会ったら城学はくだらないものですから、三日間で暗記できます。で も、五月にはこれも送ります。長期築城学となると別問題で どうでしよう ? それはばくたちの間でいつも不和の種とな すが、これも奔走しましよう。それからここには解析幾何学 るよ、フな 1 刄がします : ・・ : が、も、つこの話はよしましよ、つ ! の石版刷ノートもありますが、これはプラシュマンからそっ このことはまだ最後のページで話す暇がありましよう。 陸軍大学、—C'est du sublime 一 ( それは素敵です ! ) まくりそのまま取ったのです。もちろん、縮めてはありますが ったく、それはこのうえもない立派な方針です ( ) ばくはね。そういうわけで、われわれはプラシュマンをやっていま いろいろあなたの運命を考えて、それをわれわれの事情と一すから、あなたも暗記なさい、自分で本を買って。 兄さんは測地学を知っていますか ? われわれはポロトフ 致させようとしましたが、ばく自身も陸軍大学という考えに おちついたのです。ところが、兄さんのほうが先を越しましの教科書をつかっています。物理学 ( オジョーモフの教程 ) 。 石版刷の徴分係数は奔走してみます。われわれのやっている た。してみると、あなたもその案が気に入ったのですね : ・ しかし、こういうことは知っていますね。陸軍大学へ入る前歴史はいとも詳密な厖大きわまるもので ( 石版刷 ) 、これは に、少なくとも一年間は勤務しなくちゃなりません。その一手に入れることができません。文学一般とロシャ文学はプラ グシンで、ばくらのところでは著者自身が教えています。兄 年間は、製図部に居残ることになさい。 うわごと でも、なんだってノート、ノートと譫言のようにいってるさんにいっておきますが、あなた方の野工兵試験は実に楽な ものです。たいていのことは見て見ぬふりをして、エ兵は仲 んです。ばくは兄さんの課目を知らないんですもの、いった い何を送ったらいいのです ? もっとも、砲兵科とエ兵科間同士いじめないようにする、というのが、みんなの原則と