まりご馳走を食べすぎたせいだ、というわけです。小生はません。今の小生の気持ちもほとんど同様です。全心を仕事に だモスクワにいる時から、『モスグワ報知』にあの講演を掲打ち込んでいます、懲役のような仕事です。九月には『カラ 載した後、すぐさまペテルプルグで『作家の日記』の特別号 マーゾフ』の最終部分、第四部を全部完結したいと思いま を出そうと決心しました、 これは今年度の唯一の臨時号す、いや、そう決心しました。ですから、秋ペテルプルグへ で、そこには小生の講演と、それに対するある程度の序言を帰ったら、比較的な話ですが、しばらくの間は暇になります 載せようと思うのです。それは講演が終わった後、文字どおから、「日記』の準備にかかります。来る一 八一年から復 りすぐ演壇の上で小生の頭に浮かんだものです。その時アク活するのですが、それはもう確からしいです。あなたは別莊 サーコフなどといっしょに、ツルゲーネフとアンネンコフも に行っていらっしゃいますか ? モスグワの消息はどこから 飛んで来て、小生に接吻し、小生の手を握りしめながら、き届くのでしよう ? ガエーフスキイがあなたに、なんとお知 みは天才的なものを書いたと、くり返しくり返しいったものらせしたのかしりませんが、カトコフのことはちょっと違い です ! しかし、ああ、彼らは今でもあの講演のことを、そます。カトコフを侮辱したのは、祝祭を主催したロシャ文学 んなふうに思っているでしようか ! つまり、彼らが感激か愛好者協会なのです。会はいったんカトコフに送った切符を らさめたとたん、何を考えるだろうかということ、これが小取り返したのです。カトコフが演説したのは市会の晩餐会の 生の序言のテーマになるのです。この序言と講演を、小生は席上で、市会の代表者として、かっ市会の乞いによってで べテルプルグの印刷所へ送って、もう校正も届きました。とす。ツルゲーネフにいたっては、カトコフからの侮辱を恐れ ころが急に、グラドーフスキイに対する反駁を Profession るなどということは、全然あり得ない、恐れるような振りを defoi として、「日記しの新しい章を書くことに決めました。するはずもありません。むしろ反対に、カトコフこそ何かい 全体で二台になりました。小生はこの文章に魂を打ち込んだやな目にあわされるのを、恐れていたかもしれません。ツル ペテルプルグ のです。今日、やっと今日、それをモスグワ ( の書きちがえ ) のゲーネフのほうはとても大がかりな派閥が作 0 てあ「たので 印刷所へ送りました。昨日はフェージャの誕生日で、客が来 ( コヴァレーフスキイと大学の手で ) 、彼としては何も恐れる ていたのですが、小生は引っ込んで、仕事を終えた次第で必要はなかったのです。ツルゲーネフこそまっ先にカトコフ す ! どうか小生に対して寛大なお気持ちになって、ご返事を侮辱したのです。カトコフが演説した後、イヴァン・アグ 簡が遅れたことをお腹立ちないように願います。小生はあなたサーコフのような人々が、彼のそばへ寄って、杯を触れ合わ が好きなのです。それはあなたもごぞんじでしよう。 そうとしたのに ( 彼の敵たちさえ杯を合わせまし「た ) 、カト 書モスクワの印象その他は、手紙で語りつくすことはできまコフが自分のほうからツルゲーネフに杯を差し出して、乾杯 引 7
この Ville d ・ Alger でうまくいくかどうかわからない。おかそんなことなど聞きはしないけれども、これでもう五日たっ みは後家さんで、聞いて見ると、フランス人、ただしアルジたのに、まだ何ひとつできていない。子供のことは、なにか エリア生まれなのだ。わたしはそれを知らなかったが、少な胸の痛みのようなものをいだきながら考えるのだけれど、お くとも、今はフランス語で話をしている。歳は三十三で、許前がついているから、心配はしない。お前に望みをかけない 婚がかよってくる。きわめて、堂々とした四十ばかりのエムで、だれにかけるのだ。しかし、お前が病気でもしやしない グートベジツツェル スの男で、やはり、地主だ。おかみはこの男を家の中かと、それが恐ろしい。わたしはそれで苦しんでいる。最近 . へは通さず、ただ門際のべンチにいっしょに腰かけているけお前はとても無理をしているからね。そんなことがあった れども、そのかわり一昼夜ずっとだ。わたしが外へ出て行くら、だれがいったいお前たちみんなの世話をするのだろう ? と、おかみはまるで悪いことでもしたように、真っ赤にな かわいいアーネチカ、わたしの仕事はただお前のことを考 る。わたしはおかみに、少しも早く結婚するほうがいし とえるばかりだ。ありとあらゆる場面、ありとあらゆる想像画 いってやった。もっとも、三人から子供があって、顔つきはを描いて考えている。お前も知っているとおり、わたしは長 もう年寄りじみてはいるけれど。それから、ネクタイを買く別れていたあとでは、お前に惚れ込んでしまって、恋人と 、図書館の閲覧者のリストに署名し、荷物を全部ひろげしてお前のところへ帰って行くのだ。しかし、わたしの天 て、肌着を洗濯にやり、 blödige Kinder ( 低能児童 ) のため使、今度はすこし違っている。たぶんお前も気がついたろう に寄付をし、等々である。知人は一人もないが、ロシャ人は が、今度はペテルプルグを立っ時から、もうお前に惚れ込ん わんさといる。療養集会所にはロシャ新聞が四つもあるが、 でいた。二人で大喧嘩したあとだったから、わたしはぶつぶ ノーヴォエ・ヴレーミャ 气新時代』がない。散歩の途中、二人のロシャ人が向こ ついいもするし、旅装をととのえながら、剩癪を起こしもし うからやってきて、一人がもう一人に、「おい、知ってるか たけれど ( それはもうわたしの性質なのだ ) 、同時にお前に あれがドストエーフスキイだぜ」といった ( わたしには惚れ込みはじめた。わたしはその時すぐそれをはっきり意識 - それが聞こえたのだ ) 。にもかかわらす、知人はいない。 して、われながら驚いたほどだ。わたしたちが結婚してから いろいろの考えがわたしを悩ましている。文字どおり恐ろ九年の間、わたしは四へんか五へんお前に惚れ込んだが、い しく悩ますのだ。何よりも、「日記』を書かなくてはならなつもしばらくの間だった ( いま気持ちよく思いだすことた いということだが、わたしにはなんの着想もない。で、いつが、四年ほど前いっか一ど大喧嘩をして、二、三日お互いに ・はじめるやら見当もっかない。ォルトに、文学上の仕事はどものもいわずにいた時、お前に惚れこんだ。二人でどこかへ うかときいたら、断固として禁止した。もちろん、わたしは呼ばれて行って、わたしは隅っこにすわって、お前がほかの
もうこれで二日、実を頼んだ。これで安全だと思うから、お前おこらないでおく どわびしい ( たが」ル , サを立 0 たのである にいやな ( 入って見てわかったのだが ) H0telDagmar に泊れ。証人のいる前で、自分名義で抵当に入れたから、外国か まっている。いやな部屋の中で、子供たちとお前の面影が目ら帰ったら、ミーシャから写しをもらう。期限は九月の五 先にちらついている。旅疲れでことに神経が衰えている。さ日、つまり三か月だ。利子天引きで、合計百十七ループリ五 十コペイカ受け取った。しかし、お前が望むなら、ミーシャ て、順々に報告しよう。 昨日、長道中と、すわったままのうたた寝で、すっかりへに手紙を書く。そしたら、ミーシャがスターラヤ・ルッサの お前にあてて、「預り証の写し」を転送するわけだ。しかし、 とへとになり、半分ねばけながら、ペテルプルグへ着いた。 ミーシャの舌による Dagmar へ泊まったのは、停車場のそばで、 Dagmar が目わたしの考えでは、そんな必要はない。 についたからだ。恐ろしい茶を飲むとすぐ、用事に出かけと、「サングト・ペテルプルグ新聞』に、リヤザンの領地明 た。編集所で、公爵がまだペテルプルグにいることを知り、 ナの ) を売るという、コルシ = とポリヤコフの広告が出て 占痴』二部 (} 家 ) の代金六ループリ受け取 0 た ( それ以上いたそうだ ( ただし、二人の署名なしで ) 。今日の木曜の は売れてなかった ) 。それから、相互信用会社へ行った。そ「ゴーロス』にもそれが出ている。手に入れて読んでごらん。 こでよも、フミーシャ亡兄ミ ( ィ ルの子 ) カ待 0 ていて、すぐさま自分短い広告だけれども、なかなかはでなもので、詳細を知りた で、金貨一一枚翁一ら ) わたしてくれた。しかし、相互信用でい買い手は、リティナャ街 ( おそらくコルシの住居 ) か、 ーヴロフスグ、ソルダーッカヤ ( 兵隊 ) 村のトルマチョフ は手形を抵当に入れるのは不可能だとわかった。それには会 員にならなくちゃならないのだ ( ついでながら、シエヴヤコの家へ来てほしいというわけだ。ミーシャはまたどこから か、妙なうわさを聞き込んできたが、それによるとグボーニ 一一度目夫 ) がわたしをちらと見て、うなずきもしなか 0 ン ( この鉄道に関係している ) が買いたがっており、うちの た。もちろん、わたしも同様 ) 。しかし、ミーシャが、すぐ ヴォルガ・カマ銀行へい 0 しょに行 0 て、そこで抵当に入れ連中は一デシャチーナ (l ハ」 0 八十ループリ ( 全体で五千 ようと勧めた。ヴォルガ・カマ銀行ではすぐうまくいったデシャチーナ ) と申し入れたところ、彼は色気があるとかい 、が、それはある程度、本屋のナジェーインのおかげだ。彼はうことだ。きっと根も葉もないうわさだろうが、これはもう 自分の用事で、偶然その銀行にい合わせ、わたしをある官吏あまりうますぎる話だ。ナジ = ーインは恐ろしく ( ほんとう と思えないほど ) わたしにつきまとい、おかしいくらい拝む へ紹介した。ナジェーインの一言葉によると、「わたしの作品 の崇拝者」だそうだ。わたしは自分の名で抵当に入れた。預ようにして、出版費を調えたら、わたしの全集をださしてく り証の写しは、わたしが外国にいるあいだ、ミーシャに保管れとはっきり申し出た。たった五分の利潤でいいので、それ
というのですから、どうか「めでたき」のかわりに、「王もとに開かれるからであります。この詩人の天才は、すでに の」という言葉を生かしてください 小生はある場合のこと少年の頃から小生に力強い影響を与えたのであります。しか を考えて変えてみたのです ( もっとも、「めでたき」のままし、小生の健康状態が参加を困難ならしめるおそれのあるこ でもかまいませんが ) 。 とを、あらかじめ考慮せざるを得ません。小生は鉱泉療法を ミハイル・ニキーフォロヴィチのご健康はいかがですか ? 続けなければなりませんので、主治医の指定する場所につい どうかくれぐれもよろしくお伝えください 。ご令閨にも敬意ても、時についても、目下のところ小生は何ひとっ知らない を表します。敬具 有様です。会議に参加したいという切なる願いと、この実際 貴兄の・ドストエーフスキイ上の必要を一致させるべく、小生はあらゆる努力を試みるつ ・第五編 rpro と Contra 』の後半は次の六月号にもりです。しかし、自分の行動に完全な自由を持っておりま 載るということを、最後のページに予告していただけないでせんので、小生としてはやむなくこのことをご報告申し上げ しようか。六月号の原稿は、六月十日までにお送りしますがて、右のような曖昧な事情をご考慮のうえ、小生に代表章を ( これは一番おくれた場合 ) 、あるいはもっと早くできるかも送るべきかどうかを、貴下のほうでご決定くださるように願 しれません。そんな具合にして期限に間に合わせます。毎月 います。 十日より早めに送るようにします。毎月、中絶なしに掲載し会長殿、謹んで貴下に敬意を表します。 ます。 * ドストエーフスキイは、ついに会議に出席しなかった・ 3 Z ・ << ・リュビーモフへ 国際文学会議会長、翁 ~ し 〈スターラヤ・ルッサ、一八七九年五月下旬〉 スターラヤ・ルッサ、一八七九年五月十七日 議長殿、バ リの文学上の同朋の方々によって開催される国尊敬してやまぬニコライ・アレグセエヴィチ、小生は今日 際会議に招待してくだすったことは、小生にとって大きな名まで、『ロシャ報知』との勘定を延期しておりました。と、 誉とそんじます。貴下によって提示された目的は、文学上のうのは、そもそもの初めから前借りしていたからです。しか 利害という意味で、あまりにも身近なものなので、貴下の呼し、今では事情が変わったので、よんどころなく、このよう びかけに答えることを、おのれの義務と考えないわけにはまなお願いで貴下を煩わさなければならなくなりました。実 いりません。のみならず、小生が個人としてこの文学的祝典は、ずっと後でこのお願いをしようと思っていたのです。幸 に心ひかれるのは、この会がヴィグトル・ユーゴーの司会の いなことに、われわれの勘定はきわめて簡単です。小生は一
た故障や出来事がなくて、道中すらすらといったら、十二日 けだ。あの二人は、いやしくもわたしのような人間を教化し にはルッサへ着くわけだ。いずれにしても、十二日には船つようと思っているのだ。ここへリハチョーヴァがやって来た き場まで馬車をまわしておくれ。もっとも、このことは当地 ( リハチョーヴァ・スヴォーリナ出版社の ) 。自由主義のた 出発の前日に、改めて知らせる。治療はたしかに効果がありめに、ベオグラード = ーゴの首 ) へ行 0 てきたそうだ。何 そうだ。もう今から効果が見えている。舌はきれいなものかしら自由主義でこっこつに固まったような代物で、セルビ で、ペテルプルグでは、こんなことはかってなかった。それヤ人に対する人道的な同情ばかりを口にしているが、どうも に、まったくひどい料理を食べさせられているにもかかわら金棒引らしい。わたしがスヴォーリンの『コンスタンチノー ず、食欲はものすごいほどだ。そして、お前はほんとうにしプル通信』を読んでいないと聞いて、持参の『ノ 1 ヴォエ・ ないかもしれないが、わたしは肥えてきたよ。もし十二日まヴレーミャ』を貸してやると申し出、十六になる息子にわた でにやせなかったら、きっとお前以上に肥っているに相違な しの宿へ持たしてよこした。この子もやはりベオグラード へ 。まあ、お前、自分の目で見るがいい。ただときどき神経衰行ったとかで、わたしはこの子が気に入った。で、少年を自 弱になるので、ひょっと発作がやってきましよ、 。オしかと心配し分の部屋に十五分ばかり引き留めて、非自由主義の説教をし ている。それこそ、間が悪いというものだ。おまけに結局のてやったが、その間に、ロシャでは神学生が多くのことに害 ところ、ここの退屈さは醜態といっていいほどやりきれなくを流す、という言葉を挾んでやった。もっとも、エリセエフ なってくる。で、仕事をするのはつらいのだけれど、しかし、のことを当てこするようないい方は、少しもしなかったが 仕事はなんといっても、退屈な時間を紛らせてくれる。エリ ね。夕方、この夫婦に出会ったが、冷淡なところが見て取ら セエフ夫婦は、どうやらわたしに腹を立てているらしく、避れた。おもうこ ( 冫いくつかの理由に基づいて ) 、少年がわた けるようにしている。やくざきわまる、型にはまった自由しの話を母親に伝え、母親がこの夫婦に話したものに相違な 主義者で、わたしの神経を掻き乱すくらいだ。自分のほうか わたしはこの連中に会わずにすむのが、大いにありがた ら交際を求めて、のべっ顔を合わせているくせに、『ひょっ いくらいだ。この連中に出会うと、ただ神経衰弱になるばか として、あの男の退歩主義に身を穢しはしよ、、 / しカ』と一用、ーレ ているような態度をとるのだ。じつに虚栄心の強いやつらで さよなら、わたしの天使、わたしの佳人、わたしの光、わた 細君のほうがことにそうなのだ。自由主義の原則のつまった しの望み、お前はどんな女よりも優れている。どんな女だっ かな 紋切型の本のお化けだ。「まあ、この人は何をいっているのてお前に敵うものはありやしない。わたしたち二人は、魂と だろう、まあ、何を弁護しているのだろう ! : ・ : ・ 」といったわ魂とで結び合わされたのだ。どうか少しでも長くいっしょに
さんにも、アレクサンドル・カルロヴィチにも。ばあやにもろんなごたごたした用事が邪魔をしたので、今もう十一時に田 同様、あれにヴォートカを飲ましてやるのを忘れないで。い なってしまった、この手紙も今日発送されるかどうかおばっ まいましいヴィスパ ーデンの司祭が、わたしの負けた賭けのかない。お前の手紙の一通一通は、わたしにとって一種の ことを催促して、スラヴ委員会に二十五ターレル寄付しろ、 「解放」に等しいのだ、前の日から、いや二日前から、わた と要求した。いい まましい、寄付してやるとも。まったく無しはなにか心配で気が鬱してくる。「あちらでは何もかも無 作法なやつだ。もっとも、わたしはあの男にあまり丁重な態事なのだろうか、なにも変わったことはなかったろうか ? 」 度はとらなかった。もう一度あったら、うんと罵倒してやとね。お前はほんとうにするかどうか、わたしはとても疑り る。あんないやなやつには、滅多に会わない。概して、わた深く、いらいらしやすくなってきた。五日目ごとに手紙をく しはここへ来て、ひどく肝臓を悪くしたらしい・食は進むのれるとのこと、ほんとうにうれしい。子供の知らせをもらう だが、不思議なことには、スターラヤ・ルッサの時のようにのはわたしにとって絶対に必要だ。ここにいてさえ、子供た ちの姿を平気で見ることができないぐらいだ、もしどこかで 肥らないばかりか、むしろやせたくらいだ。かけがえのない ハと・子供の泣き声でも聞こうものなら、ふさぎの虫が起こって、 わたしの天使、さようなら、お前を抱きしめて、リュー・ フェージャに接吻する。リュ ー・ハはわたしをおばえている いやな予感に襲われる。人はわたしの剩癪を治療のせいだと が、フェージャはど、つだろ、つ ? 、う。だれでも神経が変になって、とくに肝臟が冒されると のことだ。 : 、 カわたしの考えでは、脳の調子も狂うらしい ( 万一の場合のために、わたしのアドレスを書いておく。 お前の手紙にはお前自身の治療のことが書いてあったが、 Bad ・ Ems hötel Ville d'Alger No 4 ー 5 ) しかし、必ず前の とおりに、局留めで出すように。 しかし、食欲がなくなってやせたとは困ったものだね。アー お前のドストエーフスキイ ニヤ、その鉱泉の療法を早くすませてしまいなさい、定量を 飲んでしまって、食療法も何もなしにせっせと食べるように 田妻アンナへ 、そんなふうではただ自分を苦しめるだけだよ。 する力しし、 お前はわたしがたった五ページしか書いていないといって責 エムス、一八七四年七月五日 ( 十七日 ) 、金曜日 しつも郵便の発送に遅れるのが なっかしいわたしのアーニヤ、何ものにも替えがたいお前めるけれど、それは第一に、、 の手紙を昨日受け取った。そして返事が遅れたのを心配して心配なのと、第二には、なるべく頻繁に書こうときめたのと、 いる。というのは、医者のところへ行って、その決定を聞い最後に手紙を包むための空きページを残しておくためなの だ、そうしないと何もかも封筒を透いて見えるからね。 たうえで返事を書こうと思ったからだ。ところが、今日はい
にかインテリ的な仕事 ( 教育とかなんとかいう専門の仕事 ) で、ひどく小生を悩ましました。いったいあなたは、小生の ことをなんと思われたでしよう ? あなたの陥っておられるに従事なさい、などとお勧めしたって、しかたがないらしい お聞きにならないでしようから。しかし、それに 苦しい心の状態では、おそらく小生の沈黙を侮辱ととられるです、 しても、あなたは、何をあわてていらっしやるのです、どこ へお急ぎになるのです ? あなたは、すこしも早く世間の役 実は、小生は山のような仕事を背負い込んでいるのです。 期限のきまった『日記』の仕事のほか、文通に追われているに立ちたいと、急いでおられます。ところが、あなたのよう のです。あなたの書いてよこされたような手紙が、日に何通な精神的熱意を持っておられたら ( それが真剣なものと仮定 して ) 、行動に移られてもいいでしよう。それも、行く先も もくるのです ( 文字どおりに ) 。しかも、それに答えるには、 一行や二行ではすまないのです。小生は持病の癲細の発作にわからずに急ぐのでなく、正規に自己の教養をつくった後、 三回も襲われましたが、これほどひどく、これほど頻繁にや看護婦とか、産婆とか、女医とかいう曖昧なつまらない役割 を勤めるより、百倍も有益な活動に向かって準備することで ってきたことは、もう長年の間なかったことです。しかも、 発作のあと二、三日は、まるで仕事をすることも、書くことす。あなたは当地の医学専門学校にあこがれておられます。 も、それどころか読むことさえもできません。なにしろ、肉が、小生は断固として、そんなところへ入学されるのをおと 体的にも、精神的にも、たたきのめされたようになるのですめします。あんなところでは、なんの教養も授けられないば から。そういうわけで、いま右の事情がおわかりになったかりか、むしろそれより悪いことが行なわれています。あな ら、長いあいだ返事を差し上げなかったことを、ゆるしてくたがいっか、産婆や女医になられたところで、それがいった ださるでしよ、つ。 、どうだというのでしよ、フ。そ、ついう専門のことは、もしど 小生はあなたのお手紙を、あなたご自身いっておられるようしてもそれでいきたいとおっしやるなら、後日になっても うに、子供つばいものとも、ばかげたものとも考えていませできることで、今はもっと別の目的を追及したほうが、より ん。重要なのは、これがいま一般に共通の気分だということ高級な教養に従事されたほうが、よくないでしようか ? わ が国の専門家のすべてを見てごらんなさい ( 大学教授さえも で、そうした苦しめる若い処女は、非常にたくさんいます。 しかし、このテーマについて、あまり多く書くわけにいきま含めて ) 。彼らはなんで苦しんでいるのでしよう、おのれ自 身の仕事と使命になんで害をもたらしているのでしよう ? せん。ただこの問題一般と、部分的にはあなたに関して、 生の根本的見解を表明するにとどめましよう。ほかでもあり ( 益をもたらすかわりに ! ) ほかでもありません、わが国の どうか落ちついて、ご両親の家に踏みとどまり、な専門家の大多数は実に教養のない連中ばかりだからです。ョ
Z ・昨夜は、たった四時間しか寝なかった。ひどく神し、金を受け取ったのはプレスノフのとこだけだ ( 七ループ 経が弱っている。胃も同様。 リ ) 。ああ、それからヴァシーリエフもさしあたり五十ル プリよこした。そして、わたしの出発までに精算書を届ける 0 妻アンナへ そうだ。このこともすっかり、会った時に話す。 モスクワ〈一八七八年〉六月二十二日、木曜日 アグサーコフのところへも行ったし、ブツイコーヴィチに なっかしいアーニヤ、ほんの短い手紙を書く。用事や奔走も会った。とても面白かったが、何もかも会った時だ。明日 などがうんとあって、すっかりまごっいてしまった。それの朝は、ソロヴィョフといっしょにオプチナ僧院へ行って、 一分の暇もないのだ。今お前の手紙が届いた。失礼だ火曜日にモスグワへ帰る ( おそらく ) 。プロホロフシチコフ が、短いのが不足だ。ほんの少しでも長く書けたはずだの ( 崇拝家 ) がわたしのとこへ来た。ほら、一昨年、リヴァジ に、リューポチカにうんと接吻しておくれ。それから、フェ ヤで皇帝のところにいたモスグワの百万長者だ。ノヴィコヴ ジャも同様に。今日カトコフのところへ行ったが、お前に ア実家の姓はキレーヴ ) は、とてもわたしを呼びたが「て なんと書いたらいいかわからない。 もう一度よく話さなくてる。いつ行けるかわからない。帰ったら、うんと話さなけれ はならない、とても長い話なのだから、手紙などでは書き尽ばなるまい。今は急いでいる。 くせやしない。 一口にいうと、彼は非常に喜んで、先払い 総決算ー・ー・カトコフとは今までにないほどな最上の関係に も、一台三百ループリ そのほかすっかり承知で、そんな よった。彼はお前にくれぐれもよろしくと、つこ。 しオ今日は二 ことには少しも異議がないのだが、わたしの長編が『ロシャ人で、二時間以上もすわり込んで、話をした。カトコフはあ 報知』に載るのかどうか、第一、『ロシャ報知』そのものがる程度お前に依頼があるのだ。学習院に、ロモノーソフ奨学 まだ出るのかどうか、それさえわからない。万事は十月に決金をもらっている学生がある。というのは、学習院は赤貧階 定するので、わたしもその時モスグワへくると約東した。カ級の孤児をただで置いて、しかも最上の教育を授けているの トコフは金をよこすばかりでなく、ぜひ前金を取ってくれとだ。アレクサンドロフという一人の学生が、瘰癧や、足の痛 折り入って頼むのだ。つまり、二千ループリは今すぐ、二千みなどで苦しんでいる。年は十五だ。医者は学習院を除籍す ループリは十月 ( あるいは九月末、等 ) 。要するに、会った時るようにきめてしまった。カトコフは心のやさしい人だか 簡なにもかもロで話す。金はわたしも辞退しなかったから、おら、除籍させないようにして、この少年を自費でスターラ 前もペテルプルグへ行く必要はない。 ヤ・ルッサへやることにした ( 明日 ) 。ところが、どこへど 書本屋はぜんぶまわったが、会った時すっかり話す。しかんなふうにしてやったものかまるでわからないのだ。そこ
だしたものに相違ない。だから、六日は minimum で、ある 6 妻アンナへ いは十日か、十二日か、もしくは二週間になるかもしれな エムス、一八七九年八月二十四日 ( 九月十三日 ) い ) 、この六日間、ずっと田舎で暮らすつもりだということ なっかしいアーニヤ、たった今、八月十八日にリヤザンからは、見え透いている。しかし、 いったいなんのために、何ひ だした鉛筆の走り書きの手紙を受け取った。が、またもや不とっ食べるものもない田舎で、掘立小屋の百姓家で、子供を 安と疑惑に突き落とされた。またしても秘密だ、年じゅう秘つれて、いかさま師たちといっしょに、、 ~ / 日も逗留しなけれ 密だ。お前はどうしてもわたしのことを、心底からうち明けばならないのだ。なんのためにそんな長い日数が必要なの るだけの値打ちがないものと、思っているらし、 しし力さまか それはすべて謎だ。わたしはそれを解く力がない 師とは手紙のやり取りをし、協定を結んでいるくせに、夫にし、お前は明らかに、それをわたしにうち明けようと思って 対しては、相変わらず秘密主義だ。自分の考えついたことを いないらしい。わたしのような心もとない人間にうち明ける 実行した以上、なんのためにそんな秘密主義が必要なのだ ? のは、、いもとなくて心もとなくて、しようがないと思ってい わたしは何か秘密があるなと見てとったら、いつまでも二千るのだろう。そこで、わたしなどにすっかりうち明けるより 五百露里も離れたこの土地で、いったいこれは何事だろう は、わたしを死ぬような不安に落としたほうがいいときめた と、想像したり、疑ったり、察したりしながら、気を揉まずのだ ( まったくのところ、わたしは心配せずにいられない ) 。 にいられないということが、いったいお前は分別がっかない どうしてまるまる一週間も田舎に暮らす必要があるのかと、 のかね。 しいかね、はじめお前は、領地へ三日間の予定で行わたしはここで頭をひねっているが、その答えを考えつくこ くと知らせてよこした ( なんのためやら、だれにもわかりや とができない。お前たちは森の境界さだめをしようとでも思 しない。おそらくお前自身が一番わからないだろう ) 。 っているのかね。しかし、それは全体の同意がなければでき ところが、今度は十八日にだした鉛筆の走り書きの手紙で、ないことで、残りのドストエーフスキイの連中は、それに賛 「これから長いこと、六日ばかり手紙をだしません」といっ成しよ、、 オし力もしれない。いったいお前たちは田舎で何をする てきている ( リャサンの町から田舎へ行く前に ) 。そして、 つもりなのだね ? ただ検分するためだけなら、二日もあれ 簡すぐそのあとに、リヤザンから手紙をだすと付け加えて ばたくさんなはずだ。してみると、何かすることにしつかり る。したがって、この六日間は ( いや、ことによったら、も ときめられて、あらかじめ、いかさま師たちと打合わせがし 書っと長くなるかもしれない。なぜって、六日という日数は、 てあったのだ。ところが、わたしはそれを知ることができ
ト丿ーシンのところで借りられなかったら、家賃 8 ・ Z ・プレシチェーエフへ の手付はなんとか工面する。そこで、どうしてそんなに金が 出て行ったかというわけを、話して聞かせる。途中で、わた〈スターラヤ・ルッサ、一八七五年八月下旬〉 文学尊敬してやまぬアレグセイ・ニコラエヴィチ、きみを煩わ とパーヴェル・アンネンコフ しはビーセムスキイ ( ) すことをゆるしてくれたまえ。ばくは自分の長編の第三編の ーデンからペテルプルグまで、 家 ) に会「て、 、つしょに来たのだ ( ・ハーデンにはいまツルゲーネフとサル三章を ( 全部で五章、九月号に載る ) 送った。ネグラーソフ がいまペテルプルグにいるかどうか知らない。どうもたしか トウイコフがいる ) 。わたしはつい我慢しきれなくなって、 にいないらしい。そこで、旧友としてきみにお願いする次第 アンネンコフに五十ターレル渡してしまった ! ( つまり、ツ だ。ばくのところへできるだけ早く校正を送るよう、どうか ルゲーネフに借金払いしてもらうためだ ) 。それでつい困っ なまけないでほしいと、だれかにほんの一口ったえてもらえ たことになったわけだ。しかし、それよりほか仕方がなかっ たんだ、名誉というものがあるからね。ビーセムスキイもアないかしら ? ばくは九月の五日までにはペテルプルグへ出 ンネンコフも、わたしに丁重な態度を取ってくれたが、わたる。しかし、もう送ってしまった以上、何も邪魔されはしな : しかし、一つかんじんなことがある。なんと しは体も頭もひどく苦しかった。この旅館 ( ズナーメンスカいだろうが : ャ ) で、わたしはみんなから驚きの声で迎えられた。「おや、かして、何ひとっ削除されないようにできないものだろう か ? ばくの長編では一人一人の人物が、自分の一一一一口葉と自分 あなたは大変お悪いと新聞で拝見しましたのに ! 」 わたしの大事なアー = ヤ、お前を抱きしめる。もしかしたの観念で話しているのだから。のみならず「巡礼」 ( ル老人 ら、早く会えるかもしれない。でも、やはりこの手紙の返事は「聖書の言葉で」話しているが、このうえもなく慎重な表 現をしている。ばくは自分で一こと一こと検閲したのだか を、「グラジダニン』社へあてて出しておくれ。しかし、こ ら。アレグセイ・ニコラエヴィチ、お願いだカら、もしでき だそれだけで、あとは無用だ。何か必要の場合には、ズナー ーし . し、カ、・り ることなら、何かにつけて、ほんのこれつばちでも、 メンスカヤ旅館へわたしあてに電報してもらおう。 子供たちを抱きしめて、強く接吻する。わたしが帰って来助力してくれたまえ。全身これきみの ・ドストエーフスキイ たといっておくれ。ああ、いまいましい借家、まだ見ないう 簡ちから呪ってやる。さようなら、わたしの天使。 8 ・・ケフリバルジ ( 出版 完全にお前のドストエーフスキイ ^ ペテルプルグ〉一八七五年十一月七日 ~ 27