ている云々、とやりだすのだ。で、わたしはとうとう、たとげでどんなに窮屈な思いをしなければならないだろう ! い市会から提供された部屋を受けるとしても、食事は決してれからは、ホテルが市会へ提出する計算書を、できるだけ軽 受けまいと腹をきめた。 くするために、わざと方々のレストランへ食事をしにい もりだ。ところが、わたしはもう二度までもコーヒーが気に ホテルへ帰った時、支配人がまたわたしの部屋へ入ってき て、万事ご満足でいらっしゃいますか、何かお入り用のもの入らなくて、もっと濃く煮なおせと突き返したものだ。ホテ はありませんか、お、つるさいことは」ざいませんか、ときく ルの食堂では、ただめしを食っているくせに、えらそうぶつ のだが、それが卑屈に近いほど丁寧な態度なのだ。わたしはているというだろう。それから、帳場で二ど切手をもらった さっそく、市会の勘定で泊まっているというのははんとうか が、あとで市会へ計算書がまわった時、ふん、いい気になり ね、ときいて見た。「ほんとうでございます」「では、食事やがって、切手までおかみ持ちにした、ということになるだろ は ? 」「お食事万端、すべて市会持ちでございます」「でう ! そういうわけで、わたしは窮屈になってしまった。何 も、わたしはそんなことはいやだ ! 」「そんなことをおっし かの費用は必ず自分持ちにする。それはできることらしい ゃいますと、あなた様は市会ばかりでなく、モスクワ市ぜん結局のところ、わたしはどんなに長く逗留しても、たいして たいを侮辱なさることになります。市会はこのようなお客様金をつかわずにすむのは間違いなしだ。 をお迎えしたのを、誇りにしております、云々」こうなった ( Z ・昨日ソロヴィョフ、カーシキン、プレスノフか ら、アーニヤ、わたしにどうしようがあろう ? 受けないわら、一切合切ひっくるめて、百七十ループリ受け取った。計 レにいかない。そんなことをしたら、モスクワ市ぜんたいの算書はわたしが帰ったら、お前自分で見られるわけだ。中央 歓待を受けようとしなかった、などといううわさがひろがっ 書店とモローゾフからは、まだもらっていない。 ) て、一つ話になり、スキャンダルさえひき起こすかもしれな 昨日の午後四時に、ドルゴルーキイの言葉 ( たしかな言 。そのあとで、晩ラヴロフやユ ー丿エフにきいてみたとこ葉 ) として、銅像の除幕式は六月四日にあるということが、 ろ、みんなわたしの神経過敏に驚いて、そんなことをしたみんなに知れ渡った。ペテルプルグでは、そうしてもらいた ら、モスグワぜんたいを侮辱することになる、それはいつま いという、たっての希望なのだそうだ。除幕式の正確な日取 でも記憶に残って、いろいろなうわさが飛ぶに相違ない、 とりに関する、ドルゴルーキイの最後的な電報は、明日でな きつばりい、つのだ。 ければこないけれども、当地ではだれもかれもが、除幕式は 右の次第で、一から十まで歓待を受けなければならぬとい 四日にあるものと、かたく信じ込んでいる。なおそのほか、 、つン」とカ 、はっきりとわかった。その代わり、わたしはおか このことについて、ペテルプルグから手紙が届いたのだ。方
イチが、清らかな空気を吸いに公園へ行こうと、しきりに勧 わたしを訪ねてきたもう一人の女性はちゃんとした婦人で、 名前をいわず、ただわたしの作品から呼びさまされた無限の誘したけれど、わたしはそれを断わって、別れを告げ歩いて ーヴロヴナのところ 尊敬と、驚嘆と感謝の念を披瀝するために来たと、ただそれ宿へ帰った。十分たって、エレーナ・ だけいったとのことだ。それだけで帰ってしまったので、わへ、手紙を取りに行った。しかし、手紙はきていなくて、 ただイヴァーノフ一家に会ったばかりだ。マーシェンカは明 たしはその婦人を見なかった。わたしが客人たちを茶のテー 日たっそうだ。十一時まですわり込んで、宿へ帰り、お茶を プルにつかした時、ふいにグリゴローヴィチが入ってきた。 ーリエフとヴィスコヴァート 飲んで、お前に手紙を書いている。これがわたしの報告の全 みんな二時間ばかりいたが、ユ フが帰った後も、グリゴローヴィチはそのままい残って、み部だ。 こしを上げようとしない。三十年間にあった種々さまざまな何よりいやなのは、わたしたちの手紙が三日も四日もかか ことを話して聞かせたり、昔を回想したりしはじめた。もちることだ。お前はわたしから帰るという通知を受けているか ら、二十八日には到着するものと思って、もう手紙を書かな しかし面白いことも面白かった。 ろん、半分はほらだが、 くなるだろう。この新しい決心を知らせた昨日と今日の手紙 それから、四時すぎになって、わたしと別れたくないとい っこ、つな 、つしょに食事をしに行こうと一生懸命に頼むのも、はたしていつお前の手に届くやら ! お前がし にもわからなくて、心配しているだろうと、それが気がかり だ。わたしはまたモスクワ料理店へ行って、長いこと食べた だ。しかし、ど、フもしようがない。ただ困ったことには、お り、飲んだりした。その間、彼は始終しゃべっていた。思い がけなくアヴェールキエフと、その細君がやってきた。アヴそらく二日間お前から手紙がこないで、わたしはお前たちの ことを思って、くよくよするだろう。来客があったり、宴会 エールキエフはわたしたちのテープルにすわった。ドンナ・ アンナ ( ー おそらくア「 , 鬱は、あなたをお訪ねします、と申し出に招かれたりするにもかかわらず、わたしはここで憂鬱な気 っしょに来るよ、つな た。 ( 彼女の訪問など、なんでわたしに必要があるのだ ! ) 持ちでいる。ああ、アーニヤ、お前がい ふと気がついて見ると、わたしたちのすぐそばで、プーシキことにいかなかったのは ( もちろん、どうしたってできっこ ない ) 、ほんとうに残念だ。うわさによると、マイコフさえ ンの一族、といって彼の二人の甥、パヴリーシチェフとプー シキンと、それからだれかもう一人、食事をしていた。パヴも思いなおして、やってくるそうだ。いろいろと忙しいこと リーシチェフもわたしのところへやってきて、やはりお訪ねだろう。市会へも代表の資格で顔をだして ( まだいっかわか するというのだ。要するに、ここでもペテルプルグと同じよらない ) 、祝典の入場券をもらわなければならない。受難広 現在プーシ ) のまわりにある家の窓は、一つ五十ループリで うに、わたしをじっとさせてくれない。食後、グリゴローヴ場 ( キン広場 390
りやったのだろう。ところが、宴会の席でわたしがプーシキ からもらう余分の百五十ループリで、除幕式が延びたために ンの話をしたのを聞いて、おそらくわたしの論文もなくては 暠むここの滞在費は、ちゃんと賄えたはずなのだ。一口にい えば、厄介な用事や困ったことが、際限なしにあるのだ。何ならない、と決心したのだろう。ツルゲーネフも、やはりプ ーシキン論を書いた。 ・がどういうふうになるか知らないが、いまのところ、二十ノ 、日まで滞在することにきめた。 〇妻アンナへ 右の次第だから、もし除幕式が、五日以前ときまらなかっ モスグワ、一八八〇年五月二十五日ー二十六日 たら、二十九日か三十日にはルッサへ帰る ( 論文をどこかへ トヴェルスカヤ街ロスグートナヤ・ホテル ( 三十三号室 ) 〕載せるように努力してから ) 。ところで、お前はなんでもい なっかしい友アーニヤ、またもう一度お前に手紙を書く いから、さっそく一筆書いてよこしておくれ ( またいつもの ( もう夜中の一時すぎだ ) 。もしかしたら、わたしが帰ってか しったいわたしはただの一行も、 頼みをくり返すわけだ ) 。、 ・お前から手紙をもらわずに帰るのだろうか ? わたしがきのら、お前の手に届くかもしれない ( というのは、わたしはや はり二十七日の火曜に立とうと思っているからだ ) 。しか ・う手紙に書いたアドレスで ( それはこの Post ・ Scriptum と し、万一の場合のためにこれを書く。なぜなら、事情がいろ っしょに受け取ることになるが ) 、必す手紙をおくれ。も いろ変わっていくので、あるいはしばらくここに残っていな ュ ー丿エフの話したこ しなんなら、電報をよこしてもいし とだが、きよう大勢の人が彼のところへやってきて、なぜ昨ければならぬかもしれないのだ。しかし、順々に書いていこ う。今日、二十五日の午後五時に、ラヴロフとニコライ・ア 夜の宴会を自分たちに隠したのだ ? といって憤慨したそう 。大学生までが四人も、祝典の宴会の席を取っておいてほグサ】コフが迎えにきて、エルミタージ = へ自家川の馬車で つれていった。二人がフロッグだったものだから、わたしも しいと、たのみにきたそうだ。いろいろな客の中で、今ここ ) や、ガッツーグ ( 枯 ) や、ヴフロッグで出かけたが、あとで聞いてみると、この宴会はほ にいるスホムリノフ ( 員、文学史家 イスコヴァートフ デルプト大教授、 ) などが来た。これから本かならぬわたしのために開かれたものだ 0 た。エルミタージ ュでは文学者、大学教授、学者など総勢二十二人の人が、も . 屋まわりに出かける。さよなら、もう一度お前たちみんなに ーリエフは正式にわたしを迎 うわたしたちを待っていた。ュ 接吻する。 えて、まず最初のひとことから、この宴会には大勢の人が殺 お前の・ドストエーフスキイ 到してきたので、せめてもう一日だけ準備の余裕があった ュ ーリエフはも一フ、イヴァン・アグサーコフのプーシキン 臥をもらっている。おそらくそのために、一昨日ぬらりくらら、何百人という人が集ま 0 たことだろうが、あまりさ 0 そ
7 も、フ 7 も亠り ロスクートナヤ・ホテル三 いきません」といった なっかしいわたしのアーニヤ、今日たったいまドルゴルー して帰るわけにいかないのだ。 コフから電報がきて、銅像の除蟇式は四日という知らせだ。 ー丿エフが 今日の十二時、わたしがまだ眠っている時、ユ これはもう動きっこない。そういったわけで、わたしは八日その電報を持ってやってきた。わたしは彼の待っているとこ か、あるいは七日にでも出発できることになった。もちろろで着替えをはじめた。そのときとっぜん、ご婦人が二人お ん、少しでも早くする。しかし、ここに残るのは当然の義務見えになりましたという取次ぎがあった。わたしは着替えが で、わたしも残ることにきめた。何より重要なことは、わたできていなかったので、どなたかとききにやった。ポイ しを必要としているのが、単にロシャ文学愛好者協会の人た : 、紙に書いたものを持って帰ってきたが、それによると、 ちばかりでなく、われわれの党全体なのだ、わたしがもう三 ィーリナ夫人とかいうひとが、わたしの全著作から少年向き 十年も戦いつづけてきたわれわれの理想そののなのだ。との個所を抜萃して、少年読物の本を発行したいから、そのお というのだ。まあ、どうだ ! 全体こ いうのは、反対派 ( ツルゲーネフ、コヴァレーフスキイ ( 黼許しがいただきたい、 な法制史家、 社会学者 ) そして、モスグワ大学のほとんど全部 ) が、ロシれは、わたしたち自身が、ずっと前から、そういった少年向 ャ国民性の表現者としてのプーシキンの意義を減少し、国民きの本を編纂し、発行すべきはずのものだった。それは必す 性そのものさえ否定しようと、手ぐすね引いているからだ。 売れて、わたしたちに二千ループリくらいの利益を上げてく われわれの側で、彼らに対抗しうるものはただイヴァン・セれるに相違ない。その二千ループリをそんな夫人に進呈する ルゲエヴィチ・アグサーコフだけだ ( ュ ー丿エフはす ーリエフその他は重なんて、 それこそとんでもない話だ ! ュ みを備えていない ) 。しかし、イヴァン・アクサーコフは古ぐその夫人のところへ行った ( 彼はいつもの軽はすみから、 くなったし、モスクワの人には飽きられている。ところが、 自分でその夫人をわたしのところへ差し向けたのだ ) 、わた わたしはモスグワの人からいうと、見たことも聞いたことも しはだんぜん賛成ができないし、また夫人に会うわけにも、 ない人間だから、みんなただわたしだけに興味を感じているかぬ、といういいわけをした。 ューリエフが出ていくと、思いがけず妺のヴァルヴァー のだ。わたしの発言は千鈞の重みを持つだろうから、したが ってわが党の勝利だ。わたしは一生そのために戦ってきたのラ・ミハイロヴナが入ってきた。と、妹が入るか入らないか 冫 ~ 冫しかない。すでに 簡だから、今さら戦場から逃げだすわナこま、 に、ヴィスコヴァートフがやってきた、ヴァーリヤはわたし カトコフでさえ、ーーー全然スラヴ主義に属さないこの人でさのところに客があると見て、さっそく逃げだしてしまった。 ーリエフが引っ返してきて、いうところによると、 書え、「あなたは帰っちゃいけません、あなたは、帰るわけにそこへュ
こないだろう。きのう受け取った手紙には、十一日にまた書く百ループリ送っておくれ。たとい二十日にスターラヤ・ル くが、出るのは十二日だといっているが ( つまり、わたしの ッサから発送されても、二十四日にはわたしのところへ届 手に入るのは十六日になるわけだ ) 。ところが、それがどんく。もし二十四日に金が届かなかったら、モスグワのリュビ な手紙か、金を封入したものかどうか、それについてはなん ーモアに電報を打つ。おそらく百ループリくらい送ってくれ にもいっていない。予告しなかったところを見ると、きっとるだろう。よしんば例のぐずの癖で、多少おくれるにして 〕封入してないのだろう。とはいうものの、お前は自分で十五も、二、三日のうちには、なんといったって送ってくれるだ 日頃と約東している。わたしは心配でたまらない。どうも考ろう。かわいいアーニヤ、わたしのいうことを実行しておく えて見るところ、お前は忘れているので、もう手遅れになつれ。そうしないと、わたしはどんなに苦しむかわかりやしな た時分に思いだすのじゃないか。そういうわけで、お前に思 もしお前たちがニールへ出かけて、その準備の忙しさに いださせるために、特別便の手紙をだす次第だ。金が着くま紛れて、送金を忘れてしまい、この手紙がお前の帰るまで寝 で、ずっと不安な気持ちでいるだろう。それでなくとも、こんねするとしたらどうだろう ? こは、怏々として楽しまないのに、またこんなおまけがつい かわいいアーニヤ、怒らないでおくれ。わたしはもうほん た。わたしがいつも、ほとんど手紙のたびごとに、即刻、猶とうに不安でたまらないのだ。 一日も長くここに残っていた 子なしに送るようにと頼んでやったのに、どうしてぐずぐずくない。お前は最近よこした三通の手紙の中で、送金のこと は何ひとっ書いてないのだからね。 するのだね ( 抹 ) 。わたしはおもに余白に書いたのだが、 . 何よりも第一、お前が忘れてしまって、手遅れのころに思い お前と子供たちに接吻する。 たすのじゃないかと、それが心配だ。きのう手紙をだした お前の・ドストエーフスキイ ・が、これを書き添えるのを忘れたことを思いだして、心配の腹を立てないでおくれ、アーネチカ。 ため、ほとんど夜っぴて眠られなかった。 6 > ・・ブツイコーヴィチへ くり返していうが、わたしは是が非でも八月の二十九日に 山発するつもりだ。こんな穴の中には、一日もよけいに逗留エムス、一八七九年八月十四日 ( 二十六日 ) したくない。 こんなところに残っているより、 いっそ時計を尊敬してやまぬヴィクトル・フェオフィーロヴィチ、「グ 質に入れても、三等で出発する。ベルリンでも、外套を引き ラジダニン』落掌、ありがたくお礼を申します。しかし、実 取らない。 この手紙は十八日にお前の手もとへ届くだろう。 に驚き入りました。貴兄は、ロシャの検閲があの雑誌を、ロ わ願いだから、この手紙落掌次第、明日ともいわず、さっそシャへ入れてくれると思っていられるのですか ? もし入れ おうおう
」 ~ ーユな′れな、刀 ら、おそらくそれを彼に伝えたものと思われます。そのうえどひどい鼻風邪で、頭がどんよりして痛いのだ。ちょっと横 になって、三時間ばかり寝た。起きるといきなり土砂降りの にかてて加てえ、マルコフは今年長編を発表していますが、 それはペシミストどもを反撃して、わが国の社会に健全な人雨で、それが間隔を置きながら六時まで続いた。わたしが起 間と、健全な幸福を発見しようという、特別な野心を持ったきてまだ雨の来ないうちに、子供たちが公園へ行くといって 作品なのです。まあ、それは勝手にさせておいたがいいでしせがむので、着替えをして出してやった。すると、急にタ立 よう。その着想だけでも、ばかだってことを証明していまがやって来た。わたしは心配しながら留守番をしていると、 す。そんなことをいう以上、わが国の社会を何ひとっ理解しばあやが飛んで帰った。聞いてみると、みんなは公園でなく 神父さんのところにいたので、雨には一しずくも濡れずにす ていないわけです。 しかし、こんなことはみんな下らないことです。くり返しんだそうだ。神父の奥さんが、わたしを安心させるために、 て申しますが、一番いいのは体を大事にすることで、それを自分でばあやを走らせてくれたのだ。やがて子供たちが帰っ まず第一にあなたにお勧めします。秋にはお目にかかりまして来て、着替えをすますと、神父さんの子供たちがやって米 よう。アンナがあなたをはじめお家の皆さまに、よろしく申て、ほとんど夜更けまで遊んで行った。わたしはうんざりし しています。小生も同様、心からのご挨拶を送ります。ボクたが、 しかし子供たちが退屈しなかったのは、うれしいこと ローフスキイによ、、 生からとして、何かよい言葉をお伝えだった。ただ困ったことには、二人ともひどく咳をするの ーリヤのほうがひどくって、とてもいやな咳き ください しかし、命名日に小生の作品を贈るのは、小生にだ。ことにリ とってあまり光栄すぎます。お手を強く握りしめます。どう方をする。頻繁で、しかも烈しく咳きこむのだ 9 薬を飲ませ リ , ヤは、 かお忘れなくお手紙をください。 て、なるべく外へ出さないようにしている。 くい、つことを日町くがフェージャのほ、つはそ、フいカオし 完全にあなたの・ドストエーフスキイ っとも、今は雨もやんで、晴ればれとしているが、どうも湿 3 妻アンナへ つばくて、たいして暖かくもないのだ。わたしは外へ出して も、門際のべンチに腰かけるだけにさせている。 スターラヤ・ルッサ、一八七九年六月十九日、午後八時 簡ご機嫌よう、アーニヤ、無についたかね、手紙で知らせ新聞のほか、モスクワのサゾノーヴィチから、手紙が一通 ておくれ。ノヴゴロドでずぶ濡れになって、へとへとになっ来た。何も格別のことはないが、幾枚か筆蹟を送る、といっ 、書たのではないかと、とても心配している。お前が立っとすている。もちろん、お前あての手紙だ鴃蚣「砿 (') 。で
するだろう。この手紙は明日の二十一日、カトコフに会ってグ郡 ) 。明日、ソロヴィョフはわたしの宿へ、午後の五時に から発送する。したがって、明日 post Scriptum の分を残やってくる。 書籍商のところへは行かなかった。明日ゆく。エレーナ・ しておくから、それで一遍に何もかもわかるわけだ。 ーヴロヴナのところへもまだ行かない、やはり明日だ。さ タ立はいっときゃんだので、最初のと、二度目のタ立の間。ハ に、わたしは妹のヴァーリヤのとこへ行って、ほとんど五時まよなら、アーニヤ、お前を抱きしめる。明日の P 。 s ( Script ・ で天候の変わるのを待っていた。ホテルへ帰って食事をする um がわれわれの運命の多くを決するわけだ。とても疲れ 有名な少 ノバが接吻しているといっておく た。子供たちに接吻して、 と、六時すぎにネスクーチヌイ公園のソロヴィョフ のところへ行った ( 馬車代、往復二ループリ ) 。ソロヴィョれ。ヴァーニヤにも接吻して。お母さんによろしく。子供た フは家にいたが、とても変で、気むずかしく、くたびれ切っちのことが心配でたまらない。お前にうんと接吻する。で た感じだった。わたしは彼にもあけすけに舌した。彼は、ラは、 ) とそれからまだだれかが、わたしのところへこ P00 ( Sc 「 iptum まで。 ヴ 0 フ ( 黜 Post Scriptum 水曜日、午前十一時 ( 六月二十一日 ) なかったと聞いて、ひどく驚いていた。今のところ、彼はラ ニュース、今カトコフが社から使いの者をよこして、今日 ヴロフがどこにいるか知らない ( しかし、モスグワではな ーリエフは別の県の田舎にいる。にもかは返事をするわけに、、よい、というのは、とっぜんふって かわらず、彼らがわたしの長編を手に入れたいと望んでいる湧いた事情のためすぐ田舎 ( 使いの者は領地といった ) へ行 のは確実だ。それに、みんな金のある連中なのだからね。そかなければならないから、と詫びをいってきた。そういう次 ういうわけで、今この連中とは、会うことも、手紙を往復す第で、明日木曜日に、自分のところへ来てくれ、つまり、社 ることもできないから、彼らがわたしに申し込むのは、まあへ寄ってほしい、そこでご返事するから、というわけだ。だ、 から、明日は帰ってくるだろう。 オそのころになると、まだだれか 九月頃になるだろう。、、こが、 いいことは予見できな こういったいっさいに、何ひとっ かれかが申し込むだろう、と思う。いずれにもせよ、スター 何ひとつ。さようなら、かわいいアーニヤ。明日はその ラヤ・ルッサへ帰ったら、仕車・にかかる。しかし、もしカト コフが拒絶したら、ほば十月頃まで、なんで生活したものか結果を書いて、晩に発送する。が、今はこの手紙を差しな わからない。 す。今日は本屋をまわるつもりだ」第靆 ) 。子供たちに ソロヴィョフとは、金曜日にオプチナ僧院 (r カラ「ーゾワ兄 ) 接吻する。お前の ・ドストエーフスキイ へ行くことにきめた ( カルガ県とトウーラ県の境、コゼリス い ) 。ところで、ユ
るのを、そのままに理解したのです。つまり、神の存在の科論をすることになるのではないでしようか ? ) それは、想像 学的・哲学的否定は、すでに放棄されて、今の事務的な社会することもできない危険な思想です。 主義者は、もうそんなものにかかずらっていません ( 前世紀 小生が当地へ来た当時、このヴィルマンストランド連隊 の全体と、今世紀の前半には、それに熱中したものですが ) 。 スターラ ) の将校ドウブローヴィンのことが、しきりにうわ そのかわり、神の創造、神の世界とその意義、それの否定さにのば 0 ていました ( 彼は絞首刑にな「たのです ) 。人の 一生懸命とり組んでいるのです。つまり現代の文明は、ただ話によると、彼は絞首台に上るまで、気ちがいの真似をして いたそうです。そのくせ、そんな真似をしなくても、すんた その点にのみ無意義を見ているのです。そういうわけで、 生はこのような抽象的なテーマを取り上げても、レアリズムのです。というのは、それでなくとも、彼は正真正銘の気ち に背かなかったであろうと考えて、いささか自負している次がいだ 0 たからです逮捕され、絞首に処也れた 第です。この漬神論の否定は ( もっとも、それは直接的なも眼前の実例によって判断しはじめると、今に始めぬことなが のでなく、つまり面と面と相対したものではありませんが ) 、ら、二つの事実によって驚愕を感ぜさせられます。これはわ 死にゆく長老の最後の言葉の中に現われてくるのです。多くが国において、いっかな変わろうとしない事実なのです。は の批評家は小生のことを、小説の中で見当ちがいのテーマをかでもありません、考察の対象として、一方ではドウブロー うんぬんといって非難しますヴィンの連隊、いま一方では彼自身を取り上げてみると、ま 取り上げる、現実的でない、 カ生はほかならぬこれらのテーマ以上に現実的なものるで二つの違った遊星から来たもののような、驚くべき相違 を発見します。しかも、ドウブローヴィンは、自分の連隊ぜ は、何ひとっ知らないくらいです : ・ 原稿を送るには送りましたが、『ロシャ報知』が何かの理んたいも、またすべての人も、とっぜん自分と同じような人 由で、急に掲載を中止しやしないか、などという考えが頭に間になって、みんなが自分と同じような考え方をするに相違 浮かんでくるのです。しかし、こんな話はもうたくさんでないという、強い信念の中に生き、かつ行動していたので す。人間というものは、自分の痛いところを話したがるものす。ところが、一方われわれは頭から、これは気ちがいだと しいます。にもかかわらず、これらの気ちがいは自分自身の です。ここでいろいろの新聞を読んでいますが、なんのこと か少しもわかりません。一口にいえば、なんにも書いていな論理、自分自身の教義、自分自身の法典、自分自身の神をさ いのです。つい昨日『ノーヴォエ・ヴレーミャ』紙で、教師え持っていて、それらがこのうえもなくしつかりと根をおろ はクラスの中で社会主義を否定すべしという、文部大臣の指しているのです。人々はそれになんらの注意も払いません。 令を読みました。 ( そんなことをすると、生徒とつまらぬ議下らないことだ、なんともかんともお話にならない、だから
アン・セルゲエヴィチではなさそうだ。多分もう一人のニヒちものにする、その名残りだ。旅行中、わたしの胃はとても リストのほうだろう。いまアクサーコフというのがたくさんよくな 0 た。不思議なことに、わたしの胃は旅行するとよく いるからね。タチャーロフも知らないそうだ。そういうわけなるのだ。昨日はじめてシャルメルの服を着てみたが、なん だか恥ずかしくなった。とっぜん流行服の広告絵みたいにな で、わたしはここで完全な孤独生活をしている。やりきれな ったので、びつくりしてしまった。まったくほんとうなのだ いほど退屈することは、今から見え透いている。 ただ少しも早くお前の手紙が届けば、と思 0 ている。様子よ。申し分のない仕立だ。帽子はぜんぜん別の型のを買「た が、素晴らしくよく似合うような気がする。こんなふうにい がわからないということは、どんなにつらいものか、やりき うと、お前はわたしのことを、どんな伊達男のように思うだ れないほどだ。子供たちはどうしているだろう ? できるだ け詳しく、あの子たちのことを書いておくれ。昨日はお前のろうね。かわいいわたしの天使、お前の目、そしてお前の仆 じゅうに接吻する。お前はこの世で、わたしにとって、何よ こと、お前の体のことを、苦しいほど思い続けて、一晩じゅ う何も手がっかなか 0 た。かわいいアー = ヤ、元気でいておりも大切なものだ。お前のような妻はほかにありやしない。 相違もっとも、これはもうお前にいったことだが、わたしがこの くれ。神様はお慈悲ぶかいから、何もかもうまくいくに 心からお前を抱擁する。子供たちのことをたえず考えことをしょ「ちゅう感じている「てことは、お前も知らない だろう。何よりも、まず元気でいておくれ。それから、手紙・ ている。リーリヤを一遍でも余計に接吻しておくれ。それか きれいな鞍を置いもなまけずに書くように。みんなによろしく。子供たちに千・ らフェージャにはそういっておくれ、 た小さなかわいい馬 ( 驢馬や騾馬 ) が橋のたもとにいて、若遍も接吻してやる。わたしは旅の疲れでくたくたにな 0 たよ うな気がする。昨日は眠りかけては、恐ろしく身ぶるいした い娘や、男の子や女の子がそれを借りて乗るのだ。わたしは が、こんなことは最近めったにないことだ。クレンヘンを飲 一度、どうしてフェージャをつれて来なかったのだと、人に きかれたことがある。で、わたしは、来年の夏にはき 0 とつみはじめた最初の一週間は、いつもいやな夢を見たり、要夢、 れて来る、とい 0 たわけだ。あの子たちに、必ずお土産を持にうなされたり、恐ろしいほどいらいらしたり、肝臓が悪 0 て帰るから、とい 0 ておくれ。アー = ヤ、お前がどんなふか 0 たりするのだが、それが一週間も、それ以上も続くの うに時を過ごしているか、できるだけ詳しく書いておくれ。 ここでは金がどんどん出て行く。旅費も安くないが、ここ皇帝は今日ここを発たれるはずだ。わたしはとうとう拝顔 の生活費も同様だ。昨日いち ) 」と桜んばを買 0 た。こんなもの機会を得なか「た。ヴィル〈ルム皇帝が到着された。昨日 、書のはみんな医者から止められているので、これからずっと断はまる一日、皇帝の窓の下で、楽隊が演奏していた。公園は鱒
て、印刷局付属製紙工場に月三十ループリで、汲上げ工とし彼女はしんみりした顔つきで、「主人がここへ来て、わたしの田 ことを泣いてくれますの」と付け加えましたが、それはつま て勤めているのです。が、違ったところは、それくらいのも り、「ねえ、あの人はこんなに優しいんですよ」ということ のらしゅ、つ′」ざいます。 小生は三十分ばかり、コルニーロヴァとさしむかいで話しをわたしに知らせるためです。彼女は看守の不利な申し立て ました。彼女は常 0 愛すべき婦人です。初め小生は一般的を思いだして、さめざめと泣きだしました。それは、彼女が に、助力したいと申しました。彼女はすぐ小生を信用しまし結婚のそもそもから、夫と継娘を憎んでいたというのです。 た。もちろん、つまらぬことで検事が面会を許すはずがな「それはうそです、わたしは決してそんなことをいうはずが ありません」「主人との間は、しまいにだんだんますくなっ と考え合わせたからです。彼女はかなりしつかりした、 明徹な頭脳を持っておりますが、しかしそれはロシャ的に単て、わたしはしじゅう泣いてばかりいるし、主人はのべっ叱 純な、むしろ人の好いものです。彼女はもと裁縫女で、嫁入るのでした」こうして、あの犯行の起こった朝、夫は彼女を してからも、引続き賃仕事をして、金を儲けていたわけでぶったのでした。 もし上告が不成功に終わった場合には、陸下に上奏するこ す。顔つきは若く見えるはうで、器量も悪くありません。そ の容貌には、美しい、静かな、精神的な陰影が漂っていますともできるということを、小生は彼女に隠さず申しました。 が、人の好い快活な女のタイプに属しているのは、疑いのな彼女は注意を緊張させて聞いていましたが、すっかり快活な 様子になって、「今はおかげで元気がっきました。そうでな いところです。彼女は今かなり落ちついてきていますが、 「とても退屈で」、「いっそ早くきめてほしい」とのことでかったら、とても淋しくって ! 」 小生が遠まわしに、さしあたりなにか不自山はないかとた す。小生は彼女の妊娠状態のことなど少しもいわず、どうし てああいうことをしたのかとたずねました。彼女はしみじずねました。彼女は小生の意のあるところを察して、何もか 、、「まるで自もすっかりあります、お金もありますから、なんにもいりま みとした調子で、手短に、自分でもわからなし 分の中に人の意志が働いていたようだ」と答えました。もうせん、とざっくばらんに、すこしも怒った様子などなく、あ 一つ注意すべき点は、「わたしは着替えをした時、警察へ行けすけな調子で申しました。隣の・ヘッドの上には、新しく生 こうという気などなかったのに、外へ出ると、もう自分でもまれた子供 ( 女の子 ) が寝ていました。小生は帰りしなに、 気がっかないうちに、警察へ来ていました」ということでそのそばへ寄って、赤ん坊を眺め、よい子だと褒めてやりま した。彼女はそれがうれしかった様子で、小生がいよいよ す。もういちど夫と同棲する気があるかという小生の門し冫 ろうとして、別れの挨拶をしますと、彼女はとっぜん自分で たいして、「ええ、そりゃあ ! 」と答えて、泣きだしました !