ズボスカール - みる会図書館


検索対象: ドストエーフスキイ全集19 論文・記録(上)
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1. ドストエーフスキイ全集19 論文・記録(上)

とんな官等かということを公表す ーモア的な詩、有名な小説や戯曲や詩のパロディ、官能的の尊敬を失わないために、。 いや、要するに、単に な感想、文学的・劇的・その他あらゆる種類の随筆、注目にるのさえ恐れている人間から、 値する書簡、覚え書き、あれやこれやの感想、逸話、駄ば『ズボスカール』にすぎない人間から、贈り物をもらうという ことは : : : そんなことを想像してみただけでも、侮辱に感じ ら、等々で、何もかもそういったふうのものである。つま り、「ズボスカール』の気質にあったもので、それ以外のもられはしないだろうか ? : ・ : ・第二に、もう一つ理由がある。 なんだって ! 現代においてただで書物を進呈する ! 現代 のには、、かなる種類のものにも使命を感じないのである。 は周知のごとく、実際的な、実業的な、鉄的な、金銭的な世 われわれの文集の内容は、まずこんなものであろう。また 紀ではないか ? : : : それは書物の価値を落とし、読者を失う ズボスカール』は自分の判断によって、その中の二、三の 文章には、木版の挿絵を添えるが、その制作はペテルプルグ正確無比な方法ではなかろうか ? 読者というものは、すべ 一流の版画師と画家に依頼する。そして、文集が完結した場て無理に押しつけられるものを嫌うからである : : : そんなこ とをしたら、どこに意味があるのだ ? どこに仕事のこっと 合には、つまり最後の第十二号が出た時には、見事な絵入り いうものがあるのだ ? 第一、どこに礼儀作法というものが の表紙を読者に配布するから、それを用いて全巻を製本する よう読者にお願いする。『ズボスカール』はすぐれた挿絵や、あるのだ ? : : : どこに自己の品位を守る感情があるのだ ? こういったような理由が、『ズボスカール』の寛大心を抑制 さまざまな原稿をすでに用意しているから、各号の発行の間 隔は四週間より延びることはない。それを公衆のお耳に入れするわけである。こういうわけで、出版の費用と自己の品位 ておくのを義務と感ずる次第である。かような次第で全巻は ということを睨み合わせて、『ズボスカール』は心を鬼にし ながら、次のように広告する。毎号銀貨一ループリの定価 必ず一年間で完結するわけである。 最後にある一つのこと : : : 一つ重大な、しかもいいにくいで、・オリヒン、・イヴァーノフ、・ラチコフ、・ ソローキンその他のペテルプルグの書店で、彼はおのれを身 ことをいわなくてはならぬ : ・ : ・「ズボスカール』は自分の読 者を : : : 自分の未来の読者を ( 読者はできる、必ずできるに 売りする。送料としては一フント分 ) の代を添えるこ 部相違ない ! ) 、心から愛し、尊敬し、高く評価しているので、と。 ズボスカー 第印刷、紙、挿画 ( 挿画を手に入れるのはとても困難で、高く 録つく ) などに、のつびきならぬ費用を要するにもかかわら ず、ただで進呈したいくらいに思っている : : : が、第一、 ーー・ー読者 論「ズボスカール』のような官等を持った人間から、 309

2. ドストエーフスキイ全集19 論文・記録(上)

何かのかんばしくない口実があるのかもしれない。それどこら、見たまえ ! 彼は諸君に突き当たりもしないし、さわり ろか、なにか自由思想さえ隠されているのかもわからないぞもしないし、だれの自尊心を傷つけもしないし、だれに席 : ふむ ! ありそうなことだ、大きにありそうなことだ、 をゆずってくれなどといいはしない。彼のもっているたった 今日のような思想傾向では、大きに大きにありそうなこと一つの自尊心、たった一つの野心は、諸君、時々諸君を笑わ だ。それに第一、「ズボスカール』なんて、なんという下品せるということである。ただし、それかといって、彼が尊敬 だな な、じじむさい、裏店式な、むさくるしい、百姓じみた名前すべき公衆のために、ドイツ人式のやり方で、無理に皮肉や なぜ「ズボスカール』なんだろう ? 『ズボスカール』警句を生み出すことを、請負い仕事として引き受けた、とい とはなんのためだ ? 『ズボスカール』なんて、いったい何うことにはならない。それは大違いで、彼はただ気が向いた を証明しよ、つとい、つのだ ? 」 時だけ、自分の使命を感じた時だけ、歯を側くのである。こ こうして諸君はもう非難したのだ、人のいうことを聞きもの好漢は、言葉につまるようなことがなく、警句のためには といった男である。いや、もう しないで非難したのである ! まあ、待ってくれたまえ、聞無二の親友さえ容赦しない、 いてくれたまえ ! 『ズボスカール』が何ものか、一つ諸君に こうなったら、わが『ズボスカール』がどんな人間である 説明しよう。われわれは何よりも第一に、諸君と話し合うのか、どんなことを潜りぬけて来たか、どういう仕事をやり遂 を、自分の義務と心得る。われわれの説明を聞き終わった げたか、何を目論んでいるかを、諸君にお話し申し上げよ ら、誓っていうが、諸君は必ず意見を変えて、好意の徴笑をう。ひと口にいえば、彼を、いわゆる、頭のてつべんから足 浮かべながら「ズボスカール』を迎えてくださるかもしれなの爪先まで、すっかり描き上げてお目にかけよう。 い。それどころか、好きになってくださるかも、いや、ひょ っとしたら、尊敬してさえくださるかもしれない。 一つこういう男を想像していただきたい。まだ若い、とい く、どうして愛さずにいられよう、諸君 ! 『ズボスカール』 っても、そろそろ中年に近づいている、陽気で元気な、うれ はある意味では珍し、 しほとんど唯一の好漢である。善良でしがりやの、騒々しい、ふざけん坊の、よく大声でわめくの 部気さくな、しちむずかしくない好漢で、第一、きわめてもつんきやで、ほっぺたが赤く、丸々と肥えた小づくりの男なの 第たいぶりの少ない男である。彼がもったいぶりのない男であで、その様子を見ただけで食欲が起こり、顔に微笑が広がる 録るということ、ただそれだけのためにも、彼はすでにありと くらいである。たとえば、この上もなく謹厳な、お勤めで甲 あらゆる尊敬に値する。よくあたりを見まわしてみたまえ、羅へた人があるとしよう。午前ずっと事務を執って、腹がヘ 論今時どこにもったいぶりのない人間がいるだろうか ? ったために、癇癪を起こして、おこりつばくなり、喉をから 工よ

3. ドストエーフスキイ全集19 論文・記録(上)

『ズボスカール』はどんなふうに笑うつもりなのだ ? の「ズボスカール』はほんとうに笑うことができるのかね ? 確かにそのための資力を十分に持っておられるのかね ? も し資力が十分にあるとしたら、なんのために笑う必要がある のだろう ? ・ : まったく、なんのために笑う必要があるの だ ? もちろん」と「ズボスカール』の敵たちは続ける。 「もちろん、笑ったってかまわない。みんなが笑っているの しかし、みんな だから、笑ってはならぬというわけはない。 この広告を目にする教養高き読者諸君、まず第一に、諸君が笑うのは、機宜を得た時、適当な場合に、品位を保ちなが に提供しようとしている文集の題名がこのように奇妙な、い ら笑うのであって、やたらに歯を剥くのではない。ところが やに凝りすぎた、いや、あるいは拙く凝りすぎたものであるきみたちは、標題だけでも明瞭なように、やたらに歯を剥く ことに対して、貭慨したり、抗議したりしないようにお願のだ。要するに、人がどんな時に笑うかということは、わか いする : : ただこの題り切っている : : : まあ、何かがうまくいった時に笑ったり ・『ズボスカール』じて嘲笑者 名、この標題だけのために、多くの人が、それどころかきわ ・ : それから、何か一般水準からはずれたとっぴなことを嘲 : なんといったら、 めて多数の人が、われわれの文集を排斥するであろうこと笑したり、それから最後に : は、はじめから確信している。みんなこの題名を笑いものに ・ : まあ、カルタで運が向いた時に笑ったり、劇場で「フィ し、そのために多少腹を立て、憤慨さえもして、『ズボスカラートカ』をやっている時なども、見物席で笑う。こんなふ 、、、最後 ール』はアナグロニズムだ、神話だ、駄ばらだとしし うに、適当な場合に笑うのであって、『ズボスカール』的に には、そんなものは完全に不可能だ、ということだろう。肝やるのではなく、品位を保って、礼儀ただしく笑うのだ。よ 腎なのは、アナグロニズムだといわれることである。「なんだ くも考えずに、注文に応じて歯を剥き出したり、こじつけの って ! 今の世紀に笑うんだって ! この鉄の時代、実務の皮肉をいったりするものではない。それにまた、そこには何 かわ 時代、金の時代、打算の時代、表と、数字と、ありとあらゆかの思わくが隠されているのかもしれないぞ」自分たちに関 っさいのことに田 5 わく、しかもよくない思わくを る種類の零に充ちた時代に、笑うんだって ? つつしんでお係のないい たずねするが、そもそも何を嘲笑しようというのかね ? だ想像したがる人たちは、結論としてこういうだろう。「そこ れを嘲笑しろとおっしやるのかね ? それに第一、諸君の には何かごまかしがあるのではなかろうか。もしかしたら、 「ズボスカ】ル』 二部より成るユーモア文集 ( 八つ折版 ) 、全十 二巻、毎号印刷三台ないし五台、木版挿絵入り 二二ロ 304

4. ドストエーフスキイ全集19 論文・記録(上)

おりほらを吹くだろうが、少々くらいほらを吹いたってかまて、ふたりともこの上ないご機嫌になるのである。これはも田 う『ズボスカール』が必ずうまくやって見せる。彼がそうい わないではないか。彼は時おりほらを吹くにしても、それは う芸当をちゃんとやってのけることは、諸君が自分の目でご ほどほどである。それはだれにでもあることで、みんな時に 覧になるだろう。何よりも驚嘆すべきことは、たとえば、イ いや、何をいっ はちょっとはらを吹くのがお好きなのだ つい口がすべったのだ。しかし、わかっヴァン・ベトローヴィチ自身がます第一番に、この本にはお ているのだろう ! てもくださるだろうが、そんなふうにいったほうがおもしろれのことは何一つ書いていない、何か似寄ったことがないば みがある。さて、そこで『ズボスカール』も同じように、時かりか、そんなものの陰さえもない、と叫ぶことである。何 には隠喩で話すこともあるだろう。が、その代わり、もしほか無作法なものとか、それとも悪質な当てこすりとか、そう いうことは夢にも考えていなかったのだ。もし何かあったと らを吹くことがあっても、つまり隠喩をやることがあって も、完全に真実らしい隠兪を使うだろう。そのために、あるすれば、それはただピヨートル・イヴァーノヴィチのことく まあ、こういった次らいなものである。まあ、こういった調子なのだ ! そうい 種の真実に負けないくらいになる、 うわけで、くり返していうが、真実が第一なのである。「ズ 第である ! とはいうものの、いずれにしても真実のために ポスカール』は真実によって生き、真実を擁護し、真実のた 毅然として立って、最後の血の一滴まで真実を守るだろう ! こんなことがあってはたい 第二に、「ズボスカール』はすべての人身攻撃の敵であつめに活躍する。そして、もし もし死ぬようなことがあったら、真実のため て、人身攻撃を糺弾さえするだろう。そういうわけで、たとへんだが、 えば、イヴァン・ベトローヴィチがわれわれの文集を読んで以外には死なないだろう。然り ! 真実のため以外には、で も、自分自身のことについては、何一つけしからんことなどあるー 発見しないだろう。が、その代わり、自分の親友であり同僚しかし、われわれは『ズボスカール』の性格、その習慣と であるビヨートル・イヴァーノヴィチのことについては、何傾向、それどころか、彼の行動についてさえいろいろ話した が、その上にまだだれか、われわれの書物の内容はどんなも か尻くすぐったいことを発見するかもしれない ( もっとも、 それは罪のないこと、まったく罪のないことである ) 。またのか、何をそれから期待すべきか、何を期待すべきでない その逆に、ビヨートル・イヴァーノヴィチは同じ文集を読みか、とたずねるかもしれない。それに対するもっともよき答 えは、本年十一月の上旬に現われるはずになっている『ズボ ながら、自分のことについてはぜんぜん何一つ発見しない が、その代わりイヴァン・ベトローヴィチについては、何やスカール』の第一号であろう。しかし、われわれは今でも、 かや見つけ出すだろう。こうして、ふたりともうれしくなっ読者の希望を満足させるにやぶさかでない。中編、短編、ユ

5. ドストエーフスキイ全集19 論文・記録(上)

ドストエーフスキイ全集 19 目次 「ズボスカール』・ 論文・記録 第一部 ロシャ文学について : アポロン・グリゴリエフについて : シチェドリン氏、一名ニヒリストの分裂 : 政治論 : 途上小景 : ペテルプルグ年代記 : ペテルプルグの夢 : 誠心誠意の見本 : 「ロ笛」と『ロシャ報知』 : 350 332 3 ノ 0 304 276 257 ノ 8 ノノ 60 755 6

6. ドストエーフスキイ全集19 論文・記録(上)

だ ? 諸君がただ表側だけ見る時に、彼が楽屋裏を見るから不良を起こすわけであり、彼自身も消化不良の敵であるの といって、どこが悪いのだろう。最後に、たとえていえば、 で、本全体をいろいろの欄に分けることに決めた : ・ヘテルプルグである。その光輝、その豪奢、その轟音と騒彼は材料なら山はど持っているし、時間も始末に困るほど 音、限りのないもろもろの典型、そのはてしのない活動、そある。前にいったとおり、彼はどこにも勤務していない。い の秘められたるあこがれ、そこに住む貴族たちとならず者どかなる省、いかなる局、いかなる庁、行政方面、古文書保存 も、詩人ジェルジャーヴィンの言葉を借りると、「黄金に塗部にも、馴染みがないし、だれの依頼に使われたこともかっ られた」塵芥の大塊 ( 黄金に塗られないのもある ) 、そこにてない。彼は、前にも述べたとおり、消化不良の不倶戴天の 巣食う野師たち、出版者、高利貸、催行朝 べてん師、百敵である。さらにつけ加えると、彼は疲れを知らぬ歩き好き 姓、その他ありとあらゆる有象無象、 これらすべてが彼であり、観察家であって、必要に応じては、どこへでもそっ の目には限りない、すばらしい、挿絵入りの文集のように思と潜り込みもする。そして、ペテルプルグの街を、自分の十 われるのだ。人は食後の暇つぶしと退加ざましに、・ さっと目本指ほど知り抜いている。諸君は彼の姿をいたるところに見 受けるであろう、 を通して、あくびをするなり、につこり笑いなりすればよい ーーー劇場の中、劇場の車寄せ、桟敷、楽屋、 のだ。その上にまだいい ことは、われらの主人公には笑ったグラブ、舞踏会、展覧会、競売場、ネーフスキイ通り、文学 り、歯を剥いたりする能力が残っていることである ! ・ : 少の集まり、それどころか、諸君が彼に出会おうと思いもかけ なくとも、まだ何かしら有益なところがある。とはいえ、近なかったようなところでさえ、たとえば、ペテルプルグの中 ごろ彼は不規則な生活にあきあきして来た。まったくのとこ 心から最も遠い横町や、みすばらしい片隅でさえ、彼の姿を ろ、彼は小突きまわされたり、引っぱりまわされたりして、見受けるだろう。彼はなんでも選り好みをしない。彼はその いろいろの小説や、雑誌や、文集や、雑録や、新聞などで、鉛筆と、柄付き眼鏡と、満ち足りたような細い笑い声をもっ 公衆の害になるようなことに利用されたので、彼はこんどもて、いたるところに姿をあらわす。それから、なお一つ「ズ う少し重にして、挙動にもっと貫禄をつけようと決心した ポスカール』の美点は、真実を第一の、もっとも重大な目的 部 : その目的のために、彼は自分の感想や、追憶や、観察としていることである。真実、これが何よりもまずさきであ 第や、発見や、告白などを載せた一冊の本をもって、公衆の ( 則る。「ズボスカール』は真実の反響であり、真実のラッパで に現われよ、つと思いついた。しかし、何もかもいっさいとし あり、昼も夜も真実のために毅然と立って、その砦となり、 うのは、あまり度が過ぎる、つまり気が利かない。たとえど守護者となるであろう。ことに最近から、彼は真理が無匪に 論んな上等の料理でも、むやみやたらに量が多すぎると、消化好きにな「たのだから、なおさらである。もっとも、彼は時