フランスにたいする国民議会多数派の王政的陰謀は、このランス人を欺いていたばかりでなく、仲間同士でさえ互い 欺きあい、おそらく、自分自身をも欺いていたに違いないこ 国にと「ても 0 とも悪い結果を生んだ。王位要求者のいル ) とを、証明したのである。われわれは前の報告の終わりに、 は、つい最近、完全に三色旗を拒絶した。彼を擁立するとい う考えは、、 しうまでもなく、一時のことだが、自然に消滅し使節はリ 帚ってきて、「すべてのフランス人にとって貴重な、 一七八九年の原則も、憲法も、三色旗も」なにもかもシャン てしまった。しかし、国民議会の陰謀家は、すぐさま新しい 陰謀にとりかかった。どんなことがあろうと、たとい法律にポール伯が同意した、と委員会に報告した、という報道をお そむこうが、自分たちの権力の期限をひき延ばしたいという 伝えしたはすだ。まったく、この海千山千の連中が、最後の 腹である。もしそれに成功すれば、十月二十四日 ( 十一月五瞬間においてさえ、自分で自分を欺いていたとは、ちょっと しかし、なにかそういったふうなこと 日 ) のヴェルサイユ発の電報から判断すると、成功するに違考えられないのだが、 いないのだが、その時こそ、問題はフランスにとって、もっ が、確かに起こったのである。とっぜん、ヴェルサイユとパ とも悲しむべき結末をもたらすのである。 リにおいて、王位要求者との協定に関する使節の報告は間違 われわれはこの前の報告グラジダニン』第四十二号っている、シャンポール伯はなんの約東もしなかったし、な んの譲歩もしなかった、という風説がにわかに広がったの ( ) ) で、こういうところまで述べた。シャンガル = = ( 琿人、 だ。この噂が起こるが早いか、狼狽したシャンガルニエ委員 会議 ) 委員会、つまり右翼の全分派の常任委員会は、ティ エールを中心に固く結東した国会の全左翼、および共和主義会は、ただちに、他の代理をザルップルグのシャンポール伯 者の不撓不屈に驚き、またことに、フランス全国から舞いこのもとに派遣して、前の使節シエヌロン ( ほかに同行三人 ) む怒りと不満にれた宣言に驚いて、 三色旗に関する伯の決定を確 この宣言は累進的が委員会に報告したこと、 に増加して、ついに二、三の非常に特徴的な、いまだかって認するように請願させた。しかし、期待していた確認のかわ ない特殊性さえ帯びてきたので ( それについてはあとで述べりに、とっぜん、新聞 "Union" に王位要求者自身のシェ る ) 、非常に驚いて、ザルップルグの王位要求者のもとへ最ヌロン 国会議員、法王全権論者でこの時期に ) へ宛てた手紙が発表 しっさいの「譲歩」 部後の使節を派遣し、すでに読者の知っている「譲歩」の同意され、そのなかで、シャンポール伯は、、 第を、無理にでも、彼から得ようとしたわけである。結局、この可能性を完全に否定してしまったのである。この「譲歩」 録の使節は、王位要求者との協定が完全にまとまったという王をめぐって、今まで多数党の陰謀家が、シャンポール伯の登 - 三 党派の頻繁な声明にもかかわらず、実際にはまだなにも片づ位を少しでも可能なものにしようと奔走し、フランスぜんた いを苦しめてきたのである。シャンガルニエ委員会の側から 論いていないこと、この軽率で性急な無分別者たちが、ただフ
になるだろう。シャンポール伯がこのような機会を逃すわけ今では、シャンポール伯がじっさい高尚な人物で、心請のも っとも清い人間であることを、どうしても信じたくなる。彼 はきっとひと知れず歓喜の念にひたりながら、自分の新しい では、シャンポール伯が勝利者となり、フランスがふたた つまりキリス び栄誉に覆われ、幾つかの地方を奪還し、法王自身がどこか言葉が、恐ろしい未来の反キリストとの闘い トのための闘いを意味することを、フランスを救うには、 の新しい寺院の開院式にのそむため ( 最近も招待されたよう リを訪問する、と仮定してみよう。そのさきはどう賢い者を神に向かわせ、幾百万の「非信者的」な勤労者の心 にキリストの利益を注ぎ込み、彼らに聖なるキリストの像を なるだろう ? アンリ五世がその功業ののち、王座で安らか この 知らせる必要のあることを、理解しているに違いない。 に死ぬかどうかなどということは、些々たる問題にすぎな 。重要なのは、次の間題だ。シャンホ ・、ール伯とともに正当もっともキリスト教的な国王が、他にどうして彼のフランス な王政が、フランスで、永遠に確固たる根を張るだろうか ? を救えよう ? 彼は自分でも、フランスを救いに行くといっ それがフランスにもたらすものはなんだろうか ? どんな幸ており、救えると信じている。また、古い制度にたいする、 福をもたらすだろうか ? 悩まされ、苦しめられているフラ来るべき新しい社会の最初の戦いが、フランスの土地で行な われること、それが避けがたい運命であることを、彼は知っ ンスを落ちつかせ、すでに「戸口に」立っている悪の精を、 永久に追い払うことができるだろうか ? ている。彼は、フランスの全社会がひたすらこの戦いを恐れ 法王がパリを訪れて、ローマ・カトリッグ教が、新しい前ていること、この世の権勢あり財力あるもののすべてが、そ 代未聞の輝きをもって、ふたたび、その支配をはじめるとしのために、必死になって強固な政府を渇望し、呼び求め、カ ても、それがなんであろう ! 悪の精を追い払うことが、法を見いだそうとして尋ね廻っていること、そして彼らがナポ 「かち裸足でばろをまとった」法王ではなし 、、「絶レオン三世を王座につけたのも、ただこの新しい未知の敵を 対無謬」の勝ち誇った法王にできようか ? またジェスイツ反撃するためでしかなかったことを、よく知っているのだ。 と、一 トたち、つまり軽率な僧権主義者、 statusinstatu の俘でもし彼らがいまシャンポール伯を承諾するとすれば、それも 部あるこの狡猾で恥しらずの詐欺師どもに、できようか ? ただ、自分たちを護るなにか新しい力をもたらしはしない このジか、という期待によるものなのである。もしそうであるな 第や、悪の精は彼らよりもっと強く、もっと純潔だ ! 録エスイットの軍隊がついているかぎり、シャンポール伯は自ら、このような恐ろしい闘争に身を挺するような人たちを、 分の新しい言葉を発することができないのである。が、この彼はどこで集めるつもりだろう ? 彼自身どれほどその闘争 車隊をひきいなければ、どの軍隊を率いて行くのだろう ? を理解することができるのだろう ? 彼の善良な心にもかか幻
したことはみな、国民議会をできるだけ長く解散せず、そのンにおいて開かれた、あの新設鉄道の開通記念祝賀会の席で 全権期間をひき延ばせるだけひき延ばそうという、それだけ演説を試み、自分が王政主義者であること、国民議会が、お の理由から起こることなのだおそらくそうなるに違いなのれに委ねられた立法権によって、フランスに適した政治形 。しかし、シャンポール伯が譲歩を肯んじない場合、たと態 ( つまり王政 ) を公布する権利を持っことなどについて、 一時のことにせよ、正統派が彼を断念できようとは、どう率直に声明した。だが、同時に彼は、「われわれがみな、一 しても思えない。譲歩しない場合でも、彼らは受け入れるだ様に貴いものに思う市民制度の形態は、神聖なものとして、 ろう、白色旗とともに彼を受け入れるに違いない。なぜなら残るだろう」と語っている。換言すれば、三色旗と一七八九 ば、問題がもうあまりにも進展していて、王党派の諸政党は年の原理をシャンポール伯が受入れるに違いない、と約東し たのである。周知のように、プロイ公は王政復古の主だった 極度に興奮し、激昻しているからである。まったくありそう な話だが、白色旗を承認する場合でも、議会における右翼の宣伝者の一人であって、この問題では、ひたすら皆を妥協さ 同盟を破壊しないためには、きっとなんらかの出口が見いだせ、八方円満にいくように、つまり、シャンポール伯が三色 されるだろう。その徴候としては、たとえば、あのルイ・ヴ旗を承諾するようにしようと、全力をあげて奔走に努めてい イヨーの論文があげられよう。それは、フランスで王政主義るわけだ。しかし、やはりもっとも特徴的なのは、共和党政 府の一員であり、しかも総理大臣でありながら、公けの祝賀 的な色彩のもっとも濃い新聞 "Univers" の見解である。ル しもべ イ・ヴィヨーは、もちろん、アンリ五世のもっとも忠実な僕会の席上、彼があれほど率直に意見を吐露し、はっきりと王 なのである。彼の論説は、非常に高い調子で書かれている。政の側に立ったことである。二、三の新聞の批評しているよ しかし、もしこの王位要求者が、 "DailYNews" のいうとうに、このプロイ公の「軽率な行為」は、勝利にたいする王 おり、譲歩することに決したとすれば、 "Univers" の論説党派の完全な、まったく盲目的な確信を明白に語っているも は、彼にとってなんの役に立つのだろうか ? きっと、正統のである。そうでなければ、政府の高官があんな口をすべら 派の陣営では、シャンポール伯の側からなんの譲歩がなくとすなどということは、考えられない。 もっと適切にいえば、 どんな場合にでも、彼の要するに、ごく近い将来、つまり、三週間も経っか経たな いかのうちに、非常に多くの新しい、まったく思っても見な 第即位は可能であると確信しているに違いない。ただ一つだけ 録明白なのは、シャンポール伯の最後的決心にかんして、いまかったことが、起こるかもしれない。なぜならば、目下の問 のところ、はっきりした情報がなにもない、という事実であ題にあっては、ほんの僅かな偶然性でさえ、事件の予想され 論る。ところで、内閣総理大臣プロイ公は、ネヴィル・デ = ポている成行きを、ある期間、変更することができるからであ
も、ただちに、シエヌロンのザルップルグにおける交渉のてされている ) ためであると、うやうやしく申し上げた。伯新 んまつを具申した、委員会会議の報告が公表された。次に、 は、これにたいし ( もちろん、たいへんなもの柔かな穏かな声 議事録に発表されたこの報告を掲げることにしよう。それはで ) 、「野心らしい野心を持ったことも、権力のために権力を 追い求めたことも、ついぞ今までなかったし、これからもな まったく特異なものである。 と彼はつけ加えている、 いであろう」と答えた。しかし、 この報告によれば、第一、シャンポール伯は国民議会の議 もしフランスに力と生命を捧げることができたら、自分 員にたいし、交渉の間中、いつでもあきれかえるはど鷹揚で : フランスから遠く離れて暮らしな あった。二年ほど前に、彼らが ( 群れをなして ) 、いわばたは幸福になれるだろう : だのお客として、彼のところへ行ったときも、そうだったのがら、自分は苦しんだものだ。フランスもやはり、自分と離 だ。。、リ伯は、ザルップルグの会見のさい、政治とか条件とれていたあいだ、良いことはなかった。われわれはお互いに 、った話には、一言も触れなかった ( あるいは触れること必要なのだ」それがすむと、シエヌロンは、自分の派遣され た目的から、ぜひとも折合いをつける必要のある事柄にいた ができなかった ) 、と伝えられているくらいである。シエヌ ロンその他の使いのものなどは、シャンポールの前では腰をるまで、いわば立板に水といった調子で説明しはじめた。憲 下ろすこともできなかったに相違ない。この最後の使いの時法の問題については、次のように報告している。委員会から でさえ、シエヌロンはなに一つ、おくびにだすこともできな国会へ提出する王政復古提案の基礎となるのは、世襲的な国 かった。ところが、彼が派遣されたのは最後の返答を手に入王の権利を認めるという原則と、「国王に強制したものでも れるためだった。それはもっとも切迫した瞬間であり、王政なく、国王の与えたものでもない、国王と議会の審議によっ の運命も、シャンポール伯自身の運命も、全フランスの運命て作成された」憲章だというのである。 ( まったく、こうし 自分たちはどうなるか、という も、とくに「多数党」 た基本的な法式や規定が、最後の瞬間になるまで放置されて いたことは、驚くべき事実である ! 今までにこのことをい 最後の問いをもって、王位要求者につめ寄ったこの狂暴で貪 欲な「多数党」の運命も、みなこの瞬間にかかっていたので いだす機会が、実際、なかったのだろうか ? ) 次に、民法と ある。まず第一番に、シエヌロンは、慄えながらもとり入る宗教法の継続とか、法の前における平等の保存とか、立法権 ような態度で、「彼に拝謁の栄を賜った」伯にむかい、彼がは国王と議会に同時に属すべきこと、とかいうような事柄に 委員会から派遣されて参上したのは、けっして「白こよこ、 イ。オ ~ カついて、簡単な説明がすむと、すぐさまシエヌロンは、「こ の条件をあえて提議する」ためではなく、ただいわば「つつ うしたさまざまな権利を数え上げたのは、もちろん、シャン しんで事態をご説明申す」 ( 報告には、文字どおりそう表現ポール伯にたいする不信によるものではなく、ただ世論を誤
は、現在の国会が解散されて、代わりに新しい国会が召集さ 8 る。ヴィヨーは、アンリ五世を描くにあたって、非常に高尚 なタイプの人物として、われわれに示している。実際、シャれ、完全な共和制がしかれるであろう。しかし、こうした特 ンポール伯が、自分の原則を守るために、王座を拒絶するよ殊な問題、こうしたいっさいの pro と contra はしばらくお うなことも、起こるかもしれない。また、彼は、国旗の問題くとして、現在、われわれをことさら考えさせる問題、興味 にかかわらず、国会の投票に問うて、一票ないし十票の差である、もっと一般的な問題を検討して見ることにしよう。 過半数を獲得するが、彼を選んだ過半数が恥ずかしいほど僅ます、シャンポール伯は王位につき、共和主義者は離散 し、マグマオンは服従し、国の中も、少なくとも表面的に かな数であったということから、ふたたび王位を拒絶するか は、しだいに安定し、新しい秩序もかなり円滑に進行してい もしれないのである。このような場合、ジェスイットたちが る、と仮定して見よう。こうして、「明日の日」は問題でな ただちに彼をなだめるというのも、ありそうなことである。 いとするのである。現在、一部の正統派は、「シャンポ ルイ・ヴィヨーもすぐさまそれに合流して、シャンポール伯 このような機会を逃してはならル伯が、少なくとも、十八年間の安静と平穏を、フランス人 を説得にカかるだろう。 ぬ。国民はもう王政などは忘れてしまい、粗野であり、異端に与えるだろう」と保証している。われわれは、十八年とま 的でさえある。もし彼らが反抗し離反したにせよ、やはりマでいかなくても、この平穏な治世が、数年つづくことに同意 クマオン元帥の従順さと国民議会の決議を利用して、どんなしよう。ところで、問題はそれからである。シャンポール伯 ことがあっても王位につかなければならぬ。この愚昧で無分が王位についているにしても、フランスの運命を決定するの はなんだろう ? ヨーロッパならびに全世界を安定させるの 別な人民をキリスト教に改宗させ、彼らを強制して信心ぶか 幸福な人間にするためだけにでも、そうしなければならはなんだろう ? ここに問題がある。 Veui110t ( ヴィヨー ) の断言するところ ない。そこに正当な王政の天職がある。それは一種の十字軍 である、云々、云々、こうヴィヨーはいうだろう。もしシャ によれば、この王位要求者の力は自分の原則を自分から裏切 ンポール伯が自分の原則を裏切らず、王位を拒絶するとすれらぬところに生じるので、それだからこそ、彼はフランスを ば、非常に愉快なことだ。なぜならば、世の中に度量の広い救い、安定させることができる、というのである。なるは しかし、フランスを救うために、 人間が一人増えることになるし、こうした尊敬できる人間ど、そうかもしれないが をするのだろうか、それにこの を、できるだけ多く持っことが、世界にとっては非常に必要この新しい国王はいったい何 だからである。しかし、決定的な瞬間に、 共和主義者が勝利場合、「できる」という言葉は何を意味しているのか ? シャンポール伯の原則の本質は、まず第一に、彼の権力が を占めるということも、起こらないとはいえない。その時に
と , フになしげられ である。また、見せかけだけのものだとはいえ、フランスにんだろう ? 無視することのできない、 とって喜ばしいこの大きな出来事を記念して、政治犯人に最た、歴史的事実が存在する。これらの事実が善いものにせ 小限の特赦を与えることさえ、彼らは拒絶した。大きな国民よ、悪いものにせよ、爽快なものにせよ、不快なものにせ それはこの問題において、どうでもよいことであ 的な祝祭日には、ヨーロッパのどんな政府でも、自分の臣民よ、 に特赦を拒むことはない。 一言でつくせば、彼らは環境を無る。それが存在し、無視できないということが、重要なので 視し、自分の力に対する底知れない確信を抱いて、行動したある。これらの事実があるために、「神の恩寵」という権威を のである。ところが、いまになって突然、すべてこうした非持っ ( 五世紀における侵略の権利をも持つ、とつけ加えてお 難が、もうまったく公然と、シャンポール伯のもとに押し寄こう ) シャンポール伯を、フランス人はけっして受けいれる せてきた。ォルレアン家とプルポン家という、二つの王朝のことができないのである。ああ、だがひょっとしたら、彼ら は受けいれたいのかもしれないー なぜならば、国民の約八 代表者が会見した事件である。今日でさえ、この会見でパ イがいったいなにをいいたかったのか、ちょっと想像もっか分の一だけが、一七八九年の原則を信じており、知っている ない。国民議会に少数の帰依者をもっているオルレアン家ので、あとの人々は、ただ平和と強力な政府だけを、それも は、現在、フランスをひき裂いているどの政党とくらべて いかなる権戚であろうが、ただ確かな権威であるなら同意す も、王位につく可能性をほとんど恵まれていないのである。 るとい、つくらい、渇望しているのだから。しかし、シャンポ この王朝は、フランスにとって、十八年間も善政をしいた今 ール伯の権威の確かさを、正統派のほかには、だれも真面目 世紀最大の恩人であるにもかかわらず、もう我慢がならぬほに信じられないところに、間題があるのだ。もちろん、今は ど皆があきあきしているので、なにがどうあろうと、フランどんなことでも、まったくどんなことでも起こりうるので、 スはこの王朝に同意などしないだろう。そればかりでなく、 シャンポール伯が白馬に跨りパリへ乗り込むということさ 子′ー刀ノーを 彼よ二日ともち この王朝はすっかり時勢遅れになってしまい、今では国の要え、あるいは、起こるかもしれない : 求もまったく別なものになっている。ォルレアン王朝の穏和 きれないだろうし、マグマオン元帥が投票箱に自分の元帥標 ーレ な統治と聡明な自由主義も、現在の出来事にかかっては、無を入れないかぎり、それは実現不可能なことにすぎない。 フロースド これはきわめて重要な事実だが、 用の長物である。それにもかかわらず、会見が行なわれ、両かし、 派は合流して、国民議会の過半数獲得を狙っているのだ。し ルフでの出来事や、ほかのすべての正統派の運動が、いつも かし、シャンポール伯をアンリ五世として宣言することが、 マグマオン元帥の参加なしに行なわれているらしいことであ もし可能だとすれば、これを宣言する機会とはいったいなる。少なくとも、このことについて、どこからも確実な情報
は入っていない。要するに、正統派の活動家たちは、まったぜなら、彼は自分で自分の作ったものを、破壊するに違いな いのだから」 く、自分の力だけしかあてにできないのである。それに、す べての正統派のうちで、性急さと不寛容、熱と自己過信、現もし、ビスマルグを批評するこのような言葉が、実際、シ 実ばなれのした性格によって、もっとも際立っているのが、 ャンポール伯によっていわれたとすると、この男はまったく 僧権主義者と僧呂であることは、やはり注目に値しよう。 底の知れない知恵者だといわなければならない。しかし、彼 王党派の代表者は、シャンポール伯と、シャンポール伯のの頭脳の偉大さについて、だれもまだ、聞いたことがないの 同意が、まるで、問題のいっさいででもあるかのように、現だから、ビスマルグを評するこの言葉は、おそらく、彼のも いったとしても ) 、伯はただ他人の言葉を 在、彼ときわめて活漫な交渉を行なっている。だが、彼らのうのでなく ( もし、 ちで、国民の意見について少しでも考えているものは、だれくり返したにすぎなかろう。それも、おそらく、彼のために 一人ないのである。実際そんなところだろう。これは歴史に ことさら考えだされた言葉を、くり返したのでもあろう。国 よってすっかり証明されていることだが、少なくとも、純粋王が国民のもとに帰ってくるとき、彼のために、わざと、最 の正統派は常にフランスを否定してきたのだ。 "L'Etatc'est ネ 刀の挨拶のちょっとした言葉が考えだされるということが、 moi,lanationc'estnous. ・・ ( 「わたしが国家であり、国民はわよくあるものだ。われわれの記憶に誤りがなければ、ルイ十 たしたちである」 ) 。シャンポール伯その人の姿も、はなはだ 八世が長いこと国を外にして、一八一四年、パリへ帰って米 喜劇的に、登場しはじめている ! おそらく、彼もまた、問 た時、タレイラン公によって、彼のために次のような短い 言葉が考えだされた。 "Rien n ・ est changé, il n'y a qu'un 題は、自分が即位を引き受けることにかかっていて、ちょっ と同意しさえすれば、全フランスはもう直ちに自分のまえに frangais de plus. こ ( 何も変わりはしない、ただ一人だけフ ひざまずくであろう、と信じこんでいるのである。巷冫 ' ここよランス人が増えたまでだ ) 。とにかく、シャンポール伯・ れば、彼は、イタリアとの戦争を彼がもくろんでいるという たとい非常に聡明な人間であるとしても、やはり自分の国民 噂について、最近、右翼の代表者たちと会談しながら、フラのことなどは、なにも知らないに相違ない。それはすでに知 部ンスに戦争する力のないことを、自分はよく知っているのだ力の間題ではなく、環境の問題である。このような世襲の国 第から、自分としてはそれが無分別なこととしか思えない、と王が自分の国民を知ることよりも、むずかしいことはない。 録答えたという。彼は、「アランスは力を蓄え、国を整えねば国王の帰依者が党派を形成しているところでは、国王は誕生 ならぬ」と結論してさらに次のようにつけ加えた。「ビスマのその日から臨終の日にいたるまで、ただ自分の堂派の人を 論ルク公には、完全に自由な活動をさせてやる必要がある。な見るばかりであって、他の党派の人々のことはたとい聞いて
とはすべて、罪なくて追われた法王を擁護する僧権主義者のだ社会主義者は、それがどちらも同じものだと信じこんで、 広汎な煽動が、いたるところでいっせいに拡まっていること真面目に反キリストをキリストと考えている始末ではないか を、示すものである。ところで、この点に関して非常に興味 深いのは、最近公けにされた二通の手紙、ヴィルヘルム皇帝第一に、アンリ五世が法王のための戦争を避けられないの 宛の法王の手紙と、皇帝の法王宛の返書の内容であるが、そは、現在とあとここ二、三年間が、法王のための戦争に国民 れは別の場所で報告することにしよう。しかし、こうした僧の人気と同情を獲得できる唯一の時期だからである。もしア 権主義者の運動は、それが、もう一度、最後、国王とこのンリ五世が、数十億の賠償金と、最近うけた恥辱に 世の支配者たちの援助を乞おうとするローマ・カトリック教て、ドイツに報復し、アルサスとローレーヌをドイツから取 会の最後の試みであり、彼らにかけた最後の望みである、とり戻すことができれば、疑いもなく、少なくとも自分の治世 いう点で、いっそう重要である。この最後の期待がかなえらのあいだだけは、王座を強固なものにできるだろう。しカ れなければ、ローマも、千五百年以来はじめて、この世の支し、彼が国王になって、すぐにドイツに宣戦を布告してみた 配者たちと縁を断っ時が、国王に望みをかけてはならない時ところで、だれもかれのあとについて行きはしないだろう。 ま来たことを、理解するだろう ! そうなれば、誓っていうそれに、恐ろしくもあるし、危険も大きいのだから、宣戦市 告などさせもしないだろう。しかしまた、ドイツから迫害さ が、今まで、教会からいつでも横柄に遠ざけられ、キリスト れている法王は、フランスですぐさま同情を喚起するに違い の福音ですら隠されて、翻訳を許されなかった民衆に、ロー マはあえて訴えることも辞さないだろう。人間の魂を捕えるない。「絶対無謬」の法王の主要な敵が、現在、ドイツでな くて、だれであろう ? 法王権力の復興を、ドイツはもっと ことに熟達した、二万のジェスイットの軍勢とともに、法王 はかち裸足でばろをまとって、民衆の中へ入って行くだろも重大な問題として見ており、全力を傾けてイタリアの側に う。この軍勢をカール・マルクスと・ハグーニンがはたして阻立っているのである。しだいしだいに交渉から激昻へ、激昻 や、どうしてできるものではない、 から実行へと、進んでいって、法王問題は、シャンポール伯 できるだろうか ? し カトリック教会は、必要な場合は、譲歩もし、どんなことにの即位の場合、かならず、フランスとドイツのあいだに起こ るべくして起こる、巨大な戦争によって、解決されるに違い も同意する能力を持っているのだ。それに、共産主義はキリ ない。アルサスのためだけだったら、フランスは起たないだ スト教そのものであって、キリストはただそれについて説い くみ たのだと、貧しい愚かな民衆に信じこませるのに、どれだけろうが、法王の側に与すると、いつのまにか、戦争に捲き込 の手数がいろう。そうでなくても、一部の聡明で奇知に富んまれずにはすまなくなって、その戦争がまた人気を呼ぶこと
統的な君主政体を離れて、彼はなんの意義も持たない。それ でいて、彼はその表章を犠牲にしようとかかっているのであ る。革命旗を受け入れれば、革命によってつくられた君主に なるか、虚偽を認めるか、そのどちらかである : : : 憲法を採 〔「グラジダニン』第四十一号、一八七三年十月八日〕 現在のフランスの諸事件に関する、イギリスの新聞 : DailY 用するのは、さしてむずかしいことではない。そのために News" ( 『ディリー・ニ = ーズしの論説を、ここに抜萃するこは、ほんの一分間、ちょっと筆をとればたりる。しかし、生 とにしよう。「現在、フランスにおいて或る徴候が見られる。涯、憲法に忠実であること、ありとあらゆるさまざまな事情 や条件にさいし、憲法を一字一句、その精神にしたがって実 新しい国家的変革、議会主義の形態と、その権威を借りてい ることによって、よけいに不正な変革が企てられているので行すること、長い年月にわたって実行することは、一つの任 ある。そして一方、あのヴェルサイユ会議は、けっして議会務であり、試練である。こうした試練に際してシャンポール と見なすことができない。それは、最高の統治責任を壟断伯は、ある種の影響を受けて、容易に道を踏みはずすかもし し、選挙民と国家からいっさいの責任を奪ったとき以来、議れない。自分の本性を変えることはむずかしい。教育、交 会たることをやめたのである。今では、それはただ委任され際、習慣、根を張った確信などが、その誠実な意図にもかか た全権を濫用するという方法で、その権力を維持しているだわらず、最初の決意を圧倒してしまうのである : : : 自分自身 はたしてフランスに忠実に仕 けの、無責任な、浮きあがった寡頭政治であるにすぎない」 を裏切ったシャンボール伯が、 さらに、シャンポール伯については、次のように批評してえるものだろうか ? 彼が奸策の弄せる男だとは思えない 、しかし、誘惑にかかりやすい、国家的危険を思わせる弱 「この王位要求者は、時として道を誤ることはあるが、たし点を、彼は暴露している : : : 議会は、シャンポール伯を、議 かに誠実な人間に違いない。 もし、彼がなにはどうあっても会の君主にすることだけはできるが、フランスの土に彼の権 譲歩しない点があるとすれば、それは白色旗についての問題力を根づかせる力は持 0 ていない。また、プロイ公 ( ランスの 首相。王政復古を画 部だろう : : しかし、噂によれば、国旗に白色のリポン、ある ) とその一派は、まるで一七八九年に可能で 策したが失敗した 第いは一東の白い羽根をつけるという条件で妥協が成立したとあったことが、一八七三年にもそのまま可能であるかのよう に、想像している。彼らはまるまる一世紀と、その一世紀に 録のことだ。だが、この問題がうやむやに片づけられるとき、 シャンポよってフランスに作りあげられた社会制度を失念しているの いったい白色旗はなんのシンポルといえようか ! 文 論 ール伯自身が、シンポル以上の何ものでもないのである。伝である : : : こうした『歴史復興』派 ( プロイ公がその典型的 4 20 ノ
の代わり、このところきっと、フロースドルフの静寂のうち に利用した ( つまり、もう先例がある ) 、古い憲章 ( 一 四年の ) を、もし現在の情勢に適合するように少しばかり変で、伯の無邪気な空想は、彼が白馬に跨ってパリへ乗り込む とき、 リの女たちは花を投げ、民衆は彼の馬の蹄に接吻す 更したら、それだけで十分だろう、と彼はいっている。いう までもなく、そのような場合には、フランス人にとってきわる、などといった光景を思い描いて、倦まなかったに相違な こんなことになれば、もう彼は停めることさえせずに、 めて貴重な一般投票 ( けれども、なぜそうなのかは、わから というのは今世紀になって、フランスで行なわれたあすべてを是認するだろう。なぜなら、それは自然なことだ らゆる無意味なことのうちでも、もちろん、これほどばかげし、両方の名誉になるばかりだからである。プルポン家の出 た発明はほかに考えられないから ) が、廃棄される。しかで彼の親戚にあたる、イスパニヤの王位要求者ドン・カルロ し、彼にとって、フランスに関する問題が、なんだというのスの馬の蹄も、こうして接吻されたのである。そこでは、実 だろう ? 疑いもなく、シャンポール伯は、フランスを幸福際、方々の村で、幾度もそういうことが起こった : にしようというまことに神聖な信念をもって、帰ってくるの いったいだれが、ごく近い将来に予想されている だし、また幸福にすることができると信じているのだが、そ入城や、他のさまざまな空想的な光景の実現に、妨害を与え いうまでもないことだが、こう の念願を見ると、彼の帰還は、慈悲深い地主が自分の村に帰ることができるのだろう ? るということと、ほとんど、選むところがないのである。 した疑問のあとで、すぐに大写しにされるのは、われわれが ああ、彼は彼らがひざまずくのを、是認してはいない ! 前にちょっと話しはじめたことのある、老元帥マグマオンの つまり、シャンポール城において ( 彼はその時までにシャン姿なのだ。しかし、再び話しはじめる前に、すでに三か月半 続しているのだが、今までヨーロッパではまだ一言も語 ポール城へ移りたがっている、とのことだ ) 、国民議会が彼も に王冠をささげ、「フランスに帰還する」ように懇願しはじられていないので、つまり、「グラジダニン ( 市民 ) 』が初め めるとき、もちろん、その時に、彼は彼らをひざまずかせなて指摘することになる、一つの非常に政治的な事情について どしないだろう。彼はあまりにも、あまりにもよく自分の時述べようと思う。それは次のようなことである。 マグマオン元帥、「老元帥」「誠実な元帥」、「勇敢な元帥」、 部代を知っている ! しかし : : もしそれでもやはり、彼らが 第膝を折り曲げたそうなふりを見せるならば、それはまったく「誠実な老兵士」などの多くの名で呼ばれているこの男は、 ツ。、こおける 録けっこうなことに違いない。彼はもう感謝のあまり、すぐさ 今年の五月二十四日以前も、もちろん、ヨーロノ しかし、そのころの彼の名声は、き ま、何をおいても、まるで彼らがそんなことをはじめもしな著名な人物であったが、 論かったかのように、ひざまずくことなど許さないだろう。そわめて限定されたある一面からくるものでしかなかった。彼 二 11 ロ ノ 87