ぬ惚れが強すぎはしないだろうか。なにしろ、民衆は完全な ろう。「きみはどうも皮肉な言い方をして、人を批判してい る形だね : : : だって、きみは確か、さっきこういったようだ家畜のむれとは違うのだ。それどころか、筆者はむしろこん な確信さえいだいている。つまり、われわれ日一那衆が彼らの ね、ーーー教える必要はない、民衆の無知と偏見をとくに強調 ところへ教えに行っても、かえってわれわれのほうがまだ何 して、それをできるだけ早く絶滅しようと、むやみやたらに か知らないでいるから、むしろわれわれのほうがその前に、 気を揉むことは、これも一種の無知であり、偏見である、 たわごと 何やかや彼らに学ばなければならぬということを、民衆自身 と。なんという痴言だ ! 」 「いや、生意気に自分の意見を述べようとしたけれども」とが腹の中で承知している。よしんば承知していないまでも、 直覚しているのである。右の次第で、彼らはまったくのとこ 筆者は答える。「あんな意見を吐いたのを、今は後悔してい るくらいだ。これはどうも非常に尻くすぐったい。『だれでろ、われわれの学問の何から何までを尊敬していない。少な くとも、好いていないのである。 もいいから試みに、社会の通念となっているなんらかの流行 だれにもせよ、いっか民衆に接したことのある人なら、自 思想なり、一定の時期に社会ぜんたいの崇拝している偶像な りを、先入見や盲拝なしに批判するとしたら、必ず泥を投げ分の体験に徴して、この印象を確かめることができるであろ つけられるに相違ない』これはシチ = ルビナ氏自身の言葉でう。なにぶんにも、民衆が本当に口をばかんとあけて、諸君 あるが、筆者は今ほかならぬこうした立場におかれているののいうことを聞くようになるためには、まず第一に諸君のは を感じる。『なんだって ! 』と人々は叫ぶであろう。「民衆うで、それに値するだけのことをしなければならない。すな を教えてはいけないって ! つまり、偏見と、無知と、文盲わち、彼らの信頼と尊敬を獲得しなければならぬ。われわれ 犯人が口を開きさえすれば、すぐ何もかも征服できると、軽々し ・ : きみは非開化主義者だ ! を普及するんだって ! く思い込んでみたところで、けっして信頼はいうもさらな り、尊敬を獲得するなど思いもよらぬことである。なにぶん 弁解ということは、時として恐ろしく困難なものである。 にも、民衆はそれを心得ているのだ。彼らに対する諸君の態 とんでもない ! 筆者は教育の必要がないなどと、けっし 部てそんなことをいっているのではない。筆者自身ただ一つ、度、感情ほど、民衆の敏速に感じ取るものはない。自分たち 第啓蒙 ! 啓蒙 ! ということばかり絶叫し、宣伝しているのは民衆にくらべると量り知れぬほど聡明で、しかも学識があ 録だ。これはまったく反対で、教育が必要である。ただ、筆者るというわれわれのナイーヴな意識は、民衆にとって単に滑 にいわせると、われわれが民衆を教えにかかると、彼らがロ稽であるばかりでなく、多くの場合、むしろ侮辱とさえ思わ 論をばかんと開けて聞くだろう、などと考えるのは、あまりうれるのである。シチェルビナ氏よ、きみはどうやら、われわル
や、このような社会的現象をしゃれのめすことによって、 に、女性にささげられた過大な讃辞であって、現実のトル 3 マチョーヴァ女史ではない。「ヴェーグ』の編集部のみな ロシャの婦人に加えた侮辱、等々に関する彼の意見に、わ れわれは同意することができないのである」 らず、わがユーモリストにしても、疑いもなく、女史の人 格に泥を塗るなどということは、あえてなしうるところで 同意しない権利は、だれでも持っている。自分の意見を持ない。当のミハイロフ氏の論評さえも、こうした戯文の対 っ権利を、だれからも奪うことはできない。しかし、意見そ象となるかもしれない。なお、トルマチョーヴァ女史の名 のものに賛成しないことは、自由である。それは当然の話 を持ち出さなければならなかったという、その重大な責任 だ。しかし、それから先に、おもしろい数行が出て来るの は『ペテルプルグ報知』の雑録記者に帰さなければならな だ。それはヴィノゴーロフを弁護しようという試みであっ い。なぜなら、トルマチョーヴァ女史自身が、彼女の朗読 て、彼はあの文章でトルマチョーヴァ女史を攻撃しようとし に手前勝手な解釈を加えた人々の意見に、まるで同意しな いかもしれないからである」 たのではさらさらなく、「ペテルプルグ報知』のベルミ通信 員を非難したにすぎない、 と一明しよ、つとしている。 いったいなんという弁明だろう ! これこそっまり、是が 「公開の席上で「エジプトの夜』を朗読することによって、非でも弁明しよう、というやつである。なんというふらふら ロシャの女性の社会的地位が向上しうるということを、わした、なんというみじめな弁明だろう ! 赤ん坊だって、こ れわれはどうしても理解することができないので、われわんな弁明の仕方はしないだろう。 れとしては今のところ、これだけの声明で完全かっ十分で とんでもない ! 諸君は、あのユーモリストの戯文の目的 あると見なす。しかし、ここでわれわれは、、 しっさいの誤は、現実のトルマチョーヴァ女史ではなくて、「ペテルプル 解を避けるために、次のことだけは声明しておくのを義務グ報知』の雑録に描かれた女史である、と力説しておられ と思う。カーメン・ヴィノゴーロフの戯文の目的は、けつる。第一に、「ペテルプルグ報知』の雑録は、現実にあるが してトルマチョーヴァ女史でもなければ、トルマチョーヴごとき彼女を描かないで、彼女の言葉や意見を歪曲したとい 女史の行動でもなく、あの朗読についてのトルマチョー うことを、どうして諸君は確実に知っておられるのか ? も ヴァ女史の考えでもない。戯文の目的は単に、『ペテルプしトルマチョーヴァ女史がほんとうに、あの通信員の描いた ルグ報知』の雑録に描かれたトルマチョーヴァ女史だった ような人間であり、彼女の言葉も意見も正確に伝えられたと のである。というよりも、『エジプトの夜』の朗読のためしたら、 いったいどうなるのだろう ? そのとき諸君は、あ
とか、われわれはおのれの事業に対する愛を自分で自分に無われたにもかかわらす、である。もちろん、先覚者たちの間 理やり「押しつけた」とかいうのは、ありうべからざることで、この二十五年間にわが国でなんらかの進歩が遂げられた である。筆者は、この宣告の峻厳さが本ものであるとは、信ことを承認しようという規程は、まだ今のところないにきま じられない。思想の真の動きは時をふるにつれて、独自の厳っている。が、ぜんぜん進歩がなかったということも、あり 粛な、公平無私の歴史を持つようになる。その時には、事態得ないのである。シチェルビナ氏は、この意見を証明する具 はもっと深刻な、もっと喜ばしい解明を与えられるかもしれ体的な事実を要求されはしないであろう、筆者はそれを確信 。もしあれほど抽象的な見方でなく、若干の事実に基づしている。しかし、せめて一つの例でも、提供するとしょ いて、幾らか実際的な見方をするならば、われわれは自分のう。ほかでもない、次のような場合である。 意見に反する事実の中に、必ずや是とするようなものをも多筆者がさきに抜萃した長広舌の中で、シチェルビナ氏が自 ・ : 」「われわれは思いもよらな 少見いだすに相違ない。何も「悪い面ばかりを見る」必要は分で、「われわれは知らない : ・ : 」「われわれは愛の感情を ・ : 」「われわれは愛さない : あるまい。手のつけられぬ楽観論者、滑稽な楽観論者になら : 」「われわれの中には血 なくとも、公平に事物を見ることはできる。滑橋なといった自分自身に無理やり押しつけた : のは、はかでもない。わが国には何か一つ意見を発表するのが湧き立ち、カがあり余っている」などといっている。シチ エルビナ氏はおそらく礼節のために、このわれわれという言 にも、滑稽に見られることをひどく恐れるからである。その ために、最も多く人の賛成する、共通の意見をいだく人々葉をいたるところに挿入したものに相違ない。なにぶんに 丿ーに属するものと、考 も、氏は真剣に自分をそのカテゴー : 、たくさんいるわけである。すべての人に似るというこ これが滑稽に見られないための、最もよい方法であえているはずがないではないか。つまり、愛さない人間、成 る。こういったからとて、シチェルビナ氏もある程度共通の熟しない人間、愛するすべを知らない人間、自分自身に無理 意見をいだいて、すべての人に似ようとする傾向がある、なやり押しつけている人間、等々であると思い込んでいるはず さもなかったら、あんなに興奮したり、非難した シチェルビナ氏の見がなし どといおうとするのではさらさらない。 解はまったくのところ、わが国でも最も高潔な先覚者の大多り、軽蔑したり、あんな忠告をしたりなどするわけがない。 数のいだいている意見と、同じものである。ところが、わがさて、そうであるとしたならば、それこそ愛することも、評 国の先覚者は自然の道理として、われわれの世代に対する見価することも、行動することもできる人間が、すでに一人は しることになる : 方において、レールモントフの思想とはなはだしく相違する はずがない。 この思想はわれわれより四分の一世紀も前に現「きみはどうも誠実でないようだ」と、人々は筆者にいうだ
11 = ロ なもの、すなわち、事実の連続から直接に生じたものと認め しかし、断わっておかなければならない。最後に引用し た、ロシャに関する外国人のばかばかしい叫びは、大部分、る。ただし、この意見がまったく間違ったものであること は、中すまでもない。というのは、ほかでもないが、われわ 最近の不和時代 ( ありがたいことに、それは永久にとはい えないまでも、将来ながい間うち切りになった ) 、戦争時代れがどんなに外国人をつかまえて、それはまるであべこべだ に、凄まじい戦闘的叫喚の間に、不安な状態で発せられたもと力説しても、彼らはそれ以外にロシャを理解することがで のである。とはいうものの、不和時代、戦争時代より前に述きないのである。しかし、はたして彼らを納得させることが べられたすべての意見のエッセンスを取ってみても、結論はできるだろうか。第一、どんなところから推して見ても、フ ランス人は『ヴレーミャ』の予約購読者になりはしない。よ ほとんど同じことである。それらの本は現存しているのだか しんばキケロその人がこの雑誌の寄稿家になったにしても、 ら、調べることができるわけだ。 そこで、どうだろう ? われわれはそういう意見に対しである。もっとも、われわれはキケロをこの雑誌の寄稿家に て、外国人を非難したものだろうか ? われわれにたいするしょ オいかもしれない。右の次第で、彼らは筆者の答弁を読ん でくれはしない。ましてその他のドイツ人輩においてをや、 憎悪のために、鈍感のために、彼らを非難すべきだろうか、 かである。第二に、彼らはまったく口シャを理解し得ない或る 彼らの近視眼流と浅薄さを嘲笑したものだろうか ? し し、彼らの意見は一度や二度、ある特定の人によって述べら種の特質を持っている、それを認めなければならない。彼ら はお互い同士をさえ、あまり十分に理解していないのであ れたものではない。それは西欧ぜんたいが、種々さまざまな 形で発したものである。あるいは冷静に、あるいは憎悪をこる。 イギリス人は今にいたるまで、フランス人の存在の合理性 めて、あるいは宣伝屋によって、あるいは洞察の士によっ ろうれつかん て、あるいは陋劣漢によって、あるいは清廉高潔の人によっを許容することができないでいる。フランス人もまた、いか て、あるいは散文に、あるいは詩に、あるいは長編に、あるなる同盟、いかなる ententescordiales ( 協商 ) 等々にもか かわらず、それと同じ金額で、いや、それどころか、利子ま いは歴史書に、あるいは premier-Paris ( ・ハリの新聞社説 ) に 部おいて、あるいは演壇の上から。したがって、この意見はほでつけて支払いをしている。にもかかわらず、両方ともヨー 第とんど一般的なものであるが、ありとあらゆる人を責めるのロッパ人である、本当の、主要なヨーロッパ人である、ヨー . し、刀 録は困難である。それに、なんで責める理山があろう ? ロッパ人の代表である。なにしろ、われわれロシャ人は自分 少なくとも、われわ なる罪を責めるのか ? はっきりいってしまうが、そこに自身にとっても謎であるのだから、 論はなんの罪もないばかりか、筆者はこの意見を全然ノーマル れは絶えずお互い同士に謎をかけ合っているのだから、彼ら
の論文の序論を結ぶにあたって、現代の文学上の諸現象、諸現象である。 間題を語るように約東した。ところで、筆者は目下において右の次第で、論争の敵味方を和睦させ、協調させようなど 最も重要な文学上の問題の一つは、芸術に関する問題であるという仕事には、手をださない。それに、いやはや不愉快な 八三八ー八 と思う。この問題は現代のわが文学者の多くのものを、互い 役である。つい近ごろもヴォスコボイ = コフ氏 ( 年、主として産 業関係の に敵視し合う二つの陣営に分かった。かようにして、カが分 ) の頭に、ロシャの文学者はあまり頻繁に喧嘩をし過 評論家 裂したわけである。すべて敵意をふくむ意見の相違が有害な ぎる ( もちろん、文学的方法で ) 、という考えが浮かんだ。 そこで、彼は『文学者諸君、喧嘩をやめたまえ』という、か ものである、などということは今さら喋々するまでもない。 が、事態はすでにほとんど敵視というところまでいって なりお座興になる小論文をものした。その結果、この論文を る。 目にしたほどの人はだれもかれも、ヴォスコボイニコフ氏に この敵視と、その原因を解剖して、論争ぜんたいを明らか食ってかかった。はかのことならいつも意見が合わないの にし、この論争についておのれの意見を表白することは、本 に、この点ですぐさまお互いに一致したわけである。ことは 誌の目的にも合し、われわれがみすから読者に対して課したすこぶる簡単である。われわれは凵下の芸術に関する冏題 義務にも一致するのだが、まず第一にお断わりしておかなけを、非常に重大なものと見なしているのだ。そういったわけ ればならぬ。たといこの論争に巻き込まれるとしても、それで、本誌は創刊匇々ではあるけれども、吾人がいかにこの間 はこの論争の最後的審判者の役割を狙おうなどという、野心題を理解しているか、またその解決に当たって自分の立場に をいっさいすててかからなければならぬ。それに、わが国の いかなるニュアンスをつけようとしているかについて、おの 文学上の論争で、一つの党派が他の党派に屈服したとか、信れの意見をも発表したいと思う。そこで、われわれは端的に 念の上から進んで和協したとかいう例は、かって記憶に存しおのれの信念を述べ、自己の主義傾向を表明しようと思う。 ないところである。すべてわが国における文学論争は、長年まして、われわれはすでにそれを訊かれているにおいてを のあいだに気が抜けて、みんなに飽かれてしま、、、 ししっとはや、である。ところで、わが国の文学におけるこの論争が、 なく自然に中止されるか、さもなくば一方の党が相手方を破どこで停頓しているかということを、あらかじめ説明してお って、相手方を沈黙させるかであるが、この場合の沈黙は、 かないでは、吾人の信念を表明することができないから、こ ただただ弓折れ矢尽きたからであって、同意したからではなの論争の現代的性格を定義するためには、前もって両陣営の 。意見の一致などは、どうも記憶にない。よしんばそう い教義を解部し、それにこの論文をささげることにしよう。こ うことがあったにしても、思い起こす必要もないほど稀れなの教義の一つの最も重要な代表者は、争う余地なく、いつも
がらわしい中傷を真実として報道もしなかった」と諸君はは 考えることもできない。人間がいかなる信念を有しているに つきりいっている。諸君はそれを落ちつき払っていっておら もせよ、それはとにかくどこまでも人間であって、おのれの 自己保衛の感情は、変れる、そのくせ、嘘をついていることは、自分でもご承知な 自然性を撲滅することはできないー わることなく存在しているはずだ。しかし、なおそのほか、 のだ。「彼はけがらわしい中傷を捏造しなかった」と ! で 人間は人間であるがゆえに、おのれの同胞を愛したい要求をは、秘密うんぬんの当てこすりはどうなのか ? これは諸君 いったいどういうことなのだろう ? しか 感するであろう。同胞のためにおのれを犠牲にしたい要求をの意見によると、 も、その当てこすりが活字となって現われたのだ。これらす 感ずるであろう。なぜなら、愛は自己犠牲なしには考えるこ ともできず、また愛は、くり返していうが、滅びることはあべてを見抜いて、それをそのものずばりの言葉で指摘するこ り得ないからである。それがためには、人間は自分自身の自とができないとは、諸君は赤ん坊だとでもいうのだろうか ? 然性を憎悪しなければならない。諸君はそれを確信しておら れるか ? 少なくとも、それは厄介な問題であって、諸君の なおそのほか「ロシャ報知』は何やかや色々なことをいっ やっておられるようこ、、 ~ しきなり解決することは不可能であたが、何よりわれわれの気に入ったのは、プーシキンに関す る。それは る批判である。 それはほかでもない「エジプトの夜』のことであるが、同 誌はその前にもプーシキンについてたくさん奇抜なことをい 「諸君の解き得ない間題なのだ ! 」 った。が、今はその最後的な意見を検討しないことにする。 ところが、諸君は何かあまりにも平然と、あまりにも得々「最後的な」というのは、ほかでもない、その意見が吐かれ と解決しておられる。もうそれだけでも胡散くさいではない たのは、ドウドウィシキンの不滅の論文が現われて以来、わ が文壇に生じたプーシキンの問題を、一挙にして最高判決的 たとえば、諸君はヒューマニズムとか、発達とかをうんぬに解決するためであるように、田 5 われるからである。これら 部んしておられるが、そのくせ被害者を向こうにまわして、侮 の意見すべてに対しては、以後、本誌創刊のときに約東した 第辱者を弁護しておられる。諸君は侮辱者を弁護したい一心とおり、別個の論文で答えることにする。しかし、『エジプト 録で、真実の歪曲さえもあえてして、明々白々たる事実に反すの夜』に関する『ロシャ報知』の批判については、とくに一 この批判によって、詩の理解にお る発言をしておられる。そして、そのことを何とも思っては言しないではいられない。 ける『ロシャ報知』の力が残りなく、鮮やかにわれわれの前 論おられないらしい。「彼は何も怪しげな事実を捏造せず、け
である、とはいえ、筆者はただ第一の短編の点検のみに限ろには、信念から生じる力がある。 * * ポフ氏は批評家という うと思う。 * * ポフ氏の信念を理解するためには、それでもよりも、むしろ評論家である。彼の信念の根本は正しいもの 十分だからである。当のマルコ・ヴォフチョーグについてであって、読者の同感を呼びさます。しかし、その根本を表 は、本論のなかで詳細にわたらないつもりである。ただ次の現する思想は、しばしば逆説的であって、一つの大きな欠 ようにいっておこう。筆者はこの作者の大なる知性と、立派点、 書斎的性質を有している。 * * ポフ氏は理論家であ な意図を認めはするけれども、その力強い文学的才能には疑るが、時としては空想家にさえなって、多くの場合、あまり いをさし挾むものである。かような意見をなんらの証明なしよく現実を知らない。彼は時として、あまりにも無遠慮に現 に公表することを、筆者はとくに遺憾とする次第である。そ実を取り扱い過ぎる。ただ現実が自分の思想を証明しさえす れよりもいっそう、ほかならぬ第一の短編『マーシャ』の批れゞ、、 。ししというように、自分の勝手なほうへ、現実をあっち 評を、まるでわざとのように取り上げなければならなくなっ こっちと捻じ曲げるのである。 * * ポフ氏は単純明晰な言葉 たのを、さらに遺憾とする。白状しなければならないが、こで文章を書く人である。もっとも、彼は文章を読者のロへ入 れはおそらくこの作者の短編ぜんたいの中で、最も力の足りれる前に、あまり自分のロの中で咀嚼しすぎる、という人も ないものと思われるからである。しかし、 * * ボフ氏はこのある。彼は自分の思想が理解されないような気がして、しか 短編の批評において、ほかでもない、筆者が読者の注意を促たがないらしい しかし、それは些々たる欠点である。言葉 さんと欲する側面から、最も詳細に意見を吐露しているのでの単純明晰ということは、現代において特別の注意と賞讃に きつくっ ある。 値する。なにしろある種の雑誌では、文章が不明瞭で、信屈 ごうが * * ポフ氏は筆者の意見によると、詳細な分析に値する人贅牙で、廻りくどいのを、意味深長に見せかけるのに役立っ ではあるが、もちろん、彼の信念のすべてを分析しようとい とでも思っているらしく、それを自分で大したお手柄のよう うつもりはない。筆者は多くの点において彼と意見を異にし にうぬ惚れている、そういうご時勢なのである。だれだった て、正面から彼の敵手として立つものであるが、しかし彼がか筆者に向かって、こんなことを力説した人がある。今では もし批評家が水をはしいと思ったら、単純に「水を持って来 自分の書いたものを読ませる力を持っていること、 * * ボフ 氏が寄稿家となって以来、「現代人』の批評欄がまず第一に い」といわないで、きっと何か次のようなふうにいうにちが ページを切られるようになったこと ( それまではほとんどだ れも批評など読まなかったのである ) 、ただそれだけでも、 「わたしの胃の中で複雑化している固い要素の軟化に役立っ * * ポフ氏の文学的才能を明らかに証明している。彼の才能ところの、湿潤作用の本質的根源を持って来い」
ルコ・ヴォフチョーグの文学的才能を否定したのは、その作 「が、問題は芸術派に属する批評家の宣告ではない。そん 品が暴露的であるという、単にその理由ばかりではあるま な批評家などはどうでも、 しい。なにしろ、そんなものを真 この場合、彼はなおそのほかの材料を基としたというこ とも、筆者はあり得るだろうと認める。しかし、 * * ポフ氏面目に受取るものは、だれもいないのだから、したがっ て、この批評家の芸術的お慰みは、結局、無害なものとい は、芸術のための芸術の支持者は、功利的傾向を憎むのあま り、暴露文学をいっさい例外なしに否定するのみならず、暴うことになる。われわれはもっと違った解釈、もっと違っ た意見を頭においているのであって、マルコ・ヴォフチョ 露文学のほうに才能の所有者が現われ得る、ということさえ ーグの書物を好機として、それについて語ろうと思うので 否定している、という、筆者の言葉を、まっすぐに裏書きし ある。この意見は、みずから教養階級と称しているわが社 ているのだ。くり返していうが、それは信じてよろしい。そ 会の一定の部分に、かなり普及しているのだが、しかもこ の代わり、 * * ポフ氏自身のほうでも、あまりにもはなはだ の連中は事がらに対する無理解と、軽率を暴露している。 しい極端に陥っている。いわく、もし芸術派の批評家が、マ ルコ・ヴォフチョークの短編のなかで、たとい何かでも理解われわれのいっている意見は、農民と、農奴制度に対する することができたら、自分で自分に背くことになる。なぜな農民の態度の、性格定義に関するものである。農奴制度は 終焉に近づきつつある。しかし、数世紀にわたって存在し ら、たちまち芸術のための芸術なる理論の背教者になるから た事実は、いたずらに消え去るものでなく、なんらの痕跡 である、と。 も残さずにはすまない。なんらかの門閥的位置は、法律に 憤怒に目がくらんで公平を失ったために、芸術のための芸 よって廃止されてから二世紀もたっているのに、依然とし 術なる理論の支持者のあるものを、非難することはまだしも てその権利を保有している。農奴制の結果であるもろもろ 差支えない。しかし、芸術のための芸術なる理論そのもの の関係が、忽然として改変されるなどということが、 が、その支持者を頭の足りない人間にし、聡明な人間を愚鈍 して期待できるだろうか ? 否、それはまだ長い間、書物 で浅薄な人間に化するというような、そういう性質を持って の中にも、客間の会話の中にも、われわれの生活関係の全 いるなどと断定するのは、それこそもう公正を欠いている。 何かの場合、理論や、党派や、教義が、どこか変なほうへそ機構の中にも、その影響を示すことであろう。単に生を終 わらんとしている世代のみならず、現在活動しつつある世 れるのは、あり得ることではないか ! そうした逸脱を、 一々原則として受け取るわけにはいかよ、 代のみならず、今ようやく社会活動に入らんとしている世 代の概念は、よし端的に農奴制を基礎としてつくり上げら しかし、筆者は抜き書きをつづけていこう。
い論議は、珍しいものであった。さながら一同が忽然としてかし、諸君はすべてよりよきものに対する空想を、荘重な微 何ごとかを悟り、何か新しいものを認め、武者ぶるいをし、笑によって軽くあしらい、ついには自分と意見の合わない人 勇み立って、若返ったかのようであった。ああ、われわれは人を、小僧っ子だの、わめき屋だのと呼ぶようになった。そ どんなに期待をもって諸君を迎えたことだろう ! わたしはのくせ諸君自身、他人の意見というものは、潔白なものでさ あの当時のことをおばえている、よくおばえている ! で、 えあれば、尊敬の念をもって傾聴しなければならぬなどと、 折さえあればお説教しているのだ。とどのつまり、諸君はす 諸石の雑誌の功績も認めなければならない。現に今でも、 つかりえらそうにお高くとまって、これらの「小僧っ子や くつかの欄についていえば、それはロシャの雑誌の中でも、 最もすぐれたものの一つである。しかし、時は過ぎていつどなり屋」が、潔白な信念を持ちうるということさえ、認め て、貴誌の傾向はだんだんわれわれの気に入らなくなって来ようとしなくなった。諸君は自分に関係したことならどんな た。なにかしら偏狭な自負心、方図の知れない自己満足、自些事にでも、偉大な歴史的意義を賦与するのだ。諸君はいら 分に対する礼讃と崇拝の要求が、しだいに明瞭にあらわれて立たしい気持ちでべリンスキイを嫉視して、彼は無学などな 来に。諸君の雑誌から鼻持ちのならぬパーマストン臭、カヴり屋だということを、幾度となくほのめかしたものである。 ール臭が発散しはじめたことは、前にも述べたとおりであつい最近も、べリンスキイをひつばたけ ( もちろん、寸鉄詩 る。「カヴール臭」といっても、ここではカヴールその人のの鞭によるのだが ) という意味の詩が出た時、有頂天になっ ことをさすものではない。われわれはこの形容によって、そて喜んだほどである。しかし、重要なことは、われわれは諸 ういった浅薄な自己陶酔、から威張り、ジュピター気取りの君から新しい言葉を期待していたのに、毒意と細のほか、 尊大、子供つばい細評を表現しようとしたにすぎない。たと何一つ見いだすことができなかった。それは長いあいだ抑制 えば、われわれの目から見ると、諸君は自分の雑誌の見事なしていたのだが、とっぜん急に爆発して、最後にはこの上も ないシニッグな無節制にまで発展したのである。「それなら 政治欄の成功に陶酔して、自分たちこそ真に当を得た位置に いるものとうぬ惚れて、廿い空想に浸り、それに満足しきっちゃんとすっかり証明してみたまえ ! 」と諸君は憤然として て、よりよきものを何一つ望まないはどになり、それどころ いわれるだろう。「まあ、この論文を最後まで読んでくれた 力いっさいのよりよきものを拒否しようとするまでに至っ まえ」とわれわれはそれに対して答えよう。その時は諸君も た、とさえ思われるのである。これをなぜわれわれが「カヴおそらく、どうしてわれわれがそういう意見を持つようにな ったかを、推察されるであろう。少なくとも、われわれは十 ール臭」と名づけたかということは、まったくのところ、完 全に説明することができない、事実、できないのである。し分に腹を割るつもりなのである。
ヴィノゴーロフのユーモア的感想に対して書かれたもので意したことを、ばかばかしいと見なすこともできる。それ ある : : : 」 はすべて、不幸にも ( 傍点は『ヴェーグ』編集部による ) 、現 代においてすら、なお可能なのである。しかし、現代婦人 『ヴェーグ』の諸君は、カーメン・ヴィノゴーロフの、この の社会的条件や位置を承知しながら、ひとりの女性を公け 上もなく侮辱的な文章を、ユーモア的なものと称している ! に侮辱し、愚者や無学者の嘲笑や愚弄にまかせるなどとい しかも、それがまじめなのである。この雑誌の編集部を構成うことは、胸に生ける感情を持った人間ならば、もちろん しているのが、じつにしつかりした人々であることを、想起できることではない〉それから更にミハイロフ氏は、『ペ していただきたい。 テルプルグ報知』の雑録 ( ベルミにおける文学のタベに関 する ) の意味を歪曲し、上記のユーモア的感想を書いたこ ベルミ市における文学のタベで、トルマチョーヴァ とに対して、カーメン・ヴィノゴーロフを責めている。の みならず、『ヴェーク』にあの戯文を掲載したことで、編 女史が『エジプトの夜』 ( キ幻 、、 ) を朗読したことにつ て、カーメン・ヴィノゴーロフがユーモア的感想を書いた集部を非難している」 ミハイロフ (t ヴェーク』第八号『ロシャの珍聞』参照 ) 。 氏はそれに関して、熱烈な調子で、女性に対するカーメ けっこうな戯文があればあるものだ ! ン・ヴィノゴーロフの非常識な振舞いに抗議している。そ の女性は、〈そのような侮辱を受けるようなことは、何も 「われわれはミハイロフ氏の論文の内容を紹介した。あの していない〉のだそうである。ミハイロフ氏の言葉によれ 論文が『ペテルプルグ報知』に掲載されたということは、 ば、この女性は『エジプトの夜』を朗読することによっ 『ヴェーク』の誌上にページを割く義務を免除したわけで て、〈無恥な人々の偏見を無視する態度を、勇敢に声明し ある : : : 」 た〉のであるが、カーメン・ヴィノゴーロフは、その行為 ( すなわち「エジプトの夜』の公開朗読 ) を嘲笑した、と 完全に免除したわけではない。「ヴェーグ』の購読者は いうわけである。ミハイロフ氏はいう。〈トルマチョーヴ「ペテルプルグ報知』をとっていないかもしれないから、し ア女史の表明した意見に賛成しないで、それをこつけいな たがって、ミハイロフ氏の応答をまるで知らない、 とい、つ」 もの、途方もないものと考えることもできるし、彼女が公ともありうる。こういうことは、すっきりとやらなくてはな 開の席でプーシキンの『エジプトの夜』を朗読しようと決らない。 しかし、もう少し引用をつづけよう。『ヴェーク』の