たく、彼らはきみの想像するほど愚鈍でもなければ、理解が番いいのは地方官憲の力を借りて、必ず厳に順序を尊重しな 狭くもないのである。 がら、歴史に関する民謡からはじめて、諸家のロシャ史に及 それからシチェルビナ氏は、必要であると同時に万人に興ぶというふうに、規則ただしく読まなくてはならぬと、公け 味のある課目、ことに自然界の事柄を解説した文章を載せるに命令してもらうことである。 ようにといっているが、しかしその条件としては、上級向き断片的なものが民衆の気に入らないのは、もちろんのこと に書かれた少年読物の中から、それらの文章を取ってくるこではあるが、なぜロマノフ家の帝位継承に関する国書の原文 と、ただしそれが少年のために書かれたということを、絶対を、ぜひとも引用しなければならないのだろう ? なんのた に気づかれないような個所を選ばなければならぬ。なぜなめに国書の原文が必要なのだ ? もしこの事件を民衆に物語 ら、「民衆も一面において子供と同じであるから」と、シチりたいのなら、自分自身の表現で、現代の言葉で語ったらよ いのであって、国書が「民衆的な言葉に ( あれがなんの民衆 エルビナ氏は注意している。 なんという神経的な怒りつばさを、きみは民衆に押しつけ的な一言葉なものか ) 、民衆の尊敬する教会スラヴ語を混淆し るのだろう。なんと君は民衆を恐れているのだろう ! なんて書かれている」という理由によって、そんな古い本文を引 用することはいらない。そんなことが何になろう ? どうし という虫眼鏡的な用心深さだろう ! その次には歴史の部門がくることになっている。「歴史にて教会スラヴ語が民衆に快いのだろう ? わかりにくいから 関する民謡や、わかりやすい表現をした年代記の物語から、 なのか ? しかし、シチェルビナ氏は次のようにいっている。 漸次、序追って、諸家のロシャ歴史の抜萃文に移ってい かねばならぬ」 「このような編纂をした書物は、国民性およびロシャ歴史 の確固たる根本的基礎によって、民衆を教育し嚮導して、 第一、このように慎重な漸次性と順序尊重はなんのためで あるか ? いったいきみは民衆を大学へ入れる準備でもして彼らを健全かっ有機的に発達せしめる力を有している。こ 彼らが本を取って、勝手にページ れは遺憾ながら、西方の太陽に照らされているわれわれに しるのか ? まあかりに、 / すら、欠けているところのものである」 を開き、飛び飛びに拾い読みして、年代記や民謡よりもさき に、「諸家のロシャ史」を読んだらどうだろう ? そのため つまり、これなのであって、きみはどうやら自分の「読書 にたちまち駄目になってしまうだろうか ? きみの努力もす いったい本の屏に、本文庫』だけのカで、民衆の教育も、教養も、発達も、何もか べて水泡に帰するとでもいうのか ? これだけのもの 書は飛び飛びに読むべからず、とでも書いておくのか ? 一も一時に手に入れようと思っているらしい
) とにしよ、つ。 か、すぐさまその生活に穢されない魂の中に、家常茶飯事に これは過去の生活、つまり、歴史に関する 第二の欄、 あらわれた実践道徳の規準が植えつけられ、それと同時に、 第二の欄に対する準備ができるという、シチェルビナ氏の考知識、個々の場面、物語、ならびに地理的内容の文章であ え方である。当のシチェルビナ氏の断言するところによるる。まず歴史的な民謡からはじまって、その後に年代記類の と、そういう意図をもって、この欄は設けられたわけである。抜萃が続いている。それから、法令と国書である ( 読者諸君 まったく、こういう努力に対してどうして感謝せずにいられはおそらく信用されないだろう ? これはまったく大学であ ! 。和かと田 5 われる ? る ! ) 。その次は : : : 諸君ま よう、成功を祈らずにいられよう ? キイの現代語訳による『イーゴリ軍譚』なのである ! こう ついでながら、民衆の「生活に穢されない魂」について、 今の民衆にとって「イー なると、もう手がつけられない ! しいあんばいに思いださせても 少しばかり意見を述べよう。 らった。概して、民衆の魂は久しい以前から、なにか並みはゴリ軍譚』のどこが面白いだろう ? なにぶんにも、この作 ずれて新詳な、まるで手をつけられていない、「生活に穢さ 品に興味を持つのはただ学者と、それからまあ、詩人くらい れない」もののように考えられている。ところが、筆者はそのものであろう。しかも、詩人ですら、この叙事詩の古代的 の反対に、民衆の魂は絶えず多くの苦しみや、誘惑を受けるな形式に牽かれるにすぎない。民衆はその歴史についてなん の観念も持ってはいない。いったい彼らが「軍譚』を理解す ような立場におかれ、運命は無遠慮に彼らに手をつけて、い ろいろな事情が彼らを泥土の中に縛りつけているので、もうるだろうか ? 彼らはその中に死ぬほどな倦怠と、説明のつ そろそろ不幸な彼らを憐んで、もう少しキリスト教的な考えかない不可解なものを山はど見いだすばかりである。民衆の 方をもって近々と観察し、カラムジンの小説や瀬戸物に描か学者的教育のためにいっさいを犠牲にすると、まずこんなも れた歌劇ふうの農夫などを標準にしないで、彼らを判断すべのである ! 「もしそうしなかったら、どうして彼らはわが国 き時が来たように思われる ( 否、筆者はそれを確信するもの民性とロシャ歴史の確固たる根本的基礎によって教育される である ) 。 のだ ? 」というが、まるでそれがためには、何かもっと比較 部こうしたさまざまな「欄」は、まったく「からくり」であにならぬほど興味のある、これほどまで奇妙に思われないも 第り、「策略」である。 のが、はかに少しもないようなやり方である ! 録 つづいて、ロシャの詩人たちの歴史的な詩が現われる。す この第一の欄につづいて、まだ五つの欄が、順々に次のも のを呼びだすようにしながら、整然と並べられている。しか なわち、ベネジグトフの「偉大なるもの ( ビヨートル一世 ) 論し、筆者は簡潔を旨として、自分の言葉でその内容を述べるに関するささやかな言葉』の類である。筆者の見るところに
第三に、わが国の詩人や芸術家は、まったく真の道を踏みえているわけである。人間を枠の中へぎゅうぎゅう嵌めてし はずす惧れがある。それは彼らが市民としての義務を理解しまって、お前の要求はこれこれだが、それはいけない、おれ ないためか、社会的直感性を持っていないためか、社会的興の気に食わない、そんなやり方でなく、こんなふうに生活し を冫ーしかないのである。どんな理屈を並べ 味がちぐはぐなためか、未熟さのためか、現実を理解しないろ ! というわナこよ、 ためか、ある種の歴史的原因のためか、社会がまだ十分に形て見せても、だれもそれに従うものはありはしない。 成されていないためか、あるいは多くの人々がてんでん勝手それに、なお申し上げるが、筆者の確信するところによる 態度を取っているためか、である。それゆえ、この点からと、ロシャの社会においては、一般人間性に対するこの衝 すれば、 * * ポフ氏の呼びかけ、非難、解明は、大いに尊敬動、したがって、すべて歴史的なもの、一般人間的なもの、 概して、こういった種々さまざまなテーマに対する創造 されてしかるべきである。しかし、 * * ポフ氏はあまりに行 き過ぎをやっている。彼ががらがらと呼び、アル・ハム用の玩的才能の反響が、この社会の最もノーマルな状態であった。 具と名づけているものを、われわれは別の観点からノーマル 少なくとも、今日まではそのとおりであったが、おそらく未 なもの、有益なものと認めるのであり、したがって、詞華集来永劫、そのままで残るだろう。のみならず、筆者の見ると ころでは、ロシャ国民におけるこの一般人間的なものに対す 的詩人も全部が全部、 * * ポフ氏の呼ぶような狂人ではな く、ただ彼らの中で、たとえば一生をパリで暮らして、ロシる反応匪は、他のいかなる国民におけるよりも強く、その最 ャ語をつかうことさえ忘れてしまったわが国の貴婦人のごと高最良の特性をなしている。ビヨートル大帝の改革の結果、 く、目前の現実から完全に切り離された連中だけにすぎないまたわれわれが突如として種々さまざまな生活を矢継早に体 ( しかし、それは彼らのご勝手である ) 。「がらくたの玩具」験した結果、さらにまたあらゆる生活を渇望する本能の結 : 、有益であるのは、筆者の意見によると、われわれが歴史果、わが国の芸術よ、 , 。しかなる国にも見られないような、持 的・内面的精神生活によって、歴史的過去とも、一般人間性質的な、独特な表現のしかたを取らざるを得なかった。なに とも繋ぎ合わされているからである。これはなんともしようぶんにも諸君はほとんどわが国のノーマルな状態に反抗し のないことで、それ以外にはどうにもならないのである。そて、蜂起しているではないか。ヨーロッパ諸国民の文学は一 れは自然の法則なのである。筆者は進んで次のようにさえ考つの例外もなく、われわれにとって、ほんとんど肉親的なも える。人間は歴史的なもの、一般人間的なものに反応する能のであり、はとんどわれわれ自身のものと同様であって、本 ロシャの生活にも完全な反映を見せてい 力が多ければ多いほど、その人の天性はそれだけ広く、生活国におけると同様、 る。 * * ポフ氏よ、きみもそのように教育されてきたこと はそれだけ豊富で、その人は進歩と発達の資質をより多く備
氏はまだ無益な芸術、純芸術、刻下の要求に答えぬ非現代的芸術のために危惧することは少しもない。芸術はおのれの使 な芸術を認めて、それを攻撃しているけれども、筆者はそん命に背きなどしない。芸術は常に人間と共に、人間の真の生 な芸術を頭から認めないで、平然としている、ーー何も攻撃活を生きるであろう。それよりほかのことは、何一つなし得 する必要がないからである。たとい逸脱があろうとも、何もないのである。したがって、芸術は常に現実に忠実であると い、フ一とになる。 心配することはない。そんなものは自然に過ぎ去ってしま もちろん、人間はその生涯において、ノーマルな現実や、 う、間もなく過ぎ去ってしまうからである。 「しかし、失礼だが」と人はきくであろう。「いったいきみ自然の法則から逸脱することもあり得る。それに続いて、芸 術も逸脱するであろう。しかし、つまりそのことが、芸術と は何を根拠にして、真の芸術は断じて非現代であり得ず、刻 下の現実に不忠実であり得ない、などと結論するのだね ? 」人間との緊密な断ち難い関係、人間とその利益に対する不断 の忠誠を証明するものである。 それに対して、こう答えよう。 しかし、なんといっても、芸術は人間の発達の自由を圧迫 第一、開闢以来、現代にいたるまで、いっさいの歴史的事 実を一たばにして見ても、芸術はかって一度も人間をうっちしない時において、初めて人間に忠誠なのである。 それゆえ、第一に肝要なことは、さまざまな目的で芸術を やってはおかなかった。いつも人間の要求と理想に答え、い つもその理想の探求を助けてきた。それは人間と共に生ま圧迫せず、芸術の法則を処方せず、芸術をまごっかせないこ れ、その歴史的生活と共に発達し、その歴史的生活と共に死とである。なぜなら、それでなくともたくさんの暗礁があ り、人間の歴史的生活と分ちがたい誘惑や逸脱が、たくさん 滅したものである。 第二い ( これが重要なことであるが ) 、あらゆる芸術の基あるからである。芸術が自山に発達すればするはど、ますま すノーマルな発達をして、ますます早く本当の有益な道を発 礎である創造は、人間のオルガニズムの一部の発現と—> て、 人間の中に生きている。人間と分ち難く生きている。したが見するだろう。ところで、芸術の利益と目的は、自分の奉仕 分ち難く結合されている人間の目的と一 って、創造というものは、全人間の希求しているもの以外のしている人間、 部希求を、持ち得ないのである。もし創造が別の道を辿ったな致しているから、芸術の発達が自山であればあるほど、いよ いよ多くの利益を人類にもたらすわけである。 第らば、それは人間と別れたことを意味する。というのは、自 録然の法則に背くことになるのである。しかし、人類はまだ今 一つ、とくと合点してもらいたい。筆者が望むのははかで ラロ のところ健在であって、衰滅の道を辿っていないから、自然もない、芸術が常に人間の目的と一致し、その利益と背馳し 論の法則に背いてはいない ( 一般的にいって ) 。したがって、 ないことである。で、筆者が芸術のために最大の自山を望む
よれば、まず初めにビヨートル大帝のことを何か民衆に伝えないし、きみ方を好きにもならないだろう。ところで、何よ ておいて、それから、その頌歌というふうにしたほうがよさ りも第一に、彼らをして愛せしめるように努めなければなら そうである。 ない。無味乾燥、命令、学者ぶり、システム、滴虫類、これ ここから歴史的な物語と、わが歴史家たちの手になるロシは知らなくてはならぬが、これは知ってはならないという態 ャ史の抜萃に移る ( いや、なに、これはけっこうなことだ ) 。度、 これが君の『読書文庫』なのだ ! ニンロモノーソフ、グリー そのあとは、エルマーグ、ミー 第四の欄は、百科辞典であって、質疑応答的な性質を帯び ビン ( 靕い→ 2 →八しなどの伝記、それから 0 シャ地理的内ている。ここには、どんな科学があるかという章や、ロシャ 容の文章、 モスグワ、キーエフ、シベリヤ、等々であ語に入ってきた外国語辞典などがある ( これはシチェルビナ る。最後に、世界歴史、世界地理に関する物語 ( 文章も短く氏の説明によると、新聞を読む場合も、日常生活において て、ずっと量が少ない ) 。たとえば、マケドニヤのアレグサも、必要かくべからざるものであるが : : これが民衆にとっ ンダー大王、ナポレオン、コロンプス、コンスタンチノープて必要なのだろうか ? それに今すぐ ? ) それから、農民に ルなどである。 必須な法律上の知識、次には衛生上の知識、それから年鑑的 第二の欄はこれで終わって、第三の『目に見えるもの』となもの、 要するに、それこそありとあらゆる手段が講じ いう欄が続く。つまり、人間を囲む生活環境、自然である。 られていて、民衆がさっそく、「なぜほかの本はどれもみな、 この欄には、地球、空気、空、それになんと、ーー滴虫類こんなふうに書いてないのに、この本はこんな書き方がして のことが書いてある ! なんの必要もないのに滴虫類などであるのか ? 」とたずねて、とくにこのことを考え込むように 民衆をまごっかせるとま、、 しむけてある。 。しったいどうしたことだ ? まだ その時期でもないのに、・ トイツ的科学のこうしたさまざまな この第四の欄のあとから、この書物の第二部がはじまる。 秘密を持ちだすのだ ? 教えよう、少しも早く何もかも教え第二部には、精神的・道徳的発達のための材料が集められて ようという、こうした性急な欲望は、そもそもなんのためだ しる。これは前よりも小さい活字で、詰めて印刷するように いきなり教育者として、権威ある啓蒙者として、民指定されている。第二部の冒頭は、 衆の前に立ちはだかるような教師など、当の民衆はけっして第五の欄は、民衆のための詞華集である。これはどれより 好きはしない。問題は滴虫類ではなくて、性急に教え込もうも面白く読めるという理由だけでも、全巻中もっともすぐれ とする態度である。民衆は歴史的 0 不信、猜疑の傾向があた欄である。そこには、民衆を人道的に発達させ指導し得る る。彼らはきみ方の願望の中に含まれたよきものを信頼もしような口碑文学、およびロシャ作家の作品や抜萃が、よろし
しかし、・マイコフの死後、『祖国雑誌』にはドウドウ る。わが批評界には、おそらく唯一の例外を除いて、すでに 久しい前から、なにか一般にたるんだようなところが認めらイシキンが根を下ろした。で、この黄色雑誌が自己の活動に れる。もっとも、『祖国雑誌』はそんなふうに考えていな輝かしい新紀元を画したのは、このドウドウィシキンからで しかも、ど、つやらいさ はあるまいか、そう考えてもいい多少の根拠があるのだ。 同誌は断固として言明した、 さかの躊躇もなく、いささかの良心の呵責も感じない様子で『祖国雑誌』は、べリンスキイの死後わが文学批評が、主と ある。日く、べリンスキイの輝かしい全活動は、なるほど輝して歴史的性格を帯びてきたことを、まさにおのれの功績と : なんといったらいいカ かしいものであったが、 し、在来の権威を斥けて、ジョルジュ・サンドに力を入れた べリンスキイは祖国雑誌』の広告に載ったジョルジュ くぶん表面的である (entre nous so 洋 d ( ここきりの カ ) ) 、ロシャ批評界の真に偉大な救命的活動は、ほかなサンドに関する言葉は、完成の極限であって、その掲載はま ことに時宜を得たものである ! ) ロシャ文学の歴史的方面に らぬべリンスキイがこの雑誌を去ったときからはじまった、 というのである。筆者の記憶するところによると、『祖国雑はあまり手を触れなかった、といっている。それは第一に公 二ロ 誌』にドウドウィシキンの『フォンⅡヴィージン論』が載っ正を欠いているが、よしんば公正であるとしても、しかしロ たのは、ちょうどこのころ ( つまり、べリンスキイが同誌をシャ文学の歴史的方面に関することは、べリンスキイの本の 去った時 ) に相当する。はたして『祖国雑誌』はこの論文に たった二ページのなかに ( 彼の著作全集は終わりに近づきっ よって、ロシャ批評界に新紀元を画したのだろうか ? もっ つある ) 、一八四八年から現在にいたるまでの『祖国雑誌』 とも、べリンスキイのすぐあとで、ヴァレリャン・ニコラー の全活動におけるよりも、より多く語られているのである。 イチ・マイコフ、 万人に知られ万人に愛されている詩人ところで、『フォンⅡヴィージン論』が「祖国雑誌』にお アポロン・ニコラーイチ・マイコフの弟、ーーが、『祖国雑ては、この喧ましい歴史的方面の活動の嚆矢と見なされてい 誌』の批評欄を担当した。ヴァレリャン・マイコフは光明にるから、この活動はおそらく、ドウドウィシキン氏からはじ まるものと考えられているのだろう。なるはど、『フォンⅡ 充ちた確信をもって、青年らしい熱情を傾けて、一、いに、し かも華々しくこの仕事をはじめた。しかし、彼は所信を吐露ヴィージン論』はひどく退屈なものではあったが、まだかな する段がなかった。その活動をはじめた年に死んでしまったり実のあるものだった。しかし、そのあとで「祖国雑誌』 , のである。この美しい人格の所有者は有望な将来を約東しては恐ろしい旱魃が襲ってきて、その時分のことを追憶するの いたので、おそらくわれわれは彼の死と共に多くのものを失も恐ろしいくらい、しかもそれは『フォンⅡヴィージン論』 ったのであろう。 にくらべてさえ、である。にもかかわらず、『祖国雑誌』は 2
リアス』や、『狩の女神ディアナ』や、ヴィーナスや、ジュ を、思い起こしてもらいたい。きみはなんと思っておられるか 感傷派の大詩人、西欧詩 ピターや、マドンナや、ダンテや、シェイクスビアや、ヴェ 知らないが、ジ = コーフスキイ ( ) のごとき の翻訳もたくさんある そういったすべてのもの リや、ロンドンや、 現象は、たとえば、フランスなどではあり得べからざるものニスや、 が、わが国で合法的に存在してきたし、また存在すべきであ であるが、ましてプーシキンにおいてはなおさらである。ョ ーロッパで最大の詩人のはたしてだれが、わが国の詩壇の代るのかもしれない、それは第一、われわれの離れることので 、つさいの全人類的なものきない一般人間的生活の法則によって、また第二には、とく 表者であるプーシキンのごとく、し に対して、あれほど肉親的に、あれはど完全に反応するだろにロシャ生活の法則によるものである。 うか ? つまり、それがゆえに、われわれはプーシキンを最「しかし、きみたちは何をわれわれに教えようとするのだ ! と功利主義者たちは筆者にいうだろう。「われわれが一般人 も偉大な国民詩人と呼ぶのである ( 将来においては、この言 葉の文字どおりの意味で、民衆詩人と呼ぶだろう ) 。それは類の生活に入っていった時、ヨーロッパとの結合という意味 で、それらがすべてわれわれにとってどれだけ有益だった ほかでもない、プーシキンが、現在の歴史的瞬間において、 ロシャ精神の方向、本能、要求の、完全無比な表現者だからか、それくらいのことは、きみに教えられなくとも、よっく である。なにぶんにも、これはある程度、全ロシャ人の現代承知している。よっく承知しているというわけは、われわれ 的タイプなのである。少なくとも、その歴史的、一般人間的自身がその中から出てきたからだ。しかし、今のところ、一 な希求においては、そのとおりなのである。こうしたロシャ般人類性も歴史的法則も、われわれにとってはなんにもいら 生 . 日ー 4 * せんたいの、こうした希求のすべてが、無益であり、愚ない。われわれはいま自分の洗濯場を持っていて、汚れた肌 かであり、不法である、などということはできない ( 書斎で着をすすいで、真っ白にしている。わが国にはいまいたると ころ盥があって、水はばちやばちゃいっているし、石の匂 そういう結論が得られたという理由で ) 。 いはするし、飛ばっちりは撥ねているし、床はびしよびしょ たとえば、ポーサ侯爵 ( シルレルの戯曲「ドン・ カル 0 ス」中の登場人物 ) や、ファウス ト等々が、わがロシャの社会のために無益であったし、将来になっている。いま書かなくてはならないのは、ポーサ侯爵 部も無益であるだろう、などときみは考えているのか ? なにのことではなくて、自分の仕事や、一定の問題や、一一一〔論の自 第しろ、われわれはこれらの作品によ 0 て、雲の上へ運ばれた由や、有益性や、クルトゴールスグ ( シ 舞台とな 0 ている架空が ) 録のではなく、現代的な問題に邇り着いたのである。おそらや、「闇の王国』ト。ーフスイ論 ) のことだ」 く、これらの作品が大いにそれを助けてくれたのかもしれな筆者はそれに対して、こう答えよう。第一、はたして何が 文 つまり、こういうわけで、さまざまな詞華集や、『イー 必要で何が無用であるかを、秤なり数字なりできめるのは、
ないのである。その中には何一つ国民的なものはない。あれね ? 」 もちろん、ある : : : まさしくオネーギン 「とんでもない ! はただ二十年代の上流社会ののらくら者の肖像画にすぎな はわが国の歴史的生活の一時代、すなわち、われわれの悩ま とい、フ。 、つこ、またその自覚のた しい・目見がよ、つやくはじまりかカオ日 一つ議論してみようではないか。 「どうして国民的でないのだ ? 」と筆者は、たとえばこんなめに、周囲を見まわして悩ましい疑惑を感じはじめたとき、 そういう時代に属しているのである。プーシキンの出現 ふうにいう。「オネーギンの典型に示されたように、あの時 代のロシャの生活が完全に反映した作品が、いつどこに現わもこの時代のことで、したがって、彼は第一番に独立独歩 れただろうか ? あれは歴史的典型ではないか。ロシャの生の、自覚的なロシャ語で語りはじめた。そのときわれわれは 活の一定の時期、ーーーすなわち、文明が初めて気まぐれな接みな忽然として目のさめた思いで、いわゆるわがヨーロッパ 木としてでなく、本当の生活としてわれわれに感知されると的分子にびったりしない奇妙な影響力を、周囲のロシャ生活 一方においては、すべての疑惑、当時としては解決のなかに見いだしたが、それと同時に、はたしてそれはいい ことか悪いことか、醜いものか美しいものかがわからなかっ することのできないあらゆる奇怪な問題が、四方八方からロ た。わが国の先覚者たちがはっきり二つの陣に分れて、その シャの社会をひしひしと取り囲んで、その意識内に侵入しは じめた時期に、ただロシャ人にのみ発現し得るようなすべて後はげしい国内戦にまで突入した、これがそもそもの端緒だ ったのである。なにぶん、スラヴ派も西欧派も同じく歴史的 の特徴が、まぶしいほど鮓明に、オネーギンのなかに表現さ 現象であって、最高度に国民的なものである。なにしろ、そ れているではないか。当時、われわれは自分たちの前に開け の出現の本質は、書物の中から出てきたものではないはずで たヨーロッパ的道程の前に、疑惑の念をいだいて佇みなが ある。諸君はなんと思われる ? しかし、オネーギン時代に ら、その道程をいっさいの動揺なしに真理として受け入れ、 横道へそれることができなかったのであるが、同時に自分がは、それはまだかろうじて意識され、かろうじて予感された ロシャ人であることを初めて本当に意識するようになり、祖ばかりである。当時、すなわち、オネーギン時代には、われ きずな ポーチヴァ 、こわれは一方からは驚嘆と敬皮の念をもって、また一方からは 部国の土地との絆を断ち切って、異郷の空気を吸うのがいカ冫 ほとんど嘲笑の気持ちをいだきながら、ロシャ人であるとい 第困難であるかを、身にしみて痛感したものである : : : 」 「しかし、きみはいったいどこからりだして、『オネーギうことは何を意味するものであるかを、初めて合点するよう ン』の中にそんなものを発見したんだね ? 」と学者連が筆になった。しかも、その奇怪な場景の画童点睛というのは、 ほかでもない。われわれがやっと本当に自分をヨーロッパ人 論者をさえぎる。「いったいそんなものがあの中にあるのか
の過去ぜんたいは、今までただ『ロ笛』だけだったのだろう 『ロ笛』という小さな欄があるばかりに、すべてのもの、す ロ 一つ読んでみたまえ、はっきりと書いてある、 べての人々にたいする恐怖のみを、未来に望見しているので というのだ ! ) 教師の字突きあろうかー シャ語ぜんたいは ( ぜんたい、 いや、「ロ笛』なんか勝手にさせておけ、あん 棒で勉強して、ロ笛と金切り声のほか、なんの能もない小さ なものがロシャ文学になんの関係があるのか ? それこそま な小学生のような感じを、自分でいだいている。「いや、過ったく、諸君は自分がショッグを感じ、癇癪を起こしたもの 去でさえ ! 」とわたしは叫ぶ。「過去でさえロシャ語は、ロだから、もう何もかも滅亡する、何もかも崩れ落ちる、世界 笛や金切り声よりほかに、せめて何かの能力があることを証の最後の日が来る、それもこれも『ロ笛』が存在するから 明した ! よしんばわたしが、今の、現代の文学には、ロ笛だ ! と思うのだ。 と金切り声のほかには、何一つありもしないし、またあり得情けない不道徳な『ロ笛』よ ! お前の悪徳、ただそれが ないという、諸君の意見に同意するにせよ、どうしてロシャために情けない存在なのだ ! わたしはお前にいって聞かせ 語に疑いをいだくことができるだろうか ? 」 るが、時は待ってくれないということを、よく胆に銘じてお 。やがて生活の試練がやって来て、お前は不意打ち 「はたしてロシャ語が」と『ロシャ報知」はつづける。「成をくらい、続いて歴史が到来するだろう。もうこの歴史こそ さあ、その時お前は 熟した思想と知識の武器として、偉大な公民的利害の生けは、金輪際、待ってくれないのだ、 る表現として、行動することができるだろうか ? はたし なんと弁解するか ? なにぶんにもお前のおかげで、全ロシ てその中に、全世界的な、結合し創造しうる力が現われるヤが発達できないかもしれないのだから、 お前はそれが だろうか ? おそかれ早かれやって来る生活の試みに、はわかるかね ? それはいつまでも、お前の良心をくるしめる たして備 : 。 冫 - カてきているだろうか、不意を襲われはしない だろう。それでもお前は恥ずかしくないのか ! だろうか ? 歴史は待ってくれない、時はその歩みをとど まあ、見てみるがいし お前は『ロシャ報知』になんとい めない : ・ うことをしたのだ ! しかし、『ロシャ報知』も武備をととのえている。けっこ 恐ろしくもまた荘重な言葉ではある。いったいこれがみんうなことだ。なかんずく、結びとしてこんなことをいってい な『ロ笛』に関連しているのだろうか ? はたして『ロ笛』る。 はそれほどまでに、「ロシャ報知』にショッグを与えたのだ ろうか ? はたして『ロシャ報知』は、ただ『現代人』に 「われわれも同様に、文学における政治的義務の中で、自 364
これがすなわち、芸術擁護派が敵方の功利主義者に向かっ 主義流行にもかかわらず、諸君自身まだなんにもごそんじな いのだ。あるいは、後になって知られるかもわからないがていう言いぶんである。 すべてこういったようなことには、何一つ新しいものはな ( 筆者は科学を信ずる ) 、しかし、今のところはごぞんじな 古い論争である。しかし、新しいことというのは、ほか 、医もあるし、歴史上の事実も若干あ 。第二に、歴史上の兆イ るから、それによって、われわれの空想もまんざらナンセンでもない、両陣営の指導者がそんなふうにいいながら、事実 においては、自分自身の言葉に反する行動をとっていること スではない とこう考えることもできる。まあ、たとえてい えば、コルネーユやラシーヌが一つの大きな国民の歴史的生である。あまり論争に深入りしすぎたのである。くだくだし く説明しないで、一つの例を示すことにしよう。 活において、奇怪きわまる、のるかそるかというような瞬間 に、影響を与えるなどということを、はたしてたれが頭に浮暴露文学というものは、純芸術派の憤慨を呼びさましてい かべ得たろうか。コルネーユやラシーヌのような古い間抜ける。一方からいうと、それも若干の根拠を有している。暴露 どもが、そういう時代に何かすることができようなどとは、文学は大部分あまりにも貧困をきわめているので、共通の仕 初めは想像することもできないように思われた。ところが、事のために益よりもむしろ害をもたらしている。われわれが 精神は不滅なものだということが、わかったのである。それ自分の立場から、これらの作品に対する攻撃をある程度もっ ともと認めているのは、ただひとえにこの意味においてであ ゆえ、あらかじめ芸術に目的を与えて、どうすれば有益にな り得るかを決定したら、恐るべき誤謬に陥る惧れがある。しる。しかし、困ったことには、彼らに対する攻撃はこの方面 たがって、利益の代わりにただ害のみをもたらし、当然の結からばかりでなく、またこの意味においてばかりでないので 果として、真向から自分自身に反対の行動をするかもしれなある。憤慨はさらに深入りして、暴露文学の家元であるシチ エドリンまでが非難されている。ところが、文官七等のシチ い。なぜなら、功利主義者は害でなくして、益を要求してい るからである。ところで、芸術は何よりもまず完全な自由をエドリン氏は、その暴露的作品の多くにおいて、真の芸術家 要求するが、自由は平安なくして存在し得ない ( すべて不安なのである。のみならず、暴露文学という芸術の一種目が、 部なるものは、すでに自由でない ) 。してみると、当然、芸術全体として迫害されている。それはまるで、暴露文学者の間 には、ほかならぬ暴露そのものを自分の専門にした真の芸術 第は急がずあわてず、よそごとに気を取られず、おのれみずか 録らを目的として、自分の仕事はその中に疑いもなき利害とな家、天才的な作家もしくは詩人が、一人として現われるはす かない、といったような態度である。したがって、相手方に って人類に影響すると信じながら、静かに、朗かに働かなく 論てはならない。 対する敵意のために、純芸術派は自分自身に反する、自分の 1 三ロ