アルカーシャ - みる会図書館


検索対象: ドストエーフスキイ全集2 ステパンチコヴォ村とその住人
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1. ドストエーフスキイ全集2 ステパンチコヴォ村とその住人

しカ ! 」 「ばくはけっして恩知らずじゃなかった」とヴァーシャは独 ヴァーシャは机に向かって口をつぐんだ。アルカージイは りで議論するかのように、静かにつづけた。「しかし、自分横こよっこ。 ーオオ二人ともコロムナに住んでいる人のことはひと の感じていることをすっかり表現できないような場合には、 言もいわなかった。おそらく二人とも、少々ばかり悪いこと それはちょうど : : : ねえ、アルカージイ、ばくがじっさい恩をした。にしいのに遊び過ぎた、と感じていたに相違ない。 知らずであるのと同じ結果になるんじゃないか。こいつがと間もなくアルカージイは、ヴァーシャのことを心配しつづけ てもつらくって」 ながら、眠りに落ちてしまった。目を覚ますと、ちょうど朝 「おい、何をいうんだ、何を ! 期限までにし上げてしまえの八時だったので、彼ははっとした。ヴァーシャは疲れた亠日 ば、それで十分感謝の意を表したことになるじゃないか ? い顔をして、ペンを手に持ったまま、椅子の上に眠って、 まあ、考えてみろ、ヴァーシャ、きみはいったいなにをいっ 蝦燭は燃えっきていた。台所では、マヴラが忙しそうに てるんだ ! 感謝の意はそれで十分表現できるじゃないサモワールの準備をしていた。 「ヴァーシャ、ヴァーシャ ! 」アルカージイは驚いて叫ん ヴァーシャは不意に口をつぐんで、目を見張りながらアル だ。「いっ寝たんだい ? 」 っさいの カージイを眺めた。相手の思いがけない議論が、い ヴァーシャは目を開いて、椅子から飛びあがった。 疑惑を吹き払ったかのようであった。彼はほほ笑みかけた 「あっ ! 」彼はいった。「寝てしまった ! が、すぐにまた以前のもの思わしげな表情に変わった。アル 彼はいきなり書類のほうへ飛んで行った、ーーー幸いなんと カージイは、この微笑をすべての恐怖の終局と見なし、再びもなかった。何もかもがきちんとしていた。インキも燭の 現われた不安の表情を何か善きことに対する決意と見たの蠍も垂れてはいなかった。 で、すっかり喜んでしまった。 「ど , つも六時・、ころに一授たらしいよ」とヴァーシャはいった。 しし力い、アルカーシャ、目がさめたら」とヴァ シャ「夜中の寒いことったら ! 茶でも飲もう。そしてまた : はいった。「まずばくを見てくれよ。もしひょっと寝入った 「少しは元気を取り戻したかね ? 」 ら、大変なことになるんだから。さあ、これから仕事にかか 「ああ、大丈夫だ、もう大丈夫だ ! 」 ろ、つ : : : アルカーシャ 「新年おめでとう、ヴァーシャ」 「なんだい ? 」 「おめでとう。おめでとう」 「いや、ただちょっと : : : なんでもないんだ : 二人は抱擁した。ヴァーシャの顎は顫え、目はうるんだ。 : ばくなんだ 2 イ 7

2. ドストエーフスキイ全集2 ステパンチコヴォ村とその住人

「こいつ、色目を使っていやがったんだよ、隅っこのほうでた、それは筆者が断言してもいい。 マダムは彼をゆるした。 色目を使っていたんだよ ! 」とヴァーシャはすべての愛情をこの際に処して彼女のとった態度は、実に聡明で優雅なもの かわいい帽子に移して叫んだ。「ずるいやっ、わざと隠れてだった ! どうしてヴァーシャに腹を立てることができょ いやがったんだ、かわいいやっ ! 」彼はそれに接吻した、とう ? いっても、自分の貴重品に触れるのを恐れて、まわりの空気 「マダム・レルー、、、 しカほどですか ? 」 に接吻したのである。 「銀貨で五ループリでございます」彼女は姿勢を直し、新し 「真実の徳はこういうふうに身を隠すものさ」とアルカージく微笑を浮かべて答えた。 イはうちょうてんになってつけ加えた。それはユーモアの 「これは、マダム・レルー ? 」アルカージイ・イヴァーノヴ ために、今朝読んだ新聞の一節を応用したものである。「お イチは、自分の見立てた品をさしていった。 ヴァーシャ、どうだい ? 」 「このほ、つは相パ貨で八ループリで′」ざいます」 「万歳、アルカーシャ ! きみきようはユーモリストだよ。 「でも、失礼ですが、失礼ですが、ねえ、マダム・レルー、 予一一一一口するが、きみは婦人たちの間に、彼らのいわゆるセンセこの二つのうちどちらがいしか、どちらが優美でかわ ションを引き起こすよ。マダム・レルー、 マダム・レル か、あなたいってくださいー どっちが余計あなたに似てい ます ? 」 「なんでございますの ? 」 「こちらのほうが立派ですが、あなたのお見立てになったほ 「親愛なるマダム・レルー c'est plus coquet. ( このほうが余計コケティシュで マダム・レルーは、アルカージイ・イヴァーノヴィチのほすわ ) 」 うをちらと見て、つつましやかにほほ笑んだ。 「じゃ、それをもらいましよ、つ ! 」 「いまばくがどんなにあなたを尊敬しているか、あなたはご マダム・レルーは薄い紙を取ってピンで留めた。すると、 ぞんじないでしよう・ : ・ : 接吻させてください : : 」ヴァーシ帽子を包んだ紙は、包まない前よりもかえって軽そうに見え ヤはこういって女主人を接吻した。 た。ヴァーシャはそっと大事そうに、息をつめて受け取る こんなあばれん坊を相手にして品位を落とさないために と、マダム・レルーにお辞儀をし、おまけに何かひどく愛想 は、この際できるだけ怖い顔をすることが絶対に必要であつのいいことをいって、店を出た。 ヴィブール ヴィヴール いた。しかし、マダム・レルーがヴァーシャの喜びを迎えた持「ばくは道楽者だよ、アルカーシャ、生まれつきの道楽者だ 弱ち前の偽りならぬ愛嬌としとやかさは、同等の効果を奏しょ ! 」やっと聞こえるか聞こえないかの神経質な笑い方で、幻 わたし

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で睨んだのを見て、ヴァーシャはこうさえぎった。「あんな「ねえ、ばくにもいい考えが浮かんだよ。まだ希望があるよ」 ものはなんでもありやしない。あんな紙に字を書いたもの彼はアルカージイに、につこり笑ってみせた。その蒼白い 顔は、本当に希望の光で生き返ったように思われた。 なんか : : : 屁でもないさ ! それはもう決着した問題だ : 「それはこうなんだ、ばくあさって仕事を持って行くが、た ばくはね、アルカーシャ、今日あそこへ行って来たんだよ : ところが、内へ入らなかった。ばくは苦しいような、悲だし全部じゃないんだ。残りの分は焼けてしまったとか、水 しいような気持ちがしてね ! ただ戸口に立っていたばかりで濡らしたとか、なくしたとかいって、嘘をつくんだ : : : そ れとも、やはり書き上げられなかったというかな。ばくは嘘 なんだ。彼女がビアノを弾いていたので、ばくはそれを聞い きみ、 ていたよ。実はね、アルカージイ」と彼は声をひそめながらがつけないんだから。ばく、自分で釈明しよう、 つまり、何もかもいってしま , っ なんとい、つかわかるかい ? 、った。「ばくは中へ入る勇気がなかったんだよ : 「おい、ヴァーシャ、、 > ったいどうしたんだ ? そんな変なんだ。かようかようの次第で書けませんでした、とぶちまけ るのさ : : ばくの恋愛事件も話してしまうよ。あの方だっ 目つきでばくを見てさ ? 」 ばくは少し気分て、近頃結婚したばかり、だからばくの気持ちをわかってく 「なんだって ? なんでもありやしないー むろんそれは慇懃に、しとやかにやる が悪いんだよ。足ががくがくする。それは徹夜したせいなんださるに相違ない ! ものが緑色に見えるくらいだ。ばくはんだよ。あの方はばくの涙を見て感動される : : : 」 だ。そうなんだよー 「そりやもちろんいいことだ。行きたまえ。あの方のところ ここが、」こんところが : へ行って、ちゃんと話をつけたまえ : : : それに、何も涙なん 彼は心臓を指さして見せた。と、そのまま気絶してしまっ そんなものが何になる ? ヴァ かの必要はありやしない ! ーシャ、きみはまったくばくの度胆を抜いてしまったぜ」 彼が正気に返った時、アルカージイは無理に応急の処置を 取ろうとした。カずくでペッドの中へ寝かせようとしたので「ああ、ばくは行くよ、本当に行くよ。だが、今は書かして ある。けれども、ヴァーシャはいっかな承知しなかった。彼くれ。ばくに書かしてくれ、アルカーシャ。ばくはだれの邪 は両手を折れよとばかり揉みしだきながら、泣いて仕事をす魔もしないから、まあ、書かしてくれ ! 」 アルカージイはべッドの中へ飛び込んだ。彼はヴァーシャ るといい張った。予定の二ページを是が非でも書き上げるの だといって聞かなかった。あまり興奮させないために、アルの言葉を信じなかった、毛筋はども信じなかった。ヴァーシ ヤはどんなことでもしかねない人間だ。しかし、ゆるしを乞 カージイは彼を書類の前に坐らせた。 うにしても、どういう点をどんなふうに詫びるのだろう ? 「ねえ」自分の席に着きながら、ヴァーシャはこういった。

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ばくはさめざめと泣きぬれて、心臓の慄えるような思いをしつまり、そうすることができなかったんだ、 それに第 たものだ。それというのも : ・・ : それというのも : ・ : まあ、つ 一、ばくは見かけだって感じがよくないんだものね : : : とこ まり、きみがそれほどまでにばくを愛してくれるのに、ばくろが、他人はみんなばくにいい ことばかりしてくれた ! 現 は何一つきみにその返礼をして、自分の気がすむようなこと にきみなんか第一番だ。それがばくの目に見えないと思うか をしなかったからね : : : 」 い。ばくはただ黙っていたんだ、ただ黙っていただけなんだ 「おい、ヴァーシャ、きみはまあ、なんという男だろう , : きみが今どんなに気持ちをめちやめちゃにしているか、 「ヴァーシャ、も、つよしてくれ ! 」 見せてやりたいくらいだよ」この時アルカージイは、きのう 「なんでもないよ、アルカーシャー なんでもないよ ! 往来で演じた光景を思い出して、心臓のしびれるような思い ばくべつに何も : : : 」涙に妨げられて、やっとのことで言葉 をしながら、こ、フいっこ。 を口から発しながら、ヴァーシャは相手をさえぎった。「き 「もうたくさんだってば。きみはばくに落ちつけというが のうきみにユリアン・マスタコーヴィチの話をしたろう。 ばくは今までこんなに落ちついて、幸福だったことはないくきみも知ってるとおり、あの人は厳格なやかましい方で、き らいだよ ! 実はね : まくはきみに何もかも話みでさえ何度かあの人のお目玉を頂戴したくらいだ。ところ してしまいたいんだけれど、どうもきみを悲観させるのが怖 、、、、ド日は何を田 5 ったか、 ばくに冗談なんかいって、優しく くってね : : : きみはいつも直ぐ悲観して、ばくをどなりつけ してくだすったよ。そしてね、今までみんなに用心ぶかく隠 るものだから、ばくはびつくりしてしまうんだよ : : : 見たま していた善良な心を、ばくに開いて見せてくだすったんだ え、今でもこんなにぶるぶる慄えているだろう。自分でもど , つい、つわけだかわからないんだ。亠大はね、ばくこ、つい、つこと 「よに、ヴァーシャ、それは不思議もないさ。つまり、きみ 力ししたかったのさ。ばくは以前、自分というものがわからがその幸福に値するということを、証明するにすぎないの なかったらしいーー・本当に ! それに、他人というものも、 さ」 ついきのうやっとわかったような始末だ。ばくはね、きみ、 「ああ、アルカーシャ ! ばくはこの仕事をすっかり片づけ それを感じなかったんだ、完全に評価できなかったんだ。ばてしまいたくって、たまらないんだがな ! : でも、駄目 : 心臓までこっこつだったからね : ・・ : ねえ、どうしてオ ・こ、ばくは自分の幸福を台なしにしてしまう ! ばくにはそ そんなことになったのか知らなカ 、 ; 、ばくはこの世のだれにんな予感がするー いや、違う、あれじゃないよ」アルカー 弱も、まったくだれ一人にも、 しいことをしてやらなかった。 ジイが机の上に載っている厖大な急ぎ仕事を、ちらりと横目幻

5. ドストエーフスキイ全集2 ステパンチコヴォ村とその住人

小刻みに笑いながら、ヴァーシャはいった。そして、すれ違る。ところが、どうだい、彼女はあるがままのばくを愛して田 う人をいちいちよけて歩くのであった。大事な大事な帽子をくれたんだ。今日はユリアン・マスタコーヴィチがとても優 しくって、注意ぶかくってさ、それに丁寧だったよ。あの人 押しつぶそうと企んででもいるように田 5 われたので。 はめったにばくと口をきかないが、今日は側へ来てこうおっ アルカージイ、おい ! 」しばらくして彼はいった。 しやるんだ。「おい、ヴァーシャ、どうだね ( ほんとうにヴ 何か勝ち誇ったような、切ないほどの愛情に溢れたものが、 アーシャとお呼びになったよ ) 、休みにはちっと遊ぶか ? 』 彼の声の調子に響いていた。「アルカージイ、ばくはとても ( こういってお笑いになるんだ ) 。『閣下、かようかようで、 幸福だ、とっても幸福なんだよ ! とばくはいった。が、 「ヴァーシンカ ! ばくだってどれはど幸福か知れないちょっと用事がございますので』 すぐまた元気を出して、『でも、少しは遊んでみたいとぞん とね、ほんとにそういったんだよ。その 「いや、アルカーシャ、ばくに対するきみの愛は無限だ、そじます、閣下』 れはわかっている。しかしそれでも、ばくがいま感じている時あの人はばくに金をくれて、それからなおふた言み言おっ しやった。ばくは泣いたよ、本当だとも、涙がはらはらとな 百分の一もきみにはわからないよ。ばくの、いはいつば、だ、 ばくはこんな幸がれたんだ。あの人も感動されたと見えて、ばくの肩を叩い 本当にいつばいなんだ ! アルカーシャー しつもそ ばくにはよくわかってる、ちゃんてこうおっしやったよ。『それだよ、ヴァーシャ、、 福を受ける資格がない ! と感じている。いったいなんのためにこんな幸福を授かったの心掛けでいるんだよ』って : : : 」 ヴァーシャはちょっと口をつぐんだ。アルカージイ・イヴ のだろう」彼は今にも泣き出しそうになるのを、かろうじて いったいばくが何アーノヴィチは顔をそむけて、同じように拳で涙を拭いた。 押しこらえたような声でいった。「ねえ、 「それから、それから : : : 」とヴァーシャはつづけた。「こ をしたというのだ ! 考えても見たまえ、どれだけの人間が れはね、ばく、今まできみに話さなかったが、アルカージ どれだけの涙を流し、どれだけの悲しみに堪えて、祭日とい : アルカージイ ! ほんとにきみはその友情でばくを うもののない灰色の生活をしていることか ! それだのに、 幸福にしてくれる。きみがいなかったら、ばくはこの世に生 ばくは ! あんな娘がばくを : : : ばくを愛してくれるんだ。 いや、いや、何もいうな、アル きみはいますぐ彼女に会って、あれの尊い心を自分で知るこきていなかったろうよ、 一つきみの手を握らせてくれ、きみにかん : とができるよ。ばくは低い身分に生まれたが、今では官等もカーシャ ! : させてくれ ! : ・・ : 」ヴァーシャはまた言葉のしまい あるし、独立できるだけの収入、ーー俸給もある。ばくは肉しゃ : までいい切ることができなかった。 体の欠陥をもって生まれて来た、ばくは少し体が曲ってい

6. ドストエーフスキイ全集2 ステパンチコヴォ村とその住人

「ばくはただちょっと、その、散歩しようと思って」 「そうだ、そうだ、アルカージイ。だけど、今はそれとちが 「辛抱し切れないで、コロムナへ出かけたところなんだろうんだよ。今はまるつきり別のことなんだ : う ? ああ、ヴァーシャ、ヴァーシャー いったいなん「何が別なことなもんか。とんでもない ! それに仕事だっ だってきみはユリアン・マスタコーヴィチのとこなんかへ行て、何も急を要することじゃないかもしれないのに、きみは ったんだ ? 」 自分で自分の体を毀しているんだよ : : : 」 ヴァーシャは返事をしなかった。しばらくたって、片手を「なんでもないよ、なんでもないよ。ばくはただちょっと 一つ振りながらこういった。 さあ、帰ろう ! 」 「アルカージィー 「なんだって家へ帰るんだ、あすこへ行くんじゃないのか ばくは自分ながら、自分がどうなってい るかわからないんだよ ! 「たくさんだよ、ヴァーシャ、たくさんだよ ! それがどう「駄目だよ、きみ、どのつら下げてあそこへ行けると思う ? いうことだか、ばくにはちゃんとわかっている。気を落ちっ : ばくは考え直したよ。ばくはきみがいなくなると、一人 けてくれ ! きみはきのう以来興奮して、気が顛倒しているばっちで辛抱しきれなかったのさ。今度はもうきみがついて んだよ ! よく考えて見たまえ、え、どうしてそのくらいのてくれるから、ばくも腰を落ちつけて書くよ。さあ、帰ろ 辛抱ができないんだ ! みんながきみをかわいがって、きみう ! 」 のためにやきもきしているんだから、きみの仕事も捗がいく 二人は歩き出したが、しばらくのあいだ黙っていた。ヴァ わけじゃよ、、。 オし力あんな仕事なんかすぐ片づくよ、きっと片 シャは道を急いだ。 づくよ。ばくが請け合っておく、きみは何か変な妄想を起こ 「なんだってきみはあすこの様子を聞こうとしないんだ しているんだよ。何か恐怖病にかかっているんだ : し ? 」とアルカージイ・イヴァーノヴィチはいっこ。 「違う、なんでもありやしない、なんでもありやしない : 「ああ、そうだー どうなんだね、アルカーシェンカ ? 」 「覚えているだろう、ヴァーシャ、覚えているだろう。きみ「ヴァーシャ、きみはまるで普段と人が変わってるようだ は前にもそんなことがあったじゃないか。ほら、ね、きみがよ ! 」 任官した時、嬉しさのあまりお礼心に、 仕事に馬力をかけ過「なあに、なんでもないよ、なんでもないよ。すっかり話し ぎて、一週間ばかりというもの、ただ仕事をぶちこわす一方て聞かせたまえ、アルカーシャ ! 」ヴァーシャはそれ以上の いだったじゃよ、 オしか。今もそれと同じことになっているんだ 追求を避けるように、哀願するような声でこういった。アル カージイ・イヴァーノヴィチはほっと溜息をついた。彼はヴ

7. ドストエーフスキイ全集2 ステパンチコヴォ村とその住人

「元気が出ると思うんだ。ばくは眠くない、断じて寝るもん「ばくが代わりにすっかり廻ってやるよ : : : なんだってきみ か ! ずっと書き通すんだ。だが、今ちょっとひと休みした が行くんだー 明日は仕事をやれ。今夜はばくがいったよう ら楽になると田 5 ってさ」 に、五時まで頑ばって、それから一寝入りするんだ。そう 「でかした、ヴァーシャ、素敵だ ! まさにそのとおり。ばでもしなけりや、きみの顔色といったらないからな。ばくは くもそういおうと思っていたとこさ。でも、あきれたね、どきっかり八時に起こしてやる : ・ : こ うして早く思いっかなかったんだろう。しかし、きみどう思 「きみに廻礼の代わりをしてもらっても、かまわないだろう マヴラは起きやしないよ、こんりんざい起きやしない か ? 」とヴァーシャは半分同意しながらいった。 「かまうものか ? みんなやってるじゃないかー 「そうだ : 「なんだか心配だなあ : : : 」 「何をくだらん、大丈夫 ! 」跣足で寝台からとび下りて、ア「何が、どうしてさ ? 」 ししかュリア ノカージイ・イヴァーノヴィチはこう叫んだ。「ばくが自分「だってねえ、きみ、ほかの所はそれでも、 ン・マスタコーヴィチが でサモワールをこしらえるよ。何もこれが初めてじゃあるま アルカーシャ、あの方はばく の恩人だものね、ーーー替え玉の筆蹟に気がついたら : : : 」 アルカージイ・イヴァーノヴィチは台所へ走って行って、 「気がつく ! きみはなんて男だ、ヴァーシャ、本当によ ! サモワールの支度を始めた。ヴァーシャはそのあいだ筆写し いったいどうして気がつくんだ : ・ : だって、きみも知ってる ていた。アルカージイ・イヴァーノヴィチは、更に着物を着とおり、ばくはきみの署名をそっくり真似ることができるん 換えて、パン屋へ駆け出した。ヴァーシャが徹夜するのに、 だぜ、尻尾の捲き方だってお手のものさ、まったく。もうい 腹ごしらえをさせるためであった。十五分もすると、サモワ い加減にしろ、本当にきみったら ! だれにだってわかるも ールはテープルの上に据えられた。二人はお茶を飲み始めたのか ? : ・、、話ははずまなかった。ヴァーシャが相変わらずそわそわヴァーシャはそれには答えず、急いで自分のコップを飲み していたのである。 干した : : : それからしばらくして、疑わしげに頭を振った。 「ああ、そうだ」ヴァーシャはついに思い直したようにい、 「ヴァーシャ ! ああ、万事うまく片づいたらなあ ! お ヴァーシャ、、 出した。「明日は廻礼に行かなくちゃならん : : : 」 しったいどうしたんだろう ! きみはまっ 「きみは行く必要なんかないよ」 いや、ばくはも、つ一授 たく人をびつくりさせるじゃないか ! 弱「いや、きみ、そうよ行、よ、 。 / カオし」とヴァーシャま、つこ。 ない、ヴァーシャ、眠らないよ。どれだけ残ってるか見せた

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ヴァーシャはそれに答えず、何かぶつぶつ独り言をいっ けなきや、もうかれこれ十一時頃だろう : : : 馬力をかけなき や : ・ : ・仕事だ ! 」今まで終始ほほえんだり、感激の言葉でアた。二人は極度の不安のうちに、わが家まで辿りついた。 ヴァーシャはすぐ机に向かって紙を広げた。アルカージ ルカージイの友情の氾濫をなんとか防ぎ止めようと努めたり して、要するに、感激の極に達していたヴァーシャが、このイ・イヴァーノヴィチはいくらか静かになって、そっと着物 言葉を発するやいなや、不意に静かになり、黙り込んでしまを脱ぐと、寝台に身を横たえたが、ヴァーシャから目を外ら さなかった : ・ : ・彼はなんだか恐ろしくなって来た : った。そして、ほとんど走らんばかりに往来を歩き出した。 「いったいどうしたんだろう ? 」ヴァーシャの青ざめた顔 何かしら重苦しい考えが、彼の熱した頭を不意に冷却させた や、らんらんと燃えるような目や、一つ一つの動作に現わ ようであった。心臟をぎゅっと締めつけられたかのように。 アルカージイ・イヴァーノヴィチも不安になって来た。彼れる焦躁を見ながら、彼は独りごちた。「手まで顫えている : ちえつ、しようがないなあ ! 二時間ばかりとろとろっ の矢継ぎばやな質問に対して、ヴァーシャはろくろく返事も せず、面倒臭そうにふた言み言吐き出したり、時にはまったと眠るように忠告してやろうかしらん。せめてひと眠りし て、興奮を鎮めるといいんだがな」 く取ってもっかぬ感嘆ですますこともあった。 ヴァーシャはやっと一ページ仕上げたが、思わずアルカー 「ヴァーシャ、きみどうしたんだい ? 」とうとう彼は、やっ とのことで追いっきながらこう叫んだ。「いったいきみはそジイの顔を見ると、またすぐ瞳を伏せて、ペンを取った。 「おい、ヴァーシャ」とアルカージイ・イヴァーノヴィチ んなに心配なのかい ? : 「ああ、おしゃべりはもうたくさんだ ! 」とヴァーシャは腹は、とっぜんいい出した。「少し眠るはうがよくないかし ? まあ、見ろ、きみはいま熱病にかかってるんだぜ : : : 」 さえ立てて答えた。 ヴァーシャはいまいましげに、悪意さえこめた目つきでア 「何も悲観することはないよ、ヴァーシャ」とアルカージ ルカージイを見たが、返事はしなかった。 イは遮った。「ばくは日頃よく知 . ってるが、きみはこれより 「おい、ヴァーシャ、きみのやっていることはむちゃだよ もっと短い期限に、ずっとたくさん書いたものじゃないか : なんでもないよー きみはじっさい名人だからね ! せ ヴァーシャはすぐに考え直した。 つばつまればビッチを上げることもできるさ。だって、きみ 「アルカーシャ、一つお茶でも飲まないかね ? 」と彼はいっ の筆写を石版刷にするわけでもなかろう。間に合うよ ! ただ、今はひどく興奮してそわそわしてるもんだから、調子た。 「え、どうして ? 」 よく仕事が進まんかもしれないがね : : : 」

9. ドストエーフスキイ全集2 ステパンチコヴォ村とその住人

二日間の出来事であり、そのうち第一日の第一編が全編の約沼地に建てられた、ロシャ最初の西欧風の都市であるべテル 三分の二を占めていることである。そのために動的なダイナプルグの特異性を、この作品で初めて指摘したのである。 ミズムが横浴して、息もっかせぬ面白味と緊張感に終始して いる。これがおそらく「ドストエーフスキイの時』と称され「人妻と寝台の下の夫』《工舅 a 工 xeHa H M r10A KPOBa ・ る特殊感覚の起源であるように思われる。 日》は嫉妬をテーマとしたもので、ゴーゴリ的笑いを狙っ て書かれている。その笑いはある程度成功してはいるけれど 「弱い、い』《 C a(joe cemue 》 一八四八年一一月「祖国雑も、ゴーゴリのもの凄い笑いには遠く及ばない。 ことに後半 誌』発表ーーーは主人公ヴァーシャ・シュムコフにおいて、怒はいささかあくどいファルスに堕している。しかし、嫉妬の りを知らぬ、柔和と服従そのもののごとき、善良な小羊型をテーマは後に「永遠の夫』によって見事な完成を獲得した。 示したことによって、将来のソーニヤ罪と罰し、ムイシ『人妻』の最後で、物語をぶつりと中断して、これから先は ユキン ( 『白痴しの先駆をなしたものとして、一応の注目を別の物語であるといっているのは、ほかならぬこの「永遠の そそがねばなるまい。彼は親友アルカージイの言葉による夫』をさしているのではないかと思われるはどである。 と、「感謝のために発狂」したのであるが、そこに幾分かの なお、この作品の成立は次のような経路をへている。一 真理がある。彼は苦しい労働と屈辱によってようやく獲得さ四八年の「祖国雑誌』に、半年の間隔をおいて、「人妻』及 れる一片のパンに対して、常に深い感謝の情をいだいていたび「やきもち焼きの夫』と題するおのおの独立した二編の短 が、恋をえた喜びに義務を怠ったがため、おのれの忘恩を責編が掲載された。この二つの作品は十七年の後、ステローフ め、苦悩のあまりついに発狂する。しかも、彼はほとんどおスキイ版の全集刊行の際、作者によって一編に融合され、現 のれの破滅の必然性を確信していたのである。何がおのれの在のごとく「人妻と寝台の下の夫』と改題されたのである。 親友をかくまで打ち挫き、無力にしたかを、アルカーシャは トストエーフスキイによれば、あり 悟った。ほかでもない、・ 『正直な泥棒』《 qeCTHblVi BO をは一八四八年の「祖国雑誌』 とあらゆる都市のうち、最も幻想的な都であるべテルプル に「世馴れた男の話』という題で発表されたが、ステローフ グ、ーー・貧富の差のはなはだしい資本主義的近代都市であスキイ版の時、現在の題名に改められた。とくに取り立てて いうほどの作品ではないけれども、気が弱く、あまりにも善 り、同時に官僚主義の首都であるべテルプルグが、下級官吏 で一市井人のヴァーシャを亡ばしたのである。ドストエーフ良すぎ意志の力に欠けているため、おのれを亡ばした一種の スキイよ、ピヨート ル大帝の意志によって、フィンランドの無用人の型が浮彫りにされている。この典型は前作「弱い