けた釘は、すぐさま引き抜かれた。で、ヴァシ ー丿エフは泥「なんだって気がくさくさするんだ、馬鹿 ! 」 だらけの、ばろばろになった、だらしのない恰好で、「神の 「今まで聞いたこともねえような話でござります。わっした 世界」へ現われた。彼は太陽の光に目を瞬きながら、はくしちはフォマー ・フォミッチのお抱えになりますので」 「だれが ? よんと一つくしやみをして、よろよろとよろめいた。それか いっ ? 」急にせかせかと体を動かしながら、太 ら、手を目の上にかざしてあたりを見廻した。 った地主はこう叫んだ。 「よう、なんちゅう大勢の人だ ! 」と彼は顔を振りながらい わたしはやはり一歩ふみ出した。事件は意外にも、わたし った。「そして、みんなどうやらしらーふらしいなあ」なん自身に触れて来たのである。 となく沈んだ、もの思わしげな声で言葉尻をひいたが、それ「カビトーノフカ村の者みんなでござります。わたしたちの は自分で自分を責めるような調子だった。「いや、お早う、 旦那の大佐様は ( どうかご息災でいられますように ! ) お家 夜が明けましておめでとう」 代々のカビトーノフカ村を、フォマーに譲ってやろうとして またもや笑い声が起こった。 おられるのでござります。七十人の百姓をあの男に頒けてや 夜が明けてもろうとおっしやりますので。『さあ、フォマー これをやろ 「夜が明けて ? まあ、お前よく見るがいし うどのくらいになるんだ、見境いのねえ男だあ ! 」 う ! 今お前は本当の裸一貫、地主とはいい条、哀れなもん 「馬鹿こけ、今日はてめえの法楽だ ! 」 で、年貢といったら、ラドガの湖水を泳いでる白魚二匹ぐ 「おらもそ、フ思、つだよ。ちょっとの間でも、 しし、勝手な真似れえのものだ。親譲りの財産は、役場の帳面にだけ載ってる をしたほうがとくだあ ! 」 百姓きりだ。なぜって、お前の親父さんは : : 』」フォマ 「へへへ ! どうだ、なかなか雄弁家じゃないか ! 」もう一 のことになると、しきりに皮肉をまき散らしながら、ヴァシ ど体を揺すって笑いながら、またしてもちらと愛想よくわた ーリエフは、一種の意地悪いよろこびを感じる様子で、自分 しの顔を見て、太った紳士は叫んだ。「本当に貴様、恥すかの物語をつづけるのであった。 しくないのか、おい、ヴァシーリエフ ! 」 ・ : なぜって、お前の親父さんはれつきとした華族様 「気がくさくさするからでござりますよ、スチェパン・アレで、どこから来たとも何者とも知れぬ人で、やはりお前と同 グセーイチ、気がくさくさするからで」ヴァシーリエフは じように旦那衆の所を食い歩いて、お台所でお情けをいただ 手を振りながら、生まじめな顔で答えた。もう一ど自分の気いて口すぎをしておったからだ。ところが、今度お前にカビ のふさぎを口にする機会が来たので、いかにも満足そうな様 トーノフカをくれてやるから、お前もこれからはれつきとし 子だった。 た華族様の地主になって、かかえの百姓というものを持っこ
わたしを評価できるわけがないて ! きみなんかの目から見何かしながら、ラムをくれなどとぬかしおった ! わしなん ると、どこかのシーザーとか、アレグサンダー大王などのほ かにいわせりや、飲むのはいっこうかまやせん。だから、き かには、偉大は存在しないんだからな ! いったいきみのシみも飲め、大いに飲め。だが、 食うものは一まず腹につめと ーサー輩が何をした ? だれを幸福にしたね ? またきみた ・ : なんにも くんだ。その後で、まあ、もう一ど飲むんだな : ちの担ぐアレグサンダーにしても、 いったいどんなことをしやつらを容赦することはいらん ! みんな詐欺師ばかりだ ! たのだ ? 全世界を征服したというのかね ? なに、あれと ただきみ一人だけは学者だよ、フォマー 同じような密集陣をよこしてくれたら、わたしだって征服し ハフチェエフは一たんだれかに傾倒したとなると、もう無 て見せるよ。きみだって征服できるし、あの男にだって征服条件にいっさい批判ぬきで、全身的に傾倒してしまう男だっ マケドニアの武将、酒席で できるさ : ・・ : 彼は徳行あるグレイトス ( 大王と口論して殺される を殺したが、わたしは徳行あるクレイトスを殺さなかったか わたしは庭の一ばん奥まった池のそばで、叔父をさがし出 らな : : なに、あんなのは小僧っ子だよ ! 山師だよ ! あした。彼はナスチェンカといっしょだった。わたしの姿を見 んなのには、笞でも食らわしてやるのが本当で、世界歴史でると、ナスチェンカはまるで悪いことでもしていたように、 担ぎあげるべきじゃな、・ : シーザーだって同じ仲間さ」 いきなり灌木の繁みの間へ飛びこんだ。叔父は満面えみ輝き 「せめてシーザーだけは容赦してくださいよ、フォマー・フながら、わたしのほうへやって来た。その目には歓喜の涙が 宿っていた。彼はわたしの両手をとって、ぎゅっと固く握り しめた。 「馬鹿者には容赦がならん ! 」とフォマーはわめいた。 「容赦することが要るものか ! 」同様に一杯機嫌の・ハフチェ 「セルゲイ ! 」と彼はいった。「わたしは今だに、なんだか エフは、熱くなってこう引きとった。「何もやつらを容赦す自分の幸福を信じられないような気持ちがするよ : : : ナスチ ることはありやしない。やつらはみんな飛びあがり者で、た ャもやはりそうなんだ。わたしたちはただ奇異の感に打たれ だ片足でぐるぐる廻るくらいしか芸はありやせん ! 腸詰めながら、天帝を讃美するばかりなんだ。今あれは泣いていた 野邸め ! 現にさっきも一人、何か知らん奨学資金を設定すんだよ。お前は本当にしないかもしれないが、わたしはなん るとかいいやがった。ぜんたい奨学資金とはなんだ ? なんだか今でも正気がっかないくらいだ、すっかりばうっとなっ のことやらわけがわかりやせん ! わしは賭けでもするが、 た形でね。本当にしてるような、してないような気持ちなん きっと何か目新しいインチキ仕事に相違ない。それからもう いったいこれはなんの酬いだろう ? なんのためだ 一人は、さっき立派な人たちのいる前で、ふらふら千鳥足かろう ? いったいわたしがどんないい ことをしたというの 2 2
フチェエフの 韲体もない様子だって ? そりゃなんのことだ ? 何を出人を、皮肉な目つきでじろじろ見廻していた。・ハ は、合点のいかぬという顔つきをしていたが、その陰から多 たらめいってるんだ ? 」と叔父はどなった。 「いえ、まったくでございます、しらふじゃいらっしゃいま少同感らしい気持ちが覗いていた。けれど、叔父の当惑は想 像以上だった。彼はコローフキンのために心底から苦しんで 、 ) 0 叔父が顔を真っ赤にして、すっかりあわててまごっきなが ら、ロを開いて何かいおうとする間もなく、たちまち謎が解「コロー【 / キン ! 」と彼はいいかけた。「ねえ、きみ ! 」 「お待ちあれ」とコローフキンはさえぎった。「自己紹介を かれてしまった。戸口に当のコローフキンが現われて、ヴィ : だが、ちょ ドプリャーソフを片手で押しのけながら、あっけにとられてつかまつろう。かくいうそれがしは自然の子 : っと待てよ。ここにはご婦人がたがわたらせられる : : : この いる人々の前に立ちはだかった。それは白髪まじりの暗色の 悪党め、なぜご婦人方がおられるということを、おれにいっ 髪を五分刈にした、年のころ四十前後の男だった。背は高く てくれなかったんだ ? 」小悪党らしい徴笑を浮かべて叔父を ないが、肉づきのいい体で、紫色をした丸い顔に血走った小 さな目を光らせ、羽や乾草くずだらけの、恐ろしくくたびれ眺めながら、彼はこういい足した。「かまうもんか ! び によしよう ほころ ・ : 女性の方々にも見参いたそう、 きった、脇の下に大きな綻びのある燕尾服を着こみ、うしろをびくするこたあない ! 金具でとめた馬の毛織のネグタイを大きく結び、 Pantalon あでやかなるご婦人たち ! 」やっとのことで舌を廻しなが impossible と呼ばれるズボンをはき、お話にならないほどら、一語一語一一一一〔葉を縺らして、彼はこう切り出した。「ここ いや、まあ、そう にごらんの人物は不幸な男で、それは : 脂じみた制帽を手に持っていた。男はぐでんぐでんに酔っぱ いったようなわけでさあ : ・ : ・後はいわぬが花と : : : 楽隊 ! らっていた。部屋の真ん中まで進み出ると、彼は立ちどまっ ポルカだ ! 」 て、体を前後にゆらゆらさせながら、酔っぱらいの瞑想とい 「ときに、眠くはありませんか ? 」落ちつき払ってコローフ う恰好で、しきりに鼻で空をつつ突いていたが、やがてゆっ キンのそばへ寄りながら、ミジンチコフがいか冫た たりと満面に徴笑を浮かべた。 いったいきみは人を侮辱するつもりか 「眠いかって ! 「皆さん、真っぴらごめん」と彼はいい出した。「わたしは ね ? 」 ・ : その : ・ ( ここで彼はカラーをばんとはじいたたという 「どういたしまして。ただ歩いた後は体のためにいいからで 噫 ) こいつを頂戴したので ! 」 将軍夫人はさっそく、尊厳を傷つけられた、という表情をすよ : : : 」 した。フォマーは肘掛けいすに坐ったまま、このとっぴな客「だれが寝るものか ! 」コローフキンは憤然として答えた。
「フォマー、フォマー : それにしても、あまりくだくだ 9 つき落とされたためらしいて : : : しかし、そんなことなどど しくいわないでもらいたいね、フォマー ! 」ナスチェンカの 、つでもよろしいー フォマーの右耳なんか、だれにも用のな いことですからな ! 」 切なそうな表情を不安げに見やりながら、叔父は叫んだ。 「わたしはその婦人の無邪気さや、信じやすい人となり、と フォマーはこの最後の一句に無量の悲しい皮肉を含め、な いうよりも、むしろその無経験なのを気づかったのですわ んともいえない哀れな徴笑を添えたので、またもや感に堪え い」叔父の注意など耳にも入らぬ様子で、フォマーは言葉を た婦人たちの呻き声が、四方から一度に聞こえて来た。彼ら は一様に非難の目をもって叔父を眺め、中には激しい憤怒のつづけた。「わたしはその婦人の心に優しい愛情が、春の薔 視線を浴びせかけたので、叔父はかくまで歩調の揃った世論薇のごとく咲き出たのを見て、思わずべトラルカの句を思い の表白に、だんだん影が薄くなって行った。ミジンチコフは出した。「清浄無垢の心こそ、ああ、しばしばに滅亡と、髪 フチェ工一筋の隔てなれ』ですからな。わたしは嗟嘆と呻吟をつづけ べっと唾を吐いて、窓のほうへ行ってしまった。パ フは、しだいに強く肘でわたしをつつ突いた。彼はじっとそた。わたしは真珠のごとく清らかなこの処女を保証するため には、全身の血を捧げつくしてもいとわん覚悟だったが、し の場に立っていられないくらいだった。 ノ・イリッチ、あなたのこととなると、だれが かし、エゴーレ 「さあ、今こそみなさんにわたしの告白を聞いてもらいまし よう ! 」誇りに充ちた断固たる目つきで、一同を見廻しなが保証できましようそ ? あなたの放恣きわまりなき情欲と、 ら、フォマーはこう絶叫した。「またそれと同時に、この不刹那の満足にいっさいを犠牲にして顧みないあなたの気性を エゴル・イリ知っておるので、わたしはその高潔きわまりなき処女の運命 幸なオビースキンの運命を決してください。 ッチ ! わたしはもうずっと前から、あなたという人を観察を思うて、とっぜん限りなき恐怖と不安につき落とされたの しておりました。あなたがそれとは夢にも知らすにおられるですぞ : : : 」 「フォマー いったいきみは、そんなことを考えていたの 時から、心臓の痺れるような思いをしながら観察をつづけ て、何もかもすっかり見てとりましたそ。大佐 ! 或いはわかね ? 」と叔父は叫んだ。 たしの考え違いかもしれんが、わたしはあなたのエゴイズム 「わたしは胸の痺れる思いで、あなたを注視しておりまし た。わたしがどんなに苦しんだか知りたかったら、シェイグ と、底の知れない自尊心と、空前絶後ともいうべき情欲を知 っておったのですぞ。だから、わたしが知らずしらずのうちスピアに聞いてごらん。彼はその『ハムレット』の中で、わ に、この世でも最も清浄無垢な婦人の名誉を気づかって、戦たしの心持ちを語ってくれるでしようわい。わたしは疑り深 戦兢々としたのは無理からん次第ではありませんかな ? 」 い、恐ろしい人間になった。不安と憤懣のあまりに、わたし
まった。叔父は名状すべからざる興奮に駆られて、部屋をあ時機が来たんだから、今さら猶予するわけにいきません ! いあなたはいま根もない言いがかりを聞かされたんですから、 ちこち歩き廻りながら、母親が正気づくのを待ちかねて た。それから、ファラレイは主人たちの争いを悲しんで大き今度は弁明も聞いていただきます。お母さん、わたしはこの こういったいっさいのこと世にも珍しい潔白で高尚な娘さんを愛しているのです。もう な声でおいおい泣き出した、 、筆紙に尽くし難い光景を現出したのである。おまけにも前から愛しているので、けっしてその愛が冷めることはあり う一つ、ちょうどこの瞬間に恐ろしい雷雨が始まった。雷のません。このひとはわたしの子供たちを幸福にしてくれた 轟きは次第に間近になって、大粒の雨がばらばらと窓を叩き上、あなたのためにも恭順な娘となるに相違ありません。で 出した。 すから、今あなたの目の前で、親戚や親友の立ち会っている 「やれやれ、とんでもない祭日になったものだ ! 」・ハフチェ席で、わたしは厳かに自分の願いをこのひとの足下に捧げま す。そして、わたしの妻となることを承諾して無限の光栄を エフ氏は頭を下げて、両手を広げながら、こうつぶやいた。 「どうも困ったことですね ! 」とわたしは興奮のあまり、前 授けてくれるように、心から哀願しようと思っているのて 後を忘れてささやいた。「けれど、少なくも、フォマーは追す」 ナスチェンカはびくりと身慄いしたが、やがて顔を真っ赤 い出されてしまったから、もう二度と呼び戻すことはないで にしながら、いきなり肘掛けいすから飛び上った。将軍夫人 しよ、つ」 も、つ 1 凩分はよく はしばらくの間、息子が何をいっているのかわからない様子・ 「お母さん ! 気を確かに持ってください。 きぬ なりましたか ? もういい加減にして、わたしのいうことをで、じっとその顔を見つめていたが、、 不意に帛を裂くような Ⅲびをあげながら、いきなりどうとその前に跪いた。 聞いてくださいますか ? 」老母の肘掛けいすのまえに立ちど 「エゴールシュカ、後生だから、フォマー・フォミッチを呼 まりながら、 , 父はこ , つ日炉しカーオ。 こちらは顔を上げて、両手を前に合わせながら、哀願するび返しておくれ ! 」と彼女は叫んだ。「すぐに呼び返してお くれ ! さもないと、わたしは夕方までに死んでしまうか ような目つきで、わが子を眺めていた。彼がこんなに怒った のは、生まれてこの方、一度も見たことがなかったのであら ! 」 る。 このわがままで気まぐれな老母が、自分の前に膝を突いて いるのを見て、叔父は棒のように立ちすくんだ。病的な表情 「お母さん ! 」と彼は言葉をつづけた。「もう堪忍袋の緒が がその顔に浮かんだ。やがてようやくわれに返ると、彼はと 切れました。あなたもごらんになったとおりです。わたしは この話をこんなふうにするつもりはなかったのですが、もうんで行って母を抱き起こし、もとの肘掛けいすへ坐らせた。 0
よりも明らかだ ! て、叔父はヘどもどしながらつぶやいた。「イリューシャ、 もしかしたら、将校出かもしれない : もう一つ接吻しておくれ ! それからこの悪戯っ子さん、お偉いものだ ! それから「現代人』も立派な雑誌だよ ! そ 前も接吻しておくれ」サーシェンカを抱きよせて、情けのこ ういう詩人が寄稿するのだったら、ぜひとも購読しなくちゃ もった目つきでその顔を見つめながら、彼はいった。 ならん : : : わたしは詩人が大好きだ ! 実こ 、人たちだ 「まあ、待っておいで、今にお前の命名日もくるから」彼はよ ! なんでも詩で表わすんだからな ! 覚えてるだろう、 満足のあまり、これ以上なんといっていいかわからない様子セルゲイ、一度ペテルプルグでお前を訪ねて行った時、ある で、こうつけ加えた。 文学者に会ったつけな。なんだかこう、特別な鼻をしていた わたしはナスチェンカに向かって、だれの詩かとたずねつけ : : : 実際 : : : え、きみなんといったの、フォマー ? 」 フォマー・フォミッチはしだい冫しし こ、ら、らして来て、大き 「そう、そう、だれの詩だろう ? 」と叔父ははっと気がつい な声でひひひと笑い出した。 「いや、なにただちょっと : : 」やっと笑いをこらえるよう たように口をいれた。「きっと賢い詩人が書いたものに違 エゴ ・たいそ、つじゃよ、 オしかフォマ な恰好で、彼はこういい出した。「つづけてください、 「ふむ ! : 」とフォマーは鼻であしらった。 ル・イリッチ、つづけてください ! わたしは後で自分の 詩の朗読の間じゅう、あくどい嘲笑が彼の唇から消えなか意見をいいますから : : : そら、スチェパン・アレクセーイチ ったのである。 も、あなたがペテルプルグの文学者を知己に持っていられる 「わたし忘れてしまいましたわ」おずおずとフォマーの顔色話を、喜んで聞いておられますでな : ・ をうかがいながら、ナスチェンカはこう答えた。 始終もの思わしそうな様子で、やや離れたところに坐って 「これはクジマー・プルトコフ 人 その有名な諷刺諧謔詩集には、詩人いたパフチ = エフは、急に頭を上げて、真っ赤な顔をしなが ア・カ・トルストイも ) って人が書いたんですわ、お父様。「現代ら、肘掛けいすの上で猛然と体を捻じ向けた。 と 「おい、フォマー、わしにはかまわんで、そっとしておい 人』に載ったんですの」とサーシェンカが横合から飛び出し てもらおう ! 」充血した小さな目で、腹だたしげにフォマー ヴ コ 「グジマー・プルトコフ ! 知らないな」と叔父はいった。 を睨みつけながら、彼はこういった。「きみの文学なんか、 ン「プーシキンなら知っているけどな ! : もっとも、なかなわしになんの用がある ? まあ、体さえ達者でいさしてもら そ、つじゃよ、 オしか、セルゲイ ? おったら、それでけっこうなんだ」彼はロの中でぶつぶついっ 〕か立派な詩人らしい それは火を見るた。「そうしたら、たといみんなだれもかれも : : : 文士なん ズまけに、高潔この上ない人物だと思う、 学 ) 0
急いでタチャーナ・イヴァーノヴナを馬車に助け乗せた。わンチコフは馭者台へ移って、自分の席を・ハフチェエフ氏に譲 った。で、・ハフチェエフ氏はタチャーナ・イヴァーノヴナに たしは車の向こう側に廻って順番を待っていると、思いがレ なく、わたしのそばにオプノースキンが現われて、ぐっとわ向かい合って坐ることとなった。タチャーナ・イヴァーノヴ ナは、わたしたちに連れて帰ってもらうのが、いかにも満足 たしの手を握った。 「どうか少なくとも、あなたの友情を求めさしてくださいまそうな様子だったけれど、それでも相変わらず泣きつづけて 叔父は自分の力に及ぶ限り、彼女を慰めていた。とは せんか ! 」わたしの手を固く握りしめて、一種自暴自棄の表いた。 いえ、彼自身ももの思わしげに沈んでいた。察するところ、 情を顔に浮かべながら、彼はこういった。 トローヴナ 「それはなんのことです、友情って ? 」と、片足を馬車の踏ナスチェンカのことをいったアンフィーサ・ペ の、気ちがいめいた言葉が、彼の心に手ひどく応えたものら み段にのせながら、わたしは問い返した。 しい。わたしたちの帰路は平穏無事に終わるはずだったが、 「そうなんです ! わたしはもう昨日からちゃんと、あなた を最高の教養を持った人だと、見抜いてしまったのです。ど一行の中に・ハフチェエフ氏がいたために、また一幕なしには : わたしはただ母に唆さすまなかった。 うかわたしを咎めないでください : タチャーナ・イヴァーノヴナの真向かいに腰をおろした彼 れただけなので、わたしはぜんぜん局外者なんです。わたし は、すっかり落ちつきをなくしてしまった。彼はどうしても はむしろ文学的傾向を有する人間なんですよ、 平静でいることができなくって、尻をもじもじさせ、蝦のよ く。あれはみんな、母のしたことなんで : : : 」 うに真っ赤になって、やたらに目をぐりぐりさせるのであっ 「そうです ! 信じますよ、信じますよ」とわたしはいっ た。ことに、叔父がタチャーナ・イヴァーノヴナを慰めにか かる時などは、太っちょは、すっかり前後を忘れてしまっ 人「さよ , つなら ! 」 のわたしたちは馬車に落ちついた。馬は勢いよく走り出して、まるで人にからかわれたプルドッグのように、ロの中で とた。アンフィーサ・ベトローヴナの呪い叫ぶ声が、まだしばぶつぶつ唸り出した。叔父は心配そうに、ちょいちょい彼に オらくうしろのほうで響いていた。家の窓という窓からは、急視線を投げていた。タチャーナ・イヴァーノヴナは、自分の ヴィザヴィ コ にだれとも知れぬ人の顔がひょこひょこと覗いて、あっけに相手の並々ならぬ心理状態に気がつくと、じっと穴のあくほ ンとられたようなもの珍しげな目つきで、わたしたちを眺めてどその顔を眺め始めた。やがて、わたしたちのほうをちらと 見やって、につこり徴笑を洩らすと、不意に自分のパラソル ス幌馬車の中は、こんど五人の同勢になった。しかし、ミジをと 0 て、いとも優美な恰好で、パフチ = エフ氏の肩を軽く
て、まるで寝耳に水だったのである。開け放した窓の中からめに飛んで来たオプノースキンには、まるで気もっかないよ うなふうつきで、いつまでも両手で顔を隠しているタチャー 泣いたり喚いたりする声が聞こえた。 入口でわたしたちに行き合った跣足の男の子が、いきなりナ・イヴァーノヴナのそばへ寄り、この上もなく優しい声に 一目散に向こうへ逃げて行った。すぐ取っつきの部屋で、目偽りならぬ同情の念を響かせながら、話しかけた。 を泣き腫らしたタチャーナ・イヴァーノヴナが、よりかかり 「タチャーナ・イヴァーノヴナ ! わたしたち一同は心から あなたを愛しもし、尊敬もしていますので、あなたの意向を のない更紗ばりの長い「トルコ式」長いすに腰をかけて た。わたしたちの姿を見ると、彼女はきやっと一声さけんで聞くために、自分でこうしてやって来たのです。わたしたち といっしょに、スチェ・ハンチコヴォへお帰りになりません 両手で顔を隠した。そのそばにはオプノースキンが慄えあが か ? 今日はイリューシャの命名日で、お母さんは頸を長く った様子で、見るも哀れなくらい、まごまごしながら突っ立 しながら、あなたを待っています。サーシャとナスチャはあ っていた。彼はすっかりとほうに暮れて、さながらわたした なたのことを心配して、きっと朝じゅう泣き通したに相違あ ちの到着を喜ぶもののように、飛んで来て握手をしようとし たほどであった。次の間へ通ずる戸が細めに開けられて、そりません : : : 」 こからだれやら女の着物が覗いていた。わたしたちの目に見タチャーナ・イヴァーノヴナはおすおすと顔をあげて、指 えぬ隙間から、だれか覗きながら立聞きしているらしい。主の間からそっと透かして見ると、急にわっと泣き出しなが ら、彼の首に抱きついた。 人は顔を出さなかった。また家にもいないらしい様子だっ た。みんなどこかへ姿を隠したのである。 「ああ、わたしを連れて帰ってください、早くここから連れ 「ああ、ここにいる、大変な女旅行家だ ! あれでも手で顔て帰ってください ! 」しやくりあげて泣きながら、彼女はこ 入を隠しておるよ ! 」わたしたちの後から部屋へ押し入りなが , ついった。「ロ〒く、歩一しも日〒く ! 」 のら、パフチェエフ氏はこうわめいた。 「あの女、こんなところまで馬を飛ばして来るなんて、ばか な真似をしたものだ ! 」わたしの背中をつつ突きながら、・ハ 一」「あなた、その感興をちと控えていただきたいものですな、 オスチエバン・アレグセーイチ ! それはもう無作法というもフチェエフ氏はさも憎らしそうにいった。 コのですよ。ここでロをきく権利があるのは、エゴール・ 「してみると、もう万事終わったわけです」そっ気ない態度 チ ) ッチだけで、われわれはぜんぜん局外漢にすぎませんからでオプノースキンのほうへふり向きながら、ほとんどその顔 ニね ! 」とミジンチコフがきつばりきめつけた。 も見ないで叔父はいい出した。「タチャーナ・イヴァーノヴ ス叔父は・ハフチェエフ氏にきっと一暼を投げた後、握手を求ナ、腕を貸してください。出かけましようー」
「わたし : ・・ : わたし自分でもどうしたのか : ・・ : わかりません 8 「ねえ、タチャーナ・イヴァーノヴナが、オプノースキンと 逃亡したっていうのは、本当なんでしようか ? 」と彼女はおの」彼女は息をきらしながら、無意識にわたしの手を握りし びえて真っ青な顔をしながら、きれぎれな声であわただしげめていった。「どうかあの人にそういってください : このとき右手のドアの陰で何か物音がした。彼女はわたし にたずねた。 、、、かけたこともそのまま、おびえたように 「ほんとうだって話です。ばくは叔父さんを捜してるとこなの手を放すと 階段を駆け昇った。 んです。みんなで追っ手に出ようと思って」 「ああ、あのひとをつれ戻してください、少しも早くつれ戻わたしは裏庭の厩の傍で一同を見出した。それは叔父と、 ハフチェエフと、ミジンチコフであった。パフチェエフの幌・ あなた方がつれてお帰りにならないと、あ してくださいー 馬車に新しい馬をつけているところだった。出発の用意は万 のひとの一生は駄目になってしまいます」 端ととのって、ただわたしを待っているばかりだった。 「しかし、叔父さんはいったいどこでしよう ? 」 「きっとあの厩のそばでしよう。あちらで馬車の支度をして「ああ、やって来た ! 」わたしの姿を見ると、叔父はこう叫 - んだ。「お前、聞いたか ? 」と一種妙な表情を顔に浮かべな いますから。わたし、ここであの人を待っていたんですの。 がら、彼はいい足した。 ねえ、あの人にそういってくださいな、わたしは今日ぜひと もこちらを出て行きますって。わたしすっかり決心したんで驚きと困惑と、それと同時に希望の色とでもいったような すの。父が引き取ってくれますから、できればすぐにも立とものが、彼の目つきにも声にも、身のこなしにも現われてい た。生涯の運命に一大転換が生じたことを、自分でも意識し うと思っております。今はもう何もかも駄目になってしまい ましたー ているらしかった。 もう取返しがっきません ! 」 フチェ工 わたしはすぐ詳しい事情を聞かせてもらった。・ハ 彼女はこう、 しいながら、まるでとほうに暮れたようなふう つきで、じっとわたしの顔を見つめていたが、急にさめざめフ氏は不愉快きわまる一夜を明かした後、持村から五露里は なれた修道院の朝祈蒋に間に合わそうと、払暁に自分の家を と泣き出した。どうやらヒステリーの発作が始まったらし 出かけた。街道から修道院へ入る曲り角のところで、突然、 まっしぐらに飛ばして来る一台の馬車を見つけた。馬車の中 「気をおちつけなさい ! 」とわたしは祈るようにい 今に見にはタチャーナ・イヴァーノヴナと、オプノースキンが乗っ 「これはいいほうに向かうしるしなんですから、 てらっしや、 : いったいあなたはどうなすったのです、ナていた。タチャーナ・イヴァーノヴナは目を泣き腫らして、 おびえたような表情をしていたが、パフチェエフ氏を見る スターシャ・エヴグラーフォヴナ ? 」
日が何もかも解決してくれるから、今日は落ちついていらつお前、それがタチャーナ・イヴァーノヴナだったというのは 間違いない話かね ? 」 しゃい。考えれば考えるほどいけないんです。もしフォマー がぐずぐずいい出したら、いきなりその場で家からたたき出わたしは顔こそ見なかったけれど、二、三の徴候から推し て、タチャーナ・イヴァーノヴナに違いないと答えた。 して、こつば徴塵にしておやんなさい」 「ふむ、それは召使のだれかを相手の色ごとで、ただお前の 「家を追い出さないですますことはできないかな ! わたし はこう決めたんだよ。明日はさっそく夜の引明けにあの男の目に、タチャーナ・イヴァーノヴナと見えたばかりじゃな、 オしかな ? ・こそこそと かなあ ? 庭師の娘のダーシャじゃよ、 ところへ行って、今お前に話したのと同じ調子で、すっかり 何もかも話してしまうつもりだ。あの男がわたしを理解してすばしつこい娘なんだから ! 前にも、そういうことがあっ くれないはずはない。あれは高潔な人物だ、世界中で一ばんたんだ。そういうことがあったればこそ、わたしもそういう 高潔な人物だからね ! ただ一つ心配なのは、お母さんが明んだよ。アンナ・ニーロヴナが嗅ぎ出したのさ : 日の結婚申込みのことを、もうタチャーナ・イヴァーノヴナれにしても、話の具八口がおかしいな ! オプノースキンは、 とうも変だ ! 」 に前ぶれしたんじゃないかと思って。実際、もしそうだったその女と結婚するといったんだって。変た、・ とうとうわたしたちは別れを告げた。わたしは叔父を抱き ら、それこそ困ったものだ ! 」 み、い一き 「タチャーナ・イヴァーノヴナのことなら、心配はいりませしめて、幸先を祝った。 「明日だ、明日だ」と彼はくり返した。「明日になれば、何 んよ、叔父さん」 わたしはオプノースキンの演じた亭のシーンを、くわしく もかも解決する、お前が起きるよりまえに解決するだろう。 話して聞かせた。叔父はひどく驚いた様子だった。わたしはわたしはフォマーのところへ行って、騎士のような態度をと るのだ。肉親の兄弟に話すようなつもりで、腹のなかを底の 人ミジンチコフのことは、一口も洩らさなかった。 「不可思議千万な人だ ! まったく不可思議千万な人だ ! 」底まで、どんな細かい心の影も残さないように、すっかり話 とと彼は叫んだ。「かわいそうに ! みんながあの女の単純なしてしまうつもりだ。じゃ、さようなら、セリヨージャ。お ーレ 疲れたろうから。わたしはきっと夜っぴ のを利用して、誘惑の手をさし伸べるんだからな ! か前もやすむがいし コし、まさかオプノースキンがー だって、あの男はもう帰って目も合わさないことだろうよ」 ンて行ったはずなのに : : : 不思議だ、実に不思議だ ! わたし彼は立ち去った。わたしは疲れきってへとへとになってい は呆気にとられてしまったよ、セリ ヨージャ : : : それは明日 たので、すぐ床に入った。それは苦しい一日であった。神経 チ : ーしか . ーレ、 にも調べ上げて、方法を講じなくちゃならない : か興奮していたために、本当に寝入ってしまうまでに、幾度 3