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検索対象: ドストエーフスキイ全集20 論文・記録(下)
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1. ドストエーフスキイ全集20 論文・記録(下)

諸君と比べてさえも、背くらべができなくなった。 外国の背丈さえ抜いたから 諸君は昔話の豪傑と、競争するのと同じこと ! もし首筋の骨をたがえるのが、怖くなければ いまわれわれを眺めてみたまえ ! ロシャは同胞あいせめぐ戦いに ほとんど最後の血まで流しながらも 同じ血のはらからと争いながら、悩みつづけた。 しかし聖なるロシャの国は、生きる力が強かった ! なるほど諸君のほうが賢い。その代り諸君は本がお似合いだ。 諸君のほうが本当だ、 それは諸君の良心が知っている ! これが最後の苦しい時でも が、ご承知を願いたい。 われわれは、その苦しみに耐えるすべをば知っている ! 諸君に対する答えとして、過去が厳然と立っている。 それだから、諸君の同盟などは、前から少しも怖くない。 災厄の秋にもわれらは救われる 十字架が、聖物が、信仰が、玉座が、われらを救ってくれる ! しるし われらの心の中には、勝利と救いの兆として 部この法則がつくられている ! 第われわれは自分の信仰を、空しく失いなどしない 録 ( 西欧の某国民のごとくに ) 。 当一ⅱ われわれは信仰の力によって、死の世界から蘇り 論そしてスラヴの民族は、信仰によって生きている。 とき われわれは信じている。神がわれらの上にましますことを ロシャは生き、かっ死滅し得ないことを ! 諸君は書いた、争いをはじめたのはロシャ人だと ロシャの行動は何かしら謬っていると ロシャはフランスの名誉を重んじないと 諸君はおのれの同盟の旗のため、羞恥を感じさせられると 諸君はトルコに深い同情をいだいていると ロシャは征服を欲していると うんぬん、うんぬん : : : 諸君に対しては、悪戯で騒々しい ト学生に対するように、厳しい答えをしておいた。 お気に召さねば、それはご自分が悪いので われわれは諸君のまえで、平つく這うことはないのだ ! 諸君などには、ロシャの運命を判ずる資格はない ! ロシャの使命は、諸君などにわかりはしない。 東方はロシャのものだ ! 幾百万の人々が たゆ 世代から世代へわたって、撓まずロシャに手をさし伸べる。 深遠なるアジアに君臨しつつ いのち ロシャはすべてに若き生命を与える。 老いたる東洋の復活は、ロシャによって なし遂げられるのだ。 ( それが神の命じたもうところだ ! ) ツアーリ 更新されたロシャ、皇帝の治世 来たるべき華々しき曙 ! 167

2. ドストエーフスキイ全集20 論文・記録(下)

喩だろう、とわたしは考えた。周知のごとく、戦意に燃えた 場合には : : もっとも、きみが何をほのめかそうとしたか、 ああ、それからも それはだれにもわかったことではない ! う一つ、きみはも少しおもしろく書きたまえ ! わたしがこ んなことをいうのは、きみには才能があって、もっとおもし ろく書けるはずだからである。ホフマン液などはくそ食らえ である、そうではないだろうか ? もっとも、きみの文章に もちらほらと、おもしろい思想が散見される。たとえば、次七月十日、長い病気 ( 黄疸 ) がとつじよとして悪化したた のような場合である。 め、『エボーハ』の発行人であり、編集者であるミハイル・ ミハイロヴィチ・ドストエーフスキイが永眠した。わたしは 「もしお望みなら、こんな詩を印刷して五台分くらい、即故人の弟として、またきわめて親しい共同者として、彼の文 座に書いて見せる。もしお望みなら、本一八六〇年一月号学上および出版上の業績について数言を費やす必要を感じ の『ヴレーミャ』みたいなものを、毎月百冊も書いてお目る。 にかける」 雑誌発行の案は、すでに久しい前から、ミハイル・ミハイ ロヴィチの頭脳に生じていた。彼の案というのは、雑誌界に おお、恐ろしい 軽騎兵どのがサーベルを振りまわすよ付き物の伝統から解放された、完全に独立独歩の、いかなる うだ。軍人精神がまざまざと見えている ! いや、もうさ党派にも関係のない、古くから伝えられているほとんど無意 ようならにしよう、きみのお相手はもうたくさんだ。 識な敵対感情を持たぬ、オーソリティに跪拝することのな P-4 TQ A て ro て OS. ( ついでながら ) 。オーレンカ・とマ 、完全に公平無私な、新鮮な文学機関を創設することであ シンカ・ Z によろしくいってくれたまえ、もし彼女らがほんった。また一方、国民性と国民的根元に注意を向けて、土地 とうに虚構の人物でないならば、である。それにしても、結からもぎ放された社会を国民の研究に目ざめさせ、国民生活 びはなんとおもしろくできたことだろう・ : : ・ の根本に横たわる真実を信仰させることを、必要と感じたの である。ミハイル・ミハイロヴィチの確信によれば、ロシャ どうして軽騎兵を愛さずにいられよう ! の社会の失敗も、ロシャ国民のある階層の無性格も、すべて それは大いによろしくない : ほかならぬ退廃的な、怠惰で倦怠に蝕まれたコスモポリタ について数言 、レトストエーフスキイ 116

3. ドストエーフスキイ全集20 論文・記録(下)

論文・記録第三部 ころか教訓に対して、感謝の念をいだくであろ う。のみならず、それを完全に利用するに相違な土地所有しかし、なぜ地主が民衆を合流して、労働者を い ( なぜなら、ロシャの民衆は幅が広くて、すべ 手に入れることができないか、そのおもなる原因 てを抽出するすべを、心得ているからである ) 。 はほかでもない、彼らがロシャ人でなくして、上 にもかかわらず、彼らはそういう人間を自分の仲 地から引っこ抜かれたヨーロッパ人だからであ る。 間扱いせず、手をさし伸べす、自分の心を渡しは ところが、フィンランドの沼地から出た わがインテリゲンチャは、そのかたわらを通り過古典的なも ぎてしまう。そして、お前たちは民衆を知らない といわれると、腹を立てるのである。 財政百姓の状態。絶望におちいる理由がある。「い や、 ( と彼らはいう ) 自分も貧之人いじめになろ う」ただ聖者だけが毅然たる態度を持するであろ 憲法しかり、諸君はおのれの社会の利害を代表する であろうがレ ナっして民衆の利害を代表しはしな 。再び彼らを農奴化するくらいなものである。 民衆に向ける大砲を要求するようになるだろう ! そして、ジャーナリストたちにいたっては、もし 彼らがほんの少しでも諸君の気に食わなかった ら、彼らをシベリヤ流刑にしてしまうだろう ! 彼らは諸君に反対の言を吐くどころか、諸君の前 では、くしやみをすることもできないだろう。 ポーチヴァ ・ : 教育は強制ぜずに、漸次土地を準備しつ つ、徐々に広めていくこと。最も才能のある人々 は古典主義者となるであろう。かくして徐々に、 正しい教育を身につけた青年たちが、必要数だけ できるに相違ない。彼らは未来に対する手はじめ として役立つであろう。とかくするうちに、一定 の時期をおいて、たとえば、五年ごとに、あるい は四年ごとに、だんだんと古典語 ( ギリン : 語 ) の時 間をふやしてもよいであろう : : : 長く待たなけれ ばならぬけれども、そのほうが確かである。さも ないと、一どきに何もかもしようとすると、すべ てがまる焼けになったようなことになる (sic)0 わが国では十年間に二万露里の鉄道を敷設した が、それが農村と工業界の浮遊資本を、残らず吸 収してしまったという例もある。わが国では、急 に何もかも仕遂げようとして、チコ人、ーー亠月 年層にたいして敵意をいだき、ロシャ語を知らぬ くせにロシャ語を高みから見下ろしている、冷淡田

4. ドストエーフスキイ全集20 論文・記録(下)

〃 @ 校正係〈 〈ペテルプルグ、一八六四年七月〉 一八六四年 拝啓、誤りはいかに些細なものでも、あり得なかったはず です。きみが活版所をまわってきたのは無駄でした。ジャコ ノフ君にばくが十ループリをやったのは、ただ気の毒に思っ @ 校正係〈 たからにすぎません。というのは、あのやくざ者のべリャー へペテルプルグ、一八六四年七月〉 エフにばくはとっくに支払いをすませており、ジャコノフ君 拝啓、誤りはいかに些細なものでも、あり得なかったはずはばくからではなく、べリャーエフから受け取るべきだった からです。でなかったら、活版所かジャコノフ君自身が、べ です。ところが、きみは不思議千万にも、活版所で調べなけ ればならないと思って、間違いをやってしまったのです。 リャーエフがやるより先に、ばくに勘定書を出すべきでし ったい校正係とはどういうものです ? 活版所は雑誌の主人た。べリャーエフが勘定書を出したので、ばくは支払いをす 公ではありません。ばくは一台あたり銀貨一ループリを校正ませたのです。ばくは彼の借金についてはいささかも責任が 係に払っており、それ以上払おうとは思ってもいません。こありません。もう一度いいますが、ばくが同じ校正の仕事に の値段だったら、良い校正者が幾人も見つかるだろうと信じ二度金を払ったとしても、それはジャコノフ君を気の毒に思 ています。もしきみが兄の死より前に雑誌の校正係に雇われ やくざ者のべリャーエフのために彼の仕事が無駄になる ていたのなら、話はまた別です。それだったら、ばくは以前 のをかわいそうに思ったからです。明日の日曜日には、十二 の支払い額にあわせることもできたでしよう。きみを雇った時に家にいます。この説明でもきみに不足だったら、ばくと のはばくなのですから、きみはばくから支払いを受けているしては一部始終をきみに説明するにやぶさかでありません。 のであって、活版所からではありません。 貶 ( ) ・・ 0 デーヴ ' チ〈 ( 下書 ) きみの手紙全体はばくがきみの金をごまかしたという、ば くにとっては侮辱的な考えで貫かれています。ばくが雑誌か食テルプルグ、一八六四年〉 ら得ている収入はきみのよりも少ないのです。雑誌の仕事を ロデーヴィチ君 しているのも、ただ亡兄の遺児のためです。 きみはパ ーシャにあっかましい手紙を寄こされました。バ 書 ーシャは世馴れないためにその手紙を小生に見せました。大

5. ドストエーフスキイ全集20 論文・記録(下)

解説 の中に取り入れられている。 は、『四月十三日』の文 ( 本巻では二しが削除されてい ュ己 ること、その代わりに、『五月十一日』 ( 本巻の『三しと 「ペテルプルグ年代記』の底本として父が使用したテキス 『六月十五日』 ( 本巻の『四しのあいだに、「六月一日』 トは、ネチャーエヴァ編「ペテルプルグ年代記、一八四七 補遺』に収録したもの ) が加わっていること、である。 年の四編の文章 ( 未刊行作品 ) 』 ( ペテルプルグーベルリン、 このテキストについての論証は、ソヴェート版全集論文 一九二二年 ) であって、ソヴェート国立出版所版全集のテ 編 ( 第十三巻 ) の注に詳述されているが、ここでは煩雑に キストとは相違がある。おそらく父はこの相違を、見落と なるのを避けてふれないことにする。なお、『四月十三日』 していたのであろう。その相違は、ソヴェート版全集に の筆者は、 << ・ Z ・プレシチェーエフと推定されているこ と、六月一日』の文章を発見したのはドリーニンで、は じめ雑誌に発表された ( 一九二七年 ) こと、だけをつけ加 えておく。 広ラ ルグ 『ズボスカール』 ( 3 ピ 60CKa ト KOMHqeCKHÜ1 aJ1bMaHax B 「 x qaCT51x) 文集『ズボスカール』刊行を予告するこの文章は、一八四 のる 在あ 五年十一月「祖国雑誌」の出版消息欄に掲載されたもので、 現で 本巻第一、第二部に収めた文章の中で、もっとも早い時代に 場こ 兵は属する。この文章の前には、編集部の序詞が付せられてい イた る。いわく、「わが国の文学者の数人が、おのれの労作によ ス立 ってユーモア文集の刊行を企て、本年十一月にその第一号を フめ ノた出版するはずであるが、それを予告するために、次の一文を 曷載するよう本誌に依頼した」この広告文がドストエーフス セを キイの筆になることは、彼自身が一八四五年十一月十六日付 の刑 てが けの兄ミハイルへ宛てた手紙で証明している。「ところで、 っ家 か作ネグラーソフが『ズボスカール』というすてきなユーモア雑 誌を計画して、その広告をばくが書いたわけです。その広告 3

6. ドストエーフスキイ全集20 論文・記録(下)

校正刷の送達方を、文集の責任編集者であるゴンチャロフに田 作ド懇願している。この一事に徴してみても、普通「悪文家」と しラ称されるドストエーフスキイが、おのれの名を署した文章に 対して、いかにきびしい責任感をいだいていたかが窺われ 、る。つまり、ゴンチャロフ宛ての手紙を透して見た時、この 『途上小景』はドストエーフスキイの創作態度を理解する、 キれ スさ かなり重要な鍵となるであろう。 フリ 『べテルプルグ年代記』 (FIeTep6yprcrca51 J1eTor1HCb) は、 シ家『ズボスカール』についで、本全集「論文・記録』に収めた ラの 文章の中でもっとも早い時期に属する作品の一つである。こ 。シれは一八四七年、すなわち流刑前の若きドストエーフスキイ りる 通あ 、たっきの代として『サンクト・ペテルプルグ報知』に連 キ角載した雑録、 いわゆるフェイエトンである。すべて匿名 ンのの文章を読む興味は、作者の正体をつかむということに存す セり 、一一ネ通るが、われわれもそこここに謎を解く鍵を発見して、ひそか ズの にほくそ笑むのである。たとえば、第二の章にユリアン・マ 、ヴよ スタコーヴィチが登場するが、これは翌一八四八年に書かれ と、う文集が、一八七四年、ペテルプた『クリスマスと結婚式』の主人公である。ただこの雑録に 『スクラッチナ』 ( の意 ) し ルグで発行されたが、これはその時ドストエーフスキイが捧おけるユリアン・マスタコーヴィチは、小説のほうに省略さ ノさえ備えている。ほかでもない、彼は莫大な持 げた貧者の一燈である。「途上小景』はそれ自身、大して重れたデテーレ 要な作品ではないけれども、これに関する彼の書簡 ( 本全集参金を持った少女と結婚すると同時に、中年の未亡人との色 「書簡』下巻九ページ、ゴンチャロフ宛て ) に現われた彼の事も、なんとかして継続しようと企んでいるのである。第 作家的良心は、われわれの胸を打つものがある。ドストエー 四の章では、同じく一八四八年に発表された『白夜』の中 フスキイは、このさして重要でもない随筆の校正刷が届かなの、早春のペテルプルグを描写した一節が、ほとんどそのま いことに気を揉んで、さながら天下の一大事のごとく、そのま発見されるし、また同じ章の空想家論も、やはり『白夜』 しろ

7. ドストエーフスキイ全集20 論文・記録(下)

に、『グラジダニン』の論文から三つの点を引き出して、女女子専門学校の運命について、ご報告くださるようにお願い 生徒が何よりもまず勉強すること、ぜひとももっとも厳格なする。われわれはその成功に深い関心をいだくものである。 意味において勉学することを希望し、要求したのである。こ 2 の際、われわれは学術に多くの期待をつなぐものである。 真のきびしい学術はあらゆる虚偽、あらゆる無用ないつわり ついでながら、本紙もいま今年度のちょうど半ばになる。 の思想を駆逐する。そういった思想は、外部の、たいていの 場合、男性の影響によって、思想というものに馴れない女子この機会を利用して、われわれの活動について、われわれ編 の頭に宿りがちなものである。してみると、われわれが希望集者の努力について、何やかや語ってもよいのではなかろう か。われわれのしたこと、しなかったこと、われわれの発言 するのは、婦人の独立でなくてなんであろう ? 何よりもま ず第一に、婦人の知性と心情の独立である。われわれは人々したこと、発言し得なかったことについて、空想したり、打 明け話をしたり、自問自答したり、等々を試みてもよいので の誹謗するような、はたして女子教育の敵なのだろうか ? はなかろうか。それは、来年度の雑誌刊行の広告を書くと 貴女の手紙の中に、「グラジダニン』は「人気を矢うこと つもみながやることなのである。しかし、われわれは も恐れずに」、思いきってああいう思想を表明した、というき、い 個所があります。ああ、われわれはその人気を失ったことそういうことをすべて後まわしにして、いつも外部からたび を、つくづくと痛感している ! われわれは、ただ若干の理たび提出される質問に、答えるだけにとどめておこう。ほ 解ある人々の同情をかち得ているということ、そのことを高かでもない、絶えず本紙に浴びせかけられる批評や、攻撃 く評価している。これらの人々は、一般に思想的下男根性にや、罵倒にたいして、なぜ本紙はあまり答弁しないのか、そ れどころか、まったく答弁しないのか、ということである。 おち入っている現代において、あえて こういう攻撃はとくに本年の始めに浴びせられたものである が、年末、すなわち来年度の予約募集がはじまる前に、きっ おのれの意見をいだくこと とまた浴びせかけられることであろう。今では本紙はすべて の雑録家にとって、一つの救いとなるまでに立ち至った。何 第を敢然と決意したのである。 録われわれの希望は、こういった人々の数が目に見えて、疑いも書くことがなくなると、「いや、『グラジダニン』があるか ら、あれをやつつけるんだ。おまけに、それなら自由主義的 もなく増していくという、ただそのことにのみ存している。 論お手紙にたいしてもう一度お礼を・甲し述べ、将来もモスクワなテーマだからな ! 」というわけで罵倒するのだ。 155

8. ドストエーフスキイ全集20 論文・記録(下)

ぎ立てるのには、何かわけがあるのだろう」この声が諸君のは ! それは単に要領の悪さを示すばかりでなく、無能を暴 耳にはいっただろうか ? まったくのところ、単なる当惑と露するものだということに、諸君ははたして気がっかなかっ 混乱のためのみに、諸君のおちいったような単調で退屈な軌たのだろうか ? 答えは二ページでもたくさんなのであっ 道にはまり込んで、しかもそれに気がっかない というようて、たとえ二ページであっても ( もし諸君が正しかったなら なこともありうるのだ。諸君はそういうやり方で、鉄道のレ ば ) 、完膚なきまでに論敵を撃破することができたはずであ ールに入り込んで、汽車に追いかけられている牝牛を表象しる。たとえば、三年前にアントーノヴィチが、ツルゲーネフ ているのではないだろうか。それは珍しい場合ではあるけれ氏を粉砕したように、である ( ただし二ページだけではなか ど、あり得ないことではない。牝牛は驚愕に前後を忘れて、 ったし、それにぜんぜん正しくもなかったのだけれど ) 。今 自分でもまだ自分の不幸を信じないまま、やたらに走るのででもツルゲーネフ氏のことを覚えている者がいるかどうか、 ある、 教えていただきたいものである。だが、一方、アントーノヴ イチは、なんとたいしたものになったではないか ! それか ただひたすらに、レールづたいに飛び上がりつつ らなお、プーシキン氏の論争的な文章を想起してみたまえ。 自分流儀ではあるが、きわめていんぎんな三ページの感想に 同じ軌道の上を走り続けて、ほんのちょっとレールから外へたいして、数十ページにわたる不自然この上ない悪罵をもの 出て、右へそれさえすれば、命も助かり、乳も出るというこするということは、要するに、第一としては、諸君が簡潔に とが、ナイーヴな性質のままに、考えつけないのであるー 書くすべを知らないということ、 ( これはきわめて悲しむべ この詳やかな一幅の画面の中で、諸君は持ち前の単純さのたきことである ! ) 第二としては、諸君に論証が不足している めと、一種の無器用さのために、右に述べたナイーヴな動物ということを、みすから自白することなのである。なぜなら、 の役割を働いているのであり、諸君の熱中と悪性の激情は、 ロシャ人が不自然な罵倒をはじめるのは、もはや論証が尽き 諸君自身と諸君の論文を満載した汽車ということになる。右た時に限っているからである。「ジュビターよ、汝は怒れり、 の次第で、諸君は自分で自分を圧倒し、破滅させているのでゆえに汝はあやまてり」という諺を想起したまえ。その上 あるが、しかも諸君は乳を供給することもできたのだ 怒っている人間が、ジュビターでもなんでもなくて、単 んという悲しいことだろう ! 現代の人間は盲目でつんばだ なる諸君にすぎないとしたら、その時は喜劇になってしまう から、世界歴史の実例も彼らのそばを素通りしてしまう ! ではないか。ジュビターならゆるされることでも、諸君だっ たった三ページの論文に、四十八ページの答弁を書くとたらゆるせないわけである。

9. ドストエーフスキイ全集20 論文・記録(下)

そういうことになると、わたしの防衛手段はりつばなものでまったく最初とおなじ人間です。しかし、もう一度、わたし す。諸君、諸君はいまわたしがこれこれであるけれど、しかが変わったと仮定しましよう。みんなはわたしのことを、自 : と論証してい分を追い越した人たちを攻撃しているのだ、とわめいていま しわたしは不逞思想の所有者で、刺激した : らっしやる。しかし、それは前のことで、今は影も形もなくすが、第一に、それ以外の方法で、わたしはどうして自分の なってしまいました。今のわたしは穏健そのもので、刺激な新しい信念を表明することができるのでしよう ? 第二に、 どしやしません。わたしは考え直して、後返りしたのですわたしが彼らを攻撃するのは、ほかでもない、彼らがわたし ( もっとも、わたしはかって後返りなどしたことはありませを追い越したからです。 一つところにじっと立ってい ん。いつも、今と同じように、 数人の声プラーヴォ、プラーヴォ、うまいぞ、うま たのです。はじめからあなた方が、自分で勝手に、わたしをぞ ! こんな台座に祭り上げたのですからね。しかし、これは防衛弁士しかし、諸君、わたしは依然として、その信念のこ の手段にすぎません ) 。最後に、わたしは豊かな、甘いみのとをいいたいのです。白状しますが、わたしはどうかする りをもたらしました。 と、これがために剃癪が起こってくるのです。みんな信念を 持っています、みんな流行のように、何か信念の狂憤につか タウルは甘きみのりに充てる籠をもたらしぬ れています。こんなことはみな山師です、ナンセンスですー 左翼の声ナンセンスじゃない、ナンセンスじゃない ! ニヒリスト ( 左翼の側から ) いや、こんなところには 最後にわたしは : ニコライ・フィリッポヴィチわたしもみのりをもたらしられない、帰っちまう ! ました。しかし、わたしは自分の果物の代わりに、食事ぜん 弁士ついでに、わたしは尊敬すべき諸君をもう一度楽し ませて差し上げましよう。先ほど申しました高潔なる侯爵 たいを当てにしているのです。 ノープルマン が、あるきわめて尊敬すべき紳士といっしょに、もう一つ 弁士みんなは声をそろえて、わたしが信念を変えたこと の広告に署名したのであります。このふたりは、古くさいの 部を、なぜ声明しないのかと叫んでいますが、これはこつけい 第な質問です。もし諸君が、わたしの信念を変えたことに気がで有名な綜合雑誌『老婆の記録』を発行し、現にその発行を 録つかれたとしたら、なんのために声明なんかする必要があるつづけています。ところで、この雑誌の来年度の刊行広告 1 = ⅱ のでしよう ? が、それにしても、わたしはいつ、なんで信に、たいした名文が書かれましたので、それを一語もらさず 論念を変えたのでしよう ? くり返していいますが、わたしはご紹介します。 5

10. ドストエーフスキイ全集20 論文・記録(下)

左翼の狂猛な進歩派の幾人かは、まだ長いこと静まろうとろか、すべての人がわたしを崇拝することを望んでいます。 しない。とくに目立って興奮しているのは、髪をばうばうそして、ただそれのみがわたしに当然あたえられるべきもの と考えています。もう一度尊敬すべき諸君におたずねします させたあるニヒリストの紳士である。彼は極左に属してい て、断じて静まろうとしないのである。弁士は片眼鏡を取が、それと同じことを望まれない紳士が、ただのひとりでも り出して、二分間ばかり、昆虫でも調べるように彼をと見おられるでしようか ? ただ違うところは、わたしがこれを こう見している。どうやらこの仕ぐさが、反対派に堪忍袋公々然と口にしているのに対して、ほかの人はそれをしな というだけのことです。なぜなら、みんなは公衆の前で の緒を切らせたらしい。「退歩主義者 ! 裏切り者 ! 貴 族 ! 」という叫びが響きわたる。しかし、とにかく静穏は自分のことを語るすべを知らないからです。しかし、第一 やっと回復されて、すでに勝利を確信した弁士は、言葉をに、なぜこれを公然といってはならないのでしよう ? すべ てのイギリス人は、独創性の特権を持っています。わたしは つづける ) 自分の思うことをいいたいのです。そして、わたし個人とわ 諸卿および諸君 ! わたしは、諸君がわたしの言葉のためたしの利害が重要であるという意見を表明することによっ 騒ぎを引き起こされるのを、ちゃんと確信していましたて、わたしは尊敬する諸君に対して失礼をしなかったばかり が、けっして腹なんか立てません。わたしは、自分が何かででなく、わたしの謙虚な告白は諸君にとって、むしろ名誉に なるものと確信しています」 議会形式の法則を侵すなどとは、考えていないことです。ま ったく考えていません。それはわたしにとって神聖なもので右翼からの声 ( 歯の間から押し出すような声で ) 気がき いている。そして : ・・ : そして : ・・ : そして愛嬌がある。 す。よっくわかっていただきたいのですが、わたしは自分と 別の声正真正銘のイギリス人の声だ。 いうものを大いに尊敬して、自分の利害をこの世の何よりも 高く評価しています。それを告白します。ここに集まられた 尊敬すべき紳士がたの中で、たとえひとりだけでも、自分自 弁士の顔は、自尊心を満足させられた気持ちを現わす。 身を尊敬せず、自分の利害をこの世の何よりも高く評価しな あきらかに一座の人々は大多数、彼に共鳴したらしい様子 である。が、左翼では不平の声が高まってくる。しだいに 、人が、はたしてあるでしようか ? もしなおその上にわた しが自分を愛し尊敬するばかりでなく、 いくらか崇拝さえし叫び声が起こる。「よけいなことをいうな、文句を並べる ていると告白したら、、 しったいどういうことになるでしょ ことはない ! 本題にはいれ、本題に ! 」 う ? さらに一歩すすんで申しましよう。わたしはそれどこ