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検索対象: ドストエーフスキイ全集3 虐げられし人々
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1. ドストエーフスキイ全集3 虐げられし人々

ら、何一つ本当にしまいと決心して、結局、本当にしなかっ隠していることを、すつば抜いてしまったらどうでしよう ? た。つまり、事実を信じないで、十二年間というもの、断固しかも、それはいつも口外するのを恐れていることで、単に としてわたしを弁護してくれましたよ、いよいよ自分のお蔵親友にうち明けるのが恐ろしいばかりでなく、どうかする ょに、こんなことはみんな と、自分自身にさえ白状するのを恐れているようなことさ レ . かっくまではね、はははー もし、、つい , フことが くだらん話ですよ ! さあ、わが若き友、飲みましよう。とえ、堂々と恐れげなしに発表する、 起こったら、おそらくわれわれ一同、窒息してしまうほどの きに、あなたは女は好きですか ? 」 わたしはなんにも答えなかった。わたしはただ彼の言葉をひどい悪気が、この世をおおってしまうことでしようね。そ 聞いているだけであった。彼はもう二本目のびんに手をつけの理由によっても、われわれ社交界の約東や、礼儀などとい うやつは、ありがたいものなんですよ。ちょっと括弧に挾ん ていた。 「わたしは夜、食事をしながら、女の話をするのが、好きでだ形でいっておきますがね。その中には深い思想がありま してね。食事の後で、フィリベルト嬢というのを、一つあなす、ーー・・・道徳的な思想だとはいいません、ただ予防の働きを たにご紹介したいんですが、いかがです ? どうお思いでする、生活の快適さを守る思想ですが、無論そのほうがけっ す ? いったいどうなすったんです ? あなたはわたしの顔こうなんです。なぜなら、道徳というものは本質的に見て、 要するに快適と同じもの、といって悪ければ、ただ快適さの を見るのもいやなんですか : : : ふむ ! 」 彼はちょっと考え込んだが、急に頭を上げて、何か意味あみのために発明されたものですからね。しかし、礼儀なんか の話は後廻しにしましよう。わたしはいま脱線ばかりしてい りげにわたしをちらと見て、言葉をつづけた。 「ねえ、わが詩人、わたしはあなたにひとつ自然の秘密をうますから、後で忘れたら注意してください。ただ結論とし ち明けようと思うんです。それはあなたの全然ごぞんじない て、次のようにいっときましよう。あなたは悪行、淫蕩、不 ことだろうと想像するんですがね。あなたはきっとわたしを道徳の点で、わたしを非難しておられますが、もしかした 罪人だ、下劣な人間だ、いや、それどころか、淫蕩と悪業のモら、わたしはただ人よりも露骨なのが悪いだけかもしれませ ンスターだとおっしやるでしよう、それはちゃんと確信してんよ。さっきもいったように、人が自分自身にさえも隠して いるようなことを、わたしは平気で明るみへさらけ出す、た います。しかし、わたしはかまわずいってしまいますがね、 : こ , つい、つやり一刀 もしかりにこういうことがあったとしたら ( ただし、人間のだそれだけのことじゃないでしようか : 本性からいえば、そういうことは決してあり得ないのですは、穢らわしいに相違ないけれども、しかしいまわたしはそ ういうふうにやりたいんです。もっとも心配ご無用」と彼は が ) 、もしかりに、われわれの一人一人が、自分の心の底に 8

2. ドストエーフスキイ全集3 虐げられし人々

恥さらしのことに違いないんですもの。そんなことをいった 心得ながらそういった。 「まだ知らないんだね ? 近づきになりたまえ。そら、アレら、舌が腐ってしまうわ」 グサンドラ・セミョーノヴナ、お前に紹介するが、これは文「ふん、忘れたんだろう ? 」 よー ・ : おのれ 壇の将軍なんだよ。これは一年に一ペんくらいただで拝まし 「忘れるもんですか、ペナテス ( 古 家族の護神 ) てもらえるだけで、そのほかの時は、お金を払わなくちゃなのペナテスを愛すべし、っていうんじゃないの : : : 本当に、 ペナテスなんて、ま なんてことを考え出したもんだろう ! らないような方なんだよ」 「あら、また私を馬鹿にして。あなた、どうかあの人のいうるつきりなかったかもしれやしないわ。それに、なんだって いつも出たらめ ことなんか聞かないでくださいまし。始終わたしをからかっそんなものを愛さなくっちゃならないの ? てばかりいるんですからね。この方、どういう将軍でいらっ ばっかし ! 」 「その代わり、マダム・ププノヴァのところでは : しやるの ? 」 「ちえつ、ププノヴァなんかよしてちょうだい : 「だから、特別な将軍だといってるじゃないか。おいきみ、 閣下、おれたちのことを馬鹿な連中だなんて思わないでくれ こういって、アレグサンドラはかんかんに怒って、駆け出 してしまった。 よ。ちょっと見よりはすっと利ロなんだからね」 「ねえ、この人のいうことを聞かないでくださいまし ! 年「さあ、時間だ ! 出かけよう ! あばよ、アレグサンド ラ・セミョーノヴナ ! 」 中、人さまの前で恥ばかりかかせて、厚かましい人ったらー わたしたちは外へ出た。 せめて一度くらい、芝居にでも連れてってくれればい、 「さて、ヴァーニヤ、まず第一に、あの辻馬車に乗ろうじゃ 「それよか、自分の家の芝居を好きになんなさい、アレグサないか。これでよし、と。第二には、さっききみと別れてか ンドラ・セミョーノヴナ : : : こいつを好かなくちゃいけない ら、おれはまたちょいと聞き込んだことがあるのだが、それ は当て推量じゃなくって、確かな話なんだよ。おれはあれか ってことを、忘れやしないだろう ? あの一ことを忘れやし らまる一時間も、ヴァシーリエフスキイ島にいたのさ。あの ないだろうな ? おれがいつも教えてやってるやっさ ! 」 「そりや忘れやしないわ。きっとつまらないことなんでしょ太鼓腹のやっ、あきれ返った悪党で、胸の悪くなるようない やらしい男なのさ。いろいろ手の込んだ手品をつかやがっ 、つ・よ」 て、おまけに下卑たことの好きなやつなんだ。あのププノヴ 「ふむ、そんなら、どういう言葉かいってごらん ? 」 「お客様の前で恥をかくようなことをいうもんですか。何かアって女ももうずっと前から、そういった方面でこそこそ酌 ひと

3. ドストエーフスキイ全集3 虐げられし人々

いよ。わたしならこそお前の気持ちがよくわかっているけれ一杯くわせ、伯爵にもこっちを尊敬させてやろう、とこう思 8 ところで、その手際はどうだろう ? たち ど、あの人たちはわかっちゃくれないからね、とこういうのったわけさ、 だ。どうも見たところ、お父さん自身も、社交界でよく扱わまち完全に目的を達してね、たった一日やそこいらで、何も かも状況一変さ ! ナインスキイ伯爵も、今じやばくをどこ れていないらしい。何かわけがあって、みんな腹を立ててい るらしいんだ。概して、社交界の人たちは今お父さんを嫌っへ坐らせたらいいかわからないような有様なんだからね。し ているのさ。伯爵は初め恐ろしく尊大な態度で、それこそ頭かも、それはみんなばくが独力でやったんだよ、自分の策略 から見下ろすようなあしらい方なんだよ。ばくが自分の家ででね。だもんだから、お父さんもただ呆気にとられて、両手 大きくなったことさえ、すっかり、忘れていた様子でね、 を拡げるばかりなのさー 「ねえ、アリヨーシャ、あなたそれより肝腎の話をしたらど 首を捻って想い出したほどだよ、まったくー 伯爵はばくが 恩知らずだといって、腹を立てるんだけど、何もばくとしちう ! 」とナターシャがじれったそうに叫んだ。「何かあたし や、忘恩の振舞いなんかした覚えがないんだ。ただ伯爵の家たちのことをお話なさるのかと思ったら、あなたはただ自分 がナインスキイ伯爵のとこで、手柄を立てたことや何か話し が恐ろしくつまんないので、まあ、自然と出入りしなくなっ たいだけなのね。あなたのご自慢の伯爵なんか、あたしにな ただけの話さ。伯爵はお父さんにまで、ひどくそっけのない 態度でね、そのそっけなさといったら、どうしてお父さんがんの用があると思って ? 」 あんなところへ出入りするのか、合点がいかないくらいなん「なんの用があるって ! あれを聞きましたか、イヴァン・ いや、これ ベトローヴィチ、なんの用があるかですってー だ。ばくはそれやこれやで、すっかり憤慨してしまったよ。 こそ一等大切な用件なんだよ。今にきみも自分でなるほどと かわいそうに、お父さんはこの人の前で、膝を曲げなくちゃ ならないんだが、それというのも、みんなばくのためだって思うから。だんだんしまいになるとわかって来るよ。が、ま あ、とにかく話させておくれよ : : : それにまた ( だって、何 ことは承知しているものの、ばくとしちゃなんにもいらない んだからね。ばくはお父さんに、自分の感じたことをいっても明けすけにいってはならないって法はないだろう ! ) 実は ね、ナターシャ、それからあなたも聞いてください。イヴァ しまいたかったんだけれど、結局、控えちゃった。それに、 いったって仕方がないものね ! お父さんの確信をひるがえン・ベトローヴィチ、ばくは本当にどうかするとひどく、本 すことができるわけでもないのに、ただ気持ちをいらいらさ当にひどく無分別なことがあります。いや、それどころか、 せるばかりだもの、それでなくたって、お父さんは苦しいんおまけに ( まったくそういうことも時おりあるんですよ ) 、 だからね。そこで、ひとっ策略を用いて、みんなをまんまとてんで馬鹿といっていいくらいです。ところが、今度はまっ

4. ドストエーフスキイ全集3 虐げられし人々

て出るなんて、 しいもの好きじゃありませんか。もちろん、 ですな。さて、どうお思いですか、あなたは結婚されたらい お仲間のさる文士がどこかで、こんなことさえいったのは覚かがです ? ごらんのとおり、わたしはいま完全に別の話を えていますがね。 もし人が人生において脇役のみに満足しているんですよ。どうして、そんなびつくりした顔をし するを得るならば、これに優る偉大なる功業は他になかるべて、わたしをごらんになるんです ? 」 し : : : 確かこんなふうでしたな ! それについては、わたし 「あなたがすっかり話しておしまいになるのを待っているん もどこかで話を聞きましたが、なにしろアリヨーシャは、あです」とわたしは実際びつくりして、相手を見ながら答え なたの許嫁を横取りしたんですからね。わたしはちゃんと知た。 っていますよ。それだのに、あなたはまるでシルレル気取り 「なに、改まっていうまでもないことですよ。もし一時的で で、あの二人のために身を粉にして、一生懸命にお務めをな な、、確実な真の幸福をあなたのために望んでいる友人のだ さるばかりカ ) 、ほとんど走り使いをしないばかりじゃありまれかが、若くて美しい、けれど : : もう幾らか経験のある娘 せんか : : こんなことをいっては失礼だが、それはなんだかをあなたに世話するものがあったら、あなたはなんとおっし 寬大な気持ちを見せびらかす、つまらない芝居ですよ : : : 実やるでしような、それが実は伺いたいので。わたしは譬喩的 際よくあなたは嫌気がささないものですね ! 恥っさらしな にいってるのですが、あなたは察してくださるでしよう。ま : もちろ くらいですよ ! もしわたしがあなただったら、腹が立ってあ、たとえばナタリヤ・ニコラエヴナみたいな : 死んでしまったでしよう。第一、恥っさらしですよ、恥っさん、相当の礼金はついているのです : : : ( 断わっておきます らしですよ ! 」 が、わたしは別の話をしているので、われわれの件じゃない 「公爵 ! あなたはどうやらわたしを侮辱するために、わざのです ) 。え、なんとおっしやるでしようね ? 」 わざここへ引っ張って来られたようですね ! 」とわたしは怒 「わたしは : : : あなたが気がちがったのだ、といいましよう りにわれを忘れて叫んだ。 「おお、どういたしまして、あなた、そんなことはありませ「ははは、おや ! あなたはわたしをぶん撲らないばかりの ん。わたしは今ただもう事務的な人間にすぎないので、あな勢いですね ! 」 々たの幸福を望んでいるだけですよ。要するに、あの件をまる わたしは本当に彼に飛びかかろうとした。これ以上は我慢 しく納めたいのです。しかし、あの件はしばらく措いて、わた ができなかったのである。彼はまるで蛇か、大きな蜘蛛のよ らしのいうことをしまいまで聞いてください。そして、ほんのうな印象を与えたので、わたしは足で踏みにじってやりたく 二、三分間だけでも、せいぜい冷静にしていただきたいものてたまらなかった。彼はわたしを嘲笑して、その効果を楽し

5. ドストエーフスキイ全集3 虐げられし人々

国でか、証明書はどこにあるか、そんなことはいっさいわかの娘だってことなんだ、 これがわかるかい ? 」 らない。そこですよ、きみ、ヴァーニヤ、おれはいまいまし 「そんなことがあろうはずはない ! 」とわたしは叫んだ。 さに、われとわが髪の毛を引きむしらないばかりにしなが 「おれ自身ですら、初めのうちは「そんなことがあろうはず ら、それこそさがしたわ、さがしたわ、まったく昼夜兼行でまよ、 冫オし ! 』とひとり言をいったものだ。今でさえどうかする さがし廻ったよ , と、『そんなことがあろうはずはない ! 』と自分で自分にい 「とどのつまり、おれはスミットをさがし出したが、その途うくらいだからな。ところが、面白いことには、それが大き 端に、爺さんころりと死んじゃった。おれなんか、とうとう にあり得ることで、十中の八九までは本当なんだよ」 生きた顔を見ないじまいだったよ。そのとき偶然、こっちに「違うよ、マスロポーエフ、それは違うよ、きみは夢中にな とってはうさん臭いある女が、ヴァシーリエフスキイ島で死り過ぎたんだ」とわたしは叫んだ。「あれはそんなことは知 んだという話が、ふとおれの耳に入ったのさ。一通り調べらないばかりでなく、本当に私生子なんだよ。第一、母親だ て、手蔓がついたものだから、さっそくヴァシーリエフスキがね、たとえほんのちょっとした証書でも持っていたら、こ イへ飛んで行ったところ、覚えているだろう、そのとききみのペテルプルグで経験したような、あんなむごたらしい運命 にひょっこり会ったってわけだ。手つ取り早くいえば、これを、じっと忍んでいられるものじゃないし、それにわが子を についちゃ、ネルリもいろいろな意味でおれの助けになったあんな天涯に寄る辺のない身の上にして、ほって置かれるわ けがないじゃないか。たくさんだよ ! そんなことがあろう 「きみ」とわたしは彼をさえぎった。「きみはネルリが知っはずはない」 てると思 , つかい ? : 「おれもやつばりそう思っていたよ、いや、今でさえそれが 「何をさ ? 」 一つの疑問として、おれの目の前に立ちふさがっているくら 「自分が公爵の娘だってことを」 いなんだ。ところで、スミットの娘は世にも珍しい気ちがい 「ほら、きみ自身だってちゃんと知ってるじゃないか、あれじみた、わけのわからない女なんで、そこが問題なんだよ。 が公爵の娘だってことは」と彼はなんとなく毒々しい非難のあれは実にふう変わりな女だったのさ。まあ、きみ、よくい 表情で、わたしを睨みながらいった。「え、なんだってそんっさいの事情を思い合わせてみたまえ。なにしろ、これはロ な暢気な質問を持ち出すんだい、きみもおめでたい人間だなマンチズムなんだから。とはうもない気ちがいじみた、まる あ。肝腎なのはそんなことじゃありやしない。肝腎な問題で、星の世界の出来事みたいな、馬鹿げた話なんだからね。 あ は、あれが単に公爵の娘というのではなくて、公爵の法律上これだけのことを考えてみたってわかるじゃないか、

6. ドストエーフスキイ全集3 虐げられし人々

ったのである。彼は小机に向かって腰を下ろし、わたしを待た。 っ間、何かの本のページをめくっていた。 「実はね、きみ」と彼はまた切り出した。「おれは尻尾を抑 「途中から引っ返したよ、ヴァーニヤ、いま話してしまったえたんだ : : といっても、本当のところ、まるつきり抑えも ほうがいい と思ってね。まあ、坐れよ。ほかでもないんだ しなければ、尻尾なんかてんでありやしなかった。ただそん が、実に馬鹿馬鹿しいこと、というより、むしろ癪に触る話な気がしただけなのさ : : つまり、何やかやを考え合わせ でね : : : 」 て、おれはこういう結論を引き出したんだ、ネルリはひょっ 「いったいなんだい ? 」 としたら : : : まあ、手つ取り早くいえば、法律上れつきとし ひと 「あの公爵の畜生、すっかり俺の細癪を破裂させやがったんた公爵の娘じゃあるまいか、とね」 だ、もう一一週間前のことだがね。そのやり方のひどいことっ 「きみ、何をいうんだ ! 」 たら、今でも腹が立ってたまらんくらいだよ」 「ほうら、さっそく「何をいうんだ ! 』などとわめき出し 「なんだね、何ごとなんだね ? きみはいったい、まだ公爵た。いやはや、こういう連中を相手には、まったく何一つ話 と関係しているのかい ? 」 ができやしない ! 」と彼は叫び、もの凄い勢いで片手を振っ 「ふん、きみはいま「なんだね、何ごとだね ? 』ときたね。 た。「おれが何かはっきりしたことでもいったかね、軽はず まるで、どんな一大事が起こったかと思うようだ。ヴァーニみな男だー いったいおれがあの子のことを、法律上れつき ヤ、きみは家のアレグサンドラ・セミョーノヴナと、そっく とした公爵の娘ってことが証明されたとでもいったか、 ? めろう いったかいわないか ? : りそのままじゃないか。概して、あのやり切れない女郎ども に瓜二つだ : : : おれはあまっ子にや我慢できないよ ! ちょ 「ねえ、きみ」とわたしは烈しい興奮に駆られながら、相手 っと鴉がかあと啼いても、すぐ「なんですの、何ごとですをさえぎった。「お願いだから、そうどならないで、はっき の ? 』ってきやがる」 り正確に説明してくれないか。まったくちゃんと話してくれ 「まあ、そう怒るなよ」 りや、のみ込むよ。考えてもみたまえ、その話がどれほど重 「なに、おれはちっとも怒ってなんかいやしないさ、すべて大なことか、そしてその結果がどんなことになるか : 々物ごとは誇張しないで、普通の目で見なくちゃならんからな 「それ、それ、もう結果だなんて、いったいなんの結果なん 人 : そ、つともさ」 だい ? どこに証拠があるのだ ! 仕事ってものは、そんな 彼は相変わらずわたしに腹を立てているかのように、しばふうにやいかんよ。おれは秘密できみに話してるんだが、な 虐らく押し黙っていた。わたしはその沈黙を破ろうとしなかっぜこんな話をきみに持ち出したかってことは、後で説明する

7. ドストエーフスキイ全集3 虐げられし人々

ものである。が、こういった重苦しい気持ちは、間もなく消 た。「あたし胸苦しいくらいですわ、ヴァーニヤ。お父さん えてしまった。わたしは、彼女がまったく別な望みを持ってはきっと寝たときでさえ、あたしの夢ばっかり見てらっしゃ るのよ。お父さんは、あたしがどうしてるか、どんなふうに いることをさとった。彼女はただわたしを愛しているのだ、 限りなくわたしを愛しているのだ、わたしなしには生きてい暮らしているか、何をいま考えているか、そんなことよりほ けないのだ、わたしに関するいっさいのことに、心をつかわか、きっと何一つ念頭にないんだと思いますわ。あたしがち よっとふさいでいても、すぐそれがお父さんに響くんです ずにいられないのだ。どんな妹にしろ、ナターシャがわたし を愛したようには、自分の兄を愛することはできないだろの。だって、あたしにはちゃんと見えてるんですもの。お父 う、わたしはこんなふうに考える。目前に迫った別離は、彼さんはときおり自分で自分を抑えつけて、おれはナターシャ 女の心に重くのしかかり、そのためにナターシャが悩んでい のことなんか、くよくよしちゃいないぞ、って様子を見せよ ることは、わたしにもよくわかっていた。またわたしにしてうと、無器用な努力をしていらっしゃいますの。わざとらし も、彼女なしに生きていかれないことを、彼女も同様に承知く快活な振りをして、自分でも笑ったり、人も笑わせよう していた。わたしたちは近い将来のことを、こまごまと話しと、骨折ってらっしやるんですのよ。そういう時は、お母さ んも気が気でなくなって、お父さんの笑い声なんか真に受け 合ったくせに、この点にはまるで触れようとしなかった。 わたしはニコライ・セルゲーイチのことをたずねた。 ないで、溜め息ばかりついていらっしゃいますわ : : : ああい うおり、うまくごまかせないんですのよ : : : 正直なもんです 「もうやがて帰って見えると思いますわ」とナターシャは答 から ! 」と彼女は笑いながらつけ加えた。「そういうわけで えた。「お茶の時刻には帰るって約東でしたから」 ね、今日あたしのところへ手紙が来ると、お父さんは、あた 「相変わらず勤めロのことで忙しくしてるんですか ? 」 しと目を見あわせたくないものだから、さっそく、逃げ出さ 「ええ。もっとも、勤めロのほうは、今ではもう大丈夫、 違いなしなんですの、それに、今日は別に出かける用なんかずにはいられなかったんですの : : : あたし、お父さんが世界 中のだれよりも、自分自身よりも好きですわ、ヴァーニヤ」 ないはずですけど」と彼女はもの思わしげにつけ加えた。 「明日だって用は足りるはすなのに」 と彼女は首を垂れて、わたしの手を握りしめながらいい添え 々 た。「あなたよりかも : 「じゃ、なんで出かけたのでしよう ? 」 わたしたちは二ど庭を歩いた。と、彼女は再び口を切っ し「それはね、あたしが手紙を受け取ったから : : : 」 ら「お父さんはあたしのことを心配するのが、すっかり病気にた。 なってしまってね」としばらく無言の後、彼女はいい足し 「今日マスロポーエフが家へ来ましたわ、昨日も寄ったんで こうべ

8. ドストエーフスキイ全集3 虐げられし人々

出入りしていますからね : : : 」 りませんか ? 」 彼はからからと笑い出した。 「わかっていますよ、年に一度くらい、公爵のところへい らっしやるのでしよう。わたしがあなたにお目にかかったの 「ところで、あなたはある人の利害を見守っておられるか も、あすこの家でしたよ。それ以外の時は、年中デモグラチら、わたしが何をいい出すか、聞きたかったのでしよう、そ ッグな誇りの中に閉じこもって、ご自分の屋根裏で不景気な うでしよう ? 」と彼は意地わるげな微笑を浮かべて、つけ加 えた。 顔をしておられるのでしよう。もっとも、あなた方の仲間 が、だれも彼もそうしているわけじゃありませんがね。中に 「まさにおっしやるとおりです」とわたしは我慢しきれなく は、わたしでさえ顔負けするような猟奇家もあって : : : 」 なって、さえぎった ( わたしの見るところによると、彼は少 「公爵、もうこんな話はやめて、二度とわたしたちの屋根裏しでも、相手が自分の権力内にあると見てとるが早いか、さ っそくそれを相手に思い知らせずにはいられない、そういう には触れないでいただきたいものですね」 「おっと、これは、これは。もう腹をお立てになったのです人間の一人であった。ところで、わたしは彼の権力内にあっ か。それにしても、あなたご自身、うちとけた話をしていし たのだ。わたしは彼の話そうとしていることを、すっかり聞 って許可を与えてくだすったはずですが。しかし、失礼しまかずには、帰るわけにいかなかった。彼はそれをよく知って した。わたしはまだあなたの友情を辱けのうする資格などな いたのである。彼の調子は俄然一変して、しだいにずうず かったはずです。これは相当な酒だ。やってごらんなさい」 うしくも馴れ馴れしい、嘲けるような調子に移っていった ) 。 「まさにおっしやるとおりです。つまり、それがためにここ 彼は自分のびんからわたしのコップに半分ばかり注いでく れた。 まで来たんです。さもなければ、まったくのところ、こんな こんなに遅く」 「ねえ、おわかりでしよう、イヴァン。ベトローヴィチ、友とこに坐ってはいなかったでしよう : ・ : ・ 情の押し売りなんてものは不躾なものだってことを、わたし わたしは、さもなければ、決してあなたといっしょに、居 はよく心得ているんですからね。なにしろ、わたしたちのだ残りはしなかったでしよう、といいたかったのであるけれ れも彼もが、あなたが考えておられるはど不作法で、横柄など、そういわないで、いいまわしを変えてしまった。それ 々わけじゃありませんよ。なに、あなたがわたしとこうしてい は臆病のためではなく、わたしのいまいましい弱気と、デリ しっしょに坐っておられるのも、わたしに好意を持っていらっカシイから来たことである。また、実際、たとえ相手がそれ らしやるからじゃなくて、わたしがあなたにお話しようと約東に相応した人間であるにもせよ、またこちらが乱暴をいって したからで、これまたちゃんと心得ていますよ。そうじゃあやろうというつもりであったにもせよ、どうして他人に面と幻

9. ドストエーフスキイ全集3 虐げられし人々

らせながら、旅行中に眺めた紺碧の空や、雪と氷に閉された しの想像にうかんでくるのであった : 高い山や、山間の滝のことなどを物語った。それから、イタ が、とうとうネルリは気分が悪くなってきたので、もとの リアの湖水や、渓谷や、花や、木や、村の住民や、その服装寝床へつれて行かれた。老人はびつくり仰天して、ネルリに や、彼らの浅黒い顔や、真 0 黒な目などについて語 0 た。いああ長くしゃべらせたのを口惜しがっていた。彼女は、何か ろいろな人に遭遇したことだの、彼らの身の上に起こったこ失神に似た発作が起こったのである。それがようやく納まっ とだのも話した。また大きな都会や宮殿、忽然と色とりどりた時、ネルリはぜひともわたしに会いたいといい出した。何 の灯火に飾られる円屋根をのせた高い寺院の話もした。それ かわたし一人だけに話したいことがあったのである。彼女の から、空も海も碧瑠璃の色をした暑い南方の街の話もした乞いがあまりに執拗なので、今度は医者も自分から、彼女の : ネルリが自分の追憶を、こんなに詳しく聞かせてくれた望みをかなえてやったほうがいい と主張したほどである。 ことは、かってなかった。わたしたちは注意を緊張させて、 で、一同は病室から出て行った。 聴いていた。今まで、わたしたちが彼女について知ったの 「ほかでもないんですけどね、ヴァーニヤ」とわたしたちが は、別の種類の追憶のみであった。それは頭を圧迫し麻痺さ二人きりになった時、ネルリはいい出した。「ここの人たち せるような雰囲気に包まれ、黴菌だらけの空気に充満した、 は、あたしがい っしょに行くものと思ってらっしやるんでし 暗い、陰鬱な都会に属するものである。そこでは豪華な宮殿よう、あたし知ってますわ。でも、あたし行きません。だっ も年中泥濘に穢され、日光もにぶくどんよりとして、住んでて、行けないんですもの。でね、当分の間あなたのところに いるのは半ば気の狂った意地の悪い人々で、そのために彼女いますわ。そのことをあなたにいっておきたかったの」 は母親と共に、数々の憂き目を忍ばねばならなかったのであ わたしは彼女を説き伏せにかかった。イフメーネフの家で る。すると、わたしの想像には、彼女ら二人がじめじめした は、みんなが彼女を心からかわいがって、生みの娘同然に考 うっとうしい晩、汚い地下室で、貧しい寝床の中に相擁しなえているから、もし彼女がこの家を去れば、みんなひどく残 がら、自分たちの過去や、亡きへンリッヒや、他国の珍しい 念がるだろう。ところが、わたしのところへ来たら、その反 ことどもを、追想している姿が浮かんできた : : : それから更対に、彼女の生活はたいへん苦しくなるだろう。こういうわ 々 に、母の亡き後、ネルリが一人きりになって、ププノヴァか けで、わたしは彼女を非常に愛してはいるけれども、別れる しら残忍非道な仕打ちを受け、うつ、ける、なぐるの虐待までよりほかしようがない、といった。 らされながら、無理やりに穢れた所行を強いられようとしてい しいえ、駄目なの ! 」ネルリはどこまでもいい張った。 様た時分に、これらのこといっさいを追想している姿も、わた 「だって、あたししよっちゅうお母さんの夢を見るんですけ

10. ドストエーフスキイ全集3 虐げられし人々

あこの人に聞いてごらん。わたしたちはこの戸口に立ちどまこでああいうことがあった直後、まる四日間も、自分にとっ 8 りながら、命と足が無事だったことを、神様に感謝したものて世界中の何ものよりも尊いはずの女を、ないがしろにする だよ。その時、すぐわたしの頭にどんな考えが浮かんできた なんて ! お前はカチェリーナ・フヨードロヴナとの議論ま か、知っているかい ? お前がそれほどナタリヤ・ニコラヴで引合いに出して、ナタリヤ・ニコラエヴナはたいへん寛大 エナを愛していながら、このひとをこんな家に住まわせて、 な人だから、お前の過失をゆるしてくれるだろう、といったっ よく平気でいられるものだと、わたしはあきれ返った次第だけね。だが、お前はどんな権利があって、そういうゆるしを よ。もし自分に資力がなければ、もし自分の義務を果たすだ当てにしたり、それで賭けまですることができたんだろう ? けの力がなければ、夫となる権利もなく、なんらの義務をもお前はこの四日間に、どれだけのくるしみと、どれだけのつ 身に負う権利がないということに、どうしてお前は気がっからい思いと、どれだけの疑惑を、ナタリヤ・ニコラエヴナに なかったのだ。ただ愛情だけでは十分でない。愛情は行為にもたらしたか、一度もそれを考えたことはなかったのかね ? よって現われるものだ。ところが、お前の考え方は、「たとまさかお前がえたいの知れぬ新思想に夢中になったために、 えおれと苦しんだってかまわない、おれといっしょに暮らす自分の第一の義務をないがしろにしていい権利ができたのじ 力しい』というのだが、それじや人道的でない。それは潔白ゃあるまい ? ナタリヤ・ニコラエヴナ、お約東にそむいた なやり方じゃないよ ! ロでは博愛を語り、一般人類的問題のをゆるしてください 。しかし、今の問題は、あの約東以上 にうつつを抜かしながら、同時に愛に悖る犯罪を行なって、 に重大なんですから。あなたもそれはわかってくださるでし しかもそれに気がっかないなんて。 ふつふつ合点がいか よう : : : アリヨーシャ、わたしがここへ来てみた時、ナタリ どうか話の腰を折らないでください。ナタリヤ・ニヤ・ニコラエヴナがどんな苦しい思いをしておられたか、お コラエヴナ、わたしにしまいまでいわしてください。わたし前は知っているのか。お前はこのひとの生涯で、最も楽しい はあまり苦々しいので、思うことをすっかりいわずにはいら日であるべきこの四日間を、あべこべに地獄のようなものに れません。アリヨーシャ、お前はこの三、四日というもの、 してしまったのは、わかりきった話じゃないか。 一方では、 すべて高潔な、美しい、潔白なものに、夢中になっていたとそんな行為をしておきながら、また一方では、口さきばかり いう話だね。そして、われわれの社会には、そうした高尚なの言葉、言葉、言葉だ : : いったいわたしのいうことが間違 熱中というものがなく、あるのはただひからびた分別ばかり っているかね ! お前自身が四方八方悪いことをしていなが だといって、わたしを責めたね。ところが、よく考えてごらら、しかもそれでわたしを責めることができるのか ? 」 ん、高尚な美しいものに夢中になって、しかも火曜日に、 公爵は自分のいい分を終わった。彼は自分の雄弁に釣り込