よっと寄っただけで、どこかへ無性に急いでいた ンナ・アンドレエヴナには、手紙を出すことができなかっ た。一どわたしがナターシャの病気の時に知らせの手紙をや「いやはや、きみ、おれもきみが大して立派な暮らしをして いるとは思ってなかったが」と彼はあたりを見廻しながらい ったら、これからは決して二度と手紙などよこさないでくれ った。「しかしこんな長持ちみたいなとこだとは、思いも寄 と、自分のほうからわたしに頼んだものである。『それに、 らなかったよ。まったくこれは長持ちだよ。人間の住居じゃ お爺さんもお前の手紙を見ると難かしい顔をするんですよ』 と彼女はいった。「かわいそうに、あの人は手紙の中に何がありやしない。だが、まあ、そんなことはなんでもないとし たって、一等いけないのは、きみがこんなふうに人のことば 書いてあるか知りたくもあるし、それかといってきくことも できないでしよう、そんなことを思い切って口に出せないのかり心配して、自分の仕事をおろそかにするってことだ。お でね。そのために一日じゅう機嫌が悪いんですよ。それにれはもう昨日二人でププノヴァのとこへ出かけて行くときか ね、あんた、わたしも手紙なんかもらうと、気がいらいらすら、そう思ったよ。おれはな、ヴァーニヤ、生まれつきの性 るばかりさ。ねえ、十行やそこいらの文句では、どうもしょ質からいっても、社会上の位置からいっても、自分では何一 うがないじゃないの。いろいろと詳しいことがききたくってつまとまったことを仕出かさないくせに、ほかのものには、 も、あんたが傍にいないんですからね』こういうわけで、わ仕事をしろ、仕事をしろ、とお説教をする、そういったふう たしはナターシャ一人にだけ手紙を書いて、薬局へ処方箋をの人種に属しているのさ。さて、おれは明日か明後日、きみ んとこへ寄るかもしれないが、きみは日曜日の朝に必すおれ 持って行くとき、ついでに手紙を出しておいた。 その間に、エレーナは再び眠りに落ちた。夢の間に、彼女んとこへ来てくれないか。その頃までにや、この娘の問題も はかすかに呻き声を立てたり、身陳いをしたりした。医師の綺麗に片づいてると思う。その時、きみに真剣にいうことが 察したとおり、ひどく頭が痛むのであった。時おり彼女は弱あるんだ、なぜって、きみという人間は、真面目に監督しな くちゃならんからな。こんな暮らし方をしてちゃ駄目だよ。 い叫び声を出して、目をさました。わたしを見る目つきは、 なんだかいまいましそうにさえ思われた。わたしが彼女のたおれは昨日ちょっと匂わせておいたが、今度は論理的にみつ い、とでもちりいって聞かせるから。それから、最後にきくが、きみは めに心を使っているのが、やり切れないほど苦し 々いったようであった。正直なところ、わたしはそれがつらか何かい、おれから一時金を融通してもらうのを、不名誉とで 人 も心得てるのかい ? 」 れ 「まあ、そう喧嘩腰にならなくたっていいじゃないか ! 」と 十一時にマスロポーエフが来た。彼は何か気になることが あるらしく、そわそわしている様子であった。彼はほんのちわたしはその腰を折った。「それよりきみ、昨日のあの一件
わたしはあの老人が故意に許欺をしたといって、責めている然な人間的なものたということです。そこでくり返していし わけでもなければ、かって一度もそんな非難をしたことはあますが、正直なところ、わたしはほとんどイフメーネフの人 りません。ただ自分で勝手に侮辱されたといって、騒いでい物をまるつきり知らないで、アリヨーシャとあの娘に関する るだけなんですよ。あの男は自分の委任された仕事をおろそ例の噂を、すっかり鵜呑みに信用してしまった。そこで、彼 かにして、十分目が届かなかったというところに落ち度があが故意に金を盗んだということも、信じるようになったわけ るので、以前わたしたちのかわした契約によって、そういつで : : : しかし、それはさておいて、重要な問題は、これから たふうな事柄のあるものに対しては、当然責任を負わなくちわたしがどうしたらいいかということです。あの金を放棄し ゃならないのです。しかし、じつのところ、問題はそんなこたものでしようか ? しかし、わたしがその場で、今でも自 とでもないのです。つまり、問題はわれわれの争いにあるの分の訴訟を正当と見なしていると公言したら、それはつま です。あの当時お互い同士に与えた侮辱にあるのです。一口り、金をあの男にやることになるでしよう。そこへもって来 にいえば、相互に自尊心を傷つけられたという点にあるのでて、ナタリヤ・ニコラエヴナに関する徴妙な状態を考え合わ すな。わたしもあの時、そんなけちくさい一万ループリの金して見ると : : : あの男はきっとその金を、わたしに叩き返す なんかには、目もくれなかったはずなんですが、どういうわにちがいありません : : : 」 けで、どんなふうにしてこのごたごたが始まったかというこ 「そらごらんなさい、ご自分でも叩き返す、といっていられ とは、あなたもむろんご承知のこととおもいます。なるほるじゃありませんか。してみると、あなたは相手を正直な人 ど、わたしが疑ぐり深くって、もしかしたら正当を欠いてさ間と思っておられるわけですから、あの人があなたの金を盗 えいたかもしれない ( いや、たしかにあの時は正当を欠いてんだのではないということを、完全に信じていいはずです。 いました ) 、それは自分でも認めていますが、わたしはそれもしそうだとすれば、あなたはあの人のところへ行って、自 に気がっかなかったのですね。それで、あの男の無礼な態度分の訴訟を不法なものと見なすと、正々堂々声明なすったら に腹を立てて、細癪まぎれに機会を逸してはならないぞとい しいじゃありませんか。そうすれば潔白なもので、イフメー う気で、訴訟を起こしてしまったんです。あなたの目から見ネフもその時こそ自分の金を取るのだから、おそらくなんの れば、そういうことはおそらくわたしとして、あまり高潔で故障もみとめないでしよう」 ないと思われるかもしれません。それはあえて弁護しません「ふむ ! : : : 自分の金ですって、そこが問題なんですよ。い ったいあなたはわたしをどうなさるおつもりです ? あの男 : 、ただあなたにいっておきたいのは、憤怒、とくに傷つけ られた自尊心は、まだ潔白心の欠乏を示すものではなく、自のところへ出かけて行って、自分の訴訟を不法なものと認め
由な立場や、自由な決断を確保することができるんだ。今ナはそれまで食事をしないでいたのだ。 でこそ入用がないかもわからんが、さきざき何かに必要が起 こるかもしれんじゃないか。どっちにしても、これは置いて 第〃章 行くよ。これがわしの掻き集めた全部だ。つかわなかった ら、そのまま返せばよろしい。それじゃ、これでさような しかし、わたしは家へ帰るが早いか、頭がぐらぐらして来 ら ! おや、お前はなんというあおい顔をしているのだ ! て、部屋のまん中に倒れてしまった。ただエレーナがあっと まるで病人じゃないか : 叫んだのを、覚えているだけである。彼女は両手を打ち鳴ら わたしはしいて言葉を返さず、金を受け取った。なんのたし、わたしを支えようとして飛んで来た。これがわたしの記 めに置いて行ったのか、そのわけはあまりにも明瞭だった。憶に残っている最後の瞬間であった : 「ばくはやっとのことで身を支えているんですよ」とわたし それから気がついた時には、もう寝床の中に入っていた。 後でエレーナが話したところによると、ちょうどそのおり食 は答えた。 「体を粗末にしちゃいかんよ、ヴァーニヤ、本当に粗末にしべ物を持って来てくれた門番と力を合わせて、彼女はわたし ちゃいかんよ ! 今日はどこへも出かけないほうがいい。 アを長いすへ移したとのことである。わたしは幾度か目をさま ンナ・アンドレエヴナにはお前の様子を話しておくよ。医者したが、そのたびにわたしの上にかがみ込んでいる、同情に はいらんかね ? あしたまた見舞いに来るよ。少なくとも、 みちた、心配そうなエレーナの顔を見た。けれど、それらは 歩く力さえあったら、一生懸命に頑張って来るよ。これからすべて夢うつつの間に、まるで霧を透して見るように、覚え : じゃ、さよ , つなら。さよ、つなら、 ていただけである。そして、哀れな少女の優しい姿が、さな お前は横になんなさい : こがら幻か絵のように、前後もわからないわたしの目の前に、 娘さん、あっちを向いちゃった ! おい、ヴァーニャー こにもう五ループリある、これをあの娘にやってくれ。もつ見え隠れするのであった。彼女はわたしに飲むものをすすめ とも、わしがやったのだとはいわずに置いて、なんとなしに たり、蒲団を直したり、悲しげなおびえたような顔つきでわ たしの傍に坐ったまま、かわいい指でわたしの髪の毛を撫で あの娘のことに使ってくれ。まあ、そのなんだ、靴だとか、 たりした。一度なそは、彼女がそっとわたしの顔に接吻した 々肌着だとか、なんだって入用なものはできてくるからな , のをおばえている。それからまたある時は、ふと夜中に目が しそれじゃ、さよ , フなら : : : 」 らわたしは彼を門まで見おくった。食べるものを買いに行くさめて、長いすの傍の小テープルの上に点っている燃えっき んばかりの蝋燭の光に透して見ると、エレーナはわたしの枕〃 ように、門番に頼まなければならなかったのである。エレー
めをいったかな ? どうもしようのないお転婆娘だ、腹をかナターシャが項を垂れて、唇を半ば開きながら、ほとんどさ かえてわしのことを笑いおる ! わしはな、お前たち、学者さやくように、「ええ」といったのを、自分の耳で聞いたの じゃないけれども、感じることは人並みにできるよ。まあ、 である。しかし、老夫婦もやがてそれを知った。いろいろと 顔なんかどうでもいいとしとこう。そんなことは大した問題さきのことを考えて、思案したものである。アンナ・アンド じゃないよ。顔なんてものは、わしの目から見れば、お前のレエヴナは、長いこと首を縦に振らなかった。彼女は不思議 顔だってけっこうなもんで、わしは大いに気に入ってるくらなような、恐ろしいような気持ちがしたのである。わたしに ・ : なに、わしはそんな意味でいってるんじゃない 信頼がおけなかったのだ。 「なるほど、そりゃうまく当たったからいいようなものの、 ただな、ヴァーニヤ、正直にやりなさい、正直でなけりやい かんよ、これが肝腎な点だ。正直なくらしをして、とんでも イヴァン・ベトローヴィチ」と彼女はいった。「もし急には ない野望をいだくんじゃないそ ! お前には洋々たる前途がすれるとか、まあ、何かそんなふうのことがあったとすれ あるのだから、自分の仕事に正直につとめるがいし わしはば、その時どうします ? せめてお前さんがどこか勤めにで このこ これだけのことがいいたかったのだ、ほかでもない、 も出てりやいいんだけどね ! 」 とがいって置きたかったんだよ ! 」 「じゃ、こ , ついうことにしょ , つ、ヴァーニヤ」と亠七人はさん それはなんという愉しい時代であったか ! わたしはひまざん考えたあげく、はらを決めていい出した。「わしもちゃ さえあると、毎晩のように彼らのところへ遊びに行った。老んとこの目で睨んでいた、気がついていたんだよ。そして、 人には文壇や、文学者の消息を持って行ってやった。どうし正直なところ喜んでいたさ、つまり、お前とナターシャが たものか、彼は突然そういうものに興味をいだきはじめて、 いや、何も今更こんなことをとやかくいうことはありや わたしからいろいろ話を聞いていた、の批評文さえ読み出しよ、 オし ! そこでだ、ヴァーニヤ、お前たちは二人ともまだ したのである。彼は読んでも、ほとんどなんのことかわからまだ若い身空だから、うちのアンナ・アンドレエヴナがいう なかったけれども、うちょうてんになって賞めちぎり、『北 とおり、もちっと ( 付っことにしょ , つじゃよ、 オし力。かりにお前 は才能を持っているかもしれん、それどころか、大した才能 ~ 刀の雄蜂』 ( た新聞『北方の蜜蜂』をもい 0 たもの、編集者にプルガーリン、 こよっている彼の論敵たちにひどく憤慨したものであを持ってるとしよう : ・ : ・ だが、それでも、初めみんなが騒ぎ 、とおりいっぺんの才能はあるだ る。老母は目を皿のようにして、わたしとナターシャを監視立てたような天才じゃない していたが、結局、監視しきれなかった ! わたしたちの間ろうが。 ( つい今日も「北方の雄蜂』でお前のことを書い には、もうある一言が発せられたのである。ついにわたしは批評を読んだが、どうもひどい悪口をついているじゃな、
わたしは外へ出た。あまりの意外さに、ほとんど前後も覚に出しておきながら、途中から呼びもどしてしまいなすった えぬほどであった。マヴラがわたしの跡を追って、玄関の出よ。今日になると、もうわたしと口をきこうともなさらない ロへ飛び出した。 んだからね。せめてお前さんでもあの男に会って、話をして 「どう、怒ってる ? 」と彼女はたずねた。「わたしはもう傍くれないかしらん。わたしゃあの方の傍を離れるのも、心配 へ寄るのも怖いくらいだよ」 で、心配で」 「いったいどうしたというんだい ? 」 わたしはわれを忘れて、階段を駆け下りた。 「ど、つも一っもありやしよ、 オし、うちの人がもう三日も顔をの 「晩には家へ来てくれますかね ? 」とマヴラはうしろからど よっこ。 ぞかせないんだからね ! 」 「え、三日だって ? 」とわたしはあきれて問い返した。「だ 「その時の様子次第さ」とわたしは中途から答えた。「ひょ って、ナターシャが自分の口から、あの人は昨日の朝来た、 っとしたら、ちょっと様子だけ聞きに、お前のところへ駆け それに晩にもまた来るはすだといったんだがなあ : : : 」 つけるかもしれないね、もしばくが無事に生きていたら」 「晩にまた来るも聞いてあきれる ! 朝だってまるで来なか わたしは冗談でなく、心臟のまっただ中を打ち抜かれたよ ったくせに , もう三日も顔を見せなかったって、そういっ うな気がしたのである。 てるじゃないの。本当にお嬢さんが、昨日の朝来たとおっし やったのね ? 」 第 2 章 「そうおっしやったよ」 「へえ」とマヴラは考え込みながらいった。「あの人が来な わたしはまっすぐにアリヨーシャのところへ行った。彼は かったことを、お前さんにさえうち明けなかったところを 小モルスカヤ街の父親の家に住んでいた。公爵は一人暮らし みると、よくよくつらかったんだね。いやはや、困った男ではあったけれども、家はかなり大きかった。アリヨーシャ はその中で、素晴らしい部屋を二間占領していた。わたしは 学ノー刀 / し っこ、どうしたというんだろう ! 」とわたしは叫めったに彼を訪れたことがなく、これまで確か一度しか来た 々んだ。 ことがないよ , フに思、フ。彼のほ , つはしじゅ、つわたしのところ 人 「どうもこうも、わたしゃあの方をどうしたらいいか、わけへやって来た。ことにナターシャとの関係ができた当座のう がわからないよ」とマヴラは両手を拡げながら、言葉をつづちは、なおさら頻繁であった。 虧けこ。「昨日などは、二度もあの男を呼びに、わたしを使し 彼は家にいなかった。わたしはいきなり彼の部屋に通っ
あの男を愛することができるんですか ? 尊敬もしていなけ約束をしました。でもね、あたしはあの人の誓いなんか、い れば、相手の愛情さえ信じてもいないくせに、どうしてあのまも昔も一つも本当にしてやしません、そんな約東なんか、 男のところへ行って、取り返しのつかないことをしようとすまるで眼中においてないんですの。それかって、あのひとが るんです、あの男一人のために、みんな破滅させる気になつあたしに嘘をついたのでもなければ、また嘘なんかつけない たんです ? これはいったいなんということでしよう ? あってことは、よく承知してるんですけどね。実は、あたし自 の男は一生あなたを苦しめ抜くばかりだし、あなただってご分のほうから、 いっさいあの人を東縛したくないっていった 同様でしようよ。あなたはあんまりあの男を愛しすぎますのよ、自分の口から。あの人にはそうしたほうがいいんです よ、ナターシャ、あんまり度が過ぎますよ ! そんな愛なんの。人間、だれだって縛られるのはいやですものね、あたし てば / 、にはわからない」 なんか第一番にそうだわ。でもね、あたしは喜んであの人の 「ええ、あたし気ちがいみたいに愛してるの」と彼女はまる奴隷になるわ、自分から進んでなるわ。あの人のすることな で痛みでも感じたように、さっとあおざめていった。「あならなんでも、どんなことでも辛抱します。ただあの人があた たに対しては、一度もそんなふうの愛を感じなかったわ、ヴしの傍にいてさえくれたら、ただあの人の顔を見てさえいら アーニヤ。そりゃあたしだって、自分が気ちがいだってことれたら ! よしんばあの人がほかの女を愛したってかまわな も、こういう愛し方をしてならないってことも、ちゃんと承 いって気がするくらいよ、ただあたしがそこに付いてさえい 知しててよ。あたしのあの人を愛する愛し方はよくないわられれば : : なんて穢らわしいことでしよう、え、ヴァーニ : あのね、ヴァーニヤ、あたし前から、わかっていました ャ ? 」と彼女は何か熱病やみのような、燃えるような眼ざし わ。あたしたちがこの上もなく幸福だったっかのまにも、あでわたしを見つめながら、だしぬけにこうたすねた。ちょっ の人があたしに与えることのできるのは、ただ苦しみばかりと一とき、わたしは彼女が譫語をいってるのかと思った。「ね だってことを予感していましたの。でも、仕方がないじゃなえ、穢らわしいでしよう、こんなことを望むのは ? 仕方な いの。あたし今となっては、あの人から受けるものなら、苦いわ、自分で穢らわしいことだっていってるんですものね。 しみでさえ幸福なんですもの。あたしがあの人のとこへ行くもしあの人に棄てられたら、あたし世界の涯まで追っかけて 々のは、喜びのためだと思って ? あの人といっしょこよっこ オオ行くわ、たとえあの人に突き飛ばされたって、追っ払われた しら何がさきで待ち受けているか、あの人のためにどんなこと ってかまやしない。今あなたはあたしを説き伏せて、帰らせ らを忍ばなければならないか、あたし前からわかってますの。 ようとしてらっしやるけど、そんなことをしたって何になる 虐あの人は、あたしを愛するって誓いました、ありとあらゆるでしよう ? いま帰ったって、明日はまた飛び出してしまい
てくてく昇って行ったんだね。そら、覚えているだろう、わかった、といったような話をして聞かせた。そこでわたした しと出会ったじゃないカ ええと、あれはいつだったっちは、明日にもそのことを率直に、いっさい前置きや謎を抜 け ? たしか一昨日のことらしいな」と彼は唐突にかなりざきにして、老母の口から彼に頼むことに相談を決めた。とこ つくばらんな調子で問いかけたが、それでもわたしの顔を見ろが、その翌日になると、わたしたちは二人とも恐ろしい驚 ないで、妙に目を脇へそらすようにしていた。 愕と不安に突き落とされたのである。 「友だちが一人生んでいるので」とわたしも同じく視線を横それはこういうわけであった。イフメーネフはその朝、訴 にそらしながら答えた。 訟事件の奔走をしているある役人に会った。その官吏は彼に 「ははあ ! ところで、わしは代書をさがしていたんだ、ア向かって、公爵に会って話をしたところ、公爵はイフメーネ ファナーシェアという男でな。あの家がそうだと教えてくれフカだけは自分のほうへ取っておくけれども、『ある家庭の たんだが : : : 間違いだったよ : : : さて、わしはいま訴訟の話事情で』老人に慰藉金として、一万ループリやることにはら をしていたんだな。とうとう大審院で判決になってしまったを決めている、と報告したのである。老人はその官吏のとこ よ : : : 云々、云々」 ろから、真っ直ぐにわたしのところへ駆けつけたが、すっか この事件のことをいい出した時、彼はさすがに顔をあかく りとり乱してしまって、目などは気ちがいめいた光を放って いた。彼はなんのためか、わたしを部屋の中から階段に呼び その日わたしはアンナ・アンドレエヴナを喜ばせるため出して、これから即刻公爵のところへ行って、決闘の申込み に、その話を残らすして聞かせた。ただし今度はいつもと違をしてくれと、どこまでもいい張って聞かなかった。わたし った様子をして、夫の顔を覗き込んだり、溜め息をついたは度胆を抜かれてしまって、しばらくは何一つ考えをまとめ り、謎めいたことをいわないように、一口にいえば、今度のることができなかった。ややあって、老人をおもいとどまら 老人の突っ飛な行動を知っているらしい素振りは、こんりんせようと説いてみたが、彼はめちやめちゃに腹を立てて、気 ざい見せないようにと、くれぐれも老母に頼んでおいた。彼分まで悪くなったほどである。わたしは水を取りに部屋の中 女はあまりの驚きと喜びに、初めしばらくはわたしの言葉をへ飛び込んだが、引き返してみると、イフメーネフは階段の 本当にしないくらいであった。 / 彼女はまた彼女で、例の孤児ところにいなかった。 しの一件を、さっそくニコライ・セルゲーイチにほのめかした その翌日、わたしはイフメーネフの家へ出かけたが、彼は らところ、以前老人は自分のほうからあの娘を引き取るよう もう留守だった。まる三日というもの、姿を消してしまった 虐 に、やかましくいっていたくせに、今度は黙って返事をしなのである。 引 3
残しておいた二百万ループリというお金もしだいに大きくな 婚したら、似合いの夫婦じゃありませんか、お嬢さんは無邪 って、今では三百万ループリというものが、その娘の身につ気な娘だし、うちのアリヨーシャもばんやり者だから、われ いているのだって。そこで、公爵は、これこそアリヨーシャわれであの二人を監督して、共同の後見人になったら、その の嫁さんにしなくちゃならない、と考えついたわけなのさ時はあなたもお金ができるわけです。さもなければ、何もあ ( 大丈夫、しくじりつこないよ ! 自分の得になることをのなたはわたしと結婚することなんかいらないでしよう、とこ ま がす人じゃないからね ) 。覚えておいでだろう、あの人の親うなんだって。わるごすい人間ったら、ありやしない 類に当たる伯爵で、宮内官を勤めている偉い人も、それにはるで魔法使いだ ! これは半年前の話で、伯爵夫人も決心が 異存がないのだそうですよ。なにしろ、三百万ループリとい つきかねていたけれども、今度二人でワルシャワへ行って、 えば、冗談ごとじゃないからねえ。よろしい、その伯爵夫人向こうで折合いがついたってことです。これがわたしの聞 ということになったんだとさ。そこ とよく話をするがいし いた話で、マリヤ・ヴァシーリ エヴナが底の底まで、みんな で、公爵がこちらの希望を伯爵夫人にうち明けたところ、相洗い浚い話して聞かせてくれましたよ。あのひともさる確か 手はめちやめちゃにとりみだしてくやしがったということな人から聞いたんだって。さあ、これはいったいどういうこ です。話によると、だらしのない女で、ひどいあばすれだそう とだと思いなさる、みんな金ずくじゃありませんか、何百万 だからね。ここではもうだれも、あのひとを相手にする者がとかいう。それだのに、素晴らしい娘が聞いてあきれる ! 」 ないんだって。なにぶん、外国とはわけが違うからね。伯爵アンナ・アンドレエヴナの物語は、激しい印象を与えた。 夫人がいうには、駄目ですよ、公爵、それよりまずあんた、 それは、わたしが最近、当のアリヨーシャから聞いたこと わたしと結婚してちょうだい、さもなければ、うちの娘をアと、万事びったり符節を合わせているのであった。この話を リヨーシャの嫁にやるわけにはいきません、とこういうんだ しながら、彼は決して金なんかのために結婚しない、と威張 そうです。娘は継母を夢中になるはど崇拝して、まるでお祈っていた。とはいえ、カチェリーナ・フヨードロヴナは、彼 りをあげないばかり、なんでもかでも、 しいなり次第になって に強い印象を与え、彼をうちょうてんにさせてしまったので いるんですとさ。素直な優しい子で、まるで天使のような娘ある。同じくアリヨーシャから聞いたところによると、父親 だという話です ! 公爵はその辺の事情を見抜いてしまつのほうも自分では噂をうち消してはいるものの、ある時期の て、こんなふうに持ちかけたんだって。伯爵夫人、ご心配は来るまで、伯爵夫人を怒らせないために、結婚するかもしれ いりませんよ、あなたは自分の財産をすってしまって、借金ないということであった。前にもいって置いたとおり、アリ で首も廻らない有様だが、もしお嬢さんがアリヨーシャと結 ヨーシャは父親を熱愛し、心から感心して褒めちぎり、まる
「あなたはご自分の言葉を撤回しようとしていらっしやるの田 ・失礼。とにかく、わたしはあなたを責める権利を持っていま す。だって、あなたはわたしに息子を反抗させようとして いですね」とナターシャはわれを忘れて叫んだ。「この機会を らっしやるのですからね。よしんばいま、あなたの味方をし喜んでいらっしやるのですね ! でも、はっきり申し上げま て、わたしに楯つかないまでも、、いはもうわたしに叛いていすが、わたくしはもう二日前から、ここでたった一人考えた るのです・ : ・ : 」 あげく、あなたの約東を解除してあげようと、自分で決心し 「ちがいます、お父さん、ちがいますよ ! 」とアリヨーシャ たんですの。それをいま、みんなの前で確かめておきます。 は叫んだ。「ばくがあなたに楯つかなかったのは、あなたがわたくし、お断わり申し上げます ! 」 そんな侮辱をするはずがないと信ずるからです。そんな侮辱「というと、あなたはアリヨーシャの心の中に、今までの不 ができるなんて、ばくはとても本当にできません ! 」 安や、義務の感情や、「自分の務めに対する悩み』これはあ 「あれを聞きましたか ? 」と公爵は叫んだ。 なたがさっき自分でいわれたことだが ) 、こういうものをす 「ナターシャ、何もかもばくが悪いんだ、お父さんを責めな つかりよみがえらして、もう一ど昔どおりに、あれを自分に いでおくれ、それは罪なことだ、恐ろしいことだ ! 」 縛りつけようという考えですな。実際、あなたの理論による と、そうなるじゃありませんか。だからこそ、わたしもそう 「あれをお聞きになって ? ヴァーニヤ、この人はもうわた しに逆らってるのよ ! 」とナターシャは叫んだ。 いっているんですよ。しかし、もうたくさん、時が解決して 「たくさんだ ! 」と公爵はいった。「こんな重苦しい芝居は、 くれるでしよう。わたしはもっと落ちつかれた時を待って、 もう幕にしなくちゃなりません。この方図の知れない盲目的あなたとよく話し合うことにしましよう。これでわたしたち な猛々しい嫉妬の発作は、わたしにとってまったく新しい形の関係を完全に断ってしまったのではない、と嘱望する次第 で、あなたの性格を描き出してくれましたよ。わたしはいいです。なおその他、わたしという人間をもっとよく評価する 警告を得ました。われわれは早まり過ぎました、まったく早すべも、会得なさることと期待します。わたしはあなたのご まり過ぎましたよ、あなたはわたしを手ひどく侮辱しなが両親のことについても、一つの計画をお伝えしたいと考えて いたのです。あなたもそれをお聞きになったら : : : しかし、 ら、それに気さえっかないんですからね。あなたにならそん なことはなんともないことでしようよ。早まり過ぎた : : : 早もうたくさんです ! イヴァン・ベトローヴィチ ! 」と彼は ら、 まり過ぎた : : もちろん、いったん口外した約東は神聖なもわたしの傍へ寄りながら、つけ加えた。「わたしは前か のこよ目違よ、。 : しかし : : : わたしは父親だから、わが子あなたとお近づきになりたいと望んでいたのですが、それは いうまでもないとして、いまはいついかなる時よりも、とく の幸福を希望するわけで : : : 」
はどうけりがついたんだね ? 」 は、彼はナターシャの事件も幾らか知っていた。どこからそ 「どうもこうもあるもんか、上々の首尾に納まったよ。それんな事を知ったのか、というわたしの問いに対して、 に、目的も達したしさ、ね、そうだろう ? たが、今日はも 「なんということなしに、ずっと前からさ。ある事件にひっ う暇がないんだ。いま忙しくって、きみなんか相手にしてるかかりがあって、ちらと小耳に挾んだわけだ。だって、おれ 暇がないことを、ちょっと一こといいに寄ったんだよ。それはヴァルコーフスキイ公爵を知ってるって、もうきみに話し こじゃよ、 から、ついでに、きみはあの子をどこかへ落ちつかせるつも オしか。きみがあの子をその老人たちのとこへやろう りか、それとも自分のとこへ置いとくか、それをきこうと思 というのは、なかなかいい案だよ。あれはただきみの足手纒 ってね。これはよく考えて、決めなくちゃならんことだから いになるばかりだものね。ああそうだ、それからもう一つ、 あれには何か居住証明書が要るね。それも心配無用、おれが 「それは、ばくもまだはっきりどうしていいかわからないん引き受けた。じゃ、さようなら、ちよくちよく、やって来 だ。白状するが、きみと相談しようと思って、待ちかねてい いよ。どうだね、あの子はいま寝てる ? 」 たとこなのさ。だって、どういう名目でこの娘を自分のとこ 「そうらしい」とわたしは答えた。 へ置いとけるかね ? 」 けれど彼が立ち去るが早いか、エレーナはすぐさまわたし 「ええつ、そんなことは何も、まあ、女中ということにした に声をかけた。 っていいじゃないカ 「あの人、だれ ? 」と彼女はたずねた。その声は慄えていた 、しかし依然として傲慢な目つきで、じっと穴のあくほど 「ただお願いだから、もそっと、小さな声ではなしてくれな いか。あれは病気とはいい条、とても気が確かでね、きみがわたしの顔を見つめるのであった。わたしはそれよりほかに 入って来るのを見たときも、ばくは気がついたんだけれど、形容の仕方を知らない。 なんだかびくっとしたようだったよ。つまり、昨日のことを わたしはマスロポーエフの名をいって、この人のお陰で彼 女をププノヴァのとこから救い出したこと、ププノヴァが彼 思い出したんだろう : ここでわたしは彼女の性格のことや、彼女について自分のを非常に恐れていることを話して聞かせた。彼女の頬はまる 気づいたことを、残らす彼に物語った。わたしの言葉は、マで朝焼けの空のように赤く燃え出した。おそらくあの時の追 スロポーエフの興味をそそった。なおそれにつけ加えて、も憶のためであろう。 「あの女、今度はもうここへ来ない ? 」とエレーナはさぐる しかしたら、ある一軒の家へ彼女を預けるかもしれないとい ような目つきで、わたしを眺めながらたずねた。 って、わが老人夫婦のことを簡単に話した。驚いたことに ひと