「あなたが ? 読んでみるわ : : : 」 はわたしの前にひざますいて、手や足を接吻するのであっ 彼女は何かいいたくってたまらぬらしかったが、見うけた ところ 、、いにくい様子で、それにひどく興奮していた。彼「あなたはあたしを好いてくださるわねー : 」と彼女はく 女の質問の裏には何か隠れた意味があるらしかった。 り返した。「あなた一人だけよ、たった一人だけよ ! 「それで、たくさんお金になるの ? 」と彼女は最後にこうた彼女は痙攣したような手でわたしの膝を抱きしめた。長い ずねた。 あいだ抑えつけられていた感情が、やむにやまれぬ勢いをも 「さあ、時と場合によるね。多い時もあるし、なんにもなら って、突然、一時に外部へほとばしり出たのである。時期が ない時もある。というのは、仕事がうまくいかないからさ。来るまで、純な気持ちでみずから秘めて来たこの奇妙な、頑 骨の折れる仕事なんだよ、レーノチカ」 なな心が、わたしにもわかって来る思いであった。それはお 「じゃ、あなたはお金持ちじゃないの ? 」 のれを吐露し、 っさいをうち明けてしまいたい要求が強け 「ああ、金持ちじゃないよ」 れば強いほど、ますますかたくなになり、組野になって来る 「そんなら、あたし働いて、あなたの手助けをするわ : : : 」 のであるが、やがてそのうちに避け難い発作がやって来て、 彼女はちらとわたしを見たと思うと、さっと顔をあからめ突然、われを忘れてしまうほど、自分の全存在を愛と感謝の て、目を伏せた。そして、二足ばかりわたしのほうへ近づい要求にうちまかせ、愛撫と涙に捧げつくすのである : て来ると、いきなり両手でわたしに抱きついて、ひしとばか彼女はしやくり上げて泣いているうちに、とうとうヒステ りわたしの胸に顔を押し当てた。わたしはびつくりして彼女 ーを起こしてしまった。ひしと抱きしめている彼女の両手 を眺めていた。 を、わたしはやっとの思いで振りはどいた。わたしは彼女を 「あたし、あなたが好きなのよ : : : あたし、高慢な女じゃな抱いて、長いすへ運んだ。彼女はそれから長い間、まるでわ いわ」と彼女はいった。「昨日あなた、そうおっしやったでたしの顔を見るのが恥ずかしいとでもいうように、枕に顔を いいえ しいえ : : : あたし、 しよう、あたしが高慢だって。 理めて、泣きつづけていたが、それでも小さな手でしつかり そんな女じゃないことよ : : : あたしはあなたが好き。あたしわたしの手を握りしめ、それを自分の胸から離そうとしなか 々を好いてくれるのはあなた一人きりなんですもの : : : 」 人 けれど、もう涙がこみ上げて来て、ものがいえなくなっ やがてしだいに落ちついて来た。けれど、彼女は相変わら れ らた。しばらくすると、ちょうど昨日の発作の時と同じ激しいず、わたしに顔をあげて見せようとしなかった。二度ばかり 聊力で、涙がどっとばかり彼女の胸からほとばしり出た。彼女ちらっとその目がわたしの顔を滑ったが、その中には無量の
の上に顔を伏せて、あおざめた唇を半ば開き、暖かそうな頬もの凄いほどの激しさであった。 に掌をのせて、臆病そうにねむっているのであった。けれ もうほとんど正午であった。第一にわたしの目に入ったの ど、わたしがはっきり正気に返ったのは夜の引明け頃であっ は、部屋の片隅に紐を張って引きめぐらされている、昨日 蝋燭はすっかり燃え尽きていた。ようやく明け初めたしわたしの買って来たカーテンであった。エレーナは器用にこ ののめの明るい薔薇色の光が、もう壁の上に躍っていた。工とをはこんで、自分のために特別な片隅を区切ったのであ レーナはテープルの前の椅子に腰かけて、テープルに肘づきる。彼女は煖炉の前に坐って、薬罐の湯を沸していた。わた した左手の上につかれた頭をのせて、ぐっすり寝込んでい しが目をさましたのに気がつくと、彼女はにこやかに笑っ た。今でもおばえているが、寝ている時でさえなんとなく子て、すぐさまわたしの傍へ寄った。 供らしくない、沈んだ表情をおびた、不思議に病的な美しさ 「エレーナ」とわたしは彼女の手を取っていった。「お前は にみちたあどけない顔を、わたしはつくづくと眺めたのであ昨夜よっぴてばくの看病をしてくれたんだねえ。お前がそん る。あお白い痩せた頬の上には、輻形をした長い睫毛が影をなに親切だろうとは、思いも寄らなかったよ」 落とし、その顔をふちどっている黒々とした髪の毛は、無造作 「あたしがあなたの看病をしたなんて、どうして知ってらっ にたばねられ、重そうにがつくりと脇のほうへ垂れていた。 しやるの ? あたし、夜っぴて寝どおしだったかもしれない 一方の手はわたしの枕の上にのせられていた。わたしはそう じゃないの」と彼女は人の、 しし、瓏すかしそうな、ずるい表 っとその痩せた手に接吻したが、不幸な少女は目をさまさな情を浮かべていたが、同時に自分の言葉に内気らしく顔をあ かった。ただあおざめた唇の上に、徴笑の影が滑ったように からめながら、こう問いかけるのであった。 思われたばかりである。わたしはいつまでも飽かずその顔を「ばくはちょいちょい目をさまして、何もかも見ていたんだ 眺めてしたが、 、 , やがていっともなく、穏やかな快い眠りに沈よ。お前はやっと夜明け前になって眠ったばかりじゃない んでいった。今度はほとんど十二時近くまで眠りとおした。 目がさめて見ると、もうはとんど全央したような感じであっ 「お茶はいかが ? 」こんな話をつづけるのは骨が折れるとで た。ただ手足がぐったりして、カが抜けたような気がするのもいうように、彼女はわたしの言葉をさえぎった。これはす で、ついさきはどまで病気だったことがわかるのであった。 べて純潔な、厳しすぎるほど正直な心を持った人間が、自分の こういったふうの急激な神経性の発作は、これまでにもたびことを褒めそやされるような場合に、あり勝ちなことである。 たびあったので、わたしはよく心得ていた。病気は大てい一 「もらいたいね」とわたしは答えた。「だが、お前は昨日、 昼夜ですんでしまったが、しかしその一昼夜の間の症状は、 ご飯を食べたの ? 」 / 74
ていよしよ、、、 だんだよ ( 今このペテルプルグにいて、さるパン屋の女房に オし力ということさ。なぜって見な、もしそうだ なっている女だ ) 。これが以前、ヘンリッヒにぞっこん惚れ とすれば、きみ、きみみたいな詩人的な頭でも合点がいくた ろうが、やつはおれをべてんにかけたことになるんだから込んでいて、今でも依然、十五年間、絶えず想いつづけてい 十 / . し、刀 . し 一つのほうの用件が一ループリの相場のものるというわけさ。もっとも、肥っちょのパン屋の亭主との間 に、いっか知らん間に、八人の子供をこしらえてしまったん だとすれば、もう一つのほうはその四倍からするんだぜ。だ だがね。この従妹の口から、おれはいろいろ手のこんだから もの、もし四ループリもする仕事を一ループリでしてやっ オしか。そこで、おくりをやって、まんまと一大事を探り出した。ヘンリッヒは たら、おれはいい馬鹿になっちまうじゃよ、 ドイツ人のしきたりで、この女に手紙や日記を書いてよこし れはいろいろ頭を捻って、謎を解きにかかってさ、だんだん と手がかりの糸を見つけ出したよ。じきじきやっからさぐりていたが、死ぬ前に何やかや書類を送って来たんだ。女は馬 出したものもあれば、ちょいちょい脇のほうから聞き込んだ鹿だもんだから、そうした手紙の中の肝腎なところはちっと マイン・リー ・ヘル ものもあり、おれが自分の頭を働かして、見破ったものもあもわからないで、ただお月様がどうしたとか、わが愛する 十八世紀ドイツの詩人 るというふうだ。もしきみがひょっとして、なぜそんなやりアウグスチンとか、そのほかウィーランド ハ説家、代表作英雄詩 とか、いったようなところしか目にとめなかったの 口を取ったんだときくなら、おれはこう答えよう。公爵がな ロン」 さ。しかし、おれはこの手紙のおかげで、必要な情報を手に んだかあんまり気をもんで、何かひどくびくびくものでいた、 入れて、新しい手がかりを見つけたんだ。たとえば、スミッ そのこと一つだけでも怪しかったからさ。だって、まったく のところ、その場合、何をそんなにびくびくすることがあるト氏のことや、娘が盗み出した財産のことや、その財産を横 んだろう、とだれだってそう思おうじゃないか。父親の家か領した公爵のことなどを知ったわけだが、最後にさまざまな ら情婦を連れ出して、女が妊娠したら棄ててしまった。何も感歎詞や、廻りくどい文句や、アレゴリイなどの間から、こ お愛嬌のある悪戯、との真相が顔を覗けてきた。え、どうだい、ヴァーニヤ、わ 珍しい話じゃありやしない。かわいい、 かるかい ! 確かなものといっては何もないんだ。大馬鹿者 というだけのことじゃないか。公爵みたいな人間が、そんな ことを恐れるはずがないや ! ところがさ、奴さんしきりにのヘンリッヒは、わざとこの点を隠して、ただ匂わしている 々 怖がってるじゃないか : : : それで、おれは臭いそと思ったんだけなんだが、その謎みたいな言葉や、その他ぜんたいをい っしょに合わしてみると、おれにとっちや天の妙音ともいう しだ、おれはな、きみ、とても面白い手がかりの糸を見つけた らよ。しかも、それが、ヘンリッヒのほうからなのさ。先生はべきものが聞こえて来たのさ。公爵はスミットの娘と結婚し もちろん、死んでしまったが、その従妹の一人から聞き込んていたんだぜ ! どこで式を挙げたか、また時はいっか、外 37 ノ
「どこでそれをもらっていたの、ププノヴァのとこかい ? 」彼女はつけ加えた。「それからというもの、お祖父さんはま 「いいえ、ププノヴァのとこでもらったことなんか、一度もるで気ちがいみたいになってしまったわ」 ないわ」と彼女は妙に慄えをおびた声で、きつばりといい切「してみると、お祖父さんはお前のお母さんを、ひどく愛し ていたんだね ? どうしていっしょに暮らさなかったんだろ 「じゃ、どこでもらってたの、だってお前は無一文だったのう ? 」 ドしゃよ、、 「嘘よ、愛してなんかいなかったわ、あの人は意地わるで、 いたが、その顔はさっとあおくなお母さんをゆるそうとしなかったの : : : ちょうど昨日の意地 ネルリはしばらく黙っ℃ った。やがて、じいっと長いことわたしの顔をみつめた後、わるなお爺さんみたいに」と彼女はほとんどささやくような 「あたし、街へ出て物もらいをしたのーーー五コペイカくらい低い声でいったが、その顔はいよいよあおざめていくのであ っ学 ) 。 貰いが溜まると、お祖父さんにパンだの嗅ぎ煙草だのを買っ わたしは思わす身震いした。わたしの頭の中には、一つの て、上げたわ : : : 」 「いったいお祖父さんはそんなことをさせたのかい ? ネル立派な小説の筋が閃いた。葬儀屋の地下室で死にかかってい る貧しい女、自分の娘をのろっている祖父を時おり見舞いに ネルリ ! 「あたし、初め勝手に出かけて行って、お祖父さんにはいわ行く身なし児の孫娘、喫茶店で飼大が死んでから、自分も息 を引き取って行く気の狂った変わり者の老人 ! なかったわ。ところが、お祖父さんはそれを知ってからとい 「あのアゾルカはね、もとはお母さんの大だったの」とネル うもの、もう自分のほうからあたしを追い立てるようにし し出し リは何かある追憶にほほ笑みながら、出し抜けに、、 て、もらいにやるようになったわ。あたしが橋の上に立っ て、傍を通る人にお願いしてると、お祖父さんは橋の袂をあた。「お祖父さんは、前はとてもお母さんをかわいがってた のよ。お母さんが家を出て行った時、あのアゾルカがお祖父 ちこちしながら、待っているの。もらいがあるのを見ると、 いきなり飛んで来て、お金を引ったくるのよ。まるで、あたさんの手もとに残ったので、それでお祖父さんはあんなにア しがかくしでもするように。あたしが物もらいなんかするのゾルカをかわいがったんだわ : : : お母さんをゆるして上げな かったものだから、それで大が死んだとき、自分も死んでし 々はお祖父さんのためなのに」 し挈」、つ いいながら、彼女は何かしら皮肉な苦笑いを浮かべまったのよ」とネルリは厳しい調子でつけ加えた。微笑のか げはその顔から消えてしまった。 らて、にやりとした。 「ネルリ、お祖父さんは以前どういう人だったの ? 」わたし 虐「それはみんな、お母さんが亡くなってからのことなの」と
た方二人に対して、恥ずかしくないだけの人間になります」でしようよ。お父さんはのべっ勤めに出ろ出ろと、尻っぺた を叩いてるんですが、ばくは体が丈夫でないからって、ご ここで彼はまたわたしの手を握りしめた。と、その美しい 目の中には、善良な美しい感情が輝き渡った。彼はなんの奥まかしてたんですよ ( もっとも、もう名義だけはどこかへ勤 底もない態度で、わたしに手を差し伸べているのだ。わたしめに入ったことになってるんですがね ) 。こういうわけです から、結婚が薬になって、ばくも落着いて来るし、勤めにも を自分の親友であると信じ切っているのだ。 「あれも、ばくがいい人間になるのに力をかしてくれるでし出るようになったということがわかれば、父も喜んでゆるし てくれますよ : よう」と彼はつづけた。「でもね、あなた、何かひどく悪し とにでもなりはしよ、 オしかなどと、そんなふうに考えないで「しかし、アレグセイ・ベトローヴィチ、きみは考えて見ま したか、今度あなたのお父さんと、このひとのお父さんの間 ください、あまりばくたちのことを気にやまないでくださ い。なんといっても、ばくにはいろいろたくさん希望があり どんな騒ぎが持ちあがるかってことを ? それに、今晩 ます、物質的な意味でも、ばくらは完全に保証されてるんでこのひとの家がどんな有様になるか、きみはいったいどうお す。たとえば、もし小説のほうがうまくいかなかったら ( 正考えです ? 」 こういって、わたしの一言に死人のようにあおざめたナタ 直なところ、ばくはついさっきも、小説を書こうなんて、馬 ーシャを指さして見せた。わたしは容赦なしに振舞ったので 鹿げた話だと思ったんですけど、あなたのご意見が伺いたさ に、ちょっとお話してみただけなんですよ ) 、もし小説がうある。 まくいかなかったら、ばくぎりぎりの場合、音楽の教授をや「そうです、そうです、おっしやるとおりです。それは恐ろ ってもいいんです。ばくに音楽がやれるってこと、あなたごしいことです ! 」と彼は答えた。「ばくはもうそのことを考 ぞんじなかったでしよう ? ばくはそういう労働で生活するえて、心ひそかに苦しみました : : : でも、いったいどうした のを恥としません。そういう点では、ばくまったく新しい思らいいんでしよう ? おっしやるとおりに、せめてあちらの 想の所有者ですからね。そのほかに、まだいろんなくだらな両親だけでも、ばくらをゆるしてくれるといいんですがね い贅沢品をうんと持っています、化粧用の道具なんかね。あえ。でも、ばくがあの二人をどんなに愛しているか、それを 々んなもの何にもなりやしないから、そいつを売ってしまいまあなたがごぞんじだったら ! なにしろ、あの二人はばくに とって生みの親も同然なのに、その恩返しにばくはまあ、な しす。それで、どれくらい食いつなげるかしれませんものねー らそれから最後に、、 しよいよ困った場合には、ばくも本当に勤んてことをしてるんでしよう ! ああ、あのごたごた、あの めに出るかもしれません。お父さんもかえって喜んでくれる訴訟騒ぎ ! それがいまばくらにとってどんなに不愉央だ
胴間声を出した。「ものごとは当人同士にまかしておきや うな身なし児というだけのことです・ : ・ : 」 さよ、つ いんで、他人が口を出すことはありやしねえ。はい 「まあ、何をいうんだろう ! 」と悪婆はわめいた。「いった いお前はどこのだれだい、余計な口出しをしやがって ! おなら、と引きさがったほうがようがすよ ! 」 わたしや仕方がないので、わたしは門の外へ出た。わたしの突っ飛 前はこの子といっしょに来たんじゃないのかい ? これからお巡りさんのとこへ駆けつけてやるから ! わたしな仕草も、結局、徒労に帰したことがはっきりわかったので やこう見えてもね、アンドロン・チモフェイチがれつきとしある。しかし、腹の中では憤懣の情が煮えくり返っていた。 た女として立ててくださるんだからね ! この餓鬼は、お前わたしは門の反対側に当たる歩道に立って、くぐりのはうを のところへかよってるんじゃないかい ? いったい何者だ ? 眺めていた。わたしが外へ出るが早いか、女房は二階へとん で行ったし、門番も自分の仕事をすますと、これもどこかへ 人の家へ暴れ込んだりして。だれか来ておくれ ! 」 そういいながら、彼女は両の拳を固めて、わたしに飛びか姿を消した。一、二分して、エレーナを運ぶ手伝いをした女 が、自分の住居を指して急ぎながら、入口階段を降りて来 カった。しかし、この瞬間、きぬを裂くような、この世のも た。わたしの姿を見ると、足をとめて、もの珍らしそうに、 のとも思えぬ叫び声が響き渡った。見ると、まるで気を失っ じろじろ眺め始めた。その人の好さそうなおとなしい顔つき たように立っていたエレーナが、とっぜんもの凄い不自然な 叫び声と共に、ばったり地面に倒れて、恐ろしい痙攣に身をは、わたしを元気づけてくれた。わたしはまた内庭へ入っ て、つかっかと彼女に近づいた。 もがいているのであった。癲細の発作が起こったのである。 頭を振り乱した娘と、例の女が階下から駆け出して、彼女を「ちょっとおたずねしますが」と口を切った。「あの娘はい ったい何者でしよう、そしてあのあきれた鬼婆は、あの子を 抱き起こし、いそいで二階へ運んで行った。 どうしようというんでしよう ? どうかばくがただのもの好 「いっそ、くたばってしまやがれ、いまいましい阿魔め ! 」 / 、はⅢ円 きで聞いているのだなどとおもわないでくださいー と悪婆はそのあとから金切り声を送った。「一と月の間にも 然あの娘に出会って、ある事情のため、たいへん興味を持っ う三度も発作を起こしやがって : ・・ : 出て行け、こん畜生 ! 」 てるんですから」 と彼女はまたもやわたしにくってかかった。 、いっそあの子をご自分 お給金はなんの「興味を持っていらっしやるのなら 々「庭番は何をばんやり立っているんだい ? のところへ引き取るなり、何か働きロでも見つけておやりに しためにもらってると思うの ? 」 れ なるとようござんすよ。こうしておいたら、あの子は台なし 「行きなさい、行きなさい ! 頸の骨をへし折られたくなか になってしまいますからね」と女は気のない調子でそういっ尨 ったらね」と番人はほんの申しわけだけに大儀そうな調子で した
わたしは一生懸命に説き伏せようとした。どうしてこんな は、また昨日のように突然わっと泣き出すかと思った。しか にまで、この娘に惹きつけられるのか、われながら合点がい し、彼女は自分を制した。 かなかった。わたしの気持ちの中には、ただの憐愍ばかりで 「塀はどこにあるの ? 」 なく、何かもっと別のものがあった。全体の事情が神秘的な 「塀って ? 」 ためか、スミットから受けた印象のためか、わたし自身の気 「お祖父さんの死んだとこ」 「見せて上げるよ : : : 外へ出た時。ところで、お前の名はな持ちが幻想的であったためか、それはわからないけれども、 何かいや応なしに、わたしを彼女に惹きつけるものがあっ んていうの ? 」 た。わたしの言葉は彼女を動かしたらしい。彼女はなんだか 妙な目つきでわたしを見つめていたが、もう前のように厳し 「何がいいのさ ? 」 ・ : なんという名でもないの」と彼女くなく、もの柔らかにいつまでも眺めていたのである。やが 「いいのよ、なんでも : はいまいましいといった調子で、ぶつきら棒に答え、出て行てまたもの思わしげに目を伏せた。 「エレーナ」と彼女は不意に思いがけなく、度はずれに小さ きそうな身振りをした。わたしはそれを押し止めた。 「お待ちょ、お前はおかしな子だね ! ばくはお前のためをな声でささやいた。 思っていってるんじゃないか。ばくはね、昨日お前があの階「それはお前の名なの、エレーナっていうのは ? 」 段の隅っこで泣いていたときから、お前がかわいそうになっ : おまけに、お「どうだね、ばくのところへ時々遊びに来ない ? 」 たんだよ。思い出してもたまらないくらい : 前のお祖父さんは、ばくに抱かれて死んだも同然なんだから「駄目なの : : : あたしわからない : : : 来るわ」と彼女はわれ とわが心と闘うように、もの思わしげな調子でささやいた。 ね。あのとき六丁目っていったのは、きっとお前のことを思 い出したに相違ない。つまり、お前をばくの手に渡して行っそのとき不意に、どこかで掛け時計の時を打っ音が聞こえ たようなものさ。ばくは夢にまでお祖父さんを見るのだよた。彼女はぎくりとなって、なんともいえぬ病的な、悩まし : ほら、この本だって、お前にとっておいて上げたんじやげな表情でわたしを見ながらささやいた。 「あれは何時 ? 」 々ないか。それだのに、お前はなんだか人見知りをして、まる しでばくを怖がってでもいるようだ。きっとお前はひどく貧乏「きっと十時半だろう」 らで、身なし児なんだろう。もしかしたら、人の厄介にでもな彼女はおびえて、あっと叫んだ。 椰っているのかもしれないね。そうだろう、ちがう ? 」 「大変だ ! 」と彼女はいい、いきなり駆け出そうとした。わ
かあった。 も必要な情報を、お伝えする用意がありますけれど、その事 門の外に彼の馬車が待っていた。わたしたちはそれに乗っ件でしたらもちろん、あなたのほうがわたしよりもよくご承 て出かけた。 知のはずです」 「いや、いや、まるで反対です。あなたはあの一家とご懇意 第 8 章 だし、ナタリヤ・ニコラエヴナ自身でさえこの問題につ て、一度ならずあなたに自分の考えを伝えたことでしようか トルゴーヴィ橋までは、さして遠い道のりではなかった。 らね。それがわたしにとっては重要な指針なのです。あなた はじめわたしたちは黙っていた。わたしは始終、相手がどんはいろいろわたしに助力してくださることがおできになりま なふうに切り出すだろうか、と考えていた。いずれわたしをす。しかも、ひどく厄介な事件なんですから。わたしは譲歩 ためしたり、探ってみたりするに違いないように思われた。 の用意があるのみならす、そのほかの事件がどんな結末を告 ところが、彼はいっさいまわりくどいことを抜きにして口をげるにもせよ、必ず譲歩することに決定したくらいです。あ なたはわかってくださるでしようね ? だが、、、 とんなふう 切り、いきなり用件に入って行った。 「わたしは今ある一つの事情に、一方ならず心を脳ましてい どういう形でその譲歩を実行するか、そこが問題なので るんですよ、イヴァン・ベトローヴィチ」と彼はいし 、出しす。あの老人は傲慢な一徹者ですから、あるいはその好意の た。「それについては、まず第一にあなたとご相談をして、 ために、かえってわたしを侮辱して、その金を叩き返すかも しれません : : : 」 忠言がいただきたいと思うのです。わたしはもうだいぶ前か ら、わたしの勝訴になった事件を放棄して、問題の一万ルー 「しかし、失礼ですが、あなたはその金をどういうふうに見 プリをイフメーネフに譲ろうと決心したんですが、どんなふていらっしゃいます、ご自分のものとお思いですか、それと うにしたらいいでしよ、つね」 もあの人のものと ? 」 「どうしたらいいか、それが手前にわからないはずはあるま「訴訟はわたしの勝ちになったのですから、当然あれはわた い』という考えが、ちらりとわたしの頭に閃いた。『まさか、 しのものです」 々おれを笑い草にしようという気じゃあるまいな ? 』 「しかし、良心の上では ? 」 人 「わかりませんね、公爵」とわたしはできるだけ率直に答え 「もちろん、わたしのものだと思っております」わたしの無 らた。「何かほかのことなら、つまりナタリヤ・ニコラエヴナ遠慮な質問に、幾らかむっとしながら、彼は答えた。「もっ に関することなら、あなたにとってもわれわれ一同にとってとも、あなたはこの事件の真相をごそんじないようですね。
何一つ聞き出せなかった。ただだれかの後家さんで、苗字は いか。だから、きみも邪推しないで、真っ正直に本当のこと ザルツマンというんだがね」 を、すっかり聞かしてくれないか : ・ : ・」 「そうだ、ネルリもそういってたよ」 「役に立つってどんなことだい ? ねえ、マスロポーエフ、 「さあ、それでおしまいさ。そこで、ヴァーニヤ」と彼はい どうしてきみは公爵のことを、何一つ話して聞かそうとしな くらかもったいぶった調子でいい出した。「きみにひとつお いんだね ? ばくにはそれが必要なんだから、それこそばく 願いがあるんだ。。 せひ聞いてもらいたい。ほかでもないが、 の役に立ってくれるわけじゃないか」 きみはいったいどういう用事があって、どこへしよっちゅう 「公爵のことだって ? うむ ! : : : それじや仕方がない、は 出かけるんだね。どこを毎日毎日ほっつき歩いているんだ つきりいうが、いまおれがきいているのも、公爵に関係した ね。それをできるだけ詳しく話して聞かせないか。おれは多ことなんだよ」 少聞き込んで、知ってはいるんだが、しかし、ずっと詳しい 「なんだって ? 」 ことを知る必要があってね」 「こういうわけさ。おれの睨んだところでは、公爵は何かの こうしたものものしい調子は、わたしを驚かしたのみなら事情できみの問題に関係しているらしい。何かの話の間々 ず、 いくらか不安をさえ感じさせた。 に、しきりときみのことをきいていたからね。どうしてあの 「いったいどうしたというんだい ? なんのためにそんなこ男がおれときみとの間柄を知ったかとなると、こいつあきみ とを知る必要があるんだ。そんなもったいぶったきき方をしの知った話じゃないよ。ただ肝腎なのは、あの公爵に気をつ てさ : けなくっちゃならんてことだ。あれは裏切り者のユダだ、い 「こういうわけなんだ、ヴァーニヤ、余計なことは抜きにしや、それよりもっと悪いくらいだよ。そういうわけで、あい て、おれはきみの役に立ちたいと思ってるんだよ。きみもわっがきみの引題こーっ、 日しリカかりがあると見て取った時、おれは かるだろうが、もしおれがきみに策略を用いる気になれば、 きみのためにはっと思ったよ。しかし、おれは実のところ、 こんなに改まって聞かなくても、うまくきみに泥を吐かせるなんにも知らないのだから、つまりそれがために詳しく話し 手は知ってるからね。だって、きみはおれが策略を使ってるてくれと頼むのさ。それで見当をつけようと思ってね : : : そ ように疑ってるんだろう。さっきの氷砂糖の話にしたってそれを目当てに今日もきみを家へ呼んだくらいだ。さあ、大切 うじゃないか。おれにはちゃんとわかっているよ。ところな用事というのは、これなんだよ。はっきりことをわけて話 が、こうして堂々と正面から切り出すからにや、つまり自分せばね」 のためじゃなくって、きみのために心配しているわけじゃな 「だが、それにしても、何かちょっとくらい話してもらえな
した」と彼は薄笑いを浮かべながらつけ加えた。「これでお手紙を受け取ったんですが、それがわたしにとっては非常に 暇いたしますが、できるだけ近いうちに、もう一度お目にか重大なもので ( つまり、ある事件について、即刻わたしが参 かりたいと、一日千秋の思いで期待する次第です。これから加しなければならないので ) 、どうしてもそれをすつばかす なるべく、しよっちゅうお訪ねしたいと思いますが、許してわけにはいきません。明朝ペテルプルグを立ちます。それか / 、ださるでしょ , フか ? 」 といって、わたしがこんなに夜おそくお邪魔したのは、明日 「ええ、ええ ! 」とナターシャは答えた。「できるだけたびも明後日も暇がないからだ、などとお考えにならないでいた たびおいでくださいまし ! わたくしは少しも早く : : : あな だきたいのです。もちろん、あなたはそんなことをお考えに たを愛するようになりたいと思いますの : : : 」と彼女はまご はならないでしようが、これなどはわたしが猜疑心の深い つきながらいい足した。 ちょうど恰好の見本ですよ ! あなたがきっとそんなふうに 「あなたはなんという誠実な方でしよう、なんという正直なお考えになるに相違ないなんて、どうしてそんな気がしたの 方でしよう ! 」と、公爵は彼女の言葉にほほ笑みながらそうでしよう ? さよう、この猜疑心が、わたしの一生にずいぶ いった。「あなたは単純なお世辞をいうだけにも、嘘やごまん邪魔をしたもので、あなたのご家族とのいざこざも、或い かしがおっしゃれないのですね。しかし、あなたの誠実さはこのわたしの厄介な性質の結果にすぎないかもしれません どんなこしらえものの儀礼よりも尊いです。さよう ! ・ : 今日はたしか火曜日でしたね。水、木、金、この三 わたしはあなたの愛を獲得するためには、まだまだ長い間、 日の間、わたしはペテルプルグにおりません。土曜日にはき 努力しなければならんと覚悟しております ! 」 っと帰って来るつもりですから、その日のうちにこちらへ伺 「もうよしてくださいまし、そうわたしをお褒めにならない います。どうでしよう、まる一晩お邪魔してもいいでしよう で : : : たくさんですわ ! 」とナターシャは照れたようにささ ゃいた。 「ぜひとも、どうぞぜひとも ! 」とナターシャは叫んだ。 この瞬間の彼女が、どんなに美しかったことか ! 「土曜日の晩には、お待ち申し上げております ! それこそ 「では、そういうことにしましよう ! 」と公爵は決めてしま待ち焦れておりますわ ! 」 っこ 0 「ヾ、、 力もう一こと用件をいわしてください。あなたは 「ああ、わたしは実に仕合わせです ! だんだんとあなたと 想像もおっきにならないでしようが、わたしはじつに不仕合 いう人がわかって来るでしよう ! しかし : : : お段しましょ が、それにしても、あなたのお手を握らないで帰るわ わせなんですよ ! というのは、明日こちらへお邪魔に伺えう ! ないんです、明日も明後日も。きようタ方、わたしは一通のけにはいきません」と彼は突然、わたしのほうへ振り向いて