のさ、 ホイストの勝負もやるし、 「わかっております」 いかにも伯爵然とした 話振りをするものだから、だれもつい気がっかないで、まん「それで、そのとおりにできるだろうな ! 」 まといつばい食うんだよ。あんなやつどうせろくな往生は遂「できますとも」 「じゃ、ちゃんとやってくれ。さあ、かけたまえ、ヴァーニ げやあしないよ。そこであのミトローシュカがあの太鼓腹に ひと 執念深く恨みをもってるんだ。というのは、ミトローシュカ ャ。おい、なんだってそんなに俺の顔をまじまじ見るんだ のやっ、今びいびいのところへもって来て、肥っちょの奴が い。ちゃんとわかっているよ、きみがおれの顔を見るのは、 シゾプリューホフを横取りしたのさ。昔馴染みだったんだあきれてるんだろう ? あきれることはないさ、人間どんな ことだってあるからな、自分でも夢にも見なかったようなこ が、まだ十分うまい汁を吸う暇がなかったっていうわけさ。 いまこの料理屋であの連中が顔を合わせたとすれば、きっと とがさ。ことにあの時分 : : : そうだな、おれたち二人がコル ) を棒音記していた頃には、 何かいきさつがあ「たに相違ない。おれには、どんないきさネリウス・ネボス ( ーの歴史家 つだったか目星がついてるんだ。それはほかでもない、 なおさら夢にも見なかったようなことがさ。だがな、ヴァ ローシュカが知らせてくれたんだが、アルヒーポフとシゾプニヤ、これだけは信じてくれ、マスロポーエフは正道を踏み こ、、こを兄遇 リューホフは、きっとまたここへやって来るに違いないと睨はずしこそしたが、、いだけは昔に変わりやしよ、。 んでるよ。やつら何かよくないことを企んで、この界隈をう が変わっただけさ。たとえ泥水稼業はしていても、別に人間 ろついてやがるんだ。おれは、ミトローシュカがアルヒーボに変わりはないからな。これでも医者になろうとしたことも フを憎んでるところを、利用してやるつもりなんだ。それにあれば、国語の教師になる準備もしたことがあるし、ゴーゴ はちゃんとわけがあって、おれがここへやって来たのも、つ リ論も書いたし、金鉱へ行こうとも考えたし、結婚する気に まり、まあ、それがためなのさ。しかし、ミトローシュカに もなったことがあるんだよ。 ーーなにしろ、生身の人間だか はそんな素振りも見せたくないから、きみもあんまりじろじらな。相手の女はとても堅気な家の娘で、なかなか釣り出す ろ、あいつを見ないでくれよ。ところで、われわれがここを手だてなどないくらいだったが、それでもうんといったんだ 出て行く時には、あいっきっと自分のほうからおれのほうへよ。おれはいち早く結婚式の用意に、ちゃんとした靴まで借 々やって来て、こっちのききたいことをいうだろうよ : : : さ りようと思ったほどなんだ。なにしろ、自分の靴というもの しあ、これでもう次の間へ行こうよ。ヴァーニヤ、ほら、あれが、もう一年半も前から穴だらけだったんでね : : : ところ らさ。おい、スチェパン」と彼はポーイのほうに向いて一一 = ロ葉をが、とどのつまり結婚しなかった。女は学校教師のところへ つづけた。「おれの注文はわかってるだろうな ? 」 嫁入りして、おれは事務所へ勤めるようになった。といって
いつものとおりよ : ・ : 」そういって、彼女は部屋の隅から出 シャ。といって、ばくは前にも来られたんだけど、わざと やって来なかったのさ ! た。くれないがその頬にさして来た。 なぜかってことは、今にわかる 彼女はアリヨーシャを見るのを恐れるかのように、さし俯よ、すっかり説明するから。それを説明するためにやって来 向いていた。 たんだもの。ただ正直、今度こそばくはきみに対して何一つ 「ああ、本当になんてことだろう ! 」と彼はうちょうてんに悪いことはないんだよ、何一つ ! 何一つ」 : けれどそれにこ なって叫んだ。「もし万一ばくが悪かったのなら、それこそ ナターシャは顔を上げて、彼を眺めた : ばくはあのひとの顔を、一目だって見る勇気なんかないはずたえる相手の眼ざしが、いかにも真実な輝きにみち、その顔 ですよ ! ごらんなさい、ごらんなさい ! 」と彼はわたしのつきはいかにもよろこばしげに、正直そうに、晴ればれとし ほうを向きながら叫んだ。「現にあのひとはばくを悪いとていたので、それを信じないわけにはいかなかった。わたし 思ってるんです。何もかもばくに不利なんですからね、一見はもうこれまでもこうした場合、 いくたびか見てきたとお なにもかも不利なんですからね ! 五日も足踏みしないなんり、二人は叫び声を上げ、互いに飛びついて抱擁するものと ) 0 や、、 思っていた て ! おまけに、縁談のもちあがっている娘のところへ行っ カナターシャはあたかも幸福に圧倒されたか てるという噂がある。ところが、どうでしよう ? あのひとのように、頭を胸の上に垂れていたが、突然 : : : 静かに泣き はもう、ばくをゆるしてくれましたー もう「手を出して出した・ : ・ : その時もうアリヨーシャはたまらなくなって、彼 ちょうだい、それでおしまい ! 』といってくれるんですから女の足もとに身を投げた。彼はその手、その足に接吻しはじ ね。ナターシャ、ばくの天使 ! ばくは決して悪かないんだめた。その様子は無我夢中といったふうであった。わたしは から、それを承知しておくれ ! ばくはほんのこれつばっち彼女に肘掛けいすをすすめた。 , 彼女は腰を下ろした。その足 も悪くないんだからね ! あべこべ ! まるであべこべ ! 」 はなよなよと今にもくず折れそうであった。 「でも : : : でも、あなたは今あそこにいなくちゃならないん : だの でしよう・・・・ : 今日あそこへ呼ばれてるんでしよう : に、ど , っしてここへ来られましたの ? い・ : いま何時 ? 」 「十時半だ ! ばくあそこへも行ったんだ だけど、仮病 をつかって帰って来たのさ。ばくがあの連中のところから抜 け出して、自由の身になってお前のところへ来られたのは、 この五日間で今が初めてなんだ、まったく初めてだよ、ナタ
めなら、あの世に行っても四十くらいの罪をゆるしてもらえ を聞かせてくれたまえ」 「まあ、それじゃ、あなたは八時半までしかいてくださらなるだろうが、とにかく一晩ゆっくり閑談するのも、悪くなか いんですの ! 」と、アレグサンドラ・セミョーノヴナは、わろうと思ったのさ。そこで、ばくは戦略をもちいて、大事な たしに上等のお茶を注いで出しながら、おずおずした訴える用があるからやって来い、さもないと味方の軍艦はぜんぶ沈 ような声で、ほとんど泣かないばかりに叫んだ。 没するそ、って書いた次第なんだ」 「心配しなくてもいいよ。サーシェンカ。あれはみんな出た わたしは今後ああいうことをしないで、率直に知らせても らいたいと頼んだ。とはいえ、この説明はわたしを十分に満 らめだよ」とマスロポーエフは引き取った。「この人はゆっ くりして行くよ。あれは口から出まかせなんだからね。それ足させなかった。 よりひとっ聞かせてくれないか、ヴァーニヤ、きみはいった 「なるほど、それにしても、さっきはなぜばくの顔を見て逃 いどこへああしよっちゅう出かけるんだい ? どんな用事がげ出したんだ ? 」とわたしはたずねた。 あるんだ ? ひとっ伺えないもんだろうか ? だって、きみ「さっきはまったく用があったんだよ、これつばっちも嘘を は毎日どこかを駆け廻って、仕事をろくにしていないだろ いやあしない」 「公爵といっしよじゃなかったのかい ? 」 「きみがそんなことを知って何にするんだ ? もっとも、後 「このお茶はいかがでございます ? 」とアレクサンドラが蜜 で話すかもしれないよ。それよりか、きみこそいったいどうのような声でたずねた。 いうわけだ。きのうばくは家にいないと、ちゃんと自分でき彼女はもう五分間も前から、お茶を褒めてもらおうと待ち みにそういっておいたのに、おばえているだろう、なんのた かまえていたのだが、わたしはつい気がっかなかったのであ めにばくのところへやって来たんだい ? そのわけを聞かしる。 てくれたまえ」 「素敵なものですよ、アレクサンドラ・セミョーノヴナ、大 「後で思い出したんだが、昨日はついうつかりしてたんだ。 したものです ! ばくはまだこんなのを飲んだことがありま そりや本当に用談もあったんだけど、何よりもまずアレグサせん」 々ンドラ・セミョーノヴナを慰安する必要があってね。『ああ アレクサンドラは満足のあまり、顔をばっとあからめて、 人 いうお友だちがあるのに、どうして家へ呼ばないんです ? 』 またさっそく注ぎにかかった。 らといったわけで、もう四日間というもの、きみのおかげでば 「公爵 ! 」とマスロポーエフは叫んだ。「あの公爵はね、き くは責め抜かれているのさ。もちろんこのベルガモットのたみ、ひどい悪党だよ、とてもしたたか者だ : : : そこでとー
、って、心配そうにナターシャを横目に見た。けれど、ナタ たことはなかったろうな ? 今ごろ目をさましちゃおらんか ーシャが笑顔でそれに答え、父を抱きしめたので、彼の疑念な ? え、どうだね、アンナ・アンドレエヴナ、一つ大急ぎ はたちまち霧散してしまった。 で、テープルをテラスへ持ち出そうじゃないか。サモワール 「行くんだ、行くんだ、なあ、みんなで行くんだよ ! 」と彼もそちらへ運ばして、いつもの連中が揃ったら、みんなであ はほくほくものでいった。「ただ、ヴァーニヤ、お前だけはそこへ陣取るとしよう、ネルリもわしらのほうへ連れて来る どうも。お前と別れるのはつらいのだが : ・ ( 断わっておんだ : ・ : こいつは素敵だよ。本当にもう目をさましちゃおら くが、彼は一度もわたしにい っしょに行こうとすすめなかつんかな ? わしはあれのところへ行って見よう。ちょっと一 た。もしこれがほかの場合だったら、つまり、ナターシャに目見るだけ : : : 起こしやしないよ、心配しなさんな ! 」アン 対するわたしの恋を知らなかったら、彼の性質から見ても、 ナ・アンドレエヴナがまた両手を振り立てるのを見て、彼は 必すそうするはずだったのだ ) 。 そうつけ加えた。 「いや、どうも仕方がない、なあ、なんとも仕方がないよー しかし、ネルリはも、つ目をさましていた。十五分ばかり経 ヴァーニヤ、わしは本当につらい。しかし、土地が変わるった頃には、わたしたちはいつものごとく、晩のサモワール と、わしたちみんな元気になるだろう : : : 土地が変わるとい を囲んで、テープルのまわりに陣取っていた。 うことは、つまり、何もかもが変わることだからな ! 」と彼ネルリは肘掛けいすに乗せて、運び出された。やがて、医 はも、フ一ど娘をちらりと見てから、こういっこ。 者が姿を現わし、マスロポーエフがやって来た。彼はネルリ 彼はこれを信じており、その信念をよろこんでいたのであのために、大きなライラッグの花東を持って来たが、当人は る。 何か心配事がある様子で、剩癪でも起こしているらしかっ 「でも、ネルリは ? 」アンナ・アンドレエヴナがいった。 「ネルリかし 、 ? なに : : : あれはかわいそうに、ちょっと病ついでにいっておくが、マスロポーエフはほとんど毎日の 気をしてはいるが、その頃までにはきっとよくなるよ。今だようにやって来た。もう前にも述べたとおり、一同のもの、 って大分よいほうだろう、お前どう思う、ヴァーニヤ ? 」とことにアンナ・アンドレエヴナが、彼を並みはずれて愛して 々彼は何か驚いたようなふうでこういって、まるでわたしが彼いたけれども、わたしたちはだれもアレクサンドラ・セミョ しの疑念を解くべき義務でもあるかなんそのように、不安げに ーノヴナのことを、ついぞ、一度も口に出したことがない。 らわたしの顔を見た。 当のマスロポーエフも、彼女の名を口にしなかった。アン 「あれはどうだね ? よくねむったかしらん ? 何か変わっナ・アンドレエヴナは、アレクサンドラがまだ正式に彼の妻
るべく、 bonhomie でやってくださらんか。そうすれば、わ子で、コップ酒を注ぎ足しながら、きつばりいった。「そこ たしたちの話も円滑にいって、すっかり手打ちになり、つ いで、あなた、あの馬鹿げた一晩、おばえておいででしよう、 にはすっかりお互い同士、完全に理解し合うようになるでしあのナターシャのところで過ごした一晩は、すっかりわたし ようよ。ところで、わたしのことなら、何もそんなにあきれをかんかんにさせてしまったんです。もっとも、あの娘自身 ることはありませんよ。わたしはあの無邪気な子供つばさ は、なかなかかわいかったけれど、わたしは煮えくり返るほ や、アリヨーシャ式の牧歌趣味や、すべてそういったシルレど腹を立てて、あそこを出たわけで、あれはどうしても忘れ ル好み、それから例のナターシャとのいまいましい関係につる気になりません。忘れることも、隠すこともできないので きまとっているお上品さ ( もっとも、あれはとてもかわいい す。もちろん、いまにこっちの時代がやって来るばかりでな く、ぐんぐん近づいてさえいますが、しかしさしあたりその 娘っ子ですがね ) 、ああいったものがもうはとはと鼻につ てしまったものだから、そんなものにいわゆる赤ん目をして話はしないでおきましよう。ところで、わたしはあなたに説 みせる機会が到来したので、つい嬉しくなってしまったので明しようと思ったんですが、わたしの生艮には、まだあなた す。そこでですな、機会がやって来たので、わたしはあなたのごそんじない一つの特徴があるんです。それはすべてああ の前に、すっかり腹を割って見せたくなったんですよ。はは した馬鹿馬鹿しい、一文の値打ちもない、無邪気な子供らし 十 5 さや、牧歌趣味に対する憎悪なんです。で、わたしにとって 「あなたにはびつくりさせられますよ、公爵、まるであなた最もびりつとこたえる快楽の一つは、初めまずそいつに調子 は人が違うようですね。あなたはだんだん道化人形式の調を合わせて、その世界に入り込んで行き、ああいうふうな永 子に落ちて行きますよ。そうした思いがけないうち明け話久に若いシルレルを手馴すけたり、励ましたりしておいて、 ↓よ . その後で不意にそいつの度胆を抜いてやることなんです。突 「↓よま十 6 ー しかし、それは多少うがっていますよ ! なか然そいつの前で仮面を引き上げて、感激に満ちた顔をいきな なか面白い比喩ですて ! ははは ! わたしは羽目をはずしり顰め面に変え、ペろっと舌を出して見せる。しかもそれ て遊んでるんですよ、あなた、羽目をはすしてね。わたしは は、相手のほうでそういう不意打ちをまるつきり予期してい 々大いに愉央で、満足なんです。だから、あなたもね、親愛なない、そういう時を狙ってやるのです。どうです ? あなた しる詩人、もうこうなったら、わたしのことはできるだけ大目にはおわかりにならんでしような。こんなことなどいまわし に見てくださらなければなりませんよ。しかし、それより一 馬鹿げた、下品なことのように思われるでしようね、そ つやろうじゃありませんか」と彼はいかにも満足しきった様うでしよう ? 」
よ放免になったのは三日目で、しかも老人は ( おそらく公爵 の指図があったのだろう ) 、公爵がみずから進んで、伯爵に 第 6 章 慈悲を願ったのであるといい聞かされた。 老人は半狂乱の態でわが家へ帰ると、いきなり寝床に身を アリヨーシャはナターシャに予告するため、会見の一時間 投げて、まる一時間、身動きもしないでじっと横たわってい ばかり前にやって来た。わたしはちょうど、カーチャの馬車 た。ようやく身を起こしたと思うと、もういよいよ、水久に娘 が門前にとまったところへ到着した。カーチャには、年とっ を呪って、親としての祝福を取り上げてしまうと厳かに声明たフランス女がっき添っていた。さんざんねだられて、長い し、アンナ・アンドレエヴナをそっとさせた。 こと思い迷ったあげく、やっと彼女につき添って来ることに アンナ・アンドレエヴナは、そっとするにはしたけれど同意したのである。そればかりか、必ずアリヨーシャといっ も、しかし老人の世話もしなければならなかった。彼女自身しよという条件つきで、ナターシャの住んでいる階上まで行 ほとんど気が遠くなりそうであったにもかかわらす、この日 ってよろしいという許可を与えた。彼女自身は、馬車の中で 一日、夜にかけてすっと夫の看病をし、頭に酢の湿布をした待っことに決めた。カーチャはわたしを傍へ呼んで、馬車の うわ 1 一と り、氷を当てがったりした。彼は熱を出して、譫言をいい出中から出ようともせず、アリヨーシャをここへ呼び出してく した。わたしはもう夜中の二時を過ぎる頃に、彼らのもとをれと頼んだ。わたしが行って見ると、ナターシャは涙にくれ 辞した。翌朝、イフメーネフは床を離れ、その日のうちにわていた。アリヨーシャも、彼女も、 二人とも泣いていた たしの所へやって来て、いよいよネルリを自分の家へ引き取のである。カーチャがもう来ていると聞くと、彼女は椅子か ることにしたけれども、彼とネルリの間に生じた場面は、すら立ちあがり、涙を押し拭って、わくわくしながら屏の前に でに述べたとおりである。この場面は、彼の心を底の底まで立った。その朝、彼女は白ずくめの身なりをしていた。栗色 揺り動かした。わが家へ帰ると、彼はどっと床についてしまの髪は綺麗に梳きつけられて、うしろのほうで大きな髷に結 った。これらはすべて復活祭前の金曜日、即ちカーチャとナんであった。わたしはこの髪の結び方が大好きだった。わた ターシャの会見が約東された日であり、アリヨーシャとカー しが後に残ったのを見ると、ナターシャはわたしにも、客を 々チャがペテルプルグを出発する前の日のことであった。この迎えに行ってくれるようにと頼んだ。 し会見にはわたしも立ち会った。それは早朝のことで、老人が 「あたし、今までナターシャをお訪ねすることができません らわたしのところへ来る前に当たり、ネルリの最初の家出よりでしたの」とカーチャは階段を上りながら、わたしに話しか 虐も以前のことであった。 けた。「あたしには始終まわしものがついていましてね、そ 3 ~ 5
で信じ切っていたのである。ナターシャはどうかというと、彼女のために用意してあるといった。彼女はその金がどこか田 自分の運命は根本的に一変して、アリヨーシャは二度と自分ら出たものか、くどくどきこうともしなかった。それはアリ のところへ帰って来はしない、またそれが当然の成り行きな ヨーシャの出発の二日前で、ナターシャとカーチャの最初に のだ、とこれもはっきり納得していた。 して最後の会見の前日であった。カーチャはアリヨーシャに 二人の別離の日がついにやって来た。ナターシャはまるで手紙をことづけて、明日お訪ねさしていただきたいと申し入 病人であった、 あおざめた顔色をして、目は充血し、唇れた。のみならず、彼女はわたしにも手紙をよこして、二人 はかさかさに乾いて、時にはひとり言をいっているかと思うの会見に立ち会ってほしいと頼んで来た。 と、また時には、ちらと刺すような視線をわたしのほうへ向 わたしは必す十二時 ( カーチャの指定した時刻 ) には、ど ける。別に泣くのでもなく、わたしが何か問いかけても返事んな差支えができても、ナターシャのところへ行くことに決 をするでもない。折ふしはいって来たアリヨーシャのよく透心した。実のところ、ネルリのことはいわずもがな、最近イ る声が聞こえると、さながら木の葉のように慄えるのであっ フメーネフの家のことでずいぶん面倒が多くなっていたので ある。 た。彼女は空焼けのように、さっと顔をあからめて、いそい そと出迎えに行く。それから、痙攣でも起こったように彼を その面倒は、もう一週間前から始まっていた。ある朝アン 抱擁し、接吻して、笑い出す : : : アリヨーシャはその顔をしナ・アンドレエヴナが使をよこして、一刻も猶予のならぬき げしげと見て、どうかすると、加減が悪いのではないかと不わめて重大な用件ができたから、何もかもうっちゃらかし 安そうにたすねることもある。そして、長い旅立ちではない て、即刻うちへ来てくれとの口上であった。行ってみると、 から、帰って来たら二人は結婚するのだ、などと慰めるので彼女一人きりであった。彼女はニコライ・セルゲーイチの帰 あった。ナターシャはそれとありありわかる努力をはらっ りを、今か今かと待ち侘びながら、興奮と驚愕のために、熱 て、自分の気持ちを押えつけ、涙をおさえこんでしまうので病やみのようにわくわくして、部屋中をあちこち歩きまわっ あった。ノ 彼女は彼の前では泣かなかった。 ていた。例によって、いったいなにごとが起こったのか、何 あるとき彼は、旅に出ている留守中の金を残して置かなけをそんなにびつくりしたのか、ながいこと要領を得た話を彼 ればならないが、父が旅費としてたんまりくれると約東した女から聞きだすことができなかった、しかも、一分一刻もぐ から、それについて心配しないように、とナターシャにいつずぐずしていられないのは、明らかに見え透いていた。 た。ナターシャは顔をしかめた。二人きりになった時、わた 「なぜやって来てはくれないのか、どうして身なし児同然に しは万一の場合にと思って、手もとに百五十ループリの金が頼りのない自分たち二人を、こんな悲しい境遇に取り残して
をとり、その上さらに不快なことが湧いて起こったので、イ家へ出入りを差し止めた。それはわたしの訪問の二週間まえ フメーネフは病気になりそうなほど、気を腐らしてしまったの出来事であった。老人はすっかりふさぎ込んでしまった。 なんということだろう ! のである。 かわいいナターシャに、無邪気で この訴訟騒ぎのもととなった若い公爵が、五か月ほど前潔白なナターシャに、またそろこんな穢らわしい濡れ衣を着 に、ふとしたきっかけでイフメーネフの家を訪れた。老人はせて、こんな卑しいごたごたに巻き込むとは ! 彼女の名は 彼をいとしいアリヨーシャといって、生みの子同様にかわい かってこの前にも、父親を侮辱した人間の口から、無礼な調 がっており、はとんど毎日のように噂をしていたので、よろ子で発せられた : : しかも、それをこのまま泣き寝入りにし 工て、打っちゃって置かねばならぬとはー こんで彼を迎えた。アンナ・アンドレエヴナはヴァシーリ 初め二、三日の フスコ工のことを追懐して、手放しで泣き出したはどであ司、 ド彼は絶望のあまり病気になって、寝込んでしまった。わ る。それから、アリヨーシャは父に隠して、しだいに足繁くたしはそれをすっかり残らず知っているのだ。わたしは病気 イフメーネフの家へかようようになった。イフメーネフは正の上に、叩きのめされたような気持ちになって、最近、三週 直で明けつばなしの、一本気な人間であったから、気をつけ 間ばかりというもの、家に寝込んだきり、彼らのとこへ顔出 なければという妻の言葉を、憤然としてしりそけた。潔白な しをしなかったけれども、この一部始終は詳しくわたしの耳 に入ったのである。そればかりでなく、わたしは、まだその 誇りのつよい気性から、息子がまだイフメーネフの家に出入 はかに知っていた : いや ! わたしはその頃まだ予感して りしていることを、公爵が知ったらなんというだろう、などと いったようなことは考えるのもいさぎよしとしなかった。そ いたばかりである、知ってはいても信じかねていたのだ、 この一件のほか、今やこの一家には、世の中の何にもま して、心の中では、公爵の愚にもっかぬ疑いを、軽蔑しきっ ていたのである。けれど、このうえ新しい侮辱を忍ぶだけのして心配の種になるようなことがもちあがったのである。わ たしは懊々と胸をいためながらじっと観察していた。まった 力が自分にあるかどうかを、老人はよく知らなかった。若い くわたしは苦しんだ。わたしは察知するのが怖かった。信す 公爵ははとんど毎日のようにやって来た。老夫婦も、彼と話 をしていると楽しかった。彼は毎晩、しかも夜中をすっと過るのが恐ろしかった。で、カの限り、宿命的な瞬間を遠ざけ ぎる頃まで坐り込んでいくのであった。もちろん、何もかもようとした。にもかかわらす、わたしは彼女のために出かけ 父親の耳に入った。そこで、世にもいまわしい噂がながれたのである。まるでこの晩、何かの力に牽かれて、かれらの もとへやって来たかのようであった ! た。公爵は前と同じような内容の猛烈な手紙を送って、イフ メーネフを侮辱したのである。息子には断然ィアメーネフの 「ときにヴァーニヤ」と老人はふとわれに返ったようにたず
と、その瞬間、反対の側に一人の老人と大の姿が目に入っ いる白髪、というより、黄白色をした一塊りの髪、まるでぜ た。わたしは何かしら不快な感覚に胸を締めつけられるようんまい仕掛けのように無意味な感じのするすべての動作、 な具合であったのを、いまだによく覚えているが、それがど こういったいっさいのものが、初めて会った人を思わず んな種類の感覚であったかは、自分ながらきつばりと断定ではっとさせるのであった。まったくのところ、自分の一代を きなかった。 終わってしまったこのような老人が、付添いもなく、たった わたしは神秘主義者ではないから、予感だとか、占いだと一人でいるのを見るのは、なんとなく変な気持ちがするもの かいうものはほとんど信じない。にもかかわらず、わたしので、ことに監視人の手から逃げ出した気ちがいに似ているの 生涯には、おそらくだれでもそうだろうと思うが、な力なカ だから、なおさらのことであった。また、彼の並みはずれた に説明し難い事件に幾度か出くわしたものだ。早い話がこの痩せようも、わたしの目を驚かせた。ほとんど肉らしいもの 老人である。その時、この老人に出くわした時、さっそくそはなく、まるで、骨の上に皮を張ったばかりの姿であった。 の晩のうちに何かしら 、かなりふう変わりなことが自分の身何かあおいくばんだ輪の中へはめ込まれたような、大きな、 の上に起こるに相違ないと、とっさの間に感じたのはいったどんよりした目は、いつも自分のまん前を見つめて、決して いどうしたわけだろう ? もっとも、わたしは病気だったの脇のほうを見ようとせず、またその目には何一つ映らなかっ で、病人の感覚というものは、とかく人をだまし易いものでたに相違ない、 わたしはそれを確信している。よしんば ある。 人の顔を眺めているにもせよ、さながら自分の前が何もない 老人は両足を棒のように伸ばしたまま、交互に踏み出しな空な場所ででもあるかのように、真っ直ぐにその人にぶつつ がら、背をかがめて、杖のさきで舗道の敷石を軽く叩き、のろかるまで歩いて行くのであった。わたしは幾度もそういう場 のろした弱々しい足取りで喫茶店に近づいた。わたしは生ま合を見受けた。彼がミルレルの店へ姿を現わし始めたのは近 れてこの方、これほど奇妙な、とてつもない風体の人間に出頃のことで、どこからやって来るのかだれも知る者はなく、 会ったことがない。その以前にも、わたしはミルレルの店でいつも例の大を連れているのだ。喫茶店の常連は、だれ一人 彼に出会ったことがたびたびあったけれども、いつも病的な としてこの老人に話しかけようとしなかったし、彼自身もだ 印象を受けたものである。そのひょろ長い身の丈、曲った背れにも言葉をかけなかった。 中、八十ぐらいにも見える死人のような顔、縫い目という縫『いったいなんだってミルレルのところへのこのこやって来 い目の破れた古外套、二十年から前のものと覚しい、型の崩るんだ、あそこで何をしようというのだ ? 』わたしは通りの れた帽子、それをのせている禿頭、後頭部にようやく残って反対側に立って、抑え切れない好奇心に駆られて、じっと老
ー言したくなっ を立てればたてるだけ、わたしたちま余 *¯こ笑、 た。ついには子供らしい絶望にまで昻じたアリヨーシャの憤 慨ぶりに、わたしたちはとうとうたまらなくなって、ちょう どゴーゴリの海軍少尉のように、指一本立てて見せられて も、いきなり笑いころげずにはいられないほどであった。台 所から出て来たマヴラは、戸口のところに立って、真面目な 不満の色を浮かべて、わたしたちを眺めていた。彼女はこの 五日間、ナターシャが思、フ存分アリヨーシャをとっちめてく れればい、 しと、それを楽しみにして待ちかまえていたのに、 第 あにはからんや、みんながいかにも陽気そうにしているの が、いまいましかったのである。 それから一分間もした頃には、わたしたちはみんな気でも ちがったように、笑い興じていた。 とうとうナターシャは、わたしたちの笑いがアリ 「まあ、ばくに、ばくに話させてください」とアリヨーシャの気を悪くしているのを見て、ようやく笑いやめた。 「いったいあなたなんのお話をなさるつもりなの ? 」と彼女 が持ち前のよく響く声で、わたしたち二人の言葉を揉み消し はたずねた。 た。「この人たちは今度もやつばり、いつもと同じことで : 「どうしましよ、フ、サモワールを出しますかね ? 」とマヴラ ばくがくだらない話をもってやって来たと思ってるんだから なあ : : : ところが、ばく、前もっていっておきますが、いまが遠慮会釈なく、アリヨーシャの話をさえぎりながら、こう ばくにはとても面白いことがあるんだから。本当にあなた方 はいつになったら、静かにしてくれるんです ? 」 「あっちへ行ってくれ、マヴラ、あっちへ行ってくれ」と両 彼はやもたてもたまらぬほど、話したくてたまらなかった手を振って、大急ぎで彼女を追い立てながら、アリヨーシャ のである。その様子を見ただけでも、何か重大な知らせを持は答えた。「ばくはこれまでにあったこと、今あること、ま たこれから起こること、何もかもすっかり話すよ。だって、 々っていることが察しられた。しかし、そうした重大なニュ ばくにはそれがすっかりわかってるんだもの。ねえ、あなた しスを持っているという罪のない誇りから来る、わざとらしい らもったいぶった様子は、さっそくナターシャの腹の皮をよじ方はばくがこの五日間どこにいたか知りたいんでしよう、 ばくはつまりそれを話そうと思ってるのに、あなた方は 虐らせた。わたしも思わずその後について笑い出した。彼が腹 第二編