きらないうちに、お祖父さんはまた扉を開けて、封も切らなめた。「冬になるまで。そのうちに冬が来て、雪が降りまし た。あたしまたお祖父さんに出会った時、とても嬉しかっ い手紙を投げ返しなさいました。あたし家へ帰って、すっか : だって、お母さんがね、どうして見えないのだろうつ り何もかも話してしまったところ、お母さんはそれきりまた て、くよくよしていらしったんですもの。あたしはお祖父さ 床についておしまいになりましたの : : : 」 んの姿を見るなり、わざと通りのほうへ駆けて行きました の。それはね、あたしがお祖父さんを嫌って逃げるってこと 第 8 章 を、見せつけようと思ったからなの。ちょっと振り返って見 この時かなり強い雷鳴が響き渡り、大粒の雨がざ 0 と窓のると、お祖父さんは初め足早に、あたしの後から歩いていら ガラスを叩きはじめた。部屋の中が真 0 暗になった。老母はしったけど、そのうちにあたしに追っつこうと思って、駆け 』って、大きな声で呼びなさるん おびえたように十字を切った。わたしたちはみんなびたりと出して、『ネルリ、ネルリ ! ですの。アゾルカもその後から走っていましたわ。あたしが 話をやめた。 かわいそうになって立ちどまると、お祖父さんは傍へ寄って 「今に通りすぎるよ」と老人は窓の外を見ながら立ちあがっ て、部屋の中を二、三ど往復した。ネルリはそれを横目に眺来て、あたしの手を取って歩き出しました。あたしが泣いて るのを見て、立ちどまって、じっとあたしの顔を眺め、か めていた。彼女はひどく病的に興奮していた。わたしにはそい れがちゃんと見えていた。が、彼女はなんとなくわたしを見がみ込んで、接吻してくださいましたわ。その時、あたしが ひどい靴をはいているのを見て、もうほかに靴はないのか、 ないよ , つにしているらしかった。 とおたずねになりましたの。あたしはすぐに、お母さんはお 「さあ、それからどうした ? 」と、再び自分の肘掛けいすに 金をちっとも持っていらっしやらなくて、部屋を借してくれ 腰を下ろして、老人が促した。 ている人たちのお情けで食べさしてもらってるんです、とそ ネルリはおずおすとあたりを見廻した。 ういったところ、お祖父さんはなんにもおっしやらないで、 「では、それつきりもうお祖父さんに会わなかったのか あたしを市場へつれて行って、靴を買って下すった上、すぐ ね ? 」 それをはけっておっしゃいましたわ。それから、ゴローホヴ しいえ、会いましたわ : : : 」 アヤ街の自分の家へ連れてってくだすったんですが、その前 「そうだろう、そうだろう ! 話してお聞かせ、ねえ、話し に一軒の店へ寄って、肉饅頭とお菓子を二つお買いになりま てお聞かせよ」とアンナ・アンドレエヴナが相槌を打った。 したわ。家へ着くと、あたしに肉饅頭を食べろとおっしやっ 「それから、三週間あいませんでしたの」とネルリは語り始
まらない : なって ? 」 : ねえ、ヴァーニヤ、あたし馬鹿なことをいって ひと 「わかりませんなあ、ナターシャ。あの男のすることは、なるでしよう。でも、どうしてもあの女を見ることができない んでも桁はすれなんですから。あちらの娘さんとも結婚したんでしようか、どこでも、あの女に会うことはできないんで いし、あなたも好きなんだし。あの男なら、それがなんとか しようか ? あなたどうお思いになって ? 」 彼女は、わたしがなんというかと、不安そうに待ちかまえ していっしょにできるんでしよ、つ」 ていた。 「あたしね、もしあの人がその娘さんを愛していることを、 確かに突き留めることができたら、ひと思いにはらを決めて「会うことならまだできますよ。しかし、会っただけじゃし しま、つんですけど : ・・ : ヴァーニャー ど、つか何ひとっかくさ よ、フがないでしよ、つ」 ないでちょうだい ! 何かあたしにいいたくないことを、知「会っただけでもたくさんですわ。それからさきは、自分で 見当がつくでしようよ。ねえ、あたし本当に馬鹿になってし ってらっしやるんじゃなくって、どう ? 」 彼女は不安げな、探るような目つきでわたしを眺めた。 まって、ここでたった一人、いつも一人ばっちで、こっこ 「なんにも知りませんよ、ばく、誓ってもいい。あなたにはつ、こっこっと歩き廻りながら、のべっ考えてばかりいるん いつも隠し立てなんかしたことがありませんからね。もっとですの。いろんな考えがつむじ風みたいに荒れ廻って、なん も、ばくはこうも考えてるんですよ。ひょっとしたら、あのともいえないほど苦しくて ! それで、あたし考えついたん 男はわれわれの想像するほど、伯爵夫人の継娘に惣れ込んでですのよ、ヴァーニヤ、あなたその娘さんと知り合いになる 。しないかもしれませんよ。ただほんの一時の移り気かわナこ、、 し。し力ないでしようか ? だって、伯爵夫人は ( はら、 あなた自分であたしに話したでしよう ) あなたの小説を褒め 「そうお思いになって、ヴァーニヤ ? ああ、もしそれが確たそうじゃないの。それに、あなたは時おり公爵の夜会に も招かれることがあるじゃありませんか。夫人もその夜会に かにわかってたら ! 今あの人に会うことができたらねえ、 ほんの一目だけでも。そしたら、あの人の顔つきで、何もか出かけるんですもの、なんとかして伯爵夫人に紹介してもら ってちょうだい。さもなければ、アリヨーシャに引きあわせ もわかるんだけど ! ところが、あの人は来てくれない ! てもらうことだってできますわ。そうしてから、その娘さん 々ちっとも来てくれない ! 」 のことを、すっかりあたしに話して聞かしてちょうだい」 し「あなたはあの人を待ってるんですか、ナターシャ ? 」 れ ら 「いいえ、だってあの人はあちらへ行ってるんですもの。あ「ナターシャ、その話は後にしましよう。それより、ねえ、 ひと たし様子を見にやりましたの。あの女の顔も一目見たくてたあなたはあの男と別れるだけの気力があると、真面目に考え引 ひと
めなら、あの世に行っても四十くらいの罪をゆるしてもらえ を聞かせてくれたまえ」 「まあ、それじゃ、あなたは八時半までしかいてくださらなるだろうが、とにかく一晩ゆっくり閑談するのも、悪くなか いんですの ! 」と、アレグサンドラ・セミョーノヴナは、わろうと思ったのさ。そこで、ばくは戦略をもちいて、大事な たしに上等のお茶を注いで出しながら、おずおずした訴える用があるからやって来い、さもないと味方の軍艦はぜんぶ沈 ような声で、ほとんど泣かないばかりに叫んだ。 没するそ、って書いた次第なんだ」 「心配しなくてもいいよ。サーシェンカ。あれはみんな出た わたしは今後ああいうことをしないで、率直に知らせても らいたいと頼んだ。とはいえ、この説明はわたしを十分に満 らめだよ」とマスロポーエフは引き取った。「この人はゆっ くりして行くよ。あれは口から出まかせなんだからね。それ足させなかった。 よりひとっ聞かせてくれないか、ヴァーニヤ、きみはいった 「なるほど、それにしても、さっきはなぜばくの顔を見て逃 いどこへああしよっちゅう出かけるんだい ? どんな用事がげ出したんだ ? 」とわたしはたずねた。 あるんだ ? ひとっ伺えないもんだろうか ? だって、きみ「さっきはまったく用があったんだよ、これつばっちも嘘を は毎日どこかを駆け廻って、仕事をろくにしていないだろ いやあしない」 「公爵といっしよじゃなかったのかい ? 」 「きみがそんなことを知って何にするんだ ? もっとも、後 「このお茶はいかがでございます ? 」とアレクサンドラが蜜 で話すかもしれないよ。それよりか、きみこそいったいどうのような声でたずねた。 いうわけだ。きのうばくは家にいないと、ちゃんと自分でき彼女はもう五分間も前から、お茶を褒めてもらおうと待ち みにそういっておいたのに、おばえているだろう、なんのた かまえていたのだが、わたしはつい気がっかなかったのであ めにばくのところへやって来たんだい ? そのわけを聞かしる。 てくれたまえ」 「素敵なものですよ、アレクサンドラ・セミョーノヴナ、大 「後で思い出したんだが、昨日はついうつかりしてたんだ。 したものです ! ばくはまだこんなのを飲んだことがありま そりや本当に用談もあったんだけど、何よりもまずアレグサせん」 々ンドラ・セミョーノヴナを慰安する必要があってね。『ああ アレクサンドラは満足のあまり、顔をばっとあからめて、 人 いうお友だちがあるのに、どうして家へ呼ばないんです ? 』 またさっそく注ぎにかかった。 らといったわけで、もう四日間というもの、きみのおかげでば 「公爵 ! 」とマスロポーエフは叫んだ。「あの公爵はね、き くは責め抜かれているのさ。もちろんこのベルガモットのたみ、ひどい悪党だよ、とてもしたたか者だ : : : そこでとー
て、わたしの傍を離れそうな身振りをした。 れちゃったんですからね。葬式もわたしたちがしてやりまし 「でも、あなたが教えてくださらなければ、ばくにどうしょた。うちのが棺を作りましてね」 うもないじゃありませんか ? 今もいうとおり、ばくはなん「じゃ、なんだってププノヴァは、自分が葬式をしてやった にも知らないんですからね。あれがきっとププノヴァなんでなどというんでしよう ? 」 しようね、この家のお内儀さんの ? 」 「なんの葬式どころですか ! 」 「そう、お内儀さんですよ」 「その女の人の苗字はなんといいました ? 」 「じゃ、どうしてあの子はあの女の手に渡ったんでしよう ? 「とてもあなた、わたしたちじゃいえませんよ。むつかしく あの子の母親は、ここで亡くなったんですか」 って、きっとドイツ々翌でしよ、つよ」 「いつのまにかそんなふうになってしまったんですよ・ : ・ : わ「スミット、じゃありませんか ? 」 たしたちの知ったことじゃありません」彼女はまた離れよう 「しいえ、なんだか違うようです。ところで、アンナ・ト ) とした。 フォノヴナが、あとに残った身なし児を引き取ったんです 「お願いですから、ちょっと。今もいうとおり、ばくはこのよ、養育してやるんだとか申しましてね。でも、それがとて 話にとても興味を持ってるんです。もしかしたら、ばく、ほ も良くないんですよ : ・・ : 」 いったい、あれはど んとうに何かできるかもしれませんよ。 「きっと何か思わくがあって引き取ったんでしよう ? 」 ういう娘なんです ? あの娘の母親はだれでしよう、 あ「あのひとはどうも良くないことをしていましてね」と女は なたごぞんじでしよう ? 」 考え込んで、いおうかいうまいかとためらうような口調で答 「なんでも、ロシャ人じゃなくて、外国から来たらしいんでえた。「でも、わたしたちのかまったことじゃありません。 すよ。この家の階下に住んでたんですが、とてもひどい病気こっちは他人ですからね」 でしてね、とうとう肺病で死んじまったんですよ」 「お前、言葉を控えたほうがいいぜ ! 」とわたしたちのうし 「じゃ、地下室の片隅に住んでいたところを見ると、よっぱろから男の声が響いた。それは部屋着をきて、その上から長 ど貧乏だったんですね ? 」 上着をひっかけた中年の男で、見たところ、町人出の職工ら 「貧乏も貧乏も、大変だったんですよ ! そりやもう気の毒しく、わたしの話相手の亭主と想像された。 で見ていられないくらい。わたしたちだって、どうやらその 「もし、だんな、何もあなたと、くどくど話すようなものは 日を凌いでる有様なのに、それでもここにいる五か月の間ありませんよ。こちとらの知ったことじゃなし : ・ : 」とわた に、そのわたしたちでさえ、六ループリというお金を借りらしを横目で見ながら、彼はいい出した。「お前、あっちへ行 した
はひどく風邪を引いて、またふせっておしまいになりましたを突いて、お祖父さんを接吻して、お母さんをゆるしてくだ の。だって、いつもあたしといっしょに、門の外へ出てばかさるようにお願いしてね : : : 』そういって、お母さんはたい へんお泣きになりました。そして、のべつあたしを接吻し りいらしったんですもの。 「お祖父さんは一週間た 0 てお見えになって、またあたしにて、途中無事なように十字を切ったり、神様にお祈りしたり おぞう して、あたしにも聖像の前に膝をお突かせになりましたの。 魚の生姜餅と林檎を買ってくだすったけど、その時も何にも 卩のとこまで おっしゃいませんでした。お祖父さんがあたしの傍を離れて出る時には、たいへん病気がお悪かったのに、」 しまった時、あたしはそっと後をつけて行きましたの。だつ見送りに来てくだすって、あたしが振り返って見ると、いっ てね、お祖父さんの居所をつき止めて、お母さんに教えて上までもじっと立って、あたしの歩いてゆく様子を見てらっし げようと、前から考えついていたんですもの。あたしはお祖ゃいましたわ : 「あたしはお祖父さんの家へ着いて、戸を開けました。戸に 父さんに見つからないように、ずっと離れて通りの反対側を 歩いて行きました。お祖父さんの住んでた所は、とても遠方は鍵がなかったものですから。お祖父さんはテープルのまえ でしたわ。亡くなった時の後の住居じゃなくて、ゴローホヴに坐って、パンを馬鈴薯といっしょに食べていらしったわ。 アヤですの。やつばり大きな建物で、四階でしたわ。あたしアゾルカがその前に坐って、お祖父さんが食べるのを見なが それをすっかり見届けて、遅く帰って来ました。お母さんら、尻尾を振ってるんですの。その時もお祖父さんの住居 は、あたしがどこへ行ったかと思って、とても心配したんでは、窓が低くて、暗くって、やつばりテープルと椅子が一つ すって。あたしがすっかり様子を話すと、お母さんはまた大ずっしかありませんでしたつけ。お祖父さんは一人ばっちで 喜びして、あくる日すぐにも、お祖父さんとこへ行こうとな暮らしていらっしゃいましたの。あたしが入って行くと、お 祖父さんはひどくびつくりして、顔色は真っ青になってしま すったけれど、あくる日になると考え込んで、行くのを怖が って、がたがた顫え出しなさいましたわ。あたしもびつくり るようにおなりになったの。それから、まる三日間びくびく したものだから、なんにもいわないで、テープルのそばへ寄 していらっしゃいましたわ。それで、とうとうお出かけにな って、手紙を置いただけでしたの。お祖父さんは手紙を見る らないで、あたしを呼んでおっしやるには、「ねえ、ネルリ 々や、わたしはいま病気で行かれないから、お祖父さんに宛てが早いか、かんかんに腹を立ててしまって、いきなり跳びあ がって、杖を取りあげ、あたしを目がけて振り上げなすった して手紙を書いたのよ。お前いって、それを渡しておくれな。 けど、打ちはしないで、ただあたしを廊下へ連れ出して、背 らそしてね、ネルリ、お祖父さんがどんな様子をしてお読みに なるか、何をなさるか見ててちょうだい。そして、お前は中を突いただけでしたわ。あたしがまだ初めての階段を降り
ろと老人を見廻していた。実際、この娘が奇妙に思われるの て、次のような手紙を残しておいた。 「アリヨーシャ、きみはどうやら気が狂ったらしいですね。 は無理もない、とわたしは思った。 「いやはや、もうまる一時間も待っていたよ。が、実のとこ 火曜日の晩、きみのお父さんが自分の口から、ナターシャに ドしろ、夢にも思いがけなかったよ : : : お前のところがこんなふ きみの妻になってもらいたいと頼んだ時、きみがそれを、 うだろうとは」と彼は部屋の中を見廻して、そっと気づかれ て非常に喜んだのは、ばくもちゃんと見て承知しています。 ぬように、目顔でエレーナを指しながら、言葉をつづけた。 それにもかかわらす、現在きみのとっておられる行為は、 いささか奇怪ではありませんか。きみはナターシャに対し彼の目には驚きの色が浮かんでいた。しかし、傍近く寄っ いずれにしててとくと見た時、その中に不安と憂愁が潜んでいるのに気が て、何をしていられるかごぞんじですか ? も、ばくのこの手紙は、未来の妻に対するきみの行為がきわっいた。その顔はいつもよりあおざめていた。 「まあ、かけなさい、かけなさい」と彼は心配そうな、あた めて不穏当であり、軽率であることを反省させるでしよう。 ばくは自分として、きみに教訓がましいことをいう権利なふたした調子でいいつづけた。「こうやって急いで来たよ、 ど、もうとう持っていないのを、自分でもよく承知していま用事があってな。だが、お前どうしたんだ ? その顔色った らないよ」 すが、そんなことはまったく無視する次第です。 二伸、彼女はこの手紙について何事も関係せず、第一、こ「体の調子が好くないんです。朝からめまいがしましてね」 「ふむ、気をつけなさいよ。こればかりは、いい加減に打っち のことをばくに話したのも彼女ではないのです』 やっておくわけにいかぬからな。風邪でも引いたのかね ? 」 わたしは手紙に封をして、彼のテープルの上に残しておい た。わたしの問いかけた従僕は、アレグセイ・ベトロヴィチ「いえ、ただ神経性の発作なんですよ。ちょいちょいあるこ とですから。それより、あなたはお達者ですか ? 」 様はほとんど家にいらっしやることがなく、この頃では帰っ 「大丈夫、大丈夫 ! これはちょっとかっとしただけで、な てくるのも早くて夜中、遅ければ夜明け前になると答えた。 わたしはやっとの思いで家へ帰りついた。頭がふらふらしんでもありやしない。用談があるんだ。まあ、かけなさい」 わたしは椅子を引き寄せて、テープルの傍に彼と向き合っ て、足は力が抜けてふるえていた。入口の戸は開け放しにな っていた。内にはイフメーネフが坐り込んで、わたしの帰りて腰を下ろした。老人はわたしのほうへかがみ込んで、半ば を待ちかねていた。彼はテープルの傍に坐って、無言のまささやくようにいい出した。 しいかね、あの娘のほうを見ないで、何かほかの話をして ま、驚いたようにエレーナを見ていた。こちらもそれに劣ら いるような振りをしておくれ、いったいあそこに坐っている ずびつくりした様子で、強情に黙ってはいたものの、じろじ 0
: しかし、わたしはあなたに何ひとっ説明できそうもない まして。あの方と二人なら、万事が決まりそうな気がします わ。今あたしは始終あの方のことを心の中で想像しているんような気がします。その代わり、こちらからおたずねします が、あなたはあの男を愛していらっしやるのでしようね ? 」 ですけど、きっとこの上もない利ロな、真面目で、正直な、 わたしは大胆にこの質問を提出したが、たとえこの問いが 美しい方に相違ないと思いますの。そうでございましよう ? 」 性急であったにもせよ、彼女の明朗な魂の、無限に子供らし 「そうです」 「あたしもそう思っておりましたわ。でも、もしそういう方い浄らかさを掻き濁すことはないと感じた。 だとすると、どうしてアリヨーシャみたいなあんな子供を愛「まったくのところ、まだわかりませんの」と、彼女は晴れ することがおできになったんでしようね ? それを納得のゆばれとした表情でわたしの目を見つめながら、小さな声で答 くように話してくださいましな。あたし、そのことばかり考えた。「でも、たいへん愛しているような気がしますわ : : : 」 「ね、ほらごらんなさい。で、あなたはなんのためにあの男 えておりますの」 ナ・フヨードロヴが好きになったか、説明がおできになりますか ? 」 「それは説明できませんね、カチェリー ナ、なんのために、どんなふうにして、好きになるかってこ 「あの人には嘘ってものがないんですもの」と、彼女はちょ とは、一概にいいにくいことですからね。そうです、あの男っと考えてから答えた。「それから、あの人がまともに人の は子供です。しかし、どうして子供を好きになるかってこと顔を見ながら話をする、それがあたしとても好きなんですの : ねえ、イヴァン・ベトローヴィチ、こうしてあなたとこ は、ごぞんじでしようね ? ( わたしは彼女を眺めた。深い 真面目な、焦燥の色を現わした注意の表情で、じっとわたしんなおはなしをしていますけど、あたしは女で、あなたは男 にそそがれている彼女の目を見ているうちに、わたしの心はでしよう、こんなことをしていいものでしようか、いかがで 柔らいできた ) 。ナターシャ自身に子供らしさが欠けていれしよう ? 」 ばいるほど」とわたしは言葉をつづけた。「あのひとが真面「でも、別にどうっていうことはないでしよう ? 」 「それなんですわ。別にどうってことがないに決まっていま 目であればあるほど、ますますあの男を好きになる可能性が あったのです。あの男は正直で、誠実で、恐ろしく無邪気ですわね。ところが、あの人たちは ( 彼女はサモワールを囲ん す。時によると、優美な無邪気さを示します。あのひとが彼で坐っている一群を目でさして見せた ) 、あの人たちはきっ なんといったらい と、いけないっていうでしようよ。あの人たちの考えは本当 を愛するようになったのはおそらく、 ・一種の憐憫からとでもいえるかもしれません。寛なのでしようか、それとも違いまして ? 」 大な心は、憐憫のために愛することができるものですからね「違います ! だって、あなたは悪いことをしているって気
ち腰を浮かせながら、問い返した。彼女は、わたしがいますが出来ない相談なのは、あなただってごそんじのくせに ! 」田 ぐ連れて行こうとするのだと思ったのである。 「まあ、やってごらんなさい ! 」 「いいえ、ヴァーニヤ」わたしの肩に両手をのせて、淋しげ しいえ、あなた、それは駄目よ。よしんばやってみたとこ なほほ笑みを浮かべながら、彼女はつけ加えた。「よしましろで、かえって余計にお父さんの気を荒立てるばかりだわ。 よう。それはあなたのいつものいい草だけれども、でも : 過ぎ去ったことは返るものじゃありません。このことで、取 その話はしないでちょうだい」 り返しのつかないものというのよ、、 。しったい何かごぞんじ ? 「それじゃ、 いつになっても、いつまで経っても、この恐ろそれはね、あたしがあの人たちといっしょに過ごしたあの幸 しいざこざは、片づく時がないんですね ? 」とわたしは悲福な子供時代なの。かりにお父さんがゆるしてくれたとして しげに叫んだ。「自分のはうから和解の一歩を踏み出すのが も、なんといったって、今のあたしを見たら人違いかと思う いやだなんて、それはどあなたは傲慢な女なんですか、その にちがいありません。あの人はまだ小娘として、大きな赤ん 一歩はあなたのもので、あなたがまずそれを踏み出さなくち坊としてあたしを愛していたんです。あたしの子供らしい無 ゃならないのです。お父さんはあなたをゆるしたくって、そ邪気さに見とれていたんです。あたしをかわいがる時なん ればかり待っていられるのかもしれませんよ : : : なんといっ か、あたしがまだ七つくらいの子供だった頃、お父さんの膝 ても、父親ですからね、あなたに侮辱を受けたわけなんでに乗っかって、童謡を歌っていた時分と同じように、相変わ す ! お父さんの自尊心は大目に見なくちゃなりません。そらずあたしの頭を撫でていたんですものね。まだごく幼い時 れは正当なんですもの、自然なんですもの ! あなたはそう分からついこの間まで、お父さんはあたしの寝台の傍へ来て、 するのが当然です。まあ、やってごらんなさい、お父さんは よく寝られるようにと十字を切ってくれてましたの。今度の いっさい無条件で、あなたをゆるしてくれますよ」 不幸の持ちあがる一と月まえに、あたしに内証で耳環を買っ 「無条件で ! そんなことはあろう道理がありません。どうて来てね ( そのことをあたしすっかり嗅ぎつけましたわ ) 、 か役にも立たないことで、あたしを責めないでちょうだい、 あたしがその贈り物をどんなに嬉しがるかと思って、子供み ヴァーニヤ。そのことは、あたしも夜昼なしに考えつづけま たいに喜んでいましたの。ところがね、あたしが耳環の買物 した、今でも考えていますのよ。あの人たちを見棄ててからのことを、もうとっくに知ってるってことを、当人のあたし というもの、あたしがこのことを考えなかった日は、ただのの口から聞かされたもんだから、そりやひどくみんなに当た 一日もないかもしれないくらいよ。それに、あなたと二人だり赦らしたわ、もちろんあたしが真っさきに叱られたの。家 って、何度この話をしたかしれやしませんわ。だって、それ出の三日まえなんか、あたしがふさぎ込んでいるのを見て、
た。その代わり、わたし寝台に取りつける古いカーテンを買 、。こった一ループリ二十コペイカしかしないんだもの。さ っ・ ) 0 これはどうしてもなくてはかなわぬもので、エレあ、これを着ておくれ」 ーナに心から喜んでもらえるはすであった。 わたしは着物を彼女の傍へ置いた。彼女はさっと顔をあか それらの品々を持ってわたしが家へ帰って来たのは、もうらめて、ややしばらく目を一杯に見ひらきながら、わたしを 午後の一時であった。戸口の錠ははとんど音を立てないで開見つめていた。 いたので、エレーナはわたしの帰ったのにすぐには気がっか 彼女はひとかたならぬ驚きに打たれていたが、同時にわた なかった。わたしは彼女がテープルのそばに立って、わたし しの見るところでは、何かしら恥ずかしくてたまらないよう の本や原稿をいじくり廻しているのに気づいた。わたしの足なふうであった。けれど、何やら柔かい優しいものがその目 音を聞きつけると、彼女は今まで読んでいた本をばたんと閉に輝きはじめた。相手が黙っているのを見て、わたしはテー じて、真っ赤な顔をしながらテープルの傍を離れた。わたしプルのほうへくるりと向きを変えた。わたしのしたことは、 糸、卩ア ) はその本をちらと見た。それは単行本になって出たわたしの明らかに彼女の心を打ったらしい 。しかし彼女は一生県簽。 処女作の長編小説で、扉にはわたしの名前が印刷してあつ自分で自分を抑えつけて、目を伏せたまま、じっと坐ってい わたしは頭がずきずき痛んで、だんだんめまいがひどくな 「あなたのお留守にだれか表の戸を叩いたわ ! 」と彼女はい った。外の新鮓な空気に当たってもいっこうに効き目がなか ったが、『なぜ扉なんか締めたの ? 』とわたしをからかいた げな調子であった。 った。それでもナターシャのところへも行かなければならな 「お医者さまじゃなかったかな ? 」とわたしはいった。「おかった。彼女を思う不安は、昨日から軽くならないのみか、 前、声をかけてみなかった。エレーナ ? 」 かえってしだいにつのって来る一方であった。不意に、エレ ーナがわたしに声をかけたような気がした。わたしはそのほ 「ええ」 わたしはそれに返事をしないで、包みを取ってそれを解うへ振り返った。 き、買って来た着物を取り出した。 「これからお出かけになる時、あたしを閉め込まないで ね ! 」と彼女はわざとそっぱを向いて、長いすのふち飾りを 「さあ、エレーナ」とわたしは彼女に近づきながらいった。 指でひつばりながら、その仕草にすっかり気を取られている 「今お前の着ているような、そんなばろばろのものを身につ けているわナこや レいかないよ。ばく、お前に不断着を買ってようなふうで、こういい出した。「あたしここからどこへも やったよ、一等安いやつだから、何も気がねいはりやしな行きやしないから」
「いや、ヴァーニヤ、けっこ , つだ、けっこ、フだー いい慰めいっても、立身の道には相違ない。えらい方々だって読んで釦 になったよ ! まったく思いがけないほど慰めになったよ。 くださるわけだからな。現にお前も話したことだが、ゴーゴ もちろん、高尚な、偉大なものじゃない、それは知れ切って リなどは毎年年金を頂戴して、外国へ遊学にまでやってもら いる。ほら、現にわしの部屋に「モスグワの救い』という本ったそうじゃよ、 オしか。え、どうだね、お前もそんなになった があるが、モスグワで作ったものでな、それこそもう初めのら ? お い ? それともまだ早いかな ? まだもっと何か作 一行を読んだだけで、いわば鷲のように大空を翔っているよらなけりゃならんかい ? そんなら作りなさい、お前、少し うな気持ちがするが : : しかし、なあ、ヴァーニヤ、お前のも早く作りなさい ! 成功したからって、汕断しちゃ駄目だ 書いたもののほうが、なんだか率直でわかりいし 、よ。つまよ。何をばやばやしてるんだ ! 」 り、このわかりいいところが、わしは気に入ったんだー な彼のそういう調子が、いかにも確信し切ったようなふう んだかずっと親しみがあって、まるでみんなわしの身に起で、しかも好人物なところをまる出しにしているので、わた こったような気がするよ。ところで、高尚ということになるしはそれを中絶して、熱した空想に水をかける気力がなかっ と、第一わし自身からしてわからんだろうな。しかし、文章た。 はわしが少し直してやりたかったな。なに、わしは賞めてる 「それとも、まあ、早い話が、煙草入れでもご下賜になるか んだよ。が、なんといっても、やつばり調子の高いところが な : ・ : ・何もおかしなことはないじゃよ、、 オしカ ? だって、下さ 少ない : いや、しかし、もう今となっては手遅れだ。もうり物には定った式というものはないんだから。奨励のために 本になってしまったんだからな。また、再版の時にでもするさ。ひょっとしたら、宮中にも出入りできるようになるかも かな ? だが、お前、再版にはなるだろうなあ ? そうするしれんぞ」と、意味ありげに左の目を細めて、彼は半ばささ と、また金になるわけだ : : : ふむ ! 」 やくようにつけ加えた。「それとも、駄目かな ? 宮中はま 「でも、お前さんそんなにお金をもらったのかえ、イヴァ だ早すぎるかな ? 」 ン・ベトローヴィチ ? 」とアンナ・アンドレエヴナが口を入「まあ、宮中だなんて ! 」とアンナ。アンドレエヴナは、む っ AJ ー」しよ、フに、つこ。 れた。「こうしてお前さんを見ていても、なんだか本当にな らないようですよ。ああ、まあ、なんてことだろう、近頃じ 「あなたはもう少しでわたしを将軍にしかねない勢いです や、こんなものにまでお金を出すようになったんだねえ ! 」ね」と腹をかかえて笑いながら、わたしは答えた。老人は同 「なあ、ヴァーニヤ」と老人はしだ、こ 冫調子にのりながら言 じく笑い出した。彼はひとかたならず満足そうな様子であっ 葉をつづけた。「こりや勤めじゃないけれど、しかしなんと かた