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検索対象: ドストエーフスキイ全集4 死の家の記録
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1. ドストエーフスキイ全集4 死の家の記録

で、はいま公爵のとこにいらっしゃいます、といっこ。 ら、この瞬間も母の心の中には、破滅した夫をゆるそうとい 封筒の中にはの演奏会の招待券が入っていました。 う気持ち、夫のために限りなく同情する気持ちが、早くも用 豪奢な仕着せを着た従僕が姿を現わして、自分の主人であ意されていたのです。 る公爵の名を呼び、わざわざ貧乏音楽師のエフィーモフのと 父はそわそわし始めました。やはり公爵との好意に打た ころへ招待券を届けた、 こういういっさいのことはそのれたのです。父がいきなり母のほうへ向いて、何か耳打ちす 瞬間、母に強烈な印象を与えました。わたしは物語の初めにると、母は部屋を出て行きましたが、二、三分ほどして、両替 母の性格を述べ、この不幸な女が依然として父を愛しているえしたお金を持って帰って来ました。父はさっそく銀貨一ル といいました。今でも、八年間たえまない憂愁と苦悶の生活ープリを使いのものにやったので、男は丁寧に会釈して帰っ をつづけたにもかかわらず、その心は依然として変わらなかて行きました。一方、母はちょっと出て行ったかと思うと、ア ったのです、母はやはり父を愛することができたのです ! イロンを借りて来、とっときの夫のワイシャツを出して、火熨 もしかしたら、今とっぜん夫の運命が一変したと思ったのか斗をかけはじめました。それから、自分で上等の白麻のネク もしれません。何かの希望の影のようなものでも、母には効タイを締めてやりました。それは黒い燕尾服といっしょに、 果があるのでした。ひょっとしたら、母も半気ちがいの夫の いつの昔からか万一の場合のために、衣装戸棚の中にしまっ 確乎たる自信に、、 しくらか感染れたのかもしれません。それてあったのです。燕尾服のほうは大分くたびれていました はそうでないとはいいきれません ! それに、あの自信が弱 、、、、はじめて劇場へ勤めるようになった時、新しくこしらえ い女である母に、何かの影響を与えないというのは、あり得 たものです。身じまいがすむと、父は帽子を取り上げました ないことです。で、公爵の好意を見て、たちまち夫のために が、出しなに水を一杯くれといいました。父は真っ青な顔を 無数の計画を立てることができたのでした。その瞬間、母はして、カ抜けがしたように椅子に腰を下ろしました。水を持 また夫を夫として扱い、父が最後に犯した罪、 自分のひって来たのは、もう母でなくわたしでした。ひょっとした とり子を犠牲にされたことさえ勘定に入れて、一生涯うけたら、また良からぬ感情が母の心に忍び込んで、最初の感情を 苦しみをゆるす気になったのでしよう。それには、ばっと燃冷やしたのかもしれません。 え立った感激の発作もあれば、この犯罪を貧困と、みじめな 父は出て行き、わたしたちは二人きりになりました。わた 生活と、望みのない境遇から出た単なる過失と、意志の弱さ しは片隅にもぐり込んで、長いこと黙って母を見つめていま と解釈できるかもしれない、そういう新たな念願の発作も手した。母がこんなに興奮しているのを、わたしはこれまで見 伝っていたのです。母はなんにでも熱中しやすい質でしたか たことがありません。唇はびくびくとふるえ、青ざめた頬は、 かぶ

2. ドストエーフスキイ全集4 死の家の記録

かしておどかしてやろうと企らんでいるような彫像や、そん保姆をしている年増のフランス女と、わたしの看護をしてい なものの前に立ちどまるのでした。しかし、立ちどまりはする小間使と話をして、二人にわたしを指して見せながら出て るものの、その後で急に、なんのために立ちどまったのか、 行きました。それ以来、ちょうど三週間わたしは公爵の顔を どうしたいのか、何を考え始めたのか、ころりと忘れてしま見ませんでした。公爵は自分の家の中でも、ひどく孤独な生 うのです。ようやくわれに返った時、なにかの恐怖と困惑が活をしているのでした。邸の大半を占領しているのは公爵夫 襲って来て、心臓が烈しく動悸を打つのでした。 人で、このひともどうかすると、いく週間も公爵と顔を合わ わたしがまだ病気で臥ている時分、ときどき見舞いに来てさないのです。その後わたしは気がついたのですが、家の人 くれた人たちの中では、年寄った医者のほかに、ある一人のでさえだれもかれも、あまり公爵のうわさをしません。まる 男の顔が何よりもわたしの心を打ちました。もうかなりな年でそんな人など、家の中にいないみたいなふうなのです。み 配で、ひどくまじめな人でしたが、とても善良そうな人で、 んな公爵を尊敬して、どうやら愛してさえいる様子でした なんともいえぬ深い同情をおもてに現わして、じっとわたし ま、にもかかわらず、この人をなにか一風かわった、妙な人 を見つめているのでした ! この人の顔がだれよりも一等すのように見ているのでした。公爵自身も、自分がひどく風変 きでした。わたしはこの人と話がしたかったけれども、それわりで、ほかの人に似ていないのを悟っているらしく、なる が恐ろしいのでした。この人は見たところひどく沈んだ様子べく人の目にふれないように努めているらしゅうございまし をしていて、ロ数も少なくぶつきらばうで、その唇にはつい た : : : やがてそのうちに、この人のことをいろいろくわしく そ一度も徴笑が浮かんだことがありません。これがわたしを話すようになるでしよう。 きれ 見つけて、自分の邸へ引き取ってくれた当の公爵なので ある朝、わたしは清潔な薄地の肌着に取り替えてもらい す。わたしの病気がだんだんよくなって来ると、公爵は次第白い襞襟のある黒い毛織の服を着せられました。わたしはも に足が遠くなっていきました。とうとう、いちばん最後に、 の悲しげな、けげんそうな目つきでそれを眺めたものです。 お菓子と、それから何か絵の入った子供の本を持って来てくそれから、頭を梳きつけてもらって、二階の部屋から、公爵 した れて、わたしに接吻をし十字を切って、もっとうきうきしな夫人の住んでいる階下のほうへ連れて行かれました。夫人の さいといいました。そういってわたしを慰めながら、まもなそばへつれて行かれた時、わたしは釘づけにされたように立 くお前にお友だちができるよ、とつけ足しました。それは公ちどまりました。それまでついそ一度も、これほど豪華で壮 爵令嬢のカーチャで、わたしと同じような幼い娘でした。今麗な光景を、身ぢかく見たことがなかったからです。でも、 モスグワにいるのです。それから公爵は、自分の子供たちのそれはほんの刹那の印象で、夫人がもっとそばへつれておい

3. ドストエーフスキイ全集4 死の家の記録

して幕になるのだ、ということを承知していた。当人もそれ続けた。 を承知でいながら、それでもやつばり飲んだくれるのであっ 「してみると、おまえさんたちにやうんと金があるんだね、 た。こうして幾年か経った。ついに人々はガージンがそろそええ ? いったいぜんたいおまえさんたちは監獄へお茶を飲 ろまいりかけたのに気がついた。彼はさまざまな痛みを訴えみに来たのかね ? お茶を飲みにさ ? おい、なんとかいわ しましましい るようになり、目に見えてやせ衰え、病院通いの度数がだんねえか、ちょっ、 ・「やつばりまいりやがったな ! 」 しかし、わたしたちが押し黙って、彼の存在に目もくれま だん頻繁になって来た : いとしているのを見てとると、彼は顔を紫いろにして、憤怒 と囚人たちは仲間同士でうわさをし合った。 彼は、酔っぱらいがいつも自分の楽しみを満喫するためにのあまり全身を震わせ始めた。 , 彼のすぐそばにあたる片隅 雇うことにしている、例のいやなパイオリン弾きのポーラン に、大きな盤台がおいてあった。囚人たちの昼食や晩食のパ ド人をしたがえて、炊事場へ入って来ると、部屋の真ん中に ンを切って入れておくのであった。それはすいぶん大きなも 立ちどまり、そこに居合わす一同を無言のまま注意ぶかく見ので、全囚徒の半数が食べるだけのパンを入れることができ まわした。みんな押し黙っていた。とどのつまり、わたしとるくらいであった。ちょうどその時、盤台はからになってい わたしの相棒に目をとめると、毒々しく嘲るような目つきでた。彼は両手でそれを引っつかむと、わたしたちの頭上へ振 わたしたちを一瞥し、にやっと自己満足のはくそ笑みを浮か り上げた。すんでのことで、彼はわたしたちの頭を打ち砕く べて、何やら腹の中で思いめぐらす様子であったが、やがてところであった。 : カんらい、殺人や殺人未遂は、囚人ぜんた 烈しく左右によろけながら、わたしたちのテープルに近寄っ いにこのうえもない厄介をかけるものとしていやがられてい た。調査や、検視が始まって、監督はいよいよ厳重になる。 「ひとつおたすねしますがね」と彼は切り出した ( 彼はロシ だから、囚人たちは全力をつくして、そういう極端なところ ャ語で話したのだ ) 。「おまえさんたちはどんな収入があって、まで事件を持っていかないように気をつけていた。にもかか ここでお茶なんか飲みなさるんだね ? 」 わらず、今や一同は鳴りを鎮めて、様子いかにと待ち設けて わたしは黙って仲間と目を見合わした。だんまりで押し通いた。わたしたちをかばうただのひと言も発しられないの して、返事をしないのが上策だと心得たからである。ちょっ だれ一人ガージンをどなりつけるものもいない ! そ とでもこちらのいうことが気に食わなかったら、すぐかっとれほどわたしたちに対する彼らの憎しみは強かったのであ なるのは知れきっている。 る ! 察するところ、わたしたちが危険な状態に陥ったのが 「してみると、おまえさんたちにや金があるんだね」と彼は彼らにはいい気味だったらしい ・ : けれど、事件は無事にす こ 0

4. ドストエーフスキイ全集4 死の家の記録

いるかもしれません。公爵があの子のどこを見込んでらっしあたしを好いてるか、お手紙をよこして。あたしは夜っぴて やるのか、合点がいかない。あの子は寄宿舎へ入れておしまいあんたを夢の中で抱きしめていたのよ。とてもつらかった なさいって、わたし口が酸つばくなるはど申し上げたのに」わ、ネートチカ。お菓子を届けて上げます。さよなら』 マダム・レオタールはわたしのために弁護の労を取ろうと わたしもこれと似たり寄ったりの返事を出しました。一日 しましたが、公爵夫人はもうわたしたちを引き分ける決心をわたしはカーチャの手紙の前で泣き通しました。マダム・レ していました。すぐカーチャが呼びにやられて、あの子とはオタールが優しくしてくれるのが、わたしには苦しゅうござ いました。その晩わたしは教えてもらったのですが、マダ 次の日曜まで、つまりまるまる一週間、会うことはならない と、さっそく下の間で宣告されました。 ム・レオタールは公爵のところへ行って、もしカーチャに会 わたしがそういうことをすっかり知ったのは、その晩おそわせなかったら、あの子はきっと三度目の大病をするに相違 ない、わたしは奥様に話したことを後悔している、といった くでしたが、その衝撃は恐ろしいものでした。わたしはカー チャのことを思いつづけて、向こうでもこの別離に堪えられそうです。わたしはナスチャをつかまえて、カーチャはどう まい、という気がしました。わたしは脳ましさ悲しさのためしているかと、根掘り葉掘りしました。ナスチャの返事です と、カーチャは泣いてはいないけれど、ひどく青い顔をして に気も狂わんばかり、夜中には病気になってしまいました。 いるとのことでした。 翌朝、公爵がわたしのとこへやって来て、希望を持つように とささやいてくれました。公爵は百方尺、力してくれました あくる朝、ナスチャがわたしに耳打ちしました。 「御前様のお書斎へいらっしゃいまし、右手の階段をお下り 何もかも徒労でした。公爵夫人は断乎として決心を曲げ になりましてね」 ないのです。だんだんわたしは絶望に落ちていき、悲しさの あまり息がつまりそうでした。 わたしの全存在は予感によみがえりました。期待の念に息 三日めの朝、ナスチャがわたしのところへ、カーチャの手を切らしながら、わたしは下へ駆け降りて、書斎の戸を開け カカーチャの姿はありません。不意にうしろから 紙を届けてくれました。カーチャは恐ろしい鉛筆の走書きました。・ : で、次のようにしたためていました。 カーチャがわたしを抱いて、熱い接吻をしました。笑い、涙 とたんにカーチャはわたしの抱擁をふり払って、父に飛 『あたしあんたが大好きよ。今ママといっしょにいるけれ ど、なんとかしてあんたのとこへ逃げ出して行きたいと、そびついたと思うと、栗鼠のようにその肩によじ登りましたが、 ればかり考えているの。でも、あたし逃げ出すわ、逃げ出す体を支えきれないで、長いすの上に落ちました。つづいて公 といったら逃げ出すから、泣かないでね。あんたがどんなに爵も倒れました。カーチャは歓喜に浴れて泣き出しました。

5. ドストエーフスキイ全集4 死の家の記録

われた別種な方面へ、長いあいだそれてしまいました。それ熱も、わたしの眼前に思いもかけぬ形で幻想にも似た画面と はまるで、新しい精神の糧にすっかり満足しきったような、 なって現われた生活のいっさいも、すでに自分で実験したよ 正しい道を発見したようなあんばいでした。いくばくもな うな感じなのです。わたしの読んだ本の一つ一つに、人間生 く、わたしの心も頭脳も魅了され、空想は大きく広く発展し活の上に君臨している同じ運命の法則、同じ冒険の精神が示 ていったので、わたしは今まで自分を囲んでいる全世界を、 されているのですもの、どうして現在を忘れるまで、 忘れ尽くしたかのようでした。ちょうど運命それ自身が、わとんど現実を忌避するまで、夢中にならずにいられましょ たしのあれほど憧れわたって、昼も夜も空想しつづけていた う。その法則は、しかし、救いと、自衛と幸福の条件である ーレキ、い 新しい生活の閾ぎわでわたしを押しとめ、未知の道程へ入れ人間生活の何かある根本法則から流れ出ているのです。わた るより前に、わたしを高いところへ連れて昇り、未来という しは、自分の想察したこの法則を、全力をあげて悟ろうと努 ものを魔法めいたパノラマとして、さし招くような輝かしいめました。ほとんど自己保存の感情ともいうべきもので呼び 遠景の中に見せてくれたかのようです。わたしはこの未来をさまされた、ありとあらゆる本能によって悟ろうと努めたの 初め本の中から読み取って、空想と期待と、若々しい精神のです。それはまるで、だれかが前もって知らせてくれ、警戒 烈しい奔騰と、甘い興奮の中に残らず体験するように運命づしてくれたようなあんばいです。何かあるものが予言でもす けられていたのです。わたしは手当たり次第の本を無差別 にるように、わたしの胸に押し入って、心の中には次第次第に 取り上げて、読書をはじめたわけですが、でも運命の神がわ希望が根を張っていきました。 たしを守ってくれました。これまでわたしが認識し体験した もっとも、それといっしょに、この未来へ、この生活へ、 ものは、あくまで高潔で、あくまで厳粛でしたから、今では突入していきたいというわたしの願望は、いよいよ烈しくな どんなに穢らわしい悪魔的なページでも、もはやわたしを誘っていくのでした。この生活は、わたしが本を読むたびに、 ヴ惑することができないほどです。わたしを守ってくれるもの芸術特有の力をもって、詩の蔵しているありとあらゆる魅惑 は、わたしの子供らしい直覚です、わたしの若い年齢です、 をもって、毎日のように衝撃を与えるのです。しかし、もう ヴわたしの過去ぜんたいです。今では、不意に意識がわたしの前にも申しましたように、空想はあまりにも強く君臨して、 ネために、自分の過ぎ去った生活を、残りなく照らしてくれたわたしの性急な気持ちを抑えていましたので、正直なとこ カような思いです。まったくのところ、わたしの読んだページろ、わたしはただ空想の中で大胆にふるまうだけで、いざ実 の一つ一つが、もう馴染みのもののような、とっくの昔に経行となると、未来の前で本能的に萎縮してしまうのでした。 ネ験ずみのような気がしました。さながら、これらすべての情そういうわけで、わたしはあらかじめ自分と妥協したような引

6. ドストエーフスキイ全集4 死の家の記録

になったかを事実に意識して、いかにも寂しい感じをいだか早くも初雪がちらちらし始めた : : : ついに待ちに待ったその されたものである。新しいものに慣れなければならない、新冬がやって来たのだ ! わたしの心臓は偉大なる自由の予感 しい世代を知らなければならない。わけてもわたしが飛びつ に、ときどき奥深くしかも力強く鼓動し始めた。が、不思議 いて読んだのは、標題の下に親しい旧知の署名を見いだした にも時がたつにつれて、満期の日が近づけば近づくほど、わ 論文である : : : しかし、そこにはもはや新しい名もいろいろたしは次第次第に辛抱強くなっていった。いよいよ最後の日 見いだされた。新人が登場したのである。わたしは貪るよう が迫ったころには、わたしはわれながら一驚を喫して、自分 な気持ちで彼らを知ろうとあせり、手近にある書物があまりで自分を責めたはどである。わたしは自分がまったく冷淡 にも少なく、またそれを手に入れるのがきわめて困難なのをに、無関心になったような気がしたのである。休息時間に庭 情けなく思った。もとは、以前の要塞参謀時代には、獄内へ本で行き会う多くの囚人たちは、わたしに声をかけて、祝いを を持ち込むことさえ危険だったのである。捜索でもあった場述べるのであった。 合、「こんな本をどこから持って来たのだ、どこで手に入れ「アレクサンドル・ベトローヴィチ、やんがて自山な身にな たのだ ? してみると、獄外のものと交渉があるな ? : りなさるんだね、もうじきだ、もうじきだ。かわいそうなお などといったような質問がかならず始まるのだ。このようなれたちを置いてきばりにしなさるんだ」 質問に対して、なんと答えることができよう ? ・ 「ところで、マルトウイノフ、きみだってもうすぐじゃな、 わけで、わたしは書物なしに暮らしているうちに、、 しっとも かね」とわたしは答えた。 なく自己の内部に沈潜して、自分で自分に問いを発し、それ「わっしかね ? なあに、とんでもねえこった ! まだ七年 を解決しようと努め、ときにはそのためにみずから苦しんだばかりつれえ目をしなけりゃならねえんだよ : : : 」 ものである : : : しかし、こんなことはいちいち語り尺、くせる こういって、そっと溜め息をつき、言葉をとめて、さなが ものではない , ら未来でものぞいてみるように、放心した目つきをするので わたしは冬入獄したので、したがって、自山な世界へ出てあった。 : じっさい、多くのものは心の底から喜んでわた 行くのもやはり冬、入って来たのと同じ月、同じ日でなけれしを祝ってくれた。だれもかれもが愛想よくなったように思 ばならない。わたしはどんなに一日千秋の思いで冬を待ちこわれた。わたしはあきらかに彼らにとってもう懲役仲間では がれたことか。夏の終わりごろに木の葉が黄ばみ、礦野の草なくなったのだ。彼らは早くもわたしに別れを告げ始めた。 家が色褪せていくのを、どんな楽しい気持ちで眺めたことか。貴族出のポーランド人で、ーチンスキイという、おとなし 死しかし、やがて夏も過ぎ、秋風がうなり始めた。そのうちに いつつましやかな若者は、わたしと同様、休息時間に庭をや田

7. ドストエーフスキイ全集4 死の家の記録

いるので、そのためにわたしたちの仲間でもよくぶんなぐら っとも残りの二百の時は、あとでカか・ぎり根かぎりぶったの ぶたないの、普通の時の二千よりつれえほどだったが、それれたが、しかしここで盗みをしないもの、盗みのためになぐ だって、へん、どんなもんでえ、なぐり殺されやしなかったられないものが、一人でもいるだろうか。 ここでひとつつけ加えておきたいことがある。すべてこれ からな。どうしてなぐり殺されなかったかっていうと、それ もやつばし餓鬼の時分から笞の下で大きくなったからさ。そらの笞うたれた連中が、自分たちのぶたれたことや、自分た ちをぶった人々のことを物語る、そのなみはずれて善良な毒 れだからこそ、きようまで命があったわけでさ。いやはや、 おれは今までの間にどれだけぶたれたことやら ! 」と彼は物のない調子には、わたしはいつも一驚を吃せざるを得なかっ 語の最受こ、、 彳ししったい自分は幾度ぶたれたものかと、記憶をた。この種の話に、悪心や憎悪の影すらも感じられないこと はしばしばなので、ときおりそれを聞くと、わたしの胸は高 呼びさまして数え上げようと努めるかのように、わびしいも の思いに沈んだ調子でつけ加えた。「いや、どうして」と彼まって来て、強く烈しく動悸を打ってくるのであった。彼ら は東の間の沈黙ののちにいい添えるのであった。「いくらぶはよくそんな話をしながら、子供のように笑うのだ。ところ たれたか、勘定なんかできるもんじゃねえ、それに数えきれが、たとえばーツキイなども、自分の受けた体刑の話をし るわけがありやしねえや ! 数のほうが足りねえくれえだ」て聞かせたことがある。彼は貴族でないので、笞五百くらっ たのである。わたしはそのことをほかの者の口から聞き込ん 彼はわたしをちらと見て、あはあはと笑ったが、それがいか にも、人の好さそうな笑いかただったので、わたしのほうでだので、いったいそれはほんとうなのか、ほんとうなら、ど も、につこり笑い返さずにいられないほどであった。「ねえ、んなふうだったのかと、自分で彼にたずねてみた。彼はなん アレクサンドル・ベトローヴィチ、なにしろおれあ今でもよとなく簡単すぎるほど簡単に、、い内の痛みでも忍ぶような調 る夢を見るてえと、かならずぶたれてる夢を見るんで、その子で答えたが、まるでわたしのほうを見まいと努めるふう ほかの夢ってものはねえくらいでがすよ」彼はじじつ、よくで、その顔はさっとあかくなった。三十秒ばかりして、彼は 夜中にわめき声を立てた。ときによると、咽喉も破れそうなちらとわたしを見つめたが、その目には憎悪の火が燃え立 声でわめき立てるので、囚人仲間がすぐさま彼を揺すぶり起ち、唇は憤りにふるえはじめた。彼はおのれの過去に属する こして、「やい、こんちくしよう、何をわめきやがるんでこのページを永久に忘れることができないのだ、とわたしに え ! 」とやったものである。彼は年のころ四十五、六、背はは感じられた。が、ロシャ人の仲間はほとんどすべて ( 例外が 大きくないが、はしつこくて陽気な、丈夫そうな男で、みんないとは保証しないが ) 、それに対してまるで別の見方をし 彼らが自分を罪ある なとも仲よく暮らしていた。もっとも、盗みが大好きと来てていた。わたしはときおり考えた、

8. ドストエーフスキイ全集4 死の家の記録

この点は、これからやろうという冒険に、一種風変い態度をとり、そういうロのききかたをした。わたしはその わりな味をつけてくれるはずであった。ただどうにかして、年、幾度かこの男を警護兵たちの間に見受けたことがある。 ロシャ内地へたどりつきさえすればいいのだ。彼らがどんなポーランド人たちからも、この男のことは何かと聞いてい た。わたしの見たところでは、彼の内部に追い込められた以 ふうに話し合いをつけたか、どんな希望をいだいていたか、 それはだれにもわからないが、とにかく彼らの目算は、あり前の憂愁が、深く秘めた不断の憎悪に変じたもののように思 ふれたシ・ヘリヤの放浪者の常軌を脱していたことだけは確かわれた。この男ならどんな思いきったことでもやってのけら れた。で、グリコフが彼を仲間に選んだ眼力は、たいしたも と思われる。グリコフは生まれながらの役者で、人生におい て多種多様な役割を選ぶことができ、多くの事物に期待をかのなのである。彼の姓はコルレルといった。彼らは申し合わ けることができた。すくなくとも、いろいろ変わった経験をせて日を決めた。それは、六月のことで、暑い日の続いてい することはできたはずである。こういう人間が、監獄生活にるころだった。この町の気候はかなりむらのないほうで、夏 圧迫を感じるのは当然である。で、彼らは逃亡の申し合わせはいつもかんかん照りの暑い陽気が続くので、そこが放浪者 にとってはあつらえ向きなのであった。もちろん、彼らはい をしたのであった。 しかし、警護兵なしに逃げることはできなかった。警護兵きなり、要塞から逃げ出すわけにはいかなかった。町ぜんた いが、四方うち開けた小高いところにあったのである。周囲 もこっちのほうへ抱き込まなければならない。要塞付きの大 隊のひとつに、一人のポーランド人が勤務していた。もう中にはかなり遠いところまで森がなかった。第一、普通人の服 年ではあるが、精力の張りきっているような、きりつとして装に変えなければならないが、それにはまず、グリコフが古 くから巣をかまえている町はずれまで入り込まなければなら 男らしい、まじめな人物で、いずれにしても、いますこしい こ参与してい い運にありついてもよさそうな男であった。若い時、兵隊にぬ。町はずれに住む彼らの友だちが、この秘密 取られて、シベリヤへ来たばかりのころ、烈しい郷愁に駆らたかどうかは、わたしも知らない。その後、裁判のときにも、 れて、逃亡を企てた。が、すぐにつかまって処罰され、二年その点はじゅうぶん明瞭にされなかったが、おそらく参与し ていたものと想像される。この年、町はずれの一隅に、ヴァ ばかり懲治隊へ入れられた。やがて原隊へ戻って来たとき、 彼は腹を入れ変えて、一生懸命、勤務に励み出した。その精ンカ・タンカと綽名を呼ばれる若い阿娜者が、活動を開始し たばかりであった。当時、早くも人々に後年恐るべしと舌を 記励ぶりを認められて、上等兵に昇進した。彼は名誉心のさか 家んな、自負心の強い、自分で自分の値打ちを知っている男で巻かせたが、はたしてその予想は、ある程度まで事実となっ アゴーニ 死あった。したがって、おのれの価値を承知している人間らして現われたのである。この女はまた別名を「火」とも呼ばれ

9. ドストエーフスキイ全集4 死の家の記録

する。この瞬間の彼は俳優なのだ。公衆は彼に驚異と畏怖をちを笑わせるだけであった。もちろん、病気によっては、に者 感じるのだから、最初の一撃を与える前に、この場合の決ま自身なにも食べない場合があった。が、そのかわり食欲旺盛 り文句である宿命的な「覚悟はよいか、やるそ ! 』という叫な病人たちは、なんでも食べたいものをたべた。なかには食 びを犠牲にむかって投げかける時、多少の快感を覚えるのは事を交換する連中もあったので、ある病気に当てられた献立 もちろんである。人間の天性はどこまで曲げられるものか、 が、まるで別な病人に移るのであった。淡泊な食餌を当てが 想像もむすかしいぐらいである ! われて寝たきりでいるものが、牛肉や壊血病患者の食事を買 入院当しばらくの間は、わたしもこうした囚人たちの物 って食ったり、クワスを飲んだり、病院からビールを当てがわ 語に熱心に耳を傾けていた。わたしたちはだれにしても、じれているものからそれを買って飲んだりした。中には二人分 っと寝てばかりいるのが退屈でたまらなかった。米る日も来食べるものもあった。これらの献立は、金で売買されるのみ る日も、みんな似たり寄ったりなのだ ! 午前中は、まだし か、さらに転売されるのであった。牛肉のついている食餌 も医者の回診や、それに引き続いての食事などで気を紛らさ かなり高い値をつけられて、五コペイカもした。もしわ れる。もちろん、食事はこうした単調さの中では、たいした たしたちの病室で売り手がなければ、もうひとつの囚人病室 楽しみである。献立は、患者の病気に応じて区別されているヘ番人を使いにやり、もしそこにもなかったら、わたしたち ので、まちまちであった。何かの挽き割りを入れたスープだ が「自由室』と呼んでいた兵隊の病室にまで行かしたもので けもらうものもあれば、粥だけのものもあり、ホイート・ミ ある。売り手はいつでも見つかった。そんな連中はパンだけ ールだけのものもあった。このホイート・ミールは、とてもですますことになるけれど、そのかわり、ふところを膨らま 希望者が多かった。囚人たちは、長い病床生活に甘やかされすことができた。もちろん、貧乏はみんなおたがいさまだっ て、ロが奢っているのであった。回復期に向かった患者や、 たが、それでも小金を溜めている連中は、市場へ人をやっ ほとんど健康体になったものには、煮た牛肉がひと切れつけて、丸パンやその他のうまいものを買わせるのであった。病 られた。それをわたしたちは「牡牛』と呼んでいたものであ、院の番人たちは、こうした依頼を欲得はなれて引き受けてく ねぎわ る。いちばん上等なのは壊血病患者の献立で、牛肉に葱、山れた。 きび 葵などをつけ合わせ、ときにはウォートカが一杯つく時もあ食事がすむと、いちばん退屈な時間が来る。しようことな ハンも同じく病気によって、黒いのもあればなかば白しに寝るものもあれば、無駄口をたたくものもあり、口論す いのもあり、うんと焼き上げたのもあった。こんなふうにしるものもあれば、何か大きな声で話をするものもあった。も て、献立を決めるお役所式の細かいやりかたは、ただ病人たし新しい患者でも入って来なければ、退屈はまた一段であっ

10. ドストエーフスキイ全集4 死の家の記録

とも、繩で首を締められたら、ただひと吸いの空気のため歩である、こういうことも頭に入れておかなければならな 、数百万の財産をぜんぶ投げ出さない者はないだろう。 、。酔っぱらって騒ぐなら、うんと騒ぐ、冒険をやるなら大 ある囚人が、何年もの間おとなしい模範的な生活をして来きく出て、人殺しでもなんでもやってのけるのだ。ただ皮切 て、その方正な品行のため囚人頭にさえ抜擢されながら、不りさえしてしまえばいいので、やがて酔いがまわると、もう 一 : つい、つわけで、 意にぜんぜんこれという動機もなく、 まるで魔物にでも止めることさえできなくなってしまう ! 憑かれたように悪ふざけを始め、酔っぱらい騒ぎをやり、乱そこまで行かせないように百方手を尺、くすのが一番だ。そう ろうぜき 暴狼藉を働いて、時としては、いきなり刑法に触れるようなすれば、みんなが静かに落ちついていられる。 まさにその通りである。が、それにはどうしたら 犯罪をしたり、あるいは上長官に対してあからさまに不敬を 働いたり、人殺しをしたり、強姦したりなどすることがあっ て、当局の人たちを驚かすものである。みんなそれを見てあ きれているが、だれよりもそんなことをしそうにない男に、こ 6 最初のひと月 ( つづき ) の思いがけない爆発が起こった原因は、ほかでもない、痙攣 わたしは入獄の時いくらかの金を持っていた。没収される に達するはど悩ましい個性の発現であり、自分自身というも のに憧れる本能的な悩みであり、おのれの卑しめられた個性恐れがあったので、手には少々ばかりしか持っていなかった が、万一の場合のためにかくしておいた。というのは、監獄 を発揮しようという欲望であるかもしれない。それが忽然と 現われて、憎悪と、狂憤と、理性の没却と、発作、痙攣にまへも持ちこむことのできる福音書の表紙の中に、幾ループリ で達したのである。それは、おそらく生きながら墓の中に葬か貼り込んでおいたのである。この金を貼り込んだ書物をわ られた人間が、ふと生き返って棺の蓋をたたきながら、自分たしに贈ってくれたのは、トボリスグに住んでいる人たちで の努力はしよせん徒労に終わるということを、理性でははつあった。彼らは同じく流刑の苦しみをなめたばかりでなく、 きり承知しながら、蓋を押しのけようともがいているのにもすでに数十年の歳月をもって自分の刑期を数えているので、 たと 譬えられよう。しかし、この場合、問題は理性どころの話で久しい前から、すべての不幸な人々を、自分の同胞のように なく、要するに、痙攣なのである。なおそのほか、囚人が自考え慣れているのであった。シベリヤには、まったく私利私 分勝手に個性を発揮することは、ほとんどいかなる場合でも欲を離れて「不幸な人々』を兄弟のように世話して、あたか 家罪悪と見なされているので、そうなってみれば、大きく発揮も生みの子ででもあるかのごとく同情し心痛することを、自 死しようと小さく発揮しようと、当人にとっては当然五十歩百分の生涯の神聖な使命としているかのように見える人々が、