官の軍服を着て、徽章つきの帽子をかぶって登場し、すばら心に残ったので、いま三十の年になって、すべてが記憶によ しい効果を引き起こした。この役には二人の望み手があつみがえり、一同の心をとりこにしようと企てたのであろう。 て、ーー人はほんとうにしないかもしれないが、 どちらネッヴェターエフは、すっかり自分のしぐさに気をとられて がこの役を演ずるかということで、二人とも小さい子供のよしまって、もうだれの顔も見なけれ、よ、 ーいっさいほかのほ , っ うにやっきとなって争論した。どちらも参謀紐章のついた将へ向きもしないで、話をするにも目さえ上げず、ただ自分の 校服を着て、みんなの前に現われたかったのである ! そこ ステッキとそのさきを見つめるのに余念がなかった。 でやむなく、ほかの役者たちが仲裁に入って、多数決でネッ 慈善家の地主夫人も、それ相当に注目すべきものであっ カそれは彼が ヴェターエフにその役を振ることに決めた。、、、、 た。彼女は、着古して正真正銘のばろになりきった古いモス りつばで押し出しがよく、したがってよけい旦那らしく見え リンの着物をき、両腕と首筋をむき出しにし、顔には紅や白 るからではなく、ただネッヴェターエフが一同に向かって、粉をこてこてと塗り立て、キャラコの寝室用の帽子をあごに 自分はステッキを持って舞台へ出、本物の旦那、ちやきちゃ結びつけ、片手にはパラソルを持ち、片手には紙に模様を描 きの洒落者そっくりに、そいつを振りまわしたり、地面に輪 いた扇を持って、のべっ煽ぎ立てるのであった。人々は哄笨 を描いたりすることができるけれども、ヴァンカ・オトペー の一斉射撃でこの夫人を迎えた。すると、当の令夫人もたま トイと来たら、ついそ一度もはんとうの旦那を見たことがな りかねて、幾度もぶっと吹き出したのである。この奥様を演 . いから、そんな真似なんか夢にもできやしない、と力説した じたのは、イヴァノフという囚人であった。少女に扮したシ クプレット がゆえである。はたせるかな、ネッヴェターエフは夫人同伴ロートキンは、じつに可憐であった。対句になったせりふも で見物の前へ出るが早いか、すぐにどこから手に入れたのか うまくいった。てっとり早くいえば、一同の十二分な満足の 知らないが、細い籐のステッキをちょこちょこと動かして、 うちに、一番目狂言は幕になったのである。批評がましい言 地面に輪を描くのばかり仕事にしていた。おそらく、それが葉などは聞かれなかった、またそんなものがあろうはずはな 最も上流の紳士がたの特色であり、流行の尖端を行くしゃれかった。 ウベルチュール たしぐさと思い込んでいたらしい。察するに、かってまだ子もう一度『家よわが家よ』の開幕楽が演奏されて、ふたた 供の時分に地主邸に奉公して、はだしで駆けずりまわってい び幕はあがった。これが「ケドリール』なのである。「ケド ) ール』はなにか 「ドン・ファン』みたいなところがあっ たころ、美々しく着飾った旦那が、ステッキを振りまわして た。すくなくとも大詰には主人と下男が、悪魔のために地獄 いるところをたまたま目にとめて、その振りまわしかたの鮮 ・一う - 一つ かさに恍惚となった、その印象が永久に消ゆることなく彼のヘさらわれて行くのである。一幕完全に上演されたが、それ 0
ルスタッフは、だれにもせよ撫でたりさすったりされるのが 承知しませんでした。 公爵夫人はあまりだれも愛さないひとでしたが、ファルス大きらいだったので、公爵夫人の抱擁や接吻の返礼に、肩に タッフは子供たちに次いで、世界中のだれよりもかわいがつぐさと歯を立てました。公爵夫人は一生その傷で苦労しまし ていました。それはこういうわけなのです。あるとき六年ばたが、その感謝の念は無限でした。ファルスタッフは部屋の 中に入れられ、きれいに磨き上げ洗い上げられて、立派な細 かり前、公爵が散歩に出た時、薄汚れた、病気持ちらしい、 いともみじめな様子をした仔大を連れて帰りましたが、でもエをした銀の首環を拝領しました。彼は公爵夫人の居間に敷 それは完全な純血のプルドッグだったのです。何かの事情でかれた、見事な熊の毛皮の上に陣取ることになり、公爵夫人 殺されるところを、公爵が助けてやったのでした。ところは間もなくアアルスタッフを撫でても、いきなり罰として咬 で、この新しい家庭の一員はひどく無作法で、乱暴な振舞いみつかれないですむようになりました。自分の愛大がフリグ ばかりするために、公爵夫人の主張によって、裏庭のほうへサという名だと知って、公爵夫人はぞっとしてしまいまし た。早速みんなで新しい名、それもなるべく古代風なのをさ 移され、綱で縛られてしまいました。公爵は別に反対もしま せんでした。二年たって、家族一同が別荘ずまいをしているがしにかかりました。しかし、ヘグトルとかツェルベルとか いったような名は、もうあまり俗化されてしまったので、家 時、カーチャの弟の幼いサーシャが、ネヴァ河に落ちたので す。公爵夫人は悲鳴を上げて、とっさにわが子の後から水中族ぜんたいの愛大にびったりした、上品な名が必要なのでし へ飛び込もうとしました。そばのものがやっと引きとめまた。結局、フリグサの世にも珍しい大食ぶりを頭に入れて、 したが、さもなければ間違いなく死んでしまうところでし公爵がこのプルドッグをファルスタッフにしようと提議しま た。とかくするうち、幼な児はどんどん流れに運ばれて、たした。この名は歓呼の声で迎えられ、永久にこのプルドッグ だ時々着ている服が水面にのぞくばかりです。人々はあわてのものとされました。彼は品行方正でした。純粋なイギリス もやい ヴてポートの纜を解きにかかりましたが、もし助かったら、そものの常として、寡黙で気むずかしく、自分のほうからは決 一れこそ奇蹟でした。とっぜん、もの凄く大きなプルドッグがしてだれにも飛びつかず、ただ熊の毛皮の上に決められた自 ヴ水中へ飛び込んで、溺れかかった男の子の行く手をさえぎる分の席を、うやうやしく迂回することだけを、他人から要求 ネように泳ぎ出し、ぐっと歯に咥えると、勝ち誇ったように岸するのみでした。概して、それ相当の尊敬を示さないと承知 力へはいあがりました。公爵夫人は飛んで行って、濡れ鼠の汚しないのです。時おり、彼は驚風にでもかかったような具合 チ になるのでした。気欝症にとつつかれたようなふうで、そう らしい大に接吻しました。けれど、その当時まだフリグサと なるとファルスタッフは、自分の権利を侵害した不供戴天の ネいう散文的な、このうえもなく下司びた名を持っていたファ
によると、老婦人たちはただの一日も仲よく暮らすことがでの中ではまだ喪がつづいていましたが、その期限は間もなく田 きないで、幾度も幾度も別れようとしたけれど、それもでき切れるというところでした。 ずにいたとのことです。というのは、とどのつまり一人一人年取った公爵令嬢は黒ずくめの衣装を着ていました。いっ が、退屈ざましともうろくの予防に、お互同士なくてならぬもごく普通な毛織の服を選び、細かいひだを取った糊の強い ものだということに気がついたからなのです。しかし、この白襟をつけているところは、、かにも信心深そうな様子に見 ひとたちの生活が実も花もなく、いとも荘重な倦怠がそのモ えました。常に数珠を手から離したことがなく、ものものし い様子で祈式に出かけ、精進日を一日守って、さまざまな スグワの邸を領しているにもかかわらず、全市の人々はこの 三人の隠者をたえず訪間することを、おのれの義務と心得て僧職にある人々や身分の高い人たちの訪問を受け、ありがた いるのでした。人々はこの三人をいっさいの古い貴族的伝統い本を読みなどして、一般に尼さんそっくりの生活をしてい の維持者のように見なし、はえ抜きの貴族階級ぜんたいの生るのでした。二階の静かなことといったら恐ろしいくらいで きた年代記あっ力し冫 、、こしていたのです。伯爵夫人は、死後も した。戸一つ軋ますことができないのです。老婦人は十四、 へテルプルグ五の娘ほど耳がさといので、ちょっとでも物音がしたり、ほ 数々の美しい記憶を残した立派な婦人でした。。 から来た人は、まず第一にこの人のところを訪問したものでんのわずか軋んだりしても、わざわざそのわけを調べに召使 す。このひとの邸へ出入りするものは、どこでも出入りができをさし向けるのでした。みんなひそひそ声で話をし、爪立ち たのです。しかし、伯爵夫人が死んだので、二人の姉妹に別で歩き、同様に年取ったフランス女などは、かわいそうに、 れ別れになってしまいました。上のほうの公爵令嬢はモス自分の愛用している履物ーー・踵つきの靴さえ、思いきらねば ならぬはめになりました。踵つきの靴はことごとく追放にな グワに残って、子供なしに死んだ伯爵夫人の遺産の一部を相 続し、修道院にこもっていた年下のはうは、甥の公爵を頼ったのです。わたしが来てから二週間たった時、老婦人は使 いをよこして、わたしがいったいどこの何もので、どうしてこ って、ペテルプルグへ出たわけです。その代わり、公爵の二 人の子供カーチャとアレグサンドルは大伯母のひとり暮らしの家へ来たのか、などということをたずねさせました。使い を慰め、その気を紛らすために、しばらくモスグワに残るこのものは早速うやうやしい調子で、その好奇心を満足させま とになったのです。公爵夫人は自分の子供を夢中になるほどした。すると、今度は二度目の使者がフランス女のところへ かわいがっていたのですが、ひとことも抗議をする勇気がな立てられて、どうして自分は今までその娘に会われないの か、という質問なのです。さあ、たちまち騒動がはじまりま く、決った服喪の期限中、愛児と別れることにしました。い い忘れましたが、わたしが引き取られて行った時、公爵の邸した。わたしは頭を梳かしたり、それでなくともきれいな顔
やがて面会がおわると、公爵夫人の顔は目に見えて厳しくな屋部屋へ行くことができると、それこそ大喜びなのでした。 りました。もうずっと気むずかしげな目つきでわたしを眺今でも覚えていますが、わたしは家の人たちと思う存分お話 がしたかったのですけれど、もし怒らせでもしたらと心配だ め、ロのきき方もぶつきらばうになりました。ことにわたし ったので、それよりも一人きりでいることにしたのです。わ をおどおどさせたのは、突き刺すような黒い目と ( それはど うかすると、まる十五分くらいわたしにそそがれているのでたしはよくどこか目につかぬ片隅にもぐり込んで、何かの家 具のうしろに身を潜め、自分の身に起こったことを追憶した した ) 、きっと結んだ薄い唇でした。 夕方、わたしは二階へつれて行かれました。熱に浮かされり、考え合わせたりしながら、時を送るのが好きなのでした。 でも、不思議なことには、わたしは両親の家で起こったこ て寝入りましたが、病的な夢のために、悩ましい気持ちで、 泣きながら夜中に目をさましました。朝になると、同じこととの結果を忘れたようなあんばいなのです。あの恐ろしい出 がはじまり、また公爵夫人のとこへ連れて行かれるのでし来事なども、ただ目の前に一つ一つの場面、一つ一つの事実 た。おしまいには、当の公爵夫人も自分の訪問客にわたしのが、ちぎれちぎれに閃くだけなのです。もっとも、わたしは 身の上話をするのにあきあきして来るし、客のはうではわた何もかも、あの夜も、・ハイオリンも、父も覚えていました。 しのことで同情の意を表するのにあきてしまったようでし父のために金を手に入れたことも覚えてはいたのですけれ ど、それらすべての出来事に意味を与えて、説明することは た。おまけに、わたしがまるで無邪気なところのない』、 : ただ胸の中が苦しくなっ あまりにもありふれた子供だったのです。これは、忘れもしどうしてかできないのでした : ません、ある中年の貴婦人とさし向かいで話をしている時、て、追憶があの母の死骸のそばで祈った瞬間までたどりつく 相手から「こんな子といっしょにいてよくお退屈でありませと、寒けが全身を流れ走って、わたしは身をふるわせなが んね」といわれた時、公爵夫人が自分の口からいった一一「ロ葉なら、微かに叫び声を上げるのでした。それから、息が苦しく のです。それで、ある晩わたしは目通りから下げられてしまなって、胸ぜんたいがしくしくうずき、心臓が烈しく動悸を 打ち出すので、わたしはぎよっとしてその片隅から駆け出し って、それつきり二度と連れて行かれなくなりました。 こうして、わたしの全盛時代は終わりを告げましたが、そたものです。もっとも、わたしは一人きりうっちゃられてい の代わりどこでも好きなだけ歩きまわっていいという許可がたといったのは、あれはうそをついたのです。わたしはたえ 与えられました。わたしは深い病的な憂愁をいだいていたのず油断なく見張られていました。公爵はわたしに完全な自由 で、じっとひとっところにすわっていることができませんでを与えて、何ひとっ窮屈な目に会わせてはならぬが、しかし したから、いよいよみんなのそばを離れて、階下の大きな部一刻もわたしを見失わないようにしろと命じたので、人々は した
ーチャはわたしの物語で、涙が出るほど感動してしまいまし がったようになって、もう三日間おたがいにそばを離れず、 のべっ接吻して、気ちがいのように泣いたり、笑ったりして 「意地わる、ほんとうにあんたは意地わるね ! どうしても いる。気ちがいのようにのべっ幕なしにしゃべっているが、 っと早くみんな話してくれなかったの ? そしたら、ほんとそんなことは以前まるでなかった。自分としては、その原因 うにあんたが好きになったのに、それこそ好きになったのが何かということはわからないけれども、公爵令嬢は何か病 街で男の子にぶたれたとき痛かった ? 」 的な危機に際会しているように思われる。そして最後に、自 分の見るところでは、二人はあまりしよっちゅう会わせない 「痛かったわ。わたしその子らがとてもこわくって ! 」 「ああ、悪い子らねえ ! ねえ、ネートチカ、往来で一人のようにしたほうがいい。 男の子がもう一人をぶってるところ、あたし自分でも見たこ 「わたしも前からそう思っていました」と公爵夫人は答えま とがあるわ。明日はあたしないしょでファルスタッフの鞭をした。「あの奇妙なみなし児がいろんな厄介をかけるだろう 持ってって、一人でもそんなのに出会ったら、うんとひつば とは、もうちゃんとわかっていたのです。あの子のことや、 たいてやるわ、うんと ! 」 あの子の以前の暮らしで、わたしが話して聞かされていたこ とは、何もかも恐ろしい、まったく身の毛もよだつようで その目は憤怒にぎらぎらと輝くのでした。 だれか入って来ると、わたしたちはぎよっとしました。接す ! あの子は間違いなくカーチャに悪い影響を与えていま 吻するところを見つけられはしないかと、びくびくものなのす。あなた、カーチャはあの子をたいそう好いてる、という でした。ところで、その日は少なくとも百ペんくらい接吻しんですね ? 」 「もう夢中でございます」 たのです。こうして、この日も次の日も過ぎました。わたし 公爵夫人はいまいましさに顔をあかくしました。もう自分 は歓喜のあまり、死んでしまいはせぬかと心配でした。幸福 ヴのために息がつまりそうでした。けれど、わたしたちの幸福の娘のために、わたしを嫉妬しているのでした。 一は長つづきがしませんでした。 「それは不自然です」と夫人はいいました。「前は二人とも ヴ マダム・レオタールは、公爵令嬢の動静をいちいち報告す他人同様にしていて、正直なところ、わたしはそれを喜んで いたんですの。あのみなし児はまだ小さいけれども、わたし ネる義務がありました。で、まる三日間わたしたちの様子を観 カ察していましたが、その三日間にいろいろと話の種がたまっ何ひとっ信用できません。あなたわたしの気持ちがわかりま トたのです。とどのつまり公爵夫人のところへ行って、気のっす ? あの子はもう母親の乳といっしょに、自分の教育も、 ネいたことを報告しました。わたしたちが二人とも何か気がち自分の習慣も、ひょっとしたら生活の規範まで、吸い込んで 3
の暗い片隅から不遇の楽師を見つけ出すのが得意だった。あとして、われわれの眼前に浮かびあがる思いである・ るとき、伯爵がどこかの屋根裏で発見したとおばしき、アル 米川正大 コール中毒で猜疑心の強い、吝嗇なパイオリン弾きが、作家 の想像に印象を残したと考えられる。その証拠としてエーメ は「ネートチカ』がヴィエリゴールスキイ伯爵に捧げられて いる、といっている。なお、この作品の第二部に現われる、 高慢で虚栄心のつよい公爵夫人は、まさしくヴィエリゴー ルスキイ伯爵夫人をモデルにしたものである、とも彼女は断 言している。しかし、それは多く論ずるに足らぬ些事であっ て、ドストエーフスキイの逞しい空想力にとっては、きわめ て小さな暗示ひとつだけによっても、鮮かなカづよい形象を 創り上げるのは、し 、とも容易なわざだったからである。 この作品の中に現われるもろもろの形象のうち、中でも見 事な描写を与えられているのは、主人公のネートチカであ ーモフに対する常軌を逸した愛情は、 る。彼女の義父エフィ 彼女自身の放恣な空想も手伝っているけれど、精神分析学の いわゆる異性親に対する愛情の現われとして的確に把握さ れ、その結果として生じやすい同性親Ⅱ母に対する理由なき 反感憎悪も、この偉大な心理家によって容赦なく剔抉されて いる。第二部に描かれている二人の少女、ネートチカとカー チャのもの狂わしい相互愛も、幼きェロティシズムの忌憚な き描写として、世人の目を見はらせたものである。 説なお、カーチャの性格は『白痴』のアグラーヤの雛型とも いうべく、この二編を併せ読めば、わがままで誇りの高い、 解しかも純真で羞恥心の強い、情熱的な女性の姿が完全なもの
にすわるのさえいやがる、かと思うと、とっぜん母夫人のはら、くよくよとふさいでばかりいました。憂愁はわたしの魂 うへ行ってしまって、何日も何日もそこにいるのです。きつを蝕ばみ、正義感と憤懣の情は、わたしの辱しめられた胸 とわたしがカーチャに焦れて、やせるような思いをしているの中で、次第に叛逆を起こすようになりました。一種のプラ イドが突如わたしの内部に生まれ出て、散歩につれ出される ことを承知していたのでしよう。それかと思うと、だしぬけ に幾時間も幾時間もわたしを見つめるので、わたしは死にそ時カーチャと顔を合わすと、わたしは生まじめな独立不覊な うなほど当惑して、身の置場がなく、赤くなったり青くなつ目つきで相手を見つめました。それが前とは似ても似つかな たりするのですが、そのくせ、部屋を出て行く勇気がない いので、カーチャに衝撃を与えたほどです。いうまでもな く、そうした変化はただ突発的に起こるだけで、その後では のです。カーチャはもう一一度も熱けがすると訴えましたが、 以前はこの子が病気したことなど、一度も覚えがなかったのわたしの胸はいよいよ烈しく痛み出し、わたしは前にも増し です。とうとう、ある朝ふいに特別の命令が下されて、公爵て心弱くなり、くよくよするのでした。 令嬢は当人のたっての望みで、下の母夫人のところへ引っ越とうとうある朝、わたしにいたく不審をいだかぜ、喜ばし して行きました。母夫人は、カーチャが熱けがすると訴えたい困惑を感じさせたことでしたが、公爵令嬢が二階へ帰って 時、恐怖のあまり死なんばかりでした。断わっておきます来ました。最初、気ちがいめいた笑い声とともに、マダム・ が、公爵夫人はわたしに対してひどくご機嫌がわるく、夫人レオタールの頸筋に飛びかかって、またこっちへ引っ越して の目についたカーチャの変化をすっかりわたしのせいにし、来たのよ、といいました。それから、わたしにもちょいとう わたしの陰気な性質が、夫人の言葉を借りると、自分の娘のなずいて見せ、今朝は何にも勉強しないでいいという許可を 性質に影響を与えたと思い込んだのです。夫人はもう前か もらって、午前ちゅうずっと飛んだり跳ねたりして駆けずり ら、わたしたち二人を引き離したがっていたのですが、夫とまわりました。カーチャがこれほどいきいきとしてうれしそ ヴしい争わなければならぬことを知っていたので、時機が来るうなのは、それまで見たことがありませんでした。でも、タ 一まで延ばしていたのです。公爵は万事につけて夫人に譲歩し方ちかく、だんだんおとなしくなり、もの思わしげになっ 一ヴていましたが、どうかするとひどく頑固になって、断然ゆずろて、またもや何かの憂愁の影がその美しい顔にさしました。 ネうとしません。その気性を夫人はよく知り抜いていたのです。その晩、公爵夫人がわが子を見に来た時、カーチャが楽しそ うに見せかけようと不自然な努力をしているのに、わたしは カわたしは公爵令嬢の引っ越しにショッグを受けて、まる一 週間というもの、極端に病的な緊張状態ですごしました。カ気がっきました。けれど、母夫人が出て行って、一人きりに なった時、カーチャはとっぜんわっと泣き出しました。わた田 ネーチャがわたしをきらうようになった原因に頭を悩ましなが
でという声を聞いた時、わたしの顔はさっと青くなりましわたしの身の上は実に並はずれたもので、そこには運命がお もな役割を働き、神秘的とさえいえるさまざまな道程がうか た。わたしはもう着替えをしてもらっている時から、これは がわれ、いろいろ面白い、説明のできぬほど幻想的なものを 何かの拷問が準備されているのだ、と考えました。もっと も、どうしてそんな考えがわたしの頭に湧いたのか、それは蔵していたのですが、わたし自身まるでこのメロドラマふう な状況につら当てでもするように、いとも平凡な、おびえてい とんとわからないのです。概して、わたしは自分をとりまく いっさいのものに、何か妙な不信の念を持って、新しい生活じけた、少々智恵の足りない子供のようにさえ思われたので へ入っていったのです。でも、公爵夫人はわたしにひどく愛す。わけても、智恵の足りないらしいのが、公爵夫人にひどく 想がよく、接吻さえしてくれました。わたしはいくらか大胆気に入らなかったので、わたしはすぐさま夫人に飽きられて になって、夫人を見上げました。それは、わたしが前後不覚しまいました。もっとも、それについては、もちろん、わたし は自分で自分を貴めるより仕方がありません。一一時を過ぎた の状態からさめて以来はじめて見た、このうえもない美しい 貴婦人でした。けれど、わたしはその手を接吻した時、全身頃から面会が始まりました。すると、夫人は急にわたしに心 がわなわなとふるえて、夫人の問いに何か答えようと思っをつかいだし、優しくなりました。来客がわたしのことをた ても、どうしてもその気力がないのでした。夫人は自分のそずねると、これには実に面白い物語があるのですといって、フ ランス語で話しはじめました。その話の間、客はわたしの顔 ばにある低い椅子に、腰を下ろすように命じました。それは もう前もって、わたしのために決められた席らしく思われまを見て、首をふったり、叫び声を上げたりするのでした。一 した。見受けたところ、夫人は心からわたしを愛撫して、わ人の青年はわたしに柄附き眼鏡を向けるし、香水をぶんぶん たしのためにすっかり母親がわりになろうというよりほか、匂わせている胡麻塩の紳士は、わたしに接吻しようとしまし た。わたしは体じゅうわなわなとふるわせながら、青くなっ なんの望みもなさそうな様子でした。ところが、わたしはう っこうにわからないで、夫たり赤くなったりして、目を伏せたまますわっていました。 ヴまい機会にぶつつかったことがい 一人を感心さすようなことが何ひとつできませんでした。わた心臓はしくしくうずき痛むのでした。わたしの心は過去に飛 ヴしは美しい絵入りの本をもらい、あけてごらんといいつけらび移り、あの屋根裏に帰っていきました。わたしは父のこと ネれました。当の公爵夫人はだれかに宛てた手紙を書いていまや、あの黙りがちな長い夜な夜なや、母のことなどを思い起 こしましたが、母のことを追想するたびに、目に涙が浮かん 力したが、時おり。ヘンを置いて、わたしに話しかけるのでし トた。ところが、わたしはまごっいてしどろもどろになり、何で、喉をしめつけられるような気がして、わたしはここから ネひとっとして取りとめたことがいえません。一口にいうと、逃げ出して姿を消し、一人きりになりたいと思いました :
ヤは美しい、善良な、かわいらしい心の持主で、もう本能だ母親を理解して、もはや服従する時には、母夫人の限りない % けで自分の進むべき善の道をいつも見つけ出すことができる愛情の意味を十分に知り抜いていました。実際、母夫人の愛 のでした。カーチャに何よりも大きい影響を与えたのは、カ情はどうかすると、病的な激情にまで達するほどでした。で ーチャ自身も敬愛している父公爵でした。 公爵令嬢は寛大にも、このことを計算に入れたのでした。と 母夫人も夢中になるほどカーチャを愛していましたが、そころが、ああ ! この計算も後になって、カーチャの熱しゃ のしつけは恐ろしく厳格でした。カーチャは母夫人から強情すい頭には、さして助けとならなかったのでした ! で、高慢で、しつかりした気性をもらったわけですが、それ けれど、わたしは自分がどうなっているのか、ほとんど理 でも時としては精神的暴虐にさえ陥るほどな母夫人の気紛れ解ができなかったのです。わたしの内部は何かしら新しいし を、ことごとく身一つに耐え忍ばなければなりませんでした。 いがたい感触のため、すっかり波立ち騒いでいました。この 公爵夫人は教育というものを、何か妙なふうに解釈していま感情のために苦しみ悩んだといっても、誇張にはなりませ した。で、カーチャの教育はめちやめちゃの甘やかしと容赦ん。手短かにいえば、 どうかこんな言葉をゆるしてくだ のない厳格さとの、不思議なコントラストをなしているのさい、 わたしはカーチャに惚れ込んでしまったのです。 でした。きのう許されたことが、今日はとっぜんなんの原因そうです、これは恋でした、ほんとうの恋でした、涙と喜び もないのに差しとめられるというふうで、そのために子供のを伴った恋でした、烈しい恋でした。いったいわたしは何 正義感はある侮辱を与えられるのでした : : : でも、この話は にひきつけられたのでしよう ? どうしてそんな恋ごころが まだ先のことです。ただちょっと断わっておきますが、この生まれたのでしよう ? それはこの子を一目みた時から始ま 子はもう父母に対する自分の態度を決めることができるのでったのです。その時わたしのありとあらゆる感覚は、天使の した。父親に対しては何もかも剥き出しで、ありのままを少ように美しいこの子の様子に、快く打たれたのです。それは しも隠さずぶちまけていました。母親に対してはまるでそのどこからどこまでも美しくて、この子の持っている悪總は、 反対で、固く殻の中に閉じこもり、何か信じられない様子で一つとして生来のものではありません、みんな後から取り入 したが、絶対服従の態度をとっていました。が、その服従はれたので、すべて闘争の状態にありました。どこを見ても美 真底から出たものでもなく、信念によるのでもなく、ただやむしい根元がうかがわれました。ただ一時いつわりの形式をと をえない原則によるものでした。このことは後で説明しましっているばかりなのです。しかし、この子の持っているもの よう。もっとも、わたしのカーチャのため、とくに誇るべき は、この闘争を初めとして何から何まで、悦ばしい希望に輝 こととしていっておきますが、しまいにはカーチャも自分のき、悦ばしい未来を約東しているのでした。わたしばかりで
なのです。カーチャに会うのはわたしの約東事であり、わたん。とうとう、四年ほど前に、金持ちで官等の高い人物のと田 ころへ、うまく嫁入りさすことができました。アレグサンド しを発見するのはカーチャの運命だったように思われます。 それに、わたしも追想の中でもういちど自分の少女時代に帰ラは今までとすっかり違った社会に入り、自分の周囲にすっ る楽しみを、抑えきれなかったので : : : これから、わたしのかり違った人たちを見るようになったのです。公爵夫人は年 に二度ずつこの娘を訪問することにしていました。ところ 物語も進行が早くなります。わたしの生活はとっぜんなにか 凪みたいな時期に入っていって、もう十六の年が来た時、も が、義父に当たる公爵は毎週かならず、カーチャをつれて訪 ういちど夢がさめたようなあんばいでした : ねて来るのでした。ところが、最近、公爵夫人がカーチャを 姉のところへやるのを好まなくなったので、公爵はそっとっ けれど、公爵一家がモスグワへ立った後で、わたしがどう なったかとい , っことを、ひとこと話しておきましょ , フ。 れ出すようにしていました。カーチャは姉を夢中になるほど わたしはマダム・レオタールといっしょに取り残されまし愛しているのでした。この二人は性格からいうと、極端なコ ントラストをなしていました。アレグサンドラは年の頃二十 二週間たっと、急使がやって来て、ペテルプルグへの帰還二、静かな、やさしい、愛情の深い婦人でしたが、なにかし ら秘めたる憂愁というか、隠れた心内の痛みというか、そん は無期限に延期された、と披露しました。マダム・レオター なものが、このひとのあでやかな顔かたちに、厳しい翳をつ ルは家庭の事情でモスグワへ行くことができなかったため、 公爵家でのお勤めは終わりを告げました。けれど、やはり同けているかのようでした。このまじめさと厳しさは、このひ じ一族の中にとどまることにして、公爵夫人の長女アレグサとの天使のように美しい顔に、なにかうつりが悪うございま した、まるで喪服が子供にうつらないように。深い同情の念 ンドラ・ミハイロヴナのところへ引き移りました。 わたしはまだアレグサンドラ・ミハイロヴナのことを何もをいだかずには、このひとを見ることができないのでした。 いいませんでした。それに、このひとに会ったのもたった一 青い顔色をして、わたしが初めてこのひとを見た時には、肺 度だけなのです。これは公爵夫人が先夫との間に儲けた娘で病になりやすい質だといわれていました。じつに淋しい生活 した。公爵夫人の出生も親戚関係も、何か曖昧なものでしをしていて、家へ人を集めることも、社交界へ出て行くこと た。先夫は酒の専売をやっていたそうです。公爵夫人が再度も好まず、まるで修道院の尼みたいなのです。このひとには の結婚をした時、上の娘をどうしたらいいか、まるで見当が子供がありませんでした。忘れもしません、このひとがマダ ム・レオタールのとこへ来た時、わたしのそばへ寄って、深 つきかねていました。華々しい結婚の相手を望むわけにもい きません。持参金もある程度しか分けてもらっておりませい情をこめながら接吻してくれました。このひとといっしょ