相手 - みる会図書館


検索対象: ドストエーフスキイ全集4 死の家の記録
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1. ドストエーフスキイ全集4 死の家の記録

っと起こるにちがいない。彼はそれを口に出してこそいわな胸の中のもだもだをはき出したがるのであった。悪態をつい かったけれども、その目を見ただけで、そうした気持ちはあたり苦情をいったりするのも、あとで競争者と和睦する時の りありと見えていた。彼は根気よく監房から監房へと、のべ効果をいっそう強めたいがためらしかった。相手のほうは肉 っ往ったり来たりしていた。しかし、乱酔と、酔漢の無意味づきがよくてがっしりした、あまり背の高くない、顔の丸 な悪口雑言と、酩酊のために逆上した頭のほかには、何ひと 、わる狡く立ちまわるたちの男であった。もう一人のほう っ特別なことも起こらなければ、変わったものにも出くわさより、よけい飲んでいるらしかったが、ほんのちょっとしか なかった。シロートキンも、やはり新調の赤いルバシカを着酔ってはいなかった。彼は性根がしつかりしていて、金持ち 込み、きれいにあらいあげたかわいい顔をして、監房というで通っていたが、・ とういうわけか、今は感激しやすい相手の 監房を残らず歩きまわっていたが、これも静かに、無邪気男をじらさないほうが得だったらしく、酒売りのところへ引 何ものかをまち設ける様子であった。次第次第に監房のつばって行った。相手のほうは、「もしおめえが正直な人間 内は、やりきれないほどいまわしいものになってきた。もちだったら』おれに奢るのがほんとうだ、『そうする義務があ 、、よっていた。 ろん、滑稽なこともずいぶんあったけれど、わたしは妙にもる』とししし の悲しくなって、みんながかわいそうに思われ、彼らの間に酒売りは、注文主のほうには幾分の敬意を見せ、感激しゃ いるのが重苦しく、息づまるような感じがしてきた。そこですいその仲間に対しては、侮蔑の影を示しながら ( というの は二人の囚人が、ご馳走するのはどちらが本筋か、というこは、自分の金で飲まないで、人に奢ってもらっているからで とでいい争っている。どうやら、もう長いこと口論しているある ) 、酒を取り出して一杯ついだ。 らしく、その前には喧嘩までしたらしいふうである。とくに 「いけねえ、スチョープカ、こりやどうしてもおめえの義務 一人のほうは、久しい以前から、相手に対して何か含むとこだよ」と感激家の仲間は、自分のいい分が通ったのを見て、 ろれつ ろがあるらしく、呂律のまわらぬ舌を動かしながら泣き一言をこういった。「なぜって見ねえ、こいつあおめえのほうに義 並べ、相手の仕打ちが真当でないことを証明しようと、やっ理があるんだからな」 きとなっている。それは、何か半外套を売り飛ばしたとか、 「なあに、おれあおめえなんかを相手によけいな口をきい 去年の謝肉祭に何かの金をかくしたとか、その他まだこれにて、舌をすりへらすなあいやなこったあ ! 」とスチョープカ 号ロ 類したことが何やかやあった : : こういって責め立てているは答える。 家ほうは、背の高い、筋骨隆々たる若者で、頭の悪くないおと 「いんや、スチョープカ、そりやおめえ生意気だよ」と、こ 死なしい男であったが、酔うと無性に友情の押し売りをして、 ちらは酒売りから茶碗を受け取りながら、くり返した。「だ まっとう

2. ドストエーフスキイ全集4 死の家の記録

「ちょっとお話したいことがあるのですが」と彼はいんぎん に会釈していった。 わたしは、この男がなんといったのかよくもわからず、じ っと相手を見ていました。 「あとで、ごめんなさい、わたし気分が悪いものですから」 相手のそばを通りぬけながら、わたしはやっとこういいまし 「では、また明日」とオヴロフは何か意味ありげな微笑を浮 かべて、会釈しながらいいました。 でも、それはただそう思われただけかもしれません。それ さながらわたしの目の前をちらとかすめたよ らはみな、 うな感じでした。

3. ドストエーフスキイ全集4 死の家の記録

「てめえはやくざものだ、カガンでもなんでもありやしね「兄貴 : : : わしがてめえの兄貴なんかでたまるもんか ! 一 ループリがとこもいっしょに飲んだことはありやしねえ、そ え ! 」 自分のほうがあらゆる点でひけを取ったと感じたので、肥れを兄貴だなんて ! 」と廃兵は外套の袖に手を通しながらば ゃいた。 っちょは賁怒の極に達してわめき出した。 しかし、喧嘩が本式になりかけるが早いか、人々は二人の人々は点呼の支度にかかった。次第に夜が明けて来る。炊 事場は黒山のような人だかりで、通り路もないほどであっ 元気ものをたちまち押えつけてしまった。 「なにをがあがあ騒ぎ立てやがるんだ ! 」と監房じゅうのもた。囚人たちは半外套を着、半々に布をはぎ合わせた帽子を かぶって、炊事番の一人が切っているパンのそばにひしめい のが彼らをどなりつけた。 「そんなにわめいて咽喉の皮を破るよかも、いっそっかみ合ていた。炊事番は囚人仲間から選ばれて、各炊事場二人ずつ いをやったほうがよかろうぜ ! 」とだれかが隅のほうから叫出ることになっている。炊事場ぜんぶを通じてたったひとっ / と肉切り用の庖丁は、この炊事番たちが預かる しかないパ、 んだ。 ことになっているのだ。 「なあに、今に見てろ、つかみ合いをおっ始めるから ! 」と 応じる声が聞こえた。「おれたち仲間は元気がよくて、喧嘩半外套を着て帽子をかぶり、その上からパンドを締めて、 っ早い連中だから、こっちが七人で相手が一人なら、びくびすぐにも仕事に出られるように支度のできた囚人たちは、方 方の隅々やテープルのまわりに陣取った。なかにはグワス入 くなんかしやしねえよ : : : 」 りの椀を前に控えた連中もいた。このグワスの中にパンを細 「いや、二人とも感心なものよ : : : 一人はパン一斤のために けんけんごうごう かく砕いたのを入れて、それをすするのであった。喧々囂々 監獄へほうり込まれるし、一人はまるで泥棒猫みてえに、百 姓の女房のグリームを盗み食いして、笞をちょうだいしたんの声は耳を聾するばかりであった。しかし、なかには片隅に 引っ込んで、いかにも分別らしく小さな声で話しているもの だからな」 もあった。 「おい、、い、おい、もうたくさんだ」と廃兵がどなった。 「アントーヌイチ爺さん、今日は、よろしくおあがり ! 」と これは監房内の秩序を保っためにここにおかれているので、 一人の若い囚人が、苦い顔をした抜けの囚人のそばに腰を そのために片隅の特別な寝台で寝起きしているのであった。 ネリヴァード・ ベトローヴィチのおろして、こう話しかけた。 記「おい、みんな、水だー 家お目ざめだせ ! ネリヴァード・ ベトローヴィチ兄貴に水「ああ、ご機嫌よう、もしおまえがわしをからかっておるの の でなければな」と相手は目をあげないで、歯のない土手でパ % 死た ! 」 ろう

4. ドストエーフスキイ全集4 死の家の記録

た男で、目つきはなんとなく不安げな表情をしていたが、ど口にいやあ金持ちなんだ」 、フかすると 、、かにも鈍そうなもの思いの色を見せることが「商売をやっていたというんだな ? 」 ある。何かの拍子で話をはじめると、最初は一生懸命になっ 「うん、そう、商売をやってたんだ。おれたちのほうの町人 て熱心にしゃべり立て、両手まで振りまわすほどだが、急に仲間といったら、貧乏人ばかりでな、てんで裸虫なんだ。女 ばつりと話を切ってしまうか、ほかのほうへはずれていっ房どもは川から水を汲んで来て、どえらい崖道を担ぎ上げ て、話題のこまかいいきさつに気を取られてしまい、前の話て、そいつを野菜畑にかけてやるといったふうで、いやはや を忘れてしまうのである。彼はよく悪態をついた。悪態をは たいした苦労だが、秋になると菜汁の実も取りかねるという じめると、かならず相手が自分に何か悪いことをしたよう有様だ。まったく目も当てられやしねえ。ところがさ、やっ はたいした土地を持っていて、その土地を作男に作らしてい にいって責め立て、ほとんど泣かんばかりに掻き口説くのだ : パラライカを弾かせるとなかなかじようずなもので、自やがる。作男だって三人もかかえているんだからな。おまけ 分でも弾くのが好きだった。祭日などには踊りまでした。こ 、養蜂場まで持ってて、蜜を売ったり、家畜の売り買いま とに人から勧められた時にはよく踊った : : : 彼は何につけてでやっているんだから、土地じや大変な崇めかたなのさ。す も、すぐ人のいいなり次第になった : : : それはひどく素直だ いぶん年寄りで、七十からの年になっていたから、骨がこわ からではなく、人の仲間に割り込んで行っておっき合いにごくなって、頭も真っ白だったが、なかなか大きな図体をして 機嫌をとるのが好きだったからである。 おったよ。そいつが、狐の毛皮外套を着て、市場へ出て来る わたしは長いこと、何をこの男が話しているのか察しがっと、みんながペこペこやるんだ。つまり、感心してしまうの かなかった。そのうえはじめの間は、彼がのべっ本題を離れさ。「ご機嫌よう、旦那。アンクジーム・トロフィームイ て、わき道へばかりはずれているように思われた。彼はおそチ ! 』というと、「やあ、おまえもご機嫌よう』といった調 らく、相手のチェレーヴィンにとって自分の話なんかほとん子で、だれ一人ないがしろにしねえのさ。『アンクジーム・ トロフィームイチ、どうかいつまでもご息災で ! 』という ど用がないことに気がついていたのだろうが、わざと自分で 自分を欺いて、聞き手が一心に耳を澄ましているものと、信と、『どうだな、おまえのほうの景気は ? 』ときくのさ。『わ じよ、つとしているらし い。だから、もし彼がその反対の確信っしらの景気なんて、煤が白くでもなんなきや、よくなりつ に到達したら、さそかしつらいことだったに相違ない。 こねえでがすよ。ところで、旦那、おまえさんのほうは ? 』 てんと 家「 : : : よく市場へ出かけて来ると」と彼は一言葉を続けた。 『わしらもやつばし罪な暮らしをしてるのさ、折角のお天道 死「みんながペこペこ頭を下げて、感心してやがるのさ、ひと様を曇らすようなことをやってな』『まあ、息災でお暮らし

5. ドストエーフスキイ全集4 死の家の記録

ともかかりムロいになるまいとしているらしかった。ところが 繻子の着物をきた姿 いま酔っぱらったために、影のごとくヴァルラーモフにつき さて好もしゃ まとっているのであった、彼はひどく興奮して、ヴァルラー モフの跡をつけまわし、両手を振りまわしたり、壁や寝板を この歌が、どうやらプールキンの堪忍袋の緒を切らしたら 拳固でたたいたりして、ほとんど泣き出さんばかりであっ しい。彼は両手を振りまわし、一同に向かって叫んだ。 た。ヴァルラーモフは、そんなものなどまるでそばに、よ、 「いつも出たらめばかりいってやがるんだ、兄弟衆、いつも かのように、一顧の注意も払わぬ様子であった。奇態なこと こいつはうそばかりついてやがるんだ ! ひとっこともほん には、これまでこの二人の人間は、ほとんど一度も仲良くし とうのことはいやしねえ、みんな出たらめだ ! 」 ていたことがないのである。二人の間には、仕事からいって「アレグサンドル・ベトローヴィチ老人 ! 」とわる狡そうな も性質からいっても、何ひとっ共通点がなかったのだ。それ笑みを浮かべて、わたしの顔をのぞき込みながら、ヴァルラ 、刑の種類も違うし、棲んでいる監房も別々だった。小が ーモフはこういって、今にも接吻しそうな様子を見せた。彼 らな囚人の名はプールキンといった。 は一杯機嫌だったのである。「何々老人 : : : 』といういいま ヴァルラーモフはわたしを見ると、にやりと笑った。わたわしは、つまりだれだれに敬意を表するという意味で、シ・ヘ はたち しは暖炉に近い自分の寝板の上にすわっていた。彼はわたし リヤでは一般に民衆の間に用いられていた。相手は二十歳そ と向かい合って、やや離れたところに立ちどまり、何やら考こそこの若い者でもかまわないのであった。『老人』という え合わせる様子であったが、ひとつよろよろとして、不揃い言葉は何か敬意のこもった尊称であって、お世辞のような意 な足どりでわたしのそばに近より、妙に気取った様子で、片味さえ有している。 手を腰に当てて反り身になり、軽くパラライカの絃を爪ぐり 「やあ、ヴァルラーモフ、変わりはないかね ? 」 レシタティフ ながら、靴の踵でかすかに拍子をとって、宣叙調で朗吟を始「まあ、どうやらこうやらその日ぐらしでさ。ところで、お めた。 祭がうれしい人間は、朝つばらから酔っぱらってるんでね。 どうかまっぴらご免なせえ ! 」とヴァルラーモフはいくらか まる顔で白い顔 うたうような調子でいった。 小鳥のように歌ってる 「いつも出たらめばかりいってやがる、こいつはまたうそを いとしいあの娘 ついてやがるんだ ! 」とプールキンは何かやけつばちの様子 しゃれた縁縫い飾りのついた で、寝板をどんどんとたたきながらわめき立てた。しかし相 ~ 42

6. ドストエーフスキイ全集4 死の家の記録

のような人の獄内における立場は恐ろしいものであった。 わしにしよう。彼ははじめのうち、わたしが彼の経歴を知ら はーフが投獄された原因を知らないでいた。むしろそのないと思って、一生懸命、わたしに取り入ろうとした。くり 反対に、ーフは相手がどんな人間かということを察する返していうが、彼は入獄当時のわたしの生活を毒して、いち と、すぐさまに向かって、自分が流刑になった理山は密告だんと憂欝なものにしたのである。わたしは自分が転落して などとはまったく反対のものであって、とほとんど同じ理来て、いつの間にかそのまっただ中におかれた世界の恐るべ 由によるものだといって相手を信じこませた。は自分に仲き陋劣さと、卑屈さにぎよっとしてしまった。わたしは、ここ 間ができ、親友が現われたことをひどく喜んだ。彼は << ーフでは何もかもが同じように陋劣で、卑屈なのに相違ないと思 の入獄当時、さぞ苦しいだろうといって、いろいろ彼のめんっこ。・ : オカそれは間違いであった。わたしはーフを標準に どうをみ、慰めの言葉をかけ、なけなしの金をやり、ご馳走して、すべての人を律しようとしたのだ。 を食べさせ、なくてはかなわぬ品物さえ分けてやった。しか わたしはこの三日間、憂愁に閉ざされながら獄内を歩きま し、ーフはたちまち彼を憎みはじめた。というのは、相手わったり、寝板の上に横になったりしていた。またアキ が潔白な人間で、すべて卑劣な行為を恐怖の目をもって眺めム・アキームイチの教えてくれた信用のできる囚人に、官か るというふうで、自分とはまるつきり似ても似つかない人間ら支給された布でシャツを縫わしたり ( もちろん、仕立て賃 だからである。で、が以前おりおりの世間話に監獄仲間やを払うのだが、それはシッ一枚について何コペイカという ようなものであった ) 、同じくアキーム・アキームイチのた 少佐についていったことを、ーフは大急ぎで機会を見て、 要塞参謀に残らず伝えてしまったのである。少佐はそのためっての勧めにしたがって、折り畳みのできる煎餅のように薄 におそろしくを憎んで、虐待しはじめた。もし要塞司令官い敷蒲団 ( 毛氈くずを布で包んだもの ) と、羊毛をつめた枕 かじ が楫を取らなかったら、一大事に立ちいたったかもしれない を注文した。この枕は不慣れなために、ひどく固いように田 5 ほどである。その後、äが彼の卑劣な行為を知った時にも、われた。アキーム・アキームイチはわたしのために、こうし ーフはいささかも狼狽する色がなかったばかりか、かえっ た品々を整えるのに、やっきとなって心配したばかりか、自 て彼と顔を合わせ、冷笑の目で相手を眺めるのが愉快そうな分でもひと役買って出て、古い官給品のラシャの切れつ端 くらいであった。あきらかに、彼にとっては、それが享楽にで、手ずから掛蒲団を縫ってくれた。それは、着古した上着 なるらしかった。などは自分で幾度も、それをわたしに指やズボンを、ほかの囚人たちから集めて、それを継ぎ合わし 摘したくらいである。この卑劣な人非人は、その後ある囚人たものである。官給品は、一定の期限が過ぎると、当の囚人 と一人の警護兵といっしょに脱走を試みたが、その話は後まのものとなった。すると、たちまち監獄内で売買されるので きれ

7. ドストエーフスキイ全集4 死の家の記録

から飛び下りました。 まもなく気がっきましたが、このひとは不機嫌な気分になっ 「あんたはそこで何をしているんだね ? 」と主人は厳しい声ていて、あまりものもいわず、わたしのほうはちっとも見な でききました。「なんのためにここにいるんだね ? 」 いで、の心配そうな問いに対しても、頭痛を訴えるばかり わたしはなんと答えていいのかわかりませんでした。いくでした。主人のほうはいつもよりよく話しましたが、その相 らか気を取り直して、どうにかこうにかアレクサンドラの招手はただだけなのです。 待を伝えました。主人がなんと答えたかも覚えなければ、自 アレグサンドラはばんやりした様子で、ピアノのそばへ寄 分がどんなにして書斎を出たかも覚えがありません。アレグりました。 サンドラの部屋へ帰ると、相手の期待している返事をすっか 「何か一つ歌って聞かせてください」とがわたしのほうへ り忘れて、ただおいでになりますと 、、い加減なことをしし 向いていいました。 ました。 「そうね、アンネッタ、あんたの新しく練習したアリヤをお 「でも、あんたどうしたのネートチカ ? 」とアレグサンドラ歌いなさい」この思いっきを喜ぶように、アレグサンドラは はききました。「真っ赤な顔をして。まあ、鏡を見てごらん。引き取りました。 いったいどうしたの ? 」 わたしはその顔を見やりました。相手は不安げな期待のさ 「知りません : : : あんまり早く歩いたものだから : : : 」とわまで、じっとわたしを見つめています。 たしは答えました。 けれど、わたしは自分を抑えつけることができませんでし 「ピヨートル・アレクサンドロヴィチは、なんとおっしやっ た。ピアノのそばへ寄って、せめて何にまれ歌おうともせ て ? 」と相手は当惑したようにさえぎりました。 ず、そのくせなんといい抜けしようという智恵もなく、当惑一 わたしは返事をしませんでした。その時、主人の足音が聞してもじもじしていました。とどのつまり、わたしはいまい こえたので、わたしはすぐ部屋を出てしまいました。まる一一ましさを制しきれず、きつばり断わってしまいました。 時間というもの、堪えがたい胸の悩みをいだきながら待って「あんたどうして歌うのがいやなの ? 」アレクサンドラは意 いました。とうとう、アレグサンドラのところへ来いという味ありげにわたしを眺め、同時にちらと夫のほうを見て、こ 使いが来ました。アレクサンドラは何か心配そうで、ロ数がうたずねました。 少のうございました。わたしが入って行った時、試すように この二つの視線を見るとわたしは我慢ができなくなりまし ちらとわたしを見ましたが、すぐ目を伏せてしまいました。 た。わたしはもう混乱してしまって、つとテープルから離れ その顔には、何か困惑の色が浮かんだように思われました。 ました。その混乱を隠そうともせず、何かしら性急ないまい

8. ドストエーフスキイ全集4 死の家の記録

に向かって、いったいあなたどうしたのか ? 病気でもしよ。そうしなかったら、お書斎へ入って来ちゃいけないって いわれたんですもの」しばらく黙ってから、そうつけ加えま たのか、急におとなしくなって ? とびつくりしてたずねた ほどです。カーチャはそれに何か答えて、羽根を手に取ろうした。 そ、ついってしま、つと、 ハバがどんな態度を見せるかしら としましたが、マダム・レオタールがちょっと横へ向くやい と、もういちど自分で自分に確かめるように、おずおすとも なや、真っ赤になって泣き出しました。それから、わたしに 見られないために、部屋から駆け出してしまいました。やがの思わしげに階下へおりて行きました。 いさか てとうとう、何もかも解決がっきました。わたしたちの諍い けれど、一時間ばかりして、二階で叫び声、騒々しい物 からかっきり三日たって、カーチャは食後にとっぜんわたし音、笑い声、ファルスタッフの吠え声などが起こり、何かひ つくり返ってけし飛ぶやら、幾冊もの本が床へ落ちるやら、 の部屋へ入って来て、おずおずとそばへ寄って来ました。 ハバがね、あんたにお詫びをしろっていいつけたの」とカそして輪をまわす音が部屋部屋にがらがらと高く鳴り渡るや ら、ーー手つ取り早くいうと、カーチャが父公爵と仲直りし ーチャは、いました。「あんた、堪忍してくれて ? 」 わたしは、つとカーチャの両手を取って、興奮のあまり息たことがわかりました。わたしの心臓は喜びにふるえるので を切らせながらいいました。 「ええ ! でも、カーチャはわたしのそばへ来ようとせず、目に見え ええ ! 」 ハバが接吻しろっていいつけたの。あんたあたしに接吻すて、わたしと話すのを避けている様子でした。その代わり、 わたしはこのうえもないほどの好奇の念を、相手のこころに る ? 」 返事の代わりに、わたしはカーチャの両手に涙をふりそそ呼びさます光栄を有しました。よくカーチャは、観察するの 」、、こ要を下ろしまし 便がしように、わたしの真障力しし月 ぎながら接吻し始めました。ちらとカーチャを見上げた時、 ヴその内部に何かなみなみならぬ動きが認められました。唇はた。それがだんだん頻繁になっていくのです。わたしに対す 一微かにふるえ、下あごはおどり、目はうるみを帯びているのる公爵令嬢の観察の仕方は、次第にナイーヴになっていきま した。要するに、家じゅうで甘やかされ、手の中の玉のよう ヴです。でも、カーチャはたちまち自分の動揺を押し静めまし にかわいがられている、甘えっ子のわがまま令嬢には、どう ネた。と、その瞬間、微笑がその唇に浮かびました。 してわたしという人間が、もうこれで幾度となく、先方では 力「行ってパパにそういおう、あんたに接吻して、お詫びをい ったって」まるでひとりで思案しているように、カーチャはまるで望んでもいないのに、カーチャの人生行路の途上で遭 ネ低い声でいいました。「あたしもう三日もパパに会わないの遇したか、そのわけがわからないのでした。しかし、カーチ

9. ドストエーフスキイ全集4 死の家の記録

す。おもに劇場の事務員や、合唱団や、群舞の連中、ひとく生活の後、職務不熱心で素行が不まじめであるという理由で、 ちにいうと、自分がお山の大将になれるような連中とばかりオーケストラを首になってしまいました。しかし、継父はな 交際して、ほんとうに才能のある人たちを、避けるようにし かなかおいそれと、そこを離れていこうとはしませんでした。 ていました。継父はこういう連中に、何かしら特別な尊敬を まもなく、ばろ服をまとった継父の姿が見かけられるよう いだかせることに成功したので、すぐさま自分は認められな になりました。というのは、ちゃんとした衣類はみんな売り い人間で、偉大な才能を持っているのだが、ただ女房のため払ったり、質に置いたりしてしまったからです。相手がこん に破滅させられたのだ、ここの指揮者は音楽などちっともわなお客を喜ばうが喜ぶまいが、継父はもとの同僚のところへ かりやしないのだ、といったようなことを、みんなに吹き込やって来て、陰口を撒いて歩いたり、下らないおしゃべりを みました。そして、オーケストラの楽師を一人のこらず冷笑したり、自分の暮らしを愚痴ったり、性悪女の女房を見に来 し、舞台に上演される脚本の選択を悪口し、はては上演オペてくれと誘ったりするのでした。もちろん、有志の聴き手も ラの作者さえ嘲笑するのでした。ついに継父は何か新しい音ありました。追ん出された同僚に一杯のませて、下らないお 楽理論を講釈するようになって、要するに、オーケストラのしゃべりをさせて面白がるような連中もありました。のみな 全員にあきあきされてしまい、同僚はおろか指揮者とさえ喧らず、継父はいつも気の利いた皮肉をいうのが上手で、自分 嘩をし、専務に無作法な真似をするようになって、どうにもの話にびりつとした味をつけたり、いろいろ恥知らずな洒落 手のつけられぬ厄介者で、しかも同時にしようのないやくざをはさんだりするものですから、そんなのがある種の聴き手 者という評判を取ってしまい、とどのつまり、みんなのもて にはお気に召すのでした。継父は何かしら頭の変な道化あっ あまし者になってしまったのです。 かいされるようになりました。どうかすると、所在のない時 まったくのところ、こんなつまらない人間で、しかもあまなど、こんな男におしゃべりをさせるのも愉快なものです。 ヴり上手でない、たいして役に立たない、不熱心な一楽師が、同みんなは好んで継父をからかって、新しくやって来たパイオ 一時にそんな大それたうぬばれを持っていて、高慢の鼻をうご リニストのうわさを持ち出すのでした。エフィーモフはそれ 、いったいだれが ッめかし、ずけずけと大それたロをきくのを見てると、実になを聞くと、顔色を変えておずおずしながら んとも不思議な感じがするのでした。 やって来たのか、その新しい才能というのは何者かと根掘り チあげくのはてに、継父はと喧嘩をしてしまいました。思葉掘りして、早速その名声を嫉みはじめるのです。どうやら いきって嫌な穢らわしい陰口を考え出して、それをさもまこその時分から、継父のほんとうの狂気、システマティックな発 ネとしやかに振れ回ったのです。で、半年間のふしだらな勤務狂が始まったように思われます。つまり、自分は少なくとも引

10. ドストエーフスキイ全集4 死の家の記録

した。彼は最初この友に心から信服していたのです。しか 間もいく週間もまるでロをきかないことがありました。ある し、その試みはただ相手を怒らすばかりでした。やがて二人時、はごくおとなしい調子で、あんまりパイオリンをほう の間は冷やかになって来ました。まもなく、はこういうこ っておかないはうがいいのじゃないか、さもないと楽器の扱 とに気がっきました。親友は次第次第に倦怠と憂愁と無興味い方をすっかり忘れてしまうぜ、と注意しました。その時工 の囚となり、感激の発作はだんだんと間遠になっていき、それフィーモフはすっかり腹を立てて、今後、おれはわざとパイ につづいて何かしら陰欝な、いとも奇怪なふさぎの虫が襲っオリンには手をふれないつもりだ、といいきりました。それ て来たのです。とどのつまり、エフィーモフはパイオリンをはまるでだれかが膝を突いて、どうか・ハイオリンを手に取っ うっちゃらかすようになり、どうかすると、いく週間もいく週てくれと頼むだろう、と思ってでもいるようなふうなので 間も楽器に手を触れないことがありました。完全に堕落してす。一度は、ある夜会で相手がいることになったので、エ しまうのは、もう遠いことではありません。まもなく不幸なフィーモフにい っしょに弾こうと申し出ました。この申し出 父は、ありとあらゆる悪行に身を委ねはじめました。あの地はエフィーモフをかんかんに怒らせました。父は烈しい調子 主の戒めたことが、事実となって現われたのです。継父は方で、おれは大道芸人じゃないから、みたいに卑屈な真似を 図もない飲酒に耽溺するようになったのです。は恐怖の念しやしない、おれの芸も才能もまるつきりわからない賤しい をいだきながら父を眺めていました。い くら忠告してもきき商人風情の前で演奏して、高尚な芸術を貶しめるようなこと めがありません。そればかりでなく、はロをきくのが恐ろはしない、といい放ちました。はそれに対してひとことも しいのでした。だんだんとエフィーモフは極端な無恥厚顔に答えませんでしたが、エフィーモフは演奏に出かけて行った 落ちていき、 CQ の背におんぶして暮らしながら、いささかも親友の留守に、あの申し出をつくづくと考えたあげく、あれ 良心の咎めを感じないのでした。それどころかまるで立派に は自分がにおんぶして暮らしているという当てこすりだ、 ヴそうする権利でもあるようにふるまうのです。そうこうしてお前もちっとは金儲けをしてみたらよかろう、ということを いるうちに、金がなくなってしまいました。は出稽古など匂わせたものに相違ない、とこう邪推しました。が帰って ヴしてようやく口をすごし、時には商人や、ドイツ人や、貧し来た時、エフィーモフは藪から棒に、お前のやり口は卑劣だ い官吏のつつましい夜会に雇われなどしました。この連中は と責め出して、もうお前とは一刻も同居できないと宣言しま カほんの些少ながら、とにかくいくらか金をくれるのでした。 した。案の定、父はそれから二日ばかり、どこかしら姿を消 チ エフィーモフは自分の親友が困っているのを、気がっこうと してしまいましたが、三日めに涼しい顔をして帰って来、ま ネもしない様子なのです。相手に厳しい態度をとって、いく週たもや前と同じ生活をつづけるようになりました。 おと 305