ノヴナ、愛情を ! 」 しょにいるんですの ? ははは ! あなた方は二人ともなん ははは ! わたしそうなった 「いやよ、いやよ、そんなこと聞きたくもないわ ! 」と彼女てお馬鹿さんなのでしよう ! は小さなかわいらしい手を振りながらさえぎった。その指にら、きっとあなたをのべっ抓ってばかりいてよ、ほんとにし 十十 ? よ はつい今しがた洗い上げ、プラシで磨き上げた、薔薇色の爪ようのない人ねえ、ははは ! が光っているのであった。「いやな人ねえ ! あなたは、わ そういって、彼女は長いすの背に身をもたせて、涙の出る 、のな たしを泣かせるつもりなのね。そんなに気持ちがいし ほど笑いこけた。その涙も、笑いも、何もかもが実にあだっ ら、ご自分で這い込みなさるといいわ。何しろ、あなたは親ばいので、わたしはつい我慢しきれないで、いきなり夢中に なって、彼女の手に接吻しはじめた。彼女は別に拒もうとも 友なんだから、友だちのよしみに二人ならんでねてらっしゃ そして、一生涯、なにかしら退屈な学問のことでも議論せず、ただ和睦のしるしに、軽くわたしの耳を引っぱっただ けである。 したらいいわ : ・・ : 」 「そんなことを想像して、人を笑いぐさにするのはよくない それから、二人ともすっかり浮き浮きしてしまった。わた ですよ」とわたしはもったいぶった調子で、軽はずみな婦人しは昨日のイヴァン・マトヴェーイチの計画を、残らず話し を押し止めた。「イヴァン・マトヴェーイチはそれでなくとて聞かせた。夜会を催したり、サロンを公開したりする案 も、ばくを自分のところへ呼んでるんですからね。もちろは、たいへん彼女の気に入った。 ん、あなたは義務としてあすこへ入る必要がありますが、ば 「でもねえ、新しい着物がうんとたくさんいるわ」と彼女は くのほうにはただ義侠の問題に過ぎないんですからね。しか いった。「だから、イヴァン・マトヴェーイチができるだけ し、昨日イヴァン・マトヴェーイチは、鰐の体がやたらによ早く、できるだけたくさん、俸給を届けてくれなくちゃなら く拡がるという話をしながら、はっきりとこういうことを匂ないわ : ・・ : でも・ : ・ : でも、どうしたものでしようねえ」と彼 わせました。あなた方お二人ばかりでなく、ばくも家庭の親女は考え込んだ様子でつけ足した。「あの人を箱のまんまわ 友として、あなた方といっしょに三人で、楽々と入ることが たしのところへ連れて来たら、、 しったいどんなものでしよう できる。とくにばくがそれを希望すればです。そういうわけねえ ? きっと滑稽だわ。わたし自分の夫が箱に入れて運ば れるなんて、いやなこったわ。お客様の手前、恥ずかしくて 「え、なんですって、三人ですって ! 」エレーナ・イヴァー たまらないわ・ : ・ : わたし、いや、ええ、いやなこった : ・・ : 」 ノヴナは、あきれてわたしの顔を見ながら叫んだ。「まあ、 「ついでに、忘れないうちにいっときますが、昨日こちらへ どうしてわたしたちは : : じゃ、三人がみんなあすこでいっチモフェイ・セミョーヌイチが見えたでしよう ? 」
わたしは三か月より長く、ぶつつづけに空想することがどらしい胡麻塩頭の客といっしょに、テープルを前に控えた皮 うしてもできない。そのうちに、人間社会へ飛びこんでゆき 張りの長いすに腰かけていた。いつも顔ぶれの決まった二、 たいという、やみ難い要求を感じ始めるのだ。わたしにとっ三人の客よりほか、わたしはかってだれにもそこで出会った て、人間社会へ飛びこむということは、課長のアントン・アことがない。消費税、大審院の競売、俸給、昇進、長官閣 ントーヌイチ・セートチキン氏のところへ客に行くことを意下、上官のお気に入る秘書、等々が、その話題であった。わ 味する。これはわたしの一生を通じて変わることのない、た たしは四時間くらいぶつつづけに、間の抜けた顔をして、こ った一人の知人で、わたしはいま自分でさえもこのことを不ういう連中の傍にじっと畏まりながら、その話を聞いている だけの忍耐力があった。しかも、自分から話に口を入れる勇 思議に思っている。けれど、わたしがこの人のところへ出か けてゆくのは、わたしの空想が幸福の頂上に達して、ぜひと気もなければ、それだけの働きもないのだ。わたしはばっと なって、幾度も冷汗をかきそうになった。なんだか卒中の気 もすぐに世間の人々、いな、全人類と抱擁せずにはいられな 、ような、そうした時期が到来した時に限るのである。が、 が頭のへんを渦巻いているような気がした。しかし、これが そのためにはせめて一人の人間でも、現に実在している人物 しい気持ちであり、かっ有益なのであった。家へ帰ると、わ こしはしばらくのあいだ、全人類と抱擁する希望を延期した を持っ必要がある。もっとも、アントン・アントーヌイチのオ ものである。 ところへ行くのは、面会日となっている火曜日に限るので、 もっとも、なおそのほかに、もう一人シーモノフという知 したがって、全人類と抱擁する内部要求を、いつも火曜日に 当てはめなければならなかった。このアントン・アントーヌ人らしいものがあった。学校時代の同窓なのである。学校時 イチはビャチ・ウグロフ ( 五辻 ) に近い建物の五階に住んでい代の友だちは、ペテルプルグにたくさんいたろうと思われる た。それは天井の低い小さな部屋四つの住居で、いかにもし が、わたしはその連中と交際していなかったのみならず、往 まっ屋らしい、黄いろつばい感じを帯びていた。家族は娘二来で逢っても、挨拶ひとっしなくなったほどである。わたし 人と、いつも茶の注ぎ役になっているその伯母であった。娘がほかの役所へ転任して行ったのも、彼らといっしょになる の一人は十三、いま一人は十四で、どちらも鼻が低かった。 のがいやで、癪にさわる自分の少年時代と一気に絶縁するた 物わたしはいつもこの二人の娘に、ひどく間の悪い思いをさせめだったかもしれない。あんな学校やあんな懲役じみた時代 者られた。それは二人がひそひそささやき合ったり、盗み笑いは呪われるがいいのだ ! 要するに、わたしは自由になるが 生をしたりするからである。主人はたいてい書斎に納まって、早いか、さっそく学校友だちと手を切ってしまった。けれ 地われわれの役所か、でなければ、ほかの省に勤めている官吏ど、それでも出会った時に挨拶する友が、まだ二、三人は残
それに閣下のほうでも注がれるのはいい気持ちなくらいであ「わたしがここにいるのは : : いわばみんなに元気をつけて る。ただし、それはシャンパンのためではない。シャンバン いわば精神的な、その、目的を示すためなんだ」アキー は生ぬるくて、この上もなくいやなしろ物であったが、なんム。ベトローヴィチの頭の鈍さをいまいましく思いながら、 となく精神的に気持ちがよかったので。 イヴァン・イリッチはつづけたが、ふと自分でも口をつぐん この老人、自分でも飲みたいのだが』とイヴァン・イリ、 ノでしまった。不幸なアキーム・ベトローヴィチが、何か悪い チは考えた。おれを差し置いて飲む勇気がないというわけ ことでもしたように、目さえ伏せているのに気がついたので 差し止めるべきじゃない。それに、びんがおれたち二人ある。閣下はいくらかまごっいて、もう一度いそいで杯から の間に、こうしてつくねんと立っていたら、それこそおかしひと口がぶっと飲んだ。すると、アキーム・ベトローヴィチ なものだろうよ』 っさいの救いはこれだとばかりに、。 ひんを取って新し 彼はちょっぴりひとロ飲んだ。なんといってもこのほうく注ぎ足した。 が、ばんやり坐っているよりはいいように思われた。 『お前さんの芸当もたんとはないな』とイヴァン・イリッチ 「わたしがここにいるのは」と彼は言葉を引き伸ばすように は、不幸なアキーム・ベトローヴィチを厳しい目つきで眺め し、一語一語に力を入れながら始めた。「わたしがここ ' ながら、心の中で考えた。こちらは閣下のこの厳しい視線を るのは、いわば偶然なのだが、もちろん、中にはわたしが予想して、もういよいよ黙りこくって、目を上げないことに : こんな : : : 集りに入っているのを、ぶーしーっけだと思きめてしまった。こうして、二人はものの二分間ばかり、じ アキーム・ベトローヴィチ う人が : ・・ : あるかもしれないね」 っと向き合って坐っていた、 アキーム・ベトローヴィチは押し黙って、臆病げな好奇の にとっては苦しい二分間であった。 表情で耳を傾けていた。 ついでに、アキーム・ベトローヴィチのことを、一こと述 「しかし、きみはおそらく、なんのためにわたしがここにい べておこう。これは牝鶏のようにおとなしい、卑屈な服従に るか、小してくださることと思、つ : : なにしろまったくのと養われた旧弊人であったが、しかも善良な、潔白とさえいえ ころ、わたしは酒を飲みにここへ来たんじゃありませんからる人間であった。彼はペテルプルグ的ロシャ人であった。っ まり、父親も、父親の父親も、ペテルプルグに生まれて、ペ アキーム・ベトローヴィチは、閣下の後からひひひ笑いをテルプルグで育ち、ペテルプルグで勤務して、一度もそこ しようとしたが、どうしたものか腰が折れて、今度も何一つから出たことがないのであった。それはまったく特種なロシ 気安めになるような返事をしなかった。 ヤ人のタイプである。彼らはロシャについて、ほとんど芥子 ・ ) 0
ン・マリヤ・ファーリナから身をかくそうと、そのごひいき かりであった。諸君もご同感のことと思うが、これは癪な話 たちは必ず、きみを見つけ出して、いきなり即座に「オーデである。そのドイツ人はもちろん、そんなことをまるでロに コロンを買うか、 ou la vie! ( さもなくば命を取るぞ ) 』と来て、したわけでなく、そんな考えさえ持っていなかったのだろう が、それはどちらでも同じことである。そのときわたしは、 二つに一つ、そのほかの選択は許されないのである。「オー デコロン、 ou la ミ e と、はたしてのべっこのとおりの言葉彼がまさしくこういいたかったに違いないと信じきったもの で叫んでいるかどうか、あまりきつばりとは断言しかねるだから、かんかんに腹を立ててしまった。「いまいましい』 けれども、 しかし、あるいはそのとおりかもしれないのとわたしは考えた。『われわれだってやはり、サモワールを : ロシャにだって雑誌もあるそ、ロシ である。今でも覚えているが、わたしはその当時しじゅう何発明したじゃないカ か耳に聞こえ、目に見えるような気がしたものだ。それかャだって将校用の付属品をつくっているからな : ら、わたしをいらいらさせ、わたしの判断を迷わせた第二のだって : : : 』ひと口にいえば、わたしは向かっ腹を立ててし 事情は、新しいケルンの橋である。もちろん、橋は立派なもまったのだ。で、オーデコロンを一びん買って ( それはどう しても、のがれるわナこ、、 レ冫し力なかったのだ ) 、さっそくパ ので、市民がそれを誇りとするのはもっともであるが、わた へ逃げ出した。フランス人のほうがずっと愛想がよくって、 しの目から見ると、どうもあまり自慢しすぎるようである。 面白いだろうと当てにしたわけである。 わたしがいきなりそれに業を煮やしたのはいうまでもない。 さて、ひとつご判断を願いたいのだが、もしわたしが自己 のみならず、この素晴らしい橋の袂で鑷を集めている男 も、その分別よろしきを得た関税をわたしから取り立てる抑制をして、・ヘルリンに一日でなく一週間滞在し、ドレスデ 時、まるでわたしが自分でも知らぬ過失を犯したため罰金でンにもそれくらいの日数を割き、ケルンにも三日か、せめて 二日も割愛したら、わたしは確かに同じものを二度も三度も も徴集するような顔つきをするのは、間違っていると思う。 わたしにはわからないが、このドイツ人は妙にカみ返ってい見直して、もっと当を得た観念をつくりあげたに相違ない。 るような気がする。『きっとおれが外国人だ、ほかならぬロ太陽の光線、なんの音もない太陽の光線でさえも、この場合 たいへんな意味があるのだ。もし二度目にケルンの町へ着い シャ人だということを察したのだろうしとわたしは考えた。 少なくも彼の目は、『このみじめなロシャ人め、おれたちのた時のように、太陽が伽藍の上に輝いていたならば、この建物 は疑いもなく本来の光に照らし出されて、あの曇り勝ちな、 橋が見えるか。なあ、お前なんかこの橋の前へ出ると、 いくらか雨さえ催していた朝とは、違った印象を与えたはず や、すべてドイツ人の前へ出ると、虫けらみたいなものだ。 なぜって、お前の国にやこんな橋がないからな』といわんばである。あの天候はわたしの内部に、ただ傷つけられた愛国
っては、もしひとりカルタを並べていなければ、煖炉の上でかく隠していた誕生日に、客を呼ばうという気まで起こした 8 ガラスの中に納まっている置時計との差向いに満足して、毎のである。客の一人に対しては、彼は特別な思わくを持って いた。新しい家で彼自身は二階を占領していたが、同じ建て 晩毎晩肘掛けいすでうつらうつらしながら、ちくたくの音を した 泰然として聞いている始末である。きわめて上品な容貌をし方と間取りをした階下のほうには、間借人を入れる必要があ った。スチエバン・ニキーフォロヴィチは、シプレンコに白 て、髭は綺麗に剃り上げているので、年よりは若く見える。 いささかも老衰の兆がないので、まだまだ長生きしそうであ羽の箭を立てていたので、この晩も二度ばかり話をそのほう り、態度も堂々たる紳士である。彼の位置は楽なもので、何へ持っていった。が、シプレンコはこの点については沈黙戦 かの会議の議長をし、何かの書類に署名するだけなのであ術を取った。これも長の年月こっこっと勤めて、自分の道を る。ひと口にいえば、この上もなく立派な人物ということに開拓して来た男で、髪の毛も顎ひげも黒く、顔色はいつも胆 なっている。彼はただ一つの熱情、というより、一つの熱烈汁の浴れたような感じである。彼は妻帯者であったが、気む な希望を持「ていた。それは自分の家屋を持っことであつずかしゃの外出ぎらいで、家のものを戦々兢々とさしていた。 た。それも成金ふうでなく、貴族ふうに建てられた家でなけ勤務のほうには自信があって、官等のほうもご同様に、どこ ればならない。ついにその希望は実現された。彼はペテルプそこまでは行けるということをよく心得ていたが、どこそこ まではこんりんざい行けぬということのほうが、いっそうよ ルグ区にある家を見つけて、それを買い取った。もっとも、 遠いことは遠いが、庭がついており、おまけに優美な家なのくわかっているのであった。うまい位置にありついて、どっ である。新しい持主は、遠ければかえってそのほうがいいとしりと梃子でも動かぬように尻を据えている。そろそろ萌し 考えた。自分の家へ客を迎えるのは好きでないし、だれかをて来た新しい制度に対しては、多少いらいらした気持ちをい 訪間したり役所へかよったりするのには、チョコレート色をだいてはいたが、かくべっ不安を感じもしなかった。彼は非 した二人乗りの洒落た馬車と、馭者のミヘイと、小柄だけれ常な自信家だったので、新しい問題に対するプラリンスキイ いくらか意地悪い冷笑の気持ちで聞いて どしつかりした美しい二頭の馬がある。これらはすべて、四の長広舌なども、 いた。とはいえ、三人ともみんな一杯機嫌になっていたの 十年間の細心な節約生活によって得られたものであるから、 彼は内心うれしくてたまらないのである。こういった次第で、主人のスチ = パン・ニキーフォロヴィチでさえ、プラリ ンスキイ氏あたりと角逐する気になって、新しい制度につい で、新しい家を手に入れて引越しをすると、スチェパン・ニ キーフォロヴィチは、その落ちつきのある心の中になんともて、二人で軽い争論をはじめたほどである。しかし、プラリ いえぬ満足を感じて、以前はごく親しい知人にさえ、注意ぶンスキイ閣下について、数言を費しておく必要がある。まし
いたのであろう。 夫そのひとであった。これはひどい肥っちょで、ひどい背っ幻 こうして、わたしたちの交際がはじまった。この晩から、 びくで、ひどいあから顔で、大変な金持ちで、大変な事業家 彼女はもうわたしを一歩も離れようとしなかった。むやみ ( 少なくとも見たところは ) だそうである。ちょこちょこし やたらに、恥も外聞もなくわたしのあとをつけまわして、彼たせつかちで、ものの二時間と一つところにじっとしていら 女はわたしの迫害者となり、暴君となったのである。彼女のれない。毎日、わたしたちのいる村からモスグワへ出かけて 行く、ときとしては、二度も往復することがある、しかもそ いたずらの滑稽味はどこにあるかというと、ほかでもない、 わたしに首ったけ惚れこんだようなふりをして、衆人環視のれが、ご当人のいうところによると、商用のためなのであ 中でわたしをからかうことであった。もちろん、ずぶ野育ちる。この滑檮であると同時に、いつも紳士然としている顔の のわたしにとっては、それは涙の出るほどっらい、しし 、ま、ま持ち主より以上に、陽気で善良な人物はほかにちょっと見つ しいことだったので、もう幾度となく真剣な危機にさらさ かるまい。彼は一つの弱点といわれるくらい、気の毒なくら れ、狡猾な自分の崇拝者とあやうく喧嘩しかねないほどであい妻を愛しているばかりでなく、まるで偶像崇拝といってい った。わたしの無邪気な当惑ぶりと、言葉につくせぬ悩みの いほど彼女をあがめていたのである。 は、いよいよ彼女に拍車をかけて、とことんまでわたしを彼は何ごとにつけても、妻を東縛するようなことがなかっ いじめぬこうという気にしたのである。向こうはなさけ容赦た。彼女には男や女の友だちがうんといた。第一、彼女を好 ということを知らなかったし、わたしはどこへ身をのがれた かない人というのはあまりなかったし、第二には、彼女自身 らいいかわからなかった。わたしたちの周囲におこる笑し が軽はずみなたちだったから、自分の友だちをあまり選り好 声、彼女がたくみに誘い出す笑い声は、いよいよ彼女を焚きみしなかったのである。もっとも、彼女の性格の根柢には、 つけて、新しいいたずらを考えださせるのであった。しか いまわたしの話したことから推して想像されるよりも、ずつ し、しまいには、はたの人も、彼女の冗談がすこし度を過ごと余計にまじめなところがあったのだ。しかし、自分の友だ していると考えるようになった。またじじつ、今思い出してちの中でだれよりもいちばんすきで、一人とくべっ扱いして 見ても、わたしのような子供に対する彼女のやりかたは、あ いたのは、今やはりわたしたちの仲間に入っている、遠い親 まりにも行きすぎであったと思う。 戚の若い婦人であった。二人のあいだにはなにかしら微妙 たち しかし、もうそういう質だったのである。彼女はどこからな、優しい関係が結ばれていた。それは、まったく相反する どこまでも廿やかされた女のタイプであった。あとで聞いた二つの性格が接触したときに、しばしば生ずるていのもので ところによると、だれよりも彼女を甘やかしたのは、彼女のあった。ただし、そのうち一人は相手のほうより厳粛で深み
粒ほどの観念も持ち合わさないが、そんなことはいささかもて聞くわけには、、 苦に病まない。彼らの興味の全部はペテルプルグ、それも主その間イヴァン・イリッチは、しだいし、、こいにもの田いいに として、自分の勤めている場所に局限されている。彼らの配沈み、考えが堂々めぐりし始めた。放心状態になっていたた 慮は、すべて一コペイカ賭のカルタと、取りつけの店と、月め、自分では気がっかないでいたが、のべっ杯を口につけ 月の俸給に集中している。彼らはロシャの習慣を知らず、ロて、ぐびりぐびりやっていた。アキーム・ベトローヴィチ ルチースシ々 シャの歌も「松明』以外には、何一つ知らない。「松明』 は、すかさずせっせと注ぎ足すのであった。二人とも押し黙 を知っているのも、流しの手廻しォルガンがやるからであっていた。イヴァン・イリッチはダンスを眺め始めたが、や る。もっとも、厳然として変わりのない本質的な徴候が二つがていくらかそのほうに注意を惹かれていった。突然、ある あって、真のロシャ人とペテルプルグ的ロシャ人とを、ただ 一つの出来事が、むしろ彼をびつくりさせたほどである : ちに見分けることができる。その一つはほかでもない、ペ ダンスはまったく愉快であった。ここでは浮かれるため ルプルグ的ロシャ人は、みんな一人の例外もなく、「ペテル に、というより暴れるために、単純な気持ちで踊ることができ ヴェドモスチ グエド プ儿グ報知』とはけっしていわず、必ず『アカデミック報た。上手な踊り手というのは幾人もいなかった。が、下手な モスチ 知』という。第二の、同じくらい根本的な徴候はこうであ連中も景気よく足音を立てるので、上手とまちがえそうであ サフトラック る。ペテルプルグ的ロシャ人は、けっして『昼飯』という った。第一に目立つのは例の将校で、これは一人きりになる しかも 言葉を使わないで、いつも『フルイシチック』といい、 と、一種のソロダンスといったような、特別の型をやるのが フルイの音に特別力を入れる。この二つの根本的な、著しい得意であった。そのとき彼は驚くばかり体を曲げた。という 徴候によって、彼らをかならず弁別できるのである。ひとロのは、電信柱のように高い体を、今にも倒れはしないかと思 にいえば、それは三十五年間ちゃんと勤め上げた、おとなしわれるはど、横に曲げる。が、次のステップとともに反対の いタイプなのである。とはいえ、アキーム・ベトローヴィチほうへ、前と同じくらい急な角度で、急に体を傾けるのであ はさらさら馬鹿ではない。 もし閣下が何か相手に相応したこ った。顔の表情は恐ろしくまじめくさって、当人はみんなが とをたずねたら、彼はまともな返事をして、話をつづけてい驚嘆しているに違いない、 という確信をもって踊っているの ったに相違ないのだが、ああいったような話題では、部下のだ。もう一人の男は、もうカドリールの始まる前から、手廻 話身分として、受け答えをするのは不躾けにわたる。よしんばしよく酒を呷っておいたので、第二節から相手の婦人のそば な アキーム・ベトローヴィチが、死にそうなはど好奇心を燃えで寝入ってしまったので、その婦人はひとりで踊らなければ や 立たせているにもせよ、閣下の本当の考えをあまり立ち入っならぬ仕儀とな 0 た。水色のショールをした婦人と踊「てい
たかもしれませんね ) 、やがて公爵は、スチェパニーダなしサンドロヴナはこう叫んだ。「なんて上手にお話しになるん田 ーヴェルのフラ にはどうにもやり切れなくな 0 たので、馬車の用意をいいつだろう ! ですけれど、ポーレ ( パ ) さん、ひとっ ノンスふうの呼び方 けて、スヴェトー ゼルスカヤ修道院へ出かけて行くことになおたずねしたいことがあるんですの。あなたと公爵との親戚 りました。召使のだれやらが、目の前にいないスチェパニー 関係を、よく納得のいくように説明してくださいな ! あな ダの思わくを恐れて、敢然諫止したけれど、公爵はどこまでたはあの方を伯父様といってらっしやるでしよう ? 」 も我意を押し通したわけです。昨日、食後に出発して、イギ「ところが、正直なところ、マリヤ・アレグサンドロヴナ、 ーシエヴォに一泊し、夜の引き明けに駅逓を立ったところ、 どうしてわたしがあの人の親戚に当たるのか、自分でもとん ちょうどミサイル神父の住んでいる修道院へ曲ろうとする角と知らないんですよ。大方、西と瓜よりも、も 0 と遠い のところで、あやうく馬車もろとも谷底へすっ飛んでしま何かなんでしようよ。もっとも、それはけっしてわたしのせ う、という騒ぎになったのです。そこをわたしが救い出し いじゃなくって、責任は全体アグラーヤ・ミハイロヴナ叔母 て、わたしたちが二人ともよく知っている、マリヤ・アレグさんにあるんです。アグラーヤ叔母さんは、ありったけの親 サンドロヴナのところへ行こうじゃありませんかと勧めまし類を、指を折って勘定するよりほかに、仕事のない人でして た。公爵はあなたのことを、自分のこれまで会った女の中ね。去年の夏、わたしにドウ、 / ーノヴォへ公爵を訪ねて行け で、一ばん素晴らしい婦人だと申されましてね、結局、こうとけしかけたのも、この叔母さんですよ。行きたけりや自分 して二人でお邪した次第です。公爵はいま二階で、侍僕にで行きゃいいのに ! こういうわけで、わたしはただあの人 手伝わして、身じまいの最中です。公爵は今度も、あの侍僕を伯父様と呼んでるだけなんですが、あの人もそれに返事を を忘れずにつれて来られましたが、概してどんなことがあっしてくれるんでね。さあ、おたずねのわたしたちの親戚関係 ても、あれをお伴につれるのを忘れるようなことはないでしというのはこれつきりです、少なくとも今日のところは : よう。なにしろ、多少の準備、というより、むしろ修正を施「でも、くどいようですが、あなたが真直ぐにあの方をわた さずに、婦人の前へ姿を現わすくらいなら、、 しっそ死んでしくしどもへつれて来ようという気におなりになったのは、ま まったほうがましだ、というような人ですからね : ・ : ・これが ったく神さまのお告げというよりほかありませんわ ! もし いちぶしじゅうの物語というわけです ! Eine allerliebste あの方が、あのお気の毒な公爵が、わたくしどもでなく、ほ Geschichte 一 ( 実に面白い話じゃありませんか ! ) 」 かの家へでもつれ込まれたら、まあ、どんなことにおなりだ 「この方は、なかなかのユーモリストでいらっしやるわね、 ったろうと、それを考えると、そっとするようです。もしそ ジーナ ! 」と、最後まで聴き終わったとき、マリヤ・アレグんなことになったら、あの方はこの町で引張り凧になって、
にこしているにしたところで、しかしなんといっても、もし 「ああ、どうもこの朴念仁が心配でたまらない ! 』とマリ 何かきかれた時にはどうする ? 」 この ヤ・アレクサンドロヴナはひとりごちた。「ほんとに、 「なんてわけのわからない朴念仁だろうねえ ! わたしちゃ男はわたしの血を吸ってしまわなけりや、承知しない気なん んとそういったじゃありませんか、黙ってらっしゃいって。 だよ ! こりやどうも、初めからつれて来ないほうがよかっ わたしがあんたの代わりに返事をしますから、あんたはただ たかしら ! 』 向こう様の顔を見て、にこにこしてりやいいんですよ」 こんなふうに思案したり、心配したり、愚痴をこばしたり 「しかし、それじゃ、公爵はわたしのことを唖と思われるか しながらも、マリヤ・アレグサンドロヴナはのべっ馬車の小 もしれないよ」とアファナーシイ・マトヴェーイチは不平そ窓から首をのぞけて、馭者をせき立てるのであった。馬は矢 のように飛んでいるにもかかわらず、彼女にはどうものその 「それしきのことがなんです ! なんとでも勝手に思わせたそしているように思われたのである。アファナーシイ・マト がいいのよ。その代わり、あんたが馬鹿だってことは隠せまヴェーイチは黙って隅っこに坐ったまま、心の中で自分の宿 すからね」 題をおさらいしていた。ついに馬車は市へ乗り込んで、マリ 「ふむ : : : だが、もしほかの人が何かきいたら ? 」 ヤ・アレグサンドロヴナの家の前にとまった。が、わが女主 「だれもききやしません、だれもいやしないんだから。で人公が入口階段に立ったとたんに、この家へ近づいて来る二 も、万が一、 そんなことがあってはたまらないけれど、頭立て、二人乗り、屋根っきの橇が目に入った。それはいっ もしだれかたずねて来て、何かあんたにきくなり、い、 もアンナ・ニコラエヴナ・アンチーポヴァが乗り廻している なりしたら、即座に辛竦な笑いで応じるんですよ。あんた、 のと、同じものであった。橇の中には二人の婦人が坐ってい 辛竦な笑いってどんなものかわかってるの ? 」 た。一人はいうまでもなく当のアンナ・ニコラエヴナで、も 「それはなんだろう、かあさん、利ロそうな笑い方のことだ う一人は近頃ばかにアンチーポヴァと仲よくなって腰巾着を 勤めている、ナタリヤ ・ドミートリエヴナであった。マ 「利ロそうなのはこちらのこってすよ、間抜け ! それに、 ヤ・アレグサンドロヴナはどきっとした。しかし、彼女が叫 だれがあんたなんかに利ロそうな笑い方をお願いするもんでび声を立てるひまもなく、また一台の馬車が乗りつけた。そ 夢すか ? 馬鹿にした笑い方なんですよ、わかって ? 馬鹿にの中には明らかに、また別の女客が納まっているらしい。さ 様したようなせせら笑いのこと」 も喜ばしげな叫び声が高々と響いた。 父 「ふむ ! 」 「まあ、マリヤ・アレクサンドロヴナ ! アファナーシイ・ まち
けるすべがなかったからである。わたしはベルリン、ドレス デン、ヴィースパーデン、 ・ハーデン、ケルン、 リ、ロンドン、リュッエルン、ジュネーヴ、ジェノア、フロ ーレンス、ミラノ、ヴェニス、ウィーン、それからまだほか の土地にも二度ずつ行った。しかも、これらいっさいの土地 を、これだけの土地を、かっきり二か月半で廻ったのであ いったいこれだけの道のりを二か月半で歩き廻って、 何かしつかり見分けることができるだろうか ? わたしがこ 第ノ章序に代えて の行程のプログラムを、あらかじめペテルプルグで組み立て たのは、諸君もご記憶のことと思う。わたしはそれまで、外 わが親友諸君、もうこれで何か月も何か月も、諸君はわた国には一度も行ったことがない。まだほんの小さな子供のに しに向かって、一刻も早く外国旅行の印象を書けといっておから、 まだ読み書きもできないために、長い冬のよなよ られる。そのくせ、諸君の懇願が、てもなく、わたしをとほ な、寝床の中で、ロをばかんとあけ、嬉しさと恐ろしさにし うにくれさせることをごぞんじないのだ。いったいわたしはびれるような気持ちで、両親の読んでくれるラドグリフ 諸君のために、なにを書くというのだろう ? まだだれも話の女流作家アンナ・ラドグリフ、 ) の小説に耳を傾け、その後で熱に 神秘と恐怖にみちた事件をかく さない、だれも知らない、新しいことで、何をわたしは話し浮かされたようにうわごとにまでいった時代から、わたしは たらいいのだろう ? われわれロシャ人 ( といって、せめて外国に憧れていたものである。ところがようやく、四十歳に 雑誌でも読むロシャ人のことである ) の中で、ロシャより二 なって、その外国へ旅立ったわけである。わたしはできるだ 倍もよくヨーロッパを知らないものが、だれ一人あろうか ? けたくさん見たいと思った。それどころか、期間は短いにも 二倍といったのは礼儀上の思わくで、きっと十倍もよく知っ かかわらず、なにもかも見つくしたいと思ったのは、申すま ているに違いない。のみならず、こうした一般的な考量にかでもあるまい。その上、冷静に見物の場所を選ぶことなどは、 てて加えて、わたしが何も特別に物語るようなこともなけれわたしにとって断じて不可能であった。ああ、わたしはこの 記ば、まして秩序立って書き留めることもないのは、諸君もと旅行にどれだけの期待をかけたことだろう ! 冬 くとごぞんじのはずである。なぜなら、わたし自身なに一つ 「たとえ何一つ詳しく見分けることができなくっても」とわ 象 夏秩序立って見もせず、よしんば何か見たとしても、よく見分たしは考えたものである。『その代わり、何もかも見るんだ、 351