娘 - みる会図書館


検索対象: ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記
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1. ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記

わたしはまた反応を待っていた。 い娘をかわいがるものだね。だから、娘たちの中には、家で 『どうやらわからないらしいぞ』とわたしは考えた。それ暮らすのが愉快でたまらないというのがいるよ ! ばくなん に第一、滑稽だ、 こんなお説教をするなんて』 か、もし娘があったら、けっして嫁にやらないだろうと思う 「もしばくが父親で、娘でも持っていたとすれば、ばくは息よ」 子よりも娘のはうをかわいがったろうと思うよ、まったく」 「でも、どうして ? 」ほんの心持ちにやっと笑いながら、彼 わたしは彼女の気をはぐらかそうと思って、わざとそ知らぬ女はこうたずねた。 顔で、脇のほうからちょっと当たりをつけてみた。わたしは 「やきもちが焼けるからさ、まったくの話が。ね、娘がよそ 正直なところ、思わず赤くなった。 の男を接吻するなんて、どうしてそんなことができるのだろ 「それはなぜですの ? 」と彼女はたずねた。 う ? 他人のはうを、父親よりもよけいに愛するなんて、そ ははあ、してみると、やつばり聞いているんだな ! んなことは想像してみただけでも、たまらないじゃないか。 「わからない、 ザ、ただなんとなしにさ。ねえ、ばくはむろん、そんなことはばかばかしい話さ。むろん、だれだっ ある父親を一人知っているが、その男は厳格な、やかましゃてしまいには正気づくに決まっている。しかし、ばくなど のくせに、娘の前へ出ると、いつまでもいつまでも膝をつい は、娘を嫁にやる前に、婿選みの心配だけで、へとへとにな たまま、その手や足に接吻をして、眺め飽きるということが ってしまうだろうよ。そして、どの候補者もみんな落第にし ないんだよ、ほんとうに。娘が夜会でダンスをしていると、 てしまうよ。だが、なんといっても、とどのつまりは、娘が その男は五時間も一つところに立ち通しながら、少しも娘か自分で好いた男にやっちまうな。ところで、娘が自分で好い ら目を放そうとしない。まるで、娘で気が狂ったようなものた男というものは、父親の目には必ず、一番の屑に見えるも さ。その気持ちはばくにもわかるよ ! 夜、遅くなって、娘のなんだよ。それはもう通り相場だ。そのためにどこの家庭 が疲れて寝入ってしまうと、先生目をさましてさ、寝ているでも、いろいろ面倒が持ちあがるものさ」 娘に接吻をして、十字を切ってやるために、わざわざ出かけ 「だって、中には喜んで娘を売る人だってあるわ。天下晴れ て行くんだ。ご当人は、脂じみたフロックを着て歩き廻ってて嫁にやるどころの騒ぎじゃありやしない」と彼女はだしぬ 、るし、だれのことにだって始終けちけちしているくせに、 けにこ , ついった。 娘のこととなると、なけなしの金をはたいても、贅沢な贈り ははあ ! なるほど、そういうわけなのか ! 物を買ってやるのだ。もしその贈り物が気に入ったら、それ「それはね、 ーザ、神さまもなければ愛情もない、呪われ こそ大喜びなのさ。どこでも父親のほうが母親よりも、よけた家庭の話だよ」とわたしは熱くなってひき取った。「愛情

2. ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記

マリヤ・アレグサンドロヴナは、思いもうけぬジーナの結論今は意外の成功と興奮のために、胸がいつばいになってしま に面くらった形で、しばらくは驚きのあまり唖然として、身った。ジーナの側からいえば物事に対する見方が多少偏して いるにもかかわらず、母親が自分を愛していることはわかっ 動きもせず棒立ちになって、目をいつばいに見ひらきながら、 娘を見つめていた。いつも恐れている娘の厳しい潔癖と、頑ていた。そしてーーーこの愛情を荷厄介にしていたのである。 固なロマン主義を向こうに廻して、闘うつもりでいたところもし母が憎んでくれたら、そのほうがむしろ気楽だったろう へ、一から十まで同意だ、自分の信念に背いてまで、なんでに : 「まあ、腹を立てないでちょうだいな、お母さま、わたしあ もやってのけようという、意外千万な返事を聞かせられたの ではないか ! かまり興奮しているものだから」と彼女は相手を慰めようと思 してみると、この相談は一足飛びに、しつ りした話になって来たわけで、彼女の目には歓喜の光が輝きってこういった。 出した。 「腹なんか立てるもんですか、ジーノチカ、腹なんか ! 」と 「ジーノチカ ! 」と彼女は夢中になって叫んだ。「ジーノチマリヤ・アレクサンドロヴナはたちまち元気づいて、甘っ カ ! それでこそ、お前はわたしの娘だよ ! 」 たるい声を出した。「お前が興奮していることは、わたしだ ってちゃんとわかっていますよ。さて、そこで、お前は何も もうそれ以上口がきけないで、彼女はいきなり身を翻し て、わが子を抱きしめた。 かもうち明けてくれとおいいだね : しいとも、うち明けま 「あらまあ ! わたし抱いてくださいなんて、 しいませんですとも、何もかもうち明けますとも、嘘はっきません ! た したわ、お母さま ! 」とジーナはじれったそうに、嫌悪を声だお前さえわたしを信用してくれたら、それでいいんだよ ! に響かせながら叫んだ。「わたし、何も夢中になって喜んでまず第一にいっておくがね、ほんとうにはっきりした計画、 いただきたくはありません ! わたしのたずねることに答えつまり、何から何まで細大もらさず練り上げた計画というも ていただけばいいんですの、ただそれだけ」 のは、まだわたしの頭にできていないんだよ、ジーノチカ、 「でも、ジーナ、わたしはお前を愛してるんですもの ! わまたできているはすもないじゃないかね。お前は利ロな子だ ひと たしはお前がかわいくてたまらないのに、お前ったら私を突から、なぜかってことはおわかりだろう。それどころか、わ き退けたりしてさ : : だって、わたしはお前の仕合わせを思 たしはこのさき何やかや、面倒なことが持ちあがるだろうと、 えばこそ、一生懸命にこうして : ・・・こ 見越してさえいるくらいなんだよ : : : 現に今だって、あの鵲 偽りならぬ涙が目に光った。マリヤ・アレグサンドロヴナ婆さんがなんだのかんだのって、いろんなことをさえずり散 は、、かにも一流の愛し方でジーナを愛していたのであるが らして行ったろう : : : ( さあ、こうしちゃいられない ! 急

3. ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記

まあ、考えてもごらんな 約東しておしまいになったんですのよ。ところが、この頃あ張り出したじゃありませんか、 そこの家にへばりついているナターシ = カ ( け 7 ヤを侮蔑的 ) めさい、まだやっと十五になったばかりで、いまだに裾の短い が、ほんとうのお食事までにちょっとひとロといって、自分着物をきて歩いてるんだからね ! やっと膝までしかないん の家へ引っぱって行ったんです。ねえ、公爵ってこういう人ですよ、ほんとうになんてことでしよう : : : それから、例の みなし児のマーシュカまで呼びにやったんですが、これもや ですよ」 つばり短い着物をきているんですの。おまけに、このほうは 「それで、どうしました : : : あのモズグリヤコフは ? だっ ロルネット 膝よりももっと上なんですからね、 わたしは柄付眼鏡で て、あの人がちゃんと請け合ったんですもの : : : 」 「あなたはなんでもかでも、モズグリヤコフの一点張りなんよく見てやりましたよ : : : 二人とも、鳥の羽のついた変な赤 ですねえ ! あなたのごひいきになさるモズグリヤコフは い帽子をかぶっていましたがね、いったいぜんたいなんのつ もりやら、わたしにやいっこう解せませんでしたよ ! それ : みなといっしょにのこのこあそこへ出かけて行きました たげり よ ! 見てらっしゃい。あそこへ行ったら、きっとカルタをから、二人の田鳧嬢はビアノに合わせて、公爵の前でコサッ させられますから、そして、この前と同じように、ひどい目ク踊りをおどらされましたつけ ! ね、あなたもごぞんじで にあわされるんですよ ! それどころか、あの連中は公爵ましよう、あの公爵の弱点は ? ですから、もうとろけんばか で仲間に引っ張り込んで、菩提樹みたいにすっかり身の皮をりのていたらくで、あの形、あの形の素晴らしいこと ! 』 ロルネット といって、柄付眼鏡でじろじろ眺め廻しているんですの。二 剥いでしまいますよ。それにしても、あの女は、あのナター シュカは、何を触れ廻しているとお思いになります ! ほか 人の鵲娘もここを先途とばかり ! 顔を真っ赤にして、脚を でもありませんがね、あなたが公爵を引きつけようとしてい あっちへ上げたり、こっちへ上げたりしながら、大変なお慰 みをおつばじめたんですよ。こっちはもう、やれやれなんて るのは、まあ、その : : : さる魂胆があってのことだなんて、 vous comprenez! ( おわかりでしよう ! ) 、ーーー大っぴら人たちだろうと、舌を巻くばかりでしたよ ! ほんとにべっ べつだ ! あれでも踊りなんですからねえ ! わたしなん にしゃべり立ててるんですからね。公爵に向かってまでも、 そんなことを吹き込んでるんです。もっとも、ご当人はむろか、ジャルニ夫人の高等寄宿学校を卒業するとき、ショール の舞をまいましたが、とても上品だといって、喝采を博した ん、何が何やらわからないで、濡れしよばけた猫みたいに、 ものですからね ! 元老院議員までが拍手してくださいまし 夢しょんばり坐って、何をいわれても、「うん、そう、うん、 たよ ! あの学校は、公爵や伯爵の令嬢が教育を受けるとこ 様そう ! 』と相槌を打ってるだけですがね。ところが、そうい 伯う当のナターシュカはどうでしよう ? 娘のソーンカを引っろでしてねえ ! ところが、あの娘たちが踊ったのは、まる

4. ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記

・ドミートリエヴナはつけ加えた。 がすぐに宿屋へご案内いたしましよう。そして、わたしもご でしよう ! 」とナタリヤ 、つしょに引き移ることにします : ・ : こ 「顔はぜんまい仕掛けで ! 」 「うん、そう、宿屋へな。 Adieu, ma charmante enfant 「自分の髪の毛というのはまるでありやしない ( さうよなら、かわいい娘さん ) ・ : ・あんた一人・・・・ : ほんとうに 「ロひげだってこしらえ物じゃないか、この間抜けじじい」 : けーがーれのないひとは。あんたは とマリヤ・アレクサンドロヴナはとどめを刺した。 あんた、一人だけだ : ・ 高尚な娘さんだ、こーうーしような娘さんだ ! さあ、行こ 「まあ、せめて、鼻だけでも容赦してもらいたいな、マー ヤ・スチェ。、 / ーノヴナ、これははーん物なんだから ! 」とう mon ami. やれやれ、えらい目にあった ! 」 こ最後の幕 公爵の出て行った後で、この不快な場面がいか ~ 公爵は意外なすつばぬきに、度胆を抜かれて叫んだ。「 mon わしの髪がを下ろしたかは、くだくだしく書き立てないことにしよう。 ami! これはお前が約東を破ったに相違ないー っーけー毛だっていうことをしゃべったのは、きっとお前に客は騒々しくわめいたり、罵ったりしながら、散りぢりにな った。マリヤ・アレクサンドロヴナはついにたった一人、粉 相違ない : 粉に打ち砕かれた名声の廃墟の中に取り残された。ああ ! 「伯父様 ! 」 「もうかなわんよ、 mon ami わしはもうここにおーること権力、名声、勢力、ーーーこれらは何もかも、一晩のうちに消 え失せたのである ! マリヤ・アレクサンドロヴナは、もは はできん ! わしを連れてどこかへ立ち退いてくれ : : : que ・ や以前の位置に戻ることは不可能であると悟った。永い年 lle société! ( なんという仲間だろう ! ) 、お前はとんでもない まち 月、彼女がこの市の社交界に揮っていた専制君主にも等しい ところへわしを連れて来たものだな、やれやれ ! 」 「あはう ! やくざもの ! 」とマリヤ・アレグサンドロヴナ威力は、跡形もなく崩壊し尽くしたのである。いま、彼女の は叫んだ。 することとしては、何が残されたであろうか ? 哲学者ぶつ 「おお、なんということだ ! 」と哀れな老人はいった。「わた理屈をひねくり廻すことだろうか ? しかし、彼女は理屈 しはなんのためにここへ来たのか、ちょーっくーらど忘れしをひねくり廻しもしなかった。彼女は一晩じゅう、気ちがい たが、なあに、やがーておもーい出すだろう。お前、どーこのように怒り散らしたのである。ジーナの名誉は踏みにじら かーへわしを連れ出してくれ。さもないと、八つ裂きにされれ、中傷讒誣ははてしもなくくり返されることだろう ! 夢てしまう ! それに : : : わしはいーますーぐ新しい感想を書んという恐ろしいことか ! 様き留めておかなくちゃならん : : : 」 わたしは忠実なる歴史家として、この騒ぎの中でだれより 「まいりましよう、伯父様、まだ遅くはありません。わたし も一番ひどい目に逢ったのは、アファナーシイ・マトヴェ

5. ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記

ドニーモフと相識の間柄で、死んだ父親には何かで恩になっ べっ頭ごなしに罵倒することであったが、相手はそれに対し はいた たことがある。もちろん、大したものではないが、金もちょて、ぐうの音も出せないのであった。物痛が持って生まれた っと持っていた。本当のところどれくらいあったか、それは病の細君さえも、その例外ではなかった。彼はこの女どもを 家内も、長女も、親戚も、だれひとりとして知るものはなか喧嘩させ、おたがい同士の間に蔭ロの種を蒔き、不和を引き った。この男には娘が二人あったが、ご当人おそろしいわか起こさせ、あとで女どもがっかみ合いしているのを見ては、 らずやで、呑み助で、家庭内の専制君主だったので、突然、あはあはと笑って喜ぶのであった。長女はある将校と結婚し めあわ 娘の一人をプセルドニーモフに娶せようという了見を起こして、十年ばかりも夫婦で貧乏世帯の苦労をしていたが、とう た。「わしはあの男を知っておるし、あれの父親もいい人間とう後家になって、小さな病身の子供を三人っれて、父のも だったから、息子もいい人間になるだろうよ』というわけでとへ移って来た。そのとき彼は大喜びであった。子供は大嫌 ある。ムレコピターエフは、なんでも思ったことはやっての いであったが、彼らの出現とともに、毎日実験を試みる材料 けるたちなので、いい出したからには、やめはしなかった。そがふえたので、老人は大満悦だったのである。こうして、意 れは実に奇妙な分からずやなのであった。何かの病気で足が地悪な女どもや、病身の子供たちが、その迫害者の老人とと きかなくなったため、大ていいつも肘掛けいすにかけたまま、 もにごちやごちゃと、ペテルプルグ区の木造の家に目白押を 時を過ごしていたが、それでもウォートカを飲むのに差障りし、すき腹をかかえていた。というのは、老人は吝嗇で、自 はなかった。彼は日がな一日ウォートカを飲んで、悪態をつ分の飲むウォートカの代は惜しくないくせに、家計のはうへ いていた。もともと意地悪な人間なので、ぜひともだれかをはちびちびと小銭ばかり出していたからである。その上、み 始終いじめていなければ、承知できなかった。そのために、 んなは夜も十分ねられなかった。老人が不眠症に苦しんで、 彼は遠縁のものを二、三人、手もとに置いていた。一人は病お伽を要求するからで。手つ取り早くいえば、だれも彼もが 身でロやかましい自分の妹であり、もう二人は細君の妹で、 苦しい思いをして、自分の運命を呪っていたのである。ちょ 同様に意地の悪い、ロ数の多い女であった。そのほかにな うどその時ムレコビターエフは、プセルドニーモフに白羽の お、何かの拍子に肋骨を一本折った年寄りの伯母がいたし、箭を立てたのであった。青年の長い鼻と、つつましやかな様 それから、すっかり口シャふうになったドイツ女が居候して子が、彼に深い印象を与えたのである。瘠せこけて見すばら 話いた。これは『千夜一夜』を上手に話すというので、かかえしい末娘は、そのとき満十七であった。彼女はいっかドイツ ンユーレ られているのであった。ムレコピターエフの楽しみといった人の学校にかよったこともあるけれど、アルファベットのほ や ら、これらの不仕合わせな居候の女どもをからかったり、のかははとんど何一つ身につけなかった。その後は、足なえで

6. ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記

わたしは三か月より長く、ぶつつづけに空想することがどらしい胡麻塩頭の客といっしょに、テープルを前に控えた皮 うしてもできない。そのうちに、人間社会へ飛びこんでゆき 張りの長いすに腰かけていた。いつも顔ぶれの決まった二、 たいという、やみ難い要求を感じ始めるのだ。わたしにとっ三人の客よりほか、わたしはかってだれにもそこで出会った て、人間社会へ飛びこむということは、課長のアントン・アことがない。消費税、大審院の競売、俸給、昇進、長官閣 ントーヌイチ・セートチキン氏のところへ客に行くことを意下、上官のお気に入る秘書、等々が、その話題であった。わ 味する。これはわたしの一生を通じて変わることのない、た たしは四時間くらいぶつつづけに、間の抜けた顔をして、こ った一人の知人で、わたしはいま自分でさえもこのことを不ういう連中の傍にじっと畏まりながら、その話を聞いている だけの忍耐力があった。しかも、自分から話に口を入れる勇 思議に思っている。けれど、わたしがこの人のところへ出か けてゆくのは、わたしの空想が幸福の頂上に達して、ぜひと気もなければ、それだけの働きもないのだ。わたしはばっと なって、幾度も冷汗をかきそうになった。なんだか卒中の気 もすぐに世間の人々、いな、全人類と抱擁せずにはいられな 、ような、そうした時期が到来した時に限るのである。が、 が頭のへんを渦巻いているような気がした。しかし、これが そのためにはせめて一人の人間でも、現に実在している人物 しい気持ちであり、かっ有益なのであった。家へ帰ると、わ こしはしばらくのあいだ、全人類と抱擁する希望を延期した を持っ必要がある。もっとも、アントン・アントーヌイチのオ ものである。 ところへ行くのは、面会日となっている火曜日に限るので、 もっとも、なおそのほかに、もう一人シーモノフという知 したがって、全人類と抱擁する内部要求を、いつも火曜日に 当てはめなければならなかった。このアントン・アントーヌ人らしいものがあった。学校時代の同窓なのである。学校時 イチはビャチ・ウグロフ ( 五辻 ) に近い建物の五階に住んでい代の友だちは、ペテルプルグにたくさんいたろうと思われる た。それは天井の低い小さな部屋四つの住居で、いかにもし が、わたしはその連中と交際していなかったのみならず、往 まっ屋らしい、黄いろつばい感じを帯びていた。家族は娘二来で逢っても、挨拶ひとっしなくなったほどである。わたし 人と、いつも茶の注ぎ役になっているその伯母であった。娘がほかの役所へ転任して行ったのも、彼らといっしょになる の一人は十三、いま一人は十四で、どちらも鼻が低かった。 のがいやで、癪にさわる自分の少年時代と一気に絶縁するた 物わたしはいつもこの二人の娘に、ひどく間の悪い思いをさせめだったかもしれない。あんな学校やあんな懲役じみた時代 者られた。それは二人がひそひそささやき合ったり、盗み笑いは呪われるがいいのだ ! 要するに、わたしは自由になるが 生をしたりするからである。主人はたいてい書斎に納まって、早いか、さっそく学校友だちと手を切ってしまった。けれ 地われわれの役所か、でなければ、ほかの省に勤めている官吏ど、それでも出会った時に挨拶する友が、まだ二、三人は残

7. ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記

るよ。では、あんたはナスターシャ・ヴァシー リエヴナでは 「なーんてかわいい子だ ! それに、きっと : : : お行儀も、 ないんですな ? こりや、面白い いでしよ、フな ? 」 「マリヤ・アレグサンドロヴナですよ、公爵、マリヤ・アレ 「ところで、公爵」とマリヤ・アレクサンドロヴナは急いで グサンドロヴナですよ ! ああ、あなたはずいぶんわたしに話の腰を折った。「なんでも、伺いますと、それはそれは恐 失礼でございますわ ! ご自分の一等ちかしいお友だちをおろしい目におあいになったそうでございますね ! 嘘でもな 忘れになるなんて ! 」 んでもありません、わたし、あんまりびつくりして、気が遠 「うん、そうだ、ちーかーしい友だちをな、 くなったくらいでございますわ : : : 別にお怪我はございませ ハルドン ! 」と公爵は、ジーナのほうをまじまじ眺めながんでしたか ? 気をおつけ遊ばせ ! こういうことばかり ら、廻らぬ舌でいった。 は、おろそかにはできませんからね : : : 」 「あの、これはわたしの娘でございますの、ジーナと申しま 「おっ放り出されましたよ ! おっ放り出されましたよ ! して。あなたまだごぞんじではいらっしゃいませんのね、公馭者の奴におっ放り出されたので ! 」と公爵は度はずれに元 爵。あなたがこちらにご滞在の当時には、これはちょうどこ気づいて叫んだ。「もうこの世の終わりが来たのか、さもな の土地にいなかったのでございます、覚えていらっしゃいまくば、何かそういったふうのことが起こったのかと思いまし すか、 * * 年のことですが ? 」 てな、正直な話が、下品な言い方をさしてもらうと、胆がで 「これがあなたの娘さんですって ! Charmante, charma ・んぐり返ってしまいましたよ ! 思いがけない、まったくお nte! ( あでやか、あでやか ! ) 」と公爵は柄付き眼鏡で、貪るよ ーいがけないことなんでね ! 夢にもおーもーいよりま うにジーナを見廻しながらつぶやいた。「 Mais quelle beau ・せんでしたよ ! それもみんな馭者のフェオフィールのやっ té一 ( 素晴らしい麗人だ ! ) 」と彼はさも驚嘆したように、、 声が悪いんだ ! きみ、わしはもう万事につけて、きみ一人だ でいった。 けが頼りなんだから、よーっく調べて、なにぶんの処置をし 「お茶をどうぞ、公爵」とマリヤ・アレグサンドロヴナは、 てくれ。あいつはわしの命を狙ったものにちーがーしなし 盆を手にして彼の前に立っているコサッグ仕立てのポーイのよ ! 」 ほうへ、公爵の注意を促しながらこういった。公爵は茶碗を「、いですよ、 いいですよ、伯父さん ! 」とモズグリヤコフ 取「て、薔薇いろにふつくらとした頬の少年をしげしげと眺は叫んだ。「何もかも調べ上げますよ ! でもねえ、伯父さ めた。 ん ! 今日だけは、あいつを勘弁してやってくださいません 「ははあ、これがあんたのお子さんかね ? 」と彼はいった。 か、え ? どうお思いです ? 」

8. ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記

「うん、そう、れつきとした家庭に対して、そんな冗談をす「まあ、なんということだろう ! 」とマリヤ・アレクサンド るという法はない」と公爵は無意識に相槌を打ったが、いく ロヴナは叫んだ。 らか不安を感じ始めた様子であった。 「くよくよなさんなよ、マリヤ・アレクサンドロヴナ」とナ 「だって、それじゃ、わたしのおたずねしたことに、ご返事タリヤ・ 丿エヴナが割って入った。「公爵はどうか なすったことにならないじやございませんか。どうかきつば して、ど忘れなすったのかもしれませんものね。いまに思い りとしたご返事を聞かしていただきたいものでございます。出しなさいますよ」 あなたがさきほどうちの娘に結婚の申込みをなすったことを「まあ、驚いたことをおっしゃいますね、ナタリヤ・ 確かめてください。皆さんのいらっしやる前で確かめてくだ ト丿エヴナ」とマリヤ・アレグサンドロヴナは憤然として食 さいまし」 ってかかった。「いったいこんなことが忘れられるものでし 「うん、そう、わたしはいつでも確かめるよ。しかし、そのようか ? 忘れようにも忘れられないじゃありませんか。冗 ことはも、つすっかりはーなーしてしまったし、それにフェリ 談じゃありませんよ、公爵 ! あなたはわたしたちを愚弄し サータ・ヤーコヴレヴナが、きーれーいにわしの夢をいい当ていらっしやるんですか、え、どうなんですの ? それとも、 てたじゃありませんか」 デュマの書いた摂政時代ののらくらものの真似でも、してい 「夢じゃありません ! 夢じゃありません ! 」とマリヤ・アらっしやるんですの ? フェルラグールか、ロゼンを気取っ レクサンドロヴナは猛然としてさけんだ。「夢じゃありませていらっしやるんじゃありませんか ? そんなことは第一、 ん、ほんとうのことです、公爵、ほんとうにあったことですお年恰好に合いませんし、それに誓って申しますが、うまく よ、おわかりになりましたか、ほんとうにあったことです いきっこありませんわ ! うちの娘は、フランスの子爵夫人 とは違いますからね。さきほどここで、そ、つ、ここのところ 「ほんとうにあったこと ! 」と公爵はびつくりして、肘掛けで、あれが小唄をうたってお聞かせしたところ、あなたはそ いすから身を起こしながら叫んだ。「なあ、 mon ami! さー の歌に感心しておしまいになって、膝を突いて申込みをなす つきお前がいったとおりになったな ! 」と彼はモズグリヤコ ったじゃありませんか。いったいわたしが寝言でもいってる フのはうへ向きながらつけ加えた。「しかし、マリヤ・スチとお思いになって ? いったいわたしは居眠りでもしてるん 夢エ・、 ーノヴナ、断じていいますが、あなたは考えちーがいをでしようか ? さあ、公爵、おっしやってください。わたし の 様しておられる ! あれはただの夢にすぎないと、わしは固くは眠っているのですか、それとも違いますか ? 」 「うんそう : : : 伯信じておりますよ ! 」 もっとも、そ , フじゃよ、、 ナし力もしれんな : ・ : ・」

9. ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記

なければなりません ! わたしが外国行きをお勧めしたのあの人の傍についているとしたら、これほどけっこうなこと ばいた も、もしかしたら、公爵があの : ・ : ・売女をお棄てになるかも はないじゃありませんか。もちろん、その女性は美人でなく しれないと、ただそれを心頼みにしての話でございます ! 」ちゃいけません。なにぶん、伯父さんはいまだに綺麗な人が 「ねえ、どうでしよう ? あの人に結婚さしたら、マリヤ・好きなんですから。あの人がジナイーダ・アファナーシエヴ アレクサンドロヴナ ! 」とモズグリヤコフは叫んだ。 ナに見とれていた様子を、あなたもごらんになったでしょ 「また、あんなことを ! そんなふうだと、あなたはしよせう ? 」 ん、匡正の見込みがありませんね、モズグリヤコフさん ! 」 「でも、そんなお嫁さんをどこで見つけるおつもりです 「いや、マリヤ・アレグサンドロヴナ、ちがいます ! 今度の ? 」じっと話に耳を傾けたジャープロヴァが、こうたずね こそわたしは大真面目でいってるんですよ ! なぜ結婚さし てはならないんでしよう ? これだって、やはり一案です「ほら、そうくるだろうと思った。なに、あなただってよろ よ ! C'est une idée comme une autre ( 他の案と別に変っ しいんですよ、思し召しさえおありなら ! 遠慮なくおたず たところはありません ) 、なぜこの案があの人のためにならなねしますが、どうしてあなたが公爵のお嫁さんになれないっ いんでしよう、伺いたいものですね。それどころか、あの人て法があるんでしよう ? 第一、あなたはお綺麗でいらっし はそういったような手段によらなければ、救うことのできなやるし、第二には後家さんだし、第三にはお生まれがいし いような状態に置かれているのじゃありませんか ! 法律上第四には貧乏でいらっしやる ( だって、まったくのところ、 では、あの人もまだ結婚できるんですからね。何よりも第一あなたを金持ちとはいえませんからね ) 。第五には、あなた かた に、あのあばずれ女の手からのがれるわけですよ ( 下品な言はとても分別のある方だから、当然あの人をかわいがって、 しよっちゅうこまめに世話をなさるでしよう。そして、例の い方をごめんなさい ) 。第二に、これが大事な点なんですが、 こういう場合を想像してごらんなさい、あの人が美しい 、心女を叩き出して、公爵を外国へ連れて行き、ひき割り小麦の の優しい、利ロな、愛情のある娘さん、いや、後家さんならお粥やお菓子で養ってお上げになる。それもこれも、公爵が 更にけっこうですが、とにかく、貧しい女を選み出すとしまこの定めない世を見棄てて行くまでの話で、長いことじゃあ りません、せいぜい一年か、ことによったらふた月半くらい しよう。すると女は、公爵が自分を妻と呼んでくれるのは、 とりも直さず恩恵を施してくれたものだということを理解し・のものかもしれませんよ。その時は、あなたは公爵の未亡人 かしず て、娘のように侍くことでしよう。そういう親身な、正直でで、金満家で、思い切って決心をなすったご褒美に、侯爵か 潔白な女性ができて、あの : : : 鬼婆の代わりにしよっちゅう主計監のところへお嫁入りができる、という寸法です !

10. ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記

「いったいどうしたんでしよう ? 」と婦人連は互いに顔を見ると、どうだろう ? 品のいいどっしりとした押出しの紳士 2 が、テープルの上に長々とねそべっているじゃないか、わし 合わせながら、ひそひそささやいた。 はびーっくりしてしまってな、はーなたばの始末に困り切っ 「ご冗談じやございませんよ、公爵」とマリヤ・アレクサン たものさ : ドロヴナは病的に歪んだ徴笑を浮かべながら、切り出した。 「でも、公爵、失策談どころの騒ぎじゃありませんよ ! 」と 「まったくのところ、あなたにはびつくりしてしまいますわ。 夢、夢って、まあ、なんて奇妙なことをお考え出しなすったマリヤ・アレクサンドロヴナはいまいましそうにさえぎつ た。「もちろん、うちの娘は、お婿さんの後を追い廻さなけ のでしようねえ ? 正直なところ、わたしは今までご冗談だ とばかりぞんじていましたが、でも : : これが冗談だとするればならないわけではありませんけれど、ついさきほど、あ なたが現にご自分で、このビアノの傍で、あの子に結婚の申 と、かなり場所柄に不似合な冗談でございます : : : わたしは これを、あなたの放心評のせいにいたしたいと思います。ま込みをなすったじやございませんか。わたしは何もあなた に誘いの水を向けた覚えはございませんよ : : : それどころ たそうあれかしと願うのでございますが、しかし : : : 」 「ほんとうに、これはただの放心から出たものかもしれまか、わたしは一時ぎよっとしたくらいでございます : : : もち せんねえ」とナタリヤ ・ドミートリエヴナは、さも不満げなろん、その時、わたしの頭にちらとある考えが浮かんだので すけれど、何もかもいっさい、あなたが目をおさましになる 声でいった。 「うん、そう、これはほうしーんから出たものかもしれなまで、お預けにして置いたのでございます。でも、わたしは いて」自分が何を要求されているのやら、いまだによく合点母親で、これはわたしの娘でございますからね : : : あなた ま、、ないで、公爵は同じことをくり返した。「ああ、そう、 は、今、何かしら夢の話をなさいましたが、わたしはたとえ そう。まあ、どうだろう、こういう失策談があるんだがね、 ばなしにこと寄せて、この婚約を公表なさりたいのだと、こ ひーとーっお話しよう。わしはある時、ペテルプルグで、そう解釈したわけでございます。わたしにはよくわかっており ますが、これはあなたをつつつく人があるらしゅうございま ーうしーき案内を受けたんだ。先方は maison bourgeoise. maishonnéte( プルジョアの家庭だが、しかし由緒ある正しい家庭 ) すね : : : それがだれかということさえ想像がっきますが : でね。ところが、わしはうつかり考え違いをして、命名日のしかし、はっきりおっしやってくださいまし、公爵、わたし お祝いとひとりぎめに決めてしまったのさ。とーころが、そどもの得心がいくようにおっしやってくださいまし、れつき の実、命名日の祝いは前の週にすんでしまっていたのに、わとした家庭に対して、そんな冗談をするという法はありませ しはっーばーきの花東を用意して出かけたものだ。入って見ん : : : 」