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検索対象: ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記
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1. ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記

っては、もしひとりカルタを並べていなければ、煖炉の上でかく隠していた誕生日に、客を呼ばうという気まで起こした 8 ガラスの中に納まっている置時計との差向いに満足して、毎のである。客の一人に対しては、彼は特別な思わくを持って いた。新しい家で彼自身は二階を占領していたが、同じ建て 晩毎晩肘掛けいすでうつらうつらしながら、ちくたくの音を した 泰然として聞いている始末である。きわめて上品な容貌をし方と間取りをした階下のほうには、間借人を入れる必要があ った。スチエバン・ニキーフォロヴィチは、シプレンコに白 て、髭は綺麗に剃り上げているので、年よりは若く見える。 いささかも老衰の兆がないので、まだまだ長生きしそうであ羽の箭を立てていたので、この晩も二度ばかり話をそのほう り、態度も堂々たる紳士である。彼の位置は楽なもので、何へ持っていった。が、シプレンコはこの点については沈黙戦 かの会議の議長をし、何かの書類に署名するだけなのであ術を取った。これも長の年月こっこっと勤めて、自分の道を る。ひと口にいえば、この上もなく立派な人物ということに開拓して来た男で、髪の毛も顎ひげも黒く、顔色はいつも胆 なっている。彼はただ一つの熱情、というより、一つの熱烈汁の浴れたような感じである。彼は妻帯者であったが、気む な希望を持「ていた。それは自分の家屋を持っことであつずかしゃの外出ぎらいで、家のものを戦々兢々とさしていた。 た。それも成金ふうでなく、貴族ふうに建てられた家でなけ勤務のほうには自信があって、官等のほうもご同様に、どこ ればならない。ついにその希望は実現された。彼はペテルプそこまでは行けるということをよく心得ていたが、どこそこ まではこんりんざい行けぬということのほうが、いっそうよ ルグ区にある家を見つけて、それを買い取った。もっとも、 遠いことは遠いが、庭がついており、おまけに優美な家なのくわかっているのであった。うまい位置にありついて、どっ である。新しい持主は、遠ければかえってそのほうがいいとしりと梃子でも動かぬように尻を据えている。そろそろ萌し 考えた。自分の家へ客を迎えるのは好きでないし、だれかをて来た新しい制度に対しては、多少いらいらした気持ちをい 訪間したり役所へかよったりするのには、チョコレート色をだいてはいたが、かくべっ不安を感じもしなかった。彼は非 した二人乗りの洒落た馬車と、馭者のミヘイと、小柄だけれ常な自信家だったので、新しい問題に対するプラリンスキイ いくらか意地悪い冷笑の気持ちで聞いて どしつかりした美しい二頭の馬がある。これらはすべて、四の長広舌なども、 いた。とはいえ、三人ともみんな一杯機嫌になっていたの 十年間の細心な節約生活によって得られたものであるから、 彼は内心うれしくてたまらないのである。こういった次第で、主人のスチ = パン・ニキーフォロヴィチでさえ、プラリ ンスキイ氏あたりと角逐する気になって、新しい制度につい で、新しい家を手に入れて引越しをすると、スチェパン・ニ キーフォロヴィチは、その落ちつきのある心の中になんともて、二人で軽い争論をはじめたほどである。しかし、プラリ いえぬ満足を感じて、以前はごく親しい知人にさえ、注意ぶンスキイ閣下について、数言を費しておく必要がある。まし

2. ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記

があって、純潔でなければならぬ。すると、相手のほうは高翼とした表情が、ときおりなんともいえぬ憂愁の翳となっ て、イタリアの名匠の描いたマドンナの、晴れやかな顔を思 潔な謙抑の精神をもって、自分自身の価値を正当に批判し、 友の優越を完全に理解したうえで、その友情をおのれの幸福わせる彼女の静かな、つつましやかな面ざしを曇らすので、 として胸に抱きしめるのである。そのときはじめて、こうしそれを見ていると、自分までがなにか人ごとならぬ悲しみで た二つの性格のあいだに優しい、高潔な、微妙な関係が生ずもあるように、すぐさま同じ憂愁にとらわれるのであった。 る。一方の側からは愛情と徹底した譲歩であり、いま一方のこの青ざめた、心もち瘠せた感じの顔には、なにひとっ非の それは一種の恐怖に近いほ打ちどころのない正しく清らかな美しい輪郭を通して、定か 側からは愛情と尊敬である、 どの尊敬で、その当人は自分の崇拝する人から見下げられるならぬ憂愁を秘めたわびしく厳しい表情のかげから、原始の ようなふるまいをしまいと戦々兢々とし、生活の一歩ごとに子供らしく晴々した面影の透いて見えることがしばしばであ まださほど遠くない、人をも世をも信じやすかっ その人の胸に近く寄り添わんものと、一心不乱に飽くことな く念願するのだ。 た年ごろの面影、無邪気な幸福を楽しんでいた時代の面影で 二人の親友は同じくらいの年配であったが、彼らのあいだある。それから、あの静かな臆病でためらいがちな微笑、 そういうものを見ていると、だれしもなんのわけもなく にはまず顔の美しさからはじめて、何から何まで天と地ほど のちがいがあった。夫人も同様になみはずれて美しい人でこの婦人にひき寄せられて、思わず知らず甘美な、温い心づ あったが、その美しさの中には、世間におびただしい美人群かいが湧きおこって来る。この心持ちが、まだ遠く離れたと ときつばり区別する、なにか一種特別なものがあった。彼女ころから、彼女がだれであるかを語ってくれ、まだ縁もゆか りもないのに肉親感をいだかせるのだ。しかし、それでい の顔には、たちまち否応なしにすべての人の好感をひくよう な何かがあった、というより、見た人の心に清らかな高調して、この美人は妙にロ数の少ないたちで、なにか隠しだてで もしているような感じを与えるところがある。とはいえ、だ た好感を呼びさますような何かがあった。世にはそういうう れか同情を必要とするような場合、彼女ほど他人に注意ぶか らやましい顔があるものだ。だれでも彼女のそばにいると、 かく愛情のこまやかな人はないのである。世の中にはまるで看 なんとなく気持ちがよく、ずっと自由になったような、暖 いような感じがする。そのくせ、焔と力にみちた彼女の沈み護婦のような女性がいるものである。彼らの前ではなにひと 恋がちな大きな目は、おずおずした不安げな表情をしているのつ隠す必要がない、少なくとも、胸の傷、心の痛みをつつむ だ。それは絶えず敵意をもった恐ろしいものの脅威に曝され必要がない。苦しめるものは大胆に希望を持って彼らのもと オしかなどと、い配しよ、 初ている、とでもいったふうなのである。この不思議な小心翼へおもむき、迷惑になりはしよ、

3. ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記

リプリも自分のマビシュに背いて、ともすればよその花にう必要だろう ? なにしろギュスターヴを取り上げられる心配 つつを抜かしたがる。だから、お互いに邪魔をし合わないのはないのだから。何か人生における善行とか高邁な目的と が最上である。それに、家の中もそのほうが円満で、プリプか、そういったようなものは彼女にはやはり必要がない。彼 マビシュという愛すべき呼名を交じえた愛の睦言が、夫女は本質的にいうと、夫と同じ資本家であり、ため込み屋な 婦の間でいよいよ頻繁に交される、というわけである。最後のである。カナリヤの時代が過ぎてしまうと、換言すれば、 に、ほんとうのことをいってしまうならば、そうすればプリ どんなにみずから欺いても、自分をカナリヤと思い込むこと プリも、驚くばかり上手に自己保証をしたことになる。警察ができないようになり、どんなに空想を逞しゅうしてうぬば の手先がいついかなる場合でも、彼のためにご用をつとめてれてみても、新しいギュスターヴをこしらえることなど、てん くれる。それはもう、彼が自分でこしらえた法則からいってで問題にもならないようになった時、その時マビシュはとっ も、そのとおりなのである。極端な場合には、 en flagrant ぜん急に見苦しい変貌を遂げる。今までの媚態や、美しい衣 délit ( 現行犯で ) 姦婦姦夫を押えたら、プリプリは二人を殺裳や、ふざけた態度はどこへ行ってしまうのだろう。彼女は してしまっても、自分はなんの罪にも問われないのである。大抵の場合、お話にならぬはど意地悪の世帯持ちになってし マビシュはそれを承知していて、自分からそれを賞讃してい まう。教会通いをして、亭主といっしょに金を蓄め、何かし るのだ。長年の監督でマビシュをそこまで躾けてしまったのら恥知らずな感じが、そこからもここからも顔を覗ける。不 で、女のほうでも不平をいわず、どこかの野蛮で滑稽な国な意に一種の疲労、いまいましさ、粗野な本能が現われ、存在 どでするように、たとえば大学で勉強して、グラブや議会に の無目的を感じ、無恥な会話がはじまる。中には引きったれ 日しやばろうなどと空想しない。それよりも、現在の空気みになってしまうのもある。もちろん、みんながみんなそんな たいにふんわりした、いわば籠のカナリヤみたいな境遇にとふうではなく、また違った、より美しい現象も見られること どまっていたいほうである。彼女は美しい衣裳を着せてもらはいうまでもない。どこの国でも、同じような社会関係があ 、手袋をはめてもらい、遊山につれて行ってもらい、ダンるのはもちろんだが、 しかし : : : ここではこれらすべてがよ スをしたり、お菓子を食べたりして、表面は女王のように扱り多く大地に根ざし、より多く独自で、自然発生的で、充実 われ、男はその前に上べだけは平つくばっている。 している。ここではすべてがより国民的なのである。ここに こうした男女関係の形式は驚くばかりうまく、一点の非のはプルジョア的社会形式の源泉があり、萌芽がある。いつに 冬打ちどころもないように仕上げられている。ひとロこ、 ~ しえ変わらぬことながら、偉大なる国民に対する永遠の模倣心理 夏 ば、騎士的な関係が守られているのだから、それ以上なにがのために、この形式はいま世界各国を支配しているわけであ

4. ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記

て、自分の造っている建物を完成するのを、本能的に恐れて恐れていたが、わたしは今でも恐れている。よしんば人間は いるからではあるまいか ? 諸君はごそんじないかもしれな この二二が四の発見を唯一の仕事にして、この探求のために いが、人間は自分の建物をただ遠くのほうから愛するだけ大洋を泳ぎ渡ったり、生命を犠牲にしているにもせよ、本当 で、けっして近く寄って愛玩するものではないらしい。人間こ 誓っていうが、 冫さがし当てること、発見することは、 はそれを建設することにのみ愛を持って、その中に住むこと なんとなしに怖いのだ。つまり、発見してしまえば、もうそ を好まないのかもしれない、建ててしまうと、後はその建物のときは何もさがすものがなくなる、と直感するからであ を aux animaux domestiques ( 家畜どもに ) たとえば蟻とる。労働者なら仕事を終えると、少なくとも金をもらって、 か、羊とか、そういったようなものにまかせてしまいたいら居酒屋へ出かけて行き、そのあとで警察のご厄介になる、 これでまあ、一週間ぐらいの暇潰しにはなろうというも しい、現に蟻などは、ぜんぜん変わった好みをもっている、 彼らはこれに類した一つの驚くべき建物、永久に壊れることのだ。ところが、人間はいったいどこへ行ったらいいのだろ のない建物をもっている。 う ? 少なくとも、そういったふうの目的を達するたびに、 つまり蟻塚をさすのだ。 この尊敬すべき蟻どもは、まず蟻塚からことを始めたのそのつどなにか具合の悪いところが感じられる。人間は到達 で、またきっと蟻塚で終末をつげるに相違ない。それは彼らを好むには相違ないけれども、しかし、完全に到達してしま の堅忍不抜の精神と確実性とを証明することで、非常な名誉うのは考えものなので、これはむろん、恐ろしく滑格なこと といわなければならない。けれど、人間というやつは軽薄で に相違ない。手つ取り早くいえば、人間は滑格にできあがっ 下品な動物だから、ちょうど将棋さしと同じように、ただ目ているのだ。これにはどうやら地口が交っているらしい。し 的に達する径路を愛するのみで、目的そのものはどうでもい かし、二二が四というやつは、なんといっても、実に我慢の いらしい。実際、全人類が精進している地上の目的なるものできないしろ物である。二二が四、これなどはわたしにいわ は、あげてことごとくこの目的獲得の絶えざるプロセス、すせると、ただ人を馬鹿にしたしろ物なのだ。二二が四は、お なわち生活そのものの中に含まれているのであって、目的そっちょこちょいのような恰好をして、両手を腰にあてたま れ自身のなかには存在しないのかもしれない ( それはだれま、人の行く手に立ちふさがりながら、べっと唾を吐いてい しも保証のできないことである ) 。目的なるものはいうまでるという感じだ。二二が四が立派なものだということには、 ところが、 もなく二二が四で、公式以外の何ものでもない。 わたしも異存がないけれど、しかしいっそ何もかも賞めるこ 諸君、一三が四はもはや生活ではなく、死の始まりにすぎなとにするなら、二二が五も時によると、愛嬌のあるしろ物な いのである。少なくとも、人間はいつも妙にこの二二が四をのだ。

5. ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記

って来た。まだ十六ばかりの年に、わたしは気むずかしい目 いうまでもないことだけれど、しかし彼らにおいては、新詳 つきで、みんなの顔をあきれて眺めたものである。もうそのささえ醜い感じを与え、その現われはなんとなくいじけてい 時分から、彼らの考え方の浅薄さや、彼らの仕事、遊戯、会るのであった。わたしは心底から彼らを憎んでいたが、或い 話の愚かしさにわたしは一驚を吃した。彼らは必要欠くべか は自分のほうがかえって劣等だったのかもしれない。彼らも らざるものを理解せず、感激や驚異に値する事柄に興味をもまた同じ態度をもってわたしにむくいながら、嫌悪の情を隠 たなかったので、わたしは自然かれらを自分より低級な人間そうともしなかった。けれど、わたしはもはや彼らの愛情な と考えるようになった。それは辱しめられた自尊心の当然などを望まなかった。それどころか、絶えず彼らの屈辱に渇し 帰結などではない。またお願いだから、胸の悪くなるほど飽ていたのだ。わたしはみんなの嘲笑を回避するために、わざ きあきした決まり文句、 『お前はただ空想していたばか とできるだけ成績をあげることに努め、優等生の中へ割りこ りだが、彼らはもうその頃から、現実生活を理解していたのむことができた。これは彼らに対して効果があった。そのう だ』なんて公式的な文句で、わたしにお説教しないでもらい えわたしがしだいしだいに、彼らの手に合わない本を読んだ たい。彼らは現実生活も何もまるで理解していなかった。誓り、彼らが聞いたこともなければ、学校の専修科目の中に入 っていうが、つまりその点こそ、わたしを憤慨させた最大原っていないようなものを理解しているのが、彼ら一同にもわ 因なのである。実際はその正反対で、彼らは明々白々、一見かるようになった。みんなはそれを奇怪なことのように、冷 して目に映るような現実を、あきれ返るほど馬鹿げたふうに笑の目をもって眺めていたが、精神的には屈服したのである。 受けいれて、もうその当時から、ただ成功のみをありがたがまして、教師たちがこの点でわたしに注意を払うようになっ る癖がついてしまっていたのだ。たとえどんなに正しいものてから、なおさら利き目があった。冷笑はやんだけれども、 でも、辱しめられ虐げられているものは、なんでも情け容赦一脈の敵意が残った。そして、冷ややかな緊張した相互関係 なく冷笑した。彼らは官位を叡知と見なし、十六やそこらが固定してしまったのである。しかし、最後には、わたし自 で、もうぬくぬくと暖まれる地位を空想していた。むろん、 身が持ち切れなくなって来た。年とともに人懐かしさと、交 それは少年にまぬがれ難い愚かしさや、彼らの幼年時代を絶友を要求する念が、だんだん強くなっていった。わたしは二、 えず囲繞していた良からぬ手本によることも、少なくなかっ 三のものに接近しようともしてみた。けれど、この接近はい こに相違ない。彼らの淫蕩さは醜怪なくらいであった。むろつも不自然なものになって、自然と消滅してしまうのであっ ん、そこにも外部からくつつけた人為的なシニズムのほうが 一時はわたしにも親友らしいものがあった。しかし、わ 多く、青春と新鮮の感じがその淫蕩の間から閃いていたのは、 たしはすでに内心暴君になっていたので、無限に相手の魂を

6. ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記

よ ? 」と百姓はどなったが、それでも痩せ馬にびしびし鞭をは早足で暗い店の間を通り抜け、たった一本だけ蝋燭のとも っているホールへ入って行った。そして、そこでけげんそう 入れたので、馬は後足で橇を蹴り始めた。 べた雪は綿のように降りしきっていた。わたしは外套の前に立ちどまった。人っ子ひとりいなかったからである。 「いったいあの連中はどこにいるのだ ? 」わたしはだれかに をあけっぴろげた。雪や寒さどころではなかった。わたしは こうたずねた。 いよいよ平手打ちの実行を決心したので、ほかのことはもう しかし、彼らはもうむろんいまの間に、めいめいの部屋へ すっかり忘れつくしていたのだ。そして、これはもう必ず今 すぐおっ始まるのだ、これはもうどんな力でも阻止するわけ別れて行ったのである : にゆかないのだということを、恐怖の念とともに直感してい わたしの前には、ある一人の人間が、愚かしい徴笑を浮か た。侘びしげな街燈が、まるで葬式のたいまつのように、雪べながら、ばんやりたたずんでいた。それはこの家のお内儀 けむりの中で気むずかしげにまたたいていた。雪はわたしので、わたしのことも多少は知っていたのである。やがて間も なく戸が開いて、もう一人の女が入って来た。 外套や、上着や、ネグタイの下へ吹きこんで、そこでじくじ く融けるのであった。わたしは外套をかきあわそうともしなわたしはいっさいなにものにも注意を向けないで、部屋の しいってはいた かった。もうどっちにしたって、何もかも駄目になってしま中を歩き廻っていた。どうやらひとり言ぐら、 ったのではないか ! やっとのことで、めざす家へ乗り込んらしい。わたしはまるで危い命を救われたような気持ちで、 だ。わたしはほとんど前後を忘れて飛び下りると、階段を駆その喜ばしい感じを、自分の全存在で予知していたのであ け登り、手と足とで扉をどんどん鳴らし始めた。わたしの足る。もし彼らがいたら、わたしは平手打ちを喰らわしたに相 ところが、 は、ことに膝のあたりが、ぐったりとカ抜けしていた。けれ違ない。きっときっと喰らわしたに相違ないー ど、わりに早く開けてくれた。まるでわたしの到着を知って今は彼らの影も姿もない : : : 何もかも掻き消えて、状況はが : わたしはあたりを見廻した。まだはっ いたような具合である ( 実際シーモノフが、もう一人くるらりと変わった ! かもしれないと、前触れしておいたのである。この家ではすきりと思い合わせる余裕がなかったのである。わたしは機械 べて前触れして、十分に大事をとる必要があった。それは当的に入ってくる女を見やった。いくらかあおざめてはいるけ 時さかんだった、いわゆる「流行品店』の一つで、いまではれども、新鮓な感じのする若々しい顔が、わたしの目にちら もう警察の努力で、とっくに根絶されているが、昼間は本当りと映った。黒い眉がまっすぐに揃って、真面目そうな目っ に流行品店であるけれど、晩になると、紹介を持っている人きま、、 ーしくらか驚いたような表情をしていた。わたしはさっ だけが、お客になって行ける仕組みになっていた ) 。わたしそくそれが気に入った。もし彼女がにたにた笑っていたら、

7. ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記

る。しかし、表面的にはマビシュは女王である。社交界でも いところさえある。が、そんなことはなんでもない。彼女の 街頭でもいたるところ、どんなに洗煉された慇懃さと、どん顔はよく動き、よく芝居をして、真の感情や自然を真似る秘 なに押しつけがましい注意が、マピシュを取りかこんでいる密を最高度に所有している。男の気に入るのは、この似せ方 ことか、想像するのも困難なほどである。その優美さは驚くの巧みさが自然に迫るということではないかもしれないが、 ゴーゴリ「死せる魂』に登場する その似せるというプロセスそのものが、男を魅惑するのであ ばかりで、時によるとマニーロフ 地主の一人、甘ったるい感傷癖の 代名 ) 気質に陥り、正直な人間には鼻持ちもならないくらいでる。技巧がころりとまいらせるのである。多くのパリジ ある。そのまやかしのそらぞらしさといったら、心底から侮にとっては、本物の愛情であろうと、愛情の上手な贋物であ 辱を感じずにはいられまい。しかし、マビシ = は、自分でもろうと、どっちだって同じことなのである。むしろ贋物のほ リでは女性に対する 大した食わせものであるから : : : それこそ彼女の望むところうが余計お気に召すのかもしれない。。ハ なのである : ・ : ・彼女はどんな時でも損をすることはない。そ一種東方的な見方が、だんだん顕著になって来る。椿姫がし 。こ、こもて囃されてくる。 して、正直にまともに取っ組むより、いつだってこすい手でオし冫 「さあ、金を取ってよくだましてくれ、つまり愛情の真似ご いくほうをえらぶのだ。彼女にいわせれば、そのほうがたし とをして見せてもらいたいのだ』 かで、しかも芸の面白みがある。なにしろ芸とか、魂胆とか いうもの、それがマビシュにとってはすべてなのだ。その代これを男たちは椿姫から要求するのだ。細君からもほとん わり、彼女のお洒落つぶりはどうだろう、往来を歩く様子はどそれと同じことを要求している少なくとも、それで満足 しているのだ。そういうわけで、ギュスターヴは暗黙のうち どうだろう。 、寛大に許可される次第である。のみならず、プルジョア マピシュは気取り屋で、こしらえもので、どこからどこま でも不自然であるが、つまりそこが魅力なのである。新ではこういうことも承知している。マビシュは年とると、完全 単純な美に対する趣味を失った、かくべっ気まぐれな、あるに夫の利害に入り込んで、金を蓄めるはうで最も勤勉な助手 となるに相違ない。それどころか、若い時にもずいぶんよく 程度堕落した男を魅惑するのである。マピシュの発達はすこ ぶる貧弱なもので、知性も心情も小鳥並みしかないが、そのお手伝いをする。彼女はどうかすると商売を一手に引きうけ 代わり優美である。その代わりいろんな手練手管の秘訣を無て、お得意様のお相手をすることもある。ひと口にいえば、 数に持っているから、男たちはそれに引っかかって、何かおっ立派な片腕であり、一番番頭である。そういうわけであって な珍しいもののように、その尻を追いまわすのである。彼女見れば、どうしてギュスターヴごときを許さずにいられるも は器量さえめったによくないほどである。その顔には意地悪のか、街頭では女は不可侵の存在である。だれひとり失礼な エプーズ

8. ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記

中で、わたしのほうへ向けてきらっとかがやいたので、そう 前にもいったとおり、わたしは自分の子供としての特権 いう邂逅に対して心がまえのできてなかったわたしは、焼け に、しんから憤慨を感じ、また同時に気咎めを覚えはじめて どでもしたように、ぶるっと身陳いした。麗人はにつこりと いた。しかも、この婦人はほかの人とは比べものにならない ほほえんだ。 ほど、まるで人をからかってでもいるように、とてつもない 「お芝居おもしろくって ? 」と彼女はたずね、ずるい、からことをいい出すではないか。おまけに、それでなくとも、つ かうような目つきでわたしを見つめた。 ねづね臆病ではにかみやのわたしは、そのとき婦人たちの前 「ええ」依然としてなにか驚いたような感じで彼女を眺めなで格別おじけづいたらしく、すっかりまごっいてしまった。 がら、わたしはそう答えた。彼女のはうでもそれが気に入っ 「ええ、そうよ、膝の上へさ ! どうしてあんたはわたしの たらしかった。 膝に乗りたくないの ! 」と彼女は笑いながらいい張ったが、 「なんだって立ってらっしやるの ? それじゃ疲れますわ。 その笑いがだんだん大きくなっていって、ついには手放しの 席がないんですの ? 」 高笑いになった。自分の思いっきがおもしろいのか、それと 「それがないんです」今度はもう、火花を散らす佳人の目か もわたしがまごっいたのがおかしいのか、それはどうだかわ ら、実際問題のほうに注意を移して、わたしはこう答えた。 からないが、とにかく、彼女はわたしのそうした様子を期待 ようやく親切な人が現われたので、自分の悲しみをうち明け していたのだ。 ることができると、心底から嬉しくなったのである。「ばく、 わたしは真っ赤になって、もじもじしながら、どこか逃げ もうさんざんさがしたんだけど、椅子はすっかりふさがってるところはないか、とあたりを見まわした。けれど、彼女は るの」椅子がすっかりふさがっているのを訴えるような調子先を越して、どうしたものかうまくわたしの手をつかまえ で、わたしはこうつけ加えた。 ( つまり逃がさないためである ) 、ぐいとそばへ引き寄せる 「ここへいらっしゃい」と彼女はいった。万事につけて決断と、驚いたことには、まったくだしぬけに、いたずららしい の早い彼女は、そのいたずらっ子らしい頭の中に、どんな気熱い指で、いやというはどしめつけて、わたしの指をぐいぐ ちがいめいた考えが浮かんでも、すぐ実行に移すというたち いこじりだした。それがとても痛かったので、わたしは叫び であった。「ここへいらっしゃい、わたしんとこへ、わたし声を立てないために、一生懸命の努力をして、おまけに、、 の膝の上にのせてあげるから」 とも滑稽なしかめ面までして見せたのである。のみならず、 「膝の上に ? 」とわたしは度胆を抜かれて、おうむ返しにい子供を相手にこんなつまらないことをいうばかりか、おまけ になんのためやら満座の中で、こんな痛い目にあわすよう せん ノ 20

9. ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記

く撲ることだろうな。あいつは恐ろしいカ持ちだから。フ = てしかるべきだ。もしおれが明日にも課長をつかまえて、介 ルフィーチキンは横のほうからしがみついて、きっと髪の毛添人になってくれと頼んだら、課長は単に騎士感情のためだ をつかむだろう。たしかに間違いなしだ。しかし、かまうも けでも、それを引き受けて、秘密を守らなければならないの んか、かまうもんか ! おれはそれを覚悟で出かけたのだ。 だ ! アントン・アントーヌイチ・ : : こ やつらの羊同然な馬鹿頭でも、今度こそは、この事件の悲劇 ほかでもない、その瞬間、わたしは世界中のだれよりもは 性を噛みわけるだろう ! おれは戸口へ引っ張られて行きな つきりと明瞭に、自分の想像の醜悪きわまりなき愚かしさを がら、やつらがおれの小指だけの値うちもないということ感じ、楯の反面を思い浮かべたのである。けれど : を、大声でどなって聞かせてやるのだ。さあ、急げ、馭者、「もっと飛ばすんだ、馭者、もっと飛ばすんだ。この悪党 急げ ! 』と百姓にどなりつけた。馭者はぎくっと身慄いさえめ、うんと飛ばせ ! 」 しながら、鞭を一ふり振りあげた。わたしのどなり声があま 「えい、だんな ! 」と、いかにも田舎出らしく頑丈な馭者は りに気ちがいめいていたのである。 「明日の払暁には決闘するんだ。これはもう、既定の事実わたしはとっぜん総身に水を浴びたような気がした。 だ。役所のはうもおさらばだ。さっきフェルフィーチキン : いっそ : : : これから真っすぐに家へ帰っ が、お役所という代わりにおやくじよといったつけ。だが、 たほうが好くないだろうか ? ああ、情けない ! なんだっ どこでビストルを手に入れたものだろう ? なに、 くだらんて、ほんとに。なんだっておれは昨日、あんな宴会に出席を ことだ ! 月給を前借りして買ってやる。だが、火薬は ? 申し込んだのだろう ! しかし、駄目だ、あんなことは我慢 弾丸は ? それは介添人の仕事だ。だが、どうしたらそれだできない ! まる三時間も、テープルから煖炉まで散歩をつ けのことが、すっかり夜明けまでに間に合うだろう ? それづけるなんて。いや、あいつらだ。ほかのだれでもないあの に、どこから介添人を引「張「て来ようというんだ ? おれ連中が、おれにあの散歩の仕返しを受けなくちゃならないの には知人なんかありやしない・ くだらんことだ ! 』 だ ! やつらはおれの顔からこの泥を洗いおとす義務があ わたしはなおいっそういきり立ちながら、こう叫んだ。「くる ! さあ、もっと飛ばせ ! 』 だらんことだ ! 往来で行き当たりばったりの人間に頼んだ 「だが、もしやつらがおれを警察へ突きだしたらどうしょ ら、その男はおれの介添人になる義務があるのだ。それは溺う ! なに、そんな度胸があるものか ! やつらは外聞の悪 れかかった者を、水から引き出さなければならないのと同じい騒動を恐れるに違いない。しかし、もしズヴェルコフがお わけだ。思い切って飛び離れた異常の場合は、当然ゆるされれを頭から軽蔑して、決闘をはねつけてしまったらどうしょ

10. ドストエーフスキイ全集5 地下生活者の手記

まるでだれかが急に前へ飛びだしたよう わたしはこの女を憎んだに相違ない。わたしは無理に注意をに鳴り渡った、 な感じだった。二時を打ったのだ。わたしはわれに返った。 緊張させるようなあんばいで、前よりも少し目をすえなが といっても、別に眠っていたわけではなく、ただ半醒半睡の ら、その顔を見入り始めた。わたしの考えは、まだすっかり まとまっていなかった。その顔には素朴で善良なものがあつ状態で横になっていたのである。 天井が低くて、窮屈な狭くるしい部屋の中には、大きな衣 たけれど、何かしら不思議なほど真面目なところもあった。 つまり、それがために彼女は客を取り損ったので、あの馬鹿裳戸棚が幅をしめ、おまけにポール箱や、ばろ切れや、その 者どもはだれ一人この女に気を留めなかったのだと、わたし他ありとあらゆるばろ服が引き散らされ、しかもほとんどま は信じて疑わなかった。とはいうものの、彼女は美人というっ暗であった。部屋の端っこにおかれたテープルの上で燃え わけにはゆかなかった。でも、背は高くて、しつかりとよくている蝋燭は、もうあやうく消えそうになって、ときどき徴 かにばつばっと燃え立っていた。もう幾分か経ったら、あや 整った体格をしていた。身なりは思い切って質素であった。 何やらいまわしい虫のようなものが、ちくりとわたしの心をめもわかぬ真の闇になるわけである。 わたしはたちまちはっとわれに返った。すべてのことがな 刺した。わたしはつかっかと女の傍へ寄った : わたしは偶然、鏡のなかを覗いてみた。興奮して取り乱んの努力もなしに、たちまちわたしの記憶によみがえった。 したわたしの顔は、われながら思い切りいやらしく感じられまるで、もう一度おそいかかってやろうと、待伏せしていた た。頭の毛を蓬々させた、あおざめた、毒々しい、下司な顔かのようである。それに、いかに前後を忘却していても、ど うしても忘れ切れないような、何かある一つの点が、記憶の をしている。「よに、かまうものか。おれは結句このほうが なかに始終のこっていて、そのまわりを夢うつつの妄想が、 嬉しい』とわたしは考えた。「つまり、この女にいやらしく 思われるのが嬉しいのだ。おれはそれが愉快なんだ : ・ 重苦しく廻転するのであった。しかし、不思議なことがあっ た。この一日にわたしの身に起こったいっさいのことは、、 6 ま目がさめてみると、まるで遠い遠い過去のことのように思 われ、わたし自身はとっくの昔に、そんな境地から抜けだし 手 : どこか仕切壁のむこうで、まるでだれかにひどく締めたような気持ちがしたのである。 者つけられて、息がつまりそうになったというようなふうに、 頭の中には、炭酸ガスでもこもっているようだった。何か 生ーー・時計がぎいと軋みながら鳴った。不自然なほど長い軋みが頭の上をくるくると舞いながら、わたしの神経にさわって、 地声の後から、いやらしく細い響きが、思いがけなくせつかち興奮さしたり、不安を呼び起こしたりするよう。憂愁と憤懣 1 三ロ