こさなけりや知らせもしゃあがらねえ ! まるで、しとを大 ですか ? 」 ころ扱いよ ! おれはプスコフでまるひと月というもの熱病 、。、レフェン」 「うん、おれなんだよ / ノ 「パルフェン ? それじゃ、あんたはあの例のラゴージン家で寝とおしたんだ ! 」 : 」と、急におそろしくもったいらしい調子で役「けれども、今にすぐ一時に百万ループリお手に入るじやご の人では : ざんせんか。いくらすくなくともそれだけは確かです、お ハは一」、つ、 「ああ、あの例のだ、例のだ」色の浅黒い若者はぶつきらばお、ま、なんという ! 」と役人は思わず両手をうった。 「いったいあいっ何がほしいんだろうなあ、おまえさんわか うな、いらだたしげな声で早口にさえぎった。彼は今まで一 度もにきび面の役人のはうへ向いたことがなく、最初から公るかね ! 」ふたたびラゴージンはいらいらした様子で、毒々 しく役人をあごでしやくってみせた。「いくらてめえがおれ 爵ひとりにだけ話しかけていたのである。 「へえ : : ・・こりやいったいなんとしたこった ? 」と役人は棒の前でさかさになって歩いたって、一コペイカだってくれて 立ちにな 0 て、目をむきださんばかりに驚いた。彼の顔は一やるんじゃねえ」 瞬、卑屈なくらいうやうやしい、度胆を抜かれたような表情「歩きます、さかさにな 0 て歩きますとも」 「ちょっー よしんばまる一週間踊ってみせたって、おらあ を帯びてきた。 「じゃ、あの、ひと月ばかり前に二百五十万ループリの遺産これつからさきもくれてやるんじゃねえから ! 」 。、レフェ 「いりませんよ、それがわたしに相当していまさあ、いりま を残してなくなられた、世襲名誉市民セミョーン・ せんよ ! わたしはあんたの前で踊るんだ。女房や子供を来 ノヴィチ・ラゴージンさんの ? 」 お世辞三 てても、わたしはあんたの前で踊ったほうがいい。、 「おめえはそんなことをどこから聞きかじってきたんだい、 おやじが二百五十万の財産を残したなんて」このたびも役人昧といかなくちゃ」 「ちょっ、てめえは ! 」と色の浅黒いほうはべっと唾を吐い のはうには目もくれずに、色の浅黒い若者はさえぎった。 ・ ( と彼は公爵に向かって、役人をあごでた。 「五週間ばかり前」と彼はあらためて公爵に向かって話しだ しやくってみせた ) ぜんたいこんなやつらはすぐにお世辞た した。「おれもちょうどおまえさんと同じように風呂敷包み らたらそばにやって来やがるが、それがやつらにどうだとい 一つかかえて、プスコフの伯母をたよっておやじの家を飛び うんだろう ? しかし、おやじが死んだってえのははんとだ よ、おれはプスコフから、ひと月もたった今時分、着のみ着出したんだ。ところが、熱で床についたもんだから、そのあ いだにおやじはとうとう死んじゃった、卒中にどかっとやら のままで帰ってるところさ。弟の畜生もおふくろも、金もよ 「なあ、どうだいー
けでもほしいんですの。みんなが急にこんなことをいしオ 直覚的に悟ってくだすったのを、ばくはたいへん嬉しく思い ます」 たんですよ・・ーーーあたしがあなたを恋して、待ちこがれてるな 「あたしも嬉しいんですよ。なぜって、ときおり人がおかあんてね。それはまだあなたがお帰りにならない前のことだっ きまを : : : ばかにするのに気がついたからなの。でねえ、こたんですの。だから、あたしあの人たちにあなたの手紙を見 れからがかんじんなお話なのよ。あたしは長いこと考えつづせなかったわ。ところが、今ではみんなそんなことをいって けて、とうとうあなたを選び出したんです。あたしは家の人るでしよう。だけど、あたしは勇敢な女になって、何ものを に。かにされるのいやですわ。かわいいおばかさん扱いにさ も恐れたくないと思ってますの。あたし、社交界の舞踏会な れるなんて、いやなこったわ。人にからかわれるのも大嫌いんか回って歩きたくない。あたしはなにか人類に貢献した : あたしはこういうことにすぐ気がつくたちだから、エヴ で、もうずっと前から家出しようと思ってましたの。だ ・ゲーニィさんもきつばりことわってしまったんですの。だっ って二十年のあいだ、まるで壜の中で栓でもされたような暮 ひと て、みながあたしを嫁にやりたがるのが、あたしいやで仕方らしをしてるんですもの。そして、親たちは私をお嫁にやり まないんですもの ! あたしはね : : : あたしはね : : : あの、 たくって困ってるじゃありませんか。あたしは十四の年に、 あたしは家を飛び出したいの。その加勢をしてもらおうと思家出をしようと思ったことがあるのよ。もっとも、その時分 ははんとうのおばかさんだったけど、今はすっかり計画がで って、それであなたをお呼びしたんですよ」 「家を飛び出すって ? 」と公爵は叫んだ。 きあがってしまったから、よく外国のことを聞こうと田 5 っ 「ええ、ええ、家を飛び出すのよ ! 」異常な憤怒の情に燃えて、あなたを待ってましたのよ。だって、あたしまだ一つも ながら、彼女はふたたびこう叫んだ。「あたしはいつまでもゴシッグ式の教会堂を見たことがないんですもの。あたしロ いつまでも、あかい顔をさせられるのはいやですわ。あたし リで勉強も ーマにも行きたいし、学者の書斎も見たいし、 はあの人たちの前でーー T) 公爵やエヴゲーニィさんの前で、 したいわ。この一年間、準備のつもりで勉強して、ずいぶん あかい顔をするのはいや、だれの前でもいやよ。だから、あ本を読んだのよ、禁制の本をすっかり読んでしまったわ。ア なたを選び出したんですの。あなたになら、なんでもすっか レグサンドラもアデライーダも、どんな本を読んだってかま り話してしまいたいわ。いったんこ、つと思ったら、 っとうわないけど、あたしはどれでもってわけに行かないの。あた 大切なことでもね。だから、あなたのほうでも、なにひとっしには監視がついてるんですもの。あたし、姉たちとは喧嘩 あたしに隠しちゃだめよ。あたしはね、自分自身に話すよう したくないけれど、両親にはもうとっくに宣言してあるんで な具合に、なんでも話すことのできる人が、せめてひとりだすよ もうこれからはあたしの社会上の位置をすっかり変
ちがいじみた微笑が、そのハンカチのように白い顔にただよ 「奥さん ! 女王 ! 万能の女神さま ! 」とレーベジ , フ った。じっさい、彼はその目を烙から、ちょろちょろと燃え は、ナスターシャの前をひざ立ちになってはいまわりながら、 ていく包みから、放すことができなかったのである。しか 暖炉のほうへ両手をさし伸べ、泣くような声を出していった。 し、なにかしら新しいあるものが、彼の、いにわきあがってく 「十万ループリ ! 十万ループリ ! わたしが自分で見ましるように思われた。まるでこの拷問を忍受しようと誓ったか た ! わたしの目の前で包んだんです、奥さま ! お慈悲ぶのごとく、彼はその場を動こうともしなかった。幾瞬間か過 かい奥さま ! わたしに、、つけてくださいまし。からだごぎたとき、彼が包みを取りに行かぬということが、一同には と暖炉の中へもぐりこみます、このごま塩頭をすっかり火の っキ、り・・ , わかつに。 中へ突っこみます ! : 足なえの女房に子供が十三人、 「ええ、焼けちまうじゃないの。あとで人に笑われてよ」と みんなみなし児でございます、前週に親父を埋葬したばかりナスターシャが彼に叫んだ。「あとで首をくくらなくちゃな でございます、かっえ死にせんばかりでございます、ナスタらなくってよ、冗談じゃない ! 」 シャさま ! 」こうわめきながら暖炉へはいこもうとした。 くすぶっていた二本の薪のあいだにはじめばっと燃えあが 「おどき ! 」とナスターシャは叫んで、彼を突き飛ばした。 った大は、包みが落ちかかって蓋をしたとき、ちょっと消え 「みんなうしろへ引いてください ! ガーニヤ、あんた何をそうになった。しかし、 小さな青い烙は裾のほうから、下積 ばんやり突っ立ってるの。恥ずかしがることはありません、 みになった薪の一角にまたからみついた。ついに細長い焔の 手をお突っこみなさいー あんたの福徳よ ! 」 舌は包みをもなめ、火はさらに四隅の紙にからんで上のほう けれども、この一日このひと晩、あまりに多くの苦痛を堪へ走った。と、不意に包みぜんたいが暖炉の中でばっと燃え え忍んだガーニヤも、思いがけないこの最後の拷問にたいし立ち、明るい焔が上へ向かって流れだした。一同はあっと叫 ては、、いの準備ができていなかった。群集はふたりを前にしんだ。 て両方へ引き別れたので、彼はナスターシャと顔を突き合わ「奥さま ! 」とレーベジ = フは、まだやはり泣き声を出しな して立っことになり、ふたりのあいだには三歩しかへだたり がら、前のほうへ潜り出ようとするのを、またそろラゴージ がなかった。彼女は暖炉のすぐそばに立って、火のような凝ンが引きもどし突き飛ばした。 痴視をつづけながら待ちかまえていた。・ カーニヤは燕尾服を着 ラゴージン自身はただ一つの動かざる凝視に変じた。彼は て手に帽子と手袋を持ち、両手を組み合わせて、火の方を見ナスターシャから目を放すことができなかった。彼は夢中で 白まもりつつ、答えもなく黙然として女の前に立っていた。気あった、彼は九天の高みに登ったようなありさまであった。
コーリヤは公爵の上着の裾をひつばった。 の好奇心をもって、ナスターシャがたすねた。「狆ですってー 「ねえ、せめてあなたでも、どうかしておとうさんを連れてちょっと待ってください、そして汽車の中でー ・ : 」彼女は づてくださいな ! あれをうっちゃってはおけないー 後生なにやら思いだした様子であった。 ですから ! 」あわれな少年の目には、憤りの涙が輝いていた。 「いやいや、ばかばかしい話なんです。今さらお聞かせする 「ガンカの極道 ! 」と彼はロの中でつけ足した。 値うちもありません。べロコンスカヤ公爵夫人の家庭教師、 「じっさい 工パンチン将軍とは非常な親友でしたよ」将軍ミセス・シュミットがもとなんです、しかし : : : お聞かせす はナスターシャの引、 しに対して、際限なくまくし立てた。 る値うちもありません」 「わたしと、エバンチン将軍と、なくなったムイシュキン公 「いいえ、ぜひお話しくださいまし ! 」と愉央げにナスター 爵、この人の忘れがたみを、きようわたしは二十年ぶりにこ シャが叫んだ。 カワルカード の手で抱きましたが、この三人は離れることのできぬ騎士組「ばくもまだ聞かなかった」とフ = ルディシチェンコが口を でした、アトス、ポルトス、アラミス、といった目 k ムロにね。 出して、「 C'est du nouveau ( これは珍聞だ ) 」 ひば・つ しかし、悲しいかな。その中のひとりは誹謗と弾丸に打ち倒 「アルダリオン ! 」ふたたびニーナ夫人の哀願するような声 されて墓の中に眠り、、 しまひとりはあなたの前にいて、今なが響いオ お誹謗と弾丸と戦っています : : : 」 「おとうさん、ちょっと来てくださいって ! 」コーリヤは叫 んだ。 「弾丸とですって ? 」とナスターシャは叫んだ。 「さよう、それはここにあります、わたしの胸の中にありま 「よに、ばかばかしい話で、たったひとことで済んでしま、 えき す。カルスの役に受けた傷ですが、天気の悪い日にはしくします」と将軍は得々と語りはじめた。「さよう、二年前のこ く痛むのです。しかし、ほかのあらゆる点において、わたしとでしたよ ! 二年にちょっと足りませんでしたかなあ。新 は哲学者として生きています。仕事から遠ざかったプルジョ しい xx 鉄道が開通したばかりのとき、わたしは ( そのころ アみたいに散歩したり、行きつけのカフェーで将棋をさした もう軍服を着ていなかったです ) 自分にとって非常に重大な り、『アンデパンダンス』を読んだりしています。と用向き、事務の引渡しに関することで一等の切符を求め、汽 ころで、わがポルトス、 つまり、エバンチン将軍ですな、車に入って席を取り、たばこを吹かしていました。つまり、 ちん この人とは三年前におこった汽車の中の狆事件以来、永久にその、引きつづき吹かしていたんです。もう前から吹かして . 絶交してしまいましたよ」 いたわけなんで。わたしは車室の中にひとりきりでした。喫 「狆事件 ! それはいったいなんのことですの ? 」一種特別 煙は禁じられてもいないが、許可されてもいず、まあ、習慣 116
た。「ここにおいでの将軍とトーツキイさんは、わたしの古不安げな声で将軍が呼びかけた。 一同は心配してざわざわ動きはじめた。 いお友達ですが、しきりに結婚しろ、結婚しろとおすすめな 「まあ、皆さん、いったいどうなすったのです ? 」と、びつ さるんですの。ねえ、公爵、なんとお考えなさいます。わた くりしたように客の顔に見入りながら、彼女は言葉をつ し結婚したものでしようか、どうでしよう。わたし、あなた のおっしやるとおりにいたしますわ」 だ。「何をそんなにびつくりなさいますの ? それにみなさ トーツキイはまっさおになり、将軍は棒立ちになった。一ん、なんて顔つきをしてらっしやるんでしよう」 カーニヤは固くなって「しかし : : 覚えておいでですか : : : ナスターシャ・フィ 同は目をすえ、首を前へ突き出した。。 ッポヴナ」と、どもりどもりトーツキイがつぶやいた。「あ すわっていた。 : だれと ? 」今にも消えそうな声で、公爵はたずねなたは非宀吊に好意のある : : : 約東をしてくだすったじゃあり ませんか。それこ、、 冫しくぶんは気の毒くらいに田 5 ってくだす 「ガヴリーラ・アルダリオーノヴィチ・イヴォルギン」いぜっても いいはずです : : : わたしは困っています : : : そしても ちろん、当惑しています。しかし : : : まあ、つまり今、こん んとして鋭く強くはっきりと、ナスターシャは答えた。 沈黙の幾秒かが過ぎた。あたかも恐ろしい重荷がその胸をな場合に、そのうえ : : : お客さまの前でこの事件を : : : この 圧しているかのごとく、公爵はなにかいいだそうと努めたけ潔白と誠意とを要すべきまじめな事件を、こんなプチジョー で決めてしまうなんて : : : この事件の結果いかんでもって れど、だめだった。 「、、いけません : : : 結婚しちゃいけません ! 」かろうじて トーツキイさん。あなたはほんとうにす 「わかりませんね、 これだけささやくと、彼は苦しげに自 5 をついた。 「じゃ、そうしましよう ! ガヴリーラさん ! 」と彼女はおっかりうろたえておしまいなさいましたのね。だいいち、 「お客さまの前で』とはなんです ? わたしたちは隔てのな ごそかに、勝ち誇ったもののように呼びかけた。「あなた、 い親密なお友達同士じゃありませんか。そして、なぜプチジ 公爵のおっしやったのをお聞きなすって、え ? ではあれが ヨーなどとおっしやるの ? わたしほんとうに自分の逸話を わたしのご返事です。これでこの話もきつばりとおしまいに 話したいと思ったから、こうしてお話ししたんですよ。ほん したいものですわね ! 」 とに、おもしろくなくって ? それから、なぜ『まじめでな 痴「ナスターシャ・フィリッポヴナ ! 」ふるえ宀尸でトーツキイ い』んでしよう ? あれがまじめでないんでしようか ? あ なた、わたしが公爵にいったことをお聞きになって ? 「わた花 百「ナスターシャ・フィリッポヴナ ! 」さとすよ、つな、しかし
ガヴリーラは公爵にひとっ首を振って見せ、にしげに書斎 かあまりじっとすわりすぎ、あまり探りを入れようとしすぎ へ入って行った。 るかに田われる。 二分ばかりたってまた戸があいて、ガヴリーラのよく通る 『この人はひとりでいるときには、もっと違った顔つきにな るに相違ない。ひょっとしたら、笑うことなんかてんでない愛想のいい声が聞こえた。 「公爵、お通りください ! 」 かもしれない』なぜか公爵はこんな感じがした。 公爵はすべてできるだけの説明 ( 前に従僕と、さらにそれ以 3 前ラゴージンにしたのとほとんど同じこと ) を手短かにして 聞かせた。ガヴリーラはその間なにやら思い出した様子で、 イヴァン・フヨードロヴィチ・エバンチン将軍は書斎の真 「あなたじゃありませんか」とたずねた。「一年ばかり前、あ るいはそんなにならないかもしれませんが、たしかスイスかん中に立って、なみなみならぬ好奇心をいだきながら、入っ てくる公爵をながめた。のみならす、こらえきれないように ら奥さんに手紙をおよこしになったのは ? 」 「たしかにそうです」 二歩ばかりそのはうへ踏み出した。公爵は進み寄って名前を 「じゃ、こちらではあなたのことをごそんじですから、きっ名乗った。 「ははあ、なるほど」と将軍はうけて、「いったいどんなご と覚えておいでになるでしよう。あなたは閣下のところへ ? さっそくお知らせして来ます : : : 閣下はすぐお手すきになり用ですかね ? 」 ますから。しかし、あなた : : : そのあいだ応接間のほうへい 「かくべっ急用というはどのものでもありません。ばくの目 じっこん らっしゃればいいのに・ ・ : なんだってこんなところにいらっ的はただあなたとご昵懇に願いたいのです。むろん、ご面会 日も、またあなたのご都合も知らないものですから、ご迷惑 しやるのだ ? 」と彼はこわい顔をして従僕のほうをふり向い とは存じましたが : : なにしろ汽車をおりたばかりなんでし 「そう申したのですが、いやだとおっしやるものですからて : : : スイスからやって来たばかりなんですから」 将軍はあやうくほほえみそうにしたが、気がついてやめ た。それから、さらにもう一度気がついて顔をしかめ、さて ちょうどこのとき書斎の戸があいて、手提げ鞄をかかえた 改めて客を頭から足の爪先までながめた。やがて、手早く 軍人が声高にしゃべりながら、会釈をして出て来た。 、、こ要をおろしなが ー ) 、きみ、そこにいたのか」と書斎の中かすを客に指さして、自分はややはす力し月 ラの愛称 ら、もどかしげな期待をもって公爵のほうへふり向いた。ガ ら、だれ・かがどなった。「ちょっとここへ来てくれんか ! 」
た。 顔ばかり ? いったいどんな顔でございますの ? 」 「ね、公爵、アレグセイにお話しなすったくらいなら、あた 「それは殺されるちょうど一分まえです」まるで前から用意 したちに聞かしてくださらないって法はありませんわ」 でもしていたように、彼はさっそく話しだした。それはただ 「わたしぜひ , つかがいと , つございますわ」とアデライーダは この思い出ひとつに没頭しつくして、ほかのことはいっさい 忘れ果てたような具合である。「犯人が梯子段を登りつくし 「さっきはまったく」と公爵はまたいくぶん元気づいて ( 公て、処刑台に足を踏みこんだその瞬間なのです。そのとき、 爵は非常に早くそして正直に元気づく人らしかった ) 、アデ男はふとばくのほうへ向いたので、こちらもその顔をちらと ライーダのほうへ向いた。「まったくあなたのおたずねにな ながめ、何もかもがわかりました : : : ですが、まあどんなふ ばくはあなたにしろだ った画題に関して、ご助言しようという考えがあったんでうにこれを話したらいいでしよう ! す。どうですか、ギロチンの落ちて来る一分前の死刑囚の顔れにしろ、そいつを絵に描いてもらいたくてもらいたくてた をお描きになっては。まだ処刑台の上に立っていて、これかまらないんです ! あなただったら申し分ありません ! ば ら板の上へ横になろうとしているときです」 くはもうそのときから、有益な絵になるだろうと考えていま 「え、顔ですって ? 顔ばかり ? 」とアデライーダがたずねした。しかし、その中には、前にあったことを残らず現わし ていなくちゃいけないんです。その男は牢屋に押しこめられ 「ずいぶん妙な画題ですことね。それじゃ、まるで絵にならて、刑の執行を待っていましたが、すくなくとも一週間くら ないじゃありませんか」 いは間があると思っていたのです。つまり、ありふれた形式 「わかりませんね、なぜでしよう ? 」と公爵は熱、いにい、は的な順序を当てにしていたんでしよう。書類はまだどこかほ った。「ばくは近ごろ・ハーゼルで絵をひとつ見ました。そのかへ回されて、やっと一週間もたったころにやって来るだろ まがしたくてたまらないんです : : : またいっかお話ししまし う、くらいのつもりでいました。ところが、思いがけなくあ じつに感動させられました」 る事情からして、その手続きが短縮されたのです。ある朝の 「パーゼルの絵のお話はのちはどぜひうかがいとうございま五時ごろ、男はまだ寝ていました。もう十月の末でしたか すが」アデライーダが受けた。「今はどうかその死刑の絵のら、朝の五時はまだ暗くて寒いのです。典獄が看守といっし 痴ことを、もっとくわしく説明してくださいましな。あなたが ょにそうっと入って来て、用心ぶかく男の肩に触りました。 こちらは片ひじついて起き直ると、 , ーー・灯が見えるじゃあり 心の中で考えてらっしやるように伝えていただけるでしよう ませんか。『どうしたんです ? 』『九時に死刑だ』男は半分寝 白かしら ? どういうふうにその顔を描くんですの。それで、 6
物語がはじまった朝、将軍は家庭のふところに入って食事をの毛はだいぶ白髪がひどいけれど房々としている。全体に痩 くち するのが、ひどく進まなかったのである。彼はもう公爵が来せぎすのほうで、鼻はかぎ鼻、黄色い頬はこけて、薄い唇も るまでに、仕事にかこつけ避けようと腹をきめていた。将軍とが落ち込んでいる。額は高いがやや迫って、かなり大きな の避けるというのは、どうかすると、てもなく逃げ出すこと灰色の目は、ときとすると、まことに思いがけない表情を示 になるのであった。彼はせめてきよう一日だけでも、ことにすことがある。昔、彼女は、自分のまなざしは非常に魅力に 今夜ひと晩だけでも不快なことなしに、うまくやりおおせた富んでいる、と信じたがる弱点があったが、この自信は今で かった。ところが、いい都合に公爵がひょっこりやって来も消されずに残っている。 た。「まるで神さまがよこしてくだすったようなものだ ! 』 「会えですって ? あなたはそんなものに会えとおっしやる と将軍は夫人のところへ行きながら、心の中で考えた。 んですか、今、すぐ ? 」こういって、夫人はこんかぎり目を 大きく見張り、前でもじもじしている将軍のはうへ向けた。 5 「なんの、そのことについてはなんの遠慮もいらないよ、た だお前が会いたかったら、というのさ」と、将軍はせかせか 将軍夫人は自分の家柄を大切に思う人であった。それゆと弁解した。「まったくの子供で、おまけにみじめな子供な え、自分でもうすうす聞き知っている、一門の中で最後にひのさ。なんでも病気の発作があるそうだ。今スイスから帰っ とり生き残ったこのムイシュキン公爵が、ほとんど一種の哀て汽車からおりたばかりでな、奇妙なドイツふうの身なりを れむべき白痴で、乞食同様の人間で、人のあわれみを受けんしている。それに、金は正真正銘の一文なし、もう泣きださ ばかりだとなんの心の用意もなくいきなり聞かされたとき、 んばかりのていたらくだ。わしは二十五ループリやっといた 彼女の心持ちはどんなであったか、想像するに難くない。将 が、なにか書記のロでも、役所のほうでさがしてやろうと思 軍は一挙にして夫人の興味を呼びさまし、夫人の注意をどこ っている。 Mesdames ( お嬢さんがた ) おまえさんがた、ひと かあらぬかたへ誘っておいて、どさくさまぎれに真珠の問題つあれにごちそうしてやってくれ、だいぶかっえてもいるよ をのがれようとして、首尾よく図星に当たったのである。 うだから : : : 」 夫人はいつも非常に驚いた場合には、思いきって目を大き 「あなたったら、わたしをびつくりおさせなさる」と夫人は 痴くむきだし、こころもち上半身をうしろへ引いて、ひとロも 前と同じ調子でつづけた。「かっえてるだの、発作だのつ ものをいわずに、どこともなく前のほうをながめるのが癖でてー いったいどんな発作ですの ? 」 あんしよく 」白あった。夫人は背丈の大きな女で、年は夫とおない年、暗色「おお、発作といってもそうたびたびあるわけではない。そ
はきっとばくの味方だ ! 』と公爵はほくそえみながら考え 彼はほほえみながらいいだした。「あの甥ごさんはだいぶき た。コーリヤも皆といっしょにすべりこんだ。そして、新来 みをおどしつけたと見えますね。奥さん、どうかこの人のい , っことを、ほんと、つにしないでくたいゴールスキイやダニ の客の中にまじったイツポリートと、なにやら一生懸命に話 ートは耳を傾けながら、にやっと笑った。 当時新嫺を ) などはほんの偶然の産物ですし、この人していた。イ ' ポリ 公爵は客をそれそれ席に着かした。彼らはみなそろいもそ たちはただ思い違いをしてるまでのことです : : : ただ一つば くはここで、皆さんの前でそんな話をしたくないですから、 ろってなま若い、まだ一人前になりきらぬ青年ばかりなので、 奥さん、まことに申しかねますが、あの人たちがやって来た こんな連中のために、これほどものものしい接見の場を準」Ⅲ ら一応お目にかけて、それからあちらへ連れて行かしていた したのが、不思議なくらいであった。たとえば、この「新し だきます。さあ、皆さん、どうぞ ! 」 い事件』について、なんの知るところもないエバンチン将軍 は、こうしたなま若い連中を見て急にぶつぶついいたした しかし、それよりもむしろ別な種類の苦しい想念が彼を悩 ますのであった。ほかでもない。 もしやだれかが前から考えもし夫人が公爵の私的利害に関して、不思議なはどの熱心を 示さなかったら、たしかになんとかぐずぐずいいだしたに相 て、この事件がちょうど今このとき、こうした来客の前で持 彼はなかば好奇心、なかば人のいいため ちあがるように、しかも彼の勝利とならず、かえって大恥を違ない。とにかく、 かかされるのを予期して、こんな細工を企らんだのではなかそこに居残った。なんといっても、自分は一座の権威として ろうか、といったふうの考えが、ちらっと、いに浮かんだので役に立っことができると信じたからなので。けれど、あとか ある。けれども、彼は同時に、自分の「奇怪なほど意地わるら入って来たイヴォルギン将軍が、遠くから会釈をしたとき、 く疑ぐりぶかい』性質が浅ましく、妙に沈んだ気持ちになっ彼はまたいまいましい気持ちになった。彼は顔をしかめ、も た。自分の、い中にこんな想念が潜んでいることをだれかに知う何ごとがおころうと、いっさい口をきくまいと腹を決めた。 られたら、彼はとても生きてはいられなかったであろう。 四人の若い来客のうちにただひとり、もう三十くらいにな るらしい男がいた。それは『旧ラゴージン一党』に属してい で、ちょうど新しい客人たちがどやどやと入って来た瞬間、 彼はここにいる人の中で、自分が道徳的に最も劣等な人間な た退職中尉で、望み手があれば十五ループリで拳闘の教授も のだと、真底から考えた。 する男であった。彼がほかの連中について来たのは、単に 痴入って来たのは五人であった。四人は新顔で、最後のひと実なる親友として、仲間の元気を鼓舞しようというにすぎな 、いったん必要が生ずれば、庇護の役に当 しい。ただし りはイヴォルギン将軍であった。彼はおそろしく激して興奮いら 白して、発作にかかったような雄弁をふるっていた。『この人たるつもりなのはもちろんである。ほかの三人のうちで座頭
不安な状態に陥っていたが、それと同時に、矢も楯もたまら継続していたが、今この瞬間まですこしも気づかないでいた釦 こ、るころから、 ぬ隠遁の要求を感じるのであった。彼は自分ひとりだけになのだ。もう幾時間も前から、まだ『衡屋』冫し いや、ことによったら「衡屋』へ行く前から、彼はともすれ って、この悩ましい緊張感の中に、すこしの出口も求めず、 ば自分の周囲に、あるものをさがしはじめたのであった。と 受身の態度で没入していたい気がした。自分の心になだれか きおり長く、半時間も忘れていることもあったが、やがてふ かるさまざまの問題が、ただただいまわしく、それを解決し ようという気にもなれなかった。「仕方がないさ、なにも自たたび不安げにあたりを見まわして、なにやらさがしている 分が悪いわけじゃないんだもの』と彼はほとんど無意識に、いのであった。 しかし、自分の心内にだいぶまえから生じていながら、し の中でつぶやくのであった。 かも今まですこしも自覚せずにいたこの病的な働きに気がっ 六時に近いころ、彼はツアールスコエ・セロー鉄道のプラ くやいなや、たちまちさらに一つの事柄が記憶の底からよみ ットホームに立っていた。孤独の状態はまもなく彼に堪えが たくなったのである。新しい熱情の潮が彼の心にみなぎりあがえって、異常な興味をそそった。というのはほかでもな い、彼が絶えまなく周囲を見まわして、なにやらさがし求め ふれ、魂を包んで苦しめていた暗闇は、一瞬にして輝かしい 光明に照らし出された。彼はパーヴロフスグ行きの切符をもている自分に心づいたちょうどそのとき、彼はとある小店の とめて、堪えがたい焦躁の心持ちで早くそこへ行ってしまお窓に近い歩道に立って、そこに並べてある一つの品を一、いに うとあせった。 : 、 力あるものが彼を追究していたのはもちろながめていたことを思いだしたのである。自分がたった今、 んである。しかも、そのあるものは、一つの現実世界で、けわずか五分間ばかり前にこの店の窓ぎわに立っていたのは、 はたして現実であったのか、ただの幻想ではなかろうか、な もっとも、彼は、幻想であると考えた っして幻想ではない。 にか別のことといっしょにして考えているのではなかろう かったのかもしれないけれど。 か、彼はどうしても今すぐに実否をただしたい気がした。ほ 汽車の中へ座を構えたとき、彼はにわかにたったいま買っ たばかりの切符を床へたたきつけ、当惑したような沈みこんんとうに、この店とこの品は、この世に存在しているのか ? ださまで、停車場を出た。幾分かたったのち彼は往来の上彼はきよう自分がことに病的な気持ちにとらえられているの で、ふいに何事か思い出したようなそぶりをした。長いことを感じた。それは以前病気の激しかったとき、発作の襲おう とするまぎわによく経験したのと、ほとんど同じ気持ちであ 自分を苦しめていたある不思議なものを思いおこしたのだ、 った。こうした発作のおこりそうなときの彼は、自分でも知 自分がいっしようけんめいある仕事に没頭していることを、 っていたが、おそろしくばんやりしてしまって、よくよく注 ふいにはっきりと意識したのだ。それはもうずっと以前から