めえはそんなにおれに譲ろう譲ろうとするんだ、わかんねえ逃げだしたのも、やはり虫が知らせたんだ。いったいあの八 2 な、それとも、もうすっかり恋が冷めちまったとでもいうのはいまきみから何を望んでるんだろう ? きみの金だろう かい ? だって、以前はやつばりあれのことで、ふさいでば か ? そんなばかげたことはない。それに、きみも金なら今 かりいたじゃねえか。おれはちゃんと知ってるよ。それに、 までにずいぶんつかって見せたはすだからね。してみると、 今度もなんだって気ちがいみたいにこのペテルプルグへかけ ただつれあいがはしいためだろうか ? そんなら、きみのほ つけたんだろう。憐憫とやらのためかね ? ( こういう彼の顔かに、いくらでも見つかりそうなものだ。どんな男でもあの は毒々しい冷笑にゆがんで見えた ) へへ ! 」 ひとにとっては、きみよりししし 、、こちがいない。なぜって、き 「きみはばくがだましてると田 5 うの ? 」と公爵がきいた。 みはたぶんもうとたんに殺してしまうからさ。きっとあのひ 「いいや、おれはおめえを信じてる、だが何がなんだかいっ とも今そのことをりつばにさとってるんだろ、つ。え、きみは さいわけがわからん。まあ、何よりいちばんたしかなのは、 それほど強くあの人を愛してるの ? じっさいこんなことは おめえの「・憐憫』のほうがおれの恋よかも強いってことだ ! 」その : : : 世間には変わった女もあって、こういうふうの恋を なにかしら毒々しい、今にもそとへあふれだしそうなある求めているそうだが : : しかし、それは : ものが、彼の顔に燃え立った。 公爵は言葉をきって考えこんだ。 「だけど、きみの恋は、憎しみとすこしも区別がっかないん「おや、おめえはまたおれのおやじの絵を見て、にやりと笑 だものね」と公爵はほはえんだ。「もしその恋がなくなった ったようだな ? 」とラゴージンがたずねた。彼は穴のあくほ ら、もっともっと恐ろしいことがおこるに相違ない。きみ、 ど、公爵の顔色の変化を、その一本の筋肉の徴動をものがさ パルフェン、まくま、一 : ついしきっておく・・ じと見まもっていたのである。 「じゃ、なんだね、おれが斬り殺すってえんだね ? 」 「何をばくが笑ったかって ? ばくは、ただこう思ったの 公爵はふるえあがった。 さ、もしこの事件が、この恋がおこらなかったら、きっとき 「きみは現在の恋のために、現在うけている苦しみのためみはこのおとうさんと寸分の相違もない人になったろう、そ に、あの人を無性に憎みだすに相違ない。あの人がまたしてれもごく近いうちにだね。おとなしい無ロな細君とたったふ もきみと結婚しようという気になったのが、何よりも不思議たり、この家にむつつりとすわったまま、ときたま出す言葉 でたまらない。きのうはじめて聞いたときには、ほとんど信も四角ばって、だれひとり信用もせず、それに、そんな必要 じることができなくって、じつに重苦しい心持ちになった。 も感ぜず、ただ黙ってむずかしい顔をして、金ばかりふやし じじつ、あの人が二度までもきみをきらって、式のまぎわにていたろうね。まあせいぜい、ときおり古臭い本に感心し
シャとの国境 ) からペテルプルグまでというような、長道中をうでしよう、これでもまだ雪どけの日なんですからね。もし。 勘定に入れるわけには行かぬ。それに、、 しくらイタリーで役これが凍の日だったらどうでしよう。ばくはロシャがこんな に立っ便利なものでも、ロシャではあまりけっこうではなか に寒いとは思わなかった。忘れちまってたんです」 った。頭巾つきマントの持ち主も同じく二十六か七かの青年「外国から来たんだね」 で、中背というよりすこし高く、ふさふさとしてつやのある 「ええ、スイスから」 くさびがた 亜麻色の髪、こけた頬、ほとんど真っ白な楔形をしたひとっ 「ふゅう ! 」と口を鳴らして、「ほんとにおまえさんはなん まみほどのあご鬚を生やしている。大きな空色の目はじっとてー すわって、何かものを見るときは、静かではあるけれど重 こういって、髪の黒いほうは、、 カらからと笑いだした。 重しい奇怪な表情に充たされるのであった。ある種の人はこ 話はこんな具合ではじまった。スイス式マントにくるまっ てんかん うした表情をひと目見ただけで、癲細の兆イ 矣を発見するものた亜麻色の髪をした青年が、頭の黒い相客のド 司いに答える態 である。青年の顔は、とはいえ、繊細で気持ちがよかった。度は、奇異な感じのするほど気さくで、相手の質問がひどく けれども、なんとなくかわききって色がないうえに、今はち無造作で、ぶしつけで、退屈半分なことなどこま、、 冫 - ぐし 1 ) 、フ ようど寒さに凍えて紫色にさえ見える。彼は中身の貧しそう気がっかないらしいふうであった。あれこれの =_ 引いに答えて な、色のさめた、古い絹の風呂敷包みを手にぶらっかしてい いるうちに、彼はこんなことを話して聞かした。じっさい た。見たところ、その中には、彼の旅行中の手まわりがこと彼は長く、四年あまりもロシャにいなかった。病気のために ごとく含まれているらしい。足には、踵の厚い靴の上にゲー外国へやられたのである。それはなんだか一種不思議な神経 = トルを付けていて、ーー何から何まで非ロシャ式である。髪病で、からだがふるえて引っつる、いわば癲剃か、ウィット の黒い、布ばりの毛皮外套を着た隣りの男は、半分は退屈ま氏舞踏病のようなものであった。相手の物語を聞きながら、 ぎれに、これらのものをすっかり見て取 0 た。やがて、とう色の浅黒いほうは幾度かにやりと笑ったが、ことに彼が「ど とう、他人の失敗を見て満足するときによく人が浮かべる無うだね、癒ったかね ? 』ときいたのに対して、亜麻色髪のほ 作法な嘲笑を浮かべながら、気のない無遠慮な調子で問いか うが「いや、癒らなかったですよ』と答えたときなどは、手 - ・ 放しで笑いだした。 咜みし力し ? ・」 「へつ ! おおかたつまらなく財布の底をはたいちまったん りやく と言って、ちょっと肩をすくめた。 だろう。おれたちなんざあ、こっちで使ったほうがご利益が 「ええ、じつに」と相手は鶩くばかり気さくに答えた。「ど多いと思 0 てらあ」と色の浅黒いほうは毒々しくいっこ。
中でくるりと向きを変え、同じように枕にひじをつきなが も立ってそばへ近寄り、自分で真偽を確かめなければならな ら、たとえしまいまでこうしていてもかまわない、やはりだ しかし、ばくは勇気が足りず、こわがっていたのかもし んまりでいてやろうと腹を決めた。なぜかしらぬが是が非でれない。 ところが、ややあって「おれははんとうにこわがっ も、彼のほうからさきに口をきらせたかったのである。なんているな」と考えつくやいなや、とっぜん総身を氷でなでら でもこんなふうで二十分ばかりたったらしい。ふと、これはれる思いがオ しこ。ばくは背筋に寒けを感じ、ひざがわなわな ことによったらラゴージンでなく、ただの幽霊ではあるまい ふるえだした。この瞬間、ばくの恐怖を察したかのように、 か、という考えがとっぜん頭に浮かんだ。 ラゴージンは今までひじっきでいた手を引いて身を伸ばし、 「ばくは病中にもまたその前にも、いまだかって幻覚を見た今にも笑いだしそうに口を動かしはじめた。そして、しつこ ことがない。 しかし、ばくは子供の時分から、また今でも、 くばくを見つめるのであった。憤怒の念はばくの全身を襲っ ついちかごろでも、もしただの一度でも幻覚を見たら、即座た。で、憤然として飛びかかろうとしたが、 はじめ自分から に死んでしまうような気持ちがした。ばくま 。いかなる幻覚をさきに口をきるまいと誓ったので、そのまま寝台の上でじっ も信じないが、それでもこんな感じがするのであった。し かと辛抱していた。そのうえ、これがはたして本物のラゴージ し、これはラゴージンでなくて、ただの幻にすぎないという ンかどうか、まだやはり確かでなかった。 考えが、脳中にひらめいたとき、ばくはすこしも驚かなかっ 『この状態がどれくらいつづいたか、正確に覚えていない。 たように覚えている。それのみか、むしろかんしやくをおこ またときおり意識を失ったかどうか、これもはっきり記し したくらいである。まだ不思議なことには、はたして幻覚でていない。ただ一つ覚えているのは、ついにラゴージンが立 あるか、もしくはラゴージン自身であるかという問題の解決ちあがって、さっき入ったときと同じように、そうっと注意 は、なぜかすこしもばくの興味をひかないうえに、当然感じぶかくばくを見つめたのち ( もうにたにたし。 笑、まやめてしま そうな不安をもよびおこさなかった。ばくはあのときなにか った ) 、ほとんど爪立ちといっていいくらい静かに出口に近 ゝ、、丁・き」ほ 別のことを考えていたような気がする。それよりカ ~ 寄り、戸をあけてしめ、そのまま出て行ったことだけであ ど部屋着に上靴をはいていたラゴージンが、なぜ今は燕尾服る。ばくは寝床から起きださなかった。ばくは長く目を見張 に白いチョッキをきて、白いネクタイをしてるのかしら、と ったままじっと横になって、しきりに考ていたが、それが時 いったような疑問のほうが、はるかに強くばくの心をしめ間にしてどのくらいであったか、覚えていない。いったしな た。またこんな想念も心をかすめた。もしこれが幻であっ にを考えていたのやらかいもくわからない。またどういうふ て、しかもばくがそれを恐れないとすれば、ばくはどうしてうに意識を失ったか、これも覚えがない。翌朝九時すぎに、 つまだ
ささやいた。そして、別な手が別のほうから彼の手をっこ。 いわせれば、むしろあの男のほうが悪いんですからね」 「クルムイシェフってだれですか ? 」 公爵は驚いてそのほうを見ると、おそろしく頭のばうばう 「ほら、あのさっきあなたが、手をおっかまえなすった : した男が赤い顔をして、目をばちばちさせながら笑ってい る。それがフェルディシチェンコだとはすぐにわかった。い じつはたいへん腹を立てて、あすはあなたのところへ人をよ こして、談判するつもりでいたんですがね」 ったいどこから出て来たものやら。 「もうたくさんです、なんてばかばかしい ! 」 「フェルディシチェンコを覚えてますか ? 」と彼はきいた。 かならずその 「もちろん、ばかばかしいこってす。しかし、 「きみはどこから来たんです ? 」と公爵は叫んだ。 「この男は後海しているんです」とケルレルがかけよってわばかばかしい結果を見るはずだったんですが、こうい、つふ、フ めいた。「この男は隠れてたんです。われわれのところへ出の人たちは : るのが恥ずかしいといって、隅っこへ隠れてたんです。公爵、「ですが、あなたはたぶんまだなにかほかの用事でおいでに ーヴルイチ ? 」 なったのでしょ , つ、エヴゲーニイ・ハ この男は後悔しています。自分が悪かったと感じています」 「おお、むろん、まだなにか用事があるんです」と、こちら 「いったいなにが悪かったんです、なんですか ? 」 「じつはわが輩がついさっき会って、ここへひつばって来たはからからと笑った。「ばくはねえ、公爵、あす引明け早々、 - あのとんでもない事件 ( それ、あの伯父のこと ) でペテルプ んです。まったく後悔してるんです」 ルグへ出かけます。まあ、どうでしよう。あれはすっかりほ 「たいへん嬉しいです。皆さん、さあ、あっちへ行って、ほ かの人たちといっしょにすわってくださしを 、、くは今すぐまんとうで、ばくひとりをどけたほか、みんなもう知ってるじ ゃありませんか。ばくはじつにもう仰天してしまって、あそ いります」やっと、 しい加減にあしらって、公爵はエヴゲーニ 工パンチン家へも行くすきがなかったくらいで イのほうへ急いだ。 「あなたのところはたいへんおもしろいですね」とエヴゲー す。あすもやはり行きません、あすは向こうで滞在しますか ニイが口を切った。「ばくは三十分ばかりあなたをお待ちしらね、そうでしよう ? たぶん三日ばかり帰れないでしょ う。てっとり早くいえば、ばくの仕事に一頓挫きたしたんで ていたあいだ、大いに愉央でした。ところでねえ、公爵、ば くグルムイシェフのほうはうまく納めてしまいました。それす。今度の事件はまったく重大なできごとではありますが、 ばくはある事柄についてきわめて露骨に、あなたとご相談し 痴で、あなたをご安心させるために、寄ってみたのです。あな なければならん、しかも時を移さず、つまり、出発前に、 たすこしもご心配はいりませんよ。あの男はたいへん、たい とこう考えたのです。もしご承知なら、ばくはこの一座 白へん冷静に事件を判断してくれました。それに、ばくなどに 9
「じゃ、なんだってあのひとはきみんとこから、ばくのとこ た。「へつ ! あの女がおれんとこへ来ようってのは、つま り、おれのうしろに白刃が待ち伏せてるからなんだ ! 公へ逃げだしたんだろう : : : そして、ばくのとこから : : : 」 「おめえんとこからおれのとこへー へつ ! あれが何か出 爵、おめえは今まで、ことの入りわけをほんとうに気がっか しぬけに突拍子もないことを思いつくのは、珍しくもありや なかったのかい ? 」 しねえさ ! あれは今まるで熱に浮かされてるようなもん 「ばくはきみのいうことがわからない」 だ。どうかすると、「おまえさんのとこへ行くのは、水の中 「しようがねえなあ、じゃ、ほんとうになんにもわかんない のかなあ、へへ ! よく人がおめえのことをあれだっていうへ飛びこむつもりで行くんだ。早く式をしましよう ! 』とわ が : : : あの女はほかの男にほれてるんだよ、わかったかい ? めきながら自分からせき立てて日取りを決めたりなんかする おれが今あれにほれてると同じくらいに、あれは今そのほかんだが、その日がだんだん近づいて来ると、気がついてこわ くなるのか、それとも何かはかに思案でも浮かぶのか、どう の男にほれてるのさ。そのほかの男っていうのは、おめえだ だか知らねえが、おめえも見て知ってるだろう、泣く、笑 れか知ってるか ? おめえなんだよ ! おい、知らなかった う、熱に浮かされて騒ぐ、めちやめちゃだあ。それから、あ のかい、え ? 」 れがおめえのとこから逃げだしたのも、べつに不思議なこと はありやしねえ。あれがあのときおめえのとこから逃げだし 「おめえさ。あれはあの命名日のそもそもから、おめえには れこんじまったんだ。しかし、あれはおめえと夫婦になるわたのは、自分がどんなにひどくおめえにほれこんでるかって けにやゆかねえと思ってる。なぜって見な、そうすればあれことに、自分で急に気がついたからなんだよ。そして、おめ えのとこにもいたたまれなくなったんだよ。おめえはさっ はおめえの顔に泥を塗って、おめえの一生を台なしにしちゃ き、モスグワでおれがさがし出したといったね。うそだよ、 うわけだろう。「わたしがどんな女かってことは、わかりきっ あれが自分からおれんとこへ走って来て、「日 てるじゃありませんか』とよく言い言いしてたよ。このことそれは、 は今までくりかえしくりかえしいってる。こりやみんなあのを決めてちょうだい、わたし、もう腹をすえてしまったー シャンパンをちょうだいー ジプシイ女のとこへ遊びに行き 女が自分の口から、おれに面と向かってぶちまけたんだよ。 つまり、おめえの顔に泥を塗ったり、一生を台なしにするわましよう ! 』とわめいたんだよ : : : まったくおれという人間 痴 けにやゆかねえが、おれなんざ大丈夫、かまうこたあねえからがいなかったら、あれはとっくに身を投げてしまってたろう っしょになれ、 とまあ、こんなふうにあれはおれのこよ。いや、ほんとのこった。いまだに身を投げずにいるの は、たぶんおれが水よりもまだ恐ろしいからなんだろう。お幻 白とを考えてるのさ。これもやはり知っといてもらおうよ ! 」
ければ、どこか隅のほうに隠れてる。ふっと気がついて見る いつに飛びかかって、紫ばれになるはど引っぱたいてやった と、かれこれ夜明けごろまで門のそばに見張りしてることがあ」 「そんなことがあっても、 あった。そのときちらと目に入ったものがあるので、上のほ しいものか ! 」と、公爵は叫んだ。 うをふり向いて見ると、どうだろう、あの女が窓からのそい 「ところがあったのさ」と静かな調子ではあったが、目を光 てるじゃねえか。そして、「もしわたしがおまえさんをだまらせながらラゴージンが答えた。「それからちょうど二日一 してるってことがわかったら、 いったいわたしをどうするつ晩、寝もせねば食べも飲みもせずに、部屋から一足も出す もり ? 』ってきくから、おれは辛抱しきれなくなって『そり に、あの女の前にひざをついて、『もしおれをゆるしてくれ や自分でわかってるだろう』といってやった」 なけりや、死んでしまう。出てなんか行くもんか。無理に引 「わかってるって何を ? 」 きずり出させようとすりや、身を投げつちまう。おれはおめ 「なんでおれがそんなことを知るもんか ? 」とラゴージンがえがいなくちや生きてるかいがない』てなことをいったの 圭毋々しく笑った。「おれはあのころモスグワでいっしようけ だ。あれはその日いちんち、まるできちがいみてえだった。 んめいに探りを入れたんだが、だれも男らしいものを挙げる泣いているかと思うとナイフでおれを殺そうとしたり、悪口 ことができなかった。一度あの女をおさえてきいたことがあをついたりするんだ。それからサリヨージェフ、ケルレル、 るんだ。「おめえは今におれと結婚して、堅気な家に入ろう ゼムチュージニコフなんて連中を呼び寄せて、おれのはうを というのに、今のおめえの仕打ちはなんだ。ほんとうにしょ 指さしながら、つらの皮をひんむくようなことをぬかすじゃ うのないやつだ ! 』」 ねえか。『皆さん、いっしょにそろってこれから芝居へ行き 「きみそんなことをあの人にいったのかい ? 」 ましよう。この人はそとへ出たくないっていうから、ここへ 「いったよ」 うっちゃっときましよう、わたしやこの人のためにしばられ 「で ? ・」 るわけはないんだから。パルフェンさん、わたしがいなくて 「ところが、あれのいうには、「わたしは今おまえさんをボ もお茶を出させますよ、きようはきっとおなかがすいたでし ーイにだって使いたくない、 ましておまえさんの女房になるよう』芝居からはひとりきりで帰って来た、そしていうこと なんて』そこでおれは、一「生意気なことをいうな。おれはこ に、『あいつら臆病者の意気地なしだから、おまえさんをこ 痴こから出て行きやしねえ、成り行く果てはわかってるんだ ! 』わがってるんだよ。そうして、あの様子じゃとても帰って行 「わたしは今すぐケルレルを呼んで、おまえさんを門のそと きそうにない、 もしかしたら、あなたを殺そうとするかもし 白へはうり出させるから』とぬかしやがる。そのときおれはあれない、なんて人をおどかすんだ。わたしはこれから寝間へ幻
き出そうというときに ( わたしたちは「パルキ』をやったんですよ。なに、わっしだっていったことをたがえやしませ です ) 、負けちまったら叔父さんのところへ行って頼もう、 ん。わ 0 しやパンとクヴァス龕当だけで、ふた月や三月 もどう まんざら没義道なこともいうまい、とこう腹の中で考えは平気でやって行けまさあ。なぜってば、わっしにも、意地 たことなんでさあ。これはじつになんともはや下劣ですー ってものがありますからな。ねえ、三か月のあいだの俸給が まったく下劣です ! こりやまったく意識的の下司根性でさ七十五ループリになるでしよう。ところで、わっしがこの男 に借りる金は、以前の分と合して三十五ループリだから、十 「いや、こりやまったく意識的の下司根性だ ! 」とレーベジ分返済できるわけじゃありませんか。利息なんかいくらでも 」んちノ、しよ、つー エフが同じことをくりかえした。 この男にやおれの気性がわ 取るがいし からないのかしらん ? ひとっきいてみてくださいよ、公 「まあ、そう威張るなよ、ちょっくら待ちな」といまいまし そうに甥は叫んで、「あいっ喜んでやがる。わっしはねえ、爵。以前わっしに貸してくれた金を、返済したかしなかった 公爵、こいつのところへ来て、なにもかも洗いざらい白状にか、きいてみてください。今度なぜ貸してくれないかって ば、わっしがあの中尉に金を蜷き上げられちまったのが、し 及んだんですよ。わっしの行動はりつばなもんでした、わっ やくにさわるからです。はかにわけのありようがないー しは自分にすこしも容赦しなかったんです。わっしはこいっ の前で、できるだけわれとわが悪口をつきました、ここにい ったくこういう野郎なんですからね。始末におえやしな る者がみんな証人でさあ。その鉄道の勤めへ出るにや、どう してもなんとかなりをこさえなきゃなりませんや。だってこ 「出て行かないのです ! 」とレーベジェフも叫ぶ。「ここへ のとおりのばろ衣装ですからね。まあ、ちょいとこの靴を見寝たきり出て行かないのです」 てくださいー 「だからおれがそういったじゃよ、、 このなりじゃ、とても勤めに出るわけに行か オしカ ! 金をよこさない , っ ないじゃありませんか。ところが、決められた時までに出頭ちは、けっして行きやしないって。公爵、あなたはなんだか しなかったら、ほかのやつに口を取られてしまいまさあ。そにたにた笑ってらっしやるようですな。おおかたわっしの言 したら、わっしやまた一文なしになって、いつほかの勤めロ しぶんがまっとうでないと思っていなさるんでしよう」 「ばくはべつに笑ってやしないですが、ばくの考えではまっ が見つかるかわかりやしませんや。今わっしが無心するのは たった十五ループリですぜ。そのうえに、以後けっして無心 たくあなたのいいぶんは少々まっとうでない」といやいやら は申しませんし、この借金も向こう三か月のあいだに、 しく公爵は答えた。 ペイカ残さずきれいさつばり返済もします、と約東してるん「もういっそのこと、ぜんぜんまっとうでないと、まっすぐ
・かただ見て描きさえしたら、それでよさそうに思われますが「ばくは外国にいるあいだ、ほとんどいつも同じスイスの片 田舎に暮らして、ほんのときおり、どこかあまり遠くないと わ」 ころへ出かけるだけでしたもの、何をお教えできるもんです 「その見ることができないんですの」 、。はじめのうちは、ただ退屈しないというまででしたが、 「まあ、あなたがたは謎なぞ問答でもしてるの ? 何が何だ からだのほうはずんずんよくなりました。そのうちに、ばく かちっともわからないじゃありませんか ! 」と夫人はさえぎ は毎日の日が貴く思われだしました。日がたつにつれていよ った。「見ることができないなんて、いったいなんのことだ いよ貴くなってくるのが、ばく自身にも気がっきました。毎 え ? ちゃんと目が二つあるんだもの、見たらいいじゃあり ませんか。ここで見ることができないくらいなら、外国へ行晩、満足しきって床に入るのですが、朝目がさめたときは、 それは ったって急にできるようになれやしません。それよりか、公もっともっと幸福なのでした。なぜそうなのか、 爵、あなたご自身なにをごらんになったか、それを聞かしてかなり説明が困難です」 「それで、あなたどこへもいらっしやらなかったんですね、 くださいな」 「ああ、それがよござんすわ」とアデライーダも言葉を添えどこへも行きたいとはお思いにならなかったんですね ? 」と た。「公爵は外国で物の見かたを習っていらしったのですかアレクサンドラが問いかした 「はじめのうち、ごくはじめのうちは、まったく行きたいと 「知りませんね、ばくはただ健康回復に行ったのですから、 思いました。そしてばくは激しい不安に陥りました。どんな ふうに暮らしたものかと考えたり、自分の運命を試してみた 物の見かたを習ったかどうか、そんなことは知りませんよ。 かったりして、ときおり非前に煩悶したものです。あなたが しかしばくはほとんどしじゅ , っ去書糧でした」 たもおわかりでしようが、よくそんなときがあるものです、 「幸福で ! まあ、あなたは幸福になることがおできになっ ことにひとりきりでいるとなおさらね。ばくのいたその村に て ? 」とアグラーヤは叫んだ。「そんなら、なぜあなたは物 の見かたを習わなかったなどとおっしやるんですの ! それ滝が一つありました。あまり大きくはなかったが、白い泡を どころか、あたしどもに教えてくださることだってできます立てながら騒々しく、高い山の上から細い糸のようになっ わ」 て、ほとんど垂直に落ちてくるのです。ずいぶん高い滝であ 。痴「教えてちょうだい、後生ですから」とアデライーダは笑っりながら、妙に低く見えました。そして、家から半露里もあ るのに、五十歩くらいしかないような気がする。ばくは毎晩 「日「ばくになにがお教えできるものですか」と公爵も笑った。 その音をきくのが好きでしたが、そういうときによく激しい 6
るが、いや、けっしてそうではないー じっさいそんなふうみならず、潔白にして高尚な一個の人間としても、自分の権 のことはなかった。つまり、なにか意識して定められた目的威を他人に侵されるようなことをしなかった。しかし、なに などはなかったのである。が、やはり結局、エバンチン家のより重要なのは、将軍が有力なる保護のもとに立っているこ 家庭は非常に尊敬すべきものであるにかかわらず、一般にすとであった。 べての尊敬すべき家庭として当然かくあらねばならぬ、と思 リザヴェータ夫人はどうかというに、夫人はさきにも述べ われているのと違うところがあった。近ごろになって、リザたごとく名門の生まれである。もっともロシャでは門地など ヴェータ夫人は万事につけて自分ひとりに、 自分の「不ということでは、なにか特別な縁戚でもないかぎり、あまり 仕合わせな』性格に罪を帰するようになり、そのために彼女注目をひくことができないらしい しかし、 ~ 人人にもりつば の悶がいっそう大きくなって来たのである。彼女は絶えまな縁戚があるので、人から尊敬もされればかわいがられもし なしに自分を『ばかで無作法な変人』と罵り、猜疑心のため こ。しかも、非常に勢力ある人たちがそうするので、自然と に苦しみ、ひっきりなしにあわて騒ぎ、なにかちょいとした ほかの人々もそれにつづいて夫人を尊敬し、かっ仲間にいれ 事情の行き悩みさえ解決する方法を知らず、絶えず不幸を誇なければならぬようになった。疑いもなく、彼女の家庭に関 大視するのであった。 する苦しみは根拠のないもので、原因といえばごくくだらな まだこの物語の発端において、エバンチン家の人々が、し いものであったが、彼女はそれをこつけいなほど誇張してい んから社会一般の尊敬を受けていることをいっておいた。卑た。けれども、もしだれか鼻の上か額の真ん中にいばがある とすれば、なんだかみなが自分のいばを見て笑うのを唯一無 しい身分から成りあがったイヴァン将軍自身すら ころでまぎれもない尊敬をもって迎えられた。じっさい、彼二の仕事にして、たとえアメリカ発見ほどの大功を立てて は尊敬を受けるだけの値うちがあったのだ。だいいち、金持 も、このいばのために人が自分を非難するような気がするも ちで「利ロな」人として、第二には、たいして才にたけたほのである。じじつ、世間でリザヴェータ夫人を『変人』扱い うではないが、 しつかりした人物としてである。しかし、 にしているのは、疑いもないことであるが、同時にまた確か くぶん感じの鈍いということは、ほとんどすべての事務家、 に尊敬もした。しかし、ついに夫人は、自分が人から尊敬さ ・よ」にいっ、 というのが間違っているならば、すくなくとも、すべてのまれているということさえ信じなくなった、 いの不幸が含まれているのである。娘たちを見ても、自分が じめな蓄財家の避くべからざる性質である。最後に、将軍は 言語動作も礼にかなっているし、謙遜でもあるし、必要なと絶えずその出世を妨げてるのではないかと思って煩悶した きに沈黙する術も、い得ていたし、そのうえ単に将車としてのり、自分の性格がこつけいで無作法で、とてもやりきれない 3 イイ
なかったらしい ラゴージンはべつに追究しようともせず控ついた公爵は、自分の前にあるテープルの上に二、三冊の書 えていた。ふたりはしばらく無言でいた。 物を見た。その中の一冊はソロヴィョフの歴史で、読みさし 「ばくはここへ来るときに、百歩くらい向こうから、ちゃんにしたところを広げたまま、しおりが挾んであった。四方の ときみの家がわかっちまったよ」と公爵がいしたした 壁にははげた金箔の額縁の中に、黒くすすけて何が何やらわ 「そりゃなぜだい ? 」 けのわからない油絵がいくつかかかっている。その中の一つ 「なぜかさつばりわからない。きみの家はきみの家族ぜんたで、全身の肖像が公爵の注意をひいた。それは五十歳ばかり いの、ラゴージン家の生活ぜんたいの外貌を持っている。との男で、ドイツ仕立てではあるが裾の長いフロックを着、首 っても、なぜそうかときかれると、なんとも説明のしようのあたりに二つのメダルをつけており、しよばしよばしたご : ないのだ。むろん、くだらん妄想さ。ばくはこんなことが ま塩の短いあご鬚を生やし、しわだらけの黄色い顔に、疑り 気にかかるのが、自分で恐ろしいくらいだよ。以前なら、きぶかい、秘密の多そうな、もの悲しい目を光らしている。 みがこんな家に住まってるなんて考えもしなかったんだけ 「これはきっときみのおとうさんだろう ? 」と公爵がきい ど、きようはじめて見るとすぐこう思った、「あの男の家は きっとこんなふうに相違ない』って」 「ああ、そうだよ」とラゴージンは不央な微笑をもらした。 「なあんだ ! 」ラゴージンは公爵の漠然たる心持ちが腑に落さっそくなくなった親に対して、なにか無遠慮な冗談をいっ ちないので、なんともっかぬ薄笑いをした。「この家はまだてやろうと、その心がまえでもするように。 祖父の時代に建てたんだが、いつもスコペッツ派のフルジャ 「この人は旧教派じゃなかったんだろうな ? 」 コフ一家が住んでいたものだ。今でもやはり間借りをしてら 「そうじゃない。教会へ通ってた。もっとも、旧教派のほう あ」 によけい道理があるとはいってたがな。そして、スコペッツ 「まったく暗いねえ。それに、きみも薄暗いような風つきを派もずいぶんありがたがってたよ。これが親父の居間だっ してるよ」と書斎を見まわしつつ公爵はこういった。 た。しかし、おめえなんだってきくんだ、おめえ旧教派なの それは天井の高い、薄暗い、 大きな部屋で、ありとあらゆかい ? 」 る道具類が所せまく並べてあった。多くは大形の事務机や、 「結婚の式をここで挙げるつもりなの ? 」 痴ビューローや、事務用の書籍書類の入った戸棚などである。 ここだ」思いもよらぬ卩円しレ 、こびりりとからだをふるわ 幅の広い赤いモロッコ皮の長いすは、明らかにラゴージンのせて、ラゴージンは答えた。 「 7 も、つす、 ? ・」 白寝台に代用されているらしかった。すすめられるままに席に