お付き合いとして、大学生ではないけれど、思想は忠実な大 んでした」と大尉は身じろぎもせすに相手を見つめた。 「ふん、考えもしなかったなんて、そりや、きみ、嘘だよ。学生という心持ちで、夢中になってその運動に没頭』した。 きみがペテルプルグへ行きたがるのも、つまり、それがためそして、何がなんだかわけはわからず、ただ「なんの罪もな くしいろんな紙きれを、よその階段へ撒き散らしたり、一時 なんだ。もし手紙を出さなかったとすれば、この町のだれか に口をすべらしはしなかったかね ? まっすぐに返事したまに何十枚と固めて、戸口の・ヘルの傍へ置いて来たり、新聞の 代わりに捩じ込んだり、芝居へ持って行ったり、帽子の中へ え、ばくもちょっと聞き込んだことがあるんだから」 リプーチンの裏切り者突っ込んだり、かくしの中へ落としたりした。その後、こう 「酢った勢いでリプーチンにその : いう仲間から金さえもらうようになった。「だといって、わ ・ : 」と哀 め、おれは自分の心臓を明けて見せてやったのに : たしの収入がどんなものか、大抵ご承知でしようからなあ ! し れな大尉はつぶやいた。 「心臓は心臓としておいてさ、そんな馬鹿な真似をする必要こうして二県にわたって各郡各郡へ、『ありとあらゆる紙く はないじゃよ、 オしか。きみは何か思案があったら、ちゃんとはず』を撒いたのである。 らの市・にしまっとくがしし しゃなし力。いま時の利ロな人「おお、ニコライ・フセーヴォロドヴィチ」と彼は叫んだ。 は、そんなにべらべらしゃべらないで、じっと黙ってるよ」「何より一ばん気がさしたのは、それがぜんぜん民法に、と いうより、むしろ国法に背いている点でした ? 何が刷って 「ニコライさま」と大尉はぶるぶる慄え出した。「だといっ て、あなたご自身、何一つかかり合 0 ていらっしやらないじあるかと思うと、まるで藪から棒に、股木 ( 乾草の取り 用しを持っ て出て来いだの、朝すかんびんで家を出ても、晩には金持ち ゃありませんか。わたしは何もあなたのことを : : : 」 じつに驚くじゃありま 「まさかきみだって、自分の米櫃を訴える勇気はなかったろで帰れることを記憶せよだのと、 せんか ! わたしはもう身慄いがつくようでしたが、それで もやつばり撒き散らしておりました。かと思うと、また出し 「ニコライさま、まあ、お察しを願います、お察しを : ・・ : 」 大尉は自暴自棄になって、涙ながらに、この四年間の身のぬけに、これというわけもないのに、ロシャ全国の人に向か 上を早口に語り始めた。それは柄にもない仕事に引き摺り込って、五行か六行印刷したものですよ。「速かに教会を鎖 まれながら、しかも、淫酒放埒に気をとられて、つい今の今し、神を撲滅せよ。結婚制度を破壊し、相続権を撲滅し、す べからく刃をもって立つべししと、こんなことばかり並べた 書まで、その仕事の重大な意義を悟りえなかった馬鹿者の、思 い切って間の抜けた物語だった。彼の話によると、まだペテものです。そのあとはどうだったか、てんで覚えてもおりま 愿ルプルグにいた頃から、『最初はただはんの友だちに対するせんよ。ところが、この五行ばかりの紙っ切れのために、す
なんかほとんど失くなってしまった。それに、どうしてそう事でも語るように、近いうちに、ことによったら明日か明後 日あたり、自分の結婚を一般に公表しようと思っている、 そうきみに金をあげなくちゃならないのだ ? 」 ニコライは急に腹を立てたらしい。彼は言葉みじかにそっ 『警察へも社会全体へも知らせるつもりだ』、したがって、一 2 子で、大尉の不行跡、ーー乱酔、放言、マリヤに宛家の恥辱という問題も、また同時に補助金という問題も、自 てられた金の浪費、それから妺を僧院から奪い出したこと、然消滅すべきだと告げた。大尉は目を剥くのみで、相手のい うことが合点できなかった。で、ニコライはもう一度、よく 秘密を発表するという脅し文句を並べた手紙を送ったこと、 ダーリヤに不正な行動をあえてしたことなどを、一つ一つ数わかるように説明を余儀なくされた。 「でも、あれは : : : 気ちがいじゃありませんか ? 」 え立てた。大尉は体を揺すぶったり、手真似をしたりして、 言いわけを試みようとしたが、ニコライはそのたびに高圧的「それはまた相当の方法を講じるさ」 「けれど : : : お母様はなんとおっしゃいますかしらん ? 」 な態度で押し止めるのであった。 「なあに、そりやどうとも勝手にするだろうよ」 「まあ、聞きたまえ」と彼は最麦こ、 ーイ冫しった。「きみはしじゅ 「しかし、奥さんをお宅へお入れになるのでしよう ? 」 う『一家の恥辱』てなことを書いているが、きみの妹がスタ 「或いはそうするかもしれん。しかし、それはまったくきみ ヴローギンと正当の結婚をしているということこ、、 の知ったことじゃないのだ。きみにはまるつきり関係のない どんな恥辱があるんだい ? 」 ことだよ」 「しかし、秘密の結婚ですからなあ、ニコライ・フセーヴォ 「どうして関係のないことですか ? 」と大尉は叫んだ。「わ ロドヴィチ、秘密の結婚、永久に秘密の結婚ですからなあ。 わたしはあなたから金をいただいておりますが、もし人からたしがどういうわけで : : : ? 」 「ふん、あたりまえじゃないか。きみなんかばくの家へ入れ 出しぬけに「それはどうした金だ ? 』ときかれたら、なんと 返答します。わたしは東縛を受けておりますから、それに返やしないよ」 「でも、わたしは親戚じゃありませんか」 答ができないじゃありませんか。それが妹のためにも、また 「そんな親戚はだれだってまっぴらだよ。ね、そうなってし 一家の名誉のためにも、非常な損害を来たしますので」 大尉は声を高めた。これは彼の十八番で、彼はこれにかたまえば、きみに金をあげる必要がどこにあるだろう、考えて もみたまえ」 霊く望みをつないでいた。しかし、悲しい哉 ! 彼はそのと き、どんな恐ろしい報知が待ち設けているか、夢にも予想で「ニコライさま、ニコライさま、そんなことがあってよいも 悪きなかったのである。ニコライは、きわめて些細な日常茶飯のですか。まあ、よく考えてごらんなさいまし。まさかあな
かでもない、大尉は自分の詩を舞台へ持ち出して、自分が何「きみは、確か自分で自分をあのひとの花婿に推薦したはず よりも剣呑に感じ、かっ何よりも失策を自覚している一つのだね ? 」 点に関して、自己弁護を企てたのである。 「敵です、敵です、敵の企みです ! 」 「『もしも彼女が足を折りなば』、つまり、馬から落ちた場合 「その詩をいってみたまえ ! 」とニコライは厳しい調子でさ なので。いや、夢ですよ、ニコライさま、うわごとですよ。 えぎった。 しかし、詩人のうわごとです。実はあるとき通りすがりに、 コつわごとです、も、つまるつきり、つわごとです」 一人の騎馬の美人に出会って、その美に打たれた。そして、 けれども、やはり彼は身をそらして、片手を差し伸ばしな この実際的な疑問を起こしました。『いったいその時はどう がら吟じ始めた。 だろう ? 』っまり、その今のような場合ですな。なあに、わ かり切ったことです。崇拝者どもはみんな尻ごみして、花婿 美しき人の中にも美しき あさざむ の候補者もどこかへ行ってしまう。急に朝寒がきて、水っ涕 君は図らず足折りて を啜らぬばかり、その時ただ一人の詩人のみが圧しひしがれ 前にも倍して魅力を増しぬ た心臓を胸にいだきながら、変わらぬ愛を捧げていると、こ 前にも倍して想いを増しぬ ういうわけなんです。ねえ、ニコライさま、たとえ虱のよう すでに烈しく恋える男は な虫けらでも、恋することはできますよ。けっして法律で禁 められてはおりません。ところが、それ、令嬢はわたしの手「もうたくさんだ ! 」とニコライは手を振った。 紙や詩を読んで、腹を立てられたのでございます。あなたま 「わたしは、ビーテル ( ペテプル ) を空想しておるのです」と で憤慨なすったということですが、いったい本当なのでしょ レビャードキンは、まるで詩なんか読んだことは、夢にも うか ? 実に悲しむべきことです。わたしはほとんど信じか ないような口調で、大急ぎで話頭を転じた。「わたしは更生 ねたくらいでございますよ ! ねえ、ただほんの想像ばかりを夢みておるのです : : : 恩人 ! ニコライさま、あなたはわ で、人に迷惑のかけようがないじゃありませんか ? おまけ たしに路銀を恵むのをいやだとはおっしやらんでしようね。 に、正直なところ、これにはリプーチンが関係してるのでごあなたに望みをつないでかまわんでしようなあ ? わたしは ざいます。『送るがいい、送るがいい、人間という者は、だ この一週間、まるで太陽かなんぞのように、あなたを待ち焦 れでも通信の権利を持ってるんだ』などというものですかれておったのです」 ら、それでわたしも出してみたようなわけで」 「いや、駄目だよ。もうまっぴらごめんこうむる。ばくは金
ルギンスキイの親身の妹、ーーーという顔触れだった。アリー 説明を加えようと思う。 ナ・プローホロヴナは、顔だちもさして悪くない、二十七ば わたしの考えでは、これらの人々は、実際なにか特別耳新 かりの押出しの立派な婦人だったが、いくぶん頭をばさばさしいことを聞き込むつもりで、それを楽しみに集まったもの さして、かくべっ晴着でもないらしい、青みがか 0 た毛織のらしい。しかも、前も 0 て予告を受けて、集ま 0 たものに相 服を着込んでいた。大胆な目つきで客を見廻しながら、かま違ない。彼らはこの古い町でもことに濃厚な赤色を呈した、 え込んでいる様子は、「見てください、わたし何も恐ろし い自由主義の代表者なのであった。そして、ことさらこの「集 ものはないんですから』ということを、知らせたくてたまら会』のために、きわめて慎重な態度をもって、ヴィルギンス ないらしかった。きよう着いたばかりのヴィルギンスカヤキイが取捨選択したのである。もう一つ断わっておくが、こ 嬢、 例の = ヒリストの女学生は、やはり相当に美しい顔の連中のある者は ( も 0 とも、ごく少数な人たちである ) 、 だちだったが、脂が廻って肉づきがよく、まるで毬みたいに 今まで一度もこうした集会に出席したことがなかった。もち ころころしていた。恐ろしく赤い頬 0 べたをして、背はあまろん大多数のものは、なんのためにこんな通知があ 0 たの り高くなかった。何やら書類を巻いたものを手にしながら、 力はっきり知らないくらいだった。もっとも、彼らはすべ まだ道中着のまま、アリーナの傍に陣取って、さもじれってその当時ピヨート ルを、臨時に密使としてロシャへ帰って たそうな、躍りあがるような眼ざしで、きよろきよろ一座を来た海外全権委員のように考えていた。この想像はどういう 見廻していた。あるじのヴィルギンスキイは、今夜すこし気わけか、間もなく正確無比なものとされ、かつ自然の結果と 分がすぐれなか 0 たが、それでもやはり客間へ出て来て、テして、人々の気に入ったのである。 ィー・テープルの前なる肘掛けいすに腰を下ろした。客一同とはいえ、誕生日の祝いを口実に集ま 0 たこの社会人のむ も同様に座に着いていた。こうして一つのテープルを囲み、 れの中には、はっきりとある任務を依頼された人も幾たりか きちんと行儀よく椅子に腰かけた一座の様子には、いかにもあ 0 た。ピ ' ートルはもうこの町へ来てから、モスクワや郡 何かの会議らしい気分が感じられた。見受けたところ、一同部の将校仲間で、すでにできあが 0 ているような、「五人組 0 は何やら待ち設けているらしか 0 た。そして、待 0 ている間を組織してしま 0 たのである。ついでながら、この「五人 、声高な調子ではあるが、なんとなくよそごとらしい会話組』は県にもできていたそうである。五人組は今も大テー を続けていた。スタヴローギンとヴ , ルホーヴ = ンスキイがプルに向か 0 て座を占めていたが、きわめて巧妙に、平々凡 姿を現わした時、一座は急にびったりと鳴りを静めた。 凡たる顔つきをとりつくろっているので、だれ一人そんなこ ここでわたしは叙述の正確を期するために、ちょっとした とに気のつくものはなかった。もはや今では、秘密でもなん
「いや、もう罰としてなんにもいいませんよ ? きみはさそ呼んだのじゃないかと思われる。いや、まったくそのとおり 聞きたいでしようね ! ただ一つだけ教えてあげますが、今なんだよ」 「あなたはよくまあ、恥ずかしくないこってすねえ ! 」とわ あの馬鹿者はもうただの大尉じゃなくって、この郡の地主さ こしょこらえかねてこう叫んだ。 まですぜ。地主もかなり大きなほうでさあ。というのは、ニオし コライさんが以前もっていた二百人という農奴つきの領地「ねえ、きみ、わたしはいま本当に一人っきりだ。 enfin を、ついこの間あいつに譲ったんですからね。ばくは誓って c'est ridicule ( 要するに、滑格な話だがね ) まあ、考えてもみ たまえ、あの家まですっかり秘密に包まれてるじゃないか。 嘘なんかっきやしません。たったいま聞いたば おやこ かりですがね、その代わり出所は確かですよ。さあ、もうこ母娘はいきなりわたしに飛びかかって、例の鼻だの耳だの、 。もうなんにもいわないかそれにペテルプルグ時代の秘密だの、そんなことを聞き出そ れから先は一人で探り出しなさい ふたり うとするのさ。母娘は四年前ここでニコラスのしたことを、 ら。さよなら , ・」 今度はじめて知ったんだからね。『あなたはここにいて、ご 0 自分でご覧になったのですもの。いったい、あの人が気ちが スチェパン氏は、ヒステリイじみたいらだたしい心持ちいだってのは本当ですか ! 』だとさ。全体そんな考えがどこ から飛び出したんだろうね、合点がいかないよ。どうしてプ で、わたしを待っていた。彼はもう一時間から前に帰ってい ラスコーヴィャさんはなんでもかでも、ニコラスを気ちがい たのだ。わたしが部屋へ入ったとき、彼はまるで酔っぱらい にしてしまいたいんだろう ? あのひとはそうしたくてたま のようであった。少なくとも最初五分ばかり、わたしは酔っ 、、よ、ドロズドフ家のらないんだよ。本当に ! あのモーリイス、じゃない。なん てるものとばかり思っていた。悲ししカオ 訪問はかえって彼の頭をすっかり混乱させてしまったのであとかいったつけなあ、あのマヴリーキイ・ニコラエヴィチ る。 は、 brave homme 秤 ou 秤 de méme ( とにかくいい男だよ ) 、し 「 Mon ami わたしはすっかり手蔓を失くしてしまった : かし、それが当人のためになるかなあ。しかも、あのひとが L 一 se : : : わたしは依然として、そうだ、まったく依然としてわざわざパリから cette pauvre amie ( うちの気の毒な友だち ヴァルヴァ あの天使を敬愛しているが、しかし、どうやらあの人たちは ( ¯)) へ宛てて、あんな手紙をよこした後で : : ・・ enfin ラ夫人をさす ( 要するに ) cette chére amie ( うちの親愛なる友だち ) のいわ 一一人とも、ただもうわたしから何か探り出して : : : つまり、 てもなくわたしからいるだけのものを引き抜いてさ、あとはゆるプラスコーヴィヤは、一つの立派なタイプだね。ゴーゴ カロー どうとも勝手になさい : : といったふうな目的で、わたしを ' 。 ' " ' ' 「死せる魂」 0 一仄物、 ) だ。ただこの リが不朽にした小箱夫人 ( わ 〃 6
といっしょに礼拝式へやって来たので、母のプラスコーヴィ フの家に住まっております」 「レビャードキン ? フィリッポフの家 ? わたしなんだかヤは医者の指図にしたがって、その間に馬車で一廻りして来 聞いたことがあるようだ : : : ありがとう、ニーコン・セミョることにした。そして、気を紛らすために、マヴリーキイを ) ーザはとっぜん知事夫 ーヌイッチ、だけど、そのレビャードキンというのは何者で連れて行ったのである。ところが、 人を棄てて、ヴァルヴァーラ夫人のほうへ駆け寄った。 すの ? 」 ) ーザ、わたしはいつでもあんたに来てもらいたい 「ふつう大尉大尉といっておりますが、どうも乱暴な男と申「ああ、 さなければなりませんな。ところで、これはきっとその妹でんだけれど、お母さんがなんというだろうねえ ? 」とヴァル ござりましようが、おおかたいま監督の目を盗んで、脱け出しヴァーラ夫人はもったいぶった調子でいいかけたが、一通 りでないリー サの興奮に気がつくと、急にまごっいてしまっ たものに相違ありませんて」アンドレーエフは声を落としな がらこういって、意味ありげにヴァルヴァーラ夫人の顔を見た。 「小母さま、小母さま、あたし今日はぜひごいっしょにまい つめた。 りますわ」リーザはヴァルヴァーラ夫人を接吻しながら、哀 「わかりました、ニーコン・セミョーヌイッチ、ありがとう。 では、なんですね、あなたはレビャードキナさんですね . ? 」願するようにこういった。 「 Mais qu ・ avez vous donc, Lise ( それはまあ、どうしたと 「いいえ、わたしはレビャードキナではございません」 いうのです。 ) ーザ ) 」と知事夫人は表情たつぶりの驚きを示し 「じゃ、兄さんがレビャードキンなのでしょ , フ ? 」 ながらいった。 「兄はレビャードキンでございます」 「あら、失礼しましたわね、あなた、 chére cousine ( 親愛な 「じゃ、こ , っしましょ , つ。わたしこれから、あなたをいっし ょに家へ連れてってあげましよう。そして、家からあなたの従姉 ) あたし小母さまのところへまいりますの」不快な驚き ンエールクジース ところへ送らせますからね。あなたわたしといっしょに行きの色を見せている親愛な従姉のほうへ、あわてて振り向きな カら、リー ザは、二度まで接吻した。「そして、お母様にも たくはありませんか ? 」 そういってくださいましな、すぐ小母さまのところへ迎えに 「ああ、行きとうございますとも ! 」レビャードキナ嬢は、 っ 来てくださいってね。お母さんもぜひぜひお訪ねしたい 両手をばちりと鳴らした。 「小母さま、小母さま ! あたしもいっしょに連れてってくて、つい先刻も自分で話したくらいですの。あたしついお断 わりしておくのを忘れましたけれど」リーザは夢中になって ださいまし」ふいにこういうリザヴェータの声が響いた。 ちょっとついでにいっておくが、リザヴェータは知事夫人弁じた。「ほんとに失礼しましたわね、怒らないでください
「じゃ、貴様はここで待ち伏せしていたんだな。おれはそんで」 なこと嫌、 した。いったいだれの言いつけなのだ ? 」 「なぜだい ? 」 「言いつけなんかとおっしゃいましても、そんなことはけっ 「ビヨートルの旦那はえらい天文学者で、空をめぐる星を一 してありやいたしません。わっしはただ、世間に知れ渡ったつ一つそらで知っておられますが、あの方でも難をいえばあ 旦那様のお情け深さを、承知でまいりましたんで。わっしらるんでございますよ。ところが、わっしは旦那の前へ出る と、まるで神様の前へ出たような気がいたしますんで。なせ の収入と申しちゃ、旦那もご承知のとおり、ほんの蚊の涙く らいなものでございますからねえ。ついこのあいだ金曜日に って、旦那、あなたのことはいろいろ伺っておりますもの や、饅頭にありつきましてね、まるでマルティンが石驗でもね。ビヨートルの旦那はああいう人、旦那は旦那でまた別な 食べるように、うんと腹一杯つめ込みましたよ。ところが、 人でござんすからね。あの方は人のことでも、あれは極道だ それ以来なんにも食べない始末なんで。次の日は辛抱しまし といったら、もう極道者よりほかなんにもわかりやしませ ん。また、あいつは馬鹿だといったら、もう馬鹿のほかにや た。その次の日もまた食べずじまいでございました。で、川 といったふ , つで、一ごいます。し の水をもうたらふく飲みましたから、まるで腹の中に魚でもその男の呼び方を知らない、 飼ってるようで、こういうわけでござんすから、一つ旦那様 かし、わっしも火曜水曜は、ただの馬鹿かもしれないが、本 のお情けでいかがでしよう。実はついちょうどそこのところ曜日にゃあの方より利口になるかもわかりませんからね。と ころで、いまあの方は、わっしが一生懸命に旅行免状をほし で、仲よしの小母さんが待っておりますが、そこへは金を持 たすに行くわけにやまいりませんでねえ」 がってることだけ知って ( まったく口シャではこの免状なし じゃ、どうにもしようがありませんからね ) 、まるでわっしの 「いったいピヨートルの旦那はおれに代わって、何を貴様に 約東したんだい ? 」 魂でも生け捕ったように思ってらっしやる。旦那、わっしは 「別に約束なすったというわけじゃありませんが、もしかし遠慮なく申しますがね、ピヨートルの旦那なんざあ、世渡り たら、その時の都合次第で、何か旦那のお役に立っことがあは楽なもんでございますよ。なぜってあの方は、人間を自分 るかもしれんと、これだけのお話があったので。どういう仕一人でこうと決めてしまって、そういうものとして暮らして 事か、そりや明らさまに聞かしてくださいませんでしたよ。 おられるんですからねえ。そのうえに、どうも恐ろしいしみ なぜって、ピョ ートルの旦那は、わっしにコサッグみたいな ったれでございますよ。あの方はよもや自分を出し抜いて、 つらい辛抱ができるかどうか、ためしてごらんなさるきりわっしが旦那とお話をしようとは、夢にも思っていらっしゃ 悪で、ちっともわっしという人間を信用してくださらないんらないが、わっしはねえ、旦那、旦那の前へ出たら神様の前 2
事に関する風説である。ただどういうわけであの出来事が、 こうまで迅速正確に表沙汰になってしまったか、これだけは まったく驚くほかはなかった。当時あの場に居合わせた人の 中で、事件の秘密を破る必要を感じそうな者もなければ、そ んなことをしてとくのゆきそうな者もいない・召使は一人も 居合わさなかった。ただ一人レビャードキンだけはなにかし ゃべったかもしれない。しかし、腹立ち紛れではない。それ はあの時すっかりおびえあがって、出て行ったのに徴しても 明らかである ( 敵に対する恐怖は、憎悪の念を消すものであ る ) 。だから、ただ本当に我慢できなくてしゃべったかもしれ レビャードキン兄妹はその翌日、行きがた知れずにな ってしまった。彼らはフィリッポフの持ち家に見えなくなっ それから八日たった。もういっさいが終わりをつげて、わて、まるで消えてしまったように、どことも知れず姿をくら たしがこうして記録を書いている今となっては、ことの真相ましたのである。わたしはシャートフに会って、マリヤのこ もよくわかってしまったけれど、当時わたしたちはなんにも とを聞いてみようと思ったが、彼は部屋の戸を閉め切ってし 知らなかったので、自然の数として、いろんなことが不思議まい、この八日間、町のほうの仕事もほうり出して、うちに に思われた。少なくもわたしとスチェパン氏とは、はじめのばかりこもっていたものらしい。彼はわたしに会ってくれな かった。わたしは火曜日に彼のところへ寄って、戸をノック うち、家にばかり閉じこもって、遠方からびくびくしながら してみたが、返事をしてもらえなかった。けれど、ある正確 観察していたものである。ただわたしだけは、ちょいちょい 方々へ出かけて、前のとおりいろいろの報知をもたらしてい な報知によって、その在宅を信じ切っていたわたしは、もう た。実際、そうしなくては、一日もたちゅかなかったのであ一ど戸を叩いてみた。そのとき彼は寝台から飛び下りたらし る。 い様子で、大股に戸口のほうへ近寄ると、ありたけの声を張 電町じゅうに区々まちまちな風説が広がったのは、もちろんり上げてどなった。「シャートフは留守です』で、わたしは いうまでもないことである。つまり、例の「平手打ちしだそのまま立ち去った。 しくらか自分たちの想像の大 悪の、リザヴェータの卒倒だの、そのほか、かの日曜日の出来わたしとスチェパン氏とよ、、 第二編 第ノ章夜
ーラ夫人は気がついて、こういった。 しながら、夫人の手を取ろうとした。が、急に何かぎよっと したようなふうで、いきなり両手をうしろへ引いてしまっ彼女は身にまとっている外套をするりと脱いでほうり出す と ( これは従僕が宙にひらりと受け止めた ) 、なかなか安く ないらしい黒のショールを肩から外して、やはり膝を突いた 「ただそのためにここへ来たの ? 」ヴァルヴァーラ夫人は、 痛ましそうな徴笑を浮かべたが、すぐに手早くかくしから玉ままでいる無心もののあらわな頸に手ずから巻きつけてやっ 虫貝の色をした金入れを取り出して、中から十ループリ紙幣た。 「ねえ、お立ちなさいよ、膝を立ててくださいったら、後生 を抜き取ると、それをこの見知らぬ女に渡した。 こちらはそれを受け取った。ヴァルヴァーラ夫人はただなですから ! 」 こちらは立ちあがった。 。この女がただの賤しい らぬ好奇心を呼びさまされたらしい 「あなたどこに住まってるの ? 本当にいったいだれもこの 無心ものとは思われなかったので。 「見ろ、十ループリやったぜ」とだれか群衆の中でこういう女の住まいを知らないのかねえ ? 」ヴァルヴァーラ夫人はじ れったそうに、もう一度あたりを見廻した。 ものがあった。 が、以前の群衆は最早いなかった。そこに見えるのはすべ 「どうぞお手を貸してくださりませ」と『不仕合わせな女』 は覚東ない口調でいった。その手には、受け取ったばかりのて見覚えのある、上流の人の顔ばかりであった。ある者はい 十ループリ紙幣の端っこが、指の間にしつかり挾まったまかめしい驚きの色を浮かべ、ある者はずるそうな好奇の表情 とともに、金棒引きらしい無邪気な熱心を示しながら、この ま、風にひらひら躍っている。 ヴァルヴァーラ夫人はなぜかちょっと眉をひそめたが、真光景を見まもっていた。中にはもう、くすくす笑い出すもの 面目な、ほとんど厳めしいくらいな顔をして、片手を差し出さえあった。 「これはどうやら、レピャードキンの家の者らしゅうござい した。と、こちらは、敬虔の色を顔に浮かべながら、それに 接吻した。感謝にみちた双の目は、一種歓喜の光に輝いていますな」やっと一人の男が夫人の問いに対して、進んでこう た。ちょうどこのとき知事夫人が近づいた。すると、それに答えた。これは町でも多くの人から尊敬を受けている、アン ドレーエフという立派な商人で、胡麻塩の顎ひげをたくわ 続いて町の貴婦人連や、高官たちの一隊がどやどやと流れ出 霊た。知事夫人はしばらくの間、いやでも狭苦しいところに立え、眼鏡を掛け、ロシャふうの長い服を着て、ふだん円いシ ルグハット式の帽子を被っていたが、今はそれを手に持って っていなければならなかった。多くの人々は立ちどまった。 きようだい いた。「あの兄妹はボゴャーヴレンスカヤ街の、フィリッポ 悪「あなた、寒いんですか、慄えてますね」ふいにヴァルヴァ さっ
もの、 われわれがいなかったら、四方八方にけし飛んでり任務が多いために、ほとんど何一つ実行ができないでい しまうおそれのあるものを、抑制しているのだ。われわれだる。ところが、一方から見ると、わたしはここにいても何一 ってきみたちの敵ではない、レ ナっしてそうじゃない、われわっすることがない、 これもまた正確な事実なのだ。という れはあえてきみたちにそういうよ、ーー進みたまえ、進歩しと、不思議なようだが、その実は政府の態度一つでどうとも たまえ、揺すぶりたまえ、 といって、つまり、当然改造なるものさ。かりに政府が一種の政策のためとか、または熱 さるべき一切の古いもののことだがね : : : しかし、一たんそ烈な要求を鎮撫するために、共和国か何か、まあそんなもの の要を認めた場合には、必要な範囲内においてきみたちを制を建てながら、同時に一方では知事の権力を増したとする。 止し、それによってきみたちを自分自身から救ってあげねばそうすれば、われわれは県知事の席に着いたまま共和国を丸 ならん。なぜといって、きみたちばかりでわれわれというも呑みにするよ。なあに、共和国がいったいどうしたというの のがなかったら、ロシャの国をがたがたにしてしまって、し だ ! われわれはなんなりとお好み次第のものを鵜呑みにし かるべき体面をなくしてしまうに相違ない。このしかるべきてご覧に入れるよ。少なくともわたしは : : : それだけの川意 体面ということを心配するのが、すなわち、われわれの役目があるように思う。要するに、もし政府がわたしに電報で、 なのだ。いいかね、われわれときみたちとは、お互いに必要 activité dévorante ( 献身的活動 ) を命令して来るとすれば、 欠くべからざるものだ。それを腹に入れてくれたまえ。イギわたしは activité dévorante を開始するよ。わたしはこん リスでも、進歩党と保守党とは、お互いに必要なもんだからど諸君の眼前で、直截にこういった。「諸君、すべて県政機 ね。そ , つじゃよ、、、 ナしカわれわれが保守党で、きみたちが進歩関の均衡と隆興に必要なものは、たった一つしかありませ 党なのさ。まあ、こんなふうにわたしは解釈してるんだ」 ん、日く、県知事の権力を拡張することであります』え、き フォン・レムプケーはもう熱くなってしまった。彼はペテみ、地方団体にしろ、裁判機関にしろ、すべてのこういう行 ルプルグ時代から気の利いた、自由思想めいた議論をするの政司法庁は、いわゆる二重生活の方法を取らなくちゃなら が好きだったが、今は傍で聴くものがないので、なお調子にん。つまり、これらの機関は存立すべきものであるが ( まっ 乗ってしまった。ビヨートルは無言のまま、なんだかいつも たくそれは必要だ ) 、また一方から観察すると、彼らの絶減 に似合わず真面目な態度を持していた。これがいっそう弁士が必要でもある。何ごとも政府の態度一つさ。一たんこれら 霾を煽ったのである。 諸機関の必要を感ぜしめるような風潮が起これば、わたしは 「ねえ、きみ、わたしはこの「県の主人』だ」と書斎を歩きそれをちゃんと目の前に揃えてご覧に入れる。ところが、そ 悪廻りながら、彼は語を次いだ。「ねえ、きみ、わたしはあまの必要が去ってしまえば、わたしの支配下をどんなにさがし